7月 022003
 

生物というシステムを考える上で重要なことは、それが何からできているかではなくて、それがいかなる機能を持っているかということである。環境との間にエントロピーの格差を作るというシステムの一般的条件以外にどのような条件が必要なのかを考えてみよう。

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1. 環境適応による散逸構造の維持

熱湯に氷を浮かべると、ぬるま湯になる。溶けていく氷は、エントロピーの増大に抵抗することなく、消滅していく。しかし、生命システムは、エントロピーの増大に逆らって、絶えず環境から自らを差異化しようとする。しばしば、人は、「生物は、生き延びるために、環境に適応しようとする」と言うが、環境に適応するということは、決して環境と同じになるということではない。生命システムが生き延びるためには、構造と環境の間にあるエントロピーの格差を解消するのではなくて、逆に維持しなければならない。環境に適応するために変えなければならないのは手段であって、目的は自己同一である。

例えば、私たちは、環境の気温が上がると、汗をかき、気化熱を奪うことで体温の上昇を阻止する。気温が下がると、震えることで熱を出し、鳥肌を立てることで汗腺の発汗機能を抑制し、体温の下降を阻止する。もし何もしなければ、体温は環境の温度に左右され、体温の不確定性が増大する。この不確定性、すなわちエントロピーを縮減し、体温を一定に保つことで、身体というシステムは、自らを環境から差異化する。このように、変わらないために変わらなければならないというのが環境適応の本質である。

生物は、主として太陽の可視光に起源を持つ低エントロピー資源を消費し、高エントロピーの廃物を環境に捨てることによって、自らの構造を維持するシステムである。このように、資源の散逸によって維持される構造を散逸構造という。しかし、散逸構造を維持することは、あるシステムが生命であるための必要十分条件ではない。例えばエアコンが取り付けられた部屋は、発電部分まで含めるならば、環境における熱の散逸を通して自己の構造のエントロピーを減らすシステムである。それでも、このようなエアコンシステムを生命システムとは呼べない。

2. オートポイエーシスによる生殖

生命システムであるためのもう一つの条件は、オートポイエーシスである。本書では、オートポイエーシスを、自己準拠的に自己自身を創作することと定義する。もしこう定義するならば、生殖もまたオートポイエーシスである。生殖において、遺伝子は遺伝子を自己複製する。遺伝子は、たんぱく質の作り方を指令する情報であるが、そうした情報全体を複製する情報をも部分として含んでいる。この「複製の情報」と「情報の複製」との相互産出により、

  1. 遺伝情報Gを複製せよ
  2. 「遺伝情報Gを複製せよ」という遺伝情報を複製せよ
  3. 「「遺伝情報Gを複製せよ」という遺伝情報を複製せよ」という遺伝情報を複製せよ

というように、自己複製が無限に続く。エアコンシステムが生命システムでないのは、それがオートポイエーシス・システムではないからである。

システムを選択主体として定義したが、選択はどのように行われても良いわけではない。どのように選択しても、捨てられる可能性がある以上は、低エントロピーな構造ができるわけだが、生命システムは、選択がさらなる選択を可能ならしめるように選択する。生命システムは、エントロピー縮減のためのエントロピー縮減を目指している。平たく言えば、生物は、少なくとも種のレベルでは、自己保存を目指している。

生命機能の本質はエントロピー縮減のオートポイエーシスにある。多分、伝統的な生物学者は、この条件ではまだまだ不十分だと考えることだろう。通常、生物学者たちは、呼吸、成長、環境適応、刺激感応といったエントロピー縮減機能、生殖というオートポイエーシス機能に加えて、たんぱく質でできた細胞構造という構成材料をも生物の要件として重視しているからだ。

だが、こうした物質的定義は非本質的に見える。確かに地球上の全ての生物は、水と炭化水素を基盤としている。しかしケイ素やゲルマニウムも炭素と同じような化学反応を起こすことができる。宇宙の知られざる惑星にケイ素やゲルマニウムでできた、その他の点では地球の生物にそっくりの存在者がいるかもしれない。それらをたんにたんぱく質でできていないという理由で生物と呼ばないことにどれほどの意味があるだろうか。いや、何も宇宙生物のことまで想像しなくてもよい。CPUとメモリの資源を奪い合いながら、サイバースペース上で進化しつつ繁殖する人工生命ティエラも、たんぱく質からできているわけではないが、きわめて生物的である。

このようにたんぱく質が材料になっていることは、生命にとって本質的ではない。また細胞から合成されているというもう一つの性質もウィルスの場合あまり意味をなさない。ウィロイドと呼ばれる核酸だけの生物もいる。だから生命を定義する上で重要なことは、生命の担い手が何であるかではなくて、生命がどのような機能をもっているかということなのである。生命システムの定義は、「散逸構造を維持するオートポイエーシス・システム」で十分である。

3. 生命システムとしての社会システム

こう定義するならば、社会システムもまた一種の生命システムであるということになる。生物が、食物等の低エントロピー資源を消費し、高エントロピー廃棄物を、体液循環を通じて糞・尿・汗・廃熱等の形で体外に排出することによって、身体という低エントロピーな散逸構造を維持するように、社会は、化石燃料等の低エントロピー資源を消費し、高エントロピー廃棄物を、水および大気の循環を通じて最終的には廃熱の形で宇宙空間へと排出することによって、文明という低エントロピーな散逸構造を維持する。

社会システムには、生命システムと同様のオートポイエーシスも見られる。遺伝子にしたがってたんぱく質が作られるように、社会規範によって社会的行為が産出される。けがや病気をしても生物にはそれを自力で治癒する能力があるし、社会規範から逸脱する行為があっても社会システムはそれを処罰して秩序を回復することができる。しかし、けがや病気がひどくなると生物が死ぬように、違反者が増えすぎると社会秩序は壊滅する。個体が死んでも遺伝子が子孫に受け継がれるように、社会秩序が乱れて一時的に無政府状態になっても、秩序が回復すれば、社会規範もまた受け継がれる。もちろん、遺伝子が変化しうるように、社会規範も、変化する。競争力のない遺伝子や社会規範は、その担い手とともに淘汰される。

よく考えてみれば、私たちの身体を構成している細胞は、かつては単細胞生物として単独で生命として存続できた。だから、生物の集合が一つの生物となっていることはそれほど驚くべきことではない。生命システムにはフラクタルな(自己相似的な)重層性がある。ただ社会の細胞は、生物の細胞とは異なって、意識を持つので、社会システムは、生物内には見られない独特の複雑性を縮減しなければならない。この社会システムの特殊性に関しては、第三節で改めて取り上げることにするとして、その前に、意識とは何かを考えなければならない。

読書案内
書名生命とは何か―複雑系生命論序説
著者金子 邦彦
出版社と出版時期東京大学出版会, 2003/11
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私が書いた本

  2 コメント

  1. 初めまして、以前「酒鬼薔薇聖斗の深層心理」というのをお気に入りに入れていて、今日初めて読ませていただきました。私は30年という長い年月、エホバの証人として歩み、3年ぐらい前にある本を読み、洗脳から無事解かれました。その後HPなどを開催して、元エホバの証人たちといろんな会話をしてきました。
    でも、結局私は創造者の存在を信じていますし、聖書という本にも特別な思いがあります。それで今年中に、大人のキリスト教というテーマで原理を打ち出したHPを開催する予定です。今のところ10人ぐらいのメンバーですが‥‥。
    よろしかったら永井さんもぜひ覘いてみてくださればうれしいです。
    たいへん興味深く拝見させていただいてます、ありがとうございました。
    http://www13.plala.or.jp/kiywi/

  2. 初めまして。「生命 エントロピー」でgoogle検索したところ、3番目のヒットでこのページにたどり着きました。「生命」の新しい定義が必要とされてますが、やはり私と同じ考えが既に掲載されていたことに安堵のようなものを感じています。
    実は私は、奇遇にも、前コメントの投稿者「キーウィー」さん同様、20年近いエホバの証人です。もっとも、大きな声では言えませんが、今も現役です(笑)。最初から信仰はありませんでしたが、理由あって、自分を与えるつもりで入り、本物の信仰を培うつもりでした。でも、やはり無理がありました。事情も変わり、いずれは組織から出ることになるでしょうが、当面は、もうしばらく留まるつもりです。
    社会の変革には教育が最も有効な手段ではないかと思いますが、「生命」のような基本概念をベースにした新しい教育システムが必要なのではないでしょうか?いずれにしても、たいへん興味深いサイトに出会えて喜んでおります。これから、仕事(電子系技術屋)の合間にぼちぼちと拝見して行きたいと存じます。アラ探しをして突っ込むかも知れませんが、よろしくお願いします。

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