9月 041997
 

これまで超越論的システム論を全体部分関係論というスキームで議論してきたが、予告した通り、システムを部分に対する全体から部分を選択する機能として定義し直す必要がある。これが本書の課題である。

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以前の本で、私は次のように書いた。

システムとは、常識的には“まとまり”であるが、それはたんなる集合であってはならない。全体の部分となることによってその存在が可能となるような諸要素のまとまりでなければならない。だからシステムとは部分の総計である外延的全体ではなく、部分を部分たらしめている規定性である。そして規定性とは他ではないことという否定性であり、選択性である。そこでシステムとは要素を選択する機能であるということになる。例えば主観とは主語に対する述語を選択する情報システムである。これが「より洗練された」システムの定義で、詳しくは別著で改めて説明する。

[永井:カントの超越論的哲学,第一章 第一節

その「別著」が本書である。

システムとは何か。例えば奇数のシステムについて考えてみよう。奇数のシステムは、1,3,5…を要素とする集合で、

{an odd number = 2x+1, x∈an integral number}

という関数(function)であり、整数という地平で偶数という他の可能性を排除する機能(function)を持つ。1,3,5… という数字自体は奇数であって、奇数システムではない。奇数システムは奇数を選択する機能であり、選択基準としての関数である。

最近書いた本でも、私はこの考えを維持している。

システムという言葉は、「共に立てる」という意味のギリシャ語に由来し、普通、秩序だったまとまりというほどの意味で使われる。秩序とは、無秩序の否定であり、無秩序とは、予想とは他のようになる可能性、すなわち不確定性が高い状態のことである。そして、無秩序を否定し、秩序を作るということは、複数の可能な選択肢の中から1つを選び、それ以外の可能性を捨て去るということである。

[永井:エントロピーの理論,第一章 第一節]

このように、システムの本質を選択、すなわち複雑性の縮減に求めるシステム論の方向はニクラス・ルーマンによって打ち出された。ルーマンはパーソンズなどよりもずっと洗練されたシステム論を構築した。それでもルーマンのシステム論には不満な点がある。

彼のシステム論は、当為や社会変革の問題を放棄していること、社会科学に偏りすぎていて、自然科学や哲学や歴史学の分野での展開があまり見られないことなどである。私自身のシステム論は現在構築中であるが、この『システム論研究序説』は、ルーマンのシステム論を発展継承していく上での準備作業として書かれたものである。

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