7月 142003
 

愛という言葉は、しばしば「ワインをこよなく愛す」というように、「好き」と同じ意味で使われることがあるが、ここで問題にしたいのは、そうした嗜好としての愛ではない。といっても、物に対する愛とは異なった人間に対する愛という形で限定したいわけではない。異性をたんなるセックスマシーンとして弄ぶ人は、ワインを味わって飲む愛好家と同様、相手を自分の嗜好を満足させる対象としてしか扱っていない。では、私たちが「精神的」という言葉で形容したくなる、狭義の愛は、嗜好としての愛とどう異なっているのか。

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1. 愛の三つの特徴

以下、愛の3つの特徴を検討しながら、ワインを愛することと恋人を愛することの違いを見つけることにしよう。

1.1. 実利の見返りがない犠牲

人は、恋人の愛を獲得するために、そして愛のあかしとして、惜しみなく犠牲を払おうとする。リッチなOLが、ホストクラブの人気ホストの関心を惹こうと高額なワインボトルを購入するのはその例である。愛のあかしとして、他の異性との交渉を断念することも犠牲の一種である。しかしこの代償なき犠牲は、狭義の愛を嗜好としての愛から区別することには役立たない。ワイン愛好家が、お気に入りのワインを手に入れるために、高い金を支払うことは、個人的にはワインに興味のない輸入業者が金儲けのためにワインを購入するのとは異なって、自己目的的な消費であり、「実利の見返りがない犠牲」を払うことだからである。

1.2. 対象と一体になることへの欲望

恋人はお互い抱きしめ合おうとする。しかし、これも愛を嗜好から区別することには役立たない。ワイン愛好家も意中のワインを飲んで、対象と一体になろうとするからだ。物理的接近を伴わない場合でも、私たちは何かを愛する時、主客の対立を忘れ、対象に自己を見出し、対象と一体になろうとする。これも愛において幅広く見られる特徴であり、後で述べるように、恋人を愛することも、他者の中に自己を見出すことなのである。狭義の人格的愛に特徴的なのは、次の3番目の項目である。

1.3. 他者を媒介とした自己の存在の確認

私たちは、愛すべき対象が崇高だからこそ、多大な犠牲を払ってでも手に入れようとするのだが、実際には逆に、多大な犠牲を払うことによって対象を崇高な存在に祭り上げているとも言える。そして狭義の愛の最終的なねらいは、崇高な存在へと高められた他者から認められることを通して、自己を崇高な存在へと高めることなのである。1人のファンにとって、スター歌手は高嶺の花である。それでもコンサートに足繁く通い、殺到するファンの群れに混じりながら、手を差し伸べたところ、たまたまそのスター歌手が握手してくれたなら、そのファンは宙を舞う気持ちになるだろう。その気持ちは、ライバルのファンの数が多いほど、そして払う犠牲が大きいほど高揚したものになるものだ。

2. ナルシシズムとしての愛

ここから、私は、嗜好としての愛から区別された狭義の愛の本質は、1.3 の他者を媒介として自己の存在を確認するナルシシズムにあると主張したい。ナルシシズムとは、水面に映った自分の美しさに恋をしたギリシャ神話のナルキッソスに由来する言葉で、自己陶酔とか自己愛と訳される。ナルシシズムは、通常、性的倒錯と考えられている。つまり鏡に映った自分の美貌にうっとりする人は、縄で縛られ、鞭打たれ、ローソクたらされて快感の叫びをあげる、あの特殊な人たちと同じく、異常な倒錯者というわけだ。はたしてそうだろうか。

ナルシシズムを性的倒錯と考える人は、ナルシシズムをたんなるエゴイズムだと考えている。しかしナルシストは、たんに他者の中に自己を見出すだけでなく、自己の中に他者を見出す。そこには、他者を愛することが自己を愛することになるという鏡の反転現象がある。この間主観的な反照関係において、利己主義か利他主義かという対立地平は止揚される。

精神分析学によれば、人間は誰でも、幼児のころはナルシストである。生後6ヶ月から18ヶ月の間のいわゆる鏡像段階では、乳幼児は、鏡に映った自己を見て大はしゃぎする。自分の身体をまとまった全体としてではなく、寸断された身体として体験していた乳幼児が、鏡像を通して理想自我を形成するわけだ。「鏡に映った自己」は、幼児が最初に出会う他者、母親のことでもある。幼児は母親の笑顔において自己を認識する。母子の間には、愛情の交換関係があって、母親が母乳を与えてくれるお返しとして、糞尿を贈り物として提供しているのだと幼児は空想する。

生後3~5年の男根期になると、子供は母親に何かが欠如していることに気が付く。男の子が、母親に欠けていているがゆえにそれを補うべく想像的に自己同一する対象がファルスである。ファルスとは、ペニスを意味するギリシャ語に由来する精神分析学の用語で、ペニスとは異なり、たんなる肉体の一部ではなく、欲望の対象(原初的に母)が欲望する対象、ペニスに象徴される自我理想である。男の子は、母のファルスになろうとし、女の子はファルスを持ちたいと願うようになる。

「うちの母は、父のペニスなど望んでいなかったぞ」と怪訝そうな顔をする読者には、ファルスとは権力のことだと考えてもらいたい。精神分析学が誕生した当時は、典型的な男尊女卑の時代で、家庭内でも家庭外でも、父は、母が持たない権力を持っていた。ところが、幼児は直接権力を目で見ることができないので、権力の差異を代表象する可視的な象徴を探し、ペニスに目を留める。幼児がペニスにこだわるのは、このためであって、必ずしもペニスそれ自体に魅力があるからではない。

3. ファルスへの欲望

ファルスを崇拝し、それを持ちたいという欲望をファルス所有願望、ファルスになりたいという欲望をファルス同一化願望と名付けることにしよう。子供たちに、将来何になりたいかと尋ねると、女の子は、他者の欲望の対象である商品を所有する「お店屋さん」、男の子は、最も多くの人々の賞賛の対象になる「スポーツ選手」と答えることが多いことからもわかるように、女性はファルス所有願望を、男性はファルス同一化願望を持つ傾向があるが、あくまでもそれは一般的傾向であって、逆のことだってありうると予めお断りした上で、2つの願望に共通する相思相愛の構造を分析していこう。

3.1. ファルス所有願望

先ほど挙げた、リッチな女性がホストクラブの人気ホストの関心を惹こうと高額なワインボトルを購入するとか、高嶺の花だった人気歌手と握手をして宙を舞う気持ちになるという例は、ファルス所有願望型の愛に該当する。その愛のプロセスを図4で説明しよう。

図6 ファルス所有願望

[1] 自我R(Real Ego)が他我R(Real Alter Ego)に犠牲を払う。例えば、女性客が高額のワインを購入するなど。

[2] 自我Rが犠牲を払うことにより、他我Rは他我I(Ideal/Imagined Alter Ego)へと高められる。自我Rが支払った犠牲が大きければ大きいほど、他我Rは高い位置へと祭り上げられる。女性客の方は、相手が人気ホストだからこそ、高額の金を貢がなければと思うのだろうが、実際はこの逆で、女性客たちが金を貢からこそ、その男性は人気ホストになることができる。

[3] 自我Rは、高められた位置にある他我Iを絶賛し、愛を告白する。すなわち、女性客は、高いワインを買うことで、ホストを愛していることを示す。

[4] 他我Iは愛を受け取って、自我Rに感謝する。例えば、ホストが女性客に愛を告白するとか優しい言葉をかけて彼女をいたわるなどして。

[5] 他我Iから認められた自我Rは、「宙を舞う」気分となって、自我I(Ideal/Imagined Ego)への位置へと高められる。他我Iが高い位置にいればいるほど、自我Iも高い位置で「有頂天」となる。

[6] 他我Iは、自分のおかげで相手が喜んでくれたと想像して、喜び、自我Iはそれをさらに想像して喜ぶ。相互に相手の喜びを自分の喜びとする、鏡像的に反転する理想化された愛の関係が成立する。

ホストは、金のために、偽って愛を告白しただけなのかもしれない。水色のIの世界が、幻想に過ぎないことに気が付いた時、自我は失恋に苦しむ。

3.2. ファルス同一化願望

これは、男の子が、母の欠如(want)であり、母の欲望(want)の対象であるファルスを自我理想として、それとの自己同一を願う愛の形態である。図5は、その構造を図式化したものだが、[1]の矢印の方向を除けば、図5は図4を左右逆にした鏡像体となっている。だから、例えば、3.1 の例に登場するような人気ホストになりたいという願望は、ファルス同一化願望に相当する。

図5 ファルス同一化願望

ファルス所有願望とファルス同一化願望は、セクシュアルでない欲望にも見られる。シドニーオリンピックの時、3度目の挑戦で金メダルを獲得した柔道の田村亮子選手は、「初恋の人にやっと巡り逢えたような気持ちです」と語っていたが、スポーツ選手がファンのラブコールに応えて、金メダルを受賞し、それを見てファンが熱狂する時、ファンはファルス所有願望を満たし、選手はファルス同一化願望を満たすことになる。

4. 利他主義と利己主義の対立の超越

愛という言葉は、「アフリカの貧しい子供たちに愛の手を」というような時にも使われる。「憐れみは愛に近し」(Pity is akin to love)という英語の諺にあるように、「かわいそう」と「かわいい」は紙1重である。こうした弱者への恵みの愛は、ファルス同一化願望に基づいており、典型的な利他主義のように見えるが、実はナルシシズムの構造を持っている。

読者の中には、「子供にろくに食事も与えることができない貧しい近所の母子家庭を見て、私がかわいそうに思い、金銭を与える時、それは純粋に利他的な動機からなされるのであって、こうした崇高な愛の精神をナルシシズムとして価値を貶めようとするのは、おまえの心が歪んでいるからだ」と言って、私に反論する人もいるかもしれない。

では次のような思考実験をしてみよう。あなたが金銭を与えた母親は、「ありがとう」とも言わずに、お金を受け取ると、あたかも「もうあなたには用がない」とでも言わんばかりに、立ち去ったとしたならば、あなたはどう感じるだろうか。例外的な聖人を除けば、「なんだこいつは。せっかく助けてやったのに、御礼の一言も言わないなんて」と腹を立てるのではないだろうか。だがもしあなたの行為が純粋に利他的であるならば、飢えた子供が食事にありつけるだけで十分なはずだ。にもかかわらず、あなたが感謝の言葉を求めるのは、他者を援助することを通して、援助できる自分の存在を確認したいからではないのか。

そこで、今の例を使って、図5のプロセスをたどってみよう。

[1] 自我Rが他我Rに犠牲を払う。例えば、哀れな母子家庭に金銭的な援助を与える。

[2] 自我Rが犠牲を払うことにより、自我Rは自我Iへと高められる。自我Rが支払った金額が大きければ大きいほど、自我Rは偉大な援助者として崇められ、崇高な存在者となる。

[3] 他我Rは、自我Iに感謝し、自我Iを賞賛する。

[4] 自我Iは、他我Rが援助に値すると認める。

[5] 他我Rは、自分が見捨てられた存在ではないことを知って喜び、他我Iの位置にまで引き上げられる。

[6] 自我Iは、自分のおかげで相手が喜んでくれたと想像して、喜び、他我Iはそれをさらに想像して喜ぶ。相互に相手の喜びを自分の喜びとする、鏡像的に反転する理想化された愛の関係が成立する。

人気ホストの場合、[1]で支払う犠牲とは、人気ホストになるための努力である。[2]から先のプロセスをたどることは、読者にお任せしよう。

ファルス同一化願望とファルス所有願望が2人の男女の間にだけに成立して、相思相愛のカップルがめでたく結婚にゴールインということもある。だが、人気アイドルにたくさんの追っかけがいるというような場合、ファルスとファルス所有願望保持者が1対多数の関係になる。ファルスの争奪戦が起きることもあるが、アイドルの同好会が結成されるなど、ファルスがコミュニティの統合原理となることもある。このファルスのコミュニケーション・メディア化は、第4節で取り上げることにして、次の節では、子供の教育におけるファルスの役割を、ある事件を通して考えてみたい。

読書案内
書名「ナルシシズム入門」『フロイト著作集 第5巻 性欲論・症例研究 (5)
著者フロイト 他
出版社と出版時期人文書院, 1969/01
書名愛とは何か
著者小林 司
出版社と出版時期日本放送出版協会, 1997/09
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  One Response

  1. 愛とは、安定した変動、利害の一致、反比例の関係、のことだと想います。

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