7月 042003
 

多細胞生物は、複数の生命の集まりだが、それだけでは、社会システムを形成しているとはいえない。システムがたんなる要素の集まりでないように、社会システムもたんなるシステムの集まりではない。社会システムには、システム間の相互依存的選択が必要である。

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1. 囚人のディレンマ

意識システムは、非意識システムとは異なって、普遍性への超越を試みるがゆえに、将来を予期しようとする。だから、意識システムと他の意識システムとの選択関係は、意識システムと非意識システムとの選択関係以上に複雑となる。他の意識システムを認識する時、私は、非意識システムを認識する時のように、たんに他者の選択を予期するだけではなく、私の選択を予期して行う他者の選択を予期しなければならない。

この、意識システムの数の増加に伴っていくらでも複雑になりうる選択基準の相互依存は、社会生活がルーティン化している時には、さしあたり意識されにくい。そこで、社会システムが存在しないなら、どのような不確定性が生まれるかを考えることによって、社会システムの機能を明確にしていくことにしよう。

今、無政府状態のジャングルで、あなたは見知らぬ相手と出会ったとしよう。2人は、銃をお互い相手に向けて、同時に「銃を捨てろ!そうすれば、こっちも銃を捨ててやる」と叫ぶ。私が銃を捨てるかどうかは、相手が銃を捨てるかどうかに依存し、相手が銃を捨てるかどうかは、私が銃を捨てるかどうかに依存している。もしも2人とも武器を捨てて平和共存できれば、それが一番
良い。しかし私が率先して銃を捨てても、相手が約束通り銃を捨ててくれるとは限らない。相手は武器を独占して、私を奴隷にしてしまうかもしれない。

予想される四つの事態における2人の利得の組み合わせは、表1のようになる。相手が銃を捨てた場合、自分の利得は、銃を保持すると2点で、捨てると1点、相手が銃を保持し続けた場合、自分の利得は、銃を保持すると0点で、捨てると-1点であるとしよう。

囚人のディレンマまたは選択の相互依存
 相手が銃を捨てる相手が銃を保持する
自分が銃を捨てる(自分=+1, 相手=+1)(自分=-1, 相手=+2)
自分が銃を保持する(自分=+2, 相手=-1)(自分=0, 相手=0)

この時、私は「相手が銃を捨てるか保持するかは不確定だ。しかし相手が銃を捨てる場合でも、保持する場合でも、いずれの場合にも自分が銃を保持した方が利得の点数は大きい。だから相手がどのような行動に出ようとも、私は、銃を保持し続けることにしよう」と考える。

ところが、相手も同じことを考えるから、2人とも武器を捨てようとしない。これが、いわゆる囚人のディレンマで、共に核兵器を削減しようとしなかった冷戦時代のアメリカとソ連も同じようなディレンマに陥っていた。

ゲームの理論によると、他のプレーヤーがどんな戦略を取っても、自分の利得の最小値を最大にする戦略が最適反応である。そしてどちらのプレーヤーにとっても最適である戦略の組み合わせは、ナッシュ均衡と呼ばれる。現在の場合、2人が共に銃を捨てると、合計点が2点で最も高く、どちらか一方だけが捨てると、合計点は1点で、2人とも銃を保持し続けると、合計点は0点となる。「最大多数の最大幸福」という観点からすれば、ナッシュ均衡は最悪の状態ということになる。囚人のディレンマのパラドックスは、ナッシュ均衡が最悪だということがわかっていても、各プレーヤーは、最適反応によって最悪の状態にしか到達できないというところにある。

2. コミュニケーション・メディアによる解決

では、2人が無政府状態から抜け出して、共に自分たちの生命を安全にするには、どうすればよいのか。2人だけでは、ディレンマから抜け出せない。そこで2人の共通の知人にご登場をお願いしよう。この媒介者が、両手のピストルを2人に向けながら、「3秒以内に銃を捨てろ。捨てないとピストルで撃つ。1、2の3!」と言えば、2人に銃を捨てさせることができる。この場合、第三者は政府としての役割を果たしていることになる。

第三者が信用できないエイリアンの場合、銃を捨てると、2人は第三者の奴隷になる可能性がある。そこで2人は、第三者が漁夫の利を占めないように、力を合わせて第三者を撃ち殺したとしよう。このとき、2人の間には、連帯感が芽生える。このスケープゴートの排除によっても、社会的な、すなわち相互依存する不確定性を縮減することができる。

相互依存する不確定性のディレンマを解消する第三者をコミュニケーション・メディアと呼ぶことにしよう。共通の味方であれ、共通の敵であれ、コミュニケーション・メディアは、全てのプレーヤーから等距離でなければならない。そしてこの等距離であることが、コミュニケーション・メディアに公共性を与える。

交換とは、相互に他者が自由の一部を放棄することを条件に、自分の自由の一部を放棄することであり、コミュニケーション・メディアのおかげで、意識システムは、相互に恣意性を放棄して、他者が予期とは他のように行為する不確定性を縮減する。

ここでもまた、エントロピーの法則が成り立つ。すなわち、社会システムは、コミュニケーション・メディアを通して、予期から逸脱した行為の諸可能性を環境へと排除することにより、社会秩序という低エントロピーな構造を可能にしている。

3. コミュニケーション・メディアの種類

コミュニケーション・メディアにはいくつか種類がある。図5を見ていただきたい。この表は、四つの社会システムを支える四つのコミュニケーション・メディア(CMと略記)とそれらがない状態をまとめている。

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図5 コミュニケーション・メディア(CM)の分類

この表を下から見ていこう。

3.1. 文化システム

最も基底的なコミュニケーション・メディアは記号である。記号とは、対象と意味を代表象する、言語よりも包括的なシニフィアンの総称である。このコミュニケーション・メディアを通して、意識システムは、自己の体験を独自に記号化する自由を相互に捨てて、他の意識システムとコミュニケーションを行う。情報交換は、社会システムを成立させる最も根源的な交換である。

原理的にコミュニケーション不可能な人は、たとえ生物学的にヒトであったとしても、人間の社会システムから排除される。精神病患者は、罪を犯しても責任を問われることはないが、その代わり、例えば施設に監禁されるなど、自由を失う。このメタ交換は、交換が成立しないがゆえに成立する交換である。これに対して、表の上5段は、自由と責任を相互承認し合う意識システム間の交換の領野である。

表では、文化システムのコミュニケーション・メディアが「民間」の範疇に分類されている。これは、記号が、国家権力が消滅しても残存する、最も根源的なコミュニケーション・メディアであることを示している。政治システム・経済システム・司法システムのコードが、例えば憲法・商法・刑法といった、国家権力によって規定された法であるのに対して、文化システムのコードが、通常は国家権力が介入しない文法(語法をも含めた広義の文法)であることから、記号が政府発行のコミュニケーション・メディアでないことは明白である。

システムは、記号を通して、有意味を選択して無意味を排除するという最も根源的な複雑性の縮減を行うのみならず、真を選択して偽を排除し、善を選択して悪を排除し、美を選択して醜を排除し、快を選択して不快を排除するといった価値選択をも行う。その際に用いられる、貨幣・刑罰・票などのコミュニケーション・メディアも記号の一種である。この意味でも、記号は最も根源的なコミュニケーション・メディアである。

表の下から2段目に書かれているメディアは、学問や芸術など、文化システムの分野で純粋に記号だけを交換するコミュニケーションのメディアである。言語を媒体として、私たちは、すばらしい作品を賞賛し、期待はずれな作品を非難する。拍手やブーイングといった非言語的な記号で交換が行われる場合もある。

表象文化の生産を経済活動とみなすなら、生産物である作品の価値を、貨幣で数量的に評価することもできる。だが文化活動では、必ずしも経済的利益だけが追求されるわけではない。名誉を求めて、文化的生産活動をする人もいる。名誉という文化資本が持つ文化的価値は、作品の被引用数や認知度などによって、より直接的には人気投票によって数量的に評価することができる。

記号のもう一つの重要な役割は、文化価値を保存することである。メディアを通じて、私たちは過去の作品をいつでも楽しむことができる。以上をまとめると、貨幣と同様、記号には、交換媒体・価値尺度・貯蔵手段という三つの主要な機能があると結論付けることができる。

3.2. 経済システムと司法システム

表の真中にある3段目と4段目は、ポジティブな交換のメディアとネガティブな交換のメディアに分けられている。もちろん、罰金という形で、貨幣が刑罰の機能を果たすこともあれば、恩赦という形で、政府が服役者に恩を着せることもある。しかし、こうした反対機能は、もともと貨幣が正の価値を代表象し、刑罰が負の価値を代表象するからこそ可能なのである。

自由と責任を相互承認し合う意識システムは、相互依存する不確定性の縮減を確実なものにするために、国家を建設する。国家権力に基づく貨幣と刑罰は、それぞれ、ポジティブな価値の交換とネガティブな価値の交換を媒介する代表的な媒体であり、逸脱行為を減らす上での飴と鞭として機能している。

もしも、国家権力に基づいたコミュニケーション・メディアがなければ、私たちは、物々交換によってポジティブな価値を交換し、復讐によってネガティブな価値を交換しなければならない。物々交換が成り立たないと、略奪などの不等価交換が頻発するようになる。このような犯罪に対して各人は私的復讐で不等価交換を等価交換にするほかないのだが、復讐は復讐を呼ぶので、等価交換はいつまでたっても成立しない。

物々交換には、自分が交換しようと思っている商品を相手が欲望しているかどうかという不確定性と相手が交換しようと思っている商品を自分が欲望するかどうかという不確定性がある。同様に、復讐には、自分の行為を相手が苦痛と感じるかどうかという不確定性と相手の反応がそれに対する報復であるのかどうかという不確定性がある。

もっと重要な問題は、物々交換においては、商品にどの程度の価値があるかに関して不確定性があるということである。一般的に言って、売り手は、買い手が望む以上に高いレートで交換しようとする。復讐においては、加害行為にどの程度の罪があるのかに関して不確定性がある。一般的に言って、被害者は、加害者以上に大きな罪を認めさせようとする。

コミュニケーション・メディアがあれば、等価交換を容易に成立させることができる。物々交換における不確定性を縮減する交換媒体が貨幣であるのに対して、私的復讐における不確定性を縮減する交換媒体は刑罰である。

貨幣は、商品の具体的な使用価値を捨象し、抽象的な価値一般を代表象するがゆえに、商品の価値を計測する基準となる。刑罰は、犯罪行為の具体的な罪の内容を捨象し、抽象的な罪一般を代表象するがゆえに、犯罪行為の罪の重さを計測する規準となる。

貨幣には価値を貯蔵する機能があるが、刑罰にも同様の機能がある。被害者が死んだからといって、加害者の「借り」が消えてなくなるわけではない。長い時間をかけた裁判を経た後であっても、刑罰は執行される。このように、ポジティブな交換において貨幣が交換媒体・価値尺度・貯蔵手段としての機能を持つように、ネガティブな交換において刑罰は交換媒体・価値尺度・貯蔵手段としての機能を持つ。

3.3. 政治システム

表の一番上にあるメタ政府のレベルでは、政府がどのような選択をするかではなくて、政府についてどのような選択をするかが問題となる。もしも、1人の独裁者が全ての政治的権力を独占しているとするならば、その国の政治システムは、相互依存的な複雑性を縮減する社会システムではない。多数の国民が政治に参加できる民主主義国家では、政治システムは社会システムである。

民主政治では、有権者は、国家の意思決定プロセスに参加する権利を持つ代わりに、決定事項に従う義務を持つ。これが政治システムにおける交換であり、この交換を媒介するコミュニケーション・メディアが票である。直接民主制のもとでも、間接民主制のもとでも、多くの票を得ることにより、法や政策は採択され、正当性を獲得し、施行される。

民主政治は、歴史的には、市民社会で成熟した市場経済の原理が政治に応用されることによって誕生した。だから、市場経済と民主政治を比較すると、両者の共通構造が理解できる。市場経済においては、個々の消費者が選択した結果、多くの貨幣を集めた商品が生き残る。同様に、民主政治では、選挙というマーケットにおいて、個々の有権者が選択した結果、多くの票を集めた意思決定が生き残る。

以上、四つのコミュニケーション・メディアについての分析を行ったが、私が表3の分類で主張したいことは、四つのシステムがどのように異なるかということではなくて、一見すると異質な四つのシステムが、実は同じ構造を持っているということである。4種類のシステムは、独立したシステムではなくて、あくまでも一つの社会システムが呈する四つの異なる射影にすぎない。

読書案内
書名社会システム理論〈上〉
媒体単行本
著者ニクラス ルーマン 他
出版社と出版時期恒星社厚生閣, 1993/01
書名社会システム理論〈下〉
媒体単行本
著者ニクラス ルーマン 他
出版社と出版時期恒星社厚生閣, 1995/09
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