9月 031997
 

英米系の哲学は、かっこいいフランス現代哲学や深遠なドイツの伝統的哲学と比べて、今ひとつ人気がない。それでも、私たちは、英米系の哲学から学ばなければならないことがある。

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情報革命が起きる以前の工業社会では、自然科学者は世界が物質とエネルギーから成り立つと考えていた。しかし科学者は今では情報に注目している。例えば、かつて生物学者は生物を物として研究していたが、現代のバイオテクノロジーは、生物を遺伝子という情報のコピーとして扱う。そして哲学でも、「存在論」に代わって、言語と意味が主要なテーマとして扱われるようになる。

第二次世界大戦以降、イギリスやアメリカなど英語圏の哲学界では分析哲学と呼ばれる潮流が支配的になった。当初科学方法論として出発したこの学派は、現在言語哲学として評価されている。我々の身体行動が、ルールに従った行為であるのと同じように、我々の認識行為もルールに従った行為である。認識論としての言語行為論は、倫理学や社会哲学にまで射程を広げることが可能である。

英米系の哲学から学ぶべきことはもう一つある。英米では、各哲学者が現在進行形で哲学を構築している点である。哲学を古典の訓古学的研究と心得ている人はこの点を特に見習うべきである。

日本の大学には哲学者がいないと言われる。日本の大学には、「哲学をやっている」と自称する人はたくさんいる。そう言う人たちのうち圧倒的多数は哲学史家である。つまり哲学者ではなく哲学研究者なのである。はたしてこれは嘆かわしいことなのか、それとも健全なことなのか。

他の学問と比較して考えてみよう。大学の文学部にいる国文学者は、例えば夏目漱石の作品の文献学的解釈に従事したりするが、夏目漱石のように小説を書いたりはしない。つまり国文学者は、国文学史を研究するが、自ら国文学史の最前線となることはない。国文学者の中には、小説を書く人もいるかもしれないが、それは大学教員の仕事としてではなく、あくまでも個人的に大学の外でやっている余技に過ぎない。

他方、大学の理学部にいる数学者は、例えばユークリッド幾何学の文献学的解釈などせずに、ユークリッドのように数学的真理の解明に従事する。つまり数学者は数学史を研究するのではなく、自ら数学史の最前線となろうとするのである。数学者の中には、数学史研究をやっている人もいるかもしれないが、それは大学教員の仕事としてではなく、あくまでも個人的に大学の外でやっている余技に過ぎない。

では哲学の場合どちらをモデルとするべきなのか。もし哲学が、文学に近い性質を持つならば、国文学者の場合のように、哲学史研究のみを行い、哲学はすべきではないということになる。ニーチェのような哲学者が、あのアフォリズムの思索を哲学の論文として学会誌に掲載することはできない。哲学が宗教に類似する場合はもっと危険である。新興宗教の教祖が教壇に立って、説法を行い、レポートで学生に信仰告白をさせ、自分の教義と異なる場合には単位を落とすというようなことは、国公立であれ、私立であれ、国から補助金を受けている大学では許されない。だから大学の科目には「宗教学」はあるが、「宗教」はないのである。

だがもし哲学が数学に近い性質を持つならば、つまり論理的で客観的な性格を持つならば、大学教員は、数学者の場合のように、自分の哲学を教壇で教えることができる。そして英米の分析哲学はそのような性質の哲学なのである。だから英米の大学では、大学教員が哲学の自説を講義することは、比較のために他説も取り上げる限りでは、タブーではない。そして重要なことは、古典の解釈ではなくて、議論なのである。もちろん英米でも古典の研究に専門的に従事している人はいるが、哲学史研究と哲学が混同されることはない。英米の哲学の世界は、ヨーロッパ大陸のように、ビッグネームの教祖的哲学者とその信者的追従者から成り立っているのではなくて、それぞれ自説を持った対等の哲学者から成り立っている。英米の哲学では、少なくとも形式的には民主主義が成り立っているのである。

英米に留学した日本人学生は、授業が教師と学生とのディスカッションを中心に成り立っていることに日本での授業との違いを感じる。日本の哲学教授の大半にはディスカッションの能力がない。そもそも教授を批判することはタブーである。だから学生は、教授の講義をただ黙って聴きながらノートに写すだけである。こんな学問的風土の中で「コミュニケーション的行為」を「研究」している学者がいることは滑稽ではないだろうか。

本書では、英米系哲学の精神に則って、単なる学説の紹介に終始することなく、その批判的検討を通して、自説を形成する道のりを示したいと思う。

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