7月 192003
 

生贄には、供犠型と迫害型の2つの類型がある。カタルシスにおいて、スケープゴートとして抹殺される生贄は迫害型である。これに対して、供犠型の生贄とは、神の怒りを鎮めるため、あるいは神を喜ばせるために屠られる、貴重な動物や人間である。両者は、ともに生贄と呼ばれ、通常区別されない。しかし、どのような存在者が犠牲になるのかを見ると、違いがはっきりしてくる。迫害型生贄の例として、ナチスによるユダヤ人迫害を、供犠型生贄の例として、カルタゴで行われた子供の人身御供を取り上げ、違いを考えてみよう。

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1. 供犠型の生贄

古代のカルタゴ人が、初子(最初に生まれた子供)を生贄として神に捧げていたことは、現地の伝説やローマ人による記録を通して古くから知られていたが、これがたんなる伝説でないことは、カルタゴ人にとっての聖域であったトフェの墓地に、生贄となった羊の骨とともに幼児の骨が埋葬されていることから明らかである。古代人は、犠牲にする生贄が大切なものであればあるほど、神が喜ぶと信じていた。

カルタゴ人が自分の子供を犠牲にしたのは、我が子がもっとも大切な所有物だったからなのだが、ナチスドイツがユダヤ人を殺戮したのは、彼らが存在する価値すらない劣等民族だとヒトラーが考えたからだ。すばらしいから天上に捧げるという供犠型は、くだらないから下に捨てるという迫害型と対照的である。

自分の初子を神に捧げるという習慣は、古代エジプトにまでその起源をたどることができる。『死者の書』によると、エジプトには、初子を小さく刻んでなべで焼くという伝統があった。旧約聖書の『出エジプト記』では、神とイスラエルの民との契約として、初子をヤハウェの祭壇に捧げることが記されている。どちらの地域でも、後に羊が身代わりとして生贄となった。そのことは、アブラハムが、ヤハウェに命じられたとおり、我が子イサクを屠ろうとしたところ、ヤハウェの天使に止められ、代わりに雄羊を提供されたという、旧約聖書の『創世記』に登場する、有名な逸話に表されている。

では、なぜ古代の地中海人は、新穀や羊の初仔だけでなく、大切なはずの初子までを神に捧げたのだろうか。それは、旧約聖書によれば、彼らが、穀物であれ家畜であれ子供であれ、最初の収穫物は神の所有物で、神のものは神に返すべきだと考えていたからだ。肉体を一時的な住処とみなし、霊魂の不滅を願い、また信じていた当時の人たちは、霊魂を本来の場所に戻すことを、来世を信じない現代人がそう感じるほどには、残酷なことと思わなかったに違いない。彼らが、神の所有物で、生まれたばかりの動植物という、彼岸と此岸の境界上に位置する、霊的であると同時に肉的でもある両義的存在者を屠ったのは、彼岸と此岸の境界を再設定することで神を喜ばせ、神の恩寵に与ろうとするためだった。

2. 供犠型と迫害型の関係

こう考える、供犠型と迫害型とでは、中心と周縁の関係が逆であることに気が付く。前者においては、中心は彼岸に超越する神であり、供犠を行う人々は、謙虚にも自分たちを罪深く穢れた周縁である此岸に位置付けている。これに対して、後者では、中心は自分たちであり、罪深いスケープゴートは穢れた周縁へと追放される。穢れを排除する方向が逆なのだ。

とはいえ、供犠型には、迫害型のように見える側面があることを指摘しなければならない。例えば、16世紀まで存在していたアメリカのアステカ帝国では、戦争の捕虜を生贄として祭壇の上に横たえ、黒曜石のナイフでその胸を突き刺し、ぴくぴくと動く心臓を取りだし、太陽に向かって捧げる儀式を行っていたが、この生贄の殺害は、捕虜という両義的存在者(内に存在する外敵)を抹殺するという点では迫害型であり、太陽を象徴する心臓を、生贄の聖俗両方の性質をもつ両義的身体から切り離して太陽に捧げるという点では供犠型でもある。

このように、コミュニティの周縁へと排除されたケガレは、屠られることでハレとなり、神聖なコミュニティの統合者となる。今村仁司の言葉を使うならば、下方排除された第3項は、秩序を形成することで上方反転し、全般化した第3項(本書で使っている言葉を使うならば、コミュニケーション・メディア)として、第4項とも言うべき流動体となる。浅田彰は、スケープゴートのこの運動を、クラインの壷としてトポロジー化した。この理論については、第3節と第4節で、さらに詳しく論じることにする。

3. 供犠型から迫害型へ

アステカ帝国は、大規模な人身御供の儀式を続けた最後の文明であった。今日、人身御供は、仮に行われているとしても、一部の辺境の地域でしか行われていない。供犠型から迫害型へというのが歴史の流れである。とりわけ近代以降、彼岸の超越的存在であった《subjectum》が人間の主体を意味するようになって以来、人間はもはや自己を周縁にではなく、中心に位置付けるようになった。神を殺し、自らを神の地位にまで押し上げようとするようになってからは、超越的な神のために生贄を捧げるのではなく、自分たちのための生贄を要求するようになった。

生贄の儀式は、宗教を信じる無知蒙昧な連中による迷信的行為だという考えは間違っている。スターリンは唯物論者で、神のために生贄を捧げることはしなかったが、まさに神を信じないがゆえに自己を神格化し、革命に対する裏切り者という、内にして外の両義的存在者を、社会不安を惹き起こすスケープゴートとして粛清することに血道を上げていた。供犠型から迫害型へという時代の流れは、人類がそれだけ傲慢になったということを物語っている。

読書案内
書名暴力のオントロギー
媒体単行本
著者今村 仁司
出版社と出版時期勁草書房, 1982/01
書名排除の構造―力の一般経済序説
媒体文庫
著者今村 仁司
出版社と出版時期筑摩書房, 1992/10
追記

ホロコースト否認論は言論界のタブーなので、コメント欄で論じることはご遠慮ください。

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