9月 051997
 

交換とはコミュニケーションであって、物の移動は交換にとって本質的ではない。交換を媒介するコミュニケーション・メディアの分類から、認識・結婚・復讐を扱う第一章の構成を説明する。

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第一章に入るにあたって、そもそも交換とは何かというところから話を始めなければならない。AとBを交換することは、A=B という等値を前提にするが、交換はたんなる等値ではない。等値以外に置換が必要である。実際「交換」は「置換」と同意に使われることがある。しかし車の部品を交換するとき、私はたんに古い部品を新しい部品で置き換えるだけであって、私と誰かが何かを交換するわけではない。だから社会システムにおけるコミュニケーションとしての交換は、通常より狭い意味での、つまり他の意識システムの存在を必要条件とする交換でなければならない。

狭義の交換の直観的に分かり易いケースは、二つの主体S1とS2の間で、所有物B1とB2が、B1=B2と認定され、相互に移動し合う場合である。さて、いまS1が所有する鳥B1がS1の腕からS2の腕へ、S2が所有する鳥B2がS2の腕からS1の腕へ飛び移ったとしよう。この場合二羽の鳥は相互に自分の位置を換えたのであって、決してS1とS2が自分の鳥を交換したわけではない。反対に、B1とB2の物理的相互移動がなくても、S1とS2の間で所有交換の同意がなされたならば、B1とB2は交換されたことになる。ここから明らかなように、交換概念にとって本質的なことは、物の移動ではなくて、物の移動を可能ならしめる価値の間主観的相互承認である。

交換とは何かという問いに答えるには、さらに交換の目的についても述べなければならない。意識システムは、《自由な=自己選択的》主体として、自己の選択とその結果に対して責任を持つが、責任と同時に権利をも持つ。その権利は所有権と呼ばれている。私の労働が直接産み出す私の所有物は通常単一的で、私の多様な欲望を満たすことができないので、私は自分の所有物を他者のそれと交換する。つまり交換の目的は、交換自体が自己目的化している特殊な場合を除けば、単純な自己の所有物の多様化である。

私の欲望という観点から全く同じであるものは交換されないのはこの目的から明らかである。異質ではあるが価値的には同じ物が交換されるのである。多様化という主観的目的を達成したとき、意識システムは、自分の所有物、あるいは根源的には自分の労働力が客観的普遍的価値評定のもとに晒されていることに気付く。交換は多様性と普遍性という二つの地平的契機を対自化する。

システム論の用語で言えば、交換はダブル・コンティンジェントなコミュニケーションとしてなされ、普遍性はコミュニケーション・メディアによって与えられ、多様性は複雑性の増大による複雑性の縮減によってもたらされるということになるであろう。さて、ルーマンは、パーソンズの AGIL 図式の顰みに倣って、コミュニケーション・メディアを次のように4つに分類する。

ルーマンによるコミュニケーション・メディアの分類
発信:受信:環境の選択受信:システムの選択
環境の
選択
真理(他我の体験を自我が体験する価値関係でのメディア)愛(他我の体験に自我が行為する感情関係でのメディア)
システムの選択貨幣(他我の行為を自我が体験する所有関係でのメディア)権力(他我の行為に自我が行為する法的関係でのメディア)

後で説明するが、ルーマンはコミュニケーションにおけるメディアと形相を区別するのだが、彼自身はこの区別に対してかなり無神経である。実はこの4つのうち、コミュニケーション・メディアと呼びうるものは貨幣だけである。真理や愛や権力はメディアではなくて形相である。メディアが何であるかは、それぞれ第一節、第二節、第三節で説明する。

さて、この分類表は、自我/他我、行為/体験という二つのコードの交差から作成されている。行為と体験の区別について、ルーマンは以下のように説明している。

志向的な振舞は、その選択性が自発的システムにではなくて、システムの世界に帰せられるときかつその時のみ体験と判断される。そして行為と見なされるのは、作用の選択性が自発的システム自身に帰せられるときかつその時のみである

[Luhmann: Soziologische Aufklärung 3, S.68-69]

ルーマンの分類は、事後的なこじつけという印象を受ける。例えば、一つ疑問点を挙げると、貨幣が媒介する売り手と買い手の非対称な関係において、自我がどちらの場合であっても、自我の選択は体験で、他我の選択は行為になるのだろうか。もしそうだとしたなら、行為と体験の非対称性が崩れてしまう。システム論が示さなければならないことは、4つのメディアが異なっているということではなくて、一見異質に見える4つのシステムが実は同じような構造を持っているということではないだろうか。

4つの分野のうち、本章では貨幣については特に論じない。なぜなら経済的交換や貨幣についてはこれまでに経済学者が多くの研究をなしてきたからである。本章は、経済的交換をモデルケースとしつつ、交換論を他の領域へと拡張していくことを試みる。この試みを現在精力的に押し進めているブルデュがいうように、「売ったり買い戻したりする土地の流通、“貸し”たり“返し”たりする復讐の流通、嫁がせたりもらったりする女性の流通の間にある共通性、すなわち異なった種類の資本とそれに対応する流通様式の共通性を見れば、経済と非経済の二分法は破棄せざるをえない」[Bourdieu: Le Sens Pratique, p. 209] 。

以下、第1節では真理(交換としての認識)、第2節では愛(交換としての結婚)、第3節では権力(交換としての復讐)を主題として、経済システムの原理を社会システム全般へ拡張する。

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