9月 051997
 

フランシス・ベーコンは「知は力なり」と言ったが、知は、たんに道具として支配に役立つだけではない。知ることと支配することは、構造的に同じなのである。この章では、知としての権力を考える。

image

人類の歴史を振り返れば、権力が真理を歪曲した事例を無数に挙げることができる。だが我々は、そのような権力のあり方を批判し、社会をより合理的なシステムへと改革するとき、そのような改革自体が権力の発動の結果であることを見落としがちである。

権力が真理から離れれば離れるほど、そして権力が非合理な支配を行って、その行使が人々に抑圧と強制を感じさせれば感じさせるほど、権力は短命に終わる。もし権力の大きさが、人々を意のままに動かすことができる力、あるいは社会システムを存続させる力という点で測定されるのだとすれば、人々が権力の存在を感じなくなったときこそ、権力は最も強大になっていると言うことができる。

私は『カントの超越論的哲学』で、カントを行為論的に解釈した。行為としての認識は、自らの存在を目的とし、その目的によって規定されている自己関係的なシステムであり、したがって真理の構成は、構成する権力・構成のための権力・構成が生み出す権力と不可分の関係にある。権力なき真理は空虚であり、真理なき権力は盲目である。権力から疎外された真理と真理から疎外された権力が相互に本来の姿を取り戻そうとする時、両者はどちらも極大に達する。

この最終章では、まず真理はいかなる意味で権力であるのかを説明した上で(第一節)、科学と権力闘争の関係を論じ(第二節)、超越的権力とは異なった超越論的権力とは、真理としての権力であるという結論を導く(第三節)。

このページをフォローする
私が書いた本

 返信する

以下のHTML タグと属性が利用できます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>

/* ]]> */