9月 051997
 

本書『社会システム論の構図』は、これまでの四冊とは違って、哲学よりもむしろ社会学の領域に近い。といっても、実証的な社会学的研究の書ではない。社会学についての私の考えを述べ、本書の構成を概観する。

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戦後日本の社会学では、アメリカ社会学の影響を受けて、社会調査などによって得られた経験的データに基づく実証主義的社会学が主流となった。その一方で、哲学と不可分の関係にある理論社会学もヨーロッパ、特にフランスを中心に栄えている。私が興味を持つ社会学はもちろん後者の方だ。

多くの国の講壇哲学が閉ざされた世界を作ってきたのとは対照的に、フランスの社会学では、哲学を含めた隣接学問との壁が高くなく、そうした視野の広さが多くの魅力的な仕事を生み出した。レヴィ=ストロース、アルチュセール、フーコー、バタイユ、ブルデュといった人たちの仕事は決してタコツボ的ではないし、しかもハーバマスの仕事のような寄せ集めではなく、オリジナリティを持っている。

ルーマンのシステム論は、サイバネティックスと現象学が融合した興浅からぬ研究なのだが、やや内容空虚なところに物足りなさを感じる。日本の哲学者や社会学者は、フランス思想家の視野の広さを見習うべきではないだろうか。

こうした問題意識に立って、私も単なる哲学研究者を卒業することにした。前著ではシステム全般について哲学的に論じてきたが、本書では社会システムについてさらに具体的に議論することにしたい。

社会システムの基本的単位はコミュニケーションであり、コミュニケーションとは交換である。そこで第一章では、まず交換概念の分析から始め、いかにして交換からコミュニケーション・メディアが生成して来るかをたどってみよう。

第二章では、交換から疎外されたコミュニケーション・メディアが超越的権威として諸個人のコミュニケーションを抑圧する構造を解明する。

第三章では、諸個人を抑圧する超越的権威が諸個人を訓育する超越論的権カヘと内在化される過程を描くことによって、権力とは真理であり、真理とは権力であるというフーコーの命題を確認する。

精神分析学的に表現するならば、第一章は鏡像段階であり、第二章はエディプス・コンプレックスの段階であり、第三章はエディプス・コンプレックスを克服した段階である。個人史は人類史を繰り返すことを念頭に置けば、社会システムについての構造分析である本書が、人類史の構造転換をも視野に入れた構図をとっているということがわかるはずである。

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