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イニシエーションとは何か

2001年6月9日

イニシエーションとは、入社式または加入礼とも呼ばれる、通過儀礼の一つである。外部の人間が新たに共同体に加入する時、しばしば苦痛を伴う儀式の洗礼を受けなければならない。こうしたイニシエーションがなぜ必要なのかをシステム論的に考えてみよう。

Photo by Leo Moko on Unsplash
南アフリカのケープタウンで行われている儀式。[1]

1. イニシエーションとしての成人式

代表的なイニシエーションは、男の子(場合によっては女の子)が、母親との甘えた関係を断ち切り、成人の仲間入りをするときに受ける割礼である。割礼とは性器の一部を「断ち切る」儀式で、男の子の割礼の場合には陰茎包皮を切除し、女の子の割礼の場合には陰核の全体あるいは一部を切除する。割礼は、イスラム教圏、ユダヤ教圏、アフリカ、アジア、オーストラリア等で行われ、全世界の割礼人口は10億人と推定されている。

日本の成人式では、割礼は行われないが、縄文時代では、上顎の両犬歯と、下顎の前歯2本を左右対称に抜き取る抜歯が、成人となるためのイニシエーションとして行われていた。今でもオーストラリアでは、抜歯をしている民族がいる。この他、小指や耳たぶの切断、鼻の隔膜や処女膜の穿孔、頭蓋変形、唇や首の伸長、瘢痕文身など、痛々しい身体毀損と暴力がイニシエーションとして世界各地で行われている。

2. イニシエーションとしての入学式

暴力を伴うイニシエーションは、遠い過去のあるいは未開の社会で行われている野蛮な習慣というわけではない。現代の日本でも、イニシエーションを目にすることができる。個人的な体験談で恐縮だが、応援団の先輩が一年生全員をしごく歌唱指導という行事は、私が高校に入学した時に経験したイニシエーションだった。一週間にわたって、新入生は二種類の校歌に寮歌を加えた三種類の歌と応援を練習する。歌や振り付けを間違えたり、たるんでいると受け取られたりすると、応援団員に「ふらふらしてんな!」と怒鳴られ、ど突かれる。こうしたバンカラなセレモニーは、創立が古い田舎の高校によく見られる。

そうした練習が、その後何かの行事で本番を迎えたことはなかったし、大体、寮など廃止されてなくなっていたから、寮歌を覚えることなど無意味である。歌唱指導は、それがイニシエーションであることを除けば、正当化する理由は何もない。すなわち、歌唱指導の本当のねらいは、応援団員という最も愛校心の強い先輩たちが、校歌という集団との自己同一の象徴を新入生に叩き込むことによって、彼らに集団の一員としての自覚を持たせるところにある。

一般的に言って、日本の大学や高校は、海外の学校とは異なって、卒業よりも入学の方が難しい。このことは、日本の学校が、機能的・手段的性格よりも、共同体的性格を強く帯びていることを示している。入学試験に合格するために、受験勉強という苦難を経ることも、一種のイニシエーションである。

3. イニシエーションとしての入社研修

学校だけでなく、会社に入る時にも、似たような、苦痛を伴うイニシエーションを受けなければならない場合がある。最近では、企業も、定年までの人生をそこで過ごす共同体ではなくなりつつあり、機能的・手段的になっているから、しごき型の研修は減ってきているが、かつては、次のような研修がよく行われていた。

「仕事は男の戦場だ」「気力は体力に先行する」

1969年(昭和44年)、都内の電機メーカーの社員だった男性は、箱根山中の研修所で、大きな声を張り上げた。天井からは、黒墨で書かれたげき文がつるされていた。2泊3日のスケジュールで、テーマごとの討論会は、相手を論破するまで延々続く。討論というよりは、ば声の飛ばし合いに近い。中には、精神的に追い詰められ、泣きだす社員もいた。睡眠をほとんど取れないのに、早朝からは2キロのマラソンも強制され、講師がムチのようなものを持って追いかけてきたという。

現在、50代になるこの男性は研修を振り返り、「参加しつつどこか冷ややかに見ていた。今も酒の席で話題になったりするが、あの研修が仕事で役に立ったとは思わない」と語った。[2]

この男性は、研修の意味をあまり理解していないようだ。しごき型の研修が実用的でないのは、私が受けた歌唱指導が実用的でないのと同じことである。何十年も経った後でも、酒の席で話題になるのなら、この研修は、本来の目的を達成しているということができる。もしも、入社の時、社長の退屈な話を聞くだけだったならば、それも一種のイニシエーションではあるが、決して、これほど記憶に残ることはなかっただろう。

4. イニシエーションとスケープゴートとの関係

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1800年ごろに行われていたフリーメーソンにおけるイニシエーションの儀式。[3]

通過儀礼の原型は、出産である。子宮から、狭い隘路を経て、この世に生まれ出る過程は、死ぬときと同様に、大変に苦痛に満ちたものなのだそうだ。成人になるなど、新たな生まれ変わりをするとき、擬似的に出産のプロセスが反復される。しかし、イニシエーションとしての通過儀礼には、システム論的観点からすると、別の機能もある。

入所式としてのイニシエーションとスケープゴートは、方向は反対だが、機能は同じである。すなわち、自分たちと異質であるにもかかわらず、自分たちと同じ共同体に属する中間的存在を完全に排除することにより、共同体の境界(システムと環境の差異)を明確にすることがスケープゴートであるのに対して、外部から自分たちと同質のメンバーとなる中間的存在者に、境界を意識させることにより、共同体の境界(システムと環境の差異)を明確にすることがイニシエーションなのである。どちらのケースでも、中間的存在者が境界を通過する時、暴力がふるわれるという現象が起きることが多い。

通過儀礼一般には、暴力は必ずしも必要ではない。例えば、結婚式は、イニシエーションとしての性格がない通過儀礼であるから、既存のメンバーから暴力を振るわれるということは、まずない。しかし、既存のメンバーがいる集団に入る時には、境界を通過する新参者に何らかの苦痛を味合わせることによって、境界をはっきりさせ、システムと環境との差異である、システムの秩序を維持しなければならないわけである。

5. 参照情報

  1. Leo Moko (@leomoko) . “Human, person, tribe and festival.” Licensed under CC-0.
  2. 人と情報の研究所「会社人間養成 研修ブーム」Original:『読売新聞』朝刊平成12年3月17日.
  3. Wikimedia. “Initiation of an apprentice Freemason around 1800. This engraving is based on that of Gabanon on the same subject dated 1745. The costumes of the participants are changed to the English fashion at the start of the 19th C and the engraving is coloured, but otherwise is that of 1745.” Licensed under CC-0.