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拒食症はダイエットが原因か

2001年9月8日

拒食症とは、スリムになりたいという若い女性の間で普通に見られる願望から始められた過度のダイエットが原因の病気だと言われている。世の親たちが、こうした常識的な判断で我が子の拒食症を理解し、自分に向けられた本当のメッセージを読み取ることがないなら、子供の拒食症を直すことができないだろう。

Photo by Randy Fath on Unsplash + Image by Christian Dorn from Pixabay modified by me
拒食症患者の中には、十分痩せていても、まだ自分が太っていると思って、ダイエットを続ける人もいる。

1. 体で示す受容拒否のメッセージ

拒食症は、過食症とともに、神経性の摂食障害とされる。かつて器質性とされた。だが、現在では、そうでないことが実証されている。拒食症も過食症も、純粋な精神的病気である。

過食症とは、たんに食べ過ぎて太ることではない。過食症患者は、やけ食いした後に、しばしば食べたものを全部吐く。だから、拒食と過食は一見正反対の現象のようだが、実は同じ摂食拒否の二つの症状に過ぎない。拒食は、読み方を変えずに、巨食と書き換えることができるし、過食も、読み方を変えずに、寡食と書き換えることができる。実際、拒食期と過食期を交互に繰り返す患者が多い。

拒食症の原因は何だろうか。摂食障害は、思春期から20才代の女性に多い。だから、拒食や嘔吐は、スタイルを気にする若い女性が実践しているダイエットと誤解されやすい。

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しかし、調査から、肥満度と拒食症発生率との間には相関性がないことがわかっている。「太っているから、食べない」というのは、たんなる口実なのである。はじめから痩せている女性の場合、痩せているのに太っていると主張するか、もしくは「食べると眠くなって、頭が冴えない」といった言い訳で拒食症をカムフラージュしようとする。

戦争に反対してハンガー・ストライキをする人は、食べ物の受け入れを拒否することによって、戦争の受け入れの拒否を、身をもって示している。拒食症はハンガー・ストライキによく似ている。違いは、ハンガーストライキの実行者が、何に抗議しているのかを明確に意識しているのに対して、拒食症患者はそうではないというところにある。いや、意識したがらないといった方が正確である。なぜ、拒食症患者たちが、「ダイエットのため」などといった世間受けする口実で、真の動機をカムフラージュする必要があるのかは、これから説明しよう。

2. ルサンチマンゆえのカムフラージュ

拒食症や過食症はちょっとしたことから発病する。過食症は、例えば、失恋がきっかけで起きる。満たされない愛への渇望を満たそうとするかのごとく、失恋した人はやけ食いを続ける。そして冷蔵庫を空にするぐらい食べたあげく、それをすべて吐いてしまう。それは、相手に受け入れてもらおうとする私の想いが、相手に拒否され、突き返され、無惨な姿になったことの象徴的反復である。過食期の摂食障害者は、抑鬱的な自己嫌悪に陥り、今にも自殺しそうな感情状態にあるが、それは、過食嘔吐が、自分の挫折を認める行為だからである。

自尊心のある女性なら、ふられても、涙を流して卑屈になったりしない。自分を拒否して自分の価値を貶めた相手を拒否し返し、自尊心を保とうとする。「何だ、あんな男、たいしてハンサムでもないし」と相手の欠陥を見つけて、相手の価値を引き下げ、究極的には「私はもともと彼氏なんて欲しくないんだ」と無欲を装って開き直り、傷ついた自己を防衛しようとする。拒食症とは、拒否を拒否し返す象徴的報復であり、ルサンチマンである。それは、自らを傷つけないために傷つける自傷症の一種である。自尊心が防衛されるがゆえに、拒食期の摂食障害者は、身体の衰弱に反比例するかのように、明るく活発となり、気分は躁状態となる(痩は躁と読み方までが同じである)。しかし、彼女たちの空っぽの胃袋がそれを象徴するように、彼女たちの軽くなった心身の快活さにはむなしさが付きまとう。

ルサンチマンの目的を達成するためには、自分の無欲がルサンチマンの結果であることを隠さなければならない。ルサンチマンであることを認めてしまうと、「自分は、本当は受け入れて欲しいのだ」という欲望があることを認めてしまうことになる。それを認めてしまうと、過食期の惨めな鬱状態に落ち込んでしまう。だから、拒食者は、ルサンチマンであることを悟られないように、「ダイエット」などの口実で、拒食をカムフラージュしようとするのである。

3. 拒食症のメッセージは母親に向けられている

ところで、失恋程度の挫折なら誰にでもあるが、それによって誰もが摂食障害になるわけではない。実は、発症のきっかけは、たんなるきっかけで、本当の原因を探るには、患者の幼児体験にまで遡らなければならない。

現代的な青少年の心の病は、古典的家庭には普通に見られた、模範的権威としての父親とありのままの自分を受け入れてくれるよき理解者としての母親が存在しないことを背景にしていることが多いが、摂食障害にもこれがあてはまる。摂食障害者の家庭環境を調べてみると、父親の存在は希薄で、母親は専横で寛容さに欠け、過度に批判的というケースが多い。

拒食症の娘が、自分の体を、ボーイッシュな鋭さを持った棒のような身体にするのは、ファルスが不在であるがゆえに、自らの身体をファルスの形に近づけようとしていると解釈することもできる。しかし、摂食障害では、父親の問題はあまり大きくない。重要なのは母親の方である。

摂食障害者の母親は、しばしば夫や姑に対する愚痴の捌け口を子供に求める。子供の理解者になろうとはせず、逆に子供を自分の理解者にしようとする。さらにはお稽古事やお受験などで、子供を自分の虚栄心を満たすための道具にする。しかも、それが子供を愛することだと誤解している。母親は、拒食症の子供を「手のかからないよい子」と認識しており、「あんなに従順だったよい子がなぜ拒食症に」と戸惑う。しかし子供に事情を聞くと、「母親には、手をかけてもらえなかった」という不満の声が返ってくる。母子の間に認識のギャップがある。

母親が拒食症に狼狽すればするほど、子供の拒食症はひどくなる。拒食症が、ありのままの自分を受け入れてくれなかった母親に対して、食事を受け入れないことによって行われる報復であるからだ。拒食症の子供は、家族と囲む食卓においては、食事を拒否するが、かげではこっそりつまみ食いをする。このことは、子供は、本当は母親の愛に飢えていることを意味する。摂食障害者の中には、母の蒲団にもぐりこんで抱きつこうとするなど、幼児への退行を示すものも少なくない。だが、甘えさせてもらえないと、一転して悪態をつく。この極端から極端への変身は、過食から拒食へのルサンチマン的な反転と厳密に一致する。

もともとよき理解者でない母親は、えてして子供の真意が理解できない。鈴木その子は「子供は放ったらかしにすること」が信念だと言う。「子供は世話をやいてあげるより、放っておいた方が、自分で考え、自分で行動し、自分で結果を出す努力をする」という彼女の教育方針は、長男には理解してもらえなかったようだ。長男は、その子に対して、「ママの両親も、兄弟も、今の家族の中でも、ママが本気で愛している相手もいないし、ママを一番愛している家族もいないね」と言っている。長男は拒食症となり、脳貧血を起こして、5階のベランダから転落死した。これをきっかけに、鈴木その子は、食べて痩せられるダイエット法の開発にのりだした。彼女は、最後まで息子が身をもって発したメッセージが読み取れなかったのである。