7月 282003
 

私たちが、人間と他の動物との間にある最も重要な違いと考えている属性は、高い知性である。知性が高度になり、社会化が進んだ背景にも、気候の悪化があった。環境におけるエントロピーの増大が知性によるエントロピーの縮減を促したのである。

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1. どうすれば知性を計測することができるか

《知性 intellect》は、語源的には、ラテン語の動詞《intellegere》に由来し、複数の選択肢の《間からinter》《選ぶlegere》能力を意味する。但し、選択の能力といっても、遺伝子にあらかじめプログラムされた本能は知性でない。知性は新しい選択の可能性を切り開く後天的な能力である。未経験の選択をするのだから、迷いはあるが、人間は、迷うからこそ意識を持つのである。だから、知性とは、意識を伴った選択の能力であると考えてもよい。

もっとも、こうした内面的な定義は、動物とか古人類の知性を論じるときには、直接使えない。外から観測して知性を計量するには、どうすればよいだろうか。最も安直な方法は、頭蓋骨から脳容積を測定する方法である。世界史の教科書の類には、あたかも脳容積の増大が知的能力の進化であるかのように記述しているものもあるが、もし脳が大きければ大きいほど頭が良いとするならば、人間は象やクジラよりはるかに頭が悪いということになってしまう。

ならば、脳重を体重で割った値ではどうだろうか。この基準では、人間は、ネズミとかスズメとか、思わず軽蔑したくなるような小動物に負けてしまう。それなら、脳のしわの数ではどうだろうか。この基準では、人間はイルカに負けてしまう。「1番頭の良い動物」という人間の自尊心を満足させる指数を見つけることは、案外難しいのである。

こうした難点を解消するために考案された指数に、EQ(大脳化商)がある。一般に脳重は、体重の3分の2乗に比例するので、そのトレンドからどれくらい逸脱しているかで、知性の度合いを測ろうというわけだ。この指数を計算してみると、ヒトのEQが全動物の中で最大となる。めでたし、めでたしである。しかし、EQをはじめとする相対脳重の指数にも問題がある。これらの指数を使って様々な動物の脳を調べると、果実を食べる一夫多妻の動物の相対脳重は大きいという結論が導かれる。果物をしゃぶりながら、愛人を愛撫しているオヤジを見て「知的」と感じる人がどれぐらいいるだろうか。

そもそも、脳は、部位によって機能が異なるのであって、そうした質的な違いを無視して、脳全体の量的な大きさだけで知性を計測しようとする方法には限界がある。知性を司るのは、脳の中でも大脳新皮質であり、大脳新皮質の中でもとりわけ前頭連合野である。こうした部位がどれだけ発達しているかにも注目しなければならない。

新皮質率、すなわち、大脳新皮質量を、新皮質を除く総脳重で割った値の分析から、面白い仮説が出されている。新皮質率は、群れの規模が大きくなるにつれて、高くなるというグループ・サイズ仮説である。社会のメンバーの数が増えるにつれて、メンバーどうしの関係の複雑性が増えるのだから、その複雑性を縮減するため、より高い《社会的知性=社会的選択》が要求されるというこの仮説は説得力がある。

2. 人類はいつ知的になったのか

では、人類が社会的知性を獲得したのはいつのことなのだろうか。前節で、媒介革命と名付けた時期においてだろうか。ホモ属の元祖であるホモ・ハビリスに言語能力があったことは、その頭蓋骨の形状からわかっているが、最初の知的な人類がホモ・ハビリスだと結論付けるわけにはいかない。たんなる言語能力なら、他の動物にもある。私たちが問題にしているのは、いつ人類は他の動物が持たないような高度な知性を獲得したかである。

ホモ・ハビリスやホモ・エレクトスの出現は、人類史上重要な里程標ではあるが、知性の高度化ということに関しては、現生人類(ホモ・サピエンス・サピエンス)の誕生を待たなければならない。現生人類の脳は、前頭連合野の著しい発達によって特徴付けられる。前頭連合野は、私たちが「人間的」と呼びたくなる高度な精神的機能を果たす脳の最高中枢部である。前頭連合野が大脳新皮質に占める割合は、猫で約3.5%、サルで約11.5%、人間では約30%である。これは、人間の知性の優位を明確に示す指数と言える。

3. ネアンデルタール人はなぜ絶滅したのか

4万5千年前頃に中近東で現生人類が「文化のビッグバン」と呼ばれる革命を起こし、同時代のライバルであったネアンデルタール人を絶滅へと追いやったのは、発達した前頭連合野のおかげだと考えてよい。ネアンデルタール人の脳容積は、現生人類よりもむしろ大きいぐらいなのだが、前頭連合野は、現生人類と比べると未発達だった。

ネアンデルタール人の脳容積が現生人類よりも大きかったのは、彼らが、筋肉隆々・骨格頑丈な巨体を持っていたからである。遺跡の調査から、ネアンデルタール人は、現生人類よりも十倍も多くの石器を作っていたことがわかっている。また、重労働をさせると骨が太くなるということが、動物実験で実証されている。彼らの頑丈な体は、こうした重労働の結果であると考えることができる。

では、ネアンデルタール人は、なぜ重労働をしなければならなかったのだろうか。遺跡の調査から、現生人類が、季節によって住まいを豊富な食料が得られる場所へと移動させたのに対して、ネアンデルタール人は、1年中同じ場所に留まっていた。このため、ネアンデルタール人は、現生人類よりも厳しい狩猟採取労働を余儀なくされた。ネアンデルタール人は、二重の意味でスマートではなかったのだ。

なぜネアンデルタール人は、季節ごとに、獲物がたくさんいる場所へと移住しなかったのだろうか。それは、彼らが、現生人類のように、家族を超えた交易のネットワークを持たず、情報が不足していたからだ。ネアンデルタール人は、小家族単位でしか暮らしていなかった。ネアンデルタール人の火打ち石の石器素材が、産出地から50キロメートル以上も離れて見つかる例がほとんどないのに対して、現生人類は、他の部族と、火打ち石、石器、装飾品などの交易網を確立していて、原材料は300キロメートルも動いていた。例えば、バルチック海沿岸産の琥珀が南欧のクロマニヨン人の遺跡で発見されたり、鮫の歯や海産の貝殻が、海から数百メートルも離れた内陸のクロマニヨン人の遺跡で見つかったりしている。

ネアンデルタール人は、さらに、現生人類ほど洗練された言語を持っていなかった。そのことは、ネアンデルタール人の遺跡には、クロマニヨン人の遺跡に見られるような、象徴的能力を示す痕跡がほとんど残っていないことからもわかるが、人骨の形からも推定できる。ネアンデルタール人の頭蓋底部は、その祖先と考えられているホモ・ハイデルベルゲンシスと比べて、平べったく、喉頭は彼らよりも高い位置にあった可能性がある。これは、人類の進化とは逆方向である。また、ネアンデルタール人の声は、鼻にかかっていて明瞭ではなかったとか、一部の母音や子音を発音できなかったという説がある。

ネアンデルタール人の言語が明晰でなかったことは、彼らが小家族単位でしか暮らしていなかったことと関係がある。今でもそうだが、家族内のコミュニケーションなら、以心伝心で事足りる。明晰な言語で、法律を作ったり契約をしたりするのは、コミュニティの外部にいる他人との関係においてである。クロマニヨン人が、明晰で複雑な言語のシステムを築き上げたのは、彼らが、家族を超えた交換のネットワークを持っていたからだ。

言語の基本的な能力を司っているのは、ブローカ領野とウェルニッケ領野である。しかし、最近の脳科学によると、メタファーや創作といった、言語のイノベイティブな機能を担っているのは、前頭連合野なのだそうだ。連合野は、感覚野における個別的な情報処理能力を統合し、運動野につなげるという点で、ネットワーク化の働きをしていると言うことができる。その連合野の中でも、前頭連合野は、新しいネットワーク化を創作する能力を持っている。ネットワークの創発、これが知性を理解する上でのキーワードである。

クロマニヨン人の脳の発達した前頭連合野は、新しい神経回路のネットワークを作り出し、交易の新しい社会的なネットワークを作り出し、それによって言語システムを複雑にし、概念の示差的なネットワークに革新をもたらした。この3つのネットワークの創発は、相互に無関係なのではなく、知性の発達という一つの本質の異なった側面に過ぎない。

4. 人類史における統合革命

そこで、4万5千年前頃に起きた文化のビッグバンをネットワーク化革命、あるいは漢字二文字で表現すれば、統合革命と呼ぶことにしたい。では、統合革命は、なぜ4万5千年前頃に起きたのか。そもそもなぜ現生人類であるホモ・サピエンス・サピエンスは14万3千年前頃に誕生したのか。ここでも、気候に着目して答えを出したい。

4万5千年前というのは、最終氷期であるヴュルム(ウイスコンシン)氷期に、14万3千年前は、ヴュルム氷期の前のリス(イリノイ)氷期の時期に当たる。リス氷期が最も厳しくなった時期に、前頭連合野の発達したホモ・サピエンス・サピエンスが誕生し、エーミアン間氷期と呼ばれる温暖な時期を経て、再び寒冷化が進行する中で、ホモ・サピエンス・サピエンスは統合革命により、ヴュルム氷期の厳しい環境を生き抜いたわけである。

媒介革命も、統合革命も、寒冷化が進行し、傍系人類が絶滅する中で起きたことに注目しよう。細菌を殺そうとして、新しい抗生物質を開発しても、すぐにその抗生物質に耐性を持つ新たな菌が出てくるように、人類は、寒冷化の危機に直面するたびに、遺伝子レベルもしくは文化レベルで進化を遂げ、新たな耐性を獲得して生き延びる。逆に言えば、私たちは、変わらなければ絶滅するほどの危機に直面しない限り、革命を起こさないということでもある。

読書案内

現生人類のアフリカ起源説を提唱している人類学の第一人者とジャーナリストとの共著。人類の進化のプロセスをわかりやすく、かつ興味深く記述しているという点でお薦め。私は、なぜネアンデルタール人は滅び、現代人が生き延びたのか、その本当の理由をこの本で知った。

書名出アフリカ記 人類の起源
媒体単行本
著者クリス ストリンガー 他
出版社と出版時期岩波書店, 2001/02
書名African Exodus: The Origins of Modern Humanity
媒体ペーパーバック
著者Christopher Stringer 他
出版社と出版時期Henry Holt & Co (P), 1998/06/01
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  10 コメント

  1. EQよりも新皮質率のほうが知性の基準にはより適しているという御説を否定する気はありませんが、EQの価値を悪意的に卑しめているような言い方が気になりましたので一言。
    >これらの指数を使って様々な動物の脳を調べると、果実を食べる一夫多妻の動物の相対脳重は大きいという結論が導かれる。果物をしゃぶりながら、愛人を愛撫しているオヤジを見て「知的」と感じる人がどれぐらいいるだろうか。
    知性についての話ですから、この場合の「動物」というのは、おそらく「サル」という意味合いが強いのではないでしょうか。(「果物をしゃぶりながら、愛人を愛撫しているオヤジ」という表現から考えても)
    多くのサルは果実食者か葉食者かのどちらかです。
    葉食者というのは文字通りの純粋な葉食です。しかし純粋な果実食のサルなどまずいません。
    つまりサルの果実食者とは、昆虫などを含めて多様な食物を摂る雑食者のことです。
    そして「一夫多妻」というのは人間社会の婚姻形態からの類推で、単純にサルの社会を「一夫一妻」と「一夫多妻」にわけた場合の「一夫多妻」という意味ではないかと思われます。
    つまり単雄単雌群を除くほぼすべて、単雄多雌群だけでなく多雄多雌群もひっくるめて「一夫多妻」に含まれていると思われます。
    かりに単雄多雌群の意味であるとしても、狭義の「一夫多妻」はゴリラ(葉食者)だけであり、それ以外は単雄型母系社会を形成していますから、「一夫多妻」というのは短時間サイクルでの話であり、長時間サイクルで考えればリーダーオスはどんどん交代していくわけですから「多夫多妻」なのです。
    つまり、「多様な食物を摂り、複雑な社会を形成する動物は相対脳重が大きい」というのが正確なのではないでしょうか?
    そしてこれはグループ・サイズ仮説にも合っていると思います。

  2. 単雄多雌の方は、グループ・サイズ仮説と関係付けることができるかもしれませんが、果実食のほうは、違うでしょう。地上でしか生活をしない動物の脳が情報を二次元的にしか処理しないのに対して、果実を食べるために樹上生活をするサルの脳は、情報を三次元的に処理するということが、EQを高めることになっているのだと思います。

  3. >果実を食べるために樹上生活をするサルの脳は、情報を三次元的に処理するということが、EQを高めることになっているのだと思います。
    それももっともですね。
    ただいずれにせよ
    >EQをはじめとする相対脳重の指数にも問題がある。
    の根拠として
    >果実を食べる一夫多妻の動物の相対脳重は大きい
    ことを挙げるのは不適当ではないでしょうか?

  4. 確かに、それらの属性を情報処理能力に結び付けることはできると思いますが、情報処理能力を知性と等値とすることには抵抗を感じます。スーパーコンピュータは人間を上回る情報処理能力を持っていますが、人間よりも知性があるとは思いません。ですから、Encephalization Quotient = 知性の指数とは考えないということです。

  5. コンピュータに知性がないのは、それが生物ではないからではないでしょうか?
    生物が自己や自分達の社会を保持するという目的における最適な行動を選択するために、高度な情報処理能力を持つならば、それは知性と呼ばれるに値するように思えるのですが。
    そもそも、生物が情報処理能力を持つ理由は、それしかないのでは?
    あと、新皮質率からは「多様な食物を摂り、複雑な社会を形成する動物は知性が高い」を否定するような結果(べつに新皮質率は高くはない)が出ているのでしょうか。

  6. “コンピュータに知性がないのは、それが生物ではないからではないでしょうか? ”
    知性のあるコンピュータは、想像可能ですし、かつて「第五世代コンピュータ」の開発目標とされました。
    “生物が自己や自分達の社会を保持するという目的における最適な行動を選択するために、高度な情報処理能力を持つならば、それは知性と呼ばれるに値するように思えるのですが。”
    問題は、どういう点で「高度」か、量的な大きさか質的な高さかということであって、左脳を中心としてで行っているような情報処理ではなくて、前頭連合野を中心にして行っているような情報処理の方が、知性と呼ぶにふさわしいということです。
    “新皮質率からは「多様な食物を摂り、複雑な社会を形成する動物は知性が高い」を否定するような結果(べつに新皮質率は高くはない)が出ているのでしょうか。 ”
    EQと相関性があるのは、果実食であって、たんなる雑食ではありません。また、複雑な社会を形成しているにもかかわらず、EQが低い反例としては、蟻やミツバチを挙げることができます。

  7. 単に「複雑な社会」というのは言葉足らずでしたね。
    「多様な形態が選択可能であるという意味で複雑な社会」と言うべきでした。
    あと最初のコメントに書きました理由で、
    「葉食」よりも「果実食」
    「一夫一妻」よりも「一夫多妻」
    という意味と私には思われるので、そうではないことを示していただけないと
    「雑食性とは無関係に果実食だ」
    とか
    「多雄多雌群を含まず、あくまで単雄多雌群だ」(これは言われていませんが)
    とか言われても納得はし難いです。
    >左脳を中心としてで行っているような情報処理ではなくて、前頭連合野を中心にして行っているような情報処理の方が、知性と呼ぶにふさわしいということです。
    この御回答には大いに納得できました。
    ただし、そうであるならば
    「相対脳重は左脳を中心としてで行っているような情報処理のほうに大きく相関していると思われるため、それよりも・・・」
    という説明であるべきで
    「果物をしゃぶりながら、愛人を愛撫しているオヤジを見て「知的」と感じる人がどれぐらいいるだろうか。」
    では、やはり、価値を悪意的に卑しめているという印象は拭えません。

  8. 選択可能性の増大は、意識の成立をもたらしたと私は考えています[意識とは何か]。しかし、知的でない選択の方法もある以上、意識と知性を同一視することはできません。EQと果実食/一夫多妻制との相関は、ある本の記述をもとにして書いたのですが、この記事自体、かなり昔に書いたものであるために、出典は失念してしまいました。また、相関の理由も書かれていなかったような気がします。ともあれ、出典が分かれば、原著の正確な表現を確かめてみたいと思います。

  9. >EQと果実食/一夫多妻制との相関は、ある本の記述をもとにして書いたのですが、この記事自体、かなり昔に書いたものであるために、出典は失念してしまいました。
    実は私も、いくつかの本で読んだような記憶があります。
    それらはサル学の本だったような覚えがあります。
    ブルーバックスの「サル学なんでも小事典」がその1つだったような気もしますが、間違っていたら御免なさい。
    知性の基準としてEQを使用した場合と新皮質率を使用した場合で異なる結果となる例が何も示されていないので、EQよりも新皮質率という御説が今1つピンと来ないのです。
    その例を御教授いただければ有難いです。

  10. 前頭連合野が大きいと犯罪率低下するが優しさとは関係ない
    むしろあまりにも大きい前頭連合野はむしろ共感性低下する
    リバタリアンは大きい前頭葉、低い共感が基本

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