7月 312003
 

1638年に島原の乱が鎮圧されてから幕末まで、200年以上もの間、江戸時代の日本は、戦争も大きな内乱もない平和な国で、人口もほぼ2600万人のまま変化がない安定した社会だった。これは、当時の世界の他の国と比べると驚異的なことで、海外では「パクス・トクガワ」などと呼ばれている。この平和と安定の秘密は何なのか。

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1. 徳川綱吉とルイ14世

実は、江戸幕府は、幕府開設から百年にして、経済的な危機に瀕していた。ちょうど近代小氷期の最盛期(マウンダー極小期)で、江戸幕府の日本のみならず、世界の国々がインフレに苦しんでいた頃である。前資本主義社会にとっては、資源不足が最も大きな危機であることは、これまで述べたとおりである。例えば、フランスのブルボン朝は、この時の危機を乗り越えられずに、フランス革命で滅亡する。日本の江戸幕府は、この難局をどう乗り切ったのか。

江戸幕府の徳川綱吉(1646~1709)とブルボン朝のルイ14世(1638~1715)は、ほぼ同時代の人物である。ルイ14世が即位したのは1643年で、綱吉が将軍職に就いた1680年よりかなり早いが、ルイ14世も親政を始めたのは、1661年からである。この2人に共通していることは、規律を失った財政支出の拡大により先代で築き上げられた政権の経済的基盤を危うくしたことである。

ルイ14世がいかに奢侈であったかは、いまさら説明するまでもない。ベルサイユ宮殿の建設(1682年完成)と連日連夜の社交会、スペイン継承戦争(1701~1713年)に代表される一連の戦争事業などにより、ブルボン朝は、ルイ14世が死去した頃には、歳入1・45億リーブルに対して、国債残高30億リーブルという巨額の債務を抱え込むことになる。

他方、綱吉も、広大な神社造営、臣下へのばらまき、様々な催し物など、戦争こそしなかったものの、金に糸目をつけぬ消費活動により、幕府の財政を大幅な赤字にした。綱吉と言えば、生類憐れみの令で有名だが、綱吉は特に犬を大切にし、飼い犬をけがさせた者を罰したため、飼い犬を捨てる者が続出した。そこで幕府は、各地に犬小屋をつくって十万頭を養うはめになる。犬小屋の工事費用だけで20万両を使い、さらに「お犬様」の養育費として1匹あたり奉公人の給料に匹敵する額を支出した。こうしたばかばかしい浪費のおかげで、1708年(綱吉が死去する前年)には、幕府の歳出が、歳入60~70万両に対して、倍以上の140万両となり、財政は破綻寸前となった。

いずれの場合でも、巨額の財政支出がハイパーインフレをもたらした。江戸幕府もブルボン朝も、破産寸前になり、それが遠因となってブルボン朝は1789年に滅亡したのに、江戸幕府は1868年まで存続した。何が両者の明暗を分けたのか。なぜ、日本では、フランスのような市民革命が起きなかったのか。フランスほどブルジョア階級が成長していなかったからなのか。あるいは、日本人はお上意識が強くて、権力に従順だったからなのか。また、なぜ日本はフランスのように戦争をする必要がなかったのか。

日本はフランスほどブルジョア階級が成長していなかったからという説明は、江戸時代の日本が農村社会だったという偏見に基づいている。当時の日本は、大坂・江戸を中心に、フランスと比べても遜色のない商業経済が発達しており、革命の担い手としてのブルジョア階級が不在であったわけではない。

日本人はお上意識が強くて、権力に従順だったから、自らの手で革命を起こすことはしなかったという民族気質に基づく説明はいかがなものだろうか。今でもフランスでは、国家官僚は日本の官僚以上に権力を持っており、ENAへの信仰は、日本人が抱く東大法学部への信仰以上である。そもそも江戸時代の被支配者階級は決して権力に従順ではなかった。幕府の経済運営がうまくいかなくなると、打ちこわしや一揆が各地で頻発した。もしも幕府の経済政策がきわめて不適切なものであり続けるならば、そうした民衆の反抗が大きくなって、革命となったかもしれない。

鎖国をしていたので、海外との戦争に巻き込まれるリスクは低かったとはいえ、デフレスパイラルがひどくなると、内乱という形で戦争が起きた可能性は否定できない。この点に注意して、以下、財政危機に対するブルボン朝と江戸幕府の対応の違いを見ていくことにしよう。

2. ブルボン朝の破滅

1715年にルイ14世が死去した後、ルイ15世が5歳でフランス国王に即位した。財政再建の任にあたったのは、摂政オルレアン公フィリップ2世であった。彼は、知り合いのスコットランド出身のギャンブラー、ジョン・ローが提案した、それこそギャンブル的な案に乗った。ジョン・ローは、1716年に600万リーブルの資本金で銀行を設立することを許可され、金と兌換できる銀行券を発行し、それで集めた金で、価格が下落していたフランス国債を買い始めた。

国債残高は膨大であるから、国債をもっと回収するためには、さらに新たな資本を作って、銀行券を追加発行しなければいけない。そこで彼は、ミシシッピー会社を立ち上げ、金鉱開発など、当時フランスの植民地であったルイジアナ(ミシシッピー川流域)で有望な事業を行うと発表し、会社の株価を吊り上げた。1718年には、彼の銀行は国立銀行(バンク・ロワヤール)となり、1719年には、ミシシッピーの特許事業を拡張し、1720年の1月には、彼の会社の株価は当初の36倍にまで跳ね上がった。国債残高は半減し、金利は低下し、インフレは沈静化した。しかしその代わり資産価格の異常な高騰、すなわちバブルが発生した。

バブルは、いつかははじける。ミシシッピーでの金鉱開発事業がでたらめであることが暴露され、株価は暴落した。人々は銀行券を金に変えようとバンク・ロワヤールに殺到したため、バンク・ロワヤールは支払い不能に陥ってしまった。1720年の12月には、ジョン・ローはブリュッセルに亡命し、フランス経済は深刻な恐慌に陥ってしまった。このデフレから脱却するためにブルボン朝がとった手段は公共事業としての戦争だった。ポーランド王位継承戦争(1733~35)、オーストリア王位継承戦争(1740~48)、7年戦争(1756~63)といった積極財政は、確かにリフレ効果はあったものの、財政逼迫というもとの問題を再燃させ、ブルボン朝は1789年の破局に向かっていく。

3. 江戸幕府の知恵

では、江戸幕府は、綱吉の死後、どのようにインフレと財政再建の問題に立ち向かったのか。1709年に綱吉が死去したあと、家宣(1709~1712)、家継(1713~1716)の2代にわたって、実際に政治を担当したのは新井白石だった。新井白石は、倹約によって支出を切り詰め、元禄・宝永の改鋳で落ちた金銀含有率を、幕府創設当初の慶長小判の水準に戻した。これを正徳・享保の改鋳という。元禄・宝永の改鋳では、金銀貨の流通総量が年平均で約5%増加したが、正徳・享保の改鋳では、逆に約2%減少した。要するに、緊縮財政と金融引き締めにより、インフレを抑制したわけである。

1716年に家継が死去すると、吉宗がいわゆる享保の改革を始める。享保の改革の前半は、新井白石のディスインフレ政策の継続だった。しかし、やがて物価、特に幕府の重要な財源であった米の価格が下落し始め、デフレの弊害が出てきたので、1736年には、改鋳、すなわち量的金融緩和によるリフレ政策が採られることになった。この元文の改鋳で貨幣供給量が増加し、物価も上昇に転じた。例えば大坂の米価は、改鋳後5年間で2倍にまで騰貴した。こうした米価の上昇や年貢の増収などにより、江戸幕府の財政は好転し、1758年には、財政は最高の黒字額を記録した。

ブルボン朝が、積極財政(戦争)によってデフレから脱却しようとして、財政規律を失い破滅したのに対して、江戸幕府は、金融緩和により、戦争をすることなく、そして財政再建をも同時に行いながら、デフレからの脱却に成功した。その後江戸幕府は、インフレ局面においては、倹約や増税などのディスインフレ政策を採り、デフレ局面においては、貨幣の改鋳によるリフレ政策を採ることを繰り返して、マネーサプライを適切にコントロールし、幕末にインフレの抑制に失敗して破滅したものの、200年以上にわたって、平和で安定した社会を実現した江戸幕府の功績は評価しなければならない。

では、最初に量的金融緩和によってデフレから脱却することを実行したのは誰なのか。それは、幕府の勘定吟味役、荻原重秀であった。彼が行った元禄・宝永の改鋳は、優れたリフレ効果を発揮し、元禄文化と呼ばれている町人文化の興隆をもたらした。重秀が貨幣の改鋳を行ったのは、金銀比率を下げることで得られる出目(改鋳差益)が目当てだったのか、それともそれは周囲を説得させるための口実で、本当はマネーサプライを適正化するためからだったからなのかはわからない。いずれにせよ、重秀は、「幕府が信用を与えさえすれば、貨幣は瓦でも石でも良い」と喝破したと伝えれているので、当時としてはかなり斬新な考えの持ち主だったようだ。

江戸時代、大阪堂島の米市場が、世界に先駆けてデリバティブを制度化したことからもわかるように、江戸時代の金融テクノロジーは世界最高水準にあった。マクロ経済の安定と戦争の回避という点で、私としては、先物取引の発明よりも、量的金融緩和の発明の方を評価したい。デフレからなかなか抜け出すことができない現在の日本も、江戸時代の知恵を学ばなければならない。

太陽黒点数の変動にともなって発生する資源インフレと資源デフレの差はそれほど大きいものではない。ところが、社会システムには、小さな摂動を増幅するポジティブ・フィードバック作用がある。ポジティブ・フィードバックを放置しておくと、スパイラル的なデフレやインフレが発生し、そしてそれが恐慌・戦争・失業・餓死など深刻な社会問題を惹き起こす。自然環境の変動に対して、システムが社会秩序の低エントロピー性を維持しようとするならば、マネーサプライの適切なコントロールにより、増大するエントロピーを縮減しなければならない。

私は、江戸時代の知恵に学べといったが、現在の経済システムは、江戸時代のそれと比べて、あまりにも複雑で、マネーサプライのコントロールを少数の中央銀行の官僚たちの裁量に任せるわけにはいかなくなっている。そこで、次節で、現代にふさわしい新しいマネーサプライのコントロール方法を提案したい。

読書案内
書名信用恐慌の謎―資本主義経済の落とし穴
媒体単行本
著者ラース トゥヴェーデ 他
出版社と出版時期ダイヤモンド社, 1998/12
書名Business Cycles: From John Law to the Internet Cycle
媒体ペーパーバック
著者Lars Tvede
出版社と出版時期Harwood Academic Pub, 2001/02/01
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