3月 222002
 

貨幣は、システム論的には、欲望の欲望というダブル・コンティンジェントな複雑性を縮減するコミュニケーション・メディアであるが、精神分析学的にはファルスに相当する。貨幣の歴史を精神分析学的に振り返りながら、システム論と精神分析学の接点を見出そう。

1. 女性性器としての貨幣

世界最古の貨幣は、殷王朝(BC1600-1046年)で貨幣として使われたタカラガイだと言われている。タカラガイは、ヴァギナに形が似ているために、安産のお守りとしても使われ、子安貝とも呼ばれる。貝という漢字は、タカラガイの一種、キイロダカラガイの形から生まれた象形文字で、貝を部首とする漢字が貨幣にかかわりがあるのはこのためである。「生きがい」とか「働きがい」などの「かい」は、「価値」という意味だが、やはり貝を語源としている。タカラガイは、最近まで未開社会で貨幣として使われていて、英語でも、キイロダカラガイを“money cowry お金のタカラガイ”と呼んでいる。

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子安貝の一例。“Monetaria moneta (Linné, 1758)” by H. Zell is licensed under CC-BY-SA.

なぜ、タカラガイ、すなわち子安貝が貨幣として使われたかに関しては、入手困難で希少価値があり、装飾品としての使用価値もあり、保存に適していて、運搬に便利といった理由が挙げられることが多い。しかし、この程度の条件を満たすだけでよいのなら、他にも貨幣の候補はたくさんある。子安貝が、貨幣として特に好まれたのは、ヴァギナとの類似ゆえに、女性を象徴していたからではないだろうか。

未開社会では、交叉従兄弟婚などの形態で、女の交換が行われている。古代の中国にもこのような風習があったに違いない。いや、それどころか、今でも中国には売買婚の習慣が残っている。文化人類学によれば、未開社会は、女の交換を原型としつつ、女を代表象する子安貝の交換を通して、商品交換を始めた。戦争とは別の手段をもってする貿易の継続である。戦争の時には、財宝と同様、女も戦利品として掠奪の対象となった。

貨幣が直接的な欲望の対象となりうる時、その貨幣を物品貨幣と呼ぶことにしたい。物品貨幣として機能したのは、子安貝だけではない。シベリアでは毛皮が、エチオピアでは塩が、日本や中国やアメリカでは穀物が、ギリシャや南アフリカでは家畜が貨幣として使われた。これら物品貨幣が流通している経済は、物々交換の経済と大差がないと考えることができる。

2. 個体発生は系統発生を繰り返す

物々交換が行われている前近代社会を幼児と比べてみよう。生後2-3年の肛門期で、幼児は、排尿・排便に快を感じるようになる。幼児は、母乳のお返しとして、便と尿を母親に与えていると意識する。フロイトによれば、金や銀が物品貨幣として流通したのは、尿が金色で、便が鋳潰した銀のような色をしているためであり、吝嗇、すなわち、資本主義の原動力となった蓄積への欲望は、便を貯めることによって得られる肛門の快楽に由来する。

こうしたフロイトの説明は、物品貨幣の説明としては適切である。肛門期の幼児は、母親との間に鏡像的でシンメトリカルな関係を持ち、そこで体験する取引は物々交換的である。しかし、生後3-5年の男根期になると、子供の関心は、ペニスへと向けられる。そしてシンメトリカルな母子関係に、父親という第三項が加わる。子供は、母親の欲望が、自分の糞尿ではなくて、父親のペニスに向けられていることに気が付く。そして男の子は母親のペニスになることを欲望しつつ、去勢に怯え、女の子はペニスがないことに劣等感を持ち、ペニスを羨望するようになる。こうした男根期の子供が持つ欲望を、ファルスへの欲望と呼ぶことができる。

ファルスとはペニスを意味するギリシャ語である。しかし精神分析では、ファルスは、母親の欲望の対象を意味する象徴的な言葉として使われる。ファルスは肉の塊としてのペニスではないし、現実に存在するみすぼらしい父親のことでもない。だから、「私の母は父親のペニスに欲情していなかった」とか「うちはかかあ天下で、父親に権勢はなかった」などと反論しても的外れである。

3. 男性性器としての貨幣

物品貨幣が純粋な貨幣へと脱皮していくプロセスは、肛門期から男根期への過程になぞらえることができる。このことを説明する前に、いったん中断した貨幣史の話を続けよう。

戦国時代、中国南方の楚では、貝殻を象った蟻鼻銭が使われていたが、斉や燕では、小刀を模した刀幣、韓・魏・趙では、農具を模した布幣が使われていた。紀元前221年、秦の始皇帝が中国を統一すると、丸い硬貨の中心に四角い穴を穿った円形方孔の貨幣を鋳造した。このスタイルは、その後2000年続いた、東アジアの典型的な貨幣形状である。方孔は、一定の枚数単位でひもを通した銭緡作成のために穿たれたと考えられているが、象徴的な意味もある。

紀元310年頃に魯褒が書いた『銭神論』によると、円形は「天」を、方孔は「地」をそれぞれ象徴している。円形は貨幣の形としてポジティブに与えられ、方形は穴としてネガティブに与えられているが、中国の易学によれば、もともと、天は、父や強い人など、堅くて動的なものを象徴する陽であり、地は、母や従順な人など、柔らかくて静的なものを象徴する陰である。中国に限らず、世界的に、地は「母なる大地」として表象され、ちょうど天が雨を降らせて大地に生命を育むように、男根も膣に精子の雨を降らせて生命を産み出すと考えられている。円形方孔貨幣は、男根の切断面の形に似ていて、ひもで通して集めると、男根そのもののように見える。しかし穴が貫かれているのだから、女陰に似ているとも言える。だから、円形方孔貨幣は、ペニスとヴァギナの合体を象徴していると見ることができる。

母権的な東洋社会がペニスとヴァギナの融合に安住したのに対して、父権的な西洋社会は貨幣のファルス化を進めた。西洋における最初の貨幣は、紀元前7世紀にリディア王国で造られた打刻貨幣で、BC600年頃発行された、スターテルと呼ばれる貨幣には、ライオンの頭が浮き彫りになっている。その後、ギリシャやローマでも、金属に支配者や神や動物の肖像を刻印した打刻貨幣が発行されたが、これらの貨幣は男性的性格を持っていた。近代、すなわちファルスが女性(自然)を支配する時代になると、男の権力者の肖像が描かれた紙幣が貨幣の世界標準となる。

貨幣が女性的性格を失って、ファルス化するということは何を意味しているのだろうか。男にとって、ヴァギナ(女)は直接的な欲望の対象である。それに対して、ファルスは欲望する対象(女)によって欲望される対象である。物品貨幣が、直接的な欲望の対象であるのに対して、管理通貨制度のもとにおける貨幣は、それ自体何の価値も持たない金属片や紙切れや電子パルスに過ぎず、もっぱら他者によって欲望される限りにおいて欲望される。

ラカン研究者の福原泰平は、ファルスと貨幣の類似を次のように説明している。

貨幣がその物質的素材である金や銀、そして銅やアルミニウムといったものの現実の使用価値を無化して、そこに等価的な交換への傾きを担わされているように、ファルスもその実体的な内容が問題とされるようなものではない。それはペニスが一方の性に欠如しており、その突出した形態から特権的なものとして選ばれたにしろ、脚でも親指でも何でもかまわなかったことをみれば理解される。

さらにいえば、貨幣の代表選手である金が、地上における現実的なものの次元を離れ、ある日突然、物々交換における価値の尺度へと高められて市場に介入してきたように、ペニスも現実の性的対象であることを離れ、突如あらゆる快を担う幻想的な運び手として世界に介入してくる。

こうした過程を経ることで性的な原器とでもいったものが成立すると、あらゆる性的対象は悦びに対して交換可能なものとなり、人々の間を流通しはじめる。母の欲望も父による禁止もすべてのものが性的等価物として市場に出回り、そこで値を付けて売り買いがなされるようになっていく。

[福原 泰平:ラカン―鏡像段階, p.154-155]

ファルスとはたんなるペニスではない。貨幣はファルスのように振舞うというよりも、むしろファルスそのものなのである。

私は、これまで、コミュニケーション・メディアとして、経済システムにおける貨幣、文化システムにおける名声、政治システムにおける権力を取り上げてきた。野心的な男は、食欲のような直接満たされる、次元の低い欲望以外に、地位や名誉や富を獲得したいという、より次元の高い欲望を持つものだ。豪華なスポーツカーを乗り回して愛人の関心を惹こうとする成金、女性の観客の黄色い声援に応えようとパーフォーマンスをする俳優、内閣支持率に一喜一憂する総理大臣 … 彼らは、対象を欲望するのではなく、欲望の対象となることを欲望している。

男がファルスになろうと欲望するのに対して、女はファルスを所有することを欲望する。殺害した男友達の男根を切り取って逃走した女性が捕まって、警察に動機を尋ねられたところ、その女は「かわいいから」と供述したそうだが、こうした露骨な形ではないにしても、女性が小物や小動物を手にして「かわいい!」と喜ぶのは、ペニス羨望の現れである。女性がライバル関係にある女友達に、自分の彼氏が三高であることや高級ブランド品を持っていることをひけらかしたがるのも、ファルスへの欲望である。ハンドバックのブランドは、本来、ハンドバックの性能の良さを保証するためのものなのかもしれないが、ブランド物を買う女性にとっては、そのようなことはどうでもよいのであって、彼女がもっぱら求めていることは、他者の羨望の対象を所有すること、すなわちメタレベルの欲望を満たすことなのである。

読書案内

栗本慎一郎は、この本の中の論文「貨幣のエロティシズム」で、貨幣の起源は、女性性器ではなくて男性性器であると言っている。

書名幻想としての経済
著者栗本 慎一郎
出版社と出版時期青土社, 1990/03

福原泰平著ラカン―鏡像段階は、品切れ状態が続いていたものの、最近、新たに再出版される。この本は、ラカンの解説書としては、かなり優れているので、初学者の人にはお薦めである。

書名現代思想冒険者たちSelect 鏡像段階 ラカン
著者福原 泰平
出版社と出版時期講談社, 2005/04/11
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