7月 262003
 

人類の歴史を振り返ると、画期的な出来事は、寒冷期に起きていることに気がつく。資源が減り、エントロピーが増大すると、そのエントロピーを縮減するために、人類のシステムは大きな変革を遂げる。このエントロピー史観にたって、本章では、文明が成立するまでの人類史を概観する。

image

1. イースト・サイド・ストーリーの破綻

生物としてのヒトを他の動物の種から区別する種差は何かと聞かれると、多くの人は、誇らしげに「高い知能」と答える。だが、ヒトが他の動物より高い知能を持つようになったのは今から4~5万年前頃からのことであり、それ以前は、他の類人猿と大差なかった。また、「道具の製作」や「音声言語の使用」も種差にはならない。ヒトは、200万年前までは、洗練された石器を作っていなかったし、音声言語も使っていなかった。他方で、一部の鳥は、音声でコミュニケーションをし、道具を作って、それを使う。

ヒトの種差は、実はもっと地味な属性、「直立二足歩行する哺乳類」あるいは「体毛のない霊長類」などである。だから、ヒトはいかにして類人猿から分かれてヒトとなったのかを説明するには、ヒトはいかにしてこれらの属性を獲得するようになったのかを説明しなければならない。そしてこの進化論上の問いに対して答えを与える学界の定説は、次のようなイースト・サイド・ストーリー(東側物語)と呼ばれるシナリオだった。

800万年前、アフリカ大陸を南北に縦貫する大地溝帯(2つの隆起帯に挟まれた溝状の地形)が形成され、地溝帯の西側では、大西洋から湿気を含んだ偏西風が吹くために、熱帯雨林が維持されたが、東側では、偏西風が隆起帯に阻まれて、雨が降らなくなり、サバンナとなった。その結果、西側では、ゴリラ、チンパンジー、ボノボなど、熱帯雨林に適応した類人猿が残存したが、東側にいた類人猿は、森を失い、草原で二足歩行の生活を余儀なくされた。この人類の祖先は、二足歩行によって自由になった2本の手で道具を使い、それによってサバンナの厳しい自然を生き延びた。また、直立二足歩行により、喉頭が下降して、それが人類に言語を話すことを可能にした。ヒトは、こうした道具の製作と言語の使用により脳を発達させ、高度に知的な動物となったというわけである。

フランスの人類学者、イブ・コパンが、このイースト・サイド・ストーリーを提唱したのは、1982年であるが、その後明らかになった新しい知見により、この定説に多くの疑問が投げかけられるようになった。

まず、800万年前の地溝帯の隆起は小さく、大きく隆起したのは400万年前と考えられるようになった。これはヒトが二足歩行した後であり、地溝帯形成をヒトが類人猿から分岐する原因と考えることには無理がある。またアフリカ東部の乾燥化は300万年前ごろから始まったが、完全にサバンナになったわけでなく、森林がかなり残存していたことも炭素同位体の分析からわかった。またこの乾燥化とともに気候が寒冷化したので、ヒトは、体を冷やすために体毛を失ったとか、高温の地面から頭を遠ざけるために二足歩行を始めたといった説明は成り立たない。

さらに、相次ぐ発掘成果により、二足歩行するヒトの最古の化石は、その記録を更新し続けている。コパンは、320万年前のアウストラルピテクス・アファレンシス(アファール猿人)の発見者で、この化石がヒッパリオンなど草原の動物化石と一緒に発見されたことから、ヒトは草原で進化したと考えるようになった。ところが、ケニアで発見されたオロリン・ツゲネンシス(ミレニアム・アンセスター)やエチオピアで発見されたアルディピテクス・ラミダス・カダバ(ラミダス猿人の亜種)など、500~600万年前の、すでに直立二足歩行していたヒトの化石は、当時森林に住んでいた動物と一緒に発見されたため、草原進化説は疑わしくなった。

そして、2002年の7月、イースト・サイド・ストーリーに深刻な打撃を与える発見があった。「ウェスト・サイド」である中央アフリカのチャドで、600~700万年前と推定される猿人の化石が発見されたのである。この猿人は、サヘラントロプス・チャデンシス(トゥーマイ)と名付けられた。頭骨から背骨につながる孔の位置から直立二足歩行をしていたことが分かり、また、顔の特徴から、絶滅した傍系ではなく、ヒト属の直系の祖先である可能性が高いとのことである。今でこそチャドにはサハラ砂漠が広がっているが、サヘラントロプス・チャデンシスが発見された場所は、当時、現在の約80倍も大きかったチャド湖の湖岸で、魚やワニの化石が一緒に発掘されたことから、かなり湿潤な地域だったと考えられる。

かくして、長らく学界の定説であったイースト・サイド・ストーリーは破綻した。イブ・コパン自身、自説を撤回している。今では、多くの古人類学者は、ヒトは、森林から追放されて二足歩行をしたのではなく、森林の中に住んでいる時に、おそらく枝にぶら下がって背筋を伸ばすなどの方法で直立の訓練をし、やがて食べ物を運ぶために二足歩行をするようになったのではないかと考えている。しかし、もしそうならば、同じく森の中に住んでいた他の霊長類はなぜ二足歩行をするようにならなかったのか。

2. アクア説の登場

イースト・サイド・ストーリーの破綻に伴って、近年注目を浴びている仮説が、ヒトは水中で進化したとするアクア説である。アクア説は、1924年にドイツの生物学者マックス・ヴェステンホファーによって、さらに1968年にイギリスの動物学者アリスター・ハーディによって提唱され、その後、エレイン・モーガンの著作活動により、世間に広く知られるようになった。モーガンは、オックスフォード大学で英文学を専攻した脚本家で、そのためなのか、権威ある肩書きを持つ専門家は彼女の説を受け入れようとはしない。しかし、第三者的な視点で見ると、伝統的な草原進化説に部分的な修正を加えるだけでなんとか乗り切ろうとする学界主流派の陸上進化説と比べて、彼女の大胆な水中進化説は説得力がある。

アクア説は、ヒトは、かつて半水中生活を送っていたために、チンパンジーとは別の進化の道をたどることになったと主張する説である。1999年に発表されたモーガンの最新の理論の要点は、以下のようなものである。

  1. ヒトは他の類人猿とは異なって、恒常的に直立二足歩行する。但し、類人猿やサルも、浅瀬を渡る時、4足歩行では鼻に水が入るので、二足歩行することが確かめられている。水中では浮力が働くので、二足歩行は容易である。チンパンジーとは異なって、水中に入ることを好むボノボは、陸上でも二足歩行が得意である。もし、ヒトが水辺で暮らしていたとするならば、ヒトが二足歩行するようになったことは自然である。
  2. ヒトは他の類人猿とは異なって、体毛が極めて薄い。世界に現存する体毛のない哺乳類は、1生を地下で過ごすソマリアデバネズミを除けば、水生であるか、あるいはかつて水生で、今でも長時間水や泥の中にいることを好む「厚皮動物」である。水中や地中などの環境に住む動物には、直射日光を遮断する断熱材の機能を持つ体毛は不要である。他方、頭に毛が残っていることは、ヒトが恒常的に水中に潜っている本格的な水生動物ではなかったことを示している。
  3. ヒトは他の類人猿とは異なって、皮下脂肪が発達している。皮下脂肪は、「厚皮動物」においては、退化した体毛に代わって断熱材の働きをする。しかしそれ以上に重要な皮下脂肪の役割は、浮力を増すことである。ヒトの赤ん坊は皮下脂肪が極めて多く、産まれてすぐ水中に入れられても浮くので、溺れることはない。それどころか、誰からも教わることなく水泳をする。陸上に産み落とされたヒトの赤ん坊は、チンパンジーのアカンボウとは異なって、重くてしかも手間がかかるお荷物だが、水中ではそうではない。
  4. ヒトは他の類人猿とは異なって、鼻孔が下向きである。このため、頭から水に飛び込んでも、鼻孔に水が入らない。霊長類の中でヒトだけが、粘膜が外側にめくれた唇を持ち、また上唇に溝がある。これは、かつてヒトが水中を潜る時、唇を尖らせて鼻孔を完全に塞いだ痕跡である。今でもこの芸当ができる人がいる。
  5. ヒトは他の類人猿とは異なって、体毛が生えている方向が重力方向(雨にぬれた時、水が滴り落ちる方向)と一致せず、泳いだ時に体の周りにできる水流の方向に一致している。例えば、胸毛や背中の体毛は渦を巻くように生えている。これも水中生活が長かった証拠である。
  6. ヒトは他の類人猿とは異なって、複雑な言語を話す。そのためには、喉頭の下降と吸気の抑制が必要である。喉頭が下降すると、飲食物が気管に混入する恐れがあるので、陸棲の哺乳動物の喉頭は高い位置にある。ところが、ヒトは、水泳の息継ぎの際、鼻と口の両方から瞬間的に大量の空気を呼吸することができるように、喉頭の位置を下降させた。陸棲の哺乳動物は、口で息を吐くことが苦手なので、鼻で音を鳴らす。しかし、喉頭が下降したヒトは口でも呼気できるので、口と鼻でさまざまな音を出すことができる。また音を出している間、吸気できないので、複雑な言語を話すには、吸気時期を自分の意思で延長する能力が必要だが、ヒトはこの能力を、水中に潜ることで獲得した。

3. 海中進化説批判

モーガンのアクア説で、賛成できない点が一つある。それは、彼女が、ヒトが海辺で進化したと考えている点である。モーガンは、内陸の湖では、霊長類の1群が取り残されるような急激な増水は起こらないとして、人類発祥の地は、エチオピアの北側の紅海沿岸にあるアファール三角地帯ではないかと推測している。その根拠は、1999年当時最古の猿人、アウストラロピテクス・アファレンシス(アファール猿人)の化石がこの地域付近で発見されたことと、中新世に干上がっていた紅海に、中新世の終わりの500万年前頃、海水が流れ込み、アファール三角地帯が孤島になったことである。

その後、2001年3月に、ケニアントロプス・プラティオプスの化石がトゥルカナ湖で発見された。この化石は、アウストラロピテクス・アファレンシスとほぼ同時代の化石とされるが、アウストラロピテクス・アファレンシスよりも現生人類に近い特徴を持つため、今日、アウストラロピテクス・アファレンシスは、人類の直系祖先とは考えられていない。ケニアのオロリン・トゥゲネンシスやチャドのサヘラントロプス・チャデンシスなど、アウストラロピテクス・アファレンシスより古い猿人の化石が、他の場所から見つかったのだから、アファール三角地帯にこだわる必要性はなくなった。

海辺進化説には、こうした実証的問題とは別に、理論的問題もある。海辺では水分の補給が困難だという問題である。モーガン自身が指摘しているように、ヒトほど水を浪費する、つまり常時大量に水を吸収し、排出している陸生哺乳動物はいないので、水が手に入りにくい場所で生き延びたとは考えにくい。これは、たんに草原進化説に対する批判として使えるだけでなく、モーガン自身の海辺進化説にも使える。喉が渇いているからといって、海水を飲むと、海水の塩分濃度は人間の体液より高いので、浸透圧によりかえって水分が失われてしまう。

そこでモーガンは、ヒトが大量に流す涙と汗には、海水を飲むことによって増大する塩分を排出する機能があったと主張した。しかし、海水を飲むことによって増大する塩分を、涙を流すことによって排出しているのは、鳥類や爬虫類であり、水生哺乳類である「厚皮動物」にはそのような機能がない。また、サバンナに住むパタスモンキーも、水生動物ではないのにもかかわらず、油と水の汗をアポクリン腺から流すのではなく、ヒトほど大量ではないにしても、かなりの量の塩と水の汗をエクリン腺から流している。このため、モーガンは、1999年の著作で、汗と涙に関する自分の仮説が間違いであることを表明した。

このことは、アクア説の破綻を意味しない。破綻しているのは、海辺進化説の方である。類人猿から分岐したばかりのヒトは、淡水の湖沼や川の浅瀬に住んでいたと考えれば、何も問題はない。現時点で最古のヒトの化石であるトゥーマイは、淡水湖である。チャド湖の湖畔で発見された。もちろん、塩湖や海の近くで発見された猿人の化石もある。しかし、その場合でも、ヒトが住んでいたのは、塩水ではなく、塩湖や海に注ぎ込む川に住んでいたと考えることができる。

海辺進化説には、もうひとつ難点がある。もしヒトが海辺に住んでいたとするならば、なぜ人類は、人類の歴史の半分以上を占める400万年以上もの長い間、アフリカにのみ留まり続けたのかが説明できない。モーガンが人類発祥の地と想定するアファール三角地帯は、インド洋に接したにもかかわらず、なぜ初期人類は、海岸沿いに、インドや東南アジアへと進出しなかったのだろうか。もしも、ヒトがアフリカ大陸内陸の湖や川などの淡水に生息していたと考えるなら、彼らがアフリカ大陸を囲む海を渡れなかったことが説明できる。

もっとも、逆に、淡水進化説では、なぜヒトが水中で生活し始めたかを説明できないのではないかとモーガンなら反論するかもしれない。500~700万年前、ヒトはチンパンジーとの共通の祖先から分岐したとされるが、チンパンジーは水を恐れて、水には入らないということになっている。だが実際には、野生のチンパンジーの中にも、水中に実験的に入ってみるものもいる。水辺が、魚や水草など食料が豊富で、それでいて未だ他の霊長類が進出していないニッチであることに気がついた類人猿の一種が、水辺へと適応放散していったことは想像に難くない。

水中での生活は、たんに生物としての人間の形態に影響を与えただけでなく、人間が、文化的存在として、動物の世界から離陸するする上で重要なステップとなった。次の節では、人間が、水中生活から陸上生活へ戻る中で、いかにして文化的存在となっていったかを考えよう。

補足

この文章は、2003年に書かれました。アクア説に関する私の新しい(2005年現在の)見解については、[試論編:ヒトは海辺で進化したのか]をご覧ください。

読書案内
書名人類の起源論争―アクア説はなぜ異端なのか?
媒体単行本
著者エレイン モーガン 他
出版社と出版時期どうぶつ社, 1999/12
価格¥ 2,310
書名The Aquatic Ape Hypothesis (Independent Voices)
媒体ペーパーバック
著者Elaine Morgan
出版社と出版時期Souvenir Press Ltd, 1999/09
書名進化の傷あと―身体が語る人類の起源
媒体単行本
著者エレイン モーガン 他
出版社と出版時期どうぶつ社, 1999/01
書名The Scars of Evolution: What Our Bodies Tell Us About Human Origins
媒体ペーパーバック
著者Elaine Morgan
出版社と出版時期Oxford Univ Pr (T), 1994/11/01
このページをフォローする
私が書いた本

  One Response

  1. 学校の授業の自分で発展させていくのにとても役に立ちました。ありがとうございました!!

 返信する

以下のHTML タグと属性が利用できます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>

/* ]]> */