10月 041999
 

日本の国際競争力を低くしていると言われている、建設、金融、流通、農業、医療、教育といった保護産業の分野に市場原理を導入することは、社会にとって望ましいことなのか否かをめぐって、国家主義者、社会主義者、自由主義者の三人の論者が激論を戦わせる、バーチャル・ディベート・ショー。あなたは市場原理の導入に賛成か反対か。日本の将来を考えよう。

目次
読書案内

日本には、反市場原理主義者がたくさんいる。反市場原理主義のバイブルとしては、

内橋 克人+グループ2001:規制緩和という悪夢

が有名である。もう少し最近のものでは、ジョージ・ソロス

ジョージソロス:グローバル・オープン・ソサエティ―市場原理主義を超えて

George Soros: George Soros on Globalization

がある。市場原理の不在がどのような弊害をもたらすかを理解するには、特殊法人の問題を最初に提起した

猪瀬直樹:日本国の研究

を読むべきである。海外の古典としては、社会主義経済をファシズムと同様の反自由主義・反市場経済と位置づけて批判した

フリードリヒ・ハイエク:隷従への道―全体主義と自由

F.A.Hayek: The Road to Serfdom

が、必読文献である。

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私が書いた本

  22 コメント

  1. I have read your text here in UK and am impressed. Your arguments of transformation in the postal service and education are suggestive and radical. They are radical because Japanese culture or labour ethics would not change over the night. Our culture has been cultivated for a long time. Even if business procedure or political system could be changed, our spirit could not change.
    It seems that western way or so-calld global system is triamphant and effective. Japanese might intake its advantages as a form. But western way is effective because it is constructed on the foundation of liberalism and rationality, which were also developed for centuries. If we want to copy their way, we need to understand western spirit or liberalism. Our culture and disposition such as lack of subjectivity or dependent tendency, conventions and norms like respect for seniors, care too much about appearance and cleanness etc. should change. If we looked at only phenomena and did not pay attention to causes and reasons behind them, our proposition would lose its effevtiveness.
    If you have time to reply, I prefer to read in Japanese.

  2. 私は、大きな政府から小さな政府への流れは時代の必然であり、文化の相違はほとんど関係ないと認識しています。Morihinoさんが住んでおられるイギリスも、サッチャーが改革を始めるまでは、日本以上の福祉国家でした。アメリカもニューディール政策を始めてから、混合経済を続けました。1929年の大恐慌をきっかけに、文化の相違とは無関係にすべての先進国が、大きな政府となり、1973年のオイルショックをきっかけに、文化の相違とは無関係にすべての先進国が、小さな政府を目指さなければならなくなったと私は考えています。

  3. 「市場経済は至上経済か?」を読ませていただきました。率直に言って自分は、永井さんの意見には否定的な見解を持っております。永井さんの主張の基本的な部分は、市場の「見えざる手」にかなり依存していると思います。しかしながら、市場経済は数字の世界です。その運用を誤ると、アジア経済危機や、最近のニューヨーク大停電など、大規模な問題に発展します。つまり、市場経済を正しいと言うには、それが正しく運用されているという前提がなくてはいけないのです。ニューヨークの大停電の問題は、システムを安定的に維持するためのコストを市場の数字に盛り込んでいなかったことです。つまり、適切な数値が盛り込まれなければ、市場経済といえども正しいとはいえないのです。
    運用を誤れば、大きな問題が起きることは既にアジア経済危機やニューヨーク大停電などを見れば明らかです。しかも、それらがグローバルな規模で起きてしまう事のリスクを考えると、とても「至上」といえるほどの正当性があるとは言えないと思います。
    また、市場経済こそベストな選択だと考え、その他のものが提示する問題点に対して、現実的な返事が出来ていない点も問題だと思います。例えば穀物は備蓄すればよいと考え、同時に2年以上問題が起きたときには、農地を拡大するなどの処置をすればよいと書いておられますが、実際問題として、そのような短期間に農地を拡大するのは難しいと思います。
    私が永井さんの主張で最も危険な部分だと思うのは、他の者が唱える問題点を軽く捉えている所です。これは、過去の共産主義が「共産主義は理論は正しいから上手く行くはずだ」と言って失敗したように理論ばかりを見て現実を直視していない点です。
    自由主義経済が共産主義に対して勝利したのは、共産主義よりも現実を直視した結果だと思います。しかし、自由主義経済が勝利した後、誰も逆らうものがいなくなったことで、自分のやり方こそが至上だと考え、まわりの意見を聞かなくなって(現実を直視しなくなって)しまうと、過去の共産主義と何ら変わらなくなってしまうのではないかと思うのです。

  4. 1997年のアジア通貨危機の原因は、ドルペッグ制です。政府が為替レートを固定しようとするから、あのようなカタストロフィーが起きるのです。すなわち、アジア経済危機は、市場原理を導入したことによってではなくて、それを政府が拒否しようとしたことによって生じたのです。
    2003年8月14日にニューヨークで起きた停電の原因は、現時点ではまだよくわかっていないようです。北米電力信頼性協議会(North American Electric Reliability Council)は、引き続き調査中と言っています(MSBlastワームによるという説あり)。
    たぶん、この例でmeroさん言おうとしていることは、「市場原理の導入により、コスト削減の競争が激化すると、安全性が疎かにされるので、問題がある」ということだと思いますが、はたしてこの命題は正しいでしょうか。
    もしも、消費者がコストよりも安全性を重視するならば、安全性を重視する業者が選ばれることでしょう。しかし、多くの人は、安全性のためならいくらコストがかかってもよいとは考えていません。どこでバランスを取ればよいかに関しては、消費者が決めるのが一番です。
    プロバイダを選ぶ時、値段の安さの方を重視する人もいれば、接続の安定性の方を重視する人もいます。それと同じように、電力供給にも市場原理が機能すれば、手術を行う病院などは高くても安定した供給サービスを買うだろうし、イルミネーションを手がける娯楽産業は、安定性よりも価格の低さを重視するでしょう。
    ところが、電力供給サービスには、通常、このような選択の自由がありません。それは、社会主義的で中央集権的な電力生産のあり方に原因があります。中央集権的な電力生産には、
    1. 発電所や基幹的な送電施設が故障すると、一度に広範囲な地域が停電するのでリスクが高い。
    2. 送電線が長くなって、ロスが大きくなる。
    3. 発電所間の競争が少なく、消費者の選択の自由が少ない。
    といった問題点があります。
    電力生産を分散化するにはどうすればよいのか、将来の発電はどうあるべきかに関しては、
    ◎ 石油に代わるエネルギーは何か
    https://www.nagaitoshiya.com/ja/2000/best-energy-source/
    を参照してください。
    市場原理至上主義は、エリートによる中央集権的な管理への懐疑に基づいています。その懐疑主義が懐疑主義そのものに向けることができるのかというのが最後の質問の趣旨でしょう。私は、可能だと思います。疑うことは否定することではありません。ですから、懐疑主義者が懐疑主義そのものを疑っても、自己否定にはならず、パラドックスを帰結しないからです。

  5. ドルベッグ制による強制連動の仕組みが、アジア経済危機の主犯であると考えておられる点については、主因となる原因もさりながら、それを大規模にしたシステムに問題があると自分は考えます。ディリバティブ取引による為替取引が国家が対応できるキャパを越えてしまったために、以前までは対応できていた状況を破綻させてしまったと自分は考えています。
    要するにデリバティブ取引というターボエンジンを入れたはいいが、それに相応する制御システムを搭載しなかったがために破綻に陥ったと考えています。システムに論理的な矛盾があると問題が問題を肥大化させる現象が起きる。しかしそれも、状況が限定できれば、被害は最小に抑えられる。自分の場合は、問題のあるデリバティブ取引を欠陥のあるシステムに流したことが今回のアジア経済危機の問題の核心だと思っています。
    危機管理の基本として
    ・問題を最小化する(手段としては分離や規制(デリバティブ取引の規制)などがあげられる)
    ・問題の元を断つ(ドルペッグ制の修正)
    ニューヨークの大停電を見ると、問題のある送電網から、他の送電網を切り離すことが出来れば、あれほどの問題にはならなかった。しかし、それが全て繋がってしまったために大規模な問題となった。それと同じように考えると、デリバティブ取引のような仮想的な資本の集中化(問題を連結してしまった)が問題を大規模にしてしまった。
    大事なことは、ただアクセルを踏むことが正しいと考えるのではなく、ブレーキも必要だということだと思うのです。安全のために。それが現実的な対応だと思う。問題は多面的な要素の連なりから生まれる。特に大規模な問題は複数の要素の相乗効果から生まれていることが多い。たったひとつの理由で説明できるものではなく、複数の要因を一つ一つ潰していかないと、強固なシステムは作れない。
    市場を拡大することも重要だが、安定させることも同じくらい大切だと思う。安定がなければ、発展が遅くなる。お金持ちがお金持ちな理由は、成金とは違う。資本を安定的に維持する技術を持っているから、彼らはお金持ちなのだ。自分は成金的発想ではない本当のお金持ちの論理で経済を語るべきだと思う。長期的に見るとそれが最善だと思う。
    “2003年8月14日にニューヨークで起きた停電の原因は、現時点ではまだよくわかっていないようです。北米電力信頼性協議会(North American Electric Reliability Council)は、引き続き調査中と言っています。”
    ただ、ハードウェア的に言うと、スペースシャトルの問題と同じようにエンジニアから、駄目だと言われているわけです。それは性能に余裕がないという事です。(性能が充分にあれば、対応できたわけです)それは、間違った市場経済を実践してしまったためです。安全を維持するためには、お金が必要ですが、ニューヨークの大停電の場合、送電網のコストを含んだ競争が行われなかった事が問題です。つまり、市場の見えざる手を使うためには、トータルな資本(コスト)を含んだ競争を行うべきなのです。電力危機は、そういうトータルな視点に欠けていたことが問題だと考えています。
    性能に余裕のないハードは、遅かれ早かれ、何らかの問題を引き起こします。(その状態で負荷をかければ、壊れるのは当たり前です:ヒビの割れた器に重たいものを入れたら壊れますよね)最悪の場合は、問題が問題を拡大する事で破綻に陥る。そういう事を犯さないためには、充分に余裕のあるシステムを作らなくてはいけないのです。そのためには、トータルなコストを含んだ競争が必要です。偏った競争では、その偏りによる破綻が目に見えています。
    例えば、政府が発電事業者にある程度の送電コストを負担させる規制を作ります。そうすると、発電事業者は、発電所を分散化し、送電距離を短くすることでコスト削減を計ります。送電距離が短くなれば、送電ロスを下げることも出来ますので、コスト的にも有利です。そういう正しい競争をさせるべき何です。(ただ、分散化しても、大規模な発電所の方が発電効率が高いわけです。つまり、規制がないと電力の分散化が難しいのです。また、安全な電力を手に入れるための送電網(インフラ)も手に入らないわけです)
    規制によってリスクを分散化する事が重要です。市場経済には自由という側面と、それを安定化させるための規制の両面が必要だと思いますが、残念ながら、自由だけが強調され、規制は自由の敵のような扱いをされてしまっているように思えます。私が指摘したいのは、その自由と規制のバランス何です。それがなければ、見えざる手が正しく機能しないと言いたいわけです。
    “たぶん、この例でmeroさん言おうとしていることは、「市場原理の導入により、コスト削減の競争が激化すると、安全性が疎かにされるので、問題がある」ということだと思いますが、はたしてこの命題は正しいでしょうか。”
    それは、違います。自分はもうちょっと複雑です。そのような短絡的な批判はしませんので心配しないでください。耳にタコが出来るほど、そういう話しは聞いているでしょうから、そう考えるのも無理はないでしょうが。
    “もしも、消費者がコストよりも安全性を重視するならば、安全性を重視する業者が選ばれることでしょう。しかし、多くの人は、安全性のためならいくらコストがかかってもよいとは考えていません。どこでバランスを取ればよいかに関しては、消費者が決めるのが一番です。”
    消費者が決める以前に、システムには約束を守る義務があると思います。その前提の上で、競争するべきなのですが、その発想が制度的にニューヨークの自由化にはなかったと思うのです。つまり、偏った制度や老朽化した送電システムに欠陥があったわけですが、それを一般消費者が認知していなかったし、それは一部のエンジニアの間で問題視されていた程度でした。コストがかかるために、それを一般消費者に認めさせるのは難しい。しかし、電力を安定的に供給する為には、それが必要です。重要なのは、消費者の基本的なニーズを実現するための共通のルールだと考えています。消費者が世の中の全ての判断をするとしたら、それは膨大な労力が生じてしまいます。その様な瑣末なことは、専門家がやるべきことであって、基本的なバックボーンは、専門家が整備して、その上で競争をするべきです。具体的には、電力を安定させるインフラ(土台)は、専門家に任せて、その上で発電効率や送電効率の高さで競争をすればいいと思うのです。安全性の犠牲にした競争は駄目です。最低限の安定性を維持することが必要です。
    “プロバイダを選ぶ時、値段の安さの方を重視する人もいれば、接続の安定性の方を重視する人もいます。それと同じように、電力供給にも市場原理が機能すれば、手術を行う病院などは高くても安定した供給サービスを買うだろうし、イルミネーションを手がける娯楽産業は、安定性よりも価格の低さを重視するでしょう。”
    ニューヨークの場合、その類の発想で失敗したんですよね。それの何が問題というと、信頼性の確保を無視した競争だからです。例えば、車を作るときに安全基準がありますよね。そこの部分を市場に任せろと言っているわけです。でも、そういうことは、専門家が考えてやるべきことです。安全基準を作って、その上で競争するべきです。つまり、安全という基本的なニーズは、全体の利用目的に合致すると考え、そのコストを規制(1kwあたり数円とか)などで全体でシェアすることで、(薄利多売方式で)需要者あたりのコストを低くし、それから上の部分を競争する。二段階方式であるべきだと考えています。(現在の市場経済は、専門家の意見が通りにくい。なぜなら、全てを短期的なコストで判断してしまうから、でも、長期的なコストを考えると、専門家の主張も経済的合理性がある。そこが現在の市場経済では見過ごされている)
    “発電所や基幹的な送電施設が故障すると、一度に広範囲な地域が被害を被るのでリスクが高い。”
    自由化の前には、ニューヨークに発電所があったのです。しかし、自由化に対応するために効率の高い新しい発電所を作る必要に迫られ、結果としてニューヨークの電源は、送電網が破綻することで、全体がストップしてしまいました。
    “送電線が長くなって、ロスが大きくなる。”
    計らずも、今回の自由化が送電網のコストを含んだものではなかったので、大規模で効率の高い発電所が最もコスト的に有利となってしまった。その結果、中央集権的な電力供給システムが出来てしまいました。(ただ自由化すれば、分散化するわけではありません。企業は収益で動いているのですから。理屈の上では正しくても、現場に行くとひっくり返ることがあります)
    “発電所間の競争が少なく、消費者の選択の自由が少ない。”
    競争は大事ですが、競争の仕方に問題があったのです。
    “市場原理至上主義は、エリートによる中央集権的な管理への懐疑に基づいています。その懐疑主義が懐疑主義そのものに向けることができるのかというのが最後の質問の趣旨でしょう。私は、可能だと思います。疑うことは否定することではありません。ですから、懐疑主義者が懐疑主義そのものを疑っても、自己否定にはならず、パラドックスを帰結しないからです。”
    この文章の意味は難しいのでよく分かりませんが、自分が言いたかったのは、市場経済と言っても扱い方を間違えると大規模な問題を起こすので、「至上」といえるほど、大したものではないと言いたかったのです。そこで大切なのは、適切な運用であり、そのためには、己の意見を「至上」と考えるのではなく、まわりの意見をよく聞く(現実を直視する)努力が(謙虚さが)大切だと言いたかったのです。歴史を見ると、権力を握った指導者が逆らうものがいなくなった後で、現実を見失い没落していく姿を見るにつけ、「どんなときでも、現実を見失ってはいけない。特に逆らうものがいなくなったときは特に..」という主旨の意見です。

  6. 「競争にはルールが必要だ」という主張は、市場原理至上主義とは全く矛盾しません。ルールは、民主主義的に決定されるべきであり、そして民主主義とは市場原理そのものですから、市場原理はやはり至上原理なのです。なお、なぜ民主主義が市場原理であるのかに関しては、
    ◎ 至上原理としての市場原理
    https://www.nagaitoshiya.com/ja/1999/market-based-economy/
    を参考にしてください。
    発電の話は、
    ◎ 石油に代わるエネルギーは何か
    https://www.nagaitoshiya.com/ja/2000/best-energy-source/
    のコーナーに舞台を移すことにして、デリバティヴについて、コメントしましょう。デリバティヴを危険視する人が多いようですが、デリバティヴは、リスク・ヘッジのためにあるのであって、危険を増やすのではなくて減らす一種の保険と認識するべきです。安定性の保証は、政府の独占物ではなく、営利企業による代行が可能な商品であって、政府の仕事は、不正の監視や保険の保険に限られるべきでしょう。
    meroさんは、市場原理至上主義を市場原理万能主義と誤解しているようですが、「市場原理は至上(supreme)である」という命題は、「市場原理は他の原理より良い」ということを言っているだけであって、決して「市場原理は完全である」とまでは言っていません。市場原理に基づく選択が間違いを犯すことはよくあることだし、事故も当然起きるでしょう。しかし、それでも、市場原理は他の原理よりましだということを、私たちは経験を通じて知っています。
    私たち人間は、神ではないのですから、不完全です。市場原理至上主義は、自らの不完全性に対する自己認識に基づいています。だから、市場原理至上主義は傲慢とは対極にある思想なのです。

  7. 100円のものを1万円で取り引きする仮想取引が結果として、政府が保証できる容量を越えてしまった事実を無視してます。そういう現実を直視してくださいといっているんです。目的がリスクヘッジの為にあっても、そのメカニズムを検証せずに目的だけ見て、正当化するのは、デリバティブという手段の問題点を無視していますね。数学者が理屈をこねて考えたシステムでしょうが、理屈と現実とは違いますよ。電気の話しでも言いましたけど。(理屈で正しくても、現場でひっくり返りますから、市場経済という荒馬を乗りこなすのならば、そういう現実を直視するべきだと言っているんです)数学の世界では、数値は無限にあります。しかし、現実の数値には限界があり、その限界を越えると、システムそのものが理論どおりに機能しなくなります。パソコンの中では機能しても、現実には機能しない場合がありますよ。
    「市場原理に基づく選択が間違いを犯すことはよくある」それがでかいから問題視しているんだよね。市場経済に対して評価が甘いと思う。アジア経済危機のような巨大な問題が起こったことを忘れないでください。市場経済は、扱いには注意が必要な粗馬なんです。乗りこなすには、細心の注意が必要で、そんな甘い考えでは駄目だと思う。市場経済を本当に成長させたいと思うのならば、もうちょっと厳しい目で見たほうがいいと思います。
    市場原理は手段に過ぎないんです。ですから、欠点も利点もあるわけです。他のやり方も同様です。ですから、もっと公平に物事を見なくてはいけません。だから、何事も市場原理で片付けるような無理な発想はやめた方がよいと言っている。他よりいいというような階級的なバイアスがかかっていると、物事を素直に見ることができないですよ。(多分、聞いてもらえないでしょうが)
    欠点はあると自覚していると思っているようですが、その責任の追及はせず、「他よりいいから」という消極的な理由で正当化するのはどうかと思います。場合によっては、市場経済そのものを疑ってかかる柔軟性がないと、市場原理そのものを運用する事が出来ないでしょう。ニューヨークの大停電の様にね。何でも市場原理というちゃんぽんに入れれば、何事も解決すると思っているとしかみえません。でも、扱いの問題を考えれば、市場原理という道具は、工夫して使わないといけませんね。工夫するためには、市場原理の外に発想を巡らすことも必要ですよ。規制を悪だと考えるような考え方では、ニューヨークの大停電の様な事を繰り返しますよ。前にも書きましたが、アクセルも必要ですがブレーキも必要ですよ。

  8. グローバル経済が個別の政府の力量を超えて成長しないように規制するという主張は、ベッドの大きさに合わせて足を切る本末転倒の議論です。経済が、個別国家の範囲を超えているのなら、国際的なルール作りをすればよいだけの話です。
    市場原理至上主義はすべての規制を悪とみなしているわけではありません。スポーツの競技にルールと審判が必要なように、市場での競争にもルールと政府が必要です。市場原理至上主義が「大きな政府」を批判するのは、審判が審判としての強い権限を発揮することではなくて、審判がプレーヤーとして試合に参加し、自分に有利な審判を下すことなのです。すなわち「小さな政府」の理念は、量的に政府を小さくすることではなく、政府や政府系法人には生産活動をさせないということです。
    安定性の保証は政府の仕事とお考えのようですが、国民年金や簡保の悲惨な現状を見ると、保険(リスクヘッジ)ビジネスには、政府は直接携わるべきではないと言いたくなります。
    市場原理の導入がもたらす被害が、他の手段の選択がもたらすどの被害よりも小さいとするならば、市場原理はベストであり、そして「ベストな手段を選択するべきではない」という主張は、「ベスト」という概念の自己矛盾であり、ナンセンスです。meroさんは、ニューヨークの大停電を人類史上最大の惨事と位置付けているようですが、市場原理を放棄すれば、停電はなくなるとでもお考えでしょうか。北朝鮮では、毎日停電が起きていますよ。

  9. 「グローバル経済が個別の政府の力量を超えて成長しないように規制」そんな事を誰が言いました。問題は、ディリバティブで膨らんだ仮想マネーが市場を崩壊に導くという事です。つまり、実体のない数字によって、膨らんだ資産の存在そのものが危険であると言っているだけです。ものによっては、100倍に膨らむようなデリバティブ取引のようなものは、市場の均衡を乱すので規制するべきだと言っている。それを「成長」というには詭弁に過ぎると思います。つまり、あるはずのない数値が市場を破壊する。これほど不当なことはない。
    永井さんのお聞きしたいのですが、「もし、30年後に石油やウランがなくなるとして、それを市場原理で対応するとしたら、どのようになさいますか?」日本社会がエネルギー転換に30年程度かかるとします。どのように市場原理で対応しますか?
    日本の保険制度の問題点は、政府の失策(持続できない政策)であり、もっと言えば、失策を犯している政党を指示し続ける国民自体の判断力のなさが問題であって、政府というシステムの問題ではない。もっと言うと、基本的に国民の能力は高いのに、充分な情報が彼らに届いていない事が問題だ。それは、ある意味この国のジャーナリズムの問題であると言える。
    市場原理の「見えざる手」の実体は、数値です。数値には判断力がありません。その判断力に相当する部分を政府が担うべきだと言っているのです。ジョージソロス氏などは、「市場原理は、私益の追及が公益になるという幻想を産み出してしまった」と述べています。全くその通りだと思います。ニューヨークの問題は、その市場経済の判断力のなさが露呈した事件なのです。つまり、これと同じ論理で他のことをやれば、同様の問題が起こりうることです。市場経済というのは、実質的には数値であり、数値には、送電線の技術的問題点などは入っていないわけです。これがいかに危険な結果をもたらすか、という事なのです。

  10. ヘッジファンドに投資を委託している人たちは、リスクが高いことをあらかじめ承知しているので、運用の失敗が直ちに深刻な社会不安をもたらすことはありません。もとより、資産デフレは、放置しておくと、デフレスパイラルを惹き起こすので要注意です。インフレの場合も、同様にポジティヴ・フィードバックが働くので、放置しておくと危険です。
    ただし、こうした経済の自律性のなさは、市場原理ゆえにではなく、市場原理の不在ゆえに発生するということを認識しなければなりません。インフレもデフレもマネーサプライの問題なのですが、現在、ほとんどの国では、中央銀行がマネーサプライをコントロールするという官僚的な管理制度を採用しています。私は、マネーサプライのコントロールに、市場原理を導入すれば、経済は自律的に安定すると考えています。これについては、
    ◎ 電子マネー導入による経済の安定化
    https://www.nagaitoshiya.com/ja/2002/digital-money-economy/
    で、私独自の提案をしましたので、興味があれば読んでください。
    「もし、30年後に石油やウランがなくなるとして、それを市場原理で対応するとしたら、どのようになさいますか?」と問われたならば、私は、「市場経済に任せなさい」と答えるでしょう。もしも本当に石油が足りなくなってきたなら、石油価格は上昇するでしょう。そうなれば、営利企業は、まさに営利を追求しているがゆえに、もっと安い代替エネルギーを探すことでしょう。
    私は、「石油は30年後に枯渇する」という警告は、まゆつばもののアジテーションだと思っています。この30年説は、1973年の第一次石油危機のとき提唱されました。あれから30年になるというのに、まだ同じ説が唱えられています。ちなみに、他の鉱物資源の予想耐用年数も、何十年たっても変わらないのだそうです。
    もしも、エネルギー源の選択を市場にではなくて、「石油はやがて枯渇するので、太陽光発電や風力発電に力を入れるべきだ」と信じているmeroさんのような一人の人間に委ねたらどうなるでしょうか。きっと税金と資源の浪費が公益の名の下に強行されることになるでしょう。市場原理の放棄ほど危険なことはありません。
    meroさんは、ジョージ・ソロスの言葉を引用していますが、ジョージ・ソロスは、大きな政府の寄生虫だから、彼の市場原理批判は、日本の農協の市場原理批判と同様に、いかがわしいポジショントークと理解するべきです。私は、個人が、近視眼的に自分の利益を追求することで、期せずして公益に貢献するシステムが、最高のシステムだと考えています。

  11. 投資家の問題ではなく、その投資が市場に与える影響が実体経済に及んだ場合、社会不安となりうることをアジア経済危機は物語っている。そして、一国の外貨準備高が一日で枯渇するほどの急激な市場変動は、市場全体の均衡を乱すのではないのではないですか?資産デフレを予防するためという大義があったとしても別の問題を引き起こしてしまったら、意味がないのではないですか?デリバティブ取引などは、自分は市場に過重なストレスを与えない様に総量規制をするべきだと思います。
    私は、市場原理の均衡力は、限定的なものだと考えています。それが顕著に現われたのが、ニューヨーク大停電です。市場原理は、誤った使い方をすれば大きな被害になる恐れのある注意が必要な道具です。ですから、そういうものを過信するのは危険であると私は思っています。しかし、永井さんのよう市場原理主義者は、原理に従えば何もかもが上手く行くと信じておられるようです。まるでイスラム原理主義者のようです。私はこう思います。世界には人々を苦しめている二つの原理主義がある。それは、イスラム原理主義と市場原理主義だ。双方とも、原理を信じ、それ以外のものと認めない狭量さから、トラブルを引き起こす。 9.11は、言い換えれば、その原理主義同士の戦いなのかも知れません。昔は、民主主義と共産主義でした。今はイスラム原理主義と市場原理主義です。そういう意味では、9.11は、象徴的に見えてきます。
    私は、原理主義というのは、傲慢主義と解釈しています。なぜなら、原理以外の全てのことを否定するのですから。恐らく、彼らは現実が目の前にあっても原理の方を信じるでしょう。
    私は、地下資源はいずれは枯渇するという前提にたって考えています。つまり、IF(もし)の問題に対応しようとしているわけです。枯渇の根拠は、中国などの経済発展による急激な需要増加を想定して判断しています。もし、石油が未来永劫なくならないと考えてもよいのですが、もし、なくなった場合には、その石油を巡って戦争が起きかねないでしょう。また、もし、石油が使い続けられても、別のメリットがあります。日本はエネルギー自給率を上げることが出来るし、二酸化炭素削減も出来る。また、自然からエネルギーを抽出する技術があれば、地下資源の乏しい国にとって、福音となるのではないのですか?また、石油を巡って戦争を起こす必要もなくなるでしょう。
    考えうる多くのメリットがあるので、そういう事を考えるわけです。どっちにしても、地下資源というものは、有限であることは確かです。それに早いうちから対応することは、何も悪いことではありません。
    私一人ではなく、専門家が集まって、検討すればよいのです。私は、もし、石油がなくなったらという最悪の事態を想定して、資源のないこの国の行く末を考えたまでの事です。税金の浪費とはおかしいです。自然から電力を作ることが出来るので、その分、エネルギー資源を輸入する必要がない。資源の浪費は何を意味するのか分かりませんのでコメントは控えるとして、公益の名の元に税金が浪費されるというのは、何を前提にしているのかという事が曖昧なので分かりません。
    また、太陽光は、2005年には、クロスポイントを越えるでしょう。つまり、自然エネルギーは、採算に合う選択肢となるでしょう。ですから、浪費に繋がることはないでしょう。だが、それが何を前提にして、浪費とするのかは、私には分かりません。まぁそれがわからないからこそ、永井さんの言っていることが分からないのですが。
    “meroさんは、ジョージ・ソロスの言葉を引用していますが、ジョージ・ソロスは、大きな政府の寄生虫だから、彼の市場原理批判は、日本の農協の市場原理批判と同様に、いかがわしいポジショントークと理解するべきです。私は、個人が、近視眼的に私利私欲を追求することで、期せずして公益に貢献するシステムが、最高のシステムだと考えています。”
    ソロス氏の個人攻撃ですか?私の経験上、私益はどこまで言っても私益です。市場原理というのは、そういう危うさの中にあるわけです。私は、ソロス氏が当事者であるからこそ、その言葉に説得力があると思っています。まぁこの程度の説明では、永井さんは納得しないでしょうが、私はそう思います。
    最後に基本的にこの議論には不毛な点があります。というのは、曖昧な議論が多すぎる。条件を規定すれば、その条件自体を否定するような答え方をするのであれば、あまり、対等な議論は出来ないと思います。また、永井さんの様な徹底した市場原理主義者に私が何を言っても時間の無駄だと悟ったので、私は、この不毛な議論をおえたいと思います。

  12. 『市場原理は至上原理か』を読みました。具体的にどうするということがないように思います。確かにタバコをやめたら良いということはわかっていますがそれができないにはそれなりに理由があると思います。やはり現実の政治集団などと共に、実際にそれを取り入れつつ修正をしていくという実験による実証が必要ではないかと思います。

  13. 「大きな政府」の弊害は以前から指摘されていましたが、今後日本では「小さな政府」に向けての改革が進むと私は楽観しています。日本の選挙の指導権を握っているのは、団塊の世代で、これまで彼らは、職を失うことを恐れて、政府の浪費を黙認していました。しかし、団塊の世代は、現在定年を迎えつつあるので、雇用の確保よりも年金の受給に関心を持っています。2003年の総選挙の争点が、これまでのような景気対策ではなくて、年金改革であったことはそれを示しています。一般に年金生活者の投票率は高く、年金を効率的に運用せよという彼らの声を政治家たちは無視することができなくなるでしょう。

  14. 先ほど、タバコは悪いが慣習を辞めるのは難しいと書きました。日本では民主的方法で改革が成功した事が過去一度もありません。
    私は昔、総務課、財政課、選挙管理委員会という役所にいた役人です。今回、藤井総裁は「公表すれば死人が出る」とどう喝しました。これは実に真実です。万人によって良い物が選ばれるのではありません。また、政治家は自分で立法文章を構築できる程度の水準がなければ、既に脳内空洞化した役人に政策は作れません。つまり、大きな政府を辞めれば軍部(昔は軍事官僚、現在は経済官僚)が暴れまくり、手に負えない状態になっています。
    私は現在、会社を経営しています。幾つかの大企業は改革ができずに倒産します。その多くにはヤクザが絡んでいます。
    命をかけてまで、ヤクザと戦い、尚且つ自分自身で立法作業ができる政治家を1人でもご存知でしょうか?これは政治家に問題があるのではなく、前線と後方の認識に乖離があるからだと考えています。
    中国では科挙の制度がありました。日本では武士の世襲によって科挙は戦後に行われました。科挙には武侠というヤクザがつき物です。
    素晴らしい政策は、まずその前にある障壁を排除しなければ、正しい政策とはいえなくなります。どうでしょうか?

  15. 私が言っている「大きな政府」の「政府」には、立法はもちろんのこと、行政や行政に準じる法人(特殊法人・公益法人・第三セクターなど)も含まれています。大きな政府をやめれば、経済官僚が暴れまくり、手に負えない状態になるというのはどういうことでしょうか。
    ヤクザや総会屋が絡んでいる企業が倒産するということは、市場経済の良いところです。政府にヤクザやヤクザのような利権屋が絡んでいる場合も、国家がいったん破産するまで待つという手もありますが、それでは社会的影響が大きすぎるので、どうすればよいのかというのが問題であるわけですね。
    私は『市場原理は至上原理か』で、市場原理の導入を主張したわけですが、日本の社会に市場原理を導入するということは、たんに政府を小さくするということだけではなく、政府それ自体に市場原理を導入するということでもあります。
    選挙は、政治に市場原理を導入した結果なのですが、現行の間接選挙は、市場原理という点では、不徹底であり、私は直接選挙にするべきだと考えています。インターネットが普及すれば、「人の選挙」から「政策の選挙」への移行は技術的には可能になるでしょう。残された問題は、「国民投票は衆愚政治をもたらす」と信じている人をどう説得させるかだと思います。

  16. 「政府にヤクザやヤクザのような利権屋が絡んでいる場合も、国家がいったん破産するまで待つという手もあります」
    基本的に私の元同僚は、財政が破綻するしか立ち直る方法がないと言っています。私も、基本的には同じ認識ですが、後ろ回し蹴りで速度をあげる計画です。
    「それでは社会的影響が大きすぎるので、どうすればよいのかというのが問題であるわけですね」
    (^^)はい。ソ連の崩壊と同じ事が起こるにしてもその被害を最小限度にしないと芸が無いと思います。今のロシアはプーチン(KGB)とマフィア(ヤクザ)の猛烈な抗争が発生しています。良いサンプルです。
    「選挙は、政治に市場原理を導入した結果なのですが、現行の間接選挙は、市場原理という点では、不徹底であり、私は直接選挙にするべきだと考えています。」
    まず、この場合、直接選挙を選択するのが政治家であるということがあります。また、法令を作るのが官僚であるという部分にも限界があります。つまり泥棒が自分を捕まえる方法を生み出すことはなく、大日本帝国の軍部(官僚)が自分自身を犠牲にしてまでも降伏という責任を取りたがらなかったことを見れば明らかです。あの時は既に消滅した海軍と天皇がそれを選択したのです。つまるところ鶏より、卵が先だという事です。現状、ソ連と同じ状態です。
    私が考えているのが下記の方法です。
    ・ヤクザに不可視な部分で各種の準備する。
    私の場合、現在は国内に本拠地がありますが、近くグリーンカードを確保して拠点を海外に移す予定です。そこから指揮と連絡的な役割をする予定です。
    ・メディアを空軍、知識人を海軍、企業を陸軍とする。
    知的な裏づけをつけつつ、決定的な場面でメディアを活用する。このままでは壊死していく国内企業としても結局のところ動かざる得ないということです。
    この準備は何も思い付きではなく、既にかなりの部分は進捗しています。しかし、陸に強く、海に弱いのが日本の歴史です。つまり、知識人層の制圧力をもう少し拡充できれば重畳ではないかと考えています。
    この辺りはかなり具体的な話になるので講義などを行っているようでしたら直接、お話をしたくて当初メールをしたといえるとお考え下さい。
    最後に、「「国民投票は衆愚政治をもたらす」と信じている人をどう説得させるかだと思います。」」という意見ですが、絶対民主主義は金持ちの支配です。私の部下は県会議員にでましたし、知事選、市議会選挙の宣伝担当でした。すべては「マネー」の力です。政治家の後ろの金持ちが賢明だとすれば、良い政治になりますし、そうでなければ悪い政治になります。
    独裁政治とは、大多数の人々の長期的願望が1人の人間の短期的願望によって駆逐されている状態
    寡頭制とは、大多数の人々の長期的願望が一握りの人間たちの短期的願望によって駆逐されている状態
    衆愚制とは、大多数の人々の長期的願望がその同じ大多数の人々自身の短期的願望によって駆逐されいてる状態
    私の家は代々の武士です。100年前は203高地と奉天で予備将校として戦った家です。当時は国民投票ではありませんでしたが今よりは正常な国でした。現在の制度はアメリカが齎した制度です。そも日本を占領したのがソ連なら共産主義や社会党が政権政党だったと思います。制度を変えるより、制度を操作する事ができるかどうかがココ暫くの課題であるでしょう。

  17. 間接民主主義から直接民主主義への移行が「金持ちの支配」をもたらすとは考えられません。特に、現在のように、終身雇用制度が崩壊すると、個人の組織への忠誠度が低下し、組織票が機能しなくなります。
    むしろ問題なのは、ご指摘のとおり、有権者が目先の利益のことしか考えない選択をするかもしれないということです。しかし、だからといって、直接民主主義を行うべきだという結論にはなりません。人間は、失敗して、痛い目にあわなければ、賢くならないのですから、有権者が、学習効果によって賢くなることを期待しなければなりません。
    私にできることは、ネットを通じて自分の考えを提示することぐらいしかありません。それをどう受け取るかは、読者が決めることです。私は、押し売りのようなことはしたくはありません。

  18. 「間接民主主義から直接民主主義への移行が「金持ちの支配」をもたらすとは考えられません。」間接でも直接でも問題なのはその価値観を形成する歴史的意志であると考えます。その多くはスイスのような伝統です。価値観は多くは家庭や地域など、コミュニティーによって形成されます。しかし、日本では地方の過疎化が進み、核家族が進み、他人の子の悪事をしかる大人は少なくなりました。おしうりのような躾をしなくなり結果として暴力事件の多発と凶悪犯の逮捕率の減少へと論理的になります。
    「人間は、失敗して、痛い目にあわなければ、賢くならないのですから、有権者が、学習効果によって賢くなることを期待しなければなりません。」この意見が正しければ、多くの西洋の植民地やアフリカなどは賢くなってしかるべきです。問題なのは民衆を正しく誘導する意志がある人間が行動でしめすかどうかです。力や知識、お金など方法はそれぞれに別れるでしょう。
    ブッダは、「私がみんなに説いていることは、人が真実の次元に到達するためのイカダに過ぎない。つまりイカダは、川岸から反対の川岸に渡るための、便宜上の乗り物であり、渡ってしまえば、もはや必要ないものである。自分が日頃、言っていることもそれ以上のことではないよ。
    方便を使わねば、法の道も「魔境」です。フランスでもド.ゴールが必要でした。況や、日本で自然発生的に改善した歴史は皆無です。

  19. コミュニティの崩壊は、個人が前近代的なしがらみからの自由を求めた結果と考えるならば、必ずしも悪いこととは言えません。学問を志すものは、自分の理論の妥当性に対して謙虚でなければなりません。自分の信念をドグマ化し、前衛として大衆を先導して革命を起こすといった方法には賛成できません。

  20. 私は少しの間、アーバナシャンペインという場所にあるイリノイ大学にいました。当時はパパブッシュ、クリントン、ロス.ペローという三つ巴の選挙です。その時に私が見たのは日本の村祭りのような選挙態勢でした。
    日本で一度でも政治に密接に関わったことはあるのでしょうか? 日本の政治はほんの一部の人間の世界す。ベンジャミン・フルフォードというカナダ人作家が書いているように世襲議員と試験に受かった科挙と呼ばれる人間の寡頭政治といってよい状態です。
    次に私が申しているのは革命ではありません。私は代々武士の家系でした。明治以降は公務員家系です。つまり、最も保守的な家柄です。しかしながら、知識人が引きこもり、マスコミがゴシップ瓦版化した日本では腐敗はスパイラル的に堕ちていきました。役所時代に幾つかの改革はしましたがこれは陸軍が空軍(メディア)や海軍(知的裏づけ、知識人)の支援なくして戦うに等しい状態です。私が辞めてから堕ちる一方です。現在、会社を経営しており、私自身はそれなりの豊かな生活をしておりますが、周辺に横たわるは累々たる屍と特攻(特融)の繰り返しです。より悪くなる前兆に満ちています。
    恐らく、私の計算では来年から日本は指数関数的に悪くなります。しかし、浮かび上がる前提としても浮上の準備をせざる得ない状態です。既に私は無料で与党の招待状がきたりG8の大使館からパーティに誘われたりする水準になってしまいました。四方の企業、役所、自衛隊に至るまで柵があり更に累代の天朝よりの恩顧があります。グリーンカードを取得するにしてもできる限りの改革の支援をするつもりです。
    一度、鏡テストをして見てください。「鏡テストは職業人が正体性を測定できる有用な道具である。自身の価値観と組織または状況の要求が衝突する際、判断の基準に適している。ピーター・ドラカーが知識勤労者の‘倫理’に関する測定道具として提示する「鏡テスト(mirror test)」だ。倫理は一つの明確な価値システムである。そして価値システムの倫理はお互い大きく異ならない。ある組織またはある状況での倫理的な行動は、それと異なる組織または他の状況でも倫理的行動だ、とドラッカーは強調する。「朝に鏡を見る時、鏡の中の自分の顔がどんな種類の人に見えるのを望むのか」という質問は、あらゆる人に同一に適用できる簡単な倫理テストだ。」
    私の意見を聞いた後、鏡の自分と話して見て下さい。我が子を衰弱死させるような自壊状態が何故に発生するのか、どうして日本人は近代的(コラプサ化)すればするほど治安が悪化し、失業が増加し、社会が壊れるのか。
    鏡の中の1人の自立した大人の意見が聞きたいと思います。徳川の終焉から現在まで137年、第二次大戦が終結してから59年、ソビエト連邦が崩壊して13年です。力のある人間は非常に少数です。理由は子供には何の責任もなく、また、何の力も現状ではないからです。

  21. 私は、政治家または政治家的な職業には最もむいていない人間ですから、政治の道を志さないことは正しい選択だったと思っています。今後も一匹狼的な生き方をしたいと考えています。
    ところで、グリーンカードを取得するとのことですが、はたして、アメリカ合衆国は、日本よりもましな国なのでしょうか。現在、「大きな政府」や「無駄な公共事業」の弊害は、日本よりもアメリカの方が大きいと私は考えています。

  22. 私は貴方に海(知的な影響力)で戦って欲しいと願っています。陸(経済)で私は戦います。既に手は打ってあります。空(メディア=政治家)と空と陸があって、改革は成功すると思います。幕末も、知識人は知識で戦い抜きました。人は、人と共に生きるべきです。
    利害の調整が付く限りにおいて、最大限の効果を発揮するならば、その道を選びたい。まぁ、まだ時間は多少ありますのでお考え下さい。私もいろいろ勉強や断食をして、心身ともに鍛え抜く必要があるからです。
    アメリカの支配層(元イギリスの支配層)はイナゴのように飛び回る人々です。規制があるとそれが不可能になります。日本は悪法と重税とヤクザの国にこれからなります。私はこの国の経営者、技術者、資産家をできる限り海外に逃がします。そうすれば悪法や重税から逃れることができるからです。その集まった資金で残存する日本の若いエリートを鍛え、また、ムスリムとEU(英国)と同盟を結んで、短期的願望の策源地(米国と中国)を封滅する計画です。私の会社は西日本で、一番大きなビルにありますのでもし近くに、こられたら一度おより下さい。
    百聞は一見にしかずといいます。私にその力量、度量、器量があるかどうかを直接見て下さい。そして世界史に参加して下さい。

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