10月 221999
 

研究者は、金だけでなく、名声を求めて研究をしている。経済的価値が貨幣によって計測できるように、学術的価値は被引用度によって計測できる。経済に市場原理を導入することができるように、学界にも市場原理を導入することができる。

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司会: 平成10年に制定された中央省庁等改革基本法第43条では明示的に述べられていませんが、政府は行政改革の一環として、国立の大学や研究所を独立行政法人化するつもりのようです。場合によっては民営化も視野に入っているかもしれません。これまで教育について論じてきましたが、高等教育機関を民営化するとき、初等教育や中等教育の場合と違って、研究活動をどうするのかという問題が出てきます。研究機関の民営化を議論してください。

社会: 学問の自由、自由裁量拡大、公的投資の拡大といった前提がないまま独立行政法人化や民営化を進めると、教育と研究における教官個々人の平等性に基づく今のアカデミック・コミュニティーは解体され、上下の指揮命令関係を持つ階層的組織、目標・計画設定、効率的遂行、業績評価、評価に基づく組織の改廃といった特徴を持つアカデミック・ビジネスへと変質してしまう。知の自立、学の独立、大学の自治、学問の自由等々の原則なくして、大学が創造的精神の空間として存在し続けることはあり得ない。

自由: 民営化で学問の自由が失われるかどうかを議論する前に、私はむしろ、今の大学に学問の自由などあるのかと聞き返したい。研究室内の教授を頂点とした封建的な上下関係、学閥の利害が優先される情実人事などの環境は、学問の自由を妨げている。大学の自治は、もともと国家権力から学問の自由を守ることを意味していたのだから、大学の自治を守るには、国営よりも民営の方が望ましいはずだ。国家に対して「金を出せ、口を出すな」と言うことは、自由ではなくて甘えだ。

社会: 今の大学に問題がないとは言わないが、政府が進める独立行政法人化政策の目的は、大学が抱える教育や研究上の問題を解決することではなく、教職員の定員削減により支出を切り詰めることにあり、動機が不純だ。

自由: 政府は公務員の定数を25%削減すると公言しているが、減反政策の時のように、お上主導で一律に減量するのは感心できない。大学が過剰であることは確かだが、減量は市場原理による淘汰に任せるべきだ。

社会: そうした弱者の切り捨てに私は反対しているのだよ。独立行政法人化により、職員の給与は、国家公務員の給与や民間企業の給与などのほかに、法人の業務実績、職員の能率、勤務成績に基づいて決められることになる。つまり、成績主義により個々人の競争を促がされ、全体としての労働条件は切り下げられ、職員の身分は不安定になる。大学への財政支出を削減することが政策の原則となり、私立大学や公立大学にも、同じ論理が貫徹される。高等教育全般への公費支出が減り、大きな打撃を与えることになるのは不可避だ。既に同様の政策が実行されたイギリスやニュージーランドやカナダなどで、研究機関の基礎研究や長期にわたる研究が壊滅的な打撃を受けた先例がある。このままでは大学が死滅する。国公立大学には、民間企業の研究所がするにはリスクの大きすぎる基礎研究に投資したり、現時点では社会的な需要は少ないが、我が国の学術・文化等の面から重要な学問分野を継承する重要な役割があることを再評価するべきだ。

自由: 情報化社会が知識集約的社会であることを考えるなら、研究への支出を削減することは望ましいことではない。基礎研究への財政出動は、増やすことはあっても減らすべきではない。しかしだからといって、国立大学への財政支出を増やすべきだということにはならない。国立大学や国立研究所は基礎研究を行い、民間は応用技術の開発を行うという分業は不毛だ。営利企業の研究所がたまたま基礎研究で成果をあげ、ノーベル賞を受賞したこともあれば、国立研究所からたまたまヒット商品になる技術が開発されることもある。そうした意外性が科学の面白いところだ。

国家: 研究施設がすべて民営化され、営利的な研究もするようになれば、どこがいつ公共的な性格を持つ基礎研究を行うかがわからなくなり、予算の配分が難しくなる。

自由: 計画段階では、研究成果がどのようなものになるかわからない。だからあらかじめ研究計画を作成させてから予算を出すのではなくて、優れた成果を上げた研究者に研究奨励金を出すようにしたら良い。その方が、研究者は役人の顔色を気にせずに自由に金を使うことができ、《規制厳守・結果無責任》という官僚制度の悪弊から逃れることができる。具体的に言うならば、旧帝大など特定大学に「重点的」に予算を配分するのではなく、論文に対する報奨金として、その論文の価値に応じた研究奨励金を出す。論文の価値は、論文の被引用度で測定できる。ステータスに金を出すのではなくて、アチィーブメントに金を出すわけだ。日本の大学には、十年間一本の論文も書かない無能教授がごろごろいるが、ステータスだけでアチーブメントのない研究者にまで研究費を出すべきではない。

社会: 国立大学には、高齢化社会に備えて看護系の大学や学部を増設するとか、環境問題の解決に取り組む研究に重点的な予算配分を行うなど、国の政策目標を実現する機能がある。また、衛星通信大学間ネットワーク構築事業の実施など、社会の変化や学術研究の進展に応じた先導的・実験的な教育研究を実施する役割もある。

自由: 福祉、環境、通信といった新しい市場分野の開拓は、民間の方がずっと早いよ。衛星通信教育なんて予備校でもやっているし。

社会: 公立大学や、都市圏外の国立大学は、全国的に均衡のとれた大学配置による教育の機会均等の確保、各地域特有の課題に応じた教育研究、地域の人材養成、個性ある地域づくりに貢献している。

自由: インターネットが普及すれば、研究拠点の地理的位置は重要でなくなってくる。世界中どこにいても、世界の情報を瞬時に入手できるのだから。教育という面でも、先ほどから主張しているように、自宅から通学することが良いとは必ずしも言えない。

大学民営化反対論者は、なんだかんだ理屈をこねて自分たちの既得権益を守ろうとしていて、ひどいのになると、「大学構内は、市民が散歩する憩いの場で、民営化すると部外者の立ち入りが禁止されてしまう」などと言って民営化反対を主張する大学人もいる。こう言う大学人は、大学が公園としてしか機能していないことを暗に認めているわけで、お寒い限りだ。

公教育を廃止して市場原理を導入することは、たんに財政再建のために必要であるだけではなく、産業が知識集約化する世界の潮流の中で日本経済が世界の最先端の地位を保持し続けるために必要なのだ。かつて教育は国家百年の計と言われた。今では、教育は国家三十年の計である。つまり教育改革は、一世代のうちにその国の運命を決するような帰結をもたらす。教育改革は待ったなしだ。

司会: 大きな政府か小さな政府か、計画経済か市場経済か、議論は尽きないかと思いますが、そろそろ時間になりました。どうも本日は長時間、熱のこもった議論をしていただきましてありがとうございます。また機会があれば、この問題を取り上げたいと思います。(盛大な拍手)

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