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貨幣とは何か

2001年2月25日

貨幣は、かつては金や銀など、価値のある財であったが、今では、それ自体では、取るに足りない金属や紙のかけらあるいは電子情報に過ぎない。それにもかかわらず、なぜ貨幣には価値があるのか。共同幻想に基づく惰性によるのか、それとも根拠があって貨幣は流通するのかを考えてみよう。[1]

Image by Frauke Feind + 200 Degrees from Pixabay modified by me

1. 貨幣の機能は何か

貨幣は、交換の相手が、自分が望む商品を所有しているかどうかという不確定性と自分が所有している商品を望んでいるかどうかという不確定性からなるダブルコンティンジェンシーを縮減するがゆえに、交換媒体(コミュニケーション・メディア)である。

今、n人が、それぞれ自分で消費するつもりのない異なった等価の商品を一つづつ持っていて、かつ他者が所有する商品を一つだけ求めているとしよう。任意の二人の間で交換が成立する確率は、1/(n-1)2 でしかない。逆に言えば、物々交換の不便を解消するシステムは、エントロピーを 2log(n-1) 減らすことができるということである。

実際には、すべての商品が等価というわけではないから、自他の欲望が一致することはさらにまれである。もし相互に、相手が望む商品を所有していないのならば、その商品を自らの労働によって生産しなければならない。ところがこのとき、囚人のジレンマが発生する。

今、魚を手に入れることを望む山の住人と猪の肉を手に入れることを望む海辺の住人が、一定の日にまでに、それぞれ一定量の猪と魚を捕獲して、交換する約束をしたとする。

このとき、山の住人は、次のように推論する。

相手が約束の期日に、約束しただけの魚を捕るかどうかわからない。もし相手が約束を破るなら、私は自分で消費するつもりのない余計な猪を獲る必要はない。もし相手が約束通り魚を捕ったとしても、相手は自分ですべての魚を消費できないのだから、食べ残った魚を盗めばよい。

もちろん、海辺の住人も同じ戦略を考える。その結果、どちらも約束を破って自分が消費できる分しか生産しないから、ナッシュ均衡は自給自足ということになる。しかしこれは最も望ましい状態ではない。比較優位の理論が教えるように、たとえ一方が他方に対して絶対優位の競争力があったとしても、分業と交易は、全員の利益を増加させるからだ。では、分業と交易はいかにして可能か。

分業と交易に躊躇している二人の前に、価値があるならどんな商品をも受け入れ、それを誰にとっても価値がある等価商品と交換し、そして別の商品が欲しくなった時には、それと等価な任意の商品と交換してくれる信用できる豊かな第三者が現れれば、問題は解決する。貨幣という普遍的媒介を通して、山の住人は海辺の住人と魚と猪の交換をすることができる。

2. 貨幣はなぜ流通するのか

なぜ貨幣は誰にとっても価値あるものとして流通することができるのか。いったん流通すれば、貨幣が交換媒体、価値測定尺度、価値貯蔵手段として有用であることは自明である。しかし特定の財が貨幣となることに何か根拠があるのだろうか。かつて、金や銀などの貴金属が貨幣素材として使われていたが、今では卑金属や紙や電磁波がそれに取って代わっているので、貨幣を構成する素材に貨幣の価値の根拠を求めることはできない。

では、貨幣は法律で貨幣と定められているから貨幣なのだろうか。そうではない。法律で特定の財を貨幣として定めても、人々がそれを使うとは限らない[2]。また、民間企業でも、独自のマネーを発行できる。例えば、消費者がアンケートに答えてポイントを貯めると、それをプレゼントと交換することができるというルールを作れば、企業は貨幣を発行していることになる。

ならば、貨幣の価値には何の根拠もなく、ただこれまで貨幣として流通してきたから今も貨幣として流通しているだけなのだろうか。そうではない。もし貨幣が自己完結的な価値を持つならば、なぜ政府の財政赤字や政情の不安定化が通貨価値の下落をもたらすのかが説明できない。

3. 貨幣の価値を担保するものは何か

私は、貨幣とは発行者の資産と期待収益を担保とした証券であると考える。現在の貨幣は不換銀行券だから、政府や中央銀行に持って行っても何か価値ある商品と換えてもらえるわけではない。しかしそれは国民が税金を貨幣で納めているからである。政府は、その気になれば、江戸時代の幕府のように、税を物納させることもできる。その場合、中央銀行が発行する貨幣は、国有財産と歳入を担保にした証券であることがはっきりする。

もちろん、実際に発行されている貨幣価値の総計は、国有財産と歳入の規模をはるかに超えている。これは、政府の担保価値だけでは説明できない。むしろこのことは、交換媒体としての有用性により、価値がそれ以上に膨らまされていることを意味している[3]。しかし、それにも限度がある。政府の財政赤字が担保価値という観点から通貨価値を下げるのに対して、政情の不安定化は信用という点で通貨価値を下げる。

貨幣の額面価値と貨幣製造費用との差額はシニョリッジと呼ばれる[4]。現在最もシニョリッジの恩恵に浴しているのは、アメリカである。FRBは、ドル紙幣を世界の基軸通貨として国内で使える以上に発行できる。シニョリッジはしばしば不当な利益として非難されるが、実は信用という商品を作る政治的・軍事的労働への正当な報酬なのである。実際信用は不確実性(エントロピー)を減少させるがゆえに価値を生むのである。

日本が経済大国であるにもかかわらず、円がドルのように国際的に通用しないのは、国際社会における日本の政治的軍事的役割が小さいからである。貨幣が普遍的な価値を持つためには、発行者自身が普遍的存在でなければならない。

4. 参照情報

関連動画

「貨幣とは何か」に関するより新しい私の見解です。

現代貨幣理論、MMT は、財政赤字を容認する理論として、近年米国のみならず、日本でも大いに注目されています。このプレゼンテーションでは、現代貨幣理論の基本を解説しつつ、その是非を論じます。また、現代貨幣理論に基づいて日本の経済政策の転換を主張する中野剛志の令和の政策ピボット運動が正しいかどうかをも考えます。Source: YouTube.
関連著作
注釈一覧
  1. 本稿は、2001年2月25日のメルマガ記事「貨幣とは何か」に加筆修正を施して再掲したものである。
  2. 律令制下の日本は、和同開珎をはじめとする皇朝十二銭を鋳造したが、通貨としてあまり普及せず、10世紀末には鋳造が中止となり、以後、600年間、公的な貨幣が鋳造されなかった。国家が何かを貨幣にすると法律で決めるだけでは、通貨として普及しないことを示す事例である。
  3. 法定通貨は、信用貨幣であるだけでなく、商品貨幣でもあり、商品貨幣としての需要を満たす限りで、財政赤字は許容される。詳しくは、このページに埋め込んだ、2021年の関連動画を参照されたい。
  4. これは、マネタリー・シニョリッジだが、これ以外にも、インフレによって目減りする債務の実質価値であるインフレ税シニョリッジや発行した通貨で購入した資産から得られる収益である機会費用シニョリッジがある。