このウェブサイトはクッキーを利用し、アフィリエイト・リンクを含んでいます。サイトの使用を続けることで、プライバシー・ポリシーに同意したとみなします。

市場原理は至上原理か(01)本書と登場人物について

1999年10月5日

市場原理を導入すれば日本は良くなるのかどうか、所謂「市場の失敗」を防ぐにはどうすればよいのか、これからディベートを行う。それに先立って、本書とディベートの登場人物について説明したい。

『市場原理は至上原理か』の画像
このページは電子書籍『市場原理は至上原理か』の一部です。

1. 導入節

グローバルな市場経済化に対して日本はどう対処すればよいのか、小さな政府は本当に望ましいのか、つまり市場原理[1]は至上原理か、これは、石油危機(1973年)の時代から現在に至るまで、日本の論壇でもっとも熱く議論されているテーマの一つである[2]

本書は、そうした論争の熱さをそのまま表現しようと、対話のスタイルを採った。対話では、司会者、社会主義者、国家主義者、自由主義者の四人の登場人物が発言するが、実際に座談会が行われたわけではなく、著者の立場を自由主義者で代弁し、左右二つのタイプに分けた仮想論敵と議論させただけである。

  • 司会 : この座談会の司会者。テレビ朝日の某T司会役と違って、話を遮ったり誘導尋問したりしない、相手の議論を聞くタイプ。
  • 社会 : 社会主義者。市場競争が強者による富の独占と弱者の切捨てになることを心配する平等主義者。
  • 国家 : 国家主義者。日本の古き良き伝統が、グローバリゼーションのもと消滅することを警戒する憂国の士。
  • 自由 : 自由主義者。市場原理を、社会システムを改革していく上での至上原理と考える著者(永井)の分身。

これは対話弁証法的(dialogic-dialectic)な方法で、自分の意見をモノローギッシュに主張する代りに、論敵を否定することによって間接的に自己主張しようする試みである。本書に登場する自由主義者の主張が正しいかどうかは、読者の判断に委ねたい。

2. 参照情報

  1. ここで謂う所の「市場原理」とは、市場経済を支配している原理という意味であるが、適用範囲は経済よりももっと広い。経済で富が貨幣を媒介として交換されるように、政治では権力が票を媒介として、文化では名誉が言語を媒介として交換される。どの交換においても、供給側に自由参入が、需要側に自由選択が認められるなら、そこに市場原理が働くことになる。市場原理は、その自由さゆえに多様化を、その選択(淘汰)ゆえに最適化をもたらす。一般にシステムが存続を続けるためには、環境適応と変化適応の二つの能力が必要であり、市場原理がもたらす最適化は環境適応に、多様化は変化適応に資する。市場原理が社会システムを持続可能にする上で至上原理であるのは、環境適応と変化適応の両方を同時に可能にするからである。
  2. もちろん、経済(あるいは広く社会一般)を市場原理という見えざる手に委ねるべきかどうかという議論はそれ以前からある。特に1929年に始まった世界大恐慌で、レッセ・フェール(laissez-faire)が世界的に疑われるようになると、中央集権的な政府が経済をコントロールするべきかどうかという経済計画論争が起きることとなった。フリードリヒ・ハイエク(Friedrich August von Hayek;1899年5月8日 – 1992年3月23日)は、一人あるいは少数のエリートがすべての情報を集めて適切に処理することは不可能であるとして、社会主義やファシズムといった集産主義(collectivism)を批判した。私の立場はハイエクに近いが、ハイエクと同じというわけでもない。