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天照大神とは誰か

1999年11月6日

古事記』や『日本書紀 』(この二つを記紀という)によれば、天皇、そして日本民族の大御祖(おおみおや)は天照大神(あまてらすおおみかみ)である。天照大神は、いかなる歴史上の人物に相当するのだろうか。

Stefan KellerによるPixabayからの画像を加工

神話の中の天照大神

日本神話によれば、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)が国土を整え、万物を育て、最後に天照大神(あまてらすおおみかみ)・月読命(つきよみのみこと)・須佐之男命(すさのおのみこと)の三貴子を生んだことになっている。高天原(たかまのはら)を治めた天照大神は、いよいよ皇孫(こそん)瓊々杵尊(ににぎのみこと)がこの国土に降りるとき、皇位の璽(しるし)を授け、「この鏡は、もはら我が御魂(みたま)として、吾が前を拝(いつ)くがごと拝き奉れ」と神勅を下したと言われる。瓊々杵尊(ににぎのみこと)の三代下の子孫が神武天皇とされている。

神話上の人物、天照大神は、実在の人物としては、『魏志倭人伝』に伝えられる邪馬台国の卑弥呼である可能性が最も高い。『日本書紀』は卑弥呼を神功皇后に比定しているが、卑弥呼の時代(3世紀前半)には、神功皇后が征討したとされる新羅も高句麗もまだ存在しなかったのだから、神功皇后とは、神武天皇の即位を紀元前600年代にまで引き伸ばした『日本書紀』の編者が、『魏志倭人伝』とつじつまを合わせるために捏造した架空の権力者と見るべきである。神功伝説と天照神話の間には構造上の類似性がある [倭の五王の謎―王権神話の謎を探る]。このことは、天照のモデルが、神功皇后のモデルと同様に、卑弥呼であったことを意味している。

読者の中には、「神話は、知的水準の低い古代人が勝手な想像で作ったのだから、史実としては信用できない」という方もおられるであろう。しかし勝手な想像で純然たる神話を作るということは、よほどの独創的天才でなければ不可能である。古代人は知的水準が低いというよりも個人の主体性を確立していないから、純粋なフィクションは作れないのである。記紀は国威発揚のために編集された官製の正史であるから、編集者の都合でかなり改竄されていることは確かだとしても、材料となった伝説は何らかの形で事実を反映しているはずである。ちょうど一見無意味に見える夢が、検閲によって歪められてはいるが、無意識の反映であるように。

卑弥呼の語源は何か

卑弥呼は、当時の中国語の発音から推測すると、“pimiho”、狗奴国の男王・卑弥弓呼は“pimikuho”の音写であったと考えられる。当時のp音は現在のh音に相当する。h音は奈良時代の畿内には存在しないが、弥生時代の北九州では、中国大陸や朝鮮半島の言語の影響を受けて、h音がk音と等価な音として使われていたことが考えられる。現代の日本人が、“ビーナス”と“ヴィーナス”、“チモール”と“ティモール”を、音は異なるが意味は同じとして、両方を使うようなものである。

「卑弥弓呼」の意味について、『原始日本語はこうして出来た―擬音語仮説とホツマ文字の字源解明に基づく結論』の著者である大空照明さんに問うたところ、次のような回答を得た。私もこの解釈に賛成である。

岩波文庫の『魏志倭人伝』を編訳している石原さんは註の中で「ひこみこ」の誤りであろう、としています。卑弥呼を「ひめ(姫)みこ(命)」の縮約形と見て、男王を「ひこ(彦)みこ(命)」と解する説です。しかし、本当に「誤記」なのでしょうか。通常、「卑弥弓呼」は「ひみここ」又は「ひみくこ」と読むとされますが、私の単音節重視の解釈で行けば、ある程度の意味の推測ができます。

そもそも、「みこ」で、何故「巫女」の意味になるのでしょうか?『字訓』には「みこ」の項がありません。使用例となる古代文献がないのだと思います。しかし「みこと(命)」の項はあり、

尊貴な人の仰せ言をいう。「御言」の意味。

とあります。また、

「大君のみこと(命)」という用法よりも以前に、神託を意味する時期があったのではないかと思われる。

ともあります。私も、その通りだと思います。つまり、「みこ」の語源は「神」の「み」と言葉の「こ」で、「みこ(神言)」でありましょう。これなら「神の言葉を言う人」のことも、男女を問わず「みこ」と呼んだと推測しても無理がありません。勿論、「御子」も「みこ」と言ったでしょうから、混同はあったでしょうが。

「ひみこ」も「日の御子」の略称と解釈して、男女を問わず、太陽から王権を授権された王様の意味、つまり「地位」の呼び名であった可能性もあると思います。(天孫的な位置付けです)。勿論、シャーマンとして「日の神の言(葉を言う人)」=「ひ(日)み(神)こ(言)」の意味かもしれませんが。

では、「ひみここ」又は「ひみくこ」は何でしょうか。『字訓』の「く」の項には、「く(所・処)」とあり、「いずく(何処)」の「く」である、という説明が有ります。また、「もと、神聖な場所を指す語であったらしい」とも。この説を採るなら、(そして私はこれかなと思いますが)「ひみくこ」は「ひ(日の)み(神の)く(処)こ(言)」という意味になり、「日の神の聖所(聖殿)の言」転じて「それを宣(の)る人」の意味になります。であれば、「ひみくこ」も男女を問わない、日の神の神託をのべる治者の地位の名称である、との推察も可能になります。[1]

「ヒミコ」に対して男の国王は、「ヒコ」と呼ばれた。「ヒコ」には、彦という字が当てられることが多いが、「ヒコ」は「日子」なのかもしれない。天皇の家系は、太陽の子孫と信じられていたわけである。古代日本人は自分たちの国を「ワ」と呼んだが、倭あるいは和とは、輪や環のことであり、それは日輪、太陽の換喩でもある。卑弥呼のヒの語源をユーラシア大陸に求めると、シュメール語のピリグ(pirig 王)にまで辿り着く。王を意味する言葉を、太陽を表す言葉に使うのは、倭人の太陽崇拝のゆえである。

天岩屋戸神話の解釈

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三代豊国、歌川国貞画『岩戸神楽ノ起顕』1857年。

卑弥呼と天照大神の共通点は、女性、それも太陽の女神であるということである。『魏志倭人伝』は、卑弥呼がシャーマンとしての性格を持っているということ、「鬼道につかえ、よく衆を惑わす」ことは書いているが、彼女が太陽の巫女(神子)だったとは書いていない。しかし卑弥呼と太陽との関係を強く示唆する事実が最近指摘されている。

天文学者によると、紀元前138年、158年、247年、248年、454年に日本で皆既日食が観測されたというのである。なおこれ以外にも部分日食は起きているが、部分日食は太陽が雲に隠れた程度の効果しかなく、古代人に与えた影響は大きくなかった。このうち邪馬台国と関係があるのは、158年、247年、248年の日食である。特に卑弥呼が死んだ頃、二回も皆既日食が起きていることは注目すべきことである[2]

よく知られているように、天照には次のような天岩戸神話がある。天照の弟、素戔嗚尊(すさのをのみこと)が数々の乱暴をした時、天照はけがをし、怒って天岩屋戸に隠れてしまった。このため天下は暗闇となってしまった。

この時に、天照大神、驚動きたまひて、梭(ひ)を以て身を傷ましむ。これに由りて、いかりまして、すなわち天石窟に入りまして、磐戸を閉して幽り居しぬ。故、くにの内常闇にして、昼夜の相代も知らず。[3]

『古事記』では、「天の服織女見驚きて、梭に陰上(ほと)を衝きて死にき」とある。素戔嗚尊の乱暴で「天の服織女」が死んだということになっているが、この天の服織女は天照の分身と考えられる。

この箇所を根拠にして、陰部を箸で突いて死んだと伝えられている倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)が天照大神、さらには卑弥呼であり、倭迹迹日百襲姫の墓である箸墓が「卑弥呼の墓」だと主張する人もいる。しかし、倭迹迹日百襲姫は、孝霊天皇の皇女にすぎず、皇祖的性格を持っていない。

天下が暗くなった後、八百万(やおよろず)の神々は、天宇受売(あめのうずめ)に歌舞をさせ、天宇受売が踊りながら陰部を露出させたのを見て大笑いした。ここに、笑いのカタルシスの働きを見ることができる。世界的に見て、笑いは豊饒儀礼と結びついている。また、笑いの祭りが行われる日は、同時に性の解禁日でもあり、祭りはそのまま男女のオルギーとなる。太陽の復活は、作物の豊作だけでなく、人間の豊作ももたらす。

天照が笑い声を怪しんで戸を少し開いたところを手力雄(たちからを)が強引に開けて彼女を引き出し、天下が再び明るくなったという話である。天照が岩宿から出てきて、太陽が再生することは、台与が卑弥呼の地位を引き継ぐことの隠喩である。

中には「天の岩戸神話は冬至の日における太陽再生儀式の神話化」と主張する人もいる。

毎年、冬至の日に、その年に新しく採れた穀物を神に供えて、「天照大神」及び天神地祇を奉り、天皇自らも新穀を食する「新嘗祭」が執り行われるが、このことから見ても、農耕と「天照大神」との密接な関係が推察される。[…]日の神たる「天照大神」を引き出すため、「天宇津女命」の踊りは、母なる大地が生殖力を再生し、停止していた性器が息吹を取り戻し、樹木の芽吹く春を迎える神事的所作で、また神々の笑いは、春を招く笑いの神事的所作なのである。[4]

だが、神話では、毎年定期的に行われる行事としてではなく、偶発的に起きた一回限りの事件として描かれているのだから、「太陽の死」は冬至ではなくて、日食と考える方が自然である。また、新嘗祭(今の勤労感謝の日)は、収穫に感謝する祭りであって、太陽再生が主題ではない。さらに、一般に言って、神話に基づいて儀式が行われるのであって、儀式に基づいて神話が作られるわけではない。その意味で、この仮説は本末転倒ではないだろうか。

関連著作

参照情報

  1. 大空照明. 永井への私信.
  2. 安本 美典『邪馬台国の真実―卑弥呼の死と大和朝廷の成立前夜』PHP研究所 (1997/03).
  3. 小島 憲之他.『新編日本古典文学全集 (2) 日本書紀 (1)』小学館 (1994/3/25).
  4. 天の岩戸神話の真相」8 Oct 1999.