7月 312003
 

著名な経済人類学者カール・ポランニーは、1944年に出版された『大転換―市場社会の形成と崩壊』の中で、1816年から1914年までの金本位制の時代を国際協調と平和の百年として懐かしんでいた。はたして、金本位制は、世界に平和と安定をもたらしていたのだろうか。

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1. 金本位制はインフレを抑制する

ポランニーが指摘するように、ナポレオン戦争が終結した1815年以降、第一次世界大戦が起きるまでの約百年間、あまり大きな戦争が起きていない。この百年は、コンドラチェフ・サイクルの第1波動の金利の山から第3波動の金利の山にいたるまでの期間に相当する。途中の第2波動における金利の山(1870年)を形成する過程で、1853~56年にクリミア戦争、1861~65年に南北戦争、1866年に普墺戦争、1870~71年に普仏戦争が起き、物価と金利が上昇している。しかしこれらの一連の戦争は、他のサイクルの《金利上昇=インフレ》局面で見られる戦争と比べれば、規模が小さい。なにより、金本位制の時代は、物価も金利も安定していた。では、金本位制は、世界に平和と安定をもたらす、すばらしい制度であったのだろうか。

この問題を検討する前に、金本位制とは何かを説明しよう。金本位制とは、中央銀行が、発行した紙幣と同額の金を常時保管し、金と紙幣との兌換を保証する制度である。それ以前は、金と並んで銀も本位通貨とされていた。金本位制を採用すると、銀を本位貨幣から外すために、ベースマネーが減少する。すると、実質金利が上昇するので、貸し出しが控えられ、マネーサプライが減少する。つまり金本位制度導入には、金融引き締めの効果がある。

1816年にイギリスは、ナポレオン戦争によって生じたインフレを抑えるべく、世界に先駆けて金本位制を導入する。その後、最初に述べたとおり、1870年前後に再びインフレが生じると、ドイツ、オランダ、ベルキー、フランス、イタリア、スイス、デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、日本といった先進国が次々と金本位制を導入し、1870年代に国際金本位制が確立する。当時銀貨の価値が下がっていたので、銀を本位通貨としてインフレを煽ることにならないよう、金本位制を導入した(その結果銀貨はさらに暴落する)ことは正しい判断だったといえる。

問題は、デフレになった時である。1873年にイギリス、アメリカ、ドイツ、フランス、オーストラリアで鉄道バブルが崩壊し、以後19世紀の末まで世界経済は長く深刻な不況に苦しむことになる(例えば、英国の場合、1873~96年の年平均で小売物価下落率1.7%)。この世界大恐慌は、1929年の暗黒の木曜日から始まった世界大恐慌に匹敵する大規模なデフレだった。そして、金本位制の導入は、このデフレの原因の一つだった。

2. デフレから逃れる方法

デフレになると、物価が下落し、貨幣価値が上昇する。するとそれを見た消費者は「今後もこれまでと同様に、物価は下落し続け、貨幣価値は上昇するだろう。だから、今高いうちに買うのは損だ。できるだけ商品を買うのは我慢して、安くなるまで待つことにしよう」と消費を抑制する。その結果商品は売れなくなるので、生産者は、商品を売るために、価格を下げなければならない。こうして、物価の下落がさらに物価の下落を招き、生産者は縮小再生産を余儀なくされ、不況がどんどん深刻になっていく。このデフレが新たなデフレを呼ぶデフレスパイラルから脱却するには、貨幣価値を下げるか物価を引き上げるかのどちらかまたは両方を政策的に行わなければならない。

貨幣価値を下げる最も簡単な方法は、ベースマネーの量を増やすこと(量的金融緩和)である。しかし金本位制のもとでは、ベースマネーを増やすには、金の物理的量を増やさなければならない。イギリスでは、当時イギリスの植民地であったオーストラリアや南アフリカでのゴールドラッシュのおかげである程度金の保有量を増やすことができた。しかしドイツやアメリカといった他の新興工業国は、この手段をとることができなかった。

物価を上げる最も簡単な方法は、前節で述べたとおり、戦争で資源を浪費して物不足状態を作ることである。ところが、1873年の大恐慌以降、第一次世界大戦が勃発するまで、デフレを解消するような大きな戦争は起きなかった。これは、大英帝国の軍事力が圧倒的で、どの国もパクス・ブリタニカに挑戦しようとしなかったからではない。19世紀の末になると、アメリカとドイツが、工業生産力という点でも、軍事力という点でも、イギリスを凌駕するようになっていた。だから、実際よりももっと早く、アメリカとドイツのどちらかが大英帝国の世界制覇に挑む戦争をしてもおかしくはなかったのだが、政治的な理由、すなわち、アメリカは孤立主義により、ドイツはビスマルク外交により、大規模な世界戦争は1914年まで延期となった。

戦争という手段を選ばなかった列強諸国は、別の手段で、物価を引き上げた。すなわち、大産業資本がカルテル・トラスト・コンツェルンなどを形成し市場を独占もしくは寡占して、価格を引き上げることを容認したのである。いわゆる独占資本主義の始まりである。時を同じくして、労働組合も結成されるようになった。これは組合が労働市場を独占して、賃金(労働者の価格)を引き上げることを意味している。だからこの当時の社会主義運動の高まりは、独占資本主義に対抗する運動というよりも、これに同調する運動だったのである。

こうして物価下落という意味でのデフレは阻止されたが、独占/寡占による供給サイド主導の価格の引き上げは、需要の減退をもたらすので、先進工業国は、国外に新たな市場を見つけなければならなくなった。その結果、レーニンが帝国主義と名付けた植民地獲得競争が起きる。ドイツは、もはやビスマルク外交を続けることができなくなり、1890年にビスマルクが失脚すると、ヴィルヘルム2世は積極的な世界政策を展開し、これがやがて第一次世界大戦を惹き起こすことになる。こうして、1873年以来の長期のデフレは完全に解消される。

3. 金本位制は平和の敵である

このように、金本位制は、ヨーロッパに平和をもたらしたのではなく、むしろ戦争を惹き起こすデフレの原因となっていたのである。もし、1873年のバブル崩壊後に、大規模な量的金融緩和が行われていたら、第一次世界大戦は回避できたかもしれない。

言語が世界の意味を代表象するように、貨幣は全商品の価値を代表象する。金の価値の総額は、市場経済で売買される商品の価値と比べると圧倒的に少ない。本位貨幣を金に限ると、市場経済の成長とともに増大する資金需要を満たすことができなくなる。したがって、纏足を続けると、成長する女性の足が屈折していびつになるように、金本位制度を続けると、成長する資本主義が屈折していびつになる。しかし、纏足が女性の足の「必然的発展形態」ではないのと同様に、独占資本主義は、マルクス主義者あるいはレーニン主義者がそう誤解しているような資本主義の「必然的発展形態」ではない。

実際、金本位制度が放棄された第2次世界大戦以後、特にニクソンが1971年にドルと金の交換を停止して以来、先進国は国内における独占や寡占を容認しなくなったし、植民地獲得のための帝国主義戦争を行わなくなった。金本位制度を廃止して、管理通貨制度を導入したことは、正しい選択だったと評価することができる。

管理通貨制度を採用した今日の先進国の政府に残されたリフレ政策は、財政政策と金融政策の2つである。望ましいのはどちらだろうか。

景気を刺激する財政政策には、歳出の増額(公共事業の拡大)と歳入の減額(減税)の2つがある。前者では、政府が金の使い道を決定するために、消費者が望まない公共事業(その典型が戦争である)がなされるというリスクが大きい。後者では、納税者が減税で増えた所得を減税の財源である債券の購入に当てるので、いわゆるリカードの等価定理にしたがって、消費の拡大には結びつかない。

では、金融政策はどうだろうか。デフレが軽度であれば、金利の引き下げなど、通常の金融政策で十分効果がある。しかし、今日の日本のように、金利をゼロにしても流動性の罠から抜け出せないぐらいにデフレが深刻化すると、通常の金融政策は全く無効になる。そこで、ポール・クルーグマンは、日本に対して量的金融緩和を提案した。量的金融緩和とは、簡単に言えば、ベースマネー(常識的な意味での狭義の貨幣)を量的に増やして、インフレを惹き起こす政策である。

量的金融緩和は、新奇な実験的方法で、リスクが高いという人もいるが、実は、クルーグマンが提案するよりもはるか昔にこの方法を用いてデフレから脱却することに成功し、200年以上にわたって平和を維持する偉業を成し遂げた国が世界に存在した。それは、他ならぬ江戸時代の日本である。

読書案内
書名大転換―市場社会の形成と崩壊
媒体単行本
著者カール・ポラニー 他
出版社と出版時期東洋経済新報社, 1975/04
書名The Great Transformation: The Political and Economic Origins of Our Time
媒体ペーパーバック
著者Karl Polanyi 他
出版社と出版時期Beacon Pr, 2001/01/01
書名金本位復帰と産業政策
媒体単行本
著者ジョン・メイナード ケインズ 他
出版社と出版時期東洋経済新報社, 1998/02
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