7月 242003
 

資本および資本主義社会とは何か。社会主義経済は、近代資本主義経済と異なるのか。資本の概念は、社会学的にどこまで拡大できるのか。これらの問題をシステム論的に考えてみよう。

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1. 資本とは何か

エントロピーの法則によれば、構造のエントロピーを減らして自己を維持するには、システムは、低エントロピーな資源を消費して、増大したエントロピーを環境に捨てなければならない。この命題の逆は必ずしも真ではない。資源を消費しても、構造のエントロピーが減らず、何の価値も生まないということがある。これを資源の浪費という。

しかし、資源を有効に活用すれば、資源の消費は新たな資源を生み出すので、価値を増殖させることができる。そして、資源が新たな資源を作り出すために使われる時、その最初の元手となった資源は資本と呼ばれる。

資本はそれが生み出す資本によって正当化される。生み出された資本もそれがさらに生み出す資本によって正当化される。自己言及的に自己自身を正当化し、自己自身を生み出すシステムという意味で、資本主義社会はオートポイエーシスである。

《資本 capital》の語源は、ラテン語の《頭 caput》である。ラテン語で家畜を意味する《pecus》が、貨幣や財産をあらわす《pecunia》のもとになっていることは興味深い。家畜の頭数が資本の大きさを表し、資本としての家畜は、子供を産むことにより自己増殖する。これが資本の原型的なイメージである。

2. 社会主義も一種の資本主義である

禁欲的な蓄積のための蓄積が「資本主義の精神」だとするならば、社会主義も一種の資本主義だということになる。ソ連の5カ年計画を見れば分かるように、社会主義諸国も、「生産力の増大」を自己目的的に目指していた。

社会主義(共産主義)と資本主義との違いは、市場経済を認めるか否かにあるのだが、語源的観点からすれば、資本主義的経済が市場原理に基づかなければならない必然性はない。近代は総じて資本主義の時代であった。スターリンや毛沢東には貴族趣味はなかった。市場経済も社会主義経済も、特権階級が富を蕩尽して、生産力を増大させようとはしなかった前近代社会とは異なるという意味で同じ近代資本主義経済なのである。

3. 資本概念の拡張

近代資本主義は、経済資本の拡大再生産を偏重するという点で特異であるが、資本の概念を広く取ることにより、資本主義をさらに一般化し、前近代社会にまで広げることもできる。すなわち、資本として、経済資本以外に、身体資本、文化資本、政治資本を考えることにしよう。

身体資本とは、健康な、体力のある身体、美しい容姿など、文化資本とは、学問的・芸術的作品、経済資本とは、貨幣によって評価可能なあらゆる種類の資産、政治的資本とは、名声や人望である。能力や能力を証明するブランドは、その能力がどの資本を生み出すかで、どの資本に属するかが決まる。例えば、芸術的才能や学歴は文化資本であり、商才や実用資格は経済資本であり、社交的才能や大臣歴は政治的資本である。

身体資本、文化資本、経済資本、政治資本は、それぞれ家族システム、文化システム、経済システム、政治システムが生産している資本である。ここで、もう一度、第1章第4節に掲げた図5「コミュニケーション・メディアの分類」を見て欲しい。そこには、文化システム、経済システム、司法システム、政治システムの四つのシステムが書かれている。このうち司法システムは、ネガティブな交換を媒介するので、ポジティブな価値のある固有の資本を生産しない。残りの三つのシステムは、固有の資本を生産している。すなわち、文化資本は、言語をメディアとする文化システムが創る資源であり、経済資本は、貨幣をメディアとする経済システムが創る資源であり、政治資本は、票をメディアとする政治システムが創る資源である。

三つの資本の中で、政治資本は、もっとも複合的である。日本の政界では、選挙に有利な条件として、ジバン(地盤)、カンバン(看板)、カバン(鞄)という三つのバンが挙げられるが、このうち、地盤は、地元におけるコネや後援会など、狭義の政治資本、看板は、知名度、つまり文化資本、鞄とは、金のことで、経済資本である。容姿が良い、つまり身体資本が高くても選挙には有利である。

4. 家族システムによる包括的資本形成

では、家族システムの位置はどこだろうか。家族システムは、結婚という相互依存的な複雑性を縮減する社会システムである。結婚において、配偶者は、自分の性的自由を放棄する代わりに、相手に性的自由を放棄することを相互に求める。この交換を媒介するコミュニケーション・メディアは、このシステムに固有ではない。それは、家族システムが他のシステムに対して特殊な関係にあるからだ。

人類の社会が脱血縁化するまでは、家族システムは、社会システムのすべての機能を担っていた。社会システムの機能分化により、家族システムが果たす役割は大幅に小さくなったが、今でも、家族システムは、子供の教育の場としては文化システムであり、家計をやりくりする経済システムであり、家の掟を守らせる司法システムであり、家長を中心とする政治システムでもある。だから、歴史的に見て、家族システムは、機能分化した四つのシステムの母胎的存在である。

相手が健康かどうか、容姿が美しいかどうかだけで結婚するかどうかを決める人は少ない。家族システムは、身体資本の再生産だけを目指しているわけではない(初めから子供を作るつもりのない夫婦もいる)ので、それ以外の資本もチェックされる。例えば、結婚相手の条件として、

  1. 性格は優しくて協調的で、
  2. 容姿はキムタク似、
  3. 一流大学出身、
  4. 年収は1千万円以上

を提示する女性は、

  1. 政治資本、
  2. 身体資本、
  3. 文化資本、
  4. 経済資本

のすべてにおいて高資本であることを要求していることになる。このことは、結婚という交換のコミュニケーション・メディアは、すべての種類の資本であることを示している。

図5で家族システムの位置が指定されていないのは、このシステムが、機能的に見て包括的で、また歴史的に見て母胎的だからである。そして、家族システムが他のシステムに対して母胎的であるように、身体資本は他の資本に対して母胎的である。身体資本は、人が産まれた時、最初に獲得する資本であって、教育や訓練によってその価値を増殖させることができるものの、比較的若い時にピークに達し、年とともに価値が目減りしていく。だから、資本の拡大再生産を狙うなら、この資本を投下して、他の三つの資本を生産しなければならない。

5. 資本増殖ゲーム

資本が同じ種類の資本を増殖させるために使われることもあるが、別の資本を作るために使われることもある。オリンピックで金メダルを獲得し、国民的英雄となった選手が、その知名度を利用して国会議員に当選し、その政治的権力を利用して資金を集め、その金を政治・経済の研究に使うとき、身体資本から政治資本を、政治資本から経済資本を、経済資本から文化資本を作り出していることになる。

資本増殖ゲームは、個人単位で終わるわけではない。高資本の夫婦は高資本の子供を育てる確率が高く、かくして家族システムは、オートポイエーティックな資本の増殖を、世代を超えて続ける。例えば、躾やマナーの良さといった身体資本と文化資本との融合資本は、幼少時での家庭教育がその獲得に決定的に重要な役割を果たす。良家の出身を気取ってめかしこんだ「にわか淑女」が、無意識の振る舞いで馬脚を露わし、「お里が知れる」ということはよくあることだが、本当に育ちが良いお嬢様は、マナーが自然と身についているから、結婚のマーケットである社交界では高い値が付く。

但し、スタートラインがそろっていないからといって、必ずしも資本の格差が固定的に維持されるとは限らない。貧しい家庭で産まれたがゆえに、ハングリー精神が旺盛だった苦学生が、卒業後経済資本を熱心に蓄積して、経営者として大成するということもあれば、金持ちの家庭で不自由なく育った放蕩息子が、親の遺産を早々と食い潰して破産するということもある。下層階級出身のポピュリストの政治家が、エリートに対する大衆のルサンチマンを煽って、本命の官僚出身の候補を破って議員に当選するということもある。資本増殖ゲームは、ゲーム一般がそうであるように、不確定性に満ちており、だからこそ、それは社会システムを複雑なシステム(複雑系)にする。

読書案内
書名プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神
媒体文庫
著者マックス ヴェーバー 他
出版社と出版時期岩波書店, 1989/01
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