インターネットによる直接民主主義
インターネットが普及したおかげで、有権者が電子投票により、直接公共選択に参加することが技術的に可能になった。問題は、直接民主主義が、現行の間接民主主義よりも優れているかどうかである。
1. 公共選択はどうあるべきか
多くの日本人は、政治に不信感と無力感を抱いている。半数近い有権者は、選挙に行かないし、代議士を自分の代表だとは考えていない。公約違反、収賄、票田の世襲が横行し、民主主義が機能不全に陥っている。政治に民意を反映させるには、有権者が直接政策意思決定に参加するレファレンダム(referendum)が必要である。
レファレンダムの採用は、議会制民主主義を完全に否定するわけではない。議員には、政策立案・法案作成の仕事が残っている。議員に政策パッケージを作らせることで、有権者に過大な負担をかけさせたり、個別に可決された法や政策が相互に不整合となることはなくなる。
有権者が、ネットでの投票を通じて、与えられた政策パッケージに選好順序を与えることで最も高い得点を獲得した案が採択される。こうしたボルダ方式による票の集計は、アナログ投票では時間がかかるが、デジタル投票では簡単にできる。
投票が簡単にできるようになるから、「政策の選挙」だけでなく、「人の選挙」に関しても、従来より範囲を広げることができる。現在、日本国民は、国レベルの行政に対して自分たちの意思を直接に反映させる方法を持たないが、行政の最高責任者は直接国民が選ぶべきだし、その他の行政の上層部も、最高裁判所裁判官と並んで国民審査を受けるべきである。
裁判官の国民審査は、わかりにくくて不評だが、インターネット投票でなら、例えば、過去の論争の余地のある裁判のケースに自分の考えで判決を下し、それらから外れた判決を出した裁判官に、自動的に罷免の票が投じられるようにすれば、陪審制度など導入しなくても、国民の声を司法に反映させることができる。これ以外の投票でも、工夫次第で、わからないから棄権するという人の数を減らすことができる。
2. セキュリティ上の問題はないのか
電子投票システム自体は、国内外で普及しつつある。日本でも、2002年に電磁記録投票法が施行され、条例を定めるならば、地方自治体の選挙では、有権者が投票所に出向き、電子投票を行うことが可能となった。電子投票には、開票時間の短縮や人件費削減などのメリットがあるが、他方で、セキュリティ上の問題も指摘されている。2004年に行われたアメリカ大統領選挙では、電子投票が導入されたものの、投票結果が出口調査の結果と大きく食い違うケースが多数あり、ブッシュ陣営による陰謀がささやかれた。
こうした不正は、従来の選挙でも起きうることだが、電子投票、特にインターネットを使った投票では、権力者による干渉やハッカーによる侵入で、集計結果が不正に操作されたり、プライバシーが侵害されるといった不安がより大きいことも事実である。
しかし、ここで、インターネットはもともと、情報処理を脱中心化することでリスクを分散させる軍事技術であったことを思い出さなければならない。権力者による干渉やハッカーによる侵入は、集計主体が一つしかないと容易だが、集計主体の数が増えるにつれて困難になる。これまで非公式に出口調査を行ってきたマスコミを、正式な集計協力者として参加させ、投票結果を多重チェックできるようにすれば良い。
具体的に投票方法を説明しよう。まず、投票のたびに有権者にID番号を割り当て、ID番号とパスワードを有権者に通知すると同時に、そのリストを集計協力者に配布する。これと並行して、投票ソフトが集計協力者に配布され、各協力者は、社内でテストを行い、プログラムの精度を検証する。
次に、投票が始まると、有権者は、投票管理委員会、もしくは、自分が信頼を寄せている集計協力者のサイトに行って、投票を行う。投票サイトが複数あるので、たまたまどこかのサーバーがダウンしていても、投票は正常に行うことができる。投票結果は、ネットを通じて、投票管理委員会とすべての集計協力者に送られる。公開プロクシサーバーを使うこともできるようにすれば、集計協力者がIPアドレスから、IDの身元を割り出すことはできないから、投票者のプライバシーは守られる。
投票終了後、IDごとの投票内容は、各サイトで公表され、投票者は、正しく届いていることを確認できるようにする。棄権者も棄権を確認することができる。こうすれば、他人のIDとパスワードを盗んで投票しても、すぐ発覚する。そして、投票管理委員会の結果がすべての集計協力者の結果と一致するなら、投票結果は信用できる。不一致が生じるなら、調査を行って、原因を究明し、意図的な改竄があれば、処罰を行うべきだ。
集計は、即座に行われるので、マスコミには、集計協力のメリットがないと思うかもしれないが、付随的なアンケートの結果は、投票したサイトの管理者にしか行かないので、独自取材の余地がある。
セキュリティ上の問題は、これで解決できる。しかし、直接民主主義には、技術的問題とは別に、以下のような政治哲学的な問題が残っている。
3. 直接民主主義は衆愚政治か
大衆の知的水準は低いので、古代ギリシャのときと同様に、直接民主主義は衆愚政治になると危惧する人がいる。私は、政策決定には、大衆ではなくてエリートがリーダーシップを発揮すべきだという主張には賛成であるが、現在のような《大衆の間接決定=エリートの直接決定》ではなくて、《エリートの間接決定=大衆の直接決定》にするべきだと考えている。
大衆は時間的ないしは能力的制約から、政治の本格的研究・調査をすることができない。だから代議士というエリート(フランス語で選ばれた人という意味)がその仕事を代行して、大衆に選択肢を提示する。大衆はどの選択肢を選んでいいのかわからないので、マスメディアに登場する有識者の意見に耳を傾ける。大衆たちが口にする「自分の意見」の大半は、オピニオン・リーダーというエリートの受け売りである。レファレンダムを導入しても、結局政治を動かすのはエリートである。
それならエリートが直接政治を行った方が効率的だと思うかもしれない。しかしエリートとて欲望を持った存在なのだから、無媒介に権力を手にすると、私利私欲のために職権を濫用する危険がある。だから《エリート》と《権力》の間に《大衆》という中間項を媒介させなければならない。《大衆》というフィルターにかけられることによって、《エリート》の決定は、その不純なエゴイズムが取り除かれて政治に反映されるのである。《大衆→エリート→権力》ではなくて、《エリート→大衆→権力》が、《能力はないが、利害を主張すべき大衆》と、《能力はあるが、利害を主張すべきではないエリート》とのあるべき関係なのである。
4. マスコミは世論操作で政治を左右できるか
国民はマスコミの影響を強く受けるので、マスコミが政治を操作することになりかねないという政治家たちの危惧は、もしマスコミがひとつしか存在しない独占体とするならば、妥当である。しかし実際には、マスコミは複数存在するし、最近では、インターネットの普及により、マスコミによる世論操作は、かつてなく難しくなってきている。ネットで誰でも自分の主張ができる環境がある以上、マスコミの力を過大評価するべきではない。
5. 数の暴力をどうやって防ぐか
数の論理で政策決定がなされるというのは、現在の議会制民主主義でも同じことである。現在の政治システムの問題点は、ある特定の少数の意志、例えば特定の圧力団体の意向が、他の少数の意志を押さえることができるところにある。投票率50%の小選挙区の選挙で、有権者の半分以下の票で当選した国会議員が、半数を少し超える数で政治を動かすのだが、与党の意志は、与党の過半数の意志でしかないことを計算に入れると、有権者の16分の1程度の意見で政治が動くこともあることになる。
この点、多数派の利害が反映されるレファレンダムの方がまだましなのだが、どちらにしても、重要なことは、議論を尽くすこと、優れた提案に対しては、たとえ提案者が少数であったとしても聞く耳を持つことである。そのためにはまず、政策決定のプロセスを、料亭での密談からパブリックな討論の場へと移さなければならない。レファレンダムが行われるようになれば、メディアは、政治家の権力闘争を報道する代わりに、討論会を開くようになるだろう。
6. 地域エゴをどう防ぐか
大衆は自分たちの利益しか考えない。住民投票が地域エゴになりがちなように、国民投票は、主権国家のエゴに走る傾向がある。例えば、廃棄物処理所を建設を認めるかどうかという住民投票をすれば、どこでも否決されるに決まっている。そういう場合は、どこに建設するかを、ロールズが謂う所の「無知のベール」で覆って、まずは、廃棄物処理所を建設した際の周辺住民への補償に関する普遍的な法を決め、しかる後に、広域的な範囲でレファレンダムを行えばよい。エゴを否定するのは、常に普遍的な(相手の立場になることができる)法なのである。
7. 投票回数が増えると投票率が下がる
国民の多くは政治に無関心で、選挙をやっても投票率が低いから、本当の民主主義にはならないと言う人もいる。たしかに、国政選挙を例にとっても、投票率は下落傾向にある。かつて70%前後あった衆議院議員選挙の投票率は、平成8年には始めて60%を切り、参議院議員選挙にいたっては、平成7年に45%にまで落ち込んだ。
このことは政治に関心のある人が、有権者の半分程度しかいないということを意味するのではない。政治に関心があるにもかかわらず、いやそれゆえに、現在の政治に幻滅を感じている無党派層はたくさんいるのである。そうした人々は、おそらくレファレンダムを棄権しないであろう。投票率を上げるには、有権者から、間接民主主義につきまとう隔靴靴痒(かっかそうよう)の感を拭い去る必要がある。
今ある有権者が、法案Bが議会で成立することを希望しているとする。その時、代議制民主主義では、次のような不確定性がある。
- Bを公約にしている代議士Cがいるかどうか不確定
- Cがいても、当選するかどうか不確定
- Cが当選しても、Cが公約を守るかどうか不確定
- Cが公約を守ろうとしても、実現するかどうか不確定
Bが法律となることの価値が大きくても、それにこうした四つの不確定性の確率係数を乗ずると、その積は限りなくゼロに近づく。その結果、多くのサイレントマジョリティにとって、情報を収集したり、投票所まで外出したりするのに必要な時間の機会費用の方が投票の利益を上回ってしまうのである。[2]
インターネット投票なら、自宅で簡単に投票したり、投票についての関連情報を集めたりすることができるので、投票のコストは下がり、不確定要素が減るので一票の価値が増える。だから、投票率は増える。投票回数が増えても、例えば、毎週日曜日には、必ず何らかの投票があるということになれば、かえって忘れる人もいなくなるだろう。
もちろん実際の投票率は、採決事項の内容にもよる。あまりにも特殊な案件で有権者全体の関心を呼ばず、投票率が低くなる場合でも、関係者にとっては深刻な問題であることがあるから、そうした人々による投票の結果はやはり尊重されるべきである。
8. 代議士をどう説得するか
最後に、私の提案したレファレンダムが、本当に実現する可能性があるのかという現実主義者の疑問に答えたい。言うまでもなく、この制度を実現する上での最大の障害は、権力を失う代議士たちである。国政選挙について言うと、憲法改正には衆参両院の総議員の3分の2以上が賛成する必要がある。だが参議院議員が、自らの失業を圧倒的多数で賛成するだろうか。衆議院議員が、自らの権限の縮小を圧倒的多数で賛成するだろうか。そのようなことはまずありえない。
だから、国会議員を説得するために、国民投票が代議士にとっても大きなメリットをもたらすことを示さなければならない。そのメリットとは、圧力団体の拘束(A)や党議拘束(B)から自由になって、自分の政治的良心に忠実になれるれるということである。
- 現在各種の圧力団体が選挙後援や政治献金をして自分たちの息のかかった議員を国会に送り込もうとするのは、国会での決定がそのまま政府によって実行されるからである。しかし新しいシステムのもとでは、特定団体の利害を露骨に反映した法案は国民投票で排除されるから、圧力団体は政治に期待しなくなる。その結果、政財界の癒着は弱まるし、そうなれば選挙費用の相場も全体として下がることになるだろう。代議士は民意の伝達者としてよりも、政策立案・法案作成のプロとしての性格を帯びるようになる。政策秘書を増やすことによって、失業する参議院議員の雇用を吸収することができる。
- 代議士は、自分の主義主張と党執行部の方針が食い違うとき、苦悩する。与党の大政党によくあることである。しかし直接民主主義では、もはや過半数を取るための巨大政党は不要になる。その結果多くの小政党ができることになるが、小さな政党では、党執行部と代議士個人の距離は短くなる。またAとの関係で言えば、資金面でも政党の魅力は薄くなる。だから、党が代議士を拘束することがなくなる。
レファレンダムで不利益を被るのは、与党の執行部だけである。与党の主流派が、全議員数の半分の半分だとすると、レファレンダムによって利益を得るのは全議員の4分の3ということになり、3分の2を越える。だから野党と与党の反主流派が足並みを揃えれば、憲法改正は不可能ではない。もちろん与党議員が利権色の強い政治屋ばかりであるならば、このようなわけにはいかない。政治屋が減って政策家が増えることは、レファレンダム導入の結果である以前に前提でもあるのだ。選挙で、土下座をする政治屋ではなくて、政策立案能力のある候補者を選ぶことが、まず第一歩である。
9. 追記(1)レファレンダムとしての郵政選挙
2005年9月9日の記事「参院反対派の鴻池氏、郵政法案賛成に 青木氏と会談」 へのコメント。9月11日の衆院選で自民党が圧勝したことで、郵政民営化関連法案の成立が確実になり、参院反対派のリーダー格の鴻池祥肇元防災担当相(下の写真)をはじめとする11人が賛成に転換する考えを示しましたが、これで間接民主主義が不要であることがますますはっきりするようになりました。
9月11日の衆院選で自民党が圧勝したことで、郵政民営化関連法案の成立が確実になりました。参院反対派のリーダー格の鴻池祥肇元防災担当相をはじめとする11人が「衆院選の結果は尊重すべきだ」などとして賛成に転換する考えを示したからだです。
もしも、議員が、世論の動向で判断を変えるたんなる民意の伝達者にすぎないのならば、その議員を、維持費がもっと安くて、かつ確実に民意を伝えるネットの回線で置き換えた方がよいでしょう。私は、本論で、《人を選ぶ選挙》よりも《法案を選ぶ選挙》をやれと主張しましたが、今回の選挙を見て、ますますその思いを強くしました。
今回は、解散の経緯からして、郵政民営化に賛成するか否かが最大の争点となり、レファレンダムに近い選挙となりました。「小泉劇場」などと揶揄されましたが、選挙の争点がわかりやすいということはよいことですし、そのためか、投票率も小選挙区で67%前後と、小選挙区比例代表並立制が導入された1996年以降で最高となりました。
しかし、今回の選挙は、《法案を選ぶ選挙》としての性格が強いにもかかわらず、実際には《人を選ぶ選挙》であることを忘れてはいけません。2/3を獲得した与党が、その議席数を利用して、有権者が望まない法案を通すということも考えられます。そして、ここに、直接民主主義でないと解決できない、間接民主主義の根本的な問題があります。
10. 追記(2)日本の民主主義は衆愚政治か
『海外情報のプログ』の「メディア選挙」に対するコメント。国家における民主主義と企業における株主中心主義は同じなのか、政治の方針を国民に、企業の経営方針を株主に委ねてもよいのかどうかについて。
たまに日本に帰ると悲惨極まりない様態になっている。将に衆愚政治、劇場政治のなれの果てだ・・・時間的視野があまりに短すぎる。[5]
今の日本の民主主義は、衆愚政治でしょうか。今回の衆議院選挙での有権者の選択(郵政事業民営化の肯定)は、思惑はそれぞれでしょうが、結果としては正しいものだったと思います。
民主主義というのは、株式会社における株主重視と同じ原理です。取締役が、資金を投じた株主の意向に従わなければならないように、国家の指導者は、税金を納めている国民の意向に従わなければなりません。
株主が、選択を誤って、自分の投資資金を失ったとしても、それは自業自得です。人間は失敗をしなければ、賢くなりません。同じことは、民主主義についても言えます。大衆が愚かだからといって、選択する権限を与えないと、ますます愚かになります。大衆が判断を間違うこともありますが、その間違いが自分の不利益になることを体験して、賢くなってもらうしかありません。
11. 参照情報
- 待鳥聡史『代議制民主主義「民意」と「政治家」を問い直す』中央公論新社 (2015/11/25).
- 今井一, 『国民投票の総て』制作・普及委員会『国民投票の総て 増補 電子書籍版』小学館 (2018/8/31).
- 甘野雅彦『ぼくらの直接民主主義!: ロストジェネレーションが語る明日の日本』七つ森書館 (2019/2/27).
- ↑Tomohisa suna. “2011年東京都知事選挙ポスター.” Taken on April 6, 2011. Licensed under CC-BY-SA.
- ↑永井俊哉「民主主義のパラドックス」2001年2月11日.
- ↑Ogiyoshisan. “鴻池祥肇." Licensed under CC-BY.
- ↑Ggia. “Greek referendum 2015: demonstration for voting NO at Syntagma square, Athens Greece." Licensed under CC-BY-SA.
- ↑Koji."メディア選挙“.『海外情報のプログ』2005-08-27 10:57.
ディスカッション
コメント一覧
直接民主主義をどう取り入れていくか、中々適切な答えを見出すのは難しいが、全体的な合理性あるSystemとして素晴しい構想だ。
特に、一旦施行された法律に問題がある時、それを民意に基づいて改正したり、廃止したりすることがとてもやりやすくなると思う。
今の代議制民主主義では決まるまでやたらと時間がかかる一方、一旦決まるとそれに問題があっても柔軟に変え、覆すことがとても難しい。
法律を実際に社会に適応して試す、その結果を見て柔軟に変えていくということが容易にできるようになれば、社会の矛盾が速やかに解決されていくよき国になる。
永井さんはこのような速やかで柔軟な事後改変が担保されているが故に政治制度・法律を実社会で容易に試すことができるならば、社会は圧倒的によくなると思いませんか?
反対です。
議員は選挙によって評価されますが、インターネットを使って政策を投票する国民は評価されません。したがって、国民は政策決定において議員に比べて利己的な感情が先行します。
それは、現実に利益をもたらさない将来志向の政策を支持する人間が減るということを意味します。
もちろん議員にもそういう類の人間はいます。
しかし、割合でいうと議員の方が少ない。議員のほうがましです。なぜなら、上で述べた「選挙で評価されるから」ということと、「いざというときは自分の立場を捨てて(政治生命に賭けて)利他的に決断する人間の割合が国民に比べて多いから」です。
つまり、利他的に決断できる人間の割合が、国民全体より、与党全体の方が多いということです。
たとえば、消費税の導入を思い出して下さい。国民は大多数が反対でしたが、竹下登が無理やり成立させました。
>現在の政治システムの問題点は、ある特定の少数の意志、例えば特定の圧力団体の意向が、他の少数の意志を押さえることができるところにある。
ということですが、これがメリットになることがあるということです。
デメリットとしては、土建屋が異常に儲かってるということがありますが、国民が常に圧力をかけていく、という程度にとどめるのが望ましいです。政治家に裁量権をたーくさんもたせるべきです。
民主主義くそくらえってことです。
議員にとって利他的な決断とは、その支持者にとっては利己的な決断ですから、同じことです。直接民主主義でも、間接民主主義でも、政治というものは、所詮利己主義のぶつかりあいです。
インターネットなど情報技術を活用し直接民主主義実現を目指すハンガリーの政党、インターネット民主党。ご参照ください。
日本史上初のインターネット直接民主主義政党DDGJ
私は直接間接並立民主制に賛成していますが、その導入には外交や国防、経済などの国家の存続に関わる重要な政策や法案に、我々国民が自分たちの判断に信頼と責任を持つことが出来るかどうかが重要になってくると思います。
私としては、ある政策や法案に関して国民が直接判断を下すか代議士に判断を下させるか否か、そのつど国民投票をさせると良いと思います(もちろんネットで)。
私が思うに、民主主義というのは結局「民衆が民衆自身を信頼すること」に成り立っていると思います。だから、ある法案や政策に関して我々が判断を下さねばならない局面になったときに、我々はその都度我々自身を信頼することが出来るか否か、その意志を確認する必要があると思うのです。それが我々自身にとっても賢明な政治参加態度であると思われます。
もしも我々が我々自身を信頼出来なければ、代議士やエリートにその判断を託す。もしも我々自身を信頼出来るのであれば我々自ら直接判断を下す。それが私が今考えている直接間接並立民主制の在り方です。
「悪法もまた法なり」
ソクラテスが言った(プラトンの創作でなければですが…)この言葉には民主主義に対する並々ならぬ決意を私は感じます。「我々が我々自身の判断を信頼した結果、それによってたとえ個人的には悪法だと思えるような法が出来あがったとしても、たとえその政策が愚策なものだと思えても、たとえ国家存亡の危機に陥ったとしても、その結末を受け入れる覚悟がなければならない。」ソクラテスの言葉からはそのような強い信念と誇りを感じます。その「我々が自らの意志で下した」という判断に誇りと信頼を持つことが出来るか否か、それを問うことが直接民主主義を採用する際に必要だと思います。
確か、ソクラテスはアテネが直接民主制であることを相当誇っていたと思います。それだけソクラテスは民衆一人一人が自立的に意志判断を下すことが素晴らしいと思っていたのでしょう。
今後もしも直接民主制に関する議論が国民の間で白熱した場合、私が国民一人一人に望むのはその効果的な運用方法やメリット・デメリット、権利・義務云々の議論よりも、ソクラテスのような民主主義に対する覚悟と信念が国民にあるか否か国民一人一人が自問することです。間接民主制にしろ直接民主制にしろ、民主主義である以上我々自身の責任を自覚しなければならないことには変わりないし、既にしている方もいるでしょうが、直民主制を導入したいのであれば、それはより一層重いものとなるでしょう。それについて考えることが、直接民主制を導入する第一歩になるのではないでしょうか。
直接間接並立民主主義に関する具体的な議論ではなく、思想的倫理的なことを長々と述べてしまいました。しかし、最近のネット上での直接民主制への議論の盛り上がりぶりを見て、私のようなことを述べている人を見ることがなかったのが気になってコメントした次第です。
永井様と他にコメントされた方々の議論は大変参考になりました。これにて失礼致します。
(直接/間接の)関与の度合いに差こそあれ、概ね賛成です。
十数年前から鬱積されてきた政治に対する不満を、明確に文章で読み感動いたしました。
多分私が生きているうちには実現不可能でしょうが、今後の動きに期待します。選挙の度に白票を投じるのにはウンザリしましたので…
電子投票システムとして、漠然と思ったシステム的な面を
つらつらと書いてみました。
長くなってしまい、申し訳ありませんが
こんなイメージでよろしいんですかね?
おかしなところや足りない点があれば
バシバシつっこみください。
・データの分散について
アプリケーションについては、Webサーバはどこにでも分散可能ですから
全国津々浦々のデータセンターに配置すればいいと思います。(数十箇所もあれば十分でしょう。)
DNSで名前解決をラウンドロビンしてあれば、サーバの負荷分散にもなりますしね。
問題は、データ保持についてですかね。
DBサーバも、負荷分散として複数箇所にミラーリング可能ですが
データを保持するストレージは、どうしても一元管理しないと整合性が保てませんからね。
各地域(地方とか、都道府県レベル?)別にストレージを配備しておき
集計時間になったら、全国のストレージデータを集計システムで集計する
方式を採れば、一応負荷分散的な意味合いでのデータ分散は可能ですね。
セキュリティ的な意味合いでのストレージ分散は難しいですが。
・IDパスワードの盗難防止について
IDについては、主キーとして管理する値を用いるべきです。できれば、半角英数10桁以上。
主キーは同じ値を複数持てませんから、一度投票したら再投票はできなくなります。
また、総当り攻撃を防ぐべく、3回パスワードを間違えたら
1、2時間程度は再アクセスできないようにするのも重要です。
それと、ID/パスワード用紙には書かれていない
生年月日とか、身長とか、視力、握力とか何でもいいので
何か赤の他人では全く分からない個人情報を記入し、認証させる仕組みを入れられれば
より強固なセキュリティになります。
万一、パスワードを盗まれて他人に投票され、自らの意に反した投票がなされている場合
もしくは、不正パスワードアタックによりアクセスできない状況にある場合は
取り消し画面から、用紙に書かれているIDとパスワードを入力することで
なりすまされた投票結果を解除し、再投票できるようにすればよい。
本来無投票な人が、パスワードクラックされて投票された場合については
不正確認をする術がありません。
この場合は、正式な投票として認めざるを得ないでしょう。
ないしは、選挙前に「自分は投票しない」旨を選挙管理委員会へ届け出ておくのもありか。
セキュリティを考えて、ID/パスワードは変更できないようにしたいですね。
アクセスについては、セキュリティが重要ですから
Webサーバには、暗号化機能を提供するSSLをインストールし
https通信のみを許可するべきです。
・集計について
また、投票(オンラインシステム)と集計(バッチシステム)は
すべてITで自動化可能ですから、投票から集計まで含めて全てITで行うべきです。
集計協力者など必要ありません。むしろ、集計に人手を介するようなことをすれば
集計結果を、より恣意的に改ざんされるリスクが大きくなると考えます。
ましてや、インターネットを敵対視している「マスコミ」に集計させるだなんて…あり得ない話です。
開票結果のイメージについては
例えば、夜8時までに投票を終わらせる。
で、8時半から集計のバッチプログラムが稼動し
夜9時に開票結果がネットに公示される
というようなスタイルがいいと思います。
あと、投票率が7割だか8割だかを下回る場合は
議論不十分ということで、再投票とするようにしないと
こういう投票は意味がないと思います。
7割の過半数って、全体の35%ですよ?8割でも40%。
全体の35%~40%しか信任されてないものは採用されないべきでしょ?
こんなの多数決じゃないです。
否決率が、不投票者も含む有権者全体の過半数に至らないもののみが
法案として採択されるべきでは?
ちなみに、不投票・棄権ということは、「否決」にカウントされるべきだと思います。
せっかく画期的な制度なんだから
あるべき姿を志向したいですよね。
実は、現在の選挙での本人確認はかなりいい加減で、選挙の時には、各有権者に郵送される「選挙のお知らせ」という葉書を投票所に持っていくことになっていますが、これがなくても投票できるし、身分証明書による本人確認もなされません。つまり、有権者以外が投票をしても、その有権者本人が棄権していれば、ばれないということになります。
そういえば、2010年3月31日の参院本会議採決の際、若林正俊議員が、不在の青木幹雄議員の投票ボタンを代わりに押したことが、映像から判明しましたが、9回目までばれなかったというのですから、こちらもかなり杜撰です。日本の投票システムは、性善説に基づいて設計されているのでしょうか。
これと比べると、インターネットでの投票の方が、ご提案のような方法などで、より厳格な本人確認が行えるのではないかと思います。懸念するべき問題は、投票結果が、権力者によって勝手に改竄されるのではないかという点で、だからこそ、第三者(必ずしもマスコミである必要はない)による同時並行チェックのシステムを提案した次第です。何か他に良いアイデアはありますか。