市場原理は至上原理か(14)農作物の輸入は自由化するべきか

2016年2月10日

戦後の日本の農業政策は、農業保護というよりも稲作保護の性格が強く、これが日本の農業の性格を歪めた。食糧安全保障という観点からしても、長期保存可能な米にだけ力を入れるこれまでの政策は間違っている。

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司会: 農業は日本の保護産業の代表的存在ですが、農業もまた金融と流通の自由化とグローバリゼイションの影響を受けて大きく変わろうとしています。政府はこれまで農協を通して農家を保護管理してきましたが、住専問題で農協系金融機関のずさんな経営が明らかになり、また米を含めた食料の輸入自由化は、国際競争力のない国内農業の経営を不安にし、食管制も流通の自由化により空洞化しています。特に93年のウルグアイ・ラウンドの決着では、最後の聖域だった米に関してもミニマム・アクセスを受け入れ、2000年以降はWTOを舞台にさらなる譲歩を迫られることが決まり、このままでは、日本の農業は壊滅するのではないかとすら心配されています。そこでまず農作物の輸入を自由化することの是非から議論を始めてもらうことにします。

社会: 農業をたんに経済的な収益性だけから論じることはできない。農業は、食料の供給のほか、水資源のかん養、国土と自然環境の保全など多面的機能を持っている。経済的合理性や自由貿易の利益を犠牲にしてでも国内の環境を守らなければならない。

自由: 農薬や化学肥料を用いてコシヒカリなど特定の品種を大量に育てることが環境に良いかどうか疑問だ。農家が農業を放棄すれば、農地には雑草が生え放題になる。コマーシャルな視点から見れば、それは田畑が荒れていることになるのだろうが、エコロジカルな視点からすれば、それは健全な状態に戻ったと言える。人間が農業をやめると植物が存在しなくなると考えるのは間違っている。

社会: 農家が農業を放棄すれば、土地は農業以外の目的のために売却される。農地を宅地や工場用地にすることは、エコロジカルな視点から見て好ましくない。

自由: その点は心配無用だ。今はもう列島改造の時代ではない。今後人口が減少して、かつ情報革命により産業が土地節約的になるので、国内の、特に辺境地の土地需要は減っていく。将来日本には今以上に自然が増えていくであろう。北朝鮮は、森林を伐採して農耕面積を急速に増やしたため、土地の保水性低下により水害に苦しむことになった。農業も限度を超えると環境破壊になる一例だ。

社会: 農業のようなおくれた産業は発展途上国に任せて、日本はハイテク産業に専念すればよいとでも言いたいのか。

自由: 違う。農業のようなおくれた産業は切り捨てろと言う食料輸入自由化論者も農業はおくれた産業だから保護する必要があると反論してきた食糧輸入自由化反対論者も、農業をおくれた産業と見なしている点で同じ地平上にある。農業が発展途上国的産業だというのは偏見で、食料を輸出している国には、アメリカ、カナダ、フランス、オーストラリアなど先進国が多い。私は、農業をバイオテクノロジーによって技術革新可能なハイテク産業だとみなしているし、市場経済のもとでも、日本の農業は、知識集約化することにより十分生き残れると考えている。

国家: バイオテクノロジーで作った食品なんて安心して食べられないよ。日本は伝統的な方法で安全性の高い食品を作るべきだ。食料輸入を自由化すると、遺伝子組み替え食品や日本では規制されていない化学物質が混入した食品が入って来たり、日本には存在しない害虫が持ち込まれる恐れがある。食料輸入自由化は、日本の食生活と農業の安全性にとって重大な脅威だ。

自由: 国内産だから安心とか、輸入物だから危ないとは一概に言えない。遺伝子組み替え食品や様々な化学物質の安全性は日本だけの問題ではないから、各国の科学者に安全性を調査させて標準的な基準を作り、世界的に生産段階で規制していく必要がある。日本に持ち込ませないという視野の狭い発想では、根本的な問題解決にはならない。害虫に関しては、確かに検疫を徹底しても侵入の可能性を否定できない。しかし、食糧を輸入しなくても別のルートで入ってくる可能性がある。

国家: アメリカなどから米を輸入する際、輸送ルートが長くなるので、収穫後にまでポストハーベストなどの農薬が散布される。日本の消費者は、価格の安さよりも安全性を基準に食品を購入する。だから価格面で割高になっても、国内の有機農業を育てるべきだ。

自由: 外国は日本より大量に農薬を使用していると考えるのは偏見だ。日本の農地面積は、世界の0.3%しかないのに、農薬は、全消費量の15%を使っている。また米に関しても、日本の水田面積は、世界の1.4%にすぎないのに、日本の農家は稲作用の農薬の47%を使っている。化学肥料も単位面積当たり、世界の4.4倍も使っている。

国家: 93年に平成の米騒動が発生した時、日本の消費者は、外国米など見向きもせずに、行列を作ってまで異常に高い国産米を買い求めた。外国米は日本人の好みに合わないから輸入するべきでない。

自由: もし日本人が外国米を嫌っているのなら、輸入を自由化しても売れないから何も問題がない。それにしてもあの米騒動の時、日本の消費者は、「タイ米にはネズミの死骸が入っていた」なんて言う輸入反対派たちのアジテーションに煽られて、トイレットペーパー騒動が起きた石油危機の時のような節操のない群衆行動に走った。私はあのときオーストラリア産のジャポニカを買って食べてみたのだけれど、国産米と味が変わらないし、農薬はほとんど使っていないし、値段も安いし、やはり米は輸入するべきだと思った。残念ながらその後の豊作で、外国米は店頭から姿を消してしまった。

国家: 食料を輸入に頼ると、戦争などで、供給国が輸出を停止したとき困ったことになる。戦争を防止するために各国の貿易依存度を高めようというのがGATTの本来の趣旨なのだろうが、異常気象による世界的な凶作により、食料の輸出が停止される懸念だってある。1973年に大豆の需給が逼迫して、アメリカが大豆の輸出を禁止したため、日本国内の豆腐やみその価格が高騰した。ソ連がアフガニスタンを侵攻したとき、アメリカはソ連に対する小麦の輸出を禁止する報復行為に出た。ウルグアイラウンドを提唱したのはアメリカだから、食料の輸入を自由化して世界平和を守るというGATTの理念の背後には、食料を武器にして世界を支配しようとするアメリカの陰謀があるのではないか。日本の供給熱量自給率は42%で、穀物自給率は29%だ。不測の事態で長期間食料輸入がストップすると、日本国民が摂取できるエネルギーは、人の基礎代謝時の必要エネルギー1450カロリーを下回ってしまう。有事の際には、日本でも北朝鮮で見られるような飢餓地獄が出現するだろう。食料安全保障という観点から国内の農業を保護するべきだ。

自由: 食糧安保という観点からすると、米の100%自給にのみ固執することは得策ではない。米は保存がきくから、備蓄によって不測の事態に備えることができる。輸入米のうち1年分程度の消費量を備蓄し、古くなったら海外に転売すればよい。日本人は新米が好きだが、海外では、米はワインと同様に、古い方が高く売れるところがある。

本来どのような農作物を作るかはその土地の特性を考慮して決めるべきだが、政府が食管制度で米だけを過保護にした結果、水田が耕作面積の54%を占める不自然な状態になってしまった。食管制度を廃止して米の流通を自由化すれば、日本の農民は、米の代わりに野菜や果物など、貯蔵が難しい作物を作るだろう。日本は土地が狭く、人件費が高いから、農業をするには不利と見られがちだが、消費者に地理的に近いという長所があり、近郊農業でなら経営が成り立つ。市場原理に任せれば、自ずと食糧安保体制が構築できるわけだ。

何らかの原因で食料の輸入が途絶えても、保存がきく食品は備蓄があるからすぐには困らない。保存できない食品は国内で生産される。食料価格が高騰するため、しばらくすれば、自宅の庭に米を植えたり、ゴルフ場をつぶして小麦を植えたりする人が出て来る。輸入枯渇が長期間続けば、市場経済の力で、自給率は自動的に上昇する。現実問題としてはそれより闇のルートで入ってくる可能性の方が高いけれども。

社会: 米の輸入を自由化すると、食管制度が機能しなくなるのではないか。食糧庁が計画外流通米を認めるなど、食管制度は目下形骸化しつつある。ミニマムアクセスは、食管制度と両立できるが、関税化による自由化をのまされると、食管制度はますます形骸化し、政府はもはや米の量と価格をコントロールすることができなくなる。

自由: 食管制度は、戦後の食糧不足に対処するために作られ、今日に至るまで残存している方が不思議な生きた化石なのだが、農協だけでなく、農林水産省も廃止に乗る気でない。食管制度を廃止すると1万人を越える食糧庁職員の処遇が問題になるからだ。しかし米の価格と量を政府が決める計画経済はもう機能しない。価格を市場原理に任せると凶作の時には価格が上昇して農家は損害を被らなくてすむ。生産量の調整に関しても、一律一割減反などナンセンスで、米を作るかどうかを各農家の自由に任せ、市場原理を機能させた方が、投資効率の低い水田から順に転作されるので合理的だ。