結婚における市場の論理
結婚は交換である。では結婚において何が交換されるのか。何を基準に交換されるのか。恋愛結婚を行う自由市場は、いつ、なぜ生まれたのか。結婚制度は今後どうなるのか。交換としての結婚を社会学的に考えてみよう。

1. 結婚はいかなる意味で交換なのか
前近代社会においては、結婚は家父長間での女性の交換であった。ウエディングのウェッドという語が、もともと花婿側が花嫁の父親に支払った物品を意味したことからわかるように、かつて西洋でも、中国などでと同様に、売買婚が行われていた。売買婚や政略結婚は明らかに交換である。では、現在行われているように、個人としての男女が、自らの意思で行う恋愛結婚は、どのような意味で交換なのだろうか。

まず、そもそも交換とは何かを考えなければならない。多くの人は、交換と聞くと、相互的な物の移動を連想する。物の移動を伴う交換は理解しやすいけれども、物の移動は交換にとって必要条件でも十分条件でもない。隣の家の猫が私の家に住みつき、私の家の猫が隣の家に住みついたとしても、猫が勝手に移動したのであれば、私と隣人とが猫を交換したことにはならない。私と隣人は、相手の猫を占有しているだけで、所有権を手に入れたわけではない。私が自分の猫の所有権を放棄する代わりに、隣人の猫の所有権を手に入れることに双方が合意して初めて交換は成立する。
一般的に言って、人と人とが行う交換とは、自我の自由の部分的放棄を前提に、それと等価だと相互に評価し合う他我の自由の部分的放棄を手に入れる行為である。こう定義するならば、結婚は交換である。なぜなら、婚姻契約は、自分の性的自由を放棄することを前提に、それと等価だと相互に評価し合う相手の性的自由の放棄を相互に要求する契約だからである。
貞節を守ることは、婚姻契約の継続において最も重視されるが、もちろん結婚することで発生する権利と義務はそれに尽きるわけではない。いずれにせよ、婚姻関係は、配偶者双方に個人的自由の減少や子供の養育などの負担以上に家族愛や相互扶助などの利益があるとみなされる限り、持続する。負担が利益を上回ると考えられると、離婚になる。ある経済的に自立できる女性が、二回離婚したあげく、「結婚は子種狩り」と豪語したが、子種を提供してくれることを除けばたんなる負担でしかない夫なら、使い捨てになっても仕方がない。
2. 結婚という交換を媒介するのは何か
結婚相手を見つける時、双方にとって利益となる相手を見つけようとすると、典型的なダブル・コンティンジェンシーに陥ることになる。社会システムに特有のこの二重の複雑性を縮減するには、コミュニケーションメディアが必要なのだが、家族の機能が複合的であるがゆえに、コミュニケーションメディアは一種類ではない。むしろ、四種類の資本すべてが規準となる。
例えば、女性が、理想的な結婚相手の条件として、
- 性格は優しくて協調的で、
- 容姿はキムタク似で、
- 出身大学は偏差値70以上、
- 年収は一千万円以上
を提示するとき、彼女は、A. 政治資本、B. 身体資本、C. 文化資本、D. 経済資本のすべてにおいて高資本であることを要求していることになる。
経済的交換の媒体は貨幣で、文化的交換の媒体は言語であった。しかし、貨幣が流通するためには、貨幣発行者の経済資本が、言語が流通するためには、その言語が保有する文化資本が、交換者に対して卓越していなければならないので、社会システムの一般的な媒体は資本であると言うことができる。
高資本の夫婦は高資本の子供を育てる確率が高く、かくして家族システムは、オートポイエーティックな自己増殖を加速する。それはたんに、優秀な形質が遺伝子プールにおいて割合を高めていくというだけのことではない。後天的に獲得される形質に関してもポジティブフィードバックが働くのである。
躾やマナーの良さは、後天的に獲得される形質だが、幼少時での家庭教育がその獲得に決定的に重要な役割を果たす資本である。良家の出身を気取ってめかしこんだ「にわか淑女」が、無意識のうちに行う不躾な振る舞いで馬脚を露わし、「お里が知れる」ということはよくあることだが、本当に育ちが良いお嬢様は、マナーが自然と身についているから、結婚のマーケットである社交界では高値がつく。
3. なぜ近代になって恋愛結婚が生まれたのか
ここで、結婚の歴史を振り返ろう。自由市場で、個人としての男女が、恋愛を契機に結婚という交換を行うことは、近代になって普及した現象である。互酬経済を特徴とするプリミティブな社会では、男たちが、コミュニケーションの手段として女を交換することが結婚である。再配分経済を特徴とする前近代社会では、システムの中核が媒介的第三者として女性の再配分を行う。封建時代の日本の君主が、政略結婚した正室とは別に、側室を持っていたことは、個人レベルの恋愛と社会レベルの結婚が異なることを象徴的に示している。これに対して、市場経済を特徴とする近代工業社会では、個人レベルの恋愛と社会レベルの結婚が一体となった。これはなぜなのか。
日本人は、恋愛結婚のルーツは欧米にあると思っているが、ヨーロッパでも、恋愛結婚が誕生したのは中世の末期になってからのことである。中世の封建的経済体制が崩壊し、近代的な市場経済が登場したのと時を同じくして、恋愛結婚という配偶者選択の市場が誕生したのである。。
市場経済で、自由で自律的な諸個人が、オープンな市場で商品(労働商品を含む)に対して、有用性(効率性)・希少性(ブランド性)・耐久性などの基準にしたがって相互に価格設定し、売り手の選択と買い手の選択との間にコミュニケーションが成り立って、購買契約が結ばれるように、自由で自律的な男女が、オープンな結婚市場で相互に相手に対して、容姿・学歴・収入・人間性などの基準にしたがって価格設定し、両者の同意の上に結婚契約が結ばれる。そして男女とも「売れ残らない」ために、自分の市場価格を高めることに懸命となる。お見合いの根回しをする「親戚/近所のおばさん」に代わって、不特定多数の男女にコンピューターなどを用いて恋愛結婚の斡旋をする結婚ビジネスすら生まれている。
恋愛結婚は、一見すると禁欲的な近代の「資本主義の精神」と矛盾するように見える。しかし実はそうではない。そこに恋愛結婚のパラドックスがある。「愛し合っているからこそ、永遠に生活を共にする」という美しい理念のゆえに、恋愛結婚は最も理想的な結婚のあり方だと一般に考えられている。
しかし《遊び》としての《恋愛》と《労働》としての《結婚》が異質である以上、両者を調和させようとすることに無理がある。もしも「愛し合っているから生活を共にしている」のなら、「愛し合わなくなった時には生活を共にはしない」ことになるはずなのだが、いったん結婚すると、そしてとりわけ子供ができると、有形・無形の多大なサンクションなしには婚姻関係を解消することはできない。恋愛結婚では、遊びが労働を吸収したのではなくて、労働が遊びを吸収したのである。経済学的に見れば、恋愛結婚は、無責任な出産を減らし、確実に人口を量産するシステムを作って、産めよ殖やせよの資本主義の発展に貢献したのである。
4. 結婚制度は今後どうなるのか
恋愛結婚で結ばれた男女が、厳格な一夫一婦制のもとで核家族を成し、夫は外で働いて収入を得て、妻は専業主婦として育児と家事に専念するという近代工業社会が作り上げた家庭像は今崩壊しつつある。一方で、性産業で単なる快楽を消費するだけの男性が増え、他方で、精子銀行で精子を購入してシングルマザーとなる女性が増えてきている。はたしてこの新たな《遊び》と《労働》の分裂は、脱工業化(post-industrial=post-industrious society 脱勤勉化)社会の婚姻形態を示唆しているのであろうか。
この傾向をエスカレートしていくとどうなるだろうか。一方で、ちょうど今世界の投資家がインターネット上で株の売買をして、将来成長の見込める銘柄に投資するように、将来の投資家は、インターネット上で、「将来成長の見込める」著名人の卵子や精子を売買して、市場価値の高い人材を作って資産形成をし、他方で若者たちは、避妊技術の発達により、妊娠を伴わないセックスを楽しむようになるといった《労働》と《遊び》の新たな分裂が…もちろん冗談だけれども。
しかしここで、近代における常識である恋愛結婚が、前近代社会での非常識であったことを思い返して欲しい。精子銀行は近代社会においては非常識でも、ポスト近代社会では常識になるかもしれないのである。現在欧米を中心にシングルマザー志向は、社会的に広がりつつある。結婚をしていない両親から生まれた子ども、いわゆる「婚外子」はスウェーデンで4割を超える。またアメリカでは、精子銀行が大きな産業となっているし、日本でも、オンライン上に「精子バンク」を開設し、ドナーと顧客を募集している会社がある。こうした従来型の家庭像の崩壊を一時的な異常現象と見るか、新しい時代の流れと取るかは、皆さんの判断に任せたい。
5. 関連著作
資本の概念を経済から非経済の分野へと広げた社会学者としては、ピエール・ブルデュー(Pierre Bourdieu、1930年8月1日 – 2002年1月23日)が有名である。ブルデューの代表作は、『ディスタンクシオン』です。
- ピエール・ブルデュー, 石井 洋二郎.『ディスタンクシオン <1> ― 社会的判断力批判 ブルデューライブラリー』藤原書店 (1990/4/20).
- ピエール・ブルデュー, 石井 洋二郎.『ディスタンクシオン <2> ― 社会的判断力批判 ブルデューライブラリー』藤原書店 (1990/4/20).
- Pierre Bourdieu. La Distinction. Critique sociale du jugement: Les Fiches de lecture d’Universalis Encyclopaedia Universalis (2015/11/10).
結婚を交換ととらえた社会学の古典は、クロード・レヴィ=ストロース(Claude Lévi-Strauss、1908年11月28日 – 2009年10月30日)の『親族の基本構造』です。
- クロード・レヴィ=ストロース (著), 福井 和美 (翻訳).『親族の基本構造』青弓社 (2001/1/1).
- Claude Lévi-Strauss. Les Structures élémentaires de la parenté: Les Fiches de lecture d’Universalis Encyclopaedia Universalis (2015/11/10).
ディスカッション
コメント一覧
20年ほど前までは、未婚者に対して「なぜ結婚しないのか」と質問することは日常的なことであったが、現在ではセクハラ認定されるようだ。その背景として、3組のうち1組が離婚しており、もはや制度として破綻しているからかもしれない。
それは、たんにセクハラの基準が厳しくなったからでしょう。昭和の時代には、言葉によるセクハラは平然と行われていましたから。
結婚できない男や結婚しない女は、去勢・避妊手術済みの地域猫のようなものだ。
コンビニで精液を購入することが可能となることを希望します。
日本における正社員の雇傭契約と、法律婚とは類似している。正社員を解雇することが困難であるように、相手が同意しない限り協議離婚は成立しない。
雇傭を流動化することが必要ならば、法律婚という制度も廃止すべき性質のものである。
子どもの養育のための制度とはいへ、金持ちだが不仲の両親に養育された子どもと、片親・貧乏であっても良好な家庭環境の子どもとを比較して、どちらが幸福なのかは分明でない。