9月 041997
 

近代世界システムは、ウォーラーステインの予想に反して、社会主義システムに移行しなかった。逆に、社会主義は崩壊した。中核と周縁へと差異化された近代世界システムは、今後も続くのだろうか。南北問題は、どのようにすれば解決することができるのだろうか。

image

20世紀に入ると、資本家/労働者という中核/周縁関係が世界中に広がる帝国主義の時代となる。このようなグローバルな階級問題の解決という使命を担ったのが、1917年の革命で成立したソビエト連邦であった。

しばしば、なぜ社会主義革命は資本主義が高度に発達した先進国で起きなかったのかということが問題になる。

周知のように、マルクスもレーニンもそして他の誰も、“社会主義革命”が他のどこよりも早くロシアで起こるとは思ってもみなかった。マルクスはイギリスを有望な候補として多少とも予言していたし、マルクスの死後、[第二]インターナショナルの社会主義運動では、ドイツで起きるであろうという点で予測が一致していた。

[Wallerstein: The Capitalist World-Economy, p.55] 。

このような予測は、社会主義あるいは共産主義を資本主義の後に続く一国内の発展段階と考えるところから来る。地球的規模の階級関係を考えた場合、19世紀のイギリスや20世紀のドイツなどの先進国で最初に社会主義革命が起きることは、プロレタリアートに先んじてブルジョワたちが社会主義革命に立ち上がるということと同じぐらいありそうにないことなのである。反対に当時先進国の植民地となっていた後進国では、グローバルな社会主義革命を起こすだけの力はなかった。革命を起こす必要のない先進国と、革命を起こすことのできない後進国との中間に位置する国が、最初に立ち上がったのである。

ウォーラーステインは、自分の世界システム論を国別発展段階説に対置する。「ヘーゲル的な用語で表現すれば、発展段階主義者のパースペクティヴは機械論的であり、これに対して世界システムのパースペクティヴは弁証法的である」[Wallerstein: The Capitalist World-Economy, p.54] 。ウォーラーステインが自分の理論を「弁証法的」と形容するのは、彼が部分に還元できない創発的特性を全体に認めることによる。20世紀のある時点で、ある国は資本主義社会の段階にまで到達していて、他のある国はまだ封建社会の段階に留まっているというのではなく、一方で豊かな「資本主義」社会が、他方では貧しい「封建主義」社会が立ち現れる両者の関係が、世界システムにおける資本主義社会なのである。それは、一国内で、資本家にまで発展した個人と労働者として発展途上にある個人が無関係に混在しているのではなくて、資本家と労働者という役割分担が生じる関係性が資本主義社会であるのと同じことである。

歴史の発展段階は、世界システム全体について語りうることであって、各民族国家がそれぞれ辿る段階ではない以上、中国のような封建社会は資本主義社会の段階を飛ばして社会主義に移行できるのかというスキップの問題も生じない。「もしも自然史という意味での“民族国家別発展”がないとするならば、そしてもし正当な比較の対象が世界システムであるなら、段階のスキップを問題にすることはナンセンスである」[Wallerstein: The Capitalist World-Economy, p.4] 。

「世界システムのパースペクティヴ」からロシア革命の意義を考えてみよう。ウォーラーステインによれば、1914年におけるロシアは、工業国としては欧米列強の中では最弱であり、農業国としては非西洋の世界では最強であった。なるほど1890年代から、シベリア鉄道建設に伴ってロシアの資本主義は飛躍的な発展を遂げる。しかし当時石炭、石油、製鉄などの重工業部門や銀行はほとんどフランス・ベルギー・イギリスなどの外国資本の手によって握られていた。そしてロシア政府自体がフランスなどに巨額の負債を抱えていたことも考慮しなければならない。

それゆえ現在の我々の言葉で表現すれば、ロシアは中核における最弱であるか、周縁における最強かのどちらかであった。もちろん両方であって、事実上、今日我々が半周縁国と呼んでいるものの実例であった。

[Wallerstein: Geopolitics and Geoculture, p.88]

一般的に言って「上位にいる者[中核]は、自分たちの特権をより良く保持するために、常に三層[中核/半周縁/周縁構造]を存続させようとし、これに対して下位にいるもの[周縁]は、この同じ特権をより良く破壊するために、三層を逆に二層[少数の支配者対多数の被抑圧者]にしようとする」[Wallerstein: The Capitalist World-Economy, p.223] 。半周縁は中核の周縁であると同時に周縁の中核でもあり、立場が両義的であるから、中核の忠実な番犬として周縁の反乱の鎮圧に血道を上げるか、それとも周縁たちの先頭に立って中核への反乱のリーダーとなるかという二つの戦略が選択肢として与えられる。

もしもロシアが将来の中核候補として上昇期にあったとするならば、前者の選択肢を選んだに違いない。だが日露戦争の敗北でロシアの覇者としての地位は最低のランクにまで落ち、第一次世界大戦の勃発で帝国主義システムの弊害が痛感された頃、ロシア人民が後者の選択肢を選び、帝国主義システムそのものの解体を通じて活路を見いだそうとしたことは十分理解できる。

ロシア革命は成功した。しかしドイツでの社会主義革命は失敗する。1924年のレーニンの死後、永久革命論に立つトロツキーが追放され、一国社会主義を説くスターリンが実権を握るに至って、世界革命は挫折する。第二次世界大戦以後、ロシアよりさらに後進的な周縁諸国で社会主義政権が誕生した。しかし肝心の先進資本主義諸国がそのまま存続したがゆえに、20世紀の社会主義革命は、本来の世界革命の自慰的代物に終わった。するべきところでやったのではなく、することができるところでしかやらなかったという意味で自慰的なのである。

もちろんソ連を中心とする東側の陣営は、一時期アメリカを中心とする西側の陣営と拮抗するところまで力を付けた。だが当時世界システムが二つの異なる自存的な経済体制に分断されていたと考えるのは間違っている。資本主義陣営と社会主義陣営が世界の覇権をめぐって競争するという関係自体が資本主義的なのである。資本主義的対外関係は、本来共産主義的であるべきはずのソ連の内部構造へも反照されるというのが弁証法の論理であって、ソ連は1921年にネップを採択して資本主義に近い体制へ移行し、やがて計画経済のもとではあるが、農業国から工業国へ脱皮し、第二次世界大戦以後、他の社会主義諸国に対して帝国主義的な中心/周縁関係を作ってしまった。こうしたソ連の“発展”は、資本主義諸国の帝国主義的発展と大きくは変わらない。社会主義にも資本主義にも徹しなかったソ連は、その中途半端さが災いして結局崩壊する。顧みれば、20世紀には資本主義的世界経済という単一のシステムしかなかったのである。

第二節の冒頭に引用した箇所から明らかなように、ウォーラーステインは当初社会主義に対して好意的であった。1975年に書かれた論文の中で、ウォーラーステインは、途上国の先進資本主義に対する反逆(例えば OPEC が惹き起こした石油危機)を指摘しながら、「それゆえ今日我々は皆、停滞する世界資本主義のシステムからその後継者、すなわち世界社会主義への移行を早める手段を再考することを求められている」[Wallerstein: The Capitalist World-Economy, p.223] と提言する。

さらに彼は、20年後(1995年)の「地政学的提携」として次のような組み合わせを考える。まずコメコン(ソ連を中心とした共産主義諸国の経済協力機構)と EC(現在のEUの前身)が合体してハートランドを形成し、このヘゲモニーに対して二つの抵抗の極ができる。

一つは中国で、これは多分日本と政治的に手を結ぶであろう。もう一つは合衆国で、この国は傷付いてはいるものの死に絶えることはあるまい。言うまでもなく、二つの反対の極は、ある種の戦略的同盟の方向に動くかもしれないのである。

[Wallerstein: The Capitalist World-Economy, p.243]

だが、ウォーラーステインによると、合衆国と中国では階級闘争が激しくなり、アメリカの多国籍企業や大銀行は、経済力の強い(ソ連を含む)ヨーロッパに本拠を移転するだろうとのことである。1995年で20年経ったが、ウォーラーステインの予言は明らかに外れている。

ソ連がヘゲモニー候補から明らかに脱落した年(1991年)に出版された論文集の中で、ウォーラーステインは、今度は次のような予言を行っている。

この競争[米国と日本と欧州との間のヘゲモニー争奪戦]において、日本が徐々に勝ち抜くのではないのかというのが私の印象である。その主な理由は、日本は合衆国よりも(そして合衆国ほどではないが西ヨーロッパよりも)中間層へ(政府の社会福祉政策や民間企業の膨れ上がった中間管理職や第三セクターでの法外の消費量により)膨大な資本を浪費する負担から免れているし、またもちろん、既得利益[例えば植民地]を守るために引き起こされる、政治的軍事的支出からも免れているというところにある。

[Wallerstein: Geopolitics and Geoculture, p.43]

オランダのヘゲモニーが終わると、イギリスがオランダと同盟してフランスを破り(英仏間の第二次百年戦争)、イギリスのヘゲモニーが終わると、アメリカがイギリスと同盟してドイツを破った(両世界大戦)ように、今度は日本がアメリカと同盟してEUを破るであろうというわけである。「日本は、19世紀後半に合衆国がイギリスに対して演じていた役割と同じ役割を今日合衆国に対して演じているように見える」[Wallerstein: Geopolitics and Geoculture, p.20] 。実際、世界経済システムの時代においては、ハプスブルク、フランス(ナポレオン帝国)、ドイツ(ヒットラーの第三帝国)、EUのような世界帝国型の陸の統一よりも、オランダ、イギリス、アメリカ、日本のような海/空の統一のほうに優位がある。

そしてこのシナリオから行けば、確かに、2050年頃には世界戦争が起きるかもしれない。それは基本的には米ソ間のではなくて、日本と西ヨーロッパ間の世界戦争であり、これまでのアナロジーからすれば、当然日本が勝つはずだ。

[Wallerstein: Geopolitics and Geoculture, p.45]

ウォーラーステインの恣意的な予言には付いて行けないというのが正直なところである。いずれにしても、日本が将来ヘゲモニーになるかどうかは、学問的にはどうでもよい問題である。「大多数の[ヘゲモニー候補ではない]国にとって、重要な問題は、現在の世界においてどの国がヘゲモニーであるかではなくて、はたして、そしてどのように世界システムは変えられていくのかということである」[Wallerstein: The Politics of the World-Economy, p.68] 。不平等な中核/周縁関係の是正は人類に課せられた課題である。社会主義が崩壊しても、社会主義が提起した問題は依然問題として残っている。

近代資本主義は現在危機に直面しているというのがウォーラーステインの変わらぬ問題意識である。最近の彼は近代の超克は近代知の超克であると考えて、哲学的方法論的論文集『脱社会科学 Unthinking Social Science』を出版している。その中で彼はプリゴジンを手掛りに、ガリレオ、デカルト、ニュートン以来の近代知のパラダイムを克服しようとする [Wallerstein: Unthinking Social Science, p.31-34] 。近代の科学は、A. 要素主義に基づく、B. 超時間的・超歴史的な、C. 必然性・確定性を前提し、かつ追求した。このパラダイムは現代科学においては揺らぎつつある。

  1. 近代科学は、世界を脱魔術化してこれを均質で計算可能な時空体にし、原子的単位から全ての出来事を機械論的・数学的に説明しようとしたが、ハイゼンベルクの不確定性原理はアトミスティックな決定論を否定した。プリゴジンの散逸構造論を含め、現代の熱力学的なシステム論は、統計学を用いたホーリスティックな分析枠組に依拠している。
  2. 近代科学では、力学的運動の方程式は時間の関数ではなく、したがって時間変数の正負は関係がないので、変化は可逆的であったが、熱力学の第二法則は時間を不可逆的過程にし、物理学を宇宙の歴史学にしてしまった。ここに“個性記述的”歴史学と“法則定立的”科学との対立は消え、プリゴジンは自然科学と人文/社会科学との「新たな同盟」を呼びかける。
  3. 近代科学では秩序とは平衡状態のことであり、ゆらぎはたんに秩序形成を妨害する攪乱要因としてしか見做されていなかったが、プリゴジンは、ゆらぎを通しての秩序形成、つまり非平衡状態における散逸構造の形成過程を明らかにした。生命や社会構造も「平衡状態から遠くはなれて維持される開放系システムにおいて自己組織化する」[Prigogine et al: Long-term trends and the evolution of complexity, p.19] 。これは我々が第一節で確認した複雑性の増大による複雑性の縮減に他ならない。

ウォーラーステインは、以上のパラダイム転換に範を仰ぎつつ、A. アトミスティックな国別発展段階論とは異なる世界システム論というホーリスティックな分析枠組で、B. 歴史研究から“離陸”して近代資本主義社会を超歴史的な永遠の体制として普遍主義的に分析する近代経済学的傾向の社会科学を再び歴史的現実へと引きずり下ろし、C. 現代の世界新秩序=無秩序というゆらぎを通して自己組織化するポスト資本主義システムを見定めようとする。

ウォーラーステインによると、現代資本主義世界システムのゆらぎは、1968年から始まった。ベトナム戦争での敗北によるパクス・アメリカーナの終焉は、中ソの対立によ る米ソ間の接近やEC・日本の台頭と相まって世界の多極化(エントロピーの増大)をもたらした。68年のフランスの五月革命をきっかけに起こった世界的な学生運動は、同じ68年のチェコ動乱へのソ連の軍事介入に対しても批判的であり、資本主義だけでなく社会主義をも含めた既製の管理社会に対する反乱となって現れた。アメリカでは黒人の差別撤廃運動やフェミニストのウーマンリヴ運動が巻き起こる。第三世界の下からの反乱、特に OPEC が惹き起こした石油危機は、世界経済をコンドラチェフの長期波動の第4後退期に向かわせ、先進国の間で不況と失業とGNPの伸び悩みが慢性化する今、資本主義的世界システムは末期状態を呈している。

思えば冷戦時代は秩序ある時代であった。《冷たさ》は熱力学的に低エントロピーを意味しているというのは偶然であろうか。《雪解け》が始まるにしたがって、個々の水分子の運動は活発になり、秩序は乱れてくるが、このエントロピーの増大が、新たな秩序形成のエネルギーとなるのである。

かつて世界帝国の時代においては、国家は経済に優位したが、資本主義的世界経済の成立はこの関係を逆転させた。東西冷戦が終わった今、多国籍企業は世界をボーダーレスに支配している。このグローバルな無政府状態を克服するには、世界政府を作るしかないとウォーラーステインは言う。世界政府を樹立する上で障害となるのは、しばしばそう考えられているように、民族・言語・宗教・文化・習慣などの相違ではない。それらは上部構造に属する表面的な集団の差異徴表であり、集団間の闘争の根本的な動機は、経済的な利益の維持/獲得である。

ウェーバーは、帰属集団のカテゴリーを Klasse, Stände, Partei の三つに分けている [Weber: Wirtschaft und Gesellschaft, S.167-168] が、ウォーラーステインによれば、人種や民族といった「ステータス集団[Stände]は、(党派集団[Partei]と同様に)階級[Klasse]の漠然とした集合表象である」[Wallerstein: The Capitalist World-Economy, p.181] 。それゆえ全ての集団闘争は階級闘争に還元される。

近代化は世界経済システムの形成という普遍化を伴うが、同時に反システム的な民族主義/国民国家の台頭という特殊化をも伴っていた。後者は世界経済システムにおける内部矛盾である階級闘争の変形である。ウォーラーステインは、世界システムは、この矛盾を止揚して初めて真の普遍性へと移行できる(そしてエンゲルスが言ったように、民族国家は死滅する)と考えている。真の普遍性は具体的普遍であるから、全ての地球人を文字通り平等にする抽象的普遍であってはならない。そのような悪平等は熱死的ですらある。

理想的な平等社会とは、競争の条件が平等化されることにより、全ての経済的不平等が本人の努力にのみ依存するような社会である。先進諸国の労働者が世界政府を恐れるのは、労働力の自由な移動により、自分等の賃金水準が落ちるからである。だが多国籍企業は、より安い労働力を求めて生産拠点を海外へ移転し始めている。国民国家という資本主義を育ててきた母胎は、今や国内の衰退産業を関税によって保護しようとする桎梏と化している。

世界政府の成立には南北問題の解決が必要であり、南北問題の再発を防ぐには世界政府が必要である。この循環性ゆえに、ウォーラーステインは、両者の実現を共に困難と考えていたようだ。しかし、南北問題は、現在解決に向かいつつある。それも、社会主義的な世界政府の樹立によってではなくて、グローバルな市場経済によってである。南北問題を生んだ原因は資本主義であったが、南北問題を解決するのも資本主義である。この点私はウォーラーステインよりずっと楽観的に世界の将来を考えている。

ウォーラーステインによれば、《南》におけるNIESの誕生は南北問題を解消しない。なぜなら、途上国の工業化によって「起きたことのすべては、その通常の[雁行形態の]繰り返しにおいて、かつて高利潤・高賃金・高技術であった生産活動、例えば繊維業、後には鉄鋼業、後には電気工業、これらは、その性質を失うにつれて、世界経済の周縁地帯へ押しつけられ、他方今日の中核地帯は次の時代の先端産業、例えばバイオテクノロジーとかマイクロプロセッサーとか先進的形態のエネルギー生産などを開発しようとしているということである。この“新たな国際的分業”は、不平等交換を減らすどころか増やすであろう」[Wallerstein: Geopolitics and Geoculture, p.101-102] 。

たしかに一人当りの国民所得の先進国と(NIESを含めた)途上国との差額は増大している。しかし伸び率に関しては途上国のほうが先進国よりも高いのである。つまり、一人当りのGDPでの南北格差は、絶対値において増大していても、世界全体のGDPの増大との相対値では減少しているのである[g]。近代化=急成長の波が、アジアNIESからASEAN・中国を経てさらには南アジアやラテンアメリカへと広がっている現在、ウォーラーステインの、遡ってはアンドレ・フランクやサミール・アミンなどの「従属理論の失敗は決定的なものとなった」[大西広:『第三世界』論の現在,19頁]。参考までに、表4に最近のGDPの実質経済成長率を掲げておく [IMF: World Economy Outlook, May 1993] 。

最近8年間の国内総生産の実質成長率
西暦先進国全体発展途上国全体アジアの途上国
8年間平均2.40%5.00%7.20%
1986年2.90%5.00%7.10%
1987年3.20%5.70%8.00%
1988年4.40%5.30%9.10%
1989年3.30%4.00%5.30%
1990年2.40%3.70%5.60%
1991年0.60%4.40%6.10%
1992年1.60%5.90%8.10%
1993年1.20%6.10%8.40%
[g] 日本銀行国際局の『国際比較統計1994年』によると、日本の一人当りのGDPは33903ドルで、中国の458ドルに比べて約74倍である。だが今後の成長率を前者は2%、後者は10%であるとすると、2068年頃には、中国は日本に追い付く計算となる。

もっとも共産主義者の中には、GDPは決して豊かさの基準ではなく、資本主義の内部で妥当性を持つ数値に過ぎないと考える人々もいるであろう。曰く、「より良い社会をつくるためには、新しい文明をつくるのではなく、文明を放棄しなければならない。文明を放棄し、権力に風穴をあける方法は、ただ一つしかない。それは、権力に余剰食料を提供しないことである。また権力から食料を受け取らないでも生活できるようにしておくことである。これは、食料の家族自給によって可能になる」[槌田敦:エントロピーとエコロジー,169頁]。

彼等によれば、本来の労働は、自然に直接働きかけて大地の恵みに浴すること(典型的には農業)であり、その上にそびえたつ第二次・第三次の産業あるいは国家機構は、全て寄生的で搾取的な、つまり余計な活動なのである。こうした労働観は、実在するのは物質のみで、それに付け加わる全ての観念的小細工は余計な空想であるとみなす哲学的なレベルでの唯物論に対応しているが、この素朴実在論的唯物論と同様に支持できない。共産主義社会への移行は原始共産主義への回帰の一面を持つが、前近代的な自給自足的ローカルコミュニティでは現代の膨れ上がった人口を養うことはできない。中国の人民公社化は180万人とも言われる餓死者を出したあげくに挫折した。現在の世界人口を養うには高度に発達した分業体制が、即ち世界システムが必要なのである。

今一歩譲って、これまでの「生産力の増大」を前提にして、食料が自給できるとしよう。果たして人類は食欲などの動物的欲求の満足だけで満足するだろうか。知と権力への欲求(両者は理性の自己実現への欲求として同一である)は、資本主義的文明を再び希求することになるであろう。文化大革命における下放やポルポト派によるインテリの大量殺戮は、共産主義的集団農業にとって知の抑圧が必要であったことを示している。国家の死滅は共産主義のイデーであるが、ブルジョワ国家の再発生を予防するためには、それよりさらに強大な権力機構が存在していなければならない。それゆえ、権力なき農村で晴耕雨読の生活というのはユートピアに過ぎない。複雑性の増大による複雑性の縮減という歴史の流れを逆転させることはできない。我々は、前に進むことしかできないのである。

平子友長は、唯物論的に労働力を生産力と同一視することなく、資本のもとへの労働の形態的包摂である所有関係と実質的包摂である生産関係を区別し、近代的合理的経営における資本(家)の生産的役割を認める。平子は、その上で、倫理的な観点から社会主義の必要性を説く。

『唯物史観』の公式は、資本主義的生産関係の桎梏によって停滞させられていた近代的生産力を自由に解放するものが社会主義的経済体制であるという認識に導きやすく、それは、資本主義に対する生産力優位を実現することが社会主義の本来の使命であるというイデオロギーを生み出した。元来、資本主義的経済システムこそ自然と人間を犠牲にして生産力の自己目的的発展、『蓄積のための蓄積』を追求する経済システムであり、社会主義経済システムの優位性は、むしろ生産力の過度の発展を抑制することによって、自然環境の保護と『本当に豊かな生活』に不可欠な人間的諸価値の回復とを可能にする生産的システムを提供する点にあった。

[平子友長:社会主義と現代世界,57頁]

資本主義の生産性を認めても、なお資本主義化=近代化には(1)「大量生産=大量消費」による環境破壊と(2)「過労死」に象徴されるような人間疎外という問題があるというわけである。 以下この二つの問題を検討してみよう。

(1) 今日環境問題が世界的規模で深刻化していることは周知の通りである。しかし、平子は《近代が孕む問題》と《近代化への移行がもたらす問題》とを混同してはいないであろうか。両者は次のように区別される。

近代化にともなう人口動態
前近代期近代への移行期近代の完成期
経済成長停滞高度成長安定成長
人口動態多産多死多産少死少産少死
環境破壊非顕在的顕在化・激化沈静化
主要産業第一次産業第二次産業第三次産業

環境問題は、資源問題や食糧問題と同様に、根本的には実は人口問題であって、時々誤解されるように、科学技術(例えば核エネルギーの開発)や産業の進歩が第一次的に惹き起こす問題ではない。人口の大量増加が「大量生産=大量消費」を必要にし、その結果エントロピーが大規模に増加して公害問題が発生する。資本主義経済は、供給のみならず需要をも、つまり商品のみならず人間までをも爆発的に生産するが、それは前近代的経済から《テイク・オフ》するときに見られる過渡的現象で、やがて限界に達して円熟期になると、今の日本がそうであるように安定した均衡状態に入る。日本でも公害問題が切実だったのは80年代前後の安定成長期よりもむしろ60年代前後の高度成長期であったし、世界的にも現在最も環境破壊が深刻なのは先進諸国ではなく、アジアなどの急成長を遂げる発展途上国である。

現在日本では少子社会化が進み、遠からず人口は増加から減少に転じるであろう。この人口減少は近代化の産物である。近代化は産業の高度化を、産業の高度化は高学歴社会を、そして高学歴社会は、一方で晩婚化を、他方では子供の教育費の高騰をもたらし、これが人口増加を自ずと抑制する。発展途上国では、子供は即労働力であり、経済的理由から自ずと多産になる。但し、多産が富をもたらすというのはミクロのレヴェルにおいての話であって、マクロには、未熟な労働力の増加は労働力の単価を下落させるので、個人単位の生活向上には結び付かないし、人口が増えた分だけ環境問題を惹き起こすだけである。発展途上国における人口増加を抑制するには、避妊や中絶への法的/技術的アクセスを許容するだけでは不十分であり、全般的な近代化の中でもとりわけ就学期間の延長(これは近代化の結果であるにしても、その前に原因でなければならない)に力を入れるべきである。それは、オートメーション化が進むと予想される、来るべき21世紀に要求される人材が、大量の安価な労働ではなくて、少数の高技能(頭脳)労働であることをもにらんでのことである。

平子は、地球資源の有限性から、「資本主義世界システムは、地球上の人口の四分の一程度の人々しか『近代化』する能力がない」[平子友長:社会主義と現代世界,352頁]と言うが、地球的規模での近代化によって、逆に地球上の人口を現在の四分の一程度にすればよいのである。反復的な単純労働を機械に任せ、人間は創造的な仕事にのみ従事すればよいユートピアは、人間を奴隷的労働から解放しようとした社会主義者の理想でもあったわけであるが、それは技術的にはむしろ近代化の完成した資本主義社会で実現されるであろう。

(2) 平子が謂う所の「『本当に豊かな生活』に不可欠な人間的諸価値の回復」も、もしそれが《人間らしい労働の復活》のことを言っているとするならば、そのような近代の完成において成されるのではないのか。平子は、あるいはひょっとすると労働時間の短縮と余暇の充実のことを言っているのかもしれない。その場合でも、解決の糸口は近代化にしかないであろう。ウェーバーによってカリカチュア化された自己目的的な《蓄積のための蓄積》は、近代への移行期における高度成長経済のための理念型であって、円熟期の近代の理念型は均衡的な《消費のための蓄積》であると予想される。その時、前近代社会以上に労働時間を短縮することができる。

最後に「本当に豊かな生活」や「人間的諸価値」の内容なのだが、これが何のことを言っているのか、平子の場合はっきりしない。何を以って豊かな生活と判断し、何を以って人間的価値とするかは各個人の自由であり、ゆえに、誰にでも妥当する価値とは自由である。マゾヒスティックな趣味の持ち主が自由を望まないときでも、その人は、不自由への自由を望んでいる。望ましい社会とは自由な社会であり、それ以上の規定は不可能である。

社会主義や福祉国家的修正資本主義などの規制主義が時代遅れとなった今日、人類の未来は、自由主義の路線によって切り開かれる。世界政府の実現に向けた21世紀のシナリオを、ウォーラーステインとはまた違ったように描いてみよう。まず日本が世界制覇をすることはありそうにない。ウォーラーステインによれば、歴史上のヘゲモニーは、いずれもまず農工業的(生産的)優位に始まり、商業的優位が加わって最高潮に達し、金融上の優位を最後に没落する [Wallerstein: The Politics of the World-Economy, p.40] 。

最後の局面は人間の一生で喩えれば定年後の年金生活であるが、国内産業の空洞化が進み(生産的優位が終わり)、超高齢化社会を迎えるに至って、日本は文字通りの老衰期に入ろうとしている。その時アジアの雁行形態にドーナツ化現象が起きることになる。もちろん日本経済がではなく、日本企業が世界の市場を制覇するという可能性はある。だがその頃には、その日本企業は日本の企業ではなく、グローバル企業となっているであろう。

EUとAPECが、相互に相手に対抗するために加盟国を増やして世界を二分割することは十分考えられる。だがウォーラーステインが予言するように、二つの陣営の間で世界戦争が起きるという可能性は極めて少ない。そもそも現代においては、世界戦争は人類の滅亡以外の何ももたらさない。もっと可能性がある選択肢は、二つの市場を統合して世界市場、グローバル経済を作ることである。

もちろんEUもAPECも、現在そのようなことは意図していない。ECはもともとアメリカやソ連に対抗する勢力を作ろうとして始まったのだし、APECはEUに対抗しようとするアメリカの主導のもとに、今あるような大規模なブロックとなったのであった。だが歴史は当事者の意図を越えて進んでいく。それが理性の狡智である。誰もグローバル経済を作ろうという意図をもって行為していない。にもかかわらず、理性=普遍者は諸個人の私利私欲の追求という特殊性を媒介にしてこの地上にみずからを具現する。中核列強が、周縁植民地に政治的独立を与えたのも、先進国が途上国に投資するのも、そしてやがて周縁途上国を市場統合して一体化していくのも、いずれも自国の利益を第一に優先してのことであるが、結果としては予期せずして、先進国の国民には相対的に不利になるグローバル経済の準備をしたことになるのである。

このページをフォローする
私が書いた本

  14 コメント

  1. 私は、自分が資本主義的考えの持ち主なのか、社会主義的な考えの持ち主なのかは分かりませんが、いづれにしても良い社会にしたいという点では共通しているとは思います。
    いくつか反論させて頂ければと存じます。
    表5及び引用文「やがて限界に達して円熟期になると、今の日本がそうであるように安定した均衡状態に入る。日本でも公害問題が切実だったのは80年代前後の安定成長期よりもむしろ60年代前後の高度成長期であったし、世界的にも現在最も環境破壊が深刻なのは先進諸国ではなく、アジアなどの急成長を遂げる発展途上国である。」について
    →たしかに、全体的にはそうなのですが、ミクロで見ると、先日の京都議定書でのデータからも明らかになりましたが、日本の二酸化炭素の排出量は減るどころか増え続けている。沈静化はしているとは思えない。むしろ、ゆるやかな破壊を続けていると思われてならないのである。
    現実として、進歩が(システムが)地球の悪化に付いていっていない。間に合っていればどんどん科学技術を発展させるべく進んでいけば良いと思うのですが。。
    私たちの目的は「システムの発展/維持」ということを勉強させて頂きました。
    極端な話、地球が壊れてしまったら、社会システムは終わってしまう。
    「エントロピーの増大によるエントロピーの縮減」と言っても、地球の機能停止によるエントロピーの増大はエントロピーの縮減にはならないと思います。これは「エントロピー」について理解できてないのでしょうか。
    地球が機能停止になっても、ほかの星に住める技術が進んでいれば問題ないが(エントロピーの縮減)、上記で述べたように、地球の悪化(エントロピーの増大)に技術がついていっていないのではないか。
    引用文「地球的規模での近代化によって、逆に地球上の人口を現在の四分の一程度にすればよいのである。」とおっしゃっていますが、はたして、近代化は、地球の悪化に追い付くのか。
    私はその点を資本主義の問題であると考えています。
    ご意見賜れれば幸いです。

  2. 地球の気温が上昇し、二酸化炭素濃度が増えれば、植物が繁栄し、生物全体が恩恵を受けます。だから、地球温暖化それ自体は生態系にとって望ましいことです。もしも、スーさんが、マスコミの宣伝を鵜呑みにしているのであれば、とりあえず、以下のサイトをご覧ください。
    ◎ CO2温暖化脅威説は世紀の暴論
    http://env01.cool.ne.jp/ss02/ss023/ss0231.htm
    ◎ 二酸化炭素地球温暖化脅威説批判
    http://env01.cool.ne.jp/ss02/ss025/ss025.htm
    この問題に対する私の考えは、
    ◎ 地球温暖化の何が問題なのか
    https://www.nagaitoshiya.com/ja/2000/global-warming-impacts/
    ◎ 石油に代わるエネルギーは何か
    https://www.nagaitoshiya.com/ja/2000/best-energy-source/
    にまとめてあります。環境のために文明を否定するべきでないというのが私の立場です。世界人口の増加は、少子化のおかげで、最近鈍化しており、この点、私は楽観しています。

  3. 度々恐縮です。毎回素人な議論ですいません。
    CO2に関する貴重なサイトをお教え頂きありがとう御座います。じっくりと拝読させて頂きます。
    また、永井さんの論文「地球温暖化の何が問題なのか」「石油に代わるエネルギーは何か」については、先般拝読させて頂きました。双方とも大変興味深く読ませて頂きました。
    私が、上記の「環境破壊・沈静化」に関する反論で、CO2を取り上げさせて頂きましたが、それはあくまで一例として取り上げさせていたものです。
    環境破壊については、言うまでも無くCO2以外にも心配な要素があります。
    やはり、私は、“諸々の資源”の枯渇が特に気がかりです。
    植物以外の天然資源(例えば石油や石炭、鉱物など)は基本的には、植物の様な短い年月では増加はしない。
    新エネルギーへの取り組みが急がれますが、先にも述べましたが、それらの新エネルギーが、資源が、(極論ですが)完全に消滅してしまうまでに、実用化できるのかを心配しているのです。エネルギー庁のHPによると、依然50%超石油に依存し、石炭や原子力等に頼っています。様々なマス媒体によると企業もコストが掛かる点や実用性に不安を感じると言っては新エネルギーへのシステムを取り入れていない。また、取り入れるにしても、段階的だ。その段階も一歩が小さい。現状、環境破壊のスピードに追い付いていない。
    今日の諸々の環境問題におけるエントロピーの増大が、新しい社会システムが出来上がるまでに(エントロピー縮減)、地球が持ちこたえられるのか気がかりです。エントロピーの増大が頂点に達して「0」になってしまう事を危惧しています。
    どうやら私は、テレビや新聞、雑誌など、マスコミ情報を鵜呑みにしすぎてしまっている側面があるのか。。専門的な書物も浅く広く目を通しているのですが、マス媒体の力は大きいです。専門家のテレビや雑誌での意見と言うのは影響力がありそうです。
    ※勉強不足で恐縮なのですが、上記文「世界人口の増加は、少子化のおかげで、最近鈍化しており、・・・」についてなのですが、鈍化しているのですか?なにか参考文献やサイトなどをご紹介頂けないでしょうか。
    拙い文章にて失礼致しました。

  4. 資源の枯渇に関しては、心配要りません。石油危機が起きた頃、「石油は30年後に枯渇する」と言われていました。あれから30年になるというのに、まだ同じ説が唱えられています。ちなみに、他の鉱物資源の予想耐用年数も、何十年たっても変わらないのだそうです。ここからもわかるように、石油の埋蔵量が30年分しかないのではなくて、30年分の油田を維持管理するのが経済的に合理的であるということです。もちろん、石油は物理的に有限なはずですが、私が提案しているメタンガスは、再生産可能ですから、太陽が輝き続ける限り、資源が枯渇することを心配する必要はありません。
    世界の人口増加率が下がっていることについては、このニュースをご覧ください。
    World population growth ‘falling’
    http://news.bbc.co.uk/2/hi/americas/3560433.stm
    “The growth rate of the world population has slowed down, according to the US Census Bureau. ”
    “The rate of growth peaked 40 years ago, when it stood at about 2.2% a year. The bureau partly attributes the drop to women having fewer children. ”

  5. 色々とご教授頂き、本当にありがとう御座います。何だか前向きな気持ちになりました。と同時に、もっと広い視野で勉強していくことの必要性を痛感しました。
    また、投稿させて頂く事もあると思います。その際は宜しくお願い致します。

  6. 人口が減っているとのことですが、1990年代では52億くらいの人口が、今は64億。そして2020年では80億近くなると言われています。日本の場合はともかく、とても世界の人口増加が減っているとは思えません、どうでしょうか?
    それと資源のことですが、海洋資源などでは、タラベルトでタラが採れなくなったり、東シナ海でもどうようなことが起きています。かわりにはじめられている養殖の増加が、海を汚染し、赤潮などにも繋がっています。このあたり、どうでしょうか?

  7. “人口が減っているとのことですが、1990年代では52億くらいの人口が、今は64億。そして2020年では80億近くなると言われています。”
    人口が減っているのではなくて、人口の増加率が減ってきているのです。
    “それと資源のことですが、海洋資源などでは、タラベルトでタラが採れなくなったり、東シナ海でもどうようなことが起きています。かわりにはじめられている養殖の増加が、海を汚染し、赤潮などにも繋がっています。このあたり、どうでしょうか?”
    赤潮の正体はプランクトンです。海の栄養が豊かになって、プランクトンが大増殖すると、養殖魚は呼吸できなくなって、死にます。人間にとって都合の悪い生物が増えるというだけのことで、これを環境破壊と言うことはできません。人間にとって好ましくない生物が増えることと、すべての生物にとって好ましくない環境破壊とは区別されるべきでしょう。

  8. 人口の増加率が減る、ということは、将来の人口予測が増えたり、現に過去より人口が増えているということと矛盾していませんか?
    養殖の問題は赤潮だけではなく、大量繁殖のためにまかれる餌が腐らないように抗生物質が与えられたり、有機スズ化合物なども網に海草などが絡みつかないようにまかれています。その結果、海の汚染により魚の絶対量も減っています。これが人間にとって好ましくない環境破壊に結びつくと思うのですが。
    それと、本当に資源などに枯渇はないのでしょうか?中東はまだしも、アメリカなどでは石油の枯渇などが騒がれています。どうでしょう?

  9. “人口の増加率が減る、ということは、将来の人口予測が増えたり、現に過去より人口が増えているということと矛盾していませんか?”
    全然矛盾していません。人口の増加率が減るということは、人口は増えているけれども、増え方が減っているということです。数学的に言えば、第一次導関数の値はプラスだけれども、第二次導関数の値がマイナスということであり、そして、マイナスのままなら、人口は将来減少に転じます。
    “養殖の問題は赤潮だけではなく、大量繁殖のためにまかれる餌が腐らないように抗生物質が与えられたり、有機スズ化合物なども網に海草などが絡みつかないようにまかれています。その結果、海の汚染により魚の絶対量も減っています。これが人間にとって好ましくない環境破壊に結びつくと思うのですが。”
    これは養殖だけの問題ですか。農業であれ、工業であれ、何であれ、人間の生産活動は、エントロピーを増大させ、環境を汚染します。工夫の余地があるとすれば、エントロピーの量を減らすことと、捨て方を改良することぐらいでしょう。
    “本当に資源などに枯渇はないのでしょうか?”
    エントロピー非減少の法則により、天文学的な時間が経てば、いつかは資源がゼロになります。これを熱的死と言います。

  10. わかりました、ありがとうございます。資源枯渇はとりあえずは大丈夫なのでしょうかね?石油価格が上がっていますが、これは資源枯渇とは取り合えず関係ないのでしょうか?

  11. 石油価格が上昇しているのは、経済がインフレ化しつつあるからです。インフレとデフレは周期的に起きる現象で、永遠に続くことはありません。

  12. 地球適正人口はどれ位ですか。
    私はそのことに興味があります。
    これからおきる人口減少はしぜんとうたですか

  13. 人口を減らすことは、自然淘汰の結果ではなくて、自然淘汰(人類の滅亡)を阻止するための手段です。どの程度まで減らすかは、文明の技術水準によりますが、地球の砂漠化に歯止めがかかるまで減らし続けるべきでしょう。

  14. アメリカは先進国の中でも例外に増えていてなぜか珍しいです。

 返信する

以下のHTML タグと属性が利用できます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>

/* ]]> */