3月 082002
 

「社会主義の国はなぜ貧しいのか」という問いは倒錯していると思うかもしれない。実際、多くの社会主義諸国は、社会主義を選んだから貧しいのではなく、貧しいから社会主義を選んだ。しかし、他方、社会主義諸国が、社会主義経済を維持したまま、市場経済を採用している日米欧先進諸国並に豊かになったという話は聞いたことがない。現代の中国がそうしているように、国民1人当たりの所得を増やすためには、社会主義経済から市場経済に移行しなければならない。それは、なぜなのか。

1. 社会主義経済にも競争はある

この問いに対する常識的な答えは「社会主義の国では、悪平等な賃金体系のゆえに、生産者間に競争がなく、労働者は怠慢で、経済が成長しないから」というものである。しかし、社会主義経済に競争がないわけではない。市場原理が機能しない霞ヶ関でも、事務次官のポストをめぐる熾烈な出世競争が繰り広げられていることから推測できるように、社会主義経済にも、市場経済とは別種の競争がある。実際、多くの社会主義諸国は、中央計画機関が定めたノルマ(生産高、販売高、納入率、原価率などの計画課題)の遂行率に応じて国営企業の労働者に賞与を与えたりするなど、生産性向上のためのインセンティブを与えている。これは、「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」という共産主義の本来の理念に反しているようにも見えるが、「大躍進」のような実験的共産主義はともかくとして、現実に存在する社会主義諸国の原則は、「能力に応じて働き、労働に応じて受け取る」である。

「平等でないなら社会主義ではない」と反論する人のために、社会主義経済とは何かを改めて私なりに定義したい。国家権力が、全てのまたは主要な生産手段を独占している、あるいは生産者と癒着している政治形態を大きな政府と名付けよう。大きな政府には、世界経済に対してオープンな外需依存型とクローズドな内需依存型がある。前者は、今日の発展途上国によく見られ、開発独裁と呼ばれている。後者は、1930年代によく見られた、ファシズムや社会主義である。ファシズムは、領土拡張のための戦争を通して内需を増やそうとし、社会主義は平和的な手法で内需を増やそうとする。もっとも、現実の社会主義諸国には好戦的な国も多かったから、両者の違いはあまり大きくない。

2. 商品の画一化は経済を萎縮させる

内需依存型の大きな政府が、内需に依存しているにもかかわらず、内需を増やすことができない理由を、単純化されたモデルを使って検証してみよう。今、外国と交流のない、食品と衣服しか生産していない1000人の国民からなる小国があるとする。1000人の国民のうち、半数の500人は、服装には無頓着で、美味・珍味を堪能することにのみ生きる喜びを感じる大阪型の食い倒れ消費者で、残りの500人は、きらびやかな衣装に身を包むことが三度の食事よりも好きな京都型の着倒れ消費者とする。収入は全員毎月10万円で、毎月の支出の内訳は、

大阪型:食費 7万円,衣料費 3万円

京都型:食費 3万円,衣料費 7万円

であるとしよう。この時、この国の総支出=総生産=総収入は毎月1億円である。

ところがある時、ある革命家が権力を掌握し、

食道楽や華美な衣装はブルジョア趣味でよろしくない。今後、我が国で生産する衣服は全て安価な人民服で統一し、食べ物も公共食堂で提供する安価な食事に限る。

と宣言したとしよう。全員が買ってくれる画一的商品を生産しようとするなら、衣服は大阪型消費者が買ってくれる水準まで、食品は京都型消費者が買ってくれる水準まで品質と価格を引き下げなければならない。その結果、大阪型消費者も京都型消費者も食費と衣料費を3万円まで引き下げてしまう。

image
人民公社の公共食堂。1959年に撮影。

消費者がある商品を購入するに際して、実は支払ってもよいと考える最大の金額から実際に支払った金額を差し引いた金額を消費者余剰と言う。革命前に消費者余剰がなかったと仮定すると、革命後、衣服でも食品でも、500×(70000-30000)=20000000 円の消費者余剰が生じることになる。その結果、国民総支出は毎月6千万円にまで縮小してしまい、収入も1人当たり6万円にまで減ってしまうので、もはや最低限の食品と衣服しか買えなくなってしまう。クローズドな内需依存型経済では、支出の減少は直ちに収入の減少をもたらす。そこには、消費者余剰を増やそうとすると消費者余剰が減ってしまうという逆説がある。

3. 選択の自由は二重の豊かさをもたらす

中央集権的な生産活動を行っている限り、個々の消費者の特殊な需要に適合した商品を生産することはできない。それどころか、極端な共産主義経済では、全く需要がない生産が行われることもある。大躍進の時、毛沢東は、全人民に鉄増産のノルマを課したが、このノルマをこなしても、前近代的な小型土法炉を用いたため、何の役にも立たない屑鉄の山ができるだけだった。一般的に言って、社会主義的な経済では、企業は、消費者のためではなく、中央の権力のために競争する。消費者主権でないところが社会主義経済の根本的な問題である。

安価で画一的な商品を大量生産する経済も、人口が増加する限り成長することができる。だが、資源的環境的制約でそれができなくなると、1人当たりの支出と収入を増やさなければ、経済は成長しなくなる。1970年代以降、大きな政府が機能しなくなり、規制緩和の必要性が指摘され始めたのは、このためである。

規制緩和をめぐっては、賛成派と反対派で次のような議論が行われることが多い。

賛成派
規制緩和が行われれば、企業は値下げ競争を行い、物価が下落して、消費者の実質所得が増える。
反対派
値下げ競争が激化すると、競争力のない中小企業が淘汰され、大企業が市場を独占するので弊害が大きい。

賛成派も反対派も、規制緩和の目的を値下げ競争としているところが問題である。通常、規制緩和の賛成者には反社会主義者が多く、反対者には社会主義者が多いのだが、もしも、この賛成派が主張するように、商品の価格が下がることが望ましいのなら、物価水準が低い社会主義の方が望ましいということになるし、もしも、反対派が主張するように、市場の独占が好ましくないなら、政府による市場の独占(市場の消滅)はもっと望ましくないことになる。議論が逆転している。

規制緩和が、企業の値下げ競争を促進することがあるのは確かである。しかし企業は、単純な値下げ競争を続けることは、自分で自分の首を絞めるに等しいことぐらいはわかっているので、商品を差別化し、価格だけでは比較できないようにする。中小企業も、競争の激化で必ずしも淘汰されるわけではなく、大企業が手をつけられないニッチを見つけて、そこへ特化していく。規制緩和が目指す効果は、値下げ競争による生産者の共倒れではなくて、多様化による生産者どうしの棲み分けであり、消費者余剰を増やすことによって減らすことではなく、消費者余剰を減らすことによって増やすことなのだ。

高級品というと、金持ちのために奢侈品と誤解されやすい。しかし、大阪型消費者と京都型消費者のモデルを見るとわかるように、全ての消費者の収入が同じであったとしても、高級品を作ることは必要なのである。私たちは、関心のない分野では節約し、自分の人生にとって本質的な分野には大金を投じる。自分にぴったりの商品を見つけることができて、しかも所得水準が高い経済は、二重の意味で豊かな社会と言うことができる。

読書案内
書名餓鬼(ハングリー・ゴースト)―秘密にされた毛沢東中国の飢饉
媒体単行本
著者ジャスパー ベッカー 他
出版社と出版時期中央公論新社, 1999/07
書名ワイルド・スワン〈上〉〈下〉
媒体単行本
著者ユン チアン 他
出版社と出版時期講談社, 1993/01
書名ソ連の「社会主義」とは何だったのか
媒体単行本
著者大谷 禎之介 他
出版社と出版時期大月書店, 1996/03
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私が書いた本

  29 コメント

  1. 選択の自由は二重の豊かさをもたらす。二重どころではなく、三重、四重にもなりえる。
    人身掌握術の天才ナポレオン=ボナパルトは次のような言葉を残したといわれる。
    「自由はそれを行使できる能力がある者に与えられる」
    この反語は「能力がない者に自由はない。むしろ彼らは不自由で満足する」というメッセージを発していないか?
    自由を行使できる能力には最低3つの条件が必要と思われる。
    1. 学習活動で獲得できるできるだけ多くの知識
    2. 得た知識を自らの環境に合わせて再構築する力
    3. 選択した自由が社会に与える影響力を予測する力
    上記1.についてはこのサイトの管理者である永井氏のような文理混交、高尚下衆を問わない不断の努力が求められる。幸いにして東京大学大学院薬学研究科講師の池谷裕二氏の脳科学の一連の書物に見られるように、使えば使うほど発達する理論から考えて、そもそも文系理系を学校で分けることじたいがナンセンスで、単なる大学受験科目の負担軽減以外の何ものでもない。文系専門者にはやはり数学と理科を、理系専門者には思想・宗教・哲学・歴史を学んでもらいたい。テレビを見なければ時間は確保できる。芸能人やプロスポーツに通じてもよいが、彼らはシナリオどおりもしくはシナリオを作りながら演じているというアミューズメント要素を心得ていなければならない。お笑いもドラマもドキュメンタリーですら確信犯である。
    上記2.については自分自身ではなく、同じ知識レベルの人々との意見の交換の機会が必要である。再構築であるのだから柔軟性が必要であるし、それはアウフヘーベンであり、ブレイクスルーであり、アハ体験である。できれば権威バイアスを取り外したいが、やはり日本の学術の権威は東京大学であり、個性派の京都大学でもある。その道の専門家の意見は無視できない。
    また、自らの無知や過ちを受け入れる余裕もほしい。
    上記3.についてはやはり価値観といえるであろう。サルトルはアンガーシュマンといい、資産家にはノブレス=オブリージュ、戦士には騎士道や武士道が必要となる。
    和辻哲郎が唱えた「人と人との間柄」「世間と人との間柄」は日本人の専売特許ではない。
    マルクス共産主義は資本主義から革命によってなされる理想社会であると説いた。
    しかし、人間は平等よりも自由に惹かれるものらしい。「自由の女神」はニューヨーク・パリ・お台場にあるが、平等の女神はどこにいるのか、私は知らない。

  2. この世の中、つまり宗教家の言うところの現世では、時間と空間のそれぞれの軸から成り立っており、これらの平等的存在は無い、つまりいつどこで生まれることができるかの選択ができないし、そもそもいつどこでの平等などありえない。だから生物は不平等を受け入れるべきDNAを持った存在であることから、かえって平等を希求するジレンマを持って生まれてきているのだと思います。

  3. 中国は社会主義(共産主義)の政治体制のまま、市場経済を導入したので、21世紀の繁栄につながったと言えますね。中国は「社会主義国家としての経済成長」の成功例ですね。中国が今後も社会主義であり現在の経済政策を維持し続ければ安定成長は磐石でしょうか?それとも近い将来に今の日本のような低成長時代が来るのでしょうか?最後に一言。人口が13億人いる中国で「人材流出」と言うリスクは今後ありえるのでしょうか?ただそれ以上の「人材輸入」を行えば支障がないと思うのですが。

  4. “中国は社会主義(共産主義)の政治体制のまま、市場経済を導入したので、21世紀の繁栄につながったと言えますね。中国は「社会主義国家としての経済成長」の成功例ですね。”
    「社会主義市場経済」という言い方をするからパラドキシカルで特殊な感じがするだけで、中国の現在政治システムは、他のアジアの高度成長期の政治システムと同様、たんなる開発独裁体制です。日本だって、自民党が事実上一党独裁をする開発独裁的な政治システムのもとで、工業化に成功しました。その意味では、中国の経済発展も平凡なのですが、規模が空前に大きいから、世界の特異な関心を惹き付けているだけです。
    “中国が今後も社会主義であり現在の経済政策を維持し続ければ安定成長は磐石でしょうか?それとも近い将来に今の日本のような低成長時代が来るのでしょうか?”
    開発独裁体制は、労働集約的な前近代社会を資本集約的な近代社会に転換する上で有効ですが、これをさらに知識集約的なポスト近代社会に変換する上では、逆に障害になります。だから、中国の民主化が将来可能かどうかが問題なわけですが、今のところ、見通しは明るくありません。
    “人口が13億人いる中国で「人材流出」と言うリスクは今後ありえるのでしょうか?ただそれ以上の「人材輸入」を行えば支障がないと思うのですが。”
    問題は人材の量ではなくて、質です。中国のトップエリートは米国に留学しており、彼らが帰国しないことは、中国にとっては、深刻な人材流出ということになります。
    “教育部が25日行った記者会見の席上、中国の教育対外開放状況が紹介された。改革開放以来30年間、中国の公費・自費など各種出国留学生総数は延べ139万人となり、うち依然海外に在住している留学生は100万人近くに上っており、帰国者はわずか39万人と、帰国率は28%にとどまっている。
     教育部国際協力・交流司の張秀琴・司長によると、過去30年間、中国から出国した各種留学生は139万1500人に達したものの、帰国者はわずかに39万人で、帰国率は28%となっている。
     公費留学の状況は異なっており、1996-2008年には帰国対象者3万7494人に対し、実際に帰国したのは3万6614人で、帰国率は97.65%となり、未帰国者は880人にすぎない。国家留学基金管理委員会の劉京輝・秘書長は記者に対し、公費留学では「違約賠償」の措置を採っており、期限までに帰国しない場合、理由の如何に関わらず毎年2万元から4万元の違約賠償が求められていると語った。”[人民網日本語版(2009年3月26日)中国人留学生の帰国率、3割に満たず
    但し、リーマンショック後は、帰国する中国人留学生が増えているそうです。
    “2010年1月22日、北米の華字紙・世界日報は、米国の中国人留学生に帰国ブームが巻き起こっていると報じた。昨年1年間に米国から帰国した中国人留学生は約8万人に上り、過去30年間で最高を記録した。中国新聞社が伝えた。
    米ロサンゼルスの中国総領事館教育グループの陳准民(チェン・ジュンミン)参事官によると、米国の中国人留学生(大学生)は年間約15%の割合で増加しており、しかもこの割合は年々増加しているという。 ”[レコードチャイナ(2010年1月26日)中国人留学生に帰国ブーム、09年は8万人で過去最高―米国
    なお、安価な労働力なら、まだ内陸部に残っているので、輸入する必要はないでしょう。

  5. 社会主義と経済発展の関係についてむかしからいろいろと議論がありますが、社会主義社会あるいは共産主義社会をスターリン以降のソ連型国家社会主義ととらえると上記のような結論になるのは当然かと思います。しかし、最近つぎつぎと政権についた南米の社会主義政党や自らの過ちに気付いて市場原理の導入をしている中国・ベトナム共産党、ヨーロッパの社会民主主義政党、1950年以降の日本共産党のように、社会主義と市場原理を対立する概念と考えず、資本主義社会における生産手段の少数資本家による私的独占と搾取の自由が資本主義の本質ととらえ、それらの引き起こすさまざまな社会矛盾を民主的に是正していくことで社会主義に段階的に近づいていけるとする21世紀の社会主義の潮流では、市場原理と社会主義は全く対立する概念ではなく、国民生活の向上に資する開発競争は善、利潤追求加熱による労働分配率の低下や福祉の後退、環境破壊(かつては公害、近年では原発事故のような)は悪というように、是々非々で、支援と規制を民主的にコントロールしながら公正な社会(社会主義社会)を目指すとしています。私は個人的には、社会主義・共産主義というのは、19世紀のヨーロッパで当時過酷な労働条件で働いていた下層労働者を救済する目的で生まれた思想で、旧ソ連のように国民を抑圧する国家独占社会主義(国家独占資本主義?)(戦時下の日本やドイツもそうです)とは無縁な人道的な思想だと思っています。インセンティブの面で試行錯誤の余地は十分ありますが、少数の資本家に独占された大資本による搾取のない自由な市場の社会は実現可能であると思います。

  6. 資本とは何か」でのコメントの続きですね。「社会主義と市場原理を対立する概念と考えず、資本主義社会における生産手段の少数資本家による私的独占と搾取の自由が資本主義の本質ととらえ、それらの引き起こすさまざまな社会矛盾を民主的に是正していくことで社会主義に段階的に近づいていける」とありますが、「社会主義」と「資本主義」を入れ替えて、「資本主義と市場原理を対立する概念と考えず、社会主義社会における生産手段の少数の党幹部による私的独占と搾取の自由が社会主義の本質ととらえ、それらの引き起こすさまざまな社会矛盾を民主的に是正していくことで理想的な資本主義に段階的に近づいていける」とするべきではないでしょうか。
    資本主義社会は、資本の拡大再生産を目指す社会であり、市場経済の採用か、それとも非市場経済(社会主義、共産主義、開発独裁等々)の採用かは、その目的を達成するための手段を選択する問題です。鄧小平が「白猫であれ黒猫であれ、鼠を捕るのが良い猫である」と言ったのは、生産力の増大という資本主義の理想を実現することができるのなら、そのための手段は社会主義経済でも市場経済でもどっちでもよいと考えたからでしょう。中国は、自分たちの体制を社会主義市場経済と呼んでいますが、その内実を正確に表現するならば、社会主義経済と市場経済が混合した資本主義社会ということになるでしょう。所謂「混合経済」における「混合」は、「資本主義と社会主義の混合」ではなくて、「市場経済と社会主義経済の混合」と理解するべきだと私は思います。

  7. 同一テーマのコメントを2カ所に書いてすみません。どちらにも関係のあるテーマでしたので。
    上記「社会主義社会における生産手段の少数の党幹部による私的独占と搾取の自由が社会主義の本質」は現在の北朝鮮労働党やスターリン独裁下の旧ソ連、文化大革命当時の中国共産党などはそれに近い状態ですが、国家社会主義、戦時共産主義を社会主義の一形態とみなせば、本質的かどうかは別として、その結論は正しいでしょう。しかし、私はそのような社会は「封建社会」と呼ぶのが正しいのではないかと思います。日本の戦国時代や江戸時代のように軍隊の上層部が国の経済や軍事の決定権と生産物の分配率を掌握し、大多数の国民は国の為に奉仕するのを強要され、反旗を翻せば、弾圧される。まさに封建社会です。あるいは、経済学的には、「国家独占資本主義」の形態であるとみなせると思います。事実、京大系のある経済学者はそう評していました。私は、それらの社会は「資本主義」の名付け親であるマルクスがその内的矛盾を発展的に解消した社会であるする「社会主義社会」であるとはとうてい思えません。
    本論にもどりますが、「社会主義を搾取のない社会あるいはそれを目指す社会」とする私と、「北朝鮮は社会主義」と考える永井さんでは、なかなか話がかみ合ってきませんが、「搾取のない自由な市場の社会」が近未来の進歩的社会であるという点では一致しているのではないかと思います。

  8. 「搾取のない自由な市場の社会」が望ましいということに異議を申し立てるつもりはありませんが、「搾取」という言葉で以って何を念頭においているかが気がかりです。ムッキーさんは「利潤追求加熱による労働分配率の低下」は悪と書きましたが、これは、資本家の利潤を労働者の搾取の結果とみなすマルクス主義的な考えを表明しているということでしょうか。労働者の賃金は、労働者が自分の身体という資本を活用して得た利潤であり、資本家が資本金や自分の頭脳という資本を活用して得た利潤と本質的に異なるところはなく、前者の利潤追求は善で後者の利潤追求は悪とみなすことには根拠がありません。

  9. 話がかみあってきました。さすがですね。まさに、そのことが、社会主義と資本主義の考え方のちがいで、社会主義経済の対立概念は市場主義経済ではなく、搾取があるかないかで、判断すべきという私の最初のコメントの意味です。その本質的考え方および現実利害の差が、近代史を動かす原動力となっていることは、いうまでもないことです。
    私は、現代の社会のような混合経済のもとでは資本家及び追随する人々の利潤の源泉は、搾取によるものと自ら労働によるものの双方が含まれていると考えています。誤解されるとこまるのは、社会主義経済では、頭脳労働を労働とみとめないとか、資本家の投資判断や管理職の知的労働が生み出す利潤を、搾取によるとは考えていないことです。また、公開市場で取引される投資が生み出す利潤(配当や売買差益)も投資の機会均等が保証された市場なら、搾取ではなく適正な利潤と考えています。(その場合、市場がうまく機能していれば、その国全体の配当利子率+売買損益の平均値は公定歩合や経済成長率に近づいていくはずで、その市場で売買している投資家が自らの判断で行った利潤には搾取は含まれていません。)しかし、現実の世の中は政治家や財界との癒着が、差別人事や公正な市場の形成を阻害しており、また、スケールメリットのある市場では、独占が生み出す搾取を財界全体が共有することができ、そこには、投資市場に参加する機会が均等に存在するとはいえません。また、病気や遺伝、資産相続、女性と男性の役割分担など個人の努力によるものでない理由での経済活動に参加できない人のハンディーを労働市場がどう評価するか(福祉の基準)も資本家に対する適正な課税が行われていれば搾取ではありません。(混合経済社会における累進課税や相続税による搾取の是正が民主的に決められ実行されている国では資本家の国内投資によって得た利潤に搾取はありません。その社会は、私は社会主義に近い混合経済社会と考えます。)
    「資本家が資本金や自分の頭脳という資本を活用して得た利潤と本質的に異なるところはなく、前者の利潤追求は善で後者の利潤追求は悪とみなすことには根拠がありません。」この根拠を十分とはいえないまでも解明したのがまさに永井さんがおっしゃるマルクスの「資本論」です。上記の理由で、私は「搾取のない自由な市場の社会」は可能だと考えます。

  10. 1.政治家や財界との癒着が、差別人事や公正な市場の形成を阻害している。
    これは、間接民主主義の弊害です。この問題を解決するには、民主主義にさらなる市場原理を導入する必要があります。詳しくは、「民主主義はどうあるべきか」をご覧ください。
    2.スケールメリットのある市場では、独占が生み出す搾取を財界全体が共有することができ、そこには、投資市場に参加する機会が均等に存在するとはいえない。
    規模の経済と同時に規模の不経済もあることに留意してください。資本集約型経済においては、規模の経済が働くことが多かったが、現在のような知識集約型経済では、むしろ規模の不経済が働くことが多いのではないでしょうか。もちろん現在の市場経済でも、ある企業が大きなシェアを持つ場合が出てきますが、その弊害が顕在化すると、他の企業が挑戦者となって出てくるものです。独占や寡占の弊害が顕在化しても修正されないままになるのは、むしろ、その独占や寡占が法的規制によって守られている場合が大半だと思います。
    3.病気や遺伝、資産相続、女性と男性の役割分担など個人の努力によるものでない理由での経済活動に参加できない人のハンディーを労働市場がどう評価するか(福祉の基準)も資本家に対する適正な課税が行われていれば搾取ではありません。
    これに関しては、「世代を超えた格差の固定化を防ぐ方法」や「ワークシェアリングはどうあるべきか」を参照してください。
    以上、いずれも市場原理によって解決するべき問題であると私は思っています。

  11. 私のコメントに、真摯なご意見ありがとうございます。「市場原理によって解決すべきである。」は同感です。永井さんは研究者ということですので、研究の参考になればと、私の考えを追加します。
    私は、市場を4つの市場に分けて考えています。「商品市場」「労働市場」「資本市場」「政治市場」です。各市場で参加の機会均等と規制が全くないとき「搾取のない自由な市場の社会」は実現できると思っています。現代の社会は、それぞれの市場にスケールメリットが存在し、取引が対等の立場で行われてないため、「きちんとその機能を果たしていない」と感じています。その1つが、マルクスが指摘した「剰余価値」の存在です。「剰余価値」の中身はすべて「搾取」ではなくて、拡大再生産に必要な投資分もあれば、不況期対策の内部留保金もあります。後に述べる社会資本への投資(税金)もあります。私が、「搾取」と考えるのは、資本市場のスケールメリットのために、株式会社の経営権をにぎっている人が、自分の利益を増すために、労働分配率を低く抑え、また、生産過程においても、会社の財産を利用する権利が経営者に近い労働者に偏りがちな市場のゆがみ指摘したものです。私が「労働分配率の低下」を悪としたのは、「賃金の分配率を決める権利を持った人々(会社役員)」を決めているのが、「株主総会」で、「全利害関係者である社員および出資者総会」でないからです。生産協同組合(たとえばモンドラゴンのように)のように、社員が会社の経営権を持っていて、経営者は利害関係者の選挙で選ばれる)るようなな法人形態の場合は、「労働分配率の低下」および「固定資本出資比率」が生み出した資本の利潤は組合員である労働者に還元されるので、その場合は、おっしゃるとうり、悪ではありません。ちなみに労働市場におけるスケールメリットは、団結権の行使できる労働組合の存在ですが、それは、資本市場におけるスケールメリットの対立概念として存在するものだと考えています。資本市場におけるスケールメリットを是正し、機会の均等が保証されれば、労働組合は「団結権」を行使してストをしなくなると考えます。労働者がスケールメリットを行使し、「労働分配率」の上昇を訴える行為は、労働者本来の働きに見合う分配になってないと感じるときだけで、会社の発展を妨げるのが目的ではありません。さらに、現在では、「派遣労働」「請負」「子会社化」「アウトソーシング」などで、大資本のスケールメリットに対抗する労働者のスケールメリットの「団結権」は形骸化されつつあると感じています。つまり、市場原理は売り手と買い手が対等な立場で価値を交換して初めて働く原理ですが、現在の株式会社による労働力の売買が対等ではないために起こる現象であると理解しています。
    ちなみに、政治(相続税や累進課税)は、社会制度の価値(愛情や人間関係、現在の制度では貨幣で取引できない価値)を国民が、税金を納め、投票という形で売買していると考えているので、市場売買が適正化すれば小さな政府になるし、適正でないときのみ大きな政府にならざるを得ないと考えています。中国やベトナムなどは「社会主義市場経済」を名乗っていても、政党選択の自由や民主主義が規制されており、この市場がないため、共産党の独裁による官僚主義がはびこり(私は世間がいうところの共産主義者ですが、誤解のないようにお願いします。)、貧富の格差の拡大や社会不満が鬱積するが、社会保障が整わない状態になっており、市場原理による政治である民主主義の発展によってこそ、「搾取のない自由な市場の社会」は実現可能であると私は考えます。
    また、市場の単位による階層構造のずれをどう補正するかが問題となります。A、B二国間の現在の貿易の市場を考えた場合、現在の社会は、規制はありますが、資本と商品が、比較的自由に行き来する二国間共通市場ですが、労働市場と政治市場はそれぞれの国単位での、単一市場になったていて、労働者はそれぞれの国を自由に行き来したりすることができないし、相手国の政治市場に参加することができません。その場合、A国とB国のスケールメリットを得た資本家は、それぞれの国の比較優位(日本の場合電気・機械・自動車などの加工産業)の産業に投資できるので、効率よく利潤をあげることができますが、逆に、行き来できない労働者やスケールメリットを持たない資本家は、自国の労働市場と資本市場でしか利潤をあげることができず、その国の比較劣位産業(日本の場合農林水産業・鉱工業)同様衰退します。また、相手国での政治的権利を行使できないので、政治市場での市場原理がうまく機能しません。この結果、世界経済全体や資本の原蓄(集積)が進んだ国では、経済全体は発展しますが、貧富の格差は増加します。
    私は、南北問題や南南問題、貿易自由化問題、南米とヨーロッパの市場統合(資本市場・商品市場に加えて、EU議会や南米共同体構想のように政治市場や労働市場も統合する)などは、こうした、4つの市場とにおけるスケールメリットといい意味での民主的規制や市場総体の範囲や階層の差、によって起こっていると考えており、それを解決するには、その総ての市場における機会の均等(スケールメリットへの適切な規制)と対等な取引、市場の一致、などが「搾取のない自由な市場の社会」のためには必要と考えます。
    永井さんがハイブリッド民主主義などで、その政治市場の公正な売買(納税と税金の使われ方)の市場のゆがみの是正にすばらしい考えをお持ちなのは理解してますが、本論からはずれますのでまたの機会にしたいと思います。あくまで、私が、「社会主義社会」と呼び、永井さんが「理想的資本主義」とした「搾取のない自由な市場の社会」と「小さな政府」の中身を、永井さんとの討論により理解を深めたいと私なりに考えたものです。

  12. 一般の市場での独占の弊害を指摘しつつ、労働市場での労働組合による独占を正当化することは、整合的ではありません。「毒を以て毒を制す」というつもりかもしれませんが、「どうすれば労働者の待遇は良くなるのか」で既に述べたように、労働者の待遇を改善したいのであれば、むしろ逆に労働市場を自由化するべきでしょう。
    理論的なことはリンク先を参照してもらうことにして、ここでは最近の一つの事例を挙げて、問題提起をしましょう。2010年11月に、グーグルは、従業員に10%の賃上げを実施することを発表しました。これは、労働組合が、スケールメリットを活かして、経営者に圧力をかけることに成功したからでしょうか。そうではありません。優秀な従業員が、高い給料を求めて、フェイスブックのようなライバル企業に転職することを防ぐためです。このように、労働市場が自由で流動的であれば、労働組合などなくても、経営者は、従業員の待遇改善に腐心せざるをえなくなるのです。
    ムッキーさんは、スケールメリットを過大評価して、スケールの大きな企業は、海外進出することで利益をあげることができると考えているようです。しかし、海外進出することができるかどうかは、その企業に国際競争力があるかどうかによるのであって、スケールは重要な要因ではありません。全国農業協同組合中央会は巨大な法人ですが、国際競争力はないから、海外進出には意味がありません。逆に小さな企業でも、世界最高の技術があれば、海外進出することができます。

  13. さすが、まさに「毒をもって毒を制す」です。「やむを得ない場合のみ」労働者は、団結権を行使します。それは、買い手と売り手が対等な立場で交渉出来ない資本主義社会の労働市場では既得の権利として、一人一票の政治市場にて獲得されたものです。その理由は、買い手である資本家は一株一票(金で買った票)で手に入れた権利で選任された会社役員(資本家側の利益代表)の交渉するために売り手側の労働者は、一人一票で委託した組合役員と交渉して初めて対等な立場といえます。発達した資本主義国で団体交渉権を認めない国はありません。グーグルの例、資本家と労働者に共通の利害のための賃上げは、団体交渉権をつかう必要がないので使わなかっただけで、インターネットの世界市場を独占する先端産業のグーグルは、頭脳労働者からの搾取で巨大な利益(超過剰余)をあげることができます。団交渉権をつかえば、20%の賃上げも可能です。(労働者は満足しているので、その権利を行使しする必要がないだけです。)先端産業の頭脳労働者からの搾取で資本家が巨額の利益をあげられる例として、青色発光ダイオードの中村さんの例がありますし、団体交渉の成功例として、アメリカにおいて独占企業のボーイング社の労働者が2ヶ月に及ぶ長期ストの結果15%以上の賃上げを勝ち取った例を対置すれば十分でしょう。以上の例示で明らかなようにマルクスが指摘した搾取の問題は、発達した資本主義の国々の労働者は、資本家のスケールメリットの発揮できない、政治市場で、団体交渉権や福祉(人権)、累進課税制度や相続税などを「購入」したのです。この市場では資本家が資本市場のようなスケールメリットの原理を発揮すると、どこかの政治家のようにお縄になります。この問題を市場で解決するとした意味はそういうことです。買い手と売り手が対等の立場に立ち、市場参加の機会均等が保証された市場でないとマーケットメカニズムは機能しません。(市場とは価値の等価交換の原理です)
    また、市場一般において、資本市場と労働市場、政治市場、一般商品市場は、それぞれ違った商品を扱い、違った機能を持っていますが、相互補完的的に機能して、全体として、様々な階層や閉鎖的市場を残しながら、世界市場を形成しています。世界政治市場は、未発達で、国連や非同盟諸国首脳会議や先進国首脳会議などさまざまな国際機関がありますが、また世界政府のようなものはありません。議決権は人数か国数か所有する金(貨幣)の量か、国際問題は、国際政治市場が未発達なことに起因するということは前にも書きました。会社の海外進出に農協の例は、理論家の永井さんらしからぬ本質からはずれた質問で意味が分かりません。農協は、日本では小規模自営業者である農家が作った、政治的利益を追求するための業界団体です。生産手段である農地を海外で購入して生産することができないし、それをすれば、自分たちの利益にならないので、海外進出する意味がありません。ちなみに先のスペインの生産協同組合モンドラゴンは、中国やブラジルにも工場があります。詳しくは知りませんが、海外に生産拠点を持つ目的は株式会社とはちがうと思います。

  14. 「毒をもって毒を制す」という理屈で労働組合の活動が正当化できるかどうかを検討する前に、独占はなぜ毒なのかということを考えなければいけません。別の言い方をするならば、良い独占と悪い独占の違いはどこにあるかを見定めなければいけません。
    なお、本来、独占という言葉は、「市場において供給者ないし需要者が一人しかいない状態」を指すのですが、ムッキーさんは、この言葉を「市場においてある供給者の占める割合が高い状態」という非本来的な意味で使っています。ここでは、私もムッキーさんに合わせて、この非本来的な意味で独占という言葉を使っていることを予め断っておきましょう。
    ある供給者の商品に、いかなる競合者にもないような高い価値がある時、その商品の市場におけるシェアは、市場原理により高くなります。高い価値がある商品を提供してくれるのですから、これは需要者にとっては良いことです。よって、これは良い独占と呼ぶことができます。
    もしもある供給者が、政府と癒着して、規制や補助金などの手段で他の競合者を排除するならば、あるいは、供給者同士がカルテルを結ぶなどの手段で市場でのシェアを高め、価格を吊り上げるのであれば、需要者は、高くない価値の商品に高い対価を支払わなければいけないのですから、需要者にとっては悪いことです。よってこれは悪い独占と呼ぶことができます。
    グーグルやボーイングの市場におけるシェアは高いけれども、これは後者の独占にはあたりません。グーグルにはフェイスブック、ボーイングにはエアバスというライバルがいて、新規参入が可能な市場で競争をしているのだから、問題はないでしょう。労働市場においても、もし余人をもって代え難い才能を持った労働者がいるならば、その労働者の待遇はよくなるでしょうが、これは良い独占です。しかし、労働組合というカルテルによって賃上げすることは、悪い独占です。
    もしも企業が悪い独占を行うことを独占禁止法で禁止するのであれば、労働者が悪い独占を行うことも、つまり労働組合の活動も独占禁止法で禁止しなければいけません。「毒をもって毒を制す」と言いつつ、毒のないところに毒を盛ることは、有害以外の何物でもありません。
    なお、全国農業協同組合中央会は、スケールは大きいが、オープンでフェアな競争が行われている市場では競争力がない社会主義的な法人の例として挙げたのですが、これよりゼネラルモーターズを例に挙げた方がよかったかもしれませんね。ゼネラルモーターズは、世界的に事業展開をしているスケールの大きな株式会社ですが、収益は良くありませんでした。この会社は、労働組合の力が強い社会主義的な企業で、巨額の年金・退職者医療の債務を抱え、債務超過に陥り、2009年に事実上の経営破綻に追い込まれました。
    労働分配率が高いことは労働者にとって良いことのように思えますが、それが原因で企業が破綻したら、労働者も不利益を被ります。ゼネラルモーターズは、労働分配率を下げて、商品の品質改善にもっと投資するべきではなかったのではないでしょうか。

  15. ええ、ライバルがいるので商品市場独占「的」企業です。独占的になった原因は、グーグルの場合は世界で最も先行する技術を持っていたために、他社を淘汰し傘下に納めながら資本を集積し、最高品質の労働力を手にいれるために労働者の賃金を上げているので、労働者も満足しているので良い独占的企業です。ボーイング社は全くちがいます。軍需産業として、国家的独占に端を発しています。前にも説明しましたが、国家が戦争をするときは、その国の最高の技術をもつ会社に国家が大量の資本を投入し軍需品を量産します。太平洋戦争、朝鮮戦争およびベトナム戦争の時ボーイングは、国家予算でB29を大量に生産し、莫大な富を得ました。戦争終結後は、そのインフラを利用し、民間大型機を量産し、世界市場を独占「的」に支配しました。生産拠点がアメリカ本土が戦場ではないので、インフラはほとんど被害を受けません。ライバルは旧ソ連(国家独占資本主義国としての)とヨーロッパのエアバス(ヨーロッパは戦場となりインフラはほとんど破壊されていたので、国家連合の企業体とし、出遅れて市場に参入しました。)大型機は巨大な資本が必要ですので、当時他社が参入するのが困難で、航空会社もフラッグキャリアといって国営もしくは半官半民で、市場原理にとって悪い独占「的」企業の例の1つです。共通点は、市場を独占的に支配したことによる利潤が多いことで、労働分配率を低く抑えても労働者を満足させられることです。(賃上げ余力がある、つまり、賃上げをしても会社がつぶれない。)
    私が永井さんの「毒をもって毒を制する」という表現に同意したときの「毒」は商品市場における独占「的」状態を「毒」といったのではなくて、前後の説明にもあるとおるり、資本家(利潤の分配を受ける権利を1票いくらで買うので金持ちほど資本市場を独占できる)と労働組合(利潤の分配を受ける権利の交渉を一人一票で委託したので団結で市場を独占できる)が対等に交渉できるようお互いにスケールメリットを生かして市場を独占し、対等な立場で利潤分配「率」の交渉をするためです。「率」に注目してください。個別の賃金交渉を労働組合はしません。ベースアップやボーナスの平均値のみです。企業内の労働者の競争は妨げません。むしろその競争を阻害しているのが、日本の「国家・財界独占企業体」の電力会社会社であったと思います。原発の危険性を指摘する労働者や搾取による富の独占に反対してきた労働者をそのたぐいまれな能力にもかかわらず差別し、裁判でも能力に見合う賃金が払われてないことが立証されても是正しようとしない。あげくの果ての原発事故に、労働者の賃金は下がり、資本家の利益も台無しになった例もありますよ。
    農協中央会の例は、資本のスケールメリットを生かして利潤を追求するため海外進出する比較優位の株式会社に対置して出されていますが、もし、この例を「1人1票」による政治的的利益の追求するための業界団を「社会主義的生産協同組合」と同質のものと理解しての「社会主義」批判でしたら、またまた的はずれな例示です。私の市場原理主義の場合は、政治市場での産業別利益を政治的に調整するための事業者団体と位置づけてますので、経営の善し悪しや内部問題は、制度上の欠陥ではありません。本質論からはずれます。農協はもともと、日本の某保守政党が護送船団方式で、総ての業界からの支持をとりつけるためにつくった業界団体ですから、「護送船団方式」に対する批判としてなら分かりますが、税金を納め、「1人1票」で「協同組合日本」の社会経営権を買う政治市場で、「社会主義的」に「市場原理」で適正可されるものです。その場合、農業の、日本の自然環境を守り、食の安全や国内自給率の向上による軍事的安全を保障するための保護を、比較優位の輸出資本の利益のために売り渡す、売国政治として保守側からも批判されるでしょう。決して「社会主義」か「資本主義」かの問題ではありません。国益の問題です。

  16. ゼネラルモーターズの例は、永井さんの意見に賛同します。労働者側の学習不足で、団結権の乱用により、自分で自分の首をしめたということができると思います。
    わたしも本論をはずれそうになったので、ここで論点を整理しておきたいのですが、「社会主義国はなぜまずしいのか」との永井さんの提起と見解にたいして、共産主義者でありかつ市場原理主義者である私の立場から、「社会主義の対立概念は資本主義であり、市場原理ではありません」という私考えでコメントしたことから論発展しました。その立場と考えは今もかわりませんが、永井さんとの共通点は、「社会主義を名乗る国であれ資本主義を名乗る国であれ、他人の労働を利用して自分が豊かになるという搾取はよくない。それは、適正な価値交換の原理である市場原理が発展することで解決される。民主主義はそれを保証するための重要な政治市場で市場原理が働くためのしくみである。」でした。永井さんとの相違点は、「社会主義国は、生産手段を労働者党や国家が独占してしまうので、商品市場で市場原理が働くなくなり悪である。」ということに私が社会主義者として「あれは私たちの目指している社会主義ではない。」といったことがいまだに差異として残っています。」私たち社会主義を目指すために運動している者にとって、今まで、その偏見が、どれだけ政治市場における適正なな市場の発展の妨げとなっているか理解していただきたいのです。せめて、そういう社会主義もありうる。程度でもいいのです。(私は、それが社会主義の本質に基づく本道だと思ってますが。)

  17. 私は、「一般の市場での独占の弊害を指摘しつつ、労働市場での労働組合による独占を正当化すること」が「毒を以て毒を制す」ことになるのかと聞いたのですが、ムッキーさんは違うことを考えていたようですね。
    ムッキーさんの議論の前提は、労働市場では「買い手と売り手が対等な立場で交渉出来ない」ということが前提になっていますが、この前提を疑わなければいけません。奴隷社会では、使用人は奴隷を選ぶ権利がありますが、奴隷は使用人を選ぶ権利がないので、この場合、「買い手と売り手が対等な立場で交渉出来ない」と言うことができるでしょう。しかし、市場原理が機能している労働市場では、資本家も労働者も相互に相手を自由に選ぶことができるのだから、買い手と売り手が対等な立場で交渉出来ると言うべきでしょう。
    もとより、日本の労働市場では、雇用者がフルタイムの従業員を簡単に解雇することができません。この点で、買い手は売り手よりも不利な条件にあるようにみえます。しかし、雇用が硬直化することで、売り手の転職が事実上困難となり、結果として売り手の自由が制限されているのだから、売り手が買い手よりも弱い立場にあるというのが現状です。この弊害を除去するに必要なことは、労働組合が力を発揮することではなくて(それは全くの逆効果です)、雇用者に解雇の自由を与えることです。
    さて、ゼネラルモーターズの労働組合は団結権を乱用したとのことですが、日本の農協も同じ間違いをしてきたと思いませんか。ゼネラルモーターズの労働者を日本の農民、ゼネラルモーターズの労働組合を日本の農協、ゼネラルモーターズを日本政府で置き換えて考えてみてください。
    農協は、農地改革が実施された1947年の翌年に発足し、農地改革により自分の土地を手にした農民が、自分たちの利権を守るための組織として機能してきました。日本の農業は、日本政府-農林水産省-全国農業協同組合中央会-単位農協-農民というピラミッド型の巨大組織を通じて営まれており、このピラミッドは、一つの企業体とみなすことができます。
    かつてのゼネラルモーターズの労働者たちは、ゼネラルモーターズという世界有数の大企業が破綻するということは全く考えていなかったことでしょう。そのため、彼らは、自分たちの生産性の向上に努力するよりも、労働組合を通じて会社からより多くの金を搾取することに熱心でした。しかし、大きいから潰れないというのは幻想であり、ゼネラルモーターズが経営破綻してからは、労働者たちは賃金半減などの憂き目にあっています[The Militant (October 25, 2010) GM to begin cutting wages by half at auto plant in Michigan]。
    日本の農民たちも、日本という世界有数の経済大国が破綻するということは全く考えていなかったことでしょう。そのため、彼らは、自分たちの生産性の向上に努力するよりも、農協を通じて政府からより多くの金を搾取することに熱心でした。しかし、大きいから潰れないというのは幻想であり、日本政府は、巨額の債務で青息吐息です。もしも日本政府が財政破綻するならば、政府の保護に依存してきた日本の農民たちも大きな打撃を受けることになるでしょう。
    「大きいものは強者である」という考えも「小さいものは弱者である」という考えも正しくはありません。こういう間違った考えに基づいて、小さい者たちの団結による大きなものへの寄生を社会的正義として認めてしまうと、寄生者の増加により宿主が衰弱し、寄生者もろとも倒れてしまいます。だから、スケールメリットの過大評価、「寄らば大樹の陰」という安易な発想を棄て、個の自立を確立することが、持続可能な経済を実現する上で重要なのです。

  18. 『ムッキーさんの議論の前提は、労働市場では「買い手と売り手が対等な立場で交渉出来ない」ということが前提』はそのとうりです。そこが社会主義思想の核心部分ですから。再び話がかみ合ってきました。それが「毒」か「薬」かは、そのスケールメリットにより利益を受ける人の利害の問題で、市場原理ににとっては「毒」という理解です。
    「市場原理が機能している労働市場では、資本家も労働者も相互に相手を自由に選ぶことができる」は全くそのとおりです。永井さんはそれを「資本主義」が保証すると思っているようですが、私は「社会主義」のみがそれを保証しうると考えています。
    資本主義(搾取の自由や解雇の自由のあり、かつ出資者を限定できる。)で会社が成長していく過程を考えてみましょう。発起人をつのり、出資者を募集します。この段階では、生産物の種類により、銀行であったり、関連の産業資本家であったり、関連の政治家であったり、優秀な技術者であったり、幹部候補の優秀な労働者であったり、発起人の利益が最大になるように「恣意的」に選定されます。その出資比率も市場原理によるものでなく、発起人の「恣意的」なものです。それを資本主義の公開市場ですれば、原蓄のない労働者や資本家の側に立たない労働者は、機会の均等からも締め出されます。そして、会社を立ち上げ、会社は労働市場から、市場原理を働かせ、自分たちの利益が最大になるよう労働者を購入(雇用)します。(こちらにも、児童労働禁止や男女雇用機会均等法、最低賃金や比率による障害者雇用義務など、政治市場において民主的に確立した労働市場規制がありますが。)そして雇用された労働者には、一般市場で経営権を獲得手段はありません。会社が事業を継続し、資本家が原蓄を増し、自分が経営権を奪取されない規模になったときに、東証や大証、ナスダックなど資本市場に、「自分の利益を確定させ現金化するために」株を売却します。この時点で労働者は株を購入できますが、比率的に経営権を奪取することは出来ません。(出来ないように資本家は株を市場で売却し、それまでの労働分配率を決めてある。)
    資本主義は、封建主義よりは人道的で合理的システムですが、経営権が資本家側にあるために一部の人に富が集中し貧富の差が拡大するという欠点をマルクスは見つけました。ですから、政治市場による一人一票による社会制度の売買が行われないと労働者を満足させることはできません。労働者は、モンドラゴンのように搾取のない生産法人を立ち上げたり、政治市場で団結権を購入し、満足を得たのです。
    私も実業が忙しいので、農協やその他へのコメントは次回にします。本質的問題として、マルクスの指摘した「使用価値」と「交換価値」に対する理解が、私と永井さんとでは異なりますが、「価値論」のところに別の機会にコメントします。申し訳ありません。

  19. “永井さんはそれを「資本主義」が保証すると思っているようですが、私は「社会主義」のみがそれを保証しうると考えています。”
    それを保証するのは、市場原理であって、資本主義ではありません。なぜなら、市場原理が機能しない資本主義もありうるからです。
    “経営権が資本家側にあるために一部の人に富が集中し貧富の差が拡大するという欠点をマルクスは見つけました”
    貧富の差があることがなぜ欠点と言えるのでしょうか。全体の約2割の少数の優秀な労働者が、全体の利益の約8割に貢献するというパレートの法則は、経験則ですが、こういう傾向はどこの職場でも見られます。それなのに、各労働者の賃金を政治的な力で無理やり均等化する方が、むしろ搾取の名にふさわしい理不尽な強奪ではないでしょうか。
    “原蓄のない労働者や資本家の側に立たない労働者は、機会の均等からも締め出されます。”
    資金がほとんどない貧しい若者が、一代にして大富豪になった例はいくらでもありますが、これをどう考えますか。貧富の格差があるからといって、機会均等ではないとは言えないでしょう。

  20. ええ、永井さんは「市場原理で理想の資本主義へ」の立場でしたね。私は「市場原理で理想の社会主義・共産主義へ」の立場ですが、その立ち位置の違いを示すための発言でしたが、永井さんの指摘がただしいので、訂正します。「市場原理が保証する」で一致しています。
    『経営権が資本家側にあるために一部の人に富が集中し貧富の差が拡大する』この「拡大する」に注目してください。レバレッジが働くぐらいに考えてください。マルクスが指摘したのは資本家による搾取の部分だけで、労働者の側の賃金格差をによる貧富の差の拡大をいったものではありません。マスクスは、労働者の労働力を抽象化し、一般論に昇化させて、その矛盾を指摘しました。マルクスはその時代の資本主義しか知らないので、本質的なことだけ引用しています。現代では、資本家側は、経営陣に協力する「いい子」には差別人事を行いますし、生産のインセンティブのための労働者間の能力差を過大評価することによる労働者間の搾取もないとは思いませんが、永井さんのいうような労働市場の均一評価するゆがみはが存在するとすれば、是正の必要があると私も考えます。ただ、政治市場において、人道的な観点や機会均等のゆがみの補正や政治制度によって達成されるべき問題であると思います。
    永井さんの引いたパレートの法則は、結果を説明したいわゆる経験則で、原因については、指摘がありません。私は、100人いれば100とうりの人生があるので、人間の努力や能力を市場が適正に評価するのは難しいと思います。高等教育の機会均等の問題が、政治市場における焦眉の課題となっています。遺伝的能力(障害者や病気の人)にたいする評価も必要です。また、効率だけで経済を考えると、20%の人が生産の80%を担っているので、80%の人を解雇すれば利益率が高まるかといえばそうではありません。むしろ工場は生産を行えなくなって、倒産してしまうでしょう。ですから、経営者は賃金に差をもうけ、労働者もそれには納得しています。また、商品市場全体で考えれば、消費者にお金が回らなくなって、大不況に陥ります。労働者や資本家は、生産者であると同時に消費者でもありますから、富の偏在は、流動性の低下を招き、経済成長は止まります。(今の日本のように)内需拡大が叫ばれるのはそのためです。
    農協の件は、永井さんのおっしゃるとうに、協同組合日本と考え、農協は農業生産協同組合と考えれば、社会主義「的」組織です。もともと、私は、法人の出現や政治市場の発達により、資本家の搾取は制限され、現在の発達した資本主義国とよばれる国々も、「社会主義と資本主義の混合経済」になっていると思っています。その意味では社会主義「的」組織です。ただし、目的は、農家共通の利害である、他業種との利害調整の為の政治団体としての性格は変わりません。生産性比較劣位の産業として、TPPに、消費者との共闘で抵抗するのは当然といえます。農家は少数派ですが、他の比較劣位産業や中小企業、消費者を味方につけて、日本政治市場で、大いに市場原理で、比較優位の大企業に抵抗してほしいと思っています。(私は、共産主義者であり市場原理主義者であり偏狭ではない愛国者です。)

  21.  貧乏なのに、努力して一代で大富豪になった人の例は、よく反共攻撃に出される例ですが、有能な労働者を、財界が自らの利益のために仲間に引き入れた例として理解しています。機会均等とはほど遠い例外です。優秀な技術者は超過剰余を生み出すので、資本主義のレバレッジを働かして、資本家側に引き入れた方が他の資本家に有利になる場合においてそれが行われます。搾取される側から搾取する側に移ることで、他の技術者の頭脳労働も搾取することが出来、レバレッジが働き、金融資本や商業資本もそれには協力します。ビルゲイツやジョブス、本田宗一郎の資産の大部分は、初期の自らの頭脳労働の生み出したものでなく、資本家になってから、他の技術者や労働者からの<合法的>搾取によるものです。また政治市場において、高額納税者や相続税で、社会に適切に再分配されていれば、搾取はもはやありません。トヨタや西武などにおいて、創業者の利益が、世代を超えて世襲していく例を対置すれば、現在の資本主義の場合では、市場の機会均等が保証されてない例外であることが分かるでしょう。
     また、社会主義市場経済に近づけば、貧乏な人でも金持ちになれるため、むしろそういう例は増えるが、大富豪になれないと理解してしてください。他人に搾取されないかわりに、他人を搾取できないですから。レバレッジは働きません。
     財界にとって、宝くじ当選者のようなものと理解してください。宝くじは、不労所得を得る夢を売り買いし、一夜にして富豪になる人いますが、期待値は40%ぐらいで、大多数の人は損をしますが、存した分の一部が福祉に寄付されるため、参加者も満足していますす。この問題は、市場が成熟し、搾取がなくなり、機会均等と労働市場の適切な運営が図られるなら、自分が使い切れないほどの富を独占する人は現れなくなると思います。

  22. “資本家側は、経営陣に協力する「いい子」には差別人事を行います”
    もしも経営者が身辺をイエスマンで固め、裸の王様になっているなら、冷遇されている従業員は、その会社を去ればよい。そういう会社は、遅かれ早かれ没落します。市場原理には、改善されない悪をその存在もろとも淘汰する機能があります。
    “効率だけで経済を考えると、20%の人が生産の80%を担っているので、80%の人を解雇すれば利益率が高まるかといえばそうではありません”
    そのようなことは言っていません。フェアな競争の結果、二割の富裕層が八割の富を所有する結果になったとしても、それを搾取の結果だと言うことはできず、むしろ、政治的な力で富を均等化しようとする方が搾取だと言っているのです。
    “生産性比較劣位の産業として、TPPに、消費者との共闘で抵抗するのは当然といえます。農家は少数派ですが、他の比較劣位産業や中小企業、消費者を味方につけて、日本政治市場で、大いに市場原理で、比較優位の大企業に抵抗してほしいと思っています。”
    ムッキーさんにとって「市場原理」という言葉はどういう意味なのですか。枠組みがTPPであれ、FTPであれ、何であれ、相互にお互いの国内産業保護政策を撤廃し、貿易を自由化しなければ、市場原理は機能しません。なお、日本の農業は経営システムに問題があるから競争力がないのであって、日本の農業そのものに競争力がないわけではありません。
    “貧乏なのに、努力して一代で大富豪になった人の例は、よく反共攻撃に出される例ですが、有能な労働者を、財界が自らの利益のために仲間に引き入れた例として理解しています。”
    市場原理が機能している経済には、財界という一枚岩の組織は存在しません。財界という一枚岩の組織があって、そこが合議に基づいて仲間の選抜をしているというのは、現状と異なります。新興勢力は、旧勢力にとっては脅威で、旧勢力に叩かれながらも、実力で台頭し、旧勢力のライバルを蹴落として成長していくのが普通です。そういう新興勢力は、必ずしも高学歴の知的エリートとは限らず、低学歴だが商才のある人(例えば、小学校中退の松下幸之助)であることもあります。だから、チャンスはすべての人に開かれていると言うべきでしょう。
    (*)段落分けは、字下げではなくて、一行あけることでしてください。

  23. 『もしも経営者が身辺をイエスマンで固め、裸の王様になっているなら、冷遇されている従業員は、その会社を去ればよい。そういう会社は、遅かれ早かれ没落します。』
    基本的に市場原理から見た場合この論に間違いはないよう思いますが、現実的には、家族や持ち家の住宅、社内秘や人間関係などあって、いくら「差別人事」と思ってもおいそれと会社を辞めるわけにいかないのが現実の世の中です。資本市場における市場原理の適正化で、経営者の差別人事こそがただされるべきと考えます。<例:フィクションではあるが沈まぬ太陽の小倉寛太郎さん>
    『市場原理には、改善されない悪をその存在もろとも淘汰する機能があります。』
    この表現には、同意できません。『市場原理には、改善されない悪を正す機能があります』の方がいいと思います。市場原理は細かい調節がきくのが利点の1つです。永井さんの表現は、現時点での市場原理としては整合制がありますが、理想的市場原理ではないと思います。
    『そのようなことは言っていません。フェアな競争の結果、二割の富裕層が八割の富を所有する結果になったとしても、それを搾取の結果だと言うことはできず、むしろ、政治的な力で富を均等化しようとする方が搾取だと言っているのです。』
    ええ、そのようなことはおっしゃってないですね。すみません。それが「フェアの競争の結果」であれば、搾取ではないですが、そのための例示であれば『全体の約2割の少数の優秀な労働者が、全体の利益の約8割に貢献する』という経験則による数字は、どこかまちがっていると思います。それは資本主義的生産様式に於いてとするなら整合性がありますが。頭脳労働者による会社への貢献度は、発達した資本主義国においては、知的所有権や先行者利益という形で「恣意的に」過大評価されてますので、肉体労働者との貢献度の評価が適正とはいえないと思います。ここは、職種による生産全体への貢献度をその知識や労働能力の希少性による市場原理の結果とみると、永井さんの結論と同じになりますが、現状では、遺伝、教育の機会均等や家庭事情、地理的格差、社会制度の壁など市場原理で考えるにはあまりにも社会がゆがんでいます。政治市場の成熟なしには、資本市場や労働市場の公正性を語れない現状があると私は思います。
    『市場原理が機能している経済には、財界という一枚岩の組織は存在しません。財界という一枚岩の組織があって、そこが合議に基づいて仲間の選抜をしているというのは、現状と異なります。』
    いいえ、「財界共通の利害」となることに暗黙の同意があります。政治市場のゆがみや天下り、思想差別などの市場原理によらない人事は、平然と行われています。談合も黙認されています。資本家どうしの競争はありますが、差別人事も存在し、資本主義的生産様式を維持するかぎり、労働市場の市場原理のみでそれを正すことはできません。富の再分配のための大きな政治市場が必要です。社会主義的生産様式が普及すれば、大きな政治市場はもはや必要なくなり、政府の予算規模は小さくてすみます。労働市場に働く市場原理で、永井さんの言うように政府の労働市場や富の分配への介入は不要になり、自らの支払う保険料のみで、医療、福祉、年金、生活保護などの社会保障のナショナルミニマムがまかなわれます。
    『低学歴だが商才のある人』の例は時代性もあります。むかしは、学歴はないが頭のいい人はいくらでもいました。戦争で学業を中断した人もいます。金持ちでないと中学へもいけませんでした。かならずしも学歴だけが頭脳労働者の条件ではありませんが、高度な科学技術を必要とする分野は、すくなくとも、それを身に着けるための学習量がむかしより増えてきています。学歴は、もちろん、若いころの努力の成果ですが、その後、余暇を利用して学習することもできます。会社の命令で、留学する機会もあります。しかし、一方で、諸外国に比べ、機会が均等に補償されてないのも事実です。
    『ムッキーさんにとって「市場原理」という言葉はどういう意味なのですか。』
    私にとって、「市場原理」を定義するとしたら「人間社会における価値の等価交換と需給調整の最適化の原理」です。貿易の問題は、世界政治市場が未成熟という別の問題がありますので、TPP問題は次回にコメントします。

  24. TPP問題は、単一市場における市場原理の問題と捉えるとアメリカの思う壺になります。新自由主義の主張の誤りは、貿易において市場統合を迫られるのは一般商品市場のみだということです。資本市場、労働市場や政治市場の自由化は行われません。日本の農業協同組合が、アメリカに土地を購入し、生産活動を行う自由は認めていません。(もっとも、日本の農家がそれを望むとも思えませんが。)すべての市場の開放とは、国境をなくすことを意味し、移民の自由や政治参加権を認めなくてはなりません。また、世界政府の存在が不可欠となります。ですから、ヨーロッパや南米は、慎重に地域統合から始めたのだと思います。その流れに危機感をつのらしたアメリカ(もともとはTPPに参加していなかった)がTPPに目をつけ、主導権をとり、日本に参加を迫っているのです。市場原理主義者として、この流れに従うとしたら、日本はまず「東アジア共同体構想」からはじめるべきだと思います。政治市場の統合は、遠い遠い未来になりそうですが。(哲学的には前提として各国で、民主主義におけるマイノリティーの自決権問題が解決されている必要がありますが。)
    TPP問題は、それ以前の問題として、各国における比較生産費の原理や環境問題、安全保障問題を国内政治市場で解決した、食管制度や食料関税の意義を国民がどう評価するかの問題だと考えています。発達した資本主義国で自国の農業を保護する政策をとってない国はありません。
    比較生産費の原理を考えます。現状では、自然環境に頼り、労働集約型の産業である農業は、資本集約型の加工産業に比べて、発展途上国で比較優位となります。そこで資本市場は、先進国の品種の遺伝子研究に資本投下すると同時に、発展途上国での労働市場に資本投下し、商品市場を発達した資本主義国に求めます。この場合、利益は最大となります。その結果日本国内の比較優位産業労働者は、商品市場による市場原理により安く食料品が手に入るようになり、国内の比較優位産業労働者の賃金は下がります。(搾取の自由をみとめる国では、資本家側の経営者は、「労働者が満足して生活できる最低限の賃金」にしたときに「自分の利益が最大」になるので)結果、内需が不足してデフレが起こります。(現在の日本の状態)
    労働市場が国境により閉鎖された環境では、生活必需品である主食の関税は、決定的に重要な必然的国内経済保護関税として作用します。なんどか不況を経験したヨーロッパ諸国では、それがわかっているので、現在でも農産品には高い関税をかけています。さらに、消費段階でも食料費には低減税率をかけています。
    日本の農業が高い技術と集約度で、絶対優位を獲得できても、高い米が市場で売れなければ、比較優位にはなりえません。現在のスーパーで、おいしい米より、安い米が売れている現状から見れば、農業関税撤廃の弊害は明らかです。消費者は、一時的には、喜びますが、こないだまで、国産コシヒカリを食べていたのにいつの間にか、ベトナムのこしひかりしか買えなくなった生活の危険と貧しさに気がつくでしょう。農業の衰退は、環境破壊と地域経済の破壊を生み出し、国土の荒廃につながります。スイスが国内農業を他のヨーロッパ諸国にも増して保護するのは、観光産業への貢献を認めているからです。また、農業は、自然環境の元、二酸化炭素を酸素に変え、生産過程で工業のように二酸化炭素を排出しません。二酸化炭素排出権の売買云々をいうなら、農業において農家が生産した酸素を政治市場で国民は購入しなければなりません。
    市場原理主義者の私がTPPに反対するのは上記の理由です。

  25. “現実的には、家族や持ち家の住宅、社内秘や人間関係などあって、いくら「差別人事」と思ってもおいそれと会社を辞めるわけにいかないのが現実の世の中です”
    労働市場が流動的で、転職先が容易に見つかるのであれば、そのようなことはありません。
    “市場原理には、改善されない悪を正す機能があります”
    改善されない悪があるときはどうするのですか。その場合は、存在ごと消すしかないでしょう。人間は保守的な生き物で、「改善しなければ、存続できないかもしれない」という危機感があって、初めて変わることができるものです。
    “現状では、遺伝、教育の機会均等や家庭事情、地理的格差、社会制度の壁など市場原理で考えるにはあまりにも社会がゆがんでいます。”
    その歪みを逆にチャンスとして利用すればよいのです。
    “この点で示唆的な例を一つ挙げよう。2009年6月7日にヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝した辻井伸行は、生まれつき全盲であった。彼は「全盲であるにもかかわらず」、ピアニストとして成功したと思う人もいるかもしれないが、実はそうではない。視覚障害が起きると、視覚を司る脳の部位が他の感覚、例えば聴覚を司るようになり、健常者よりも聴覚が鋭くなる。ヘレン・ケラーは、視覚と聴覚に障害があったが、その代わり触覚が健常者よりも鋭敏になっていた。辻井伸行は、自分を標準的な人間に近付けることによってではなく、全盲という、普通はデメリットと思われている自分の特性をメリットへと転換することで、非凡な成功を収めることができたのである。
    人間の長所と短所は、糾える縄の如く、表裏一体である。例えば、社交的な人には主体性がないし、主体性のある人には、協調性がないというように。人間の本性を変えることは容易ではないし、標準的な人間になっても、平凡な人以上の価値はない。それならば、教育により標準的な人間へと矯正するよりも、自分の特性を長所とする努力をした方が、得策ということになる。左翼たちは、自分たちの価値観に基づいて、標準以下の者を弱者と勝手に認定し、補助金や規制で弱者を救済しようとするが、そういう救済は、その「弱者」たちから、デメリットをメリットに変えて、平均以上になろうとするモティベーションを奪うことになる。”[世代を超えた格差の固定化を防ぐ方法
    “政治市場のゆがみや天下り、思想差別などの市場原理によらない人事は、平然と行われています。談合も黙認されています。”
    だからと言って、富の再配分の強化が正当化されることはありません。むしろ、富の再配分を口実に、政府による市場経済への介入が増えることで、こうした問題が起きています。
    “「市場原理」を定義するとしたら「人間社会における価値の等価交換と需給調整の最適化の原理」です。”
    私は、市場原理において最も重要なことは、需給双方に相手を選ぶ自由を与えることだと考えています。自由が最適化をもたらすのか否か、そこが私とムッキーさんの違いでしょう。
    “新自由主義の主張の誤りは、貿易において市場統合を迫られるのは一般商品市場のみだということです。資本市場、労働市場や政治市場の自由化は行われません。”
    それならば、すべてを自由化することには賛成ということですか。
    “日本の農業協同組合が、アメリカに土地を購入し、生産活動を行う自由は認めていません。”
    TPPは、たんに貿易の自由の拡大だけを目指しているのではありません。“ENLARGE the framework of relations among the Parties through liberalising trade and investment and encouraging further and deeper cooperation to create a strategic partnership within the Asia – Pacific region”[Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement]とあることからもわかるように、投資の自由化の促進も目指しています。
    “すべての市場の開放とは、国境をなくすことを意味し、移民の自由や政治参加権を認めなくてはなりません。また、世界政府の存在が不可欠となります。”
    世界政府ができたら、政府を選ぶ自由がなくなります。労働市場の流動化が、企業の統一ではなくて、分立と競合を必要としているのと同様、政府もまた分立・競合させる必要があります。
    “発達した資本主義国で自国の農業を保護する政策をとってない国はありません。”
    他の国が悪いことをしているからといって、自分たちもやってよいということにはなりません。だからこそ、二国間あるいは多国間で相互に保護政策を廃止する交渉が必要なのです。
    “日本国内の比較優位産業労働者は、商品市場による市場原理により安く食料品が手に入るようになり、国内の比較優位産業労働者の賃金は下がります。”
    これは逆で、比較優位のある産業に資源を集中した方が、労働者の賃金は上がります。
    “現在のスーパーで、おいしい米より、安い米が売れている現状から見れば、農業関税撤廃の弊害は明らかです。”
    日本の消費者は、価格だけではなくて、安全性や味も考慮に入れて買います。1993年に米が不作だった時、日本はタイから米を大量に輸入しましたが、タイ米は安くても売れませんでした。
    “農業の衰退は、環境破壊と地域経済の破壊を生み出し、国土の荒廃につながります。”
    政府が農業を「保護」すればするほど、農業は衰退します。日本の農業の再生のためには、自由化は不可欠です。

  26. 『労働市場が流動的で、転職先が容易に見つかるのであれば、そのようなことはありません。』
    差別人事が行われている場合、市場で正されるべきは経営者側であり、資本市場と労働市場が適正に機能してない資本主義国の場合は、政治市場の裁判で正されるべきであると考えます。また、現実に被差別者はそうして闘っている。
    『改善されない悪があるときはどうするのですか。その場合は、存在ごと消すしかないでしょう。人間は保守的な生き物で、「改善しなければ、存続できないかもしれない」という危機感があって、初めて変わることができるものです。』
    それは、政治市場における死刑のことを言っているのですか。それとも、商品市場において、経営者の放漫経営で倒産した会社の場合ですか。私はいずれの場合も存在そのものを消し去る必要はないと考えています。終身刑で十分ですし、経営者の場合は、降格人事で十分ですから。資本市場が機能していれば、倒産前に降格させることができます。
    『私は、市場原理において最も重要なことは、需給双方に相手を選ぶ自由を与えることだと考えています。自由が最適化をもたらすのか否か、そこが私とムッキーさんの違いでしょう。』
    同じですよ。そう考えています。資本市場と労働市場において、その自由がないのが資本主義の考え方で、その自由があるのが社会主義の考え方だと思います。そこが私と永井さんとの違いです。
    『それならば、すべてを自由化することには賛成ということですか。』
    段階的に相互均衡をとりながらすすめるなら賛成です。ただし、永井さんが言っている『世界政府ができたら、政府を選ぶ自由がなくなります。労働市場の流動化が、企業の統一ではなくて、分立と競合を必要としているのと同様、政府もまた分立・競合させる必要があります。』も大切です。民族の自治権や文化を守りながら、どう、市場統合を行うかは、ヨーロッパや南米を見ながら慎重に行ったほうがいいでしょう世界政府ができても、それぞれの国の自治政府がなくなる訳ではありません。また、日本の場合、東アジアの現状から、かなり遠い将来です。
    『その歪みを逆にチャンスとして利用すればよいのです。』『左翼たちは、自分たちの価値観に基づいて、標準以下の者を弱者と勝手に認定し、補助金や規制で弱者を救済しようとするが、そういう救済は、その「弱者」たちから、デメリットをメリットに変えて、平均以上になろうとするモティベーションを奪うことになる。』
    ピアニストの例は、例外です。よく障害者の方と一緒に仕事をしますが、幼少期に合併症を併発した重度の人が、自らの力だけで、自立的経済活動をするのは、一部の人以外、ほとんど不可能だと思っています。ハンディーを背負った分だけ社会が補助とサービスの集中を行う必要があります。それをきちんとすることで辻井さんのように、才能を開花させることができると思います。私は、左翼の人たちが障害者のモチベーションを奪うようなことをしているところは見たことがありません。むしろ、共同作業所をあちこちに立ち上げ、社会で活躍できるようモチベーションを高めてやっているところならいつも見ていますよ。才能を開花させ、個展を開いている人をみたこともあります。左翼の人は、補助金だけで生活せよと言っている訳ではなく、永井さんと同じように積極的に社会にチャレンジすることを促していますよ。
    『これは逆で、比較優位のある産業に資源を集中した方が、労働者の賃金は上がります。』
    それで賃金が上がらないのが資本主義のゆえんです。「資本家は、労働者が満足できる最低限の賃金に押さえる。」これが、資本主義的経営で収益を上げる極意です。日本の比較優位産業は、近年、不況を理由に正社員の名目賃金を上げていません。デフレで実質賃金が上がって、賃金カットされた劣位産業の労働者より相対的に高賃金になって労働組合が妥協したからです。永井さんの表現に妥協するなら「比較優位の産業労働者の賃金のみ上げることが可能になる。」程度のものです。理論は、現実との整合性が問題です。日本の比較優位産業は、不況を理由に労働分配率を下げつつ、内部留保金を積み増ししています。(現代の資本家は、相続税がかからない会社内に資産を残す。)
    『日本の消費者は、価格だけではなくて、安全性や味も考慮に入れて買います。1993年に米が不作だった時、日本はタイから米を大量に輸入しましたが、タイ米は安くても売れませんでした。』
    あれは、緊急のタイ米輸入だったからです。商社がタイやベトナムでコシヒカリなどのジャポニカ米を生産したら、事情は変わってくるでしょう。すでに米以外の分野では、商社が無農薬野菜を中国などで栽培して輸入しています。アメリカのカリフォルニア米は安くておいしいと評判です。
    すでに、農業関税は最低で、すでに自由化されています。これ以上の自由化は現状では必要ありません。これは、大量生産可能な工業製品と自然にたよる農業生産の生産性の違いが原因で起こっており、現状では、政治市場による商品市場への介入が必要な分野です。政治市場で市場原理を働かせることが大事だと思います。将来、工場で米がつくれるようになったときや資本市場、労働市場、政治市場などの地域統合が実現した場合は、関税を0にしてもいいと思いますが、遠い将来です。

  27. “資本市場と労働市場が適正に機能してない資本主義国の場合は、政治市場の裁判で正されるべきであると考えます。”
    私は、資本市場と労働市場が適正に機能していないことを前提に議論していません。
    “それは、政治市場における死刑のことを言っているのですか。それとも、商品市場において、経営者の放漫経営で倒産した会社の場合ですか。”
    経営者の場合は破綻のリスク、従業員の場合は解雇のリスクです。
    “経営者の場合は、降格人事で十分です”
    経営者が降格になっても、企業体質が改善しない場合があります。
    “ハンディーを背負った分だけ社会が補助とサービスの集中を行う必要があります”
    そのハンディーを客観的に測定することは不可能です。人生万事塞翁が馬で、ハンディーと普通の人が思うことがポジティブに働くかネガティブに働くかすら事前にはわかりません。だから、私は、事前調節型の補助は止めて、生命の存続が難しくなった失敗者に限定して、社会保険を適用することを提案しています。
    “それで賃金が上がらないのが資本主義のゆえんです”
    バブル崩壊後の日本における名目の賃金水準が伸び悩んでいますが、これは歴代の政府と日銀がリフレーション政策を採らないからです。資本主義とは、資本の拡大再生産を肯定する思想であり、物の価値が上昇させようとする以上、貨幣価値は逆に下落させなければいけません。リフレを否定する人は資本主義を否定していると言っても過言ではありません。
    “あれは、緊急のタイ米輸入だったからです。商社がタイやベトナムでコシヒカリなどのジャポニカ米を生産したら、事情は変わってくるでしょう。”
    1993年には、カリフォルニアやオーストラリアからジャポニカが輸入されましたが、あまり売れませんでした。売れても、国産米よりも安い値しかつきませんでした。
    “すでに、農業関税は最低で、すでに自由化されています。これ以上の自由化は現状では必要ありません。”
    農業保護を測る指標として、OECDのPSE(Producer Support Estimate、生産者支持評価額)がありますが、日本のPSEは、OECDの平均よりかなり高いです[OECD Factbook:Agricultural producer support estimate for selected countries]。
    これまでのムッキーさんの書き込みを見ていると、「社会主義の国はなぜ貧しいのか」に対してコメントを行っているというよりも、ムッキーさん自身の社会主義に対する見解の開陳を専ら行っているように思われます。それならば、こういうところに書き込まずに、システム論フォーラムに(例えば、経済学フォーラムとかに)トピックを新設して、自説を主張されてはいかがでしょうか。主客を逆にして、それに私が論評を加える方が、自然でしょう。

  28. 「それならば、こういうところに書き込まずに、システム論フォーラムに(例えば、経済学フォーラムとかに)トピックを新設して、自説を主張されてはいかがでしょうか。主客を逆にして、それに私が論評を加える方が、自然でしょう。」
    「社会主義=統制経済」の誤解を解くために書き込みを続けてきました。永井さんが「社会主義国はなぜまずしいのか」というテーマで、「社会主義諸国が、社会主義経済を維持したまま、市場経済を採用している日米欧先進諸国並に豊かになったという話は聞いたことがない。現代の中国がそうしているように、国民1人当たりの所得を増やすためには、社会主義経済から市場経済に移行しなければならない。それは、なぜなのか。」と問題提起されていることにたいして、私の言いたかったことは、「社会主義」・「共産主義」というのは「資本主義的生産様式における搾取(他人の労働を利用して自らの富を得る)のない社会を目指す主張のことで、決して、生産手段を国家が独占することや、統制経済を行うことが社会主義の目的ではないということを分かってほしかったからです。永井さんが「それを保証するのは、市場原理であって、資本主義ではありません。なぜなら、市場原理が機能しない資本主義もありうるからです。」といっているように「市場原理が機能しない社会主義(20世紀の崩壊した社会主義を名乗る国)」を指して、「社会主義経済=統制経済」というのも誤解です。「社会主義は資本主義的生産様式が内在する矛盾(人の人による搾取)を解消した社会」で資本主義の次にくる社会のことです。私の社会主義に対する考えの開陳のみならす、今日、真摯に社会主義を目指して運動をしている多くの人の共通の認識です。
    その共通認識を深めるために、永井さんのサイトを利用させていいただけるのであれば、経済学フォーラムへのトピックの新設を検討させていただきます。

  29. 後利己主義者は生命力が強いと言う根源的問題もある
    協調したふりができるという根源的問題もある

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