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市場原理は至上原理か(08)金融危機にどう対処するべきか

1999年10月11日

バブル崩壊後、デフレの常として、金融危機が起きた。政府は公的資金の注入で危機を乗り切ろうとしたが、これは国民の顰蹙を買った。モラル・ハザードと言われないためには、金融危機にどのように対処するべきなのだろうか。

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このページは電子書籍『市場原理は至上原理か』の一部です。

1. 金融危機にどう対処するべきか

司会:いわゆる金融ビッグバンで、日本の金融界は自由化とグローバリゼーションの波に晒されるようになりました。なぜ今ビッグバンなのですか。

国家:モノ作りでは日本に勝てないが、金融テクノロジーでは一日の長がある英米人が、貯蓄好きの日本人のマネーを搾取するために政府に外圧をかけたからだよ。日本では、金融は投資であって投機ではない。それなのに対米追従一辺倒の日本の政治家たちは、ユダヤ・アングロサクソンの賭博文化をグローバル・スタンダードと誤解して輸入しようとしている。

自由:金融自由化を行うか否かは、決して日本文化を放棄して英米文化を受け入れるかどうかといった文化の問題ではなくて、新しい経済の発展段階に進むかどうかという時代の問題だ。

英米でも70年代までは、日本と同様に大きな政府による統制経済が行われ、市場はオープンではなく、労働市場も終身雇用なみに硬直していて、間接金融が中心で、会計制度は原価主義だった。こうした古いシステムは 70年代以降次第に変化していく。サッチャーのビッグバンが一番有名だが、アメリカでも固定化されていたニューヨーク証券取引所での株式手数料が廃止になり、銀行の州を越えた営業を禁止するマクファデン法がノンバンクの州外での保有で有名無実化し、銀行業と証券業の分離を定めたグラス=スティーガール法が証券会社の MMMF と銀行の MMDA を認めることで骨抜きとなった。アメリカが会計時価主義を導入したのは、1991年にアメリカ財務会計基準委員会が「金融商品の公正価値に関する開示」を公表し、金融商品の時価情報の開示を求めてからであり、比較的最近だ。

当時の日本もこの動きに無関心であったわけではない。1985年に金融制度調査会は「金融自由化の進展とその環境整備」という答申で、ビッグバンを行おうとしたが、民間金融機関が預金保険料率の引き上げに反対して不発に終わった。ビッグバンは10年も実施が遅れたわけで、その累は現在にまで及んでいる。

社会:金融に市場原理を導入して、弱肉強食の競争をさせると、破綻する金融機関が出てくる。証券会社や損害保険会社の場合は別として、銀行や生命保険など貯蓄型の金融機関の破綻が社会に与える影響は大きい。政府による何らかのサポートがなければ、取次ぎ騒ぎが起きてクレジット・クランチが止めどもなく進行する。

国家:金融機関の破綻が現実の問題となって現れてきているという点で90年代は20年代に酷似している。両者の比較を表にしたのでこれを見て欲しい。

1920年代と1990年代との比較の図
1920年代と1990年代との比較[1]

この表を説明しよう。かつて日本は、第一次世界大戦で漁夫の利を得て、空前の特需景気に沸いた。だが戦争が終わると日本の株価は急落し、戦時中に投資した生産設備が過剰となり遊休化し、倒産企業が続出した。89年にマルタ会談で米ソ間の冷戦終結が確認され、アメリカが軍事的負担から解放されて経済に専念し始めると、日本の空前の株高が瓦解して、企業が含み損を抱えるようになったのとよく似ている。

20年の戦後恐慌に追い討ちをかけるように、23年には関東大震災が発生した。政府は、救済措置として、震災被害者が債務者である手形を日本銀行が再割引し、取立てを猶予すると同時に、政府が日本銀行の損失を補償することにしたが、実際には震災手形には、後で問題になる鈴木商店が投機的経営で抱え込んだ債務の手形など震災と無関係な手形が大規模に混入していたわけで、その決済は予定の 26年9月末に行われず、当時「財界の癌」と呼ばれていた。27年に鈴木商店の経営破綻が明らかになり、関連して台湾銀行が経営危機に陥った。当時の若槻内閣は、緊急勅令によって台湾銀行救済措置を実施しようとしたが、枢密院は「一銀行一民間商店の救済に血税を使うとはけしからん」と緊急勅令案を否決したため内閣は倒れ、これをきっかけに多くの銀行が次々と休業に追いやられ、金融恐慌はピークに達した。

90年代でも、株価の暴落から二年ほど遅れて地価が下落し始め、総量規制で不動産売買ができなくなった銀行が住専を利用して不良債権を膨らました。破綻した住専に税金を投入しようとすると、「民間の金融機関の救済に血税を使うとはけしからん」という批判が野党から出たが、山一證券や北海道拓殖銀行などが破綻すると、金融機関への公的資金の投入に誰も異を唱えるものがいなくなった。

自由:そうやって70年前に起きた取り付け騒ぎを引き合いに出して、破綻銀行への公的資金の投入を正当化しようとする人は多いが、現在は当時とは異なって預金保険機構があるので、銀行が倒産するという噂が出ても取り付け騒ぎは起きない。

国家:ビッグバンでは自己責任の原則が謳われていて、君のような市場原理主義者は、金融機関が市場原理で淘汰されることもやむなしというのがグローバル・スタンダードだと思っているのだろ。でもこんな金融不安の時代にビッグバンをするなんて、世界恐慌のさなかに金輸出解禁をすることに匹敵する愚行ではないのか。井上準之助蔵相は、市場原理を盲信し、金が海外に流出するとデフレになって、消費が減退し、輸入が減るから、金の流出は自動的に止まると考えていた。井上は、当時の六大先進国、英米独仏伊日のうち、金解禁をしていなかったのは日本だけだったので、金解禁こそ貿易を盛んにし、日本を世界経済に復帰させるグローバル・スタンダードと考えたのだろうが、ご本家のイギリスは、日本が解禁した翌年に再禁止している。90年代の金融不況でも、アメリカかぶれの日本のインテリたちは、大蔵省の護送船団方式の奉加帳行政をグローバル・スタンダードに反するとして批判していたが、そのアメリカも、ロシア金融危機の時には LTCM[2] を救済するために奉加帳式に資金援助をした。杓子定規にグローバル・スタンダードを採り入れることが、いかに愚かであるか …。

自由:昭和恐慌で非難されるべきは、金輸出解禁そのものではなくて、それを旧平価で行ったことだ。フランスは旧平価の五分の一で解禁したため、デフレにはならず、36年まで再禁止する必要がなかった。70年前のアナロジーという点でいえば、20年代の長期停滞の根本的な原因が、デフレのおかげで不良債権の整理と設備投資が遅れ、軽工業から重工業への転換が遅れたことに求められるように、現在の日本経済が停滞している根本的な原因は、同じくデフレのおかげで不良債権の整理と設備投資が遅れ、重化学工業から情報産業への転換が遅れていることに求められる。だから、今の時期に古い産業を温存するようなことをしてはいけない。戦後恐慌以来、政府は日本銀行等を通して救済融資を行ったが、このことは、金融機関の政府や日本銀行に対する安易な依頼心を高め、借り手の放漫経営を助長した。しかも銀行と企業の救済が情実的政治的判断により実施された。例えば、七十四銀行は、当時日銀総裁であった井上準之助が茂木商店の顧間であった関係から1600万円もの日銀預金部資金が供給され、久原商事は、原敬と久原との個人的関係から救済され、国際汽船にも時の閣僚の口ききで預金部資金が供与された。

社会:でも昭和のブリッジ・バンク(bridge bank 承継銀行)である昭和銀行の設立は評価できる。昭和銀行は、受け皿銀行として、負債を圧縮した休業銀行を最終的に六行買収し、営業中ながら先行きに不安のある五行についても買収した。政府・日銀は単独で営業可能な銀行に対して、積立金の全額取崩し・減資減配・重役の私財提供を条件に、日銀特融を実施し、四二年六月には、一億円の日銀特融が完済された。

自由:たしかに世界恐慌の時には、そうした手段を執らざるを得ない。だが、まだ世界恐慌が起こっていない段階で、そのような受け皿銀行を作る必要があるだろうか。アメリカのバブルが崩壊していない現時点では、その必要性はない[3]。それにしても90年代の金融機関の破綻に対する政府の対処の方法は、彼らにとって初体験ということもあってか、首尾一貫していない。分類するなら、次の三つのタイプに分けることができる。

  1. 営業を停止して、融資を続けない
  2. 既成の他の金融機関に営業を譲渡して融資を続ける
  3. 新しい金融機関に営業を譲渡して新規融資を続ける

この類型にしたがって、バブル崩壊後に実際に行われた破綻処理方法を表にまとめた。一番多いのはBのタイプだ。大きな銀行の場合Aは困難で、受け皿銀行が見つからない場合は、Cを選ぶというのがこれまでの政府のやり方だ。

バブル崩壊後の金融機関の破綻処理方法の図
バブル崩壊後の金融機関の破綻処理方法。( )内は融資額。それ以外は贈与額。公的資金投入額および債務残高額の単位は億円。公的資金の出所は、預:預金保険機構、寄:寄託證券保証基金[4]、保:保険契約者保護基金、日:日本銀行、信:全国信用金庫連合会。破綻処理方法の分類は、A:営業を停止して、融資を続けない場合、B:既成の他の金融機関に営業を譲渡して融資を続ける場合、C:新しい金融機関に営業を譲渡して新規融資を続ける場合とする。

参考までに海外での処理策を紹介すると、アメリカのバブルが崩壊した後、1989年に就任したブッシュ大統領は、整理信託公社(RTC)を設立し、1000億ドルの財政資金を投入した。この表にあるように、アメリカ連邦預金保険公社が1988年から1993年にかけて破綻処理を行った887件のうち、ペイオフとなったのは小さな金融機関の場合のたった43件で、大部分(720件)の通常規模の金融機関は P&A(買収と引き継ぎ)で処理している。

連邦預金保険公社が破綻処理を行った金融機関の預金規模の図
連邦預金保険公社が破綻処理を行った金融機関の預金規模[5]

日米の違いは、日本では密室で決められた受け皿銀行に預金保険機構が金を出して営業を引き取ってもらっているのに対して、アメリカでは競売で売却して金を取っていることだ。手続きの透明性や処理コストの削減という点からして P&A の方が望ましい。海外には自己資本比率が高い銀行が多いので、資金贈与しなくても引く手あまただ。もし大きすぎるのなら、分割して売却すればよい。

この観点からすれば、

  1. 破綻前の金融機関に公的資金を投入する
  2. 破綻した金融機関に公的資金を投入して蘇らせる
  3. 破綻後、借り手に公的な融資を続ける
  4. 破綻する金融機関の営業譲渡先を政府が決める

といったことをするべきではない。

国家:それはすべて今の政府が実際にやったことではないか。例えば一番目については、政府自民党は、金融機能安定化緊急措置法を制定し、金融機関の資本増強のために13兆円の公的資金枠を作った。1997年10月にはこの改正預金保険法適用により、福徳銀行となにわ銀行の合併に、預金保険機構が2700億円の資金援助をした。1998年3月には、貸し渋り対策のために大手銀行21行に総額1兆8000億円の公的資金が投入された。おかげで金融不安は収まり、これが今の株高の原因になっている。破綻前の金融機関に公的資金を投入して、危機を予防的に防ぐことがなぜよくないのか。

自由:破綻前に資本注入すると、金融機関にモラル・ハザードが生じる。65年の証券不況で破綻しそうになった山一證券を日銀特融で救済したことが本当によいことだったかどうか考えてみてほしい[6]。当時の山一證券の経営陣は腐っていたし、腐った経営者は腐った後継者を選ぶものだ。そうした腐敗の連鎖を断つには、あのとき山一を市場原理によって淘汰させるべきではなかったのか。国民も6割が日本長期信用銀行などの金融機関への公的資金投入に反対している。そもそも自力では経営が成り立たたず、公的資本を投入しなければならない金融機関が、信用が命の金融市場で受け入れられて生き延びられるとは考えにくい。この点をカムフラージュしようとするならば、1998年3月末のように、すべての銀行に平等に資本注入するしかないが、財務健全な銀行まで支援するわけだから、税金の無駄である。

国家:国民が反対しているからやらないなんて、まさに衆愚政治だ。銀行への公的資金の導入は、金融システム全体を守ることが目的であって、個別の銀行やましてや個別の経営者を救済することが目的ではない。その点を、君を含めて大衆たちはわかっていない。

自由:金融システム全体を守るのなら、調整インフレをすればよい。デフレの時には、金融システム全体が危うくなるが、インフレの時に破綻する金融機関は、個別の経営者の問題で。救済するに値しない。

社会:破綻した金融機関に公的資金を投入して蘇らせることは、なぜ望ましくないのか。

自由:破綻後に公的資金を投入し、名前だけ変えて営業を再開させた場合は、さらに市場から信用されない。兵庫銀行は、破綻した時、預金保険機構から4730億円の支援を受けてみどり銀行として再出発したが、一度破綻した銀行への信頼度は低く、預金の流出に見舞われ、経営不振に陥り、2年4ヶ月後に結局阪神銀行に救済合併されることとなった。東京共同銀行も正常債権のみを引き受けたはずなのに、1年後には大半(1039億円)が不良債権になり、結局預金保険機構から1200億円の支援を受けて整理回収銀行に改組された[7]

国家:民営銀行として蘇ることができないのなら、梶山元官房長官が提案したように、国営銀行として再生させれば良い。

自由:98年9月には、普通株等の買い取りによって長銀を一時国有化することが与野党間で合意された。政府主導で経営を合理化し、2001年3月までに破綻処理を終えることになっているが、国鉄清算事業団の二の舞いにならない保証がどこにあろうか。特に懸念すべきは、自民党が、銀行の公的管理とともに借り手保護を画策していることだ。

社会:北海道拓殖銀行が北海道から姿を消した時、新たに融資を受けられなくなった地元企業が連鎖倒産する貸し渋り問題が起きた。だから政府が、善意かつ健全な借り手に融資を維持・継続できる公的な新銀行をブリッジ・バンクとして設立することは、正当なことではないのか。

自由:貸し渋りと呼ばれるクレジット・クランチは、公的ブリッジ・バンク(自民党)あるいは国有銀行(民主党)を作ってまで解決しなければならない問題なのか。先進諸国において、一般企業の資金調達額が GNP に占める割合は、どこでもだいたい150%前後と同じであるが、間接金融による借入金の割合は、アメリカが19%、イギリスが27% であるのに対して、日本は112%もある。だから日本の銀行は貸し渋りどころか貸し過ぎている。名刺が担保だったバブル時の融資合戦こそ異常なのであって、現在のように銀行が借り手を慎重に選別することの方がむしろ正常だ。

そもそも黒字経営であったにもかかわらず貸し渋りで倒産した企業は、本当に「善意かつ健全な借り手」であったのか。二つの理由で疑わしい。

第一に、これまで黒字であったからといってこれからも黒字であるとは限らない。銀行にとって融資を決定する際に重要なのは、借り手の過去の実績よりも将来性だ。特に建設業の場合、景気対策としての公共事業によって支えられている面が強いのだが、国も地方も財政事情が厳しいことを考えれば、いつまでも黒字経営でいられるわけにはいかない。貸し渋りにより影響が最も深刻である北海道は、日本で最も建設業の割合が高いことをここで思い起こす必要がある。

第二に、日本の企業、とりわけゼネコンは、粉飾決算を行っている所が多いので、本当に黒字であるかどうかあやしい。債務超過で倒産した多田建設や大都工業は、直前まで黒字決算をしていた。銀行は、自分たちも粉飾決算をしているから懐疑的だ。

工業社会から情報社会へと時代が変化する中で、古い産業が淘汰され、新しい産業が育っていく市場経済の流れを国家権力が阻止してはいけない。財投だけでも相当な不良債権を抱えているのに、民間企業への融資にまで利権体質を引きずった政治家や頭の古い官僚が介入し始めるならば、ブリッジ・バンクは不良債権を償却させるどころか逆に雪だるま式に膨れさせ、国家財政に破局をもたらす。金融は経済全体のあり方に影響を及ぼすことを考えれば、その弊害は、国鉄清算事業団の比ではない。

国家:破綻する金融機関の営業譲渡先を政府が決めるべきでないというのはどういうことか。営業の譲与先を市場原理に委ねると、日本の金融機関が外資系に乗っ取られるおそれがある。やはり政府主導で、国内の金融機関同士を連合させるべきだ。

自由:大蔵省主導で決めてきた受け皿銀行探しは、民間の M&A と異なって、戦略的展望に欠けるものが多い。北海道拓殖銀行と北海道銀行の合併構想は、同一地域での競争の回避によって経営の再建を図ろうとする、預金者の利益を無視した官僚的発想に基づく救済策であったが、それが破談になると、北洋銀行が受け皿銀行として選ばれた。北洋は総資産額では拓銀のおよそ五分の一、従業員数では三分の一近くまでしかない銀行で、吸収合併の担い手としては明らかに不適切だ。もっと強引なのは、長銀と住友信託銀行との合併だ。首相と蔵相と官房長官が住友信託社長を首相公邸に呼んで説得した。大蔵省は、天下り先を減らさないように、邦銀同士で合併を進めようとしている。日本の銀行は、規模は大きいが収益性が低いのが特徴であるから、公的資金投入によって合併を促進する大蔵省の政策は、《競争力イコール規模の大きさ》という古い考えに基づいていて、適切とは言えない。むしろ規模は小さいが、自己資本比率が高く、経営力が有り、日本市場への進出を望んでいる海外の銀行に営業を競売にかけて売却するべきだ。二兆二千億円の負債を抱えて倒産した日本リースも、GMAC や GE キャピタルなど外資系ノンバンクに事業を高値で売却することで再建への道筋を立てている。80年代後半、アメリカのバブルが崩壊したとき、ジャパン・マネーが債権を買い漁ったおかげで、アメリカは不良債権問題を解決することができた。90年代の後半にも、同じことことが逆方向で起きなければならない。

社会:でも住友信託が長銀との合併を断った後も、自民党は、長銀を利用した過去のスキャンダラスな融資関係が暴露されることを恐れて、長銀の清算や外資系への営業売却に反対した。

自由:自民党と民主党が妥協して作ったブリッジ・バンク法案は、玉虫色で、不明瞭だ。だから私が代わりに、理想的な破綻処理方法を提案したい。

  1. 金融監督庁は、早期是正措置に基づいて、自己資本比率がゼロ未満と認定した金融機関を営業停止にし、役員を退陣させる。
  2. 整理回収機構(整理回収銀行と共同債権買取機構と住宅金融債権管理機構を合併した日本版RTC)が第二分類以下の不良債権を買い取り、回収を行う。
  3. 不良債権から開放された金融機関の営業を即座に世界に開かれた市場で売却する。売却先が見つからない時は、利子を支払わずに預金者に預金をペイオフする。
  4. 売却益は回収できなかった不良債権の償却に使う。それでも不足する場合は預金保険機構が資金贈与する。余った場合には、社債権者や株主に償還する。

債権を安易に放棄して、公的資金を導入することがないように、たんに財政と金融を分離するのみならず、預金保険機構と整理回収機構を分離する必要がある。すなわち、預金保険機構は金融庁(2003年に設置予定)の管轄下に置き、整理回収機構は警察庁の管轄下に置くべきだ。不良債権には暴力団が関わっているケースが少なくないので、債権回収には警察の協力は不可欠だ。

国家:現在銀行が預金保険機構に出資しているが、強い銀行が弱い銀行の面倒を見ることは、君の自由競争の理念に反するのではないのか。

自由:世界恐慌に対する教訓から、どこの先進国でも預金保険システムが作られるようになったが、銀行の債務超過リスクと無関係に預金量に比例した定率制を用いているので、ハイリスクな融資の利用者がモラル・ハザードに陥ることになる。だからリスクに応じた受益者負担の原則を貫徹するためにも、銀行が預金量に比例してではなく、預金者が利子所得に比例して保険金を支払うべきだ[8]。一般にハイリスクほどハイリターンであるから、保険が必要な者ほど、高い掛け金を払うことになる。また高額預金者ほど高い掛け金を支払うのであるから、1000万円以上の預金者に元本全額をペイオフしても問題はない。

現在の預金保険制度では、日本人が外資系銀行の日本支店にドル預金していて、外国の本店が倒産した場合、日本の預金保険機構も外国の預金保険システムも保護してくれない。せっかくビッグバンをやっても、これでは金融のグローバル化が進まない。外資系銀行を介してであっても、預金者自身が預金保険の掛け金を支払うのならばこのような事は起きない。

さらに定期預金に関しては、預金払戻率を保険料率に比例させることによって、預金者に選択の幅を広げることもできる。例えば比例定数を10とすると、保険料率が10%なら元本の払戻率は100%、5%なら50%、0%なら保険料を払わなくてもよい代わりに、万一の時にはペイオフしてもらえないことになる。こうすれば、一方で金融機関、預金者、株主、借り手のモラル・ハザードを惹き起こすことなく、他方で金融秩序、預金者、行員の雇用、健全な借り手を最大限保護することができる。

2. 参照情報

  1. この表における「ドットコムバブルの崩壊」以降の出来事と70年前との比較は、第二版以降に追加した。
  2. ロングターム・キャピタル・マネジメント(Long-Term Capital Management)は、米国に本部をおいて運用されていたヘッジファンドで、1998年8月のロシアのデフォルトに端を発する金融大混乱のなかで破綻し、その影響の大きさゆえに、米国政府が支援に動いた。
  3. ここで謂う所の「バブル」とは、1990年代後半のドットコム・バブルのことである。ドットコム・バブルは、投資バブルだったので、崩壊しても金融不安を惹き起こさなかったが、ドットコム・バブル崩壊後に発生した住宅バブルは、担保を十分持たないサブプライム層への過剰融資によって生まれたバブルであったがゆえに、その崩壊は金融不安をもたらすことになった。
  4. 寄託證券保証基金は、証券不況後の1969年に、証券会社が経営破綻した時に投資家を保護するために設立された。しかし、証券会社の加入が任意であったため、1998年12月の証券取引法で、証券会社に強制加入義務を負わせ、負担金を徴収し、顧客資産を保全する日本投資者保護基金が設立された。
  5. 日本銀行信用機構局.「米国預金保険制度の概要と運用」.『日本銀行月報』. 1995年8月号. p. 57.
  6. 1965年5月に大蔵大臣だった田中角栄(1918年5月4日 – 1993年12月16日)が、破綻の危機に瀕していた山一證券への日銀特融を決めた。これは、金融恐慌を未然に防いだ英断と評価されたが、山一證券を廃業させても、投資家の資産をすべて保全することを約束すれば、金融不安の拡大を阻止できたはずである。山一證券を救済するという悪しき前例を作ってしまったがために、日本の金融機関は、いざとなれば政府が救ってくれると思い込むようになり、それがバブル期の無責任な融資を促すことになったことを考えるなら、田中角栄の判断を英断などと評価することはできない。
  7. 営業譲渡された銀行の中には、あおぞら銀行や新生銀行など、2016年現在存続している銀行もある。
  8. 2016年現在においても、預金者は預金保険機構と直接契約を結ばない。また、預金保険料は、預金等の残高に預金保険機構が予め定める預金保険料率を乗じて算出されている。