人類はなぜ農業を始めたのか

2001年6月16日

人類は、いつから農業を始めたのか。農業を始めたことで、人類の生活水準は本当に向上したのだろうか。狩猟と採取で生計を立てている民族を参考に、かつての人類の姿を想像しつつ、この問題を考えてみよう。

AnnaERによるPixabayからの画像

1. 狩猟民族は農耕民族よりも生活は楽である

今日、世界の辺境と呼ばれる地域で、農業や牧畜を営むことなく、狩猟と採取で生計を立てている未開民族がいる。私たちは、メディアを通じて「貧しく飢えた発展途上国の人々」というイメージを植え付けられているから、狩猟採取に従事する未開民族は、貧しくて不安定な生活を送っているに違いないと考えがちである。

しかし調査によれば、農業を行わない狩猟採集民が食物生産に費やす時間は、成人労働者一人当たり平均三時間から四時間である。残りの時間は、遊んで楽しむことができる。長時間労働を強いられ、過労死寸前の日本人にとっては、うらやましい限りである。農耕牧畜民族より、狩猟採集民族の方が豊かな生活を送っていると言ってよいぐらいである。

だから、例えば、アフリカの奥地に住む、食物獲得に費やす時間が平均二時間以下のハドサ族に、文明人が農業を教えようとすると、「この世にモンゴンゴの実がこんなにたくさんあるというのに、どうして植えなければならないのか」と言って拒否したとのことである。彼らは、農業を知らないから農業をしないのではなくて、余暇を守るために農業を拒否したのである。

2. 貧しさゆえに農業は始まった

では、私たちの祖先は、なぜあえて農業を始めたのかと不可解に思う人も読者の中にはいるであろう。実際、原始共産主義を賞賛する左翼くずれの経済人類学者の中には、この不可解さを利用して、農耕文化や工業文明を批判しようとする人がいる。人類は、農業革命、更には工業革命によって、より忙しく、かつより貧しくなったというわけである。

こうした農業批判は、現在の未開社会と過去の原始社会を同一視する誤謬の上に成り立っている。例えば、マーシャル・サーリンズが1972年に出版した、この分野での古典的著作『石器時代の経済学』は、タイトルとして"Stone Age Economics“を掲げながら、本文ではもっぱら現在観察できる未開社会の経済を記述している[1]。だが、「現在の未開社会にあてはまることは、すべて過去の原始社会についてもあてはまるはずだ」という思い込みは、「人間は猿から進化した」という通俗的進化論と同じく間違っている。正確には、人間と猿は共通の祖先を持つと言わなければならない。

文明社会に発展した過去の原始社会は、決していつも豊かであったわけではない。未開社会は豊かであるというよりも、豊かだからこそ、その地域は今に至るまで未開社会のままでいることができるのであって、私たちの祖先は、豊かでなかったから、農業を始めたと理解するべきである。

3. 人類はいつ農業を始めたのか

このことを確認するために、人類が農業を始めた歴史を振り返ってみよう。人類が食料を能動的に生産するようになったのは、氷河時代が終息した頃からだと考えられている。ウルム氷期が終わり、完新世が始まる局面で、地球の気温は大きく上昇したが、単調に上昇し続けたわけではなく、何度か寒冷化のゆれ戻しを経験している。温暖化のプロセスを、寒暖によって画期すると次のようになる。

  • プレニグレイシャル温暖期
  • オルデストドリアス寒冷期
  • ベーリング温暖期
  • オルダードリアス寒冷期
  • アレレード温暖期
  • ヤンガー・ドリアス寒冷期
  • プレボレアル温暖期
  • ボレアル寒冷期
  • アトランティック温暖期

この中でも、最大規模の寒冷化をもたらしたのは、11000-10000年前のヤンガー・ドリアス寒冷期である。ウルム氷期以来北米を覆っていたローレンタイド氷床の融氷水は、11500-11000年前までは、ミシシッピー川を経てメキシコ湾に流れていたが、11000年前頃、東側にあったマルキュティ氷河がなくなったために、セントローレンス川を経て、北太平洋に流れ込んだ。その結果、北大西洋の海水は、塩分濃度が薄まり、密度が小さくなり、これが深層海流の動きを止めてしまい、10年間で8-15度というスピードで気温を低下させた。その後、氷河の再結成により深層海流が復活し、温暖化が再開するが、この急激な寒冷化は、当時の人類経済に大きな影響を及ぼしたに違いない。

事実、西アジアの「肥沃な三日月地帯」の場合、11800-11000年前のアレレード温暖期の遺跡から野生種の植物が出土しているが、ジェリコやアスワルドなどのヤンガー・ドリアス寒冷期の遺跡からは、栽培種の小麦や大麦が大量に出土している。温暖期に人口を増加させた狩猟採取経済が、突然の環境悪化で重大な危機に直面したと想像できる。寒冷化による資源の減少が、人々に農業を強いたのである。

シリアにある、11500-7500年前頃とされる新石器時代の遺跡、アブ・フレイラ遺跡から出土した人骨には、脊髄損傷、足指の重い骨関節炎、大腿骨や膝の骨の変形といった、旧石器時代の狩猟生活を送っていた人類の骨には見られない特徴が確認されている。このことは、当時の農耕が、狩猟と異なって、いかに過酷な重労働であったかを物語っている。

もっともヤンガー・ドリアス寒冷期での農業が、人類最古の農業かどうかは疑問である。信憑性のほどはともかくとしても、オルデストドリアス寒冷期にあたる14000年前頃の中国江西省仙人洞遺跡と吊桶環遺跡で中国最初の土器とともに最初の栽培稲が見つかったという報告がある。温暖化後の激しい寒冷化なら、長い人類史上に何回も見られる現象であるから、ヤンガー・ドリアス寒冷期よりはるか以前に農業が行われていたとしても不思議ではない。

そもそも、最古の農業は、人類が誕生する以前から始まっていた。アリは、植物を栽培するだけでなく、アブラムシという家畜動物まで飼育している。アブラムシは、アリのおかげで天敵から保護され、アリは、アブラムシが分泌する蜜のしずくをもらっている。まるで人間と牛の関係のようだ。キノコシロアリは、空気調節されたシロアリ塚の中に培地を作り、独自に開発した品種のきのこを植え、栽培し、カワスズメの一種であるモンダブという魚は、湖底の砂を掘り起こし、そこに酸素を含んだ水を供給することによって、えさとなるユスリカの幼虫を養殖している[2]。これらは、"農業"をかなり古くから行われていたようだ。だから、能動的に食用の動植物を育てることとしての農業は、人間の英知を象徴する画期的な生産方法というわけではない。

4. 能力史観から必要史観へ

人類最古の農業がいつから始まったかという問題は措くとして、原始人が、温暖期ではなくて、農業がやりにくい寒冷期に農業を開始したことは興味深い。人間は保守的な動物だから、《できるからする》のではなくて、《しなければならないからする》というのが常なのだ。西アジアと東アジア以外の地域でも、農業を寒冷期に開始している。メキシコ北部でかぼちゃが栽培されたり、ニューギニア高地のクック沼地でタロが栽培されたりしたのは、9000年前で、これはボレアル寒冷期にあたる。

先史時代のエジプトや南米などでは、温暖化をきっかけに、農耕を放棄して狩猟に戻るということもあったようである。しかし、食糧生産革命という逆境期の技術革新で、生産性が向上し、温暖化を背景に人口がバブル的に増加した結果、環境が好転しているにもかかわらず、農業が放棄できなくなった不可逆的な時期がどこかであったようだ。少なくとも、今日、農業なくして50億の人口を養えないことは明白である。

生産力の増大が人口密度を高め、人口圧力がさらなる生産力の増大を求めるという循環のおかげで、人類は余暇を失っていった。しかし人類の進歩に対して悲観的になる必要はない。技術革新による生産性の向上自体は歓迎するべきことである。今後の私たちの課題は、生産性を低下させることなく人口を減らしていくことである。

5. 追記:最終氷期最盛期での農業

2001年に「ヤンガー・ドリアス寒冷期よりはるか以前に農業が行われていたとしても不思議ではない」と私は言っていたが、その後、イスラエル北部のガラリア湖南岸周辺に位置するオハロー(Ohalo)II 遺跡の調査から、最寒冷期(Last Glacial Maximum 最終氷期最盛期)中の約2万3千年前、試行的な農作物の栽培が行われていたと推測する報告が、2015年に公表された[3]。この遺跡から出土した 320 の大麦の穂軸の傷跡を調べたところ、36%に栽培型(以下の図の右側)が見られた。

image
左は野生型、右は栽培型の大麦の穂軸の傷跡。Source: “Wild-type (left) and domestic-type (right) scars in rachises of wild barley (Hordeum spontaneum) from Ohalo II.” Snir, Ainit, Dani Nadel, Iris Groman-Yaroslavski, Yoel Melamed, Marcelo Sternberg, Ofer Bar-Yosef, and Ehud Weiss. “The Origin of Cultivation and Proto-Weeds, Long Before Neolithic Farming.” PLOS ONE 10, no. 7 (July 22, 2015). Fig 3.

また大麦などの可食穀類に混じって、耕作に伴って繁殖する13種の既知の雑草の原型が見つかった。これらは一万年後に農業が再開されるときに見られる現象とよく似ている。刈り鎌なども出土し、計画的な収穫作業が行われていたことがわかる。但し、この試行的な農耕は、その後放棄され、ヤンガー・ドリアス寒冷期の本格的な農業との間には断絶がある。

このレポートは、寒冷化と乾燥化に伴う食糧不足という危機が人々をしぶしぶ農業に向かわせたという仮説の補強材料になりそうだ。ジャレド・ダイアモンドは、「農業への移行にともなって、一日あたりの平均労働時間が増加し、栄養が劣化し、感染症や身体摩耗が増加し、寿命が短くなった[4]」と言うが、因果関係がおかしい。寒冷化と乾燥化により食料が不足し、栄養が劣化し、感染症が増加し、寿命が短くなったからこそ、農業を行うようになり、その結果、一日あたりの平均労働時間が増加し、身体摩耗が増加したと考えるべきだ。

なお、最終氷期において、地球全体での氷の量が最大になったのは、2万6500年前であり、1万9千年前から2万年前にかけて、日射量の増加に伴い、温暖化が進み、北半球では最終氷期最盛期が終焉を迎えた[5]。オハローII 遺跡で農業が試みられたのは、その中間頃の時期である。2万6500年前に最終氷期最盛期が始まったことに関して、2万6500年前に起きたニュージーランド北島のタウポ湖周辺に位置するタウポ火山帯(Taupo Volcanic Zone)の噴火、オルアヌイ噴火(Oruanui Eruption)との関連が指摘されている[6]。これは過去7万年間で最大の火山噴火であった。火山灰で日光が遮られ、気温が低下し、氷河の量が増え、アルベド効果により、さらに寒冷化が進むというポジティブ・フィードバックが作動したというストーリーが考えられる。「氷河期」にも書いたとおり、氷河期のサイクル自体は、ミランコビッチ周期で説明されるものの、最終氷期最盛期の開始に関しては、こうした追加のファクターによる説明も可能だ。

6. 参照情報

  1. 但し、マーシャル・サーリンズは、本文で “anthropological economics” という言葉を使っている。Marshall David Sahlins. Stone Age Economics. Aldine De Gruyter (1972/06). p.3.
  2. 西田正規.「農耕は人間の智恵の所産か?」in『農耕と文明 (講座 文明と環境)』. ed. 梅原 猛, 安田 喜憲. 朝倉書店 (1995/05). p. 220-234.
  3. Snir, Ainit, Dani Nadel, Iris Groman-Yaroslavski, Yoel Melamed, Marcelo Sternberg, Ofer Bar-Yosef, and Ehud Weiss. “The Origin of Cultivation and Proto-Weeds, Long Before Neolithic Farming.” PLOS ONE 10, no. 7 (July 22, 2015): e0131422.
  4. “With the transition to agriculture, the average daily number of work hours increased, nutrition deteriorated, infectious disease and body wear increased, and lifespan shortened.” Jared Diamond. The World Until Yesterday: What Can We Learn from Traditional Societies?. Viking; 1版 (2012/12/31). p. 353.
  5. Clark, Peter U., Arthur S. Dyke, Jeremy D. Shakun, Anders E. Carlson, Jorie Clark, Barbara Wohlfarth, Jerry X. Mitrovica, Steven W. Hostetler, and A. Marshall McCabe. “The Last Glacial Maximum.” Science 325, no. 5941 (August 7, 2009): 710–14. なお南半球で最終氷期最盛期が終わるのはもっと後になってからのことである。
  6. Wilson, C. J. N., V. R. Switsur, and A. P. Ward. “A New 14C Age for the Oruanui (Wairakei) Eruption, New Zealand.” Geological Magazine 125, no. 3 (May 1988): 297–300.