7月 062003
 

私たちの社会は、有史以前からずっと不平等であった。不平等な社会は、いったんできてしまうと、平等にはならない。なぜなら、いったん権力を握ったものは、その権力で自分の権力を維持しようとするからだ。オートポイエーシス論を社会哲学的に考えてみよう。

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1. 権力のオートポイエーシス

権力とは、人を意のままに動かす力である。どのような社会にも権力の偏った分配がある。すなわち、社会の上に立つ支配者と下に立つ被支配者との間には権力の非対称性がある。そして、権力者が権力を用いて自分自身の権力を正当化する時、「権力の正当化」と「正当化の権力」が相互産出的となり、権力のオートポイエーシスが始まる。

独裁者による支配は、権力のオートポイエーシスの明快な実例である。独裁者は、権力を掌握すると、その権力を使って恐怖政治を行い、情報を操作して国民を洗脳し、反逆の芽をつむことに血道を上げる。フセインが支配したイラクや金正日が支配している北朝鮮などの例を見ればわかるように、いったん独裁体制が出来上がり、ポジティブ・フィードバックの円環が回転し始めると、それを内側から停止させることは極めて難しくなる。

オートポイエーシスが持つポジティブ・フィードバックの円環は、内部的には整合的だから、その回転を内部から停止させようとすると、矛盾に直面することになる。前節の例を使うならば、「生き長らえることには価値がない」と言う人は、「では、なぜ、そう言うあなたは今に至るまで生き長らえているのか」と聞かれると、答えに窮する。

権力のオートポイエーシスからもう一つ例を取り上げよう。ある学校の落ちこぼれが、学歴社会に反感を抱き、学歴社会を打倒したいと考えたとしよう。ところが学歴社会を変える権力を持っている文部大臣や文部官僚になるためには、高学歴でなければいけないとしよう。するとその落ちこぼれは、「学歴社会を否定するためには、学歴社会を肯定しなければいけない」というディレンマに陥ることになる。

一般に、革命は、不必要性と不可能性の中間で起きる。社会を変える権力を持っているが、体制の受益者であるがゆえに、それを変える必要性を感じない階級と、体制の負担者であるがゆえに、それを変える必要性を感じているが、社会を変える権力を持っていない階級へと2極化し、その中間が論理的矛盾ゆえに存在しない社会では、革命は起きにくい。

2. 平等な不平等社会

日本のような平等主義的な社会は、独裁体制とは無縁だと思う人もいるかもしれない。しかし、日本には、年功序列制度という、平等でありながら、権力の非対称性を実現するという特殊な権力のオートポイエーシスが存在する。これについて少し考察してみよう。

中学校や高等学校の課外活動の運動部は、子供たちに年功序列制度を叩き込む教育の場として機能している。後輩は、玉拾いをするなどして、絶えず先輩に敬意を表することが要求される。こうした非対称性に不満を持っていた後輩も、先輩の立場になると、これまでされてきたことを新しい後輩に対してするようになる。だから、この制度は容易にはなくならない。

前の世代に対する犠牲の対価が次の世代によって支払われる年功序列システムでは、独裁国家の場合とは異なって、時間さえ経過すれば、誰もが権力を持つことができるので、非対称性そのものは打倒の対象にはなりにくい。皮肉なことに「誰もが権力者になることができる」という平等性が、不平等性の維持に貢献しているのである。

独裁国家では、「負担なき受益者」と「受益なき負担者」との差異が固定的で、前者が後者を非対称的に搾取している。これに対して、物々交換に代表される贈与システムでは、受益と負担が共時的に交換される。「負担なき受益者」も「受益なき負担者」も原理的に存在しない。年功序列システムは、この2つのモデルとは異なる。独裁国家のような非対称的搾取システムとも物々交換のような対称的贈与システムとも異なった、非対称的贈与システムなのである。

もう一つの非対称的贈与システムの例は、「世代間の支え合い」を理念とする公的年金制度だ。年金制度は、「支え合い」という対称的表現を使っているが、支えられた高齢者たちが、支えてくれる勤労者たちを支え返すわけではないから、実際は非対称である。

こうした非対称な年金制度は、作るのは簡単だが、廃止するのは困難である。制度を作る権力を持っている年寄りたちは、自らを「負担なき受益者」とすることができるが、スタートに「負担なき受益者」を置くと、最後には、「受益なき負担者」が、構造的に必ずできてしまう。掛け金を支払う若い世代には「ひょっとすると自分は負担者で終わって、受益者にはならないかもしれない」というリスクがあるにもかかわらず、否それゆえに、いつまでも非対称的贈与システムは存続する。現在、賦課方式の社会福祉から積み立て方式の社会保険へと公的年金の性格を変えるべきだという意見があるが、そうした改革案は、2度払いを嫌がる現在の納税者=有権者が反対するから実現しない。

このように、非対称的贈与システムでは、ギフトとカウンターギフトとの間に時間的・人称的な差異があるため、誰かがババをつかまなければならないようになっている。もちろん誰もババをつかみたくない。だから、非対称的贈与システムは、ネズミ講と同様に、被害者を出さないために、常に新たに被害者を作り続けなければならない。

3. 循環が崩壊する時

非対称的贈与システムであれ、非対称的搾取システムであれ、権力者が、自らの権力を非対称性の維持に使うので、システムは自己原因的に自己を産出し続け、権力の非対称性はなかなか崩壊しない。だが、こうしたポジティブ・フィードバックの円環の運動は、内側から止めることは難しいにしても、外側からの力なら、止めることができる場合がある。

生命がオートポイエーシスだといっても、地球を取り巻く環境が悪化して、絶滅することはありうることだし、イラクのフセイン体制も、国内の反乱では倒せなかったが、外からの軍事力で崩壊した。長い間年功序列を維持してきた日本企業も、経済がグローバル化する中、そうした非対称的贈与システムを維持しようとすると、自社の存続そのものが危うくなると判断する時、年功序列を放棄する。若い頃、低い給料で雑巾がけやお茶くみやサービス残業をして組織への忠誠を尽くしたのに、それが報われずにリストラされる中高年という悲劇的な犠牲を出してでも、賃金体系を実力本位にする企業がでてきている。オートポイエーシスは、決して永遠に続くわけではない。

読書案内
書名年金の悲劇―老後の安心はなぜ消えたか
著者岩瀬 達哉
出版社と出版時期講談社, 2004/04
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