5月 172002
 

地平線も境界線も、内と外を区別する、似たような線だと思うかもしれない。しかし、システム論的には、システムの境界が《否定の能力》によって形成されるのに対して、システムの地平は《能力の否定》によって形成されるので、両者は対照的な関係にある。

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1. 地平とは何か

地平(horizon)という言葉は、ギリシャ語で「遮る」を意味するオリツェインに由来する。私たちの視界は、様々な障害物で遮られている。例えば、"地平"線は、天空を遮っている。地球のおかげで、地球の向こうの景色を見ることができない。では、地球、月、太陽など、宇宙に存在する全ての障害物を消し去っていけば、私たちはよりよく宇宙を見ることができるだろうか。否。よく見ることができるどころか、宇宙を見ることそのものが無意味になってしまう。この地平線のメタファーが示すように、地平は、私たちの認識に有限性とともに有意味性をも与えている。

もっとも、この地平線のメタファーは、あくまでもメタファーであって、これを哲学的な地平論にそのまま使うことはできない。哲学的に考えるならば、私たちの認識を有限にしているのは、障害物のような対象物ではなく、私たちの認識能力そのものだからである。私たちは、間違うという失敗の経験から、自分の認識が完全でないことを知っている。そして「もし神のように完全な認識能力があれば、どんなにすばらしいことだろうか」と地平超越的な絶対者に憧れたりする。しかし、もし神のごとく完全な認識能力を持っているのなら、認識などそもそも不必要なのではないか。

「意識とは何か」で、私は、選択に際して迷わない存在者には意識がないと主張した。意識とは、物自体の複雑性を縮減した結果得られる不完全な世界の代表象であり、このような不完全な認識を持つことは、完全な存在者にはふさわしくないことである。もしも神の意識なるものが存在するならば、それは物自体とは別に存在する不完全な物自体の模写ではなく、物自体そのものでなければならない。そして、このことは、地平超越的な存在者には意識がないということである。

2. 境界とは何か

地平とは認識の限界である。この限界と紛らわしい概念に境界がある。境界線は越えられるが、限界線(地平線)は越えられない。地平線の向こうに何があるのかと、地平線がある位置まで行ってみても、その向こうにさらなる地平線が広がっているだけで、地平線が消滅することはない。同様に、私たちが、科学的探究によって知の限界に挑戦しても、新たにわかったこと以上に新たにわからないことが発見されるので、知の限界が消滅することはない。境界と限界は、通常このように、超えられるか否かで区別される。しかし、システム論では、もっと踏み込んだ区別をすることができる。

システム論的に言うならば、境界とは、システムと環境の間にある、複雑性の落差である。私たちは、情報システムとして、偽に対して真を、悪に対して善を、醜に対して美を選択する。システムは、一つの可能性を選ぶことにより他の多くの可能性を環境へと排除する。この意味で、「システムがエントロピーを減らすためには、それ以上に環境のエントロピーを増やさなければならない」というエントロピーの法則は、情報システムについても当てはまる。選択という複雑性の縮減により、システムは環境よりも複雑性が低くなる。こうして境界は形成される。

3. 地平と境界の関係

情報システムは、情報システムとして存続するために、複雑性を縮減しなければならない。しかし個別の情報システムが複雑性を縮減すればするほど、社会システムの複雑性は増大する。このことをもっとわかりやすく表現しよう。もしも、個人が付和雷同するだけならば、その意見は周り次第なので、個人レベルでは不確実性は増えるが、社会レベルでは、論争や意見の対立が起こらないので、不確実性は減る。反対に、各個人が、独自の考えに基づいて自己主張をすればするほど、個人レベルでは不確実性は減るが、社会全体では、百家争鳴状態になるので、不確実性は増える。つまり、複雑性の縮減が縮減の複雑性を増大させてしまうのだ。そして、縮減の複雑性、すなわち認識が他のようでありうることが、認識の妥当性の限界(地平)を形作る。

複雑性を縮減する時、一つの選択肢のみが選ばれ、他の選択肢は否定される。だから、選択の能力を否定の能力と呼ぶことができる。《否定の能力》がシステムの境界を形成するのに対して、《能力の否定》はシステムの地平を形成する。もしも《否定の能力》が完全で、《能力の否定》がゼロならば、そのシステムは、完全な認識能力を持つ神のようになるので、意識を持つ必要がなくなる。もしも《否定の能力》がゼロで、《能力の否定》が完全ならば、そのシステムは、自発的な選択能力を持たない石ころのようになるので、意識を持つ能力がなくなる。実際には、意識を持った存在者においては、《否定の能力》も《能力の否定》も不完全である。私たちは、石ころとは異なって、可能性を持った存在者だからこそ、認識する能力があり、かつまた、神とは違って、有限性を持った存在者だからこそ、認識する必要がある。不必要性と不可能性にはさまれた必要性と可能性が、意識を持った中間的存在者の存在様態なのである。

読書案内
書名ルーマン 社会システム理論―「知」の扉をひらく
媒体単行本
著者ゲオルク クニール 他
出版社と出版時期新泉社, 1995/12
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