社会システム論の構図(06)権威の社会哲学

2015年12月4日

権威に対する私たちの感情は、憧れと反発の複合物(コンプレックス)である。権威は、反発の対象である限り、いまだ真の権力ではない。本書の第二章では、疎外された権力である父、君主、神を扱う。

image

前章では交換について論じた。交換は、さしあたり対等な個人の間で行われ、コミュニケーション・メディアは交換のたんなる手段である。しかしコミュニケーション・メディアは価値尺度機能として働きだし、諸個人の間で不平等が自覚されるようになる。

システムの周縁にいるものにとっては、中心にいるものは羨望と尊敬の対象であるが、しかし被支配者にとっては、支配者および差異を生み出すコミュニケーション・メディアは憎悪と反感の対象でもあり、一方では被抑圧者が抑圧者にとって変わろうとすることもあるが、他方では、差異化の根本原理であるコミュニケーション・メディアを破壊しようとする平等主義者/アナーキストが現れることになる。

この章では、《中心=理性=権力》によって抑圧され、隠蔽されてきた周縁の暗闇に学の光を当てて、父親・国家・神などの超越的権力の抑圧構造を解明したい。この章では次の三つの問題を各節で論じる。

第一節
フロイトの無意識の発見とエディプスによる父殺しについてのラカンの解釈
第二節
ヘーゲルの市民社会の発見と主人と奴隷の弁証法についてのマルクスの解釈
第三節
ニーチェのディオニュソス的真理の発見と神の殺害についてのバタイユの解釈

フロイト・マルクス・ニーチェの3人は、近代合理主義に反逆した現代思想の出発点となる思想家で、その影響力はドイツ語圏を越えて全世界に及んだ。3人は、一見自由で公平で合理的に見える近代社会の秩序が実は非合理で抑圧的な権力構造を持っていることを暴露した。フロイトとラカンの精神分析学、ヘーゲルとマルクスの国家論、ニーチェとバタイユの“無神学”が本章の主題である。