江戸時代の人口調整方法
江戸時代中期以降の日本の人口には、あまり変動がなかった。武士など特殊階級を除く全国の人口は、幕府が調査を始めた1721年で2600万人、最も少ない時で2489万人(1792年)、最も多い時で2720万人(1828年)で、きわめて安定的に推移した。もし何も制約がなければ、人口は等比数列的に増えるはずである。では、江戸時代の日本では、どのようなメカニズムが人口爆発を抑制したのか。
1. 間引きの役割は過大視してはいけない
多くの人が思いつくのは、以下の絵馬に描かれているような間引きによる口減らしにちがいない。江戸時代中期以降、領主の禁令や教諭にもかかわらず、飢饉時の農村などで、圧殺・絞殺・生き埋めなどの方法により、乳幼児の殺生が行われたことは事実である。当時7歳以下の子どもは神の子とされ、いつでも神にお返しする(つまり殺す)ことができるとされていた。一種のクーリングオフである。だから、間引きは「子返し」とも呼ばれていた。
子返しのような粗っぽい方法は、あくまでも緊急避難的で例外的な方法であって、その役割を過大に評価してはいけない。そもそも、生んですぐ殺すぐらいなら、はじめから生まなければよい。その意味で、子返しは、賢明な人口増加抑制方法とは言えない。実際、江戸時代の人口調整は、恒常的には、もっと巧妙な間引きによって行われていた。
2. 長男だけが必要な社会
江戸幕府は、農地の細分化・農民の零細化を防ぐため、1673年に分地制限令を出し、これに伴って、農民の間でも嫡子単独相続が定着していった。分家の余地がある富農の場合を除き、長男のみが家督を相続するわけだから、必要なのは、長男だけということになる。しかしだからといって、次男以下の男の子を直ちに「神に返す」わけにはいかない。長男は夭折するかもしれないので、次男以下の男の子も、リスクヘッジのために必要だし、男の子がいない場合の養子縁組みのために、女の子も必要だった。
嫡子単独相続制における子供の生産をコンピュータにおけるコンテンツの生産に喩えてみよう。コンテンツの製作に際して、不要になったファイルはゴミ箱に入れられる。しかし、ゴミ箱に捨てたファイルは、必要になれば、いつでも呼び戻すことができる。いきなり消去することはリスクが高いので、さしあたり不要でも、万一に備えてゴミ箱にしばらく保管しておくのである。そして、ゴミ箱のファイルが増えて、ディスクの容量を圧迫し始めると、優先的に消される。
鳥類の中にも、長子優遇の人口調節システムを持った種がある。えさが豊富な時には、すべての雛が育つが、えさが不足している時は、一番最初に育った、したがって一番体の大きい雛が、後から産まれてきた雛を巣から放り出して、えさを独占することで、雛が全部餓死するという最悪のケースが回避されている。アオツラカツオドリにいたっては、もともと一羽の雛しか育てられないのに、卵を二つ産む。第二の雛は、第一の雛が途中で死んだ時のためのたんなる保険にすぎない。
3. 余剰人口のゴミ箱としての都市
話を人間に戻そう。農村から絶えず産み出される、さしあたり不要だが、万一に備えて必要な余剰人員は、どのようなゴミ箱に捨てられたのか。答えは都市である。江戸時代の人口増加抑制が、主として堕胎や子返しによって行われていたと考えている人には、当時の農村を、ほとんど労働者の出入りがない閉鎖的なコミュニティと想定している人が多いが、これは偏見だ。現在の住民基本台帳に相当する宗門人別改帳を調べてみると、半数以上の子供が出稼ぎ奉公に出ており、しかも奉公先の大半は、江戸や大坂をはじめとする都市であることに気が付く。
江戸時代の都市では、死亡率の方が出生率よりも高く、逆に農村では、出生率のほうが死亡率よりも高かった。このことは、農村で生まれた余剰な子供が都市に送り込まれ、そこで命を落とすことにより、全体の人口が一定に保たれたことを意味する。奉公に出た子供たちは、後継ぎや結婚のために都会から村に戻ることもあったが、かなりの割合は奉公先で死亡している。
みなさんの中には、都会に住んでいることに優越感を持ち、農村に住んでいる人々を「田舎者」と軽蔑している人もいることであろう。しかし、こうした価値観は最近のものであって、江戸時代では、エリートである長男が農村に残り、どうでもよい子供ほど都市に飛ばされたのである。
各種インフラストラクチャー、公衆衛生、医学、病院などに近代科学技術が適用され、死亡率が低くなる以前は、都市のほうが農村より死亡率が高かったし、出生率は低かったので、人口を都市以外から吸い込む必要があった。そこで、経済的な発展があって都市に住む人口比率が高くなるとその地域全体の人口は減るという現象が見られた。だから、その地域の人口を維持するためには、外から大量に人口を流入させないといけないことになる。[3]
都市は農村よりも人口密度が高い。江戸の町地の人口密度は、1平方キロメートルあたり6万人にもなったと言われている。人口密度が高いということは、それだけ疫病が伝染しやすいということである。日本の人口が、食料供給の限度を超えて増えると、奉公人のような下層階級の人々は栄養不足になり、抵抗力が低下する。しかも、病原菌にしてみれば、人口が増えるということは、それだけ餌が増えるということであるから、人材の在庫が余剰になってくると、疫病の流行により、自動的に在庫一掃処分となるわけだ。
都市には、これ以外にも人口増加抑制機能があった。女の子の場合、都市で奉公をすると、村に帰って結婚する時期が遅れ、たくさん子供を産むことができなくなる。現代と同様に、江戸時代の後期にも、女性の晩婚化と少子化が進んだことが、様々な調査からわかっている。
4. 江戸時代の都市人口が多かった理由
人口爆発の抑制という都市の機能は、同時代のヨーロッパの都市にもあった。ただ、ヨーロッパ諸国には、戦争や新大陸発見に伴う海外移住等で過剰になった人口を減らすという手段があったが、鎖国をしていた平和な江戸時代の日本には、それらは使えない手段であった。1800年前後の江戸の人口は、100~120万人程度と推定され、同時代のロンドン(90万人)やパリ(60万人)よりも多い。江戸が世界一の大都市であった理由として、日本人の方が自然の循環を上手に利用していたからだという能力史観的説明が成されることが多いが、日本は、それほどまでに人口増加抑制機能を都市に依存しなければならなかったからという必要史観的説明もできる。
5. 参照情報
- ↑Edo-Tokyo Museum. “The Big Fire of 1772, picture scroll from 1869.” Licensed under CC-0.
- ↑利根町徳満寺所蔵. 茨城県立歴史館. Accessed on 29 May 2011.
- ↑速水 融.『歴史人口学で見た日本』文藝春秋 (2001/10/19). p.65-66.
ディスカッション
コメント一覧
つくづく良い分析をされると感心致します。
今の日本が少子高齢化なのも田舎が消滅したという事でしょうか。
しかし、ロシアも急激に人口が減少しているようです。
これはいかがお思いでしょうか?
現代でも都市部は、農村部よりも出生率が低いのですが、これは、都市部の方が教育に時間とお金をかけているからでしょう。先進国を世界の都市部、発展途上国を世界の農村部と考えれば、同じことが、世界レベルでも当てはまります。今後は、農村部から都市部への人口流入が、世界レベルでも必要となってくるでしょう。
なお、ロシアは、革命前は農村社会だったので、出生率が高かったものの、革命後は、工業化により、出生率が下がったのだそうです。ソ連崩壊後は、平均寿命が下がり、人口が減少しているわけで、平均寿命が高いままの日本とは少し事情が異なります。
日本の少子高齢化問題を国内的に解決しようと考えるなら東京への集中を人為的に阻止し、農村部への経済的合理性によって移動させる。また、国際的に実行する場合、農村地域へのロングステイ(リースコロニーなど)を実行する。世界的な人口爆発に対応するには人口増加率が高い地域に巨大な都市を建設して都市居住者を増加させる。
どこかで実証実験を早急にする必要があると思います。
日本においてであれ世界においてであれ、人口の減少は望ましいことだと私は考えています。ただ、日本の場合、人口の年齢別構成が歪になるという問題があるわけですが、これは、年齢層ごとに定員を決めて移民を募集するという方法で解決できます。その際、おそらく応募が定員を上回るでしょうから、日本語の試験で選抜して、合格者に日本国籍を与えます。
先進国では、どこでも、少子化が進んでいますから、こうした語学試験を課した移民制度を拡充すればよいでしょう。すると、発展途上国では、語学を勉強して、先進国の国籍をとろうとする人が増えます。教育への投資が増えれば、発展途上国でも人口増加が抑制されるようになります。これは一石二鳥の方法だと思いますが、いかがでしょうか。
>これは一石二鳥の方法だと思いますが、いかがでしょうか。
理論上それは正しいとは思いますが経済合理性を考えれば先進国の多くは高い失業率、特に若年労働層の失業に悩んでおります。この状態で外国人労働者を大量に受け入れれば民族対立や治安の悪化を引き起こすと考えます。
経済合理性から言えば将来の交換価値の創造に重きをおく必要があると思います。その為には途上国の低廉労働者を先進国に運ぶよりは、先進国の熟練労働者と途上国の低廉労働者で価値の高い物を作る事が良いと考えています。
もう一つの理由があります。昔、少しレスをつけたことがあったと思いますが私は元日本の役所にいました。日本は戦前末期と同じで権限の分散が酷くて物事が前に進みません。しかし、途上国の多くは共和制や貴族政の為に少数の力のある人を説得すれば物事は迅速に進みます。私の作った多くのプランは役所時代、日本でのコンサル時代、海外でのコンサル時代では海外での採用比率が指数関数的に伸びています。エマニュエルトッドの帝国以降にあるように民主政治は工業化産業化向きの制度であって情報化社会には新しい政治形態が必要なのかもしれません。後、イラク戦争を分析していると傭兵の時代に戻っているように思いました。もしかしたら新中世と呼ばれる社会になるのかもしれません。宇宙移民の可能性も低く、都市化による人口の吸収に失敗すれば待っているのは自然環境の破壊による疫病と戦争、飢餓だと私は考えています。
失業率が高いということは、労働市場に需給のミスマッチがおきているということであり、これを解消するには、先進国で生まれたら高付加価値の仕事を、途上国で生まれたら低付加価値の仕事をするという固定化をやめ、労働力の移動を自由にし、人的資源の配置を最適化する必要があります。日本の若者も、国内で仕事を見つけられないなら、海外で働くことも考えるべきです。
ライブドアが、電話の受付業務を中国に移転させ、日本人を安い給料で雇うということをやっていましたが、日本人の失業を減らすためにも、こうした試みはあっても良いと思います。例えば、高齢者向けの介護サービス施設を、物価の低い国に作って、日本人の職員を安い給料でたくさん雇うとか。
もちろん、海外移転できない仕事もたくさんありますが、そうした仕事に対しては、世界から最適な人材を募集することで、国内産業の国際競争力を高めるべきです。
>先進国で生まれたら高付加価値の仕事を、途上国で生まれたら低付加価値
>の仕事をするという固定化をやめ、
この点は私がいましている仕事がそうです。高速機動ができるブレイン部門とボディ部門に企業体を分割しています。各分割した企業体から集めたブレインで一つの機動ブレイン部隊をプロジェクト毎に編成しています。日本と違い行政機能が麻痺していない国では租税インセンティブや規制の柔軟な対応、行政スタッフの議会対策において比較にならない効率です。
日本はボディは先進国ですが政治行政メディアのブレイン部分は途上国です。私の東南アジア拠点であるシンガポールは電車の切符は既に存在せずバスやマクドナルドハンバーガーに至るまで非接触カードを使って決済しています。しかし、その技術の多くは日本製です。つまり、日本から産業部分のブレイン部分を分離するだけでその企業体は飛躍的な利潤を得ます。
>世界から最適な人材を募集することで、国内産業の国際競争力を高める
>べきです。
次の点ですが私は既に立法、行政、司法の点で麻痺状態に陥った日本が個別に募集体制を整えてもカオス化が進むだけであると考えています。
私は日本に時々、帰国します。私は北大から九大まで各研究機関に顔をだし、永井さんのおられる東大阪の中小企業も回っています。日本には研究室に眠っている高度な技術や国境を突破する機動力はないけれども高い製品を生み出す中小企業があります。私の機動力でこれを補完しています。しかしながらこれでは国家レベルではあまり意味を持ちません。
私は親しい理系の院生達に物理社会学という新しい学問の構築をさせています。研究室においては足の重い教授を拘束兵力、若い院生や助手を機動兵力とします。企業においては工場部門を拘束兵力、ブレイン部門を機動兵力と分離します。これが第一段階です。第二段階でこれをシームレスに特にブレイン部分で集合体にします。これを使って国境を突破し、金床と鎚の関係を新しい標準組織体系を目指すべきだと考えています。ここで問題となるのがこのような機動部隊を指揮できる人間の絶対数が少ない事です。この部分を短期間で増加させる智慧が必要です。
なるほど、kojiさんはグローバルな人なのですね。そういえば、ブログにこう書いていますね。
イギリスは6000万人の人口ですが1000万人が海外居住者です。日本の若者は国家破綻でこれから世界に否応無く出て行く人々が増えて行くと思います。
>人間は保守的な動物だから、《できるからする》のではなくて、
>《しなければならないからする》というのが常なのだ。
世界の石油生産量は昨年か、今年がピークになり次第に減少していくはずです。資源の奪い合いは戦争になります。
石油に代わるエネルギーは何か
循環型社会は可能か
温暖化の何が問題なのか
全てに優先してこの3つは早急に解決する必要があると思います。衆愚政治と化した日本を救う道は海外で多くの日本人が修行をする事だと私は考えています。
海外での修行には3つの利点
1.長期的思考を潰す日本の電波メディアがない
2.日本の良い部分と悪い部分に気が付く
3.世界の多くの知的概念の土台がある
惜しむらくは、日本の教育制度が時代遅れな事です。まだ江戸期の寺小屋の方がずっと良いと思います。
教育と研究がどうあるべきかについては、改めてまた書きますので、その折は、コメントをよろしくお願いします。
はい。宜しく御願い致します。私には高度の平凡性が欠けています。私の財政計算が間違いなければ日本は5年で旧ソ連やIMF韓国のような国家破産状態になります。交通的内線地域にブレイン部門、資源地帯に産業ロボット部門を機動させることによって5年、大学に眠っている技術の堀出しで更に5年は時間を稼げると思います。これで資金補給はできます。逆に言えばその辺りまでに新しい教育と研究に目処を立てておかないと人材補充の面から消耗戦で破れます。グローバル時代においてアメリカや中国、EUのような巨大なマンパワーが出現しました。失われた10年が取り返しの付かない20年になりかねません。日本から人的資源がなくなれば待っているのは文明哲学や日本文化の衰退に繋がります。
P.S.
産業社会に突入して兼業農家が生まれたように情報化社会には兼業サラリーマンが必要なのかもしれません。得意技を生かした再教育システムを使って知的鍛錬とサラリーマンの兼業です。ただ、学問は上から強制されれば死にますし自発的に学習するほど人間は勤勉に出来てはいません。サラセン帝国のイスラム教やレコンキスタ大航海時代のカトリック、新大陸へ向かった清教徒のような宗教的情熱土台が無い日本ではどうでしょう。
日本の人口はこれから減る時代です。人口を増やすためには、早く結婚しないといけません!!つまり離婚している暇はないということです!!
しかもちょうど、25~29歳の人口が多い(第2次ベビーブーム)
なので、なんとか人口増加が少しでもなりやすくなると思います。
人口減少が軽くなるので、僕的には嬉しいです。
長男が後取りだという考えは世界的にも多いですか
ポルトガルが真っ先に大航海時代に突入したのは、土地を相続できない次男以下が新天地を求めていたからだという説明を聞いたことがあります。
人口が急激に減少しています。
このまま年金制度が崩壊すれば多くの老人が自殺するのでは?
日本の高齢者は資産家が多いからだいじょうぶでしょう。
1人と聞きましたよ
江戸時代の農民、町人、武士の人口は何割ずつぐらいだったのでしょうか?
宿題などですごく使えます。ありがとうございます。
鎖国時代の人口が約3000万 今は1億2千万、約4倍の人口を自分たちが持っている領土で支えるなんて、今の時代できるのだろうか?米の自給率も約82%ぐらい
もし今の日本が自給自足して且つ、今の人口を維持して、
いまも鎖国していたならば世界経済不安には全く関与していなかっただろう
要は自分たちの国は自分たちの出来る範囲で自分たちの責任で維持する。
世界平和も大切だけど他の国に資源を依存している国では、なんの説得力もない本当の自立が必要な時代になりましたね
在野で歴史人口学の研究を行っております。現状ではデータのパソコンへの入力しかできていませんが、いずれインターネット上で公開していきたいと思っています。
歴史人口学の研究は従来人口統計のみの分析が主体でした。(現在私自身大学に籍を置いておりませんので今の最先端の研究がどうなっているのか詳細には把握しておりませんが)しかし、他の統計資料の分析も並行して行い、相互の関連性を見る研究も必要であると思います。
具体的には、あくまで明治時代以降の話になりますが、会社の数や規模(資本金等)と人口問題の関連でありますとか、教育問題と人口問題との関連などについてです。
ちなみに私自身は明治時代の人口問題と宗教教団数の数について研究を進めています。
興味深く読ませていただきました。
歴史的に見れば、親にとって、子どもは「労働力」「商品」にすぎないということなのでしょうか?
情けないというか、実に不愉快な話ですが、これが現実なのでしょうか?
とすると、逆に、「親子の愛は無償の愛」という今日多くの日本人が信じているテーゼ(貴論文の立場によればファンタジーというべき?)は、いつ頃から生じたのでしょうか?
我々現代日本人の親子観、子供に対する見返りを求めない愛情は、時代的・地域的に見てごく特殊で、決して普遍的ではないということなのでしょうか?
私たちが、平和ボケしているだけなのでしょうか?
どうか教えてください。お願いいたします。
2009年5月5日子どもに日に
親にとって子が愛すべき存在であることは、どこの国でも、いつの時代にも変わりません。しかしながら、経済的な制約により、子に対する愛を部分的に制限しなければならないということは、前近代的社会や現在の途上国では起きうることです。それは、経済的制約が厳しくない現在の先進国の価値基準で判断するべきことではないでしょう。
永井様
早々にご回答いただき、ありがとうございました。
大変勉強になりました。
現在の日本は長期的に続く少子高齢化社会でありますが、私はもしかしたら2010年代以降は「少子短命化社会」になるのではないかと思います。この「少子短命化社会」は気分(志向的)的な一面もあります。高齢者の介護問題、経済問題、治安問題、社会保障や年金問題、健康・体力不安、医療問題、老齢期の生活不安などもろもろを加味すると条件が揃います。ただ、現在の若年層が「短命志向」かと言えば、必ずしもそうではなくあくまでも「憶測」であります。少子短命化社会の良くない点は年金問題の財源の不安定化と、国内総生産の著しい縮小と、長期的な税収の落ち込みがあげられます。ただ、「晩婚化や非婚化、高齢出産の解消になり、結婚・出産年齢が下がるのではないか」と言う「期待」もあります。この事、「少子短命化の懸念」はあまり懸念されません。「少子短命化」そのものが世界的にあまり前例がないからです。
「え―っ!?」「そうなの!?」という事が数多くあり、とても勉強になりました。
人口増加を防ぐために大切な事が、よくわかりました。
天さんは、何か誤解しているようですね。今の私たちは、江戸時代と同じことをしてはいけません。ポスト近代的な方法で、人口増加率を減らすべきです。
現代の人口抑制は「作らせない、産ませない、育てさせない」だと思われます。
若い世代の多くを非正規雇用とし経済状況を不安定化させる。
また、正規雇用ではサービス残業に代表される長時間労働で作らせない。
お金または時間を与えないことにより抑制する
女性に社会進出を促すも社会は育児にはほとんど理解をしめさない
公的なサービスや年金の世代間格差は数千万に及ぶ
この数千万は子供を二人成人させるためにかかる額に相当するのではないかと。
つまりまったく同じ人が団塊世代に生まれるか現代に生まれるかの差異で
子供の育成可能数は単純にマイナス2になる
少子化が騒がれていますが社会的には明確に少子を目指しているのでしょう
戦後混乱期にイレギュラー的に増加した人口は
現代明確に抑制されていると思います。
既得権益者である高齢者側が地位や名誉、財産に加え数となぜか若さまで兼ね備えた時代
この閉塞感も人口抑制に一役買っているのかもしれません。
江戸時代でも、都市部で働いていた若者は、現在の非正規雇用労働者と同様に、結婚しない場合が多く、その点では、現在と状況は似ています。
isidaさんの言っている通り、意図的に少子高齢化を目指していると考えられます。つまり、若者は日本社会のごみなのです。ごみは結婚して子どもを生む権利はないのです。
ならば、税金を劣等世代であるゆとり世代や低所得者から徹底的に搾取し、大企業の正社員や官僚や政治家には税金を全面的に撤廃して、優秀な人のみ子どもを生ませることができるような社会にしておけば、人口調整という点でも優生学的な点でも好ましい結果が期待されると思いますが、どうでしょうか。
なお、このコメントは冗談で書いています。
人口を優生学的な視点で記述すること自体もうダメですね。
まあ、大正時代に戻るようなことはないと思います。(人口は6千万くらいだったらしいです。)
おかずさんは冗談で書いていると言っています。冗談にコメントする必要はありません。
おかずさんの質問のなかの政策を実行したら実際にはどうなるのでしょうか。
優生学の根本的な問題は、遺伝的な多様性の喪失です。有性生殖をする意味がありません。つまり、環境適応になっても、変化適応にはならないということです。
司馬遼太郎の小説の中で江戸期は始まりから終わりまで日本の人口が2000万人で変動しなかった、技術革新がなく食料の増産がなかったので間引きによる人口調整が行われていたと、書かれていた記憶がありますが本当でしょうか?
江戸時代の初期には人口が増えましたが、後期には停滞しました。それでも、三千万人程度にまでは増えたようです。
第一次産業、第二次産業、第三次産業と産業が歴史発展的に層化している。比較的新しい産業の方が利潤率が高い。さらに利潤率の高い産業は都市部にあることが多い。出生率と産業利潤の関係。剰余価値は不払い労働から生まれるとマルクスは言ったが、不払い労働の最たるものは家事労働やケアワークなどの再生産労働である。再生産労働を賃金労働に変化させることで利潤を得る。再生産の留保が利潤として現れる。原始的な労働は人間の再生産に直結している。原始労働である再生産労働の回避が都市の新興産業の目的だ。生殖からの自由が都市の自由であると思われる。性産業は懐胎の禁止によって成立する。資本主義のどんちゃん騒ぎに寂しい豪奢があり、都市の美には禁欲と死の香りがする。
最近思うのですが昔のドラマや映画を見ていると、どういう「つて」を頼って養子を探したのか経緯がよくわからない展開があります。一般人である人で子供がおらず養子を欲しい人の血縁者・親類や、知人の身内や親類以外の人を、養子にする場合は地域内に仲介のあっせんをした人がいたんでしょうか?これは江戸時代の話ではなく明治中盤~昭和50年あたりまでの時期のことをさします。戦後間もない時期だと養父母がその人の親の名前をいままで聞いた事がない・当人とも面識のなかった戦争孤児を養子として引き取った事例がいます。
現在だと現実に民生委員に対しても養子縁組の相談をすることもあるのでしょうか?
民間でも養子縁組を斡旋できますが、それを事業として行うには、都道府県の許可が必要となります。