なぜ売買春してはいけないのか
現在日本では、売買春は法律で禁止されている。そして、多くの男たちは、「買春は悪だ」と、少なくとも頭では理解している。体が言うことを聞くかどうかは別として。では、この長く信じられてきた価値観に根拠はあるのか。はたして、「誰にも迷惑をかけずに、お互い自由意志で合意してやっているのだから、なーんにも悪くないじゃん」と開き直る売買春肯定論者の主張を、説得力ある理由を挙げて論破することは可能だろうか。いくつか候補を挙げて、その妥当性を検討してみよう。
1. 性病防止説
売買春は、性病を蔓延させ、非嫡出子を産み出すので悪い。
この説によると、売買春というよりも、売買春を含めたフリーセックス一般が好ましくないということになる。もしも、セックスが夫婦間でしか行われないのであれば、性病は配偶者にしか感染せず、それ以上広がらない。これに対して、売買春がオープンに行われる場合、不特定多数の客を相手にする売春婦がスーパー・スプレッダーとなって、性病を蔓延させることがしばしばある。また、未婚女性が売春をする場合、避妊に失敗して非嫡出子(婚外子)を産むリスクがある。最初に思いつく「合理的な」理由はこんなところだ。
だが、こうした理由で売買春を法的に禁止することはできない。法律で売買春を禁止しても、アングラマーケットで売買春がはびこるだけである。それならば、公的機関が売春宿を経営した方が、性病予防や避妊用具の着用などが徹底されるので望ましいということになる。少なくとも、性病や避妊についての知識のない女子高生が、ふらふらと路上で援交オヤジを探す場合よりも安全である。また、暴力団などに流れていた金を、公共の利益のために使うことができるというメリットもある。
戦前の日本では、こうした理由から、公娼制度が作られた。にもかかわらず、戦後、公娼制度が廃止され、売春防止法が施行され、今日に至るまで「公営吉原」を作ろうという動きが政府に出てこないほどに売買春が忌み嫌われているのはなぜなのか。将来、着用を感じさせないほど薄くて、しかも絶対に破れることがない究極のコンドームが発明されて普及し、性病問題と妊娠問題が解決されたとしても、たぶん売買春が悪だという価値観が変わることはないだろう。それはなぜか。
ここで、「買春」という言葉を聞いただけで、目をつり上げるフェミニストに登場してもらって、御説を拝聴しよう。まずは、いかにもフェミニスト的な理由から見ていこう。
2. 経済的暴力規制説
買春は、男の女に対する経済的優位の象徴だから許せない。
たしかに、男が女より平均的に収入が高いからこそ、男は高値で女を買うことができる。ただ、売買春で男女間の経済格差が広がるわけではなくて、むしろ逆に小さくなるのだから、この命題からは、男女の経済格差を是正すべしという当為が帰結しても、買春を禁止すべしという当為は帰結しない。
3. 性的奴隷解放説
買春は、女を男へと隷従させる性的奴隷制度だからけしからん。
「性的奴隷」というのも、フェミニストたちがよく使うレトリックであるが、売春婦を奴隷扱いすることは奴隷制度に対する根本的な誤解である。奴隷は、24時間365日自由を持たないが、売春婦が自由を持たないのは、勤務時間中だけである。発展途上国には、性的奴隷に近い女たちがいるが、これは売買春というよりも人身売買であるから、別の問題である。ともあれ、日本の売春婦のように、生活のためにやむをえずではなくて、ブランド物を買うためとかプチ家出のためとかの理由で、時間の一部を売春に当てて金を稼ぐことは、いかなる意味でも奴隷的ではない。もしも日本の売春婦が奴隷なら、すべての労働者は、勤務時間中自由を失っているのだから、顧客の奴隷ということになってしまう。
結局のところ、フェミニストたちの攻撃の矛先は、買春の原因となっている男女の経済格差に向けられていて、女の売春行為そのものに対しては、フェミニストは意外と寛容であったりもする。実際、あるフェミニストは、女は売春してもよいが、男の買春は悪だなどと言っている。これは、「片手で拍手しろ」と言っているのも同然ではないのか。買い手を否定して、どうやって売れと言うのか。
ここで、フェミニストよりも、もっとピュアに売春を憎むロマンチストに登場してもらって、御説を拝聴しよう。
4. 愛情欠如説
売春は、愛がない金目当てのセックスだから卑劣だ
なるほどロマンチックだ。では、若い美人が、遺産目当てに、本当は愛していない年寄りの金持ちと結婚することは、卑劣な売買春として法的に禁止すべきなのか。これは極端な例だが、それにしても、経済的なことを考えずに、愛だけで結婚するカップルがどれだけいるだろうか。専業主婦志望の女性は、相手がハンサムかどうかよりも、収入が多いかどうか、あるいは学歴が高くて将来出世しそうかどうかということを重視するのではないのか。売春婦の中にも、趣味と実益を兼ねている人がいて、相手が好みのタイプだと、「ラッキー!」とか言って、愛のこもったセックスをすることもあるのではないのか。こうしたことを考えると、専業主婦は終身雇用の専属社員で、売春婦はパートタイムの派遣社員という就業形態の違いはあっても、ともに「セックスでメシを食う」という点では変わりがないということになる。いずれにせよ、愛があるかないかでは、合法的な専業主婦と非合法の売春婦を区別することはできない。
5. 人身売買防止説
売春は、体を物のように売るので、非人間的な職業だ
これもロマンチストがよく口にするせりふだ。性的奴隷解放説と似ているように見えるが、人身売買防止説が性と人格の分離を批判しているのに対して、性的奴隷解放説は人格までが性とともに売られることを批判しているのだから、立場が違う。では人身売買防止説は正しいか。答えは否だ。人身売買防止説を主張する人は、「商品=財」という誤解をしている。サービス業を考えればわかるように、物の移譲がなくても交換は成り立つ。しばしば売春のことを「体を売る」と表現するが、臓器売買のように、文字通り肉体の切り売りをしているわけではない。たんに肉体を用いたサービスを売っているだけである。そして、言うまでもなく、肉体労働自体は悪くない。では、売春は、客の肉体に触るから、汚らわしい肉体労働なのか。そうではない。マッサージ師は、売春婦と同様に、客の体に手で触れて、客に肉体的な快楽を与え、それで金を稼いでいるが、売春業のように「醜業」扱いされていない。マッサージ業との違いを強調するならば、人身売買防止説は次の段階に移行する。
6. 触穢防止説
売春は、客の性器と接触する肉体労働なので、猥褻で穢れた職業だ
なにやら中世の頃を髣髴とさせる差別的言説だが、もしもこうした触穢思想を応用するならば、医師や看護士も「猥褻で穢れた職業」ということになってしまう。例えば、女性看護士が、盲腸切除手術を受ける男性患者の秘部の剃毛をしたり、乳がんの検査と称して男性の医師が女性患者の乳房をもんだり、産婦人科の医師がヴァギナに手で触れたりなど、医療現場では、風俗店もどきの接触行為が行われている。私は行ったことがないのでよく知らないが、イメクラのメニューに「剃毛プレー」とか「乳がん診断プレー」とかあっても不思議ではない。にもかかわらず、誰も医師や看護士を「猥褻で穢れた職業」とは言わない。だから、売春と医療行為を区別するためには、触穢防止説は、「売春は、性的快楽を与えるために客の性器と接触する肉体労働なので、猥褻で穢れた職業だ」と書き換えられなければならないが、これは、「売春は、売春なので、猥褻で穢れた職業だ」というのも同然で、なんら理由を示したことにならない。
以上、売買春を悪とみなす様々な根拠を検討したが、いずれも説得力に欠けている。売春婦をすると経歴に汚点を残すとか、周囲から白い目で見られて精神的な傷を負うなど、世間が売春を悪とみなすことによる二次的な弊害を指摘する人もいるが、もちろん、それらは、売春が悪であることの一次的な理由にはならない。たまねぎの皮をむくように、一枚一枚見せかけの理由を剥いでいった結果、最後に残るコア、売買春に対する抵抗の最後の砦は何なのか。私がたどり着いた結論は、こうである。
7. 希少価値維持説
売買春の合法化は、セックスの希少価値を損なうので問題がある。
売買春の報酬は、他の職業で素人の女性が受け取る賃金よりも破格に高い。これは、セックスの希少価値が高いからであって、有用性価値が高いからではない。その証拠に、援助交際がブームになった時、素人の女子高生の方がベテラン売春婦よりも高値で売れた。なぜ、ベテラン売春婦とは違って、セックス・テクニックが皆無で、ただマグロやっているだけの、しかも体が未熟でおいしくない素人の女子高生が高く売れるかといえば、それは多くのオヤジが、「素人の女子高生は処女だ」と信じているからである。現在、オヤジたちは、これが幻想に過ぎないことに気がつき、「本当の処女」を求めて女子中学生を漁り始めている。オヤジが、これだけ処女にこだわるのは、言うまでもなく、経験者よりも処女の方が、希少価値が高いからだ。
もしも売買春が合法化され、売春婦になることが経歴上のスティグマでなくなると、現在よりも多くの女性が売買春市場に参入して供給過剰となり、売春料金は、通常のマッサージ料金と同じ水準にまで暴落するだろう。これは、麻薬を合法化すると、麻薬の価格が通常の薬の水準にまで暴落するのと同じことである。将来、性病防止説から触穢防止説で指摘した問題が解決されたとしても、すなわち、コンドームの技術革新のおかげで、性病が蔓延したり、非嫡出子が続出したりしなくなったとしても、男女の経済格差が縮まって、フェミニストたちがおとなしくなったとしても、売春婦に対する社会的偏見がなくなったとしても、否、むしろこうした売買春へのあらゆる障害がなくなればなくなるほど、そして素人が気軽に売春できるようになればなるほど、セックスの希少価値がなくなるので、希少価値維持説の問題は深刻になる。
規制緩和による価格破壊で打撃を受けるのは、売春婦だけではない。同じく「セックスでメシを食っている」専業主婦もデフレの危機に晒される。いつでも、安く、簡単に女を買うことができるようになれば、男たちは、もはや性的快楽のためだけに結婚する必要はなくなる。そうなれば、専業主婦志願の女性たちは大量に売れ残ることになる。では、女性たちが買春合法化反対を叫ぶのは、日本の稲作農家が、米の輸入自由化に反対する場合と同じで、規制緩和によって業界の既得権益が侵されることを恐れているからなのだろうか。
規制緩和で専業主婦が減るだけなら、何も問題はないし、むしろ女性の自立という観点からは望ましいと考える人もいるだろう。だが、セックスの希少価値が下がることによる弊害はこれだけにとどまらない。売買春を合法化しても、婚外交渉を肯定しない限り、既婚の男女は売買春ができない。結婚してしまうと、未婚の時のように、いつでも、安く、簡単に女を買う「セックス・オン・デマンド」が享受できなくなるということになれば、「子供も欲しいが、それ以上にいろいろな女と一生遊び続けたい」という選好を持つ男たちは、結婚しなくなる。そうすれば、そうした男が作るであろう子供の分だけ人口が減少する。戦前の日本では、妻が夫の買春を容認したために、公娼制度を作っても、あまり独身者を増やすことにはならなかったが、現在のように、妻が夫の不倫に寛容でなくなると、そういうわけにはいかない。
キリスト教徒が、売春だけでなく、オナニーや避妊や同性愛を禁止するのは、生殖を目的としない、性的快楽だけを求めた非本来的な性行為は、「産めよ、殖えよ、地に満てよ」という神の人間に対する祝福に違反するからだと考えることができる。キリスト教に限らず、性道徳の背景には、人口増加を善とする思想がある。婚前交渉を肯定して、結婚しなくても愛があればセックスができるようになれば、あるいは、売買春を肯定して、結婚しなくても金さえあればセックスができるようになれば、結婚するカップルが減り、それは結果として少子化を促進してしまう。
では、売買春がお金を媒介としない婚前交渉よりも嫌われるのはなぜか。それは、相思相愛の婚前交渉は、物々交換一般と同様に、「私が欲望する商品の所有者が、私が所有する商品を欲望している」という欲望の偶然的な二重の一致を必要とするために、成立が困難であるが、貨幣というコミュニケーション・メディアが媒介すれば、片想いでも簡単に交換が成立する、つまり、売買春は、婚前交渉よりも成立が簡単で、それだけセックスの希少価値をより大きく下げるからだ。
私の結論は、売買春の合法化は人口増加を抑制し、種の存続を危うくする(あるいは少なくともそう信じられている)から非難されるというものだ。もちろん、私たちは、本当に人口の減少が望ましくないのかどうかを疑わなければならない。日本をはじめとする先進国では、少子化が社会問題となっているが、発展途上国では、人口増加は悩みの種である。そうした国々に対しては、人口抑制政策の一環として、売買春を未婚の男女に限り合法化してみてはどうだろうかと提案したくなるが、発展途上国ほど、性病予防や避妊が不徹底なので、売買春の合法化は、性病の蔓延や意図せざる出産の増加をもたらしてしまう。ここに売買春合法化が直面するディレンマがある。
8. 読書案内
- 『買売春解体新書―近代の性規範からいかに抜け出すか』の前半は、援助交際をめぐる上野千鶴子と宮台真司との対談。コミュニケーション・スキルがなくて、買春によってしかセックスできない男を「性的弱者」と位置づける宮台に対して、上野は、性欲を満たしたければ、マスターベーションしろと言う。後半では、藤井誠二のレポートが面白い。
- 『性の商品化―フェミニズムの主張〈2〉』は、性の商品化に対するフェミニストたちの批判。疎外論や搾取論など、古臭いマルクス主義のイデオロギーをそのままフェミニズムに適用したような議論が目立つ。
- 『売る売らないはワタシが決める―売春肯定宣言』では、売買春肯定論者たちが、「売春は良いけれどもし、買春はダメ」と主張する上野千鶴子や「タイの女性は強制的に売春させられている」と主張する松井やよりや「売買春で他者が他者でなくなる」と主張する立岩真也など、著名人たちの浅薄な売買春否定論を批判する。
ディスカッション
コメント一覧
この結論にはいまひとつ納得いきません。例えば合法化後のオランダでは有意な人口抑制が起きたのでしょうか。また例えば、或る女性が初のソープ勤めを決心して面接に向かう時間に襲われる、なにか「とりかえしのつかないような」喪失感や畏れ(想像ですが)を、説明できていないようにも感じます(二次的な原因が大きいというのはわかりますが)。
私自身の意見は(まことに常識的なものですが)こうです。売買春はオモテ向き嫌われる。何故ならそれは貞操への期待を決定的にはみ出すからだ。詳しく言えば【セックスは愛、特に永続的な愛、少なくともそうありたいという意志、とのみ、交換すべきである。特に女子においてはそうである】なる価値観に、強く抵触するのである。
これが公序良俗を(が?)支えるオモテの価値観であり、娘がAVに出演してると知った親の悲嘆も、親友がじつは現役ソープ嬢だと聞かされたOLの受けるショックも、ここに根拠があると思います。我が子が創価学会に入信したと知った場合、非創価学会員であればショックを受けるのが普通だと思うのですが、それと似ています。自分を(が?)支えるものと全く違う宗教、異質な価値体系の側へ行かれてしまう者の呆然自失。
「それじゃ金目当ての結婚も法律で禁止すべきか?」というツッコミはふたつの意味で唐突です。
ひとつ、永続的な愛の希求とはロマンチックな表現ですが、同時に非常に打算的・功利的な要請でもあります。すなわち永続的な協力関係(或いは扶養、庇護)への期待です。女は自らの性的価値をなるべく有効に使い高く売り、引き替えに幸福と安心を得るべし、と、良識の側は要するにそう命ずるのではないですか。
もうひとつ、道徳(とか、慣習とか、無意識とか、親とか、市民社会とか、種としての繁殖戦略とか、体制とか、反体制とか、多数派とか、少数派とか)の見地から批判(、否定、拒絶)されることと、法律で禁ずべきかどうかとは別のことでしょう。まず批判さるべきかどうかを考え、そうだと結論が出た場合にのみ次の議題として、法的規制が必要かどうかを考えればよいのではないでしょうか。「金目当ての結婚ってど~なのよ」と「金目当ての結婚は法律で禁止すべきか」とでは全然違います。
性交成立へのハードルは(ある程度)高く設定されてた方が世の中うまく行く、というコンセプト、さらに「つねにヤリたがる♂、ガードの堅い♀」という構図の中で、このハードルの設定は♀の側に多く期待されるという現実。
種の存続という観点から見て、この価値観、及びこの構図には適合的意味があるのか。もちろんある(少なくとも、あった)と思いますが、緻密に論じる能力が私にないので、ここで終わります。たぶん「竹内久美子的に」説明できるでしょう。たぶん永井さんのおっしゃる「セックスの希少価値を守るべし」も、私の考える「セックスのハードルは高く設定されることを期待される」も、結論的にはそれとほぼ同じなのでしょう。また、「愛情は金銭よりもセックスの希少価値を担保する」といったくだりもよく理解できます。私としてはただ、このような(ヒジョーに常識的な通俗的な)思考回路からそこに行けるのに、このような(ヒジョーに常識的な通俗的な)考えが「なぜ売買春してはいけないのか」の中ではあっさり退けられているように見えるのが、不思議なのです。
オランダは、1990年代には人口増加率が比較的高かったそうです。これは、ワークシェアリング政策によって、女性が働きながら出産することが容易になったからだと言われています。いずれにせよ、オランダが売買春を合法化したのは19世紀のことですから、因果関係はよくわかりません。
売買春を合法化しているドイツでは、長い間人口増加率は低いままです。しかし、これも因果関係ははっきりしていません。人口は、様々な要因で増減するので、単純な議論はできません。社会科学は、自然科学のような比較実験ができないので、推測以上の結論は出ないのです。
私が、結論に「少なくともそう信じられている」という但し書きを入れたのは、実際に人口抑制効果があるかどうかは別として、多くの人は「遊びのセックスが増えれば増えるほど、出産に結びつくセックスの割合は減る」と考えていることは事実であり、それゆえに売買春は非難されるのではないかといいたかったからです。
直観的に理解できないということであれば、周りがまじめに働いている時に、自分ひとりだけ遊んでいて、後ろめたさを感じないかどうか自問してください。オナニーや遊びのセックスにはそうした後ろめたさがあって、罪悪感を感じるようになったのではないでしょうか。
私は、「永遠の愛」という理念は、人口を大量生産しようとする近代資本主義社会が作り上げた恋愛結婚のイデオロギーだと考えています。不安こそが愛を燃え上がらせるのであり、安定は逆に愛を殺します。不倫が楽しいゆえんです。
最後のところだけわかりません。結婚をめでたいとみなし、なるべくなら永く続くようにと(少なくともオモテ向き)願うのは、人類にかなり普遍的な現象かと思っていたのですが、近代資本主義社会以降の特殊な現象なのでしょうか。
この「愛」というのは「情熱」と読み替えてもいいのでしょうか。だとするとよくわかりますが、売春の是非とどういう関係にあるのでしょうか。
生活の安定と燃えるような情熱と、どちらが人口増大に役立つのか私にはわかりません。私の主旨は、性交成立のためのハードルがある程度高い方が「うまくいく」(逆に言えば、ものすごく気楽にセックスができるような社会は脆弱化するだろう)ということ、特に女子は自分の性的価値を「高く売る」ことを一般に(特に親に)望まれている、ということです。
近代資本主義社会に特有なのは、恋愛結婚です。「愛し合っているから結婚する」という恋愛結婚の理念が、たんなるタテマエにすぎないことは、愛がさめても、子供を育てるために離婚しない夫婦を社会が肯定していることを見れば明らかです。ホンネが、育児責任体制の確立にあるので、愛のない金目当ての結婚よりも、たとえ愛があっても、育児責任を果たさないフリーセックスの方が社会的には悪とみなされるわけです。
合法化され社会的に売買春が認められた場合、男性側の精神的な罪悪感も解消され需要が増えるのではないでしょうか?女性が売春を嫌がるのは社会的や道徳的な理由以外にも生理的に嫌な男性に触れられたり、単純にセックスが肉体労働である事があげられます。おそらく実際には女性の供給の増加率よりも男性の需要の増大の方が遥かに大きいと思われます。結果的には料金等の変動はあまり無いのではないでしょうか?
そもそも男性は女性に比べ性欲が旺盛です。女性の卵子が1~2個/月に対して、男性の精子が数億/日と言う数字から考えれば、男性の性欲は一人の女性との生殖目的のみで考えれば明らかに過剰であると思われます。
戦前女性達が夫の売春を黙認したのも自分一人では男性の性欲を処理する負担が大きいと判断しての事ではないでしょうか?あくまでも、夫婦同士の性交渉があり、その余剰分を売春で解消すると言う形です。
性欲処理と生殖行為は別と考えるなら売春公認=結婚率激減には繋がらないと思います。男性が結婚に求めるのは性的な理由だけではなく、精神的支柱であったり、家事育児のパートナーである場合もあります。それらを考えると少子化とは結びつき難いと思われます。
更には売春婦が共有であるのに対しと妻(不倫等はありますが)は独占契約を結んでいるのです。何故そんな契約をするのでしょう。おそらく男性の独占欲もあるでしょうが、他の男性と接触した女性と性交渉を持ちたくない、性欲処理とは別に自分だけの女性を確保したいとと言う気持ちが存在するからです。おそらくは日本の穢れ思想に由来するものでしょう。処女を求めるのもその思想の一形態ともとれます。
個人的には合法化には賛成です。永井さんが述べたように売春には大きなメリットが存在するからです。(暴力団等の不法集団の資金、男女の経済格差減少、性犯罪の抑制etc)また不当に働かされている売春婦を保護する理由もあります。劣悪な衛生状態、借金等の理由による強制労働、経営者による給料のピンハネetcです。これらを改善するためには、まず売春を法で認め、その上で規制をしなくてはならないでしょう。
少子化、人口爆発の問題では経済の理由が大きいと思われます。発展途上国では子供に面倒を見てもらうために、大勢子を産みます。その中の誰かに老後の面倒を見てもらうためです。仮に売春を永井さんの言う理想的な形(避妊、衛生の徹底)で実現したとしても、人口爆発は収まらないでしょう。そもそも女性を買うほどの余裕がないのでは?途上国の売春婦はどちらかと言うと金を持った外国人をターゲットにしています。
日本の少子化にしても、不景気の不安感の表れでしょう。いっその事、公娼制度を復活し、お台場あたりに一大風俗ビルでも建てた方が経済効果で景気もよくなるかと思います。客は安全で低料金で利用でき、女性は上記の不当な理由に怯えず、利益は国の福祉に役立てる。・・・とまぁ、これは冗談です。ここまで行かないまでも合法化のメリットは大きいですし、一考の価値はあると思われます。
女性には性欲がない、あるいは少なくとも、男性ほど強い性欲はないという社会通念は、ビクトリア朝時代に作られた近代の神話です。つまり、女性が性欲など持たないかのように振舞うのは、文化的原因によるのであって、それが彼女たちの自然=本性とは言えません。
一歩譲って、男性のほうが女性よりも本来的に性欲が強いと仮定しても、だからといって、売買春の合法化が、売春の価格を下落させないとは言えません。kanesukeさんは、価格は需給関係だけで決まるとお考えのようですが、現在の売春価格の少なからぬ割合は、リスクプレミアムによって占められており、需給関係がどうであれ、合法化によってリスクプレミアムが剥げ落ちる分だけ、価格が落ちるのは確実です。マッサージ料金と同じになるかどうかはわかりませんが、「同じ水準」にまでは落ちるでしょう。
なお、売買春を合法化すると、「子供も欲しいが、それ以上にいろいろな女と一生遊び続けたいという選好を持つ男たち(すべての男がそうだとは言っていないことに注意!)は、結婚しなくなる。そうすれば、そうした男が作るであろう子供の分だけ人口が減少する」のだが、少子化の本来の原因は、もちろんこれとは別です。現在先進国で進みつつある少子化の原因は、産業の知識集約化であると私は考えています。
女性には性欲がない私には女性に性欲が無いとは言っていません。夫婦の性交渉の余剰で・・と言いました。確かに女性にも男性にも性欲に差は無いでしょう。ただ、体力的にはどうでしょうか?前回述べた通り、SEXは肉体労働になりえるのです。男性と女性がまともにぶつかった場合、女性側が負担を感じる・・・と言う事はないでしょうか?
価格は需給関係以外にもさまざまな要因が含まれると思っています。特に経費については一考の価値があるかと思います。まず、SEXと言う行為の特性上、ある程度のスペースが必要かと思われます。利用する男性が増えた場合、場所を確保するためにある程度の経費がかかります。それにより利益が削られ、ある程度の価格の上昇が考えられます。(微々たる物ですが)これは風俗店でも個人の売春でも変わりません。
第二に、避妊、性病対策。こちらは永井さんの仰る夢のようなコンドームがあれば解決しますが、更に安いと言う条件を加えなくてはいけませんね。
第三に、これが一番大事なのですが、女性の給料です。希望者が少なければ(更に需要があれば)、給料はあがるでしょう。希望者が少ないのは永井さんの仰る社会的な問題だけなのでしょうか?私としては上記の女性にとって肉体労働になりえる事(特に風俗店では一日何人も相手をしますので)。更に精神的な負担もかなりのものかと思われます。
例えるなら、男性の過酷な職業に「ダム建設現場」や「マグロ漁船」といったものがあります。どちらも売春に勝るとも劣らないほどの収入が得られます。また、社会的にも白い目で見られる事はありません。ですが、男性は殺到しているでしょうか?答えは明らかです。高給=魅力的な仕事とは言えません。
確かに給料は良いのですが、ワリに合わないと言うのが売春をしない女性の本音ではないでしょうか?無論、それを無視してでもお金が必要だと言う女性もいますので供給はなくなりません。仮に供給過剰になり、売春価格が暴落した場合、安い上にキツいでは自然と淘汰されるはずです。女性の高給は不動かと思われます。
以上の理由は経営の上で外せませんし、売春が合法化しようと変わる事はないでしょう。経費がかかる以上価格を上げなければ利益が出ませんので、変動はしないかと思われます。一時的に急落する事はあるでしょうが、最終的には同程度の値段に落ち着くはずです。
なお、売買春を合法化すると、「子供も欲しいが、それ以上にいろいろな女と一生遊び続けたいという選好を持つ男たち(すべての男がそうだとは言っていないことに注意!)は、結婚しなくなる。全ての男でない。つまりその選好をもつ男性は一部であり、全体に及ぼす影響は微小なのではないでしょうか?また、中国のように一人っ子政策でもあれば別ですが、一人の夫婦に何人の子供が生まれるかは決まっていないのです。仮に夫婦が減っても子供の数が減るとは限らないのでは?
永井さんは結論にてキリスト教を引き合いに出していますが、こと日本についてはそれをそのまま適用して良いものかどうか、疑問です。日本は農耕民族であり、「一粒万倍」は豊作の象徴として縁起の良いものでした。自然、性に対してもオープンになり、古代日本では祭りの際豊作を祝う(または祈る)ため、フリーセックスをしていたと言う説もあります。近代になってからも、夜這いと言う風習が残り、オープンでありつづけますが、それは儒教的価値観の抑圧により、女性の処女性が重視され婚前交渉が卑しいと見られるまではの話です。日本にはそういった土壌があり、また売春(プロに限ります)のメリットもある上で、売春を悪とする事になんの意味があるのでしょう。
「女は男よりも体力がない」というのも偏見です。男には瞬発力がありますが、女性には持久力があります。セックスにおいても、最初に力が尽きるのは男の方です。売買春産業で、売春婦は一日に何人もの客をさばくことができますが、男娼はそういうわけにはいきません。「本番なし」なら、マッサージ並みの料金で可能ですが、そうでなければ、接客のたびにバイアグラでも飲まないと商売にならないでしょう。女性の購買力が高まれば、男娼の価格は高くなるかもしれませんが、売春婦の方は、構造的に供給過剰になるため、価格は上がりようがありません。
なお、私が言っているリスクプレミアムは経費とは異なります。売買春は、他の産業と比べると経費はかかりません。場所代も、男の部屋ですれば、ゼロに抑えることができます。私が高くなるといっているリスクプレミアムとは、確実にかかるコストではなくて、可能的なコストです。違法商品の価格が高くなるのは、現実的コスト以上に可能的コストが高いからです。
イエスキリストは、仏陀とは異なって、性欲に対して寛容でした。キリスト教が性欲を罪悪視するのは、アウグスティヌス以降のことです。だから、文化論を持ち出すのは適切ではありません。
結婚生活よりもプレーボーイを選好する男が、男の中の一部だからといって、どうしてそれが人口動態に影響を与えないと言うことができるでしょうか。もちろん、実際にどのような影響があるかは、実際に解禁してみなければわかりませんが、いずれにせよ、「私の結論は、売買春の合法化は人口増加を抑制し、種の存続を危うくする(あるいは少なくともそう信じられている)から非難されるというものだ」という命題の括弧内を無視しないでください。
リスクプレミアムによって違法商品の価値があがると言うのは言い換えるならば「逮捕される危険がある」と言うリスクを飲んだ人間がそれに見合った利益を得ると言う事だと理解しますと、「男性の部屋に一人で行き襲われる危険」や「性病、妊娠の危険」、または「肉体的、精神的の負担を受ける危険」と言うのも考えられるのではないでしょうか?店舗の場合はこれらはある程度避けられます。(定期的検診や備品の充実、男性店員など)リスクを避けるための経費がかかるのです。ですが、個人の場合、これらを避けるにはある程度の経費がかかる、またリスクを飲めばそれに見合った報酬が受けられる。どの道、価格の引き上げを意味します。
実際に解禁してみなくてはわからないと仰いましたが、制約が無かった時代はあったはずです。公娼制度廃止の前後で日本人の人口が著しく増減したでしょうか?寡聞ですが耳にした事はありません。現代とは社会的情勢も違い、容易に比べられるものではないでしょうが、短い期間でも変化が起こらなかったと言うのは直接的な関係は無いとの理由ではないでしょうか?
また、貴方の主張である「人口の増加が善であり、それを阻害する売春は悪である」と信じる人達が居るとして、彼らの主張を極論にまで発展させるとすると「無差別な性交渉による人口の急増」例えば集団レイプなども善になってしまうのでしょうか?
これはまさに極論で、行き過ぎと言われるでしょう。ですが、ここで思い当たるのは善と悪の両極である二つがどちらも禁じられていると言う事です。これはこの二つを悪とする別の部分での論理があるからではないでしょうか?それは「自己抑制」(もしくは禁欲)かと思います。自分をコントロール出来る人間を理想とする思想ではないでしょうか?例えば、中国では悪い君主の第一条件は「好色」であると言われています。いかに立派な仕事をしようと我を忘れて女性に溺れるような人間は君主たる資格はないと言う理由です。
この理屈で考えるならば、永井さんが書き出しで書いた「頭では理解・・・体は別として」も説明出来ます。頭では「女性を金で自分の思い通りになんて」と考えても体は欲望に任せてしまう。そんな自分が情けなく罪悪感を感じる。二日酔いのような後悔みたいなものです。
こちらの方が素直に納得できるような気がします。「人口増加を抑制し、種の存続を危うくする(あるいは少なくともそう信じられている)から非難される」というのは「セックスは愛ありきである(あるいは少なくともそう信じられている)から売春を非難する」ロマンチストとあまり変わらないような気がします。どちらも特定の人間の思想であり、社会全体の人間(あるいは世界)に影響を及ぼすほど市民権を得ているとは思えません。むしろもっと潜在的な「暗黙の了解」のようなものが影響するのではないでしょうか?
企業はリスクプレミアムを保険で低くすることができます。違法ビジネスは保険に入ることはできません。だから、リスクプレミアムが高くなるのです。
戦前の日本については、本文で言及しています。もう一度よく読みましょう。念のためにもう一度引用すると、「戦前の日本では、妻が夫の買春を容認したために、公娼制度を作っても、あまり独身者を増やすことにはならなかったが、現在のように、妻が夫の不倫に寛容でなくなると、そういうわけにはいかない」。
レイプについて言えば、子供がたくさん生まれるということと人口が増えるということは同じではないことに気をつけなければなりません。非常に豊かな国以外では、レイプで産まれた子供は、成人になる前に死亡する確率が高い。責任持って育てる親がいない子供ができると、資源を浪費する分だけ人口の増加を抑制します。
なんでも禁欲すれば、尊敬されるというような「心情倫理」は支持できません。特に、法を定める時には、結果を考慮した「責任倫理」が必要です。
永井さんは売買春合法化によって、素人の売春が増える為、価格が落ちると言う論旨の事を言っていませんでしたか?私は個人レベルでの売春の話をしていたのですが・・・。
「戦前の日本では、妻が夫の買春を容認したために、公娼制度を作っても、あまり独身者を増やすことにはならなかったが、現在のように、妻が夫の不倫に寛容でなくなると、そういうわけにはいかない」。
ここは良く読んだ場所です。ですが、何故戦前の妻達が買春を容認したか?と言う部分が欠落していると考えます。その理由によっては現在にも適用できるのでは?と思います。つまり、妻達が不寛容になった理由を見つけ、それを否定する事で戦前と同じ状況を作り出せるのでは?
「責任持って育てる親がいない子供ができると、資源を浪費する分だけ人口の増加を抑制します。」
資源が足りず(栄養失調等)、死んでいく子供に売春によって余計な子供が増えない為、資源が回ると言う論理も成り立つのでは?出生率は下がりますが、生存率が上がると言う事です。
「なんでも禁欲すれば、尊敬されるというような「心情倫理」は支持できません。特に、法を定める時には、結果を考慮した「責任倫理」が必要です。」
私が言いたかったのは人々の根源にそのような思想があり、それによって悪であると定められていると言いたかったのです。法律と道徳は一致するとは限りません。法律はあくまで手続きの話ですから。
保険は、企業だけでなく、個人も入ることができます。
戦前、妻が夫の買春に寛容だったのは、当時はまだ恋愛結婚が普及していなかったからです。親に言われて嫁に行くというケースがほとんどでした。現在の妻が夫の婚外交渉に寛容でないのは、恋愛結婚が普及したからです。少なくとも建前上は、結婚は愛の結合となり、愛は排他的だから、婚外交渉は認められないのです。
「売春によって余計な子供が増えないため、資源が回るという論理」は、多産多死の発展途上国では有効です。しかし、発展途上国ほど、性病予防や避妊が不徹底なので、売買春の合法化は、性病の蔓延や意図せざる出産の増加、すなわち資源の浪費をもたらしてしまいます。
道徳のレベルでも、禁欲としての自己抑制は必ずしも美徳ではありません。親が、子供への愛を表現したいという自然な欲望を抑制し、その結果、子供が親から愛されていないと感じて非行に走る時、人々は親の禁欲を非難します。欲望を満たすことは、道徳上でも必ずしも悪いことではありません。
「保険は、企業だけでなく、個人も入ることができます。」
個人ももちろん入れますがそれでどのようにリスクを補填するのかが疑問です。企業の場合、娼婦がどのような事になろうと「損失」で済みますし、保険金による補填も可能です。ですが、個人の場合被害を受けるのは当事者である娼婦になります。例えば、切り裂きジャックのような娼婦を狙った連続殺人犯に襲われたり、誘拐(アジアや発展途上国では珍しくありません)、不合意の行為の強要等の被害にあった場合、保険がどのような形でリスクを減らすのでしょうか?企業であるならば、例えば監視人(怖いお兄さん)を置く事が出来ますが個人ではコストの面で行っても無理です。自然、安全に(かつ利益を出すには)売春をする為には企業に所属する他無く、個人レベルでの娼婦の増加は無いと思われます。以前、場所の問題を出した時、永井さんは「男の家で」とおっしゃいましたが、見知らぬ男の家に行く事がどれだけのリスクを伴うか?を見落としていらっしゃいます。実際、店舗型の風俗よりも出前型の風俗の方が料金が1.5~2倍近く割り増しになっています。部屋代等のコストを削減しているにもかかわらず料金が増していると言うのはつまり、男性の家に出向く事が娼婦にとってどれだけリスクが高いかを示しています。
「親に言われて嫁に行くというケースがほとんどでした」
これは武士や貴族等の上流階級のみで、庶民の方ではむしろ「夜這い」などをして相手を自由に見つける事が出来たと思われます。また時代によっては貴族でも相手の家に「逢瀬」しに行くというのが一般的であった時代もあります。現代よりも恋愛に関して奔放であったのです。親が結婚相手を決めると言うのは政治的に皇族に近づき権威を得ようとするか、戦国時代のように相手国との関係のために血縁を結ぼうとするなどです。どちらも一般市民にはあまり関係の無い話です。親が絶対的な権威を持つ家父長制度が固まったのは武家社会、しかも平和が続き武士の意義が問われた江戸時代中期あたりからで、それ以前は親の許可は必要でも相手を決めると言うことは(一般レベルでは)無かったはずです。
「少なくとも建前上は、結婚は愛の結合となり、愛は排他的だから、婚外交渉は認められないのです。」
恋愛結婚が愛の結合なら、親が決める結婚は家の結合です。仮に永井さんが仰る通りに妻が黙認しても親戚一同が文句を言うでしょう。個人レベルの恋愛ではなく、「家」と言う集団レベルでの契約ですから、それだけさまざまな圧力がかかるわけです。
「道徳のレベルでも、禁欲としての自己抑制は必ずしも美徳ではありません。親が、子供への愛を表現したいという自然な欲望を抑制し、その結果、子供が親から愛されていないと感じて非行に走る時、人々は親の禁欲を非難します。欲望を満たすことは、道徳上でも必ずしも悪いことではありません。」
親が子供を愛さないと言う道義的理由が見当たりません。親が子供のために尽くすと言うのは欲望ではなく、「献身」・「自己犠牲」です。一歩譲り、欲望であったとします、思う存分愛情を注ぎ子供を甘やかして育て、わがままな人間に育った場合もやはり非難されるはずです。「量」の問題ではなく「質」の問題です。
保険がリスクの分散になるのは個人でも法人でも同じことです。また通勤途中に襲われるなどのリスクがあるのは、派遣される女性マッサージ師でも同じことです。ゆえに、売買春が合法化されると、売春料金は、通常のマッサージ料金と同じ水準にまで落ちるという命題に変更はありません。
戦前の話がいつの間にか江戸時代以前にまで広がりましたね。江戸時代の農村で行われていた夜這いでは、重婚が当たり前だったから、浮気や不倫に寛容だったというよりも、そうした発想すらなかったといえるでしょう。明治維新以降、結婚制度が確立しても、男たちは、妾を囲うことを「男の甲斐性」と称して自慢していたというのですから、恋愛結婚が主流の今とは大違いです。
禁欲の道徳に、「道義的理由」を付加しましたね。これを付け加えたら、論点先取になります。ただ、「禁欲が必ずしも道徳的に善ではない」ということは理解してもらえたようですね。
リスクを分散させる事は出来ても、回避・抑制は出来ないと言う事です。誘拐・殺害されそうな場合、保険金でどのようにリスクを回避出来るのか?と聞いたつもりなのですが・・・。マッサージの場合、男性が来る場合があります(選べる場合もありますが)が、風俗の場合女性のみです。自然、女性を狙った犯罪の標的にされやすくなります。逆に見知らぬ女性を家に呼ぶ事で美人局の被害の増加も考えられます。これも個人売春の需要を下げ得る要素かと思われます。
また、マッサージの場合でも派遣と店舗ではやはり派遣の方が割高です。マッサージ・風俗の別なく価格は上がります。マッサージに同意の上では無い行為が起きた場合、それは全て強姦で犯罪になりますが、個人売春の場合、元々が性交と言う目的で行われる為、同意・不同意の線引きが曖昧になりやすくまた、線引きしたとしても女性側に抗う術が無いと言うリスクが生じます。結論「価格が高く、犯罪の温床となり易い個人売春には、男性・女性ともに近づき難く、今までどおりの企業型売春がメインとなる」
また、個人売春と企業売春の違いとしては、個人は特に時間・人数のノルマ等はありませんが企業型の場合は、勤務時間内は客がついたら、如何に疲れていようと相手をしなくてはならないと言う条件が付きます。永井さんは、一日十人でも捌けると仰っていましたが、可能であるのとそれが楽であるのとは話が違います。やはり重労働である事に変わりは有りません。
江戸時代まで話が飛んだのはそれまでは、日本において不倫・売春等に抵抗が無かったと言うのを説明する為だったのですが、江戸時代の農村は共同体内で男女を共有すると言う考え方があり、夫婦と言う制度自体がなかったと言うのは私の勉強不足でした。申し訳ありません。
ここで一つ疑問が出来たのですが、不倫=売春は成り立つでしょうか?不倫の場合、両者には恋愛関係が成り立ち、恋愛によって成立する結婚(恋愛結婚の場合)を脅かすと言うのは疑う余地が有りません。ですが売春の場合、両者に有るのは「金銭のやり取り」であって、恋愛関係は成立していません。であるならば、結婚に影響を与えるものではないと思われるのですが。(民法において、既婚者の他の異性との性交を禁ずるとの旨の条文がありますが、ここではない物としてください。「既婚者の売春が違法なのは、民法で条文があるからだ」つまり「違法なのは違法だからだ」と言う無限循環になりますので。)
わかりました。「道義的理由」抜きに説明しましょう。「道徳のレベルでも、禁欲としての自己抑制は必ずしも美徳ではありません。親が、子供への愛を表現したいという自然な欲望を抑制し、その結果、子供が親から愛されていないと感じて非行に走る時、人々は親の禁欲を非難します。欲望を満たすことは、道徳上でも必ずしも悪いことではありません。」人々が非難したのは、愛情を注がなかった禁欲についてではなく、子供を立派な成人にすると言う「親の義務」を怠ったからです。欲望の定義についてですが、私は「利己的な行為・考え」と考えます。この場合は、親は子供を育てると言う社会的義務よりも個人的な考えを優先した為、欲望を満たしたと考えられ非難されます。
「売買春が合法化されると、売春料金は、通常のマッサージ料金と同じ水準にまで落ちる」という私の主張にようやく合意してくれましたね。買春が不倫なのかどうか、つまり愛の排他性を原則とする恋愛結婚の理念を損なうことがないのかどうかは、自分の(将来の?)奥さんを実験材料にして試してみてください(なお、この実験から損害が発生しても、補償しませんので悪しからず)。行為は、利己的か利他的かの二つに単純に分割できません。買春は、貧しい少女を飢餓から救うのだから、利他的行為でもあるという理屈も成り立ちます。さらに、市場経済では、利己的行為が社会を繁栄させ、利他的行為は社会を破滅させるという逆説が成り立ちます。詳しくは、マンドヴィルの『蜜蜂物語』をお読みください。
最終的な結論として、永井さんはセックスの希少価値を問題にしていらっしゃいますね。これは人の実感と差があるのではないでしょうか。(ちょっと下品な表現を書かなくてはいけないかもしれません。すみません)私は一年以上ほぼ毎日彼女とセックスをしていますが、セックスに飽きがくることはありません。オナニーもよくします。多くの男性はもしセックスを好きなだけできる状況になったとしてもセックスに魅力を感じなくなることはないでしょう。
永井さんのお考えは、単純に「性欲は本能である」ことを無視、または軽視していると思います。男性が処女を欲するのは単なる希少価値からではなく、その女性が自分としかセックスをしたことがないという征服感に近い感覚からでしょう。セックスをしたことのない男性(いわゆる童貞)とセックスをするのが好きな女性がいますが、これもやはり相手を独占できるからですよね。
男性の多くは自発的にオナニーを始めますが、女性はかなり少ないです。女性のオナニー経験者の多くはセックスを経験したあとです。これらのことから、男性と女性でセックスに対する態度が本能的に違うことは明らかではないでしょうか。それらのことを無視して「売買春はセックスの希少価値を損なうから問題がある」というのは無理があると私は思います。
私は売買春が禁止されるのには主に二つの理由があるのではないかと考えます。それは、
1)本能的な理由 男性は女性を従属させようとする本能があると思います。女性が売春をすることは、一時的に女性を従属させられるように見えますが、結局その女性は他の男性にも売春を行うわけですからその意味での本当の満足は得られません。それが買春の背徳感を生むのではないでしょうか。
2)社会的な理由 男性の方が女性より性欲が強く、その解消に風俗へ行こうとするのは市場化した社会では自然です。ところが一般的にお金を払った側はサービスを受けるのですから本当は客と店は対等な立場のはずが、客の方が優位になります。それは風俗でも同じで、女性は女性であることを売ってお金にしているのですから、当然買い手の男性は女性を低く見ます。つまり、男性は女性より偉いと勘違いします。それは客が店より偉いと思い込むくらい自然な勘違いでしょう。
私は風俗業に従事する人(男性も女性も)は、人間性の中心に近いところにある性を売ってるわけですから、低く見られること、もっとはっきり言えば軽蔑されることが仕事なのだと思っています。ですが公的な機関は軽蔑される(されざるをえない)仕事を公に認めるわけにもいかないので、禁止するのだと思います。もちろん逆にそれが本能に根ざしている部分があることをわかっているからこそ、完全な禁止もできないのでしょう。
私は、セックスの価値は希少価値だけだとは言っていません。一般的に言って、有用性価値がなければ、どんなに希少でも価格はゼロになります。しかし、希少でなければ、どんなに有用でも価格は付きません。私たちは、本能的に空気を吸います。「もう空気は飽きた。もうこれ以上吸うのは止めだ」などという人はいません。にもかかわらず、簡単に入手できる空気には市場価格が付きません。空気をセックスで置き換えて考えてみてください。
OMさんは、売買春が禁止される理由を二つ挙げていますが、両者は矛盾しています。売買春で買い手と売り手のどちらが上だと言いたいのでしょうか。性病防止説については、法は欲望の対象しか禁止しないとコメントしておきましょう。満足が得られず、誰もしないことをどうして法がわざわざ禁止しなければならないのでしょうか。経済的暴力規制説は「人間性の中心に近いところにある」という表現が抽象的であいまいです。小説家は、「人間性の中心に近いところにある」感動を売っているから、軽蔑すべき、禁止すべき職業なのでしょうか。
お金と言うもののやり取りととうして、男性側・女性側のニーズが満たせるのであればまったく、否定もできないように思ったりもするんです。レイプは絶対ダメなことで、レイプとの違いは・・・男性・女性も同意した上でのやりとりであると考えるからです。人間・・・動物として、体の欲求があっても当然だろうと思うし・・・。もし、決まってる相手がいたとしても、何らかの事情で・・・この欲求が満たされずにいる人もいるのだろうし。体をモノとして考えるって事とは、ちょっと違っていて純粋に、誰かと触れ合いたいと思って、そうなる場合もあるように思うんです。あの、よく女性に使われるのですが、男性と何人も関係をもつと、その女性は尻軽女だとか、やらせる女とか女性ばかり非難される事って多いように思うのですが、体の関係をもつ基準値って、あるのでしょうか?
もしも「誰にも迷惑をかけずに、お互い自由意志で合意できるのなら、何をやっても良い」という理屈を認めるならば、麻薬だって合法化すればよいということになります。頭では悪いとわかっていても、体がいうことを聞かないような事柄については、法で禁止するべきでしょう。女性が性欲旺盛であることは、健康であることの証拠です。多くの男たちは、「女は男ほど性欲が強くない」というビクトリア朝時代の神話を信じています。性欲を持たない、セックスするのが難しい女ほど、男のやる気をかきたてます。逆に「尻軽女」ほど、そのセックスには希少価値がないので、男には嫌われます。でも、女性は、野郎どもの勝手な空想に自分を合わせる必要はないと思います。
「なぜ売春してはいけないのか」の答えの一つとして、「税金がきちんと取れにくいから」というのは無いのでしょうか?女子高生が町でオヤジを捕まえて稼いだお金はそのまま女子高生のものになり、所得税が払われることはありません。このような方法の売春はきちんと税金を払っている売春組織の企業(?)以外で多くあると思いますが、塵も積もれば山となり、平等な分配に支障をきたすと思いました。売春の問題において税金はあまり議論されないのでしょうか?きになりました。
個人間のスモールビジネスから税金が取り難いというのは、何も売買春に限ったことではありません。また税務署も、取り立てコストを下回る額の脱税を敢えて摘発しようとはしません。ですから、税金の問題で売買春を禁止することはできません。
なぜ人は性器を隠すのかという前の論文が今ひとつ分からなかったのですが、今回の論文と合わせて読むと良く分かりました。性器を隠すことと、売買春を禁じることは、生殖に関わる欲望を強化するという意味で、共通した技術であり、この技術は種の存続、増大という目的に適応していたという風に理解しました。ただ、それが今の我々にとって、適当かどうかは議論の余地があるというか、不確定なのでしょう。私にとってファンタスティックなのは、永井さんの人類の起源から説き起こす壮大な性の歴史が、性器の隠蔽とか売買春といった、どちらかというと個人的実践というか無意識の分野とみなされている領域と無媒介に連結しているということを実感させられるからです。論文の後には、永井さんの考え方がとても素直な自然なものに思えてくるから不思議です。歴史が自分の根底に巣食っているということを発見する驚きです。そこで、疑問なのですが、生殖を目的としない人口増に結びつかない欲望、言い換えると快楽を目的とする非本来的な性欲を強化するという技術、独身者を増大させる技術というものがあると思います。例えば、聖職者の苦行のようなものを考えているのですが、こういった倒錯した性欲の帰結はやはり、人口減を帰結するとお考えでしょうか?
「快楽を目的とする非本来的な性欲を強化する」「聖職者の苦行」とはどのようなものですか。聖職者は、売買春をエンジョイするために独身なのではないのですよ。質問はかなり混乱しているように見えます。キリスト教、特にプロテスタンティズムの性倫理は厳格で、そしてこの禁欲的な、ウェーバーが謂う所の「資本主義の精神」が、非嫡出子を減らし、子供の責任養育システムを作り上げ、近代ヨーロッパにおける人口爆発を可能にしました。聖職者が一生独身でも、聖職者が人口に占める割合は低いので、全体の人口動態には影響を与えません。だから、キリスト教的な性のモラルは、むしろ人口増加をもたらしたと考えるべきです。
言葉が足りなくて訳の分からない質問になってしまったみたいです。私も、聖職者は、売買春をエンジョイするために独身なのではないと思っています。受精、妊娠、出産へと向う方向を考えて、その方向に方向ずけられた欲望を本来的な性欲と考えます。それからの逸脱は全て非本来的ということになります。こうした逸脱は基本的には、快楽自体、あるいは快楽の増大とか持続を目的としているわけです。受精を拒否する避妊は、生殖から快楽の部分を分離する技術でしょう。射精を意図的に遅延させたり、抑制することも、快楽を持続させる手段と考えられます。快楽を増大させるためのこうした不自然な努力を快楽の強化と考えました。ある種の禁欲は、より強い快楽を得るための強化手段であるという考えです。こうした、努力を体系的に追及している存在として思い描いたのが、ある種の聖職者だったのです。神秘的体験とか神との合一といった体験を禁欲やら修行やら戒律により達成する人達のことです。彼らが、本来的性欲に関心を持たないことは明らかな気がします。これを、倒錯した性欲の完成体とみています。変ですかね?そこまで、行かないとういか行けない人は、自分の器にあった快楽をその都度、調達することになると思います。売買春もその一種です。売買春はもっぱら快楽を目的にしています。しかし、今回の論文では、売買春の禁止は快楽より本来的な性欲を保護していることになりますよね。こうした状況で、売春よりさらに強化された快楽技術が一般化した場合どうなるのだろうと思ったのです。脳の所定の部位を電気刺激するとかでもいいです。この場合、必ずしも性器と性器との結合を必要とはしないし、射精も必要ではなくなると思います。こういった場合でもやはり、売買春の合法化と同じ人口減が帰結するのだろうかと思ったのです。
SF的な想像をしなくても現実に起きていることを見れば十分です。1970年代後半から始まった情報技術革新により、バーチャルリアリティに現実以上のリアリティを感じる青少年が現れたことと、子供の数が減り始めたこととは、偶然の一致とは言えません。
今回の論文で永井さんは売買春の禁止をセックスの希少性を守るという観点から、人口増加を帰結されました。これには社会の存続にとっての妥当な選択だと思われます。その社会の構成員の適切な増加を当の社会が歓迎するのは存続にとっても、繁栄にとっても重要なことだろうからです。 類似の例で、贈収賄の禁止という現象があると思います。これにも、売買春の禁止と同じ議論が適用できるのでしょうか?学歴をお金で買うとか、職業をお金で買うとか、犯罪をお金で買うとかいったことにもやはり類似の議論を適用していいのですか?その時問題になっているのは、権威の希少性とかいったことなんでしょうか?そして、権威の希少性を守る事が、社会の存続、繁栄にとってやはり適切な適応と考えられるのでしょうか?それとも、単なる禁止は無意味である程度の妥当な貨幣との交換は容認されるべきなんでしょうか?
贈収賄という言葉は、公務員に対してしか使わないという特殊性に着目しなければなりません。贈収賄が罰せられるのは、本来私的所有物ではない公権力を私物化しているからです。
ウェブサイトの上記の件についてのディスカッション拝見しました。随分前に“結婚の起源”という文化人類学の本を読んだのですが、このトピックを見てこの本のことを思い出しました。私自身は売春がいけないとは思っていません。経済的には、要はサービスの需要と供給の問題であり(価格も、品質、需要、供給などによって決定される)、精神的にも売るほう、買うほうの納得の問題(強制売春、人身売買は別)だと思いますので。
しかし、売春が社会的に“嫌われている”事は事実ですね。先に上げた本の内容にそって考えてみますと、嫌われる理由は下記のようになると思います。
1、男性側から見て
(1) 自己の種の保存の側面から考えて、オスはいろいろなメスとやったほうが自分の遺伝子を残す確率が高い。だから、金を払う払わないは別にして出来るだけ多くのメスとしたいのだ。(女性にとっては自分の子供は相手が誰でも自分の子供なのはハッキリしている)
(2) 自分がやったメスが他のオスとやらなければ、その子供は自分の子供の確率が高い。したがってオスはいろいろなオスとするメスが嫌いなのだ。これは金を取るとらないは関係ない。売春はいろいろなオスとするメスの象徴的なものだから嫌われる。実際子供を作ろうと思って売春するわけではないでしょうが、売春婦に象徴される行為が好きでないのだ。(売春婦とするセックスは好き)
2、女性側から見て
(1) 人間の出産、育児の特性上(ここを本の中では詳しく説明している。直立歩行による骨盤変形→未熟児出産((人間猿未熟児成体説))→長い育児=不労働期間など)、食い物は誰かが持ってきてくれないと困る。定期的に食い物を持ってきてくれるオスを引き止めるのはセックスである(同:発情期の長期化→常時セックス可能な慢性発情期状態)。気持ちいいからではなくて、同じメスがいつも発情しているのでオスは自分の子供を残すチャンスだと思ってなかなか他に行かないだけ。つまり、もともとセックスと金(食物)は交換関係にある。(男性にとってはいずれにせよセックスには出費が伴う)
(2) 決まったカップル以外でのセックスは、メスにとって他に流れてしまう食物(金)にしか他ならない。したがって嫌い。オスが他でやってもただなら良いのか。答えはYESですが、ただでやらせるメスはもともといないのが前提。そのメスは飢え死にしますから。
どんなもんでしょうか。現代の状態の中ではいろいろな複合要素があると思いますが、猿が人間に移り変わっていく次期の研究を元にして、こういう視点で考えてみるのも面白いと思います。良い、悪いというのは主観の問題が強く難しいですね。
Masakiさんは、売買春の問題をフリーセックスの問題と混同しているようです。私が問題にしているのは、なぜ一夫一婦制が必要なのかではなくて、なぜ売買春は非難されるのかということです。
そうは思いませんが…
1、男性側から売買春を非難する理由はない。理由は
本質的に男性側にとってはセックスは金がかかるものである。
数多い女性とセックスするのは自己種の保存のためには理にかなった行動である。
ただし売春婦の子供は父親が(自分だと)特定できないから、その点においてイヤだ
2、女性から見ると売買春を非難する理由は、商売敵だから
というのが私の書いた要約ですが、どうでしょう。
「あらゆる婚外交渉は認める」という場合と、「売買春は禁止するが、金銭の授受がないならば、婚外交渉は認める」という場合を考えてみてください。後者においても、前者においてと同様に、やはり父親のアイデンティフィケーションの問題は、深刻です。だから、この問題は売買春の問題というよりもフリーセックスの問題なのです。なお、商売敵が増えて、セックスの希少価値が下がるから、女性は売買春を非難するというのは、私が主張していることです。
専業主婦が「セックスでメシを食う」という言葉に違和感を覚えました。この言葉をたどりますと、恋人を結婚に向かわせるのは、(夫が労働者、妻が専業主婦として、ひどく単純化しますが)夫→セックスがしたいから、妻→お金(メシ)が欲しいからになります。しかし、多くの婚姻者が結婚後、相手に期待するのは、夫→妻の家事労働、妻の人格(話をしたり、一緒にいたりすることで得られる効用)、セックス妻→夫の経済力、夫の人格、セックスではないでしょうか。専業主婦は、メシを食うために夫とセックスをするのでしょうか。それならば結婚を選ばず、アングラの売春をして飯を食う人が多くいてもおかしくないのではないでしょうか。
次に、愛情欠如説と人身売買防止説売春は、体を物のように売るので、非人間的な職業だ触穢防止説売春は、客の性器と接触する肉体労働なので、猥褻で穢れた職業だの3つに関するのですが、問題なのは肉体を使った労働であるとか、性器を触る労働であるとかでなく(もちろんそれらは売買春を悪だというには説得力に欠けます)、「自分の嫌なことをサービスとして売ってお金を稼いでいる」ということではないでしょうか。ここが私の売買春に対する意見の核になるので、慎重に進めていきます。
まず、(1)お金のために不特定多数の人間とセックスするのは苦痛ではない、つまりセックスをしてたくさんのお金をもらえて売春は自分にとって天職だ!という人の売春は悪ではないと思います。(それどころか自分の天職を見つけられることは素晴らしい!)
では、(2)売春をする以外に生きる道は無い、という人の場合。例えば難民や亡命者などの人。これらの人の売春を悪だと言う人はほとんどいないのではないでしょうか。目的が、自分が生き延びるためであれば、手段は、日常では悪だとされることが許されてしまうことが、多々あると思います。(例えば、最貧国の、2日前から何も食べてない、という人が、お金持ちの旅行者を強盗するなど)無論、この場合の売春は悪ではないと思います。
では、(3)毎日毎日上司に頭を下げ、嫌な思いをしながら仕事をしているサラリーマンはどうか。確かにこのサラリーマンは自分の嫌なことをしてお金を稼いでいます。しかし、上司に頭を下げることを労働サービスとして売っているわけではありません。サラリーマンの労働サービスは営業や企画、経理などです。それらの労働でお金を稼いでいるので、「勤務時間が嫌だ」というサラリーマンと、「売春という労働が嫌だ」という売春をする人は大きく異なります。もし、営業、企画、経理などの労働サービスをいやいややっているとしても、多くのサラリーマンの労働はは生き延びるためであると思いますので、(2)と同じく悪ではなくなります。
それでは、どのような売春が悪になるのか?私は「自分の嫌なことをサービスとして売ってお金を稼いでいる」というのは、すなわち「プライドを売る」ということだと思います。そこでもう1度(1)(2)(3)を考えてみると、(1)はもちろん大丈夫。(2)は「生き延びる」ことと「性を売らない」ことを天秤にかけて、「性を売らない」ことのほうが重い人にとっては悪ということになるでしょう。この場合、イメージすべきなのは、多額の借金を抱えて、売春するくらいなら自殺する、という場合ではなくて、先ほどの難民や亡命者のほうではないでしょうか。というのは「売春するくらいなら自殺」というのは、おおよそ現代人の、売春や不特定多数と関係を持つことははいけない行為だと刷り込まれている若い日本人女性のイメージではないでしょうか。善悪のような問題を突き詰めていくなら、周りに色んな嘘が取り巻く日本人よりも、生死の問題に直面している難民や亡命者に当てはめるほうがもっともであると思うのです。まとめると、「生き延びるために性を売ること」はいけないことなのか、という問題ですが、性を売らずに死を選ぶ人はいるかと思いますが、しかし他人が生き延びるために性を売っていても止められる人はいないのではないでしょうか。よって悪ではない、というのが私の結論です。(3)になりますが、さきほどの通り、売っているのは別の労働でプライドではありません。頭を下げることによってプライドを失うことはあるかもしれませんが、それを売っているわけではないです。
私の結論としては、「自分の嫌なことをサービスとして売ってお金を稼いでいる」という行為がいけないことなのか、という問題に対しては、そのお金の目的が何なのかということに依ると思います。「女子高生が1万円の香水を手っ取り早く手に入れたいために売春した」これには多くの批判の声が上がるのではないでしょうか。プライドを売るというより、プライド自体をあまり感じません。「決して好きではない老人の莫大な遺産を欲しいがために、結婚してセックスしている」これにも批判が上がりそうです。何かに使うお金というよりは、お金自体が欲しいという印象を受けます。1億円かかる息子の心臓病の手術代のためであれば、逆に感動物語になるかもしれません。「脱北者が自分と子供の食料を得るために売春した」これをいけないことだという人はおそらくほとんどいないでしょう。「女子大生が自分の夢を叶えるために売春で学費を稼いでいる」このあたりになると意見が分かれてくるのではないでしょうか。性やプライド、夢や生きることに対する考え方によって分かれてくると思います。
最後に永井さんの結論希少価値維持説売買春の合法化は、セックスの希少価値を損なうので問題があるについて。セックスの希少価値が下がるというのはそれほどまずいことなのでしょうか。たしかにセックスの値段は(性的マッサージの値段と共に)暴落するでしょう。しかし、それはむしろセックス産業が市場化され、より最適な資源配分がされるのではないでしょうか。つまり、今までアングラの売春が「独占」状態であったのが、自由競争が始まって適切な均衡価格になるのではないでしょうか。(オランダではスーパーモデルのような美人が約3000円で買春できると友達から聞きました)そして専業主婦はセックスで飯を食っているとも私は思えないので、劇的な少子化が起こるとは思えません。
結婚の本質は、子供を産むことです。専業主婦と結婚するということは、そのために法外な金を払うということです。だから、専業主婦は、セックスして、子供を産むことで「メシを食っている」わけです。家事だけなら、家政婦を雇えばよいし、育児ならベビーシッターを雇えばよいし、人格的交流なら、友達関係だけで十分です。専業主婦に限らず、一般に定職には雑用がつきものですが、本質的な仕事と付属的な仕事を区別するべきです。
売買春が悪かどうかという問題と金の使い方が良いかどうかは別の問題です。ヒコさんの議論は、すべての労働者が「自分の嫌なことをサービスとして売ってお金を稼いでいる」にもかかわらず、なぜ堅気の仕事で稼いだ金で香水を買っても非難されないのに、売春でなら非難されるのかという根本的な問いに対する答えになっていません。
これはあまりにも人間の感情を排除しすぎた意見ではないでしょうか。これが本当なら子供を持たないとお互いで決めた専業主婦との結婚はありえなくなってしまいます。生殖能力が無い人は結婚できなくなってしまいます。同棲カップルも非合理的になります。それどころか子供を生んだ直後に離婚する夫婦が大勢出てくるでしょう。
家事・育児は代用できるものでも、恋人との人格的交流やセックスは、友達との人格的交流やお金で買うセックスとは明らかに一線を画するものであるし、代用できるものではないでしょう。 いかが思われますか?
すべての労働者が「自分の嫌なことをサービスとして売ってお金を稼いでいる」というのは本当にそうでしょうか。わたしにはそうは思えません。労働は人を喜ばせたり役に立つことで、対価を得るものだと思います。そしてこの「人を喜ばせること、人の役に立つこと」は、充実感や満足感を伴うもので、場合によっては(金銭のやり取りとは別に)人から感謝され、自分の存在価値を高めるものだと思います。私には労働がただ辛くて苦しいことをする代わりに対価を得るものだとは思えないのです。 もちろん売春であっても同じです。この点では堅気の労働も売春も少しの違いもありません。(この点で差をつけることは差別だと思います。)
では、堅気の労働と売春の違いは何か?私は以下のように考えます。 まず、性は心と深く関わるものであると考えています。そして基本的に人間は不特定多数の人間と性交渉をすることが嫌いな動物であると思います。つまり売春はプライドを売る行為なのだと思うのです。売春が非難されるのはこのためではないでしょうか。
一方、堅気の労働の「嫌なこと」はこれとは異なります。それはプライドを傷つけるものではないし、それを売っているわけではありません。(既に書いた通りです)なぜ堅気の仕事で稼いだ金で香水を買っても非難されないのに、売春でなら非難されるのかこの問いの答えはここにあると私は考えています。 いかが思われますか?
最後にもう一つ、永井さんは買春は、婚前交渉よりも成立が簡単で、それだけセックスの希少価値をより大きく下げる買春の合法化は人口増加を抑制し、種の存続を危うくすると結論付けましたが、セックスの希少価値が下がっても、自分の子供を持つことの希少価値は下がらないのではないでしょうか?この点に関してはどう思われますか?
私が「結婚の本質」という言葉を使ったことに注意してください。子供を産むことを目的としない結婚は、法的に禁止されているわけではありませんが、結婚の本来の趣旨からすれば、あってもなくてもどうでもよいという意味で、非本質的な結婚なのです。
子供を産むことを目的としないのであれば、本文に書いたとおり、“専業主婦は終身雇用の専属社員で、売春婦はパートタイムの派遣社員という就業形態の違いはあっても、ともに「セックスでメシを食う」という点では変わりがないということになる”。なお、私が言った「友人」には、恋人も含まれています。
子供を産んだ後、夫が婚姻契約を破棄しても、膨大な慰謝料/養育費を払わなければなりませんから、専業主婦と結婚することは、セックスして子供を産むために法外な金を払うという命題に変更はありません。
ヒコさんの主張は、「売春は、プライドを売る行為だから非難される」というものですね。では、売春婦がなぜ自分の仕事にプライドが持てないかというと、売買春が、非合法で、世間から卑しい職業だと思われているからです。だから、ヒコさんの議論は「売買春は、世間から非難されているがゆえに、世間から非難されている」という循環論法に陥っているのです。
本文の以下の文章をもう一度読んでください。
「人間は不特定多数の人間と性交渉をすることが嫌いな動物である」は、一次的な理由になりません。嫌いなことは、法で禁止しなくても誰もしません。法で禁止しなくてはいけないということは、売買春をやりたがる人がたくさんいるという証拠です。
「セックスの希少価値が下がっても、自分の子供を持つことの希少価値は下がらない」というのは、そのとおりで、だからこそ、私は、結婚しなくなるのは、「子供も欲しいが、それ以上にいろいろな女と一生遊び続けたい」という選好を持つ男たちだと書いたのであって、「いろいろな女と一生遊び続けたいがそれ以上に子供も欲しい」という選好の持ち主を除外している点に注目してください。
数の人間と性交渉をすることが嫌いな動物である」は、十分に通用すると思います。
少し整理しながら進めていきます。「不特定多数の人間と性交渉をすることが嫌いでない人」は、除外して進めます。「(労働)サービス」するという行為は、決して辛く苦しいだけの行為ではない、と前述しましたが、この点はよろしいでしょうか?サービスという行為が、決して辛く苦しいだけの行為ではありませんが、「性的快楽を与える」というサービスだけは、他のサービスとは異なります。
有償でも無償でも構いませんが、自宅で焼いたパンをご馳走する、引越を手伝う、法律の相談に乗る、車で運送してあげる、などのサービスを友人(恋人を含まず)間で行うことはあっても、「性的快楽を与える」というサービスを(自分も性行為をしたいからではなく、サービスとして)行うことはまずないでしょう。
それは「性が心と深く関わる」からであり、そして「人間は不特定多数の人間と性交渉をすることが嫌いな動物である」からです。痴漢や強姦が「(性)暴力」となるのもこのためです。
専業主婦がセックスという労働サービスしても、売春のように非難されないのは「望む相手」だからです。「売春が猥褻で穢れた行為」と非難されるのは、お金のために「望まない相手」とセックスをするから、とも言い換えられます。ということは、莫大な遺産が欲しいために「望まない相手」と結婚してセックスをするのは、やはり卑しいことであると言えます。
お金のために「望まない相手」とセックスをすることは、猥褻で穢れた行為だ、という「性道徳」があるから、非難され、法規制されるのだと思います。
ですが、わたしが主張したかったことの一つは、「目的」によっては売春という性道徳に反する行為をしても構わない、ということで、最初の投稿で長々と書いたのはそのためです。売春を全て一括りにして、卑しくて穢れていて悪い行為であるとは言えません。その人の「目的」が、生命や、生命の質(クオリティ オブ ライフ)に関わる問題でもあるからです。生命に関わるとは、売春をしてパンを買わなければ、3日後にも飢え死にする、というような場合のことです。生命の質に関わるとは、田舎で事務の仕事をして中流の安定した生活をしていくこともできたけど、東京で風俗嬢になって、高級マンションに住み、高いワインを飲んで、田舎ではありえなかった自由と刺激のある生活を選んだ、というような場合のことです。このような現実は少なからず存在し、それらは誰にも批判できるものではありません。
それゆえ、公娼制度に賛成します。法律に関して無知なのですが、性的サービスの価格を維持するために、何らかの措置することは可能なのではないでしょうか。
「人間は不特定多数の人間と性交渉をすることが嫌いな動物である」という命題は、二通りに解釈できます。
1. 性病防止説:人間は不特定多数の人間と性交渉をする欲望を持つが、この欲望に屈することを軽蔑する。
2. 経済的暴力規制説:人間は不特定多数の人間と性交渉をすることを欲望しない。
性病防止説の場合、なぜこの欲望に屈することが軽蔑の対象になるのかを問うと、振り出しに戻ります。だから、これを理由とすることは、循環論法になるわけです。経済的暴力規制説は、法や道徳で禁止しても、不倫や売買春などのフリーセックスが後を絶たないという事実に反しています。また、欲望の対象でないことをしなくても、プライドにはなりません。
労働が必ずしも辛く苦しいだけの行為ではないというのは、そのとおりですが、同じことは売春についても当てはまります。売春が合法化されている地域では、自分が多くのお客さんを満足させることができるほどに魅力的な女性であることにプライドを持っている売春婦はたくさんいることでしょう。
欧米では、障害者など、セックスパートナーが見つからない人のためにセックスをしてあげる、セックスボランティアをやっている人たちがいます。こうした人たちは、自分たちのボランティア活動にプライドを持っています。
「人間は不特定多数の人間と性交渉をすることが嫌いな動物である」という命題の解釈は、1ではなく2です。ただ“人間は不特定多数の人間と性交渉をすることを「欲望しない」”だけでなく、「嫌悪する」、ほとんど生理的、本能的に「嫌悪する」動物だと思います。性暴力をイメージしていただけたらと思います。
不倫は不特定の人間に対しての性交渉ではありません。また不倫をしている人であっても、痴漢やセクハラ、強姦などは暴力になります。フリーセックスは最初に除外した「不特定多数の人間と性交渉をすることが嫌いでない人」がすることでしょう。
売春が後を絶たないのは、嫌いである「不特定多数の人間と性交渉」をしてまでも、お金が欲しい、または必要とする人、また「不特定多数の人間と性交渉をすることが嫌いでない人」が存在するからでしょう。「お金のために嫌いな性交渉をする」、このことが目的によっては卑しいことであり、非難されることである、というのが私の主張です。
「自分が多くのお客さんを満足させることができるほどに魅力的な女性であることにプライドを持っている売春婦」というのは、わたしが思うに「不特定多数の人間と性交渉をすることが嫌いでない人」ではないでしょうか。堅気の労働と同じように、不特定多数の人との性交渉ができる人だと思います。もちろん非難されるべき人ではありません。
「障害者など、セックスパートナーが見つからない人のためにセックスをしてあげる、セックスボランティアをやっている人」は、「お金のため」ではありません。また、その多くは「不特定多数の人間と性交渉をすることが嫌いでない人」であると私は想像します。無論、賛称されるべきことだと思います。
「お金のために嫌いな性交渉をする人」というのは、「お金抜きではけっしてしない性交渉をする人」とも言い換えられます。
今まで出てきた言葉を分類してみます。
特定の人との性交渉-恋人間、夫婦間、不倫など
不特定の人との、望む性交渉-フリーセックス、セックスボランティアなど
不特定の人との、望まない性交渉-性暴力
不特定の人との、お金を対価にもらう、望む性交渉-プライドを持つ娼婦、売春が天職の人など
不特定の人との、お金を対価にもらう、(お金なしでは)望まない性交渉-目的によっては非難される売春、遺産を狙った愛の無い結婚など
ヒコさんの説明は、なぜ売買春が法律で禁止されるのかの説明になっていません。もしも売春が、「お金のためにプライドもなく嫌なことをしている」がゆえに禁止されているのだとしたら、非常に多くの合法的職業を禁止しなければいけなくなります。
そもそも、売春婦を逮捕(あるいは保護)した警察官が、売春婦に「君はこの職業にプライドを持っているのかね」などと聞いたりしますか。逮捕された斡旋業者が裁判所で「うちの女の子は、みなプライドを持って売春をしていました」といえば、罪が軽くなりますか。私は噴飯物だと思うのですけれども。
永井さんの主張が、「なぜ売春が法規制されるのか」なのに対して、私の主張が「なぜ売春は卑しくて穢れたことだと非難されるのか」と、お互いの主張が異なってしまっているように思います。無論、「非難される理由」と「法規制される理由」が必ず同一であるわけではありません。
永井さんは、私の主張する「売春は目的によっては、卑しくて穢れたことである」ことには否定していませんが(肯定もしていませんが)、このことについてはどのように思われているのでしょうか?
例えばあなたに高校生の娘さん(姪や、その他親身に相談に乗る大切な人でも構いませんが)がいるとして、その娘さんが「¥10,000のコンサートチケットを買うために、前もってバイトでお金を貯めておくという方法もあったが、それは面倒だしもう時間も無いので、どうしても行きたいコンサートだし、嫌だったが仕方が無く、脂ぎって汚くて臭いハゲオヤジとラブホテルでセックスして¥10,000もらった」ということをしたらどのように対応するのでしょうか。
「売春はセックスの社会的希少価値を損なうから、やってはいけない事だ」と叱るのでしょうか。 それとも「売春は、法律で禁止されていることなのでやめなさい」と叱るのでしょうか。 それとも「売春は、セックスの社会的希少価値を損なうが、その効果は微々たるものであるし、世間で言われているように卑しくて穢れたことでは実は無いのだが、警察に捕まると面倒なので、捕まらないよう気をつけてやりなさい」と容認するのでしょうか。
わたしだったら以下のように対応します。「そんな奴とセックスをするのが嫌ではなかったのか?情けなくなかったのか?それをしなくて済む方法があるのに何故そうしないんだ?ろくにものも考えず短絡的に売春をするなんて、なんて愚かな奴だ!」と心の中で思い、
実際には“「自分が好きなことをし、嫌だと思うことは決してしようとせず、そのために前もってできる努力を最大限する」という生き方に比べて、「短絡的に醜いオヤジとのセックスして、もちろん嫌だったし、そんな嫌なことをしている自分が嫌いになるし、そんな「自分が嫌いな自分」が嫌いになってしまう」という自分の生き方は、情けなくなるし、嫌なことだらけだし、プライドなんてもちろん持てなくなるし、それを回避できたのにしなかった自分はなんて愚かなんだ”ということを戦略的に理解させると思います。
少々話がずれましたが、「非難される売春」の典型的なケースをイメージしていただきたかったのと、わたしの主張を論じていく上で必要であるのでご了承下さい。
売春が法律で禁止される理由は、「売春防止法 第一条 総則 この法律は、売春が人としての尊厳を害し、性道徳に反し、社会の善良の風俗をみだすものであることにかんがみ」です。
売春が「人としての尊厳を害」すのは、“「自分が嫌いな自分」が嫌いになってしまう”ような状態を招くからだと私は解釈します。 売春が「性道徳に反」する理由は、以前述べました。 売春が「社会の善良の風俗をみだすものである」のは、売春が合法であり、当たり前になると、さらなる短絡的な売春を招くからだと思います。
とはいえ、私がこの法律を解釈しても仕方ありませんし、法律は必ず悪を完璧に適切に裁く万能のものでもありませんし、そもそもこの文句は半分「建前」だと私は考えます。
確かに私は「お金のために「望まない相手」とセックスをすることは、猥褻で穢れた行為だ、という「性道徳」があるから、非難され、法規制されるのだと思います」と述べました。
この私の考えをもう少し詳しく述べると、「売春は非難され、非難されるが故、法規制される」です。これが残り半分の「本音」だと私は思います。 つまりは麻薬と同じです。麻薬が本質的に何故いけないのかは、ほとんど論じられません。 麻薬がなぜいけないのかは、しばしば「依存性があり」、「毒性があり」、「またその売上金は暴力団の資金源になる」と論じられます。「じゃあ依存性も毒性もほとんどないマリファナを、自宅で栽培して自己責任で吸うならいいのか?」という問いには、この論理では対抗できません。また、このような問いを発するように、「麻薬は本当にやってはいけないのか?」という疑問を持つことさえ、タブーであるかように学校では教えられます。腫れ物扱いです。つまり、「忌み嫌われるから、法で禁止される」のです。
永井さんは、売春が法律で禁止される理由に「セックスの希少価値を損なうから問題がある」と述べましたが、私はこれには以下のような疑問があります。(最初の投稿でも述べましたが)セックス産業が市場化され、より最適な資源配分がされるのではないか?(3回目の投稿でも述べましたが)性的サービスの価格を維持するための何らかの措置は可能なのではないか? セックス税を導入して、たばこのように3万円の料金うち2万円を税金で徴収して、国債返済にも貢献し、売買春万々歳!のように、公娼制度は日本社会にとってポジティブな響を多々及ぼすのではないか?
長々と述べた後で大変申し訳ないのですが、冒頭でも述べた通り、わたしの主たる主張は「なぜ売春は非難されるのか」であり、現代の日本社会において売春が合法化されることによって及ぼす影響(コインの裏表で、法規制されることによって及ぼす影響も)には、興味を持つところではありません。法が必ずしも「悪いこと」を取り締まるものだとは思えないからです。社会にとって有益か、有害か、よりも、そのことは普遍的に善い事か、悪い事か、のほうに興味があります。
以前にも述べたとおり、そもそも私は公娼制度に賛成です。先ほどの売春防止法には以下のような条項もあります。第四条 この法律の適用にあたつては、国民の権利を不当に侵害しないように留意しなければならない。 この「国民の権利に」、「憲法第十三条 自由、幸福を追求に対する権利」や、「憲法第二十二条 職業選択の自由」を当てはめても良いのではないかと個人的には思います。
私が「なぜ売買春が悪なのか」についての一次的理由を求めているのであって、二次的理由を求めているのではないということが、相変わらず、わかってもらえていないようです。
二次的理由を一次的理由にしようとすると、循環論法になります。ここで、ヒコさんの説明をまとめてみましょう。
1.道徳の説明
「 」が悪なのは、「 」に嫌悪を感じるからであり、
「 」に嫌悪を感じるのは、「 」が悪だからだ。
2.法律の説明
「 」が法律で禁止されているのは、「 」が嫌われているからであり、
「 」が嫌われているのは、「 」が法律で禁止されているからだ。
ヒコさんは、「 」に「売春」とか「嫌なことをすること」とか「嫌なことをする自分」とか、いろんな言葉を入れて議論を展開していますが、何を入れようが、これは循環論法であり、説明になっていません。1と2を合成して、
「 」が法律で禁止されているのは、「 」が嫌われているからであり、
「 」が嫌われているのは、「 」が悪だからであり、
「 」が悪なのは、「 」が嫌われているからだ
としても同じことです。
「 」が悪なのは、「 」に嫌悪を感じるからであり、
「 」に嫌悪を感じるのは、「 」にプライドをもてないからであり、
「 」にプライドをもてないのは、「 」が悪だからだ、
でも同じことです。無意味な循環論法を延々と繰り返すことで、何か意味がある議論をしているかのように見せかける「戦略」は、ヒコさんが言うように、子供だましにはなるかもしれませんが、学問的な説得力はありません。
私は、もうこれ以上、「なぜ売買春が悪なのか」についての議論をヒコさんと続けることはやめたいと思います。これ以上続けても、たぶん返ってくる答えは、これまで通り、無意味な循環論法の無限反復でしょうから。
次に、私の説に対する三つの疑問ですが、最初の反論は、私が主張していることとなんら対立しません。市場が透明で合理的になるからこそ、希少価値が下がるのです。そして、売買春の禁止で問題になっているのは、そうした経済的な効率性ではありません。
二番目と三番目は、セットになっているようなので、まとめて答えましょう。高率の税金は、罰金刑と同様に、社会的に望ましくない行為を抑制するための一種のペナルティです。タバコに高率の税金がかけられるのは、たとえ間接喫煙の回避が実現したとしても、タバコを吸うことが、マリファナを吸うことと同様に、吸う人の健康に害を与え、社会的なリスクを高めるからです。
もちろん、罰金を払う場合、税金を払う場合と比べて、経済的損失が同じであったとしても、精神的苦痛は異なります。罰金刑よりも、懲役刑の方が、経歴に汚点を残すので、お金では数えられない損失を受刑者に与えます。このように、国家権力が与えるペナルティには、高率の税金から死刑に至るまで段階があります。売買春を合法化して、高率の税金をかけることは、ペナルティの段階を一つ下げることを意味しており、一種の規制緩和です。それが希少価値をどれだけ下げるかは、規制緩和の程度によります。
「売買春を合法化して、高率の税金をかけることは、ペナルティの段階を一つ下げることを意味しており、一種の規制緩和です」なるほど。分かりやすい回答をありがとうございます。
分かりました。この議論に関する限り、永井さんへの投稿はこれで最後にします。ですが、永井さんは私の主張に対して、間違った解釈をされているので、最後に述べさせていただきます。
ですが、私が3回目、4回目の投稿で、売春が悪である一時的理由として主張したのは“「売春」が悪なのは、「不特定多数の人間との性交渉に」に多くの人間は嫌悪を感じるからであり、嫌悪を感じるのは、「ほとんど生理的、本能的」なことであり、「性が心と深く関わる」からだ”でした。決して「嫌悪を感じるのは……が悪だからだ、……にプライドを持てないからだ」とは述べていませし、そのような循環論法ではありません。“嫌悪を感じるのは、「ほとんど生理的、本能的」なことであり、「性が心と深く関わる」からだ”という主張に、学問的な説得力がないのは承知の上です。
ですが、「なぜ性的交渉には望む相手と望まない相手がいるのか?」「望まない相手による一方的な性干渉である性暴力が、精神的ダメージを受けるのはなぜか?」という問いに、わたしは“それは「ほとんど生理的、本能的」なことであり、「性が心と深く関わる」からだ”と答える以外の術を知りません。
「2.法律の説明」ですが、いえ説明といえるほどのものではなく、こちらはほとんど私が勝手気ままに思ったことなのですが、循環論法であるのはもちろん承知の上です。
売春が法律で禁止される理由は、売春防止法に明記されているような理由は本音の半分であり、「売春は悪だと非難される悪いものだ」のような循環論法の二次的な圧力が、日本社会で売春を忌み嫌われるものにし、法律で禁止させ、公娼制度の導入をタブー扱いするもう半分の理由ではないか、ということです。
しつこいと思われるかもしれませんが、私の主張をもう一度述べます。売春が悪であるのは、不特定多数の人間との性交渉に多くの人間は嫌悪を感じ、不特定多数の人間との性交渉によって性的快楽を与える性的サービスは、お金のために嫌なことをするという、プライドを売る行為であるからである。ただし、不特定多数の人間との性交渉に嫌悪を感じない人の場合、売春の目的が生命の存続、生命の質に関わる場合はこの限りではない。また、多くの人間が不特定多数の人間との性交渉に嫌悪を感じるのはほとんど生理的、本能的なことであり、また性が心と深く関わるからであり、それ故、性的サービスは、他の労働サービスとは異なるものである。
性病防止説~触穢防止説までは道徳に関する議論でしたが、永井さんの主張の希少価値維持説は法律に関するものでした。永井さんは売春が道徳的になぜしてはいけないのか、あるいはしてもよいのかに関しては一度も触れていません。わたしが「なぜ売春は法律で禁止されるのか」に対して、まともに答えていないのに、アンフェアだとは思いますが、永井さんは「なぜ売春はしてはいけないのか」(論文の題目はこれでした)と思いますか?あるいは「売春は社会的に有害で法律で禁止されているが、してはいけないことではない」と思うのでしょうか?
永井さんに高校生の娘さんがいるとして、前回の投稿で書いたような売春をしたならばどのように対応するのでしょうか?オランダでだったら許可しますか?
「無意味な循環論法を延々と繰り返すことで、何か意味がある議論をしているかのように見せかける「戦略」は、ヒコさんが言うように、子供だましにはなるかもしれませんが、学問的な説得力はありません。」ですが、わたしが確かに「戦略」という言葉を使いましたが、これは子供に循環論法で「麻薬は悪だ」ということを刷り込む戦略とは違います。
わたしは例に出したような短絡的な売春は愚かだと思うのですが、それを辞めさせるために、ただヒステリックに頭ごなしに叱るだけでは無意味であり、それより、冷静に、例えば比較させるモデルを用いるような様々なテクニックを使って、何故愚かなのかを教える、というような「戦略」です。
私は、一貫して法と道徳の両方に当てはまる議論をしています。売買春に関しては、道徳が先で、法は後から作られたわけですから、私の議論も道徳論が中心になっています。
道徳について何も論じていないのは、ヒコさんの方でしょう。道徳的命令というのは、「嫌いでも…をやれ」あるいは「好きでも…をするな」という形をとるのであって、「好きなことをしろ」という命題は、道徳論ではなくて、人生論に属します。
ヒコさんがこれまでと同じ議論を繰り返すので、私もこれまでと同じ議論を繰り返しましょう。
1.「不特定多数の人間との性交渉に多くの人間は嫌悪を感じる」というのは、生物学的事実に反しています。
2. 仮に「不特定多数の人間との性交渉に多くの人間は嫌悪を感じる」としても、「嫌悪を感じるから悪だ」という論理は成り立たちません。例えば、皮膚病患者の、吐き気を催すような皮膚を見て、「ほとんど生理的、本能的」に嫌悪を感じているにもかかわらず、その患者の世話をする看護婦は、非難されることはありません。
3. その看護婦が、実は金目的で仕事をしているだけ、つまり「お金のために嫌なことをしている」としても、そのような行為を誰も「プライドを売る行為」として非難しません。私なら、むしろ我慢強い娘として賞賛したいところです。
4. ゆえに、「生理的、本能的に嫌なことをする」あるいは「お金のために嫌なことをする」は、売買春が悪であることとは無関係です。「プライドを売る行為は悪だ」という命題なら常に真ですが、それはこの命題が、分析命題だからです。主語と述語に価値語が含まれているのですから、「悪い行為は悪い」という命題と同じく、何の証明にもなっていません。だから、ヒコさんの議論は、循環論法でしかないのです。
子供に、売買春を思いとどませるためには、二次的な理由だけで十分です。ですが、道徳の根拠を学問的に問うときには、一時的な理由を求めなければなりません。
なぜ売春をしてはいけないのかは正直言って分かりません。きっと社会がそういっているからそうなのでしょう。日本は売春には厳しいようですが、自由の国アメリカでも売春に関してはやたらと厳しいので驚いています。渡米するまで分からなかったのですが、アメリカはキリスト教が思ったよりとても強く、保守的です。少年とセックスした美人教師が容赦なく懲役刑を受けたのですから。私は「あの少年、なんてラッキーなやつだ」と受け止めていたのですが、マスメディアの風当たりはひどいものでした。売春などもってのほかのようです。どんなにリベラルな人でも売春に関してだけは厳しい態度をとるようです。またそういう言説がまかり通っているのでしょう。例外なのはネヴァダ州くらいです。
私自身は売春はかまわないと思っていますが、それを口にしたときはひどい非難にあいました。アメリカの大学の友人と話していたときで、とくに味方だと思っていた男たちからも「女性の人権を踏みにじるとは蛆虫以下だ」といわれ、それ以来、公に売春を肯定するようなことはいえなくなりました。「ガールフレンドを見つければいいだろう」とか、「恋人を見つければすむことだ」ともいわれました。あれ以来、とくに女の子たちが二度と私と話してくれなかったのでとてもつらい思いをしました。どうやらタブーを犯してしまったようです。
希少価値は面白い視点ですね。ピンプは逆に合法化されたら困るわけですか。売春が反道徳的であったほうが儲かるわけですね。日本の親父が処女とやりたいのは驚きました。ここではセックスはうまくないと商売にならないように思えますが。
キリスト自身はたしか売春婦を非難せず、祝福したので、当時のユダヤ世間から白い眼で見られたと思いますが。それに浮気をした女性が処刑される前に救い出したこともありましたし。たしか旧約聖書に売春がいけないと書かれており、理由は梅毒にかかるからみたいです。私がこう言っているのは、アメリカ人のクリスチャンと口論したときに、「キリストは売春に対して何も言ってはいないではないか」と言ったときに、「旧約聖書に売春はいけないと書いてある」と反論されたことがあったからです。
売春禁止道徳をここまでアカデミックに分析するのもすごいですね。こういうことを書いてネット上に公開するのも勇気がいると思います。
さらっと読んだ感じでは、永井さんが自ら答えを出されているような気がします。
>1.「不特定多数の人間との性交渉に多くの人間は嫌悪を感じる」というのは、
>生物学的事実に反しています。
>道徳的命令というのは、「嫌いでも…をやれ」あるいは「好きでも…をするな」
>という形をとるのであって、「好きなことをしろ」という命題は、
>道徳論ではなくて、人生論に属します。
つまり、
・人間の性欲というものは根本的な欲求で、なかなか抑えがたいものである。
・それを金銭の授受というビジネスに隠して発散しようというのは
道徳的命令の「好きでもSEXをするな」に反する。
ということではないのでしょうか。
物欲と金銭欲は同じ第二次欲求に属するため、交換することはやぶさかではないが、性欲のような第一次欲求を金銭欲と同等に扱うところに倫理観の違いが出るのだと思います。
簡単に言うと「金には代えられないもの」とか「お金では買えないもの」といった類の観念が売春を「忌み嫌うもの」とさせているのではないのでしょうか。
なぜセックスを「金には代えられないもの」「お金では買えないもの」にして、希少価値を持たせなければならないのかが問題です。
自分の身体を、性器を知らない男性におもちゃにされて精神的になんとも無い人というのは少ないと思います。男性は理論的で素晴らしいと思いますが理論的過ぎて、自分の身体を性的なおもちゃにされることがどんなに辛いか、ましてや親子ほど年齢の
離れた父親のような人に性的対象として見られることの悲しさ は男性には理解できないのかもしれませんね。
例えお金のために自発的にそういった職業に就いている人も、お金の為ならなんとも思わないという人がそんなに多く居るんでしょうか。また、自分の家族が性的に弄ばれる
職業に就いていることをなんとも思わず、悲しまずむしろ賞賛することが出来ますか?
理論的な男性は女性の感情論を嫌うのはよく理解できますが、感情とは人間として
切っても切れない存在です。感情の面から売春をしたくない、させたくない
そう思うことは悪いことでしょうか?
あなたのその主張に対して、「SASAさんの言っていることには感情的な嫌悪を感じる。なぜかと聞かれても、うまく説明できないが、とにかくむかつく…」と言う人が現れたなら、あなたはさらに何と言いますか。感情を持ち出すと、最終的には、「お互いの感情を尊重しましょう」で終わってしまいます。だから、「本人や家族が同意している場合であっても、なぜ売買春は悪とみなされるのか」を理論的に考察する必要があるのです。
女性の方の感情についても、ある程度は理解できます。しかし愛の表現である感情についても、大きい小さい深い浅いがあるはずです。個人や家族に限定した感情から、その地域そして社会までを範囲に入れたものまであります。
感情の快不快は、自分の置かれた環境や最初の経験に、大きく作用されると思います。その経験が自分にとって良い場合は求め、悪い場合は離れようとします。性に対しても同じだと思います。従って売春をしたくないさせたくない人もいれば、何かの理由でしたい人もいます。
厳格な家や社会で育つと、性に対する罪悪感が育ち容易に抜けなくなります。家庭の中で両親に良く思われたい、社会から良くみられたいとする気持ちが強ければ、階層的選民意識が強く働き、そうした職業に対して、同性としての自己同一性を嫌うのではないでしょうか。
この世は相対的にできており、能動的な男性を女性だけの価値判断で悪と決め付けるのも、女性のデリケートで受動的な感情の働きを、価値のないものと決め付けるのも良くないと思います。
聖書の中にはイエス様が売春婦の家へ行かれ、くつろがれる場面があります。決して売春が悪いと諌めてはおりません。まして「売春が人としての尊厳を害し、性道徳に反し、社会の善良の風俗をみだす」とも言っていないのです。教条主義に陥り、自己の理論をかばうために、旧約聖書の都合の良い所ばかりを取り出しても人は納得しません。大天使といわれる方は、その時代に生きた人の機根に合わせて、法を説いているはずです。
私をしてなぜ強力な「売春行為の条件付き合法化」論者になったかといえば、嫁をもらえない農家の青年が長年苦しむ様を見てきたことです、一年間まじめに働いてきて、年数回女性と和合する行為がなぜ法律違反になるのか、法律の方が間違っているのではないかと強く思ったからです。また女性がラブホテルでシャワーを浴びている最中に置き引きにあっても、売春は本来違法行為のため警察に届けられないケースもありました。
一方において今風の若者は、3P4Pなど当たり前といって性に対する秩序が崩壊し続ければ、離婚率は上昇し家庭の崩壊から社会の崩壊につながって行きます。なぜこうなったかといいますと、法により供給が長年止められているために、情報化社会とともに、一般女性に対象が広がってしまったためだといえます。
なぜ売買春は悪とみなされるのかについては、低次元では妻の独占欲や病気への恐怖心などで、高次元では精神性や一夫一婦制の破壊、しいては社会の崩壊につながると思い込んでいるからではないでしょうか。
一夫一婦制は人間の真実であり理想ですが、それに当てはまらない人もいます。独身者などに性サービスの場を設ける事がなぜいけないのでしょうか。それは一面において感情である社会愛の実践になるのではないでしょうか。
今必要な事は役に立たない何十年も前の法律を、お守り札のように奉るのではなく、現実を見据えて売春を条件付で合法化し、社会が秩序をコントロールする事ではないでしょうか。そうした運用の仕方が離婚率を減少させて社会を安定させ、やがて女性の不安を取り除く事になるのではないでしょうか。
※管理者様 余談ですが投稿に番号を入れてもらえないでしょうか。頭が悪いので前から読んでいると、どこまで読んだかわからなくなるのです。
なぜ売買春は悪とみなされるか、もう少し掘り下げてシロウト考えを述べさせて頂きます。終戦以前は男社会でした。その中で売春は社会の中に溶け込んでおり、一般には善悪の基準さえありませんでした。しかし終戦と同時に価値観が一変します。そして昭和25年頃から女性社会への意識の転換が始まります。
アメリカの禁酒法と日本の売春防止法は非常に良く似ていますが、アメリカの禁欲主義的な流れと、日本の社会主義による男女平等思想とは、表面的な潔癖性が融合し、売春は悪であるという戦後の価値観が確立しました。
私たちが売春というと、すぐに赤い口紅をつけタバコをふかし、GIの腕にぶら下がる姿や、検挙される売春婦の姿を繰り返し見せられる事で、視覚による悪の連鎖イメージの固定化がされたと思います。
売春防止法は一次的には娘の身売りなど、貧困からの救出という大義名分を持っていたのですが、別な角度から見れば、売春婦という職業があること自体、女性の地位向
上を目指している人にとっては、邪魔な面もあったと思います。事実反対する女性もたくさんいたのに耳を貸さず、置屋からの借金を棒引きしただけで追放してしまいました。
その後は最近に至るまで、「売春合法化」などというと、非国民扱いされる時代が続きましたが、エイズという天災により、地下での非合法な営業実体が明るみに出るにつれ、見直さざるを得なくなりました。
売春に反対する一部のフェミニストは、さかんに女性の自立などという、結果として非嫡出子を増やすような矛盾した主張をしますが、どのような理屈をならべても、シングルマザーが良いはずはありません。なぜなら片親では子供が不幸であるからです。
性行為自体は道徳的限界範囲内であれば、たとえ金銭の授受があっても本来善悪に関係はありません。売買春が悪とみなされるのは、一部女性の甘えと闘争心が社会に波及して、売買春は一義的に悪とする法律を制定した事。国民がその法律に縛られているのが原因ではないでしょうか。
イスラム教は、一夫多妻を認めていますが、売春は認めていません。これをどのように説明しますか。
私は中学2年生くらいの学力しか持っていませんし、この件に関して調査もしていませんので、「イスラム教での一夫多妻と売春の関係」については不十分だとは思いますが、今回は自分の感覚だけで意見を述べさせて頂きます。
なぜかわかりませんが、個人的には日本の天理教とイスラム教は同じだと思っています。イスラム教においてアッラーからの天啓による教示であっても、当然受入れる側の機根が重要視されます。その地域が政治的に王制であり王みずからがハーレムを形成していれば、法を広めるためには一夫多妻という、古くからの習慣を追認する必要性もあったと思います。また当時の貧困女性を救う意味もあったのではないでしょうか。
アッラーであっても、エホバであっても、または天主様であっても、今も昔も太陽が二つとないように、人間に対し慈しみを与える神格は一つしかありません。神格の一部が個の人格にダイレクトに通信される時、土壌と合わない植物は育たないように、その地域の風俗習慣に合わせ、法は加工されて伝達されるでしょう。旧約と新約聖書で、性に対する寛容度が違うのはそのためではないでしょうか。また売春を認めないのは、当時の性労働が私たちの想像以上に悲惨であったりしたので、まずは救済という観点に立ったのではないでしょうか。
しかし当時の具体的政策であるか加工された法が、時代や体制の変化により真意が失われ習慣だけが残る形骸化は、洋の東西に関わらずあります。本来は真意を理解し法は純粋に神意に向かうよう常に軌道修正されなければならないわけですが、聖職者は祈りと習慣を守る事だけに専念し、それが信仰の主流となるため本来の力を失ってしまうのです。従って「一夫多妻を認め、売春は認めない」とする法はその地域にだけ限定され、政治経済・人心の安定度・科学技術レベルの違う地域には、昔も今もあてはまらないことになります。
同じ地球上で原始時代のコロニーを形成している所もあれば、最先端技術の中で仕事をしている人もいます。神格である根本法は変らないが、その集団社会に理解しやすいように現れ方が変化するのではないでしょうか。
つまり現代日本においては、学問的にはどうかわかりませんが、イスラムにおける「売春は認めない」法は条件が違うため参考にならないと思います。
イスラム教は、一夫多妻制とはいっても、妻は4人までしか持つことはできません。また、複数の妻を持つことができるのは一部の金持ちに限られます。売春は、石打ちの刑によって厳しく罰せられるので、性の希少価値は維持されます。
「厳しく罰せられる事により、性の希少価値は維持される」とありますが、希少価値が生じるのは需要に対して供給力がある程度は連続して維持される状態ではないでしょうか。イスラムの一部地域による売春への厳罰化は、その社会からの根絶を目指すもので生命リスクが著しく大きくなるため、仮に単発的に需給関係が発生したとしても、最初から価値そのものが生じていないと思います。
売春は悪だとする出発点は、旧約聖書の十戒における「姦淫してはならない」と「売春」が混同されたのが原因ではないでしょうか。新約聖書ではイエス様は売春婦を祝福されており売春は許されているのです。しかしイスラム社会における一夫多婦制は最初から姦淫を犯していると思われ、クルアーンは旧約聖書を補足するためで同じ系統であるとされているにも拘らず、流布される過程で異質なものに変化していったのでしょう。
どのような優秀なチャネラーであっても啓示を受ける人間の精神状態がいつも高品位であるとは限りません。心の針が向く方向によっては異質なものになると思います。その一段下の法になると人間の恣意が入り、体制を維持するための曲解が始まります。人間は生まれてから両親や兄弟に最初に嘘をついた時すでに罪を犯しているのです。神の心は許しに満ちており人間に対しての報復は存在しません。どのような厳罰であってもなぜ民衆にみせしめを行わなければならないかが問題です。許しのない国家は常に混迷しているでしょう。
たとえ売春が職業としてさげすまれ憎しみの対象になったとしても、愛があれば慈しみねぎらうでしょう。姦淫は簡単に言えば浮気をするなという事で、夫婦の適度な性行為は善であるが、他に貪りの心を持つと悪になるのではないでしょうか。既婚者の場合は相手が売春婦であっても姦淫になるが、売春婦の側は姦淫にならないのです。その人の立場によっても違ってきますが、最終的には個人のモラルであり心の痛みを感じるか感じないかで決まるでしょう。
しかし実際に売買春できるどれほどいるかです。男性の場合の性欲は2~30代がピークでそれからなだらかに下がり50才くらいになるとほとんど必要性を感じなくなります。
日本の人口の割合や経済状況をみれば自ずと決まってくるでしょうし、売春が合法化されても実際は人口の減少もデフレによる価格の暴落も起きないでしょう。現在の風俗における派遣系などの届出制は、リスクの拡散と二次犯罪の誘発につながります。良識ある人は合法化による有害環境の囲い込みを提唱しており、一刻も早い実施が望まれるでしょう。
イスラムの男も、男である以上、売春したいという欲望はあります。佐藤優氏がこういう面白いエピソードを紹介しています。
イスラム圏でも、売春に関する罰則は地域によりばらつきがあるようです。現代に於いてもなお、厳しく罰せられること自体悲しい事です。今回のテーマである「なぜ売買春してはいけないのか」については、個人的には旧約聖書における姦淫戒を拡大解釈したことが原因だと思っています。しかし普段はそこまで追求する必要もないので、島国日本を覆っている売買春は悪とする諸説について考えてみました。
・民主主義丸投げ性善説—話し合って多数決で決めたのだからこれが最高で、後は必要ないとするもの。(多数決は通信簿で言えば3の平均的意見となるので、最も良い意見ではないのです—残念)
・迷信空気説—日本上空を売春は悪だとする空気が覆い、売春合法化を言うと「空気読めよ」と言われるため、ストレス障害になるというもの。
・フェミニスト紅衛兵説—売春合法化を言うと吊るし上げをくい、下放させられるので恐ろしくて口に出せないというもの。
・女性正上位説—女性は上でなければいけないとするもの—これ以上書くと下品になりそうなのでやめておきましょう。
男性の性欲は、出してしまえば終わり なのですから、女性が病気や妊娠の
リスクを伴ってまでしなければいけないことではないと思います。
つまり、自由の利かない障害者の男性等に対しては、男性の看護師が
手袋を嵌めて障害者の男性の性器を刺激してあげて、出させてあげればいいと思います。色々な事情で結婚できない男性や、モテない男性が女性と肌を合わせることが
出来ない等というどうでもよい事情を、関係のない女性がリスクを犯してまで背負うことはありません。女性だって性欲の強い人はいるでしょうが、金で男性の性器をおもちゃにするようなえげつない人は少数です。男性はわがまますぎるのではないでしょうか。
貧しい女性につけこんで喜んで買春する男性よりも、2次元の美少女相手に
自慰をする男性のほうが立派だと思いますね。
僕は風俗いってもいけないひとなのですが
何でも我慢すると
僕みたいになってしまいます
我慢しすぎると良くない結果が待っています
風俗も一般的な恋愛をしている人も、同じに見える
いいな~と思う
悪い事をしても、たかが数年
けど、悪い事もできない
絶対的に悪い事してるほうが
有利の様です!
僕の人生の結論。
中途半ぱにまじめな事していたら最悪の結果に
なっている....
売春を悪とする価値意識を法制で守るというのはセックスの希少価値を高めたいという無意識の願望に尽きるのでは。
短期売春契約が安いと長期売春契約が売れなくなりますから。
結婚制度が崩壊します。
いえ、今の家父長的制度ですけれど。
少子化もあまり無関係では?
母子家庭が増えることはあるでしょうけれど。
となるとあらゆるところでこの国の法制体系を支える価値意識が崩れます。既に兆候は明快だと思いますけれど。
為政者である爺さんがたが既得権を失います。(それを指示する年配者も)
金と権力を背景にしてでしか若い女性とのセックスは獲得できないのでしょうし。
さらには自らのよってたっている価値意識が崩れます。それを再構成する柔軟さとパワーは立法機能を持つ彼らにはもはやないでしょうし。
そら恐れますわね。
身の危機ですから。
若い既婚女性は既に売春とも呼べない(無対価にて)ムーブメントに事実上入っておりますので、長期売春契約による高価格戦略は機能しなくなりつつあります。若い人が結婚しない理由の一つになっているかも。
機能しない制度の裏をとって現実的に生きるのはこの国の女性のお家芸でしょうし。
様々な無対価が普及するなかで「売春は悪?」というテーマ設定が意味を失いつつあるのでは。
無対価というのも実際は支払い方式がキャッシュオンでないだけで、ホビーセックスの費用を男性が分担する場合がまだ多いでしょうから(そのほうが高くつく場合もあるでしょうし)、売春の定義の境界が曖昧になりつつあり、その点においてもこのテーマが終わりに近づいていると感じます。
売春と非売春の境界は、はっきりしたものではなく、たとえば、豪華なご馳走をおごってもらった後にベッドインするというとき、そのご馳走は、対価として機能しているので、売春としての性格をある程度持つことになります。しかし境界的な事例があるからといって、売春そのものがなくなることはないでしょう。オランダやドイツにおけるように、合法化されるということはあるかもしれませんが。
(Wikipediaより抜粋)
2004年度の厚生労働省と日本家族計画協会の共同調査によると、先述の定義に照らした場合、日本の夫婦の実に32%(およそ3組に1組弱)までもがセックスレスに相当し、さらに1年以上性交渉のない夫婦は2割(32%のうちではなく全夫婦の2割)にのぼる
と記載されている。
SEXのために男女が結婚するというのは幻想。
セックスレス夫婦は、はじめからセックスをしないつもりで結婚をしているわけではありません。だから、その統計から導けることは、「SEXのために男女が結婚するというのは幻想」ではなくて、日本では離婚は容易ではないということです。
売春も結婚制度も支配層(指導層)の管理目的で作られたものでは無いのでしょうか?
本来的には両人が納得していればあれこれ言うべき事象とは思えません。
合法・非合法どちらにせよ強制されての売春が悪だと思います。
穢れの思想も時の指導者が独占欲を満たすための方便だと考えるのですが?
売春は、結婚と同様に、人類以外の霊長類でも観察される現象ですから、支配層が強制する人為的な制度といったものではないと思います。
売春を悪とする規範の背景は,単に,娼婦を買う余剰が十分にない又は娼婦の商売で満足に利益を上げることのできなかった貧乏人によるルサンチマンということはできませんか。多少自分の首を絞めることにはなっても,貧乏人にとっては,金持ちや権力者にいい思いをさせないメリットが享受できるのだから,このような社会主義的ルールを受け入れやすいはずですし,このような貧乏人にとって受け入れられやすいルールの策定は,キリスト教の勢力拡大にとって有用です。
>>どのような理屈をならべても、シングルマザーが良いはずはありません。なぜなら片親では子供が不幸であるからです。
片親の子供がかわいそう、というのはどうですかね。暴力を振るったり性的虐待するような父親でもいたほうがいいんですかね。
>>セックスレス夫婦は、はじめからセックスをしないつもりで結婚をしているわけではありません。だから、その統計から導けることは、「SEXのために男女が結婚するというのは幻想」ではなくて、日本では離婚は容易ではないということです。
セックスレスは、離婚したいのに出来ない夫婦ばかりが陥る現象というわけでもないと思います。未婚のカップルにも多く見られるようで、既婚、未婚に関わらず男性に「性嫌悪症」というのが増えていて、奥さんや彼女とだけはSEXしたくなるというのがあるそうです。これは、奥さんや彼女への愛情がなくなるからというわけではなく「異性への愛情」が、母親への愛情や兄弟愛と同質の「家族愛」に変化するからだそうです。母親や姉妹といった家族とは普通SEXしようとは思わないでしょう。つまり奥さんや彼女とのSEXが近親相姦と同じように感じられるからしなくなる。愛情がなくなり、離婚間近故のセックスレスとは全く異なります。
日本では離婚が容易でないというのも信じられませんね。
そこらじゅう離婚だらけじゃないですか 笑
日本の離婚率は、他の先進国と比べて高いとはいえません。また、離婚が比較的簡単な事実婚の割合もきわめて低く、これらの事実を勘案するならば、日本は、離婚が容易ではない国として考えることができるでしょう。カトリック教国のような、宗教的制約がある国と比べれば、離婚は容易ですが、離婚に対する世間の目は冷たいのが現状です。以前、NHKのアナウンサーである黒田あゆみ(現在、渡邊あゆみ)が、隠していた離婚が発覚したという理由で担当していた番組を降板しましたが、この出来事は、日本人が、離婚に対して寛容でないことを象徴しています。
本来、自由であるはずの性交渉が、貞操、結婚という掟で縛られ、気軽に性交渉を行うことが出来ないのは、生物的には自由であるはずの、生殺与奪が法律で縛られているのと同じではないでしょうか?女性は性欲が少ない等の意見がありますが、それは間違いだと思います。私が思うに、男性は独占的な性支配を行うことで満足する傾向があるが、女性は、本来、よりよい遺伝子を求めて、新たな精子を求める傾向があると思うのです。多くの動物がそうですし、そうすることで、多くの遺伝子を地球上に残し、強い子孫を残してきたと思います。
ですが、個々人が好き勝手に性交渉を持つ社会は、それはトラブルが多いことと思います。
「俺の女に手を出しやがって」と戦争にまでなった歴史は数知れず、結婚という制度は、女性を占有する契約をすることで、こういったトラブルを防ぐ効果があるのではと考えます。ですから、女性には貞操を守ることを美徳とし、婚前も性交渉を避けることで、将来の禍根を減らす、これを歴史が繰り返してきたのではないでしょうか。
とはいえ、男性のほうが出生率が高いのですから、一夫多妻の国では、ほとんどの男が独身になると思います。そうなってくると、女性は徹底的に肌を露出しない、夫以外の男性と会話もできない、という風に規制しなければ、性犯罪が爆発的に増加してしまうことでしょう。
男は、戦争にどんどん参加し、どんどん死ぬことで男女の比率が保たれ、結婚という性交渉の相手が確保しやすくなっています。戦争のない、現代日本のような社会では、男があり余っており、しかも悪いことに、性風俗を商品化したメディアが氾濫しています。先ほどの一夫多妻の国と同じ状況にもかかわらず、誘惑はとんでもなく強い状況だと思います。
要するに、自由きままに性交渉を行うと、とんでもないトラブルが多発し、社会不安になるので、結婚や宗教の戒律で性を縛ってきたのだが、平和と言う要因が余ったオスを作り出し、これらが社会を苦しめていると思うのです。
話が迂回しましたが、このような状況で貞操や結婚という概念にしばられつつ、独身でパートナーもいない、性交渉の機会すらない男達をないがしろにすれば、凶悪な性犯罪や、社会に対する鬱憤が蓄積し、必ずや平穏に暮らしている人々に障害となると思います。
結婚、貞操を説き、余ってしまった男性の欲求を否定するならば、女性は露出のある服装を禁止し、性メディアも禁止すべきです。裸に近い格好で、痴漢にあったなどと、都合がよすぎます。
または、積極的に戦争でも起こして男の人数を減らすかしかないと思います。
そういった意味で、売春の合法化はよい方法と思います。
平和というものの思わぬ副産物が、余ってしまった男達なので、とはいって戦争をおっぱじめるわけにもいかず、女性にアラビアのような格好をしろといっても無理だろうし、性メディアを徹底的に規制しても、闇社会が増長するだけです。
売春を合法化し、闇社会の資金ソースを撲滅し、あり余ってしまった男達の鬱憤を晴らし、住みよい社会にして欲しいものです。
むしろ、そのように規制すればするほど、男の性欲は高まり、性犯罪も増えるというのが、本文の趣旨です。イスラム社会では、性犯罪がそれほど多くないという反論もあるかもしれませんが、イスラム社会では、女性がレイプされると、女性が男性を誘惑したということで、女性の方が死刑になることが多く、このため、被害女性は、被害を訴えることがありません。だから、イスラム社会における実際の性犯罪発生率は、不明なのです。
性とは聖だから売春はいけないと云う気持ち有るのではないのでしょうかね。
其の昔日本では儒教が来る前には神社で神様の前で性交を行う事が有りました。
性と聖であり汚してはいけないものなんですね。
其れは今の世界の人にも共通の意識として有るのではないでしょうか。
何しろ命の原点ですから其れを金儲けのネタや遊びに使うことは誰しも後ろめたさが有るのではないでしょうか。
そのとおり。実は、『ファリック・マザー幻想―学校では決して教えない永井俊哉の“性の哲学”』の58-78頁で、西欧の神聖娼婦や日本の遊女を取り上げたのですが、そこで書いたとおり、母権宗教においては、性と商品貨幣の交換は、交換媒体としての神の権威を高めるのであって、汚すわけではありませんでした。これを汚らわしいとして否定したのが、後に成立した父権宗教でした。「何しろ命の原点ですから其れを金儲けのネタや遊びに使うことは誰しも後ろめたさが有る」というのは、現代の父権宗教的な価値観ですね。
なぜ売買春はいけないのか。
結論として値段が高いからである。ニートにはとても払う事が出来ない。ましてや親の金で女を買うなんてのは良心の呵責に食いつぶされてしまうのである。現代の弱者は画面に映る裸の女体を見ては擦り手を合わせて泣いているのである。
このような現状において、結論として述べられた合法化された暁の価格の暴落により、ニート達に羽が生えてしまう事を世間は恐れているのである。
斯くの如く人間は弱者を必要とする。どの時代にあっても下がいなければ歩く事もままならないのが普通の人たちであると私は思う。
世の中、生涯に30億円以上をセックスに使っている富豪もいますからね。世界の売春婦高額ランキング(YouTube 動画)によると、トップの娼婦は1回5万ドルとのことですが、日本ではもっともらっている人もいるようです。
本文・フィードバックにおける永井さんの言葉から質問させて頂きます。
また以下に関するお薦めの書籍などもありましたら教えて頂けると嬉しいです。
性道徳の背景には、人口増加を善とする思想がある。
→何故ですか?また何故人口増加は善とされるのでしょう?
不安こそが愛を燃え上がらせるのであり、安定は逆に愛を殺します。不倫が楽しいゆえんです。
→どうしてでしょう?
なぜセックスを「金には代えられないもの」「お金では買えないもの」にして、希少価値を持たせなければならないのかが問題
→何故ですか?
売春は、結婚と同様に、人類以外の霊長類でも観察される現象ですから、支配層が強制する人為的な制度といったものではないと思います。
→どの種において観察されるのですか?
それと、売春に限らず風俗嬢やキャバクラ嬢、高級クラブのホステスまでもが卑しい職だとされるのは何故なのでしょう?
ヒトに限ったことではありませんが、どの生物種も、個体数の増加がかえって種の存続を脅かす場合を除いて、自分たちの個体数を増やそうとするものです。
種を存続させるには、環境適応と変化適応の二つが必要であり、有性生殖が変化適応のためであることに関しては「有性生殖はなぜ必要なのか」を御覧ください。セックスが変化適応のためなのだから、不安になると愛欲が燃え上がるというのは、合理的なことなのです。お金で安易に買えないようにする、つまり売買春をするときには法律違反というリスクを負わせるというのも、セックスのドキドキ感を高める一つの手段ということです。
人間以外の売買春(食べ物を与える代わりに交尾を要求する慣行)に関しては以下の論文を参照してください。
Gomes, Cristina M., and Christophe Boesch. “Wild Chimpanzees Exchange Meat for Sex on a Long-Term Basis.” Edited by Colin Allen. PLoS ONE 4, no. 4 (April 8, 2009): e5116. doi:10.1371/journal.pone.0005116.
この論文で取り上げているのはチンパンジーですが、ボノボもやっているらしい。類人猿で行われている食物配分は、子育ての見返りのためではなくて、交尾の見返りであることが多いようです。これに関しては、以下の論文を参照してください。
Jaeggi, Adrian V., and Carel P. Van Schaik. “The evolution of food sharing in primates.” Behavioral Ecology and Sociobiology 65, no. 11 (November 2011): 2125–40. doi:10.1007/s00265-011-1221-3.
違法でない限り「職業に貴賎なし」というのが建前ですが、AV出演疑惑で仕事を失う人がいることからもわかる通り、風俗関連の仕事に就くことはリスクが高い。これもセックスを日常的な平凡にしない倫理規範の結果です。
ご丁寧にありがとうございます。
またいくつか疑問が出てきました。
〈頂いたFBより〉
ヒトに限ったことではありませんが、どの生物種も、個体数の増加がかえって種の存続を脅かす場合を除いて、自分たちの個体数を増やそうとするものです。
→その理由は解明されていないのでしょうか?また、子は不要だというヒトの存在はどう説明がつくのでしょう?
風俗関連の仕事に就くことはリスクが高い。これもセックスを日常的な平凡にしない倫理規範の結果です。
→キャバクラ嬢やクラブホステスは接客業であり、性的サービスを提供するわけではないのに、セックスワーカーと同種の蔑視を向けられますが、これは何故でしょう?
(全てのキャバクラ嬢やクラブホステスがそうだとは言いませんが)色恋営業(というイメージ)だからでしょうか?だとすると、どうして色恋営業は蔑視に値するのでしょう?
またパパ活には性行為の伴わないものもあるようですが、これはどういった位置付けだとお考えになりますか?
〈本文より〉
なぜ、ベテラン売春婦とは違って、セックス・テクニックが皆無で、ただマグロやっているだけの、しかも体が未熟でおいしくない素人の女子高生が高く売れるかといえば、それは多くのオヤジが、「素人の女子高生は処女だ」と信じているからである。現在、オヤジたちは、これが幻想に過ぎないことに気がつき、「本当の処女」を求めて女子中学生を漁り始めている。オヤジが、これだけ処女にこだわるのは、言うまでもなく、経験者よりも処女の方が、希少価値が高いからだ。
→①普通、売春するような女を誰も処女だとは思わないのではないでしょうか?管見の及ぶ限りでは、彼らは処女を求めているのではなく、処女性(初心さ)を求めているのだと考えます。売春者に処女性を求めるなど馬鹿げているとは思いますが。
また買春に限らず、男性は女性に処女性を求める性質を持つように感じます。ですがだとすると、それは何故なのでしょう?
②処女の方が高価値であるのは実感としてありますが、希少だからなのでしょうか?それは違う気がします。処女であれば身籠っていないことは確実であり、すぐに自分がその女を孕ませられる可能性が高いから、男性は生理的に処女を好むのでしょうか?
永井さんのご意見をお聞かせください。
戦前の日本では、妻が夫の買春を容認したために、公娼制度を作っても、あまり独身者を増やすことにはならなかったが、現在のように、妻が夫の不倫に寛容でなくなると、そういうわけにはいかない。
→戦前の妻が夫の不倫に寛容であった理由、現在そうでない理由は何でしょう?
売買春は、婚前交渉よりも成立が簡単で、それだけセックスの希少価値をより大きく下げるから、婚前交渉よりも嫌われる(要点だけ抜きました)
→そうでしょうか?我々は希少価値が低いからとという理由でそのものを嫌ったりするのでしょうか?
「個体数の増加がかえって種の存続を脅かす場合を除いて」と書きましたでしょう。
セックスを猥褻として隠蔽すると、セックスを連想させる行為が二次的に猥褻になります。これについては「性的自己擬態の記号論」を参照してください。
最初から処女でない女性などいません。女子高生など年齢の低い素人の女性を好んで買おうとする男には、やはり処女とやりたいという気持ちがあるのだろうと思います。「経験者よりも処女の方が、希少価値が高い」と書きましたが、その希少性とは非日常性と言い換えてもよいでしょう。経験を重ねたプロの売春婦にとってセックスは日常と化しています。エロティシズムが非日常的な規範の侵犯にその本質がある以上、それを最も燃え上がらせるのは、セックスを拒否し続けてきた処女を犯す時だと言えます。
結婚相手を選ぶ時は、そういう理由に合理性がありますが、孕んでもらってはむしろ困る売買春の場合は、そういう理由ではありません。
厳格な一夫一婦制はキリスト教によって世界に広められたもので、前文明的な社会では、今でも一夫多妻制が多く、形式的に一夫一婦制でも婚外交渉がごく普通に行われていることが多い。アメリカの人類学者、マードックは、人口の多寡を無視して、言語の種類によって社会の種類を区別して、それぞれの結婚形態を調べてみると、80-85%の社会が一夫多妻制を許容しており、厳密な意味で一夫一婦制、つまり複婚が罰せられる社会は、16%しかなかったと報告しています[G.P. Murdock(1967)Ethnographic Atlas,University of Pittsburgh Press]。
「低いから嫌い」というのはおかしい。「低くするから嫌い」と書くべきでしょう。
市場主義的に考えれば、売る人は相応の価格を提示して、買う人はその提示された金額を自分の意思で買う。だから売り手にも買い手にも利があり、それを正しいと考えると思います。また、自由主義的に双方の同意があれば、個人の選択及び決定を侵害するべきではないと考えると思いました。
私としては、売春自体がいけないのではなく、同意に第三者が介入している状態(経営)がいけないのだと考えます。リプロダクティブ・ヘルス/ライツという概念が在りますが、経営を行う第三者が介入する事で個人の性への自由を侵害してしまっているのでは?ということです。しかし、これを言ったとすれば、個人の自由意思に元ずく職業選択として性を売っている人も居ると考えると思います。これに対して私は思うのですが、大富豪が自分から喜んで体を売ろうとするでしょうか?その必要があるのでしょうか?中にはいるかもしれませんね(笑)。何が言いたいのかと申しますと、貧困者が体を売る場合、自由意思で売るのではなく、生きるために財を得なければならないという強制力がはたらいている為、真に自由意思によるものではないということです。人権侵害だなんて極端な事は言いませんが、もし売春行為が貧困層に集中しているとすれば、貧困が生じる大元である格差の是正(無くならないと思う・・・)や、それを経営としている道徳性・倫理性を捨てた腐った人間をどうにかするべきなのではと考えました。ただ、本当にそれを生業としている人間がいた場合、仕事を奪う事になってしまいますね・・・。どうすればいいのでしょうか。
あれ?貧困で売春するなら第三者の介入(経営者)が無くても起こり得ますね。どうなんだろうか・・・。経営のなかで売春する方が売る人も買う人もやりやすいのかな?すいません分からないです。
あと、文字打ってって気が付きましたが売春と風俗の違いもいまいち分かってなかったみたいです。
続きです。風俗は正式に営業届けが出されているみたいですね。後、挿入行為も禁止されているみたいです。でも国で認められてるってことになりまして・・・。
難しいです。ますます分からなくなりました。
連投すいません。風俗について少し調べてみました。
単純に(風俗が)合法だから善(売春が)違法だから悪なんてのは思考停止になってしまいますね。
営業届けをだして国で認められてるってことは、逆に女性を守る事に繋がるとも考えられました。制限を越えた即ち強姦の抑制に効果があり、生業とするなら女性にとっては売春よりは少し安全になるのではないかと。性病に関しては・・・オーラルxxxとかもありますし安全とは言えないですね。
国で管理できる範疇で合法としている。それが出来ない売春は違法とするのが妥当?
風俗をこれらのもとで合法とするなら、条件として責任者である経営者が労働管理としてスタッフの観察が出来ていなければならないですね。
労働基準局の監査が入らないようにするため?
徹底するのであれば、スタッフも客も医師の診断書をもって、互いに性病でない事を確認できてから行為に及ぶ必要がありますね。
第三者が売買に介入しているとか、貧困でやむなく従事しているとかといったことは、他のほとんどの労働に当てはまることで、売買春禁止の理由にはなりません。安全性は、合法化して国が管理した方が担保されるでしょうから、法的に禁止してアングラ産業化させている現状の説明にはなりません。
>>他のほとんどの労働に当てはまることで、売買春禁止の理由にはなりません。
市場が確立し需要が増え価格競争が激しくなれば合法化しても結局アングラ化するのでは?
今のブラック企業がそうでしょう。
むしろ、原始的欲求に関わるだけにかえって一般職のブラック化よりも性質が悪くなるのは想像に難くないと思いますが。
また、ブラック企業の場合、手口は違法ではなく脱法ですからもし売春で同じようなことされるとそれこそ手を出せなくなってしまいます。
ドイツなんかあまりに泥沼化しすぎて合法化しても改善するどころかより性質の悪いものになっています。マフィアの力があまりに強すぎて
「合意の上の売春だ」と言われたら警察であっても手を出せないという状態。
強大なマフィアはデータ改ざん、文書偽造なんてお茶の子さいさいでしょうし。
捜査で売春を足掛かりに捜査令状を取って武器密輸やテロを摘発するなんてのも難しくなる。
>>合法化して国が管理した方が担保されるでしょうから
一般職ですらブラックだなんだと騒がれて、管理がしっかり行き届いていないんですから。売春はなおさらでしょう。
それに人間は反社会的なものに興奮を覚えます。合法化すればより大きな刺激を求める人も現れるでしょうから
売春が減る代わりにスナッフ(拷問)やレイプが今度はアングラで確立されるのでは?
意味ないとまでは言いませんが、一つの悪を封じ込めたらより性質の悪い悪が潜み始めるのは歴史的に観ても良くあることです。
ブラジルでは麻薬を摘発するために捜査を厳しくしたら、マフィアが消えた代りに今度は汚職警官が薬の元締めを始めるなんてことがありましたね。
日本にブラック企業が多いのは、労働市場で市場原理が機能しているからではなくて、むしろ逆に機能していないからです。
合意があったかどうかは、被害者の説明や被告人の供述のほか、客観的証拠に基づいて行います。そうした判断ができないというのなら、どんな強姦も和姦と言いくるめることができるのですから、強姦罪も成り立たないということになります。
別件逮捕などしなくても、通信傍受などの方法で武器密輸やテロを未然に防ぐことができます。
最近は、VR技術が進歩しているので、仮想世界でそういう体験をすることができるようになるでしょう。それで満足できる限り、違法あるいはアングラである必要はなくなります。満足できない人は犯罪に走るでしょうが、そういう人は今でもいます。
かつてポルトガルでは、厳しい取り締まりにもかかわらず、国民の1%が薬物中毒でした。厳罰を与えても、事態は悪くなる一方であったため、ポルトガル政府は、個人の薬物保持を非犯罪化し、犯罪の取り締まりに費やしていた予算を、依存症患者の社会復帰に使うことを決めました。
薬物服用を犯罪にすると、薬物依存症患者は誰もそれを正直に申告しません。非犯罪化したことで、政府は薬物依存症患者の実態を正確に把握することができるようになりました。そうした政府による資金援助もあって、依存症患者の社会復帰が順調に進み、その結果、ポルトガルにおける薬物服用が50%も減少しました。これは、売春の禁止に関しても参考になる事例です。
>>日本にブラック企業が多いのは、労働市場で市場原理が機能しているからではなくて、むしろ逆に機能していないからです
売春を合法化して市場がきちんと機能するという確証はどれほどあるのですか?
産業として見るのなら売春は麻薬よりも兵器市場に近い。
「セックス」と「暴力」は「支配欲」という最強の原始的欲求に直結しやすいため、麻薬とは質が異なります。
(医学的に観ても麻薬依存症の方が簡単に治療できます)
そのため両者共幾ら供給しても需要が満たされることはありません。故に悪党が介入する隙が大きいのです。
アメリカは銃を合法化しているにもかかわらず、未だ泥沼の只中にいますからね。
それにみんながみんなオランダのマネをしたら問題が循環すると思う。
取り立て日本はそこまで性犯罪事情が酷いわけではありませんから。
どうも合法化と言われてもピンときません。
無論、状況が悪くなり過ぎればドイツの様に焼け石に水状態になるわけですが。
あの国は犯罪抑止という部分に期待するのはやめて、潔く女性たちの身体保護に徹しています。
私自身も「とりあえずは女性の身を守る」という部分に期待はしてはいますが、これで売春の母数が減るのか
アングラ化を防げるのかという点にはあなたほど楽観的にはなれません。
合法化しても規制が厳しければ違法化しているのと変わらないし、
逆に規制を緩くしたらマフィアが堂々と商売できるようになってしまいます。
また買春者の層も重要です。オランダがうまくいっている(本当にうまくいっているかどうかは置いといて)
のは売春する側というより、買春する側の層が良いからだと思う。
アメリカだと売春婦の死亡原因のトップ1が商売中の殺人です。そのため、売春婦は必ずと言っていいほど
護身用に銃を隠し持っていますし、元締めも商売道具が殺されちゃかなわないんでボディーガードを雇うのは常識です。
フランスが買春を違法化したのも似たような背景があるからだと思う。元々フランスはロシアンマフィアの巣窟ですから。
私は、ブラック化とアングラ化は同じではないという趣旨で書きました。解雇規制が厳しいと労働の流動化が妨げられるので、労働者は企業の理不尽な命令に服従せざるをえなくなり、かくして企業はブラック化しますが、買春業は終身雇用ではないので、ブラック企業で起きている問題は起きないということです。買春業界では、特殊な場合を除いて、売り手には移動の自由がありますが、商売自体が違法であるため、アングラになっているのです。
売春は、武器産業のような人を殺すための産業なのですか。
最も「支配欲」という最強の原始的欲求に直結している業界は政界です。政界は、売買春や兵器の密売以上のアングラ産業でしょうか。
1920年から1933年まで米国では禁酒法が施行され、酒の密売がマフィアの収入源になりました。それを取り締まろうとした警察とマフィアの間で激しい銃撃戦が起き、二千人以上が死んだと言われています。それで禁酒法は廃止になり、今では、未成年の飲酒を禁止するといった規制があるものの、酒の販売はマフィアの商売ではなくなり、酒の販売をめぐる銃撃戦もほとんど起きなくなりました。売春に関しても同じことが言えます。
護身用に銃を携帯するのは米国ではよくある話で、買春業に特有の現象ではありません。
>>護身用に銃を携帯するのは米国ではよくある話で、買春業に特有の現象ではありません。
だから売春は安全だと言いたいのですか。もし、そうなら矢面で連続殺人鬼とヤルことになるかもしれないリスクに怯えている彼女たちには通じませんよ。
また、相対的に危険じゃないという意味で言ったのであれば基準値がそもそもレッドゾーンということですよね。何れにしても安全という結論には至りません。
>>酒の販売をめぐる銃撃戦もほとんど起きなくなりました。売春に関しても同じことが言えます。
合法化というのは簡単に言うとレッドラインの定義を狭めて警察の仕事を減らしましょうということです。
一種の誤魔化しです。マフィアの商売じゃなくなったというけど要はマフィアの定義を狭めただけです。
同時にマフィアが法の庇護下に入るため警察がマフィアに介入しづらくなります。今ドイツで起こっている現象です。
これも一種のアングラ化ですよ。
>>最も「支配欲」という最強の原始的欲求に直結している業界は政界です
市場の話をしているのに何故業界。それに政界は支配欲に直結しません。何故なら政治家になって権力を握るまでに長い下積みが必要になるからです。薬物にしたって違法云々以前にやっていることは普通の企業のやっている商売とあまり変わりません。薬を作り、売って、儲けて地位を挙げていく根本は同じです。いずれにせよ一朝一夕では手に入りません。
しかし、銃は持っているだけで相手を屈服させる力を持ち、さらに防衛本能を刺激します。持っているとなんとなく安心するのはそのため。
そしてセックスはその行為自体が原始的欲求であると同時に強い暴力性を持ちます。
インスタントに生理的な支配力を直接やり取りできるのが銃とセックスに共通する決定的な要素です。
くどいようですが原始的欲求は制御が難しいんです。比較的快感強度の低い食事ですら依存性は高いんですよ。ネズミに際限なくジャンクフードを挙げると際限なく食べるためほとんどが肥満になりますが、薬物やアルコールの様な非原始的な快感を与えた場合、それを与えられたグループのうち依存体質になるのは1割程度です。
小金井ストーカー殺人未遂事件(アイドルの冨田真由さんがファンに刺されて重症を負った事件)や、AKB48握手会傷害事件(握手会のイベントにおいて、のこぎりを持った男がグループのメンバー2人とスタッフ1人を負傷させた事件)などの例を挙げるまでもなく、殺人鬼と遭遇するリスクは、他の接客業にもあります。だからといって、こうした接客業をも禁止するべきなのでしょうか。
また、ガスコインさんは、買春業を現在のような非合法なアングラ・ビジネスのまま放置するよりも、合法化した方が女性のリスクを少なくする上で有効なのではないかという問いに有効な反論をしていません。リスクをゼロにすることはできませんが、それは他の接客業も同じです。合法化に際して、接客室に監視カメラを設置することを義務付けし、問題行動がないかどうかを人工知能に監視させるようにすれば、リスクは大幅に下がることが予想されます。
酒の販売を合法化しても、マフィアが酒の販売を続けると言うのですか。そういう話は、日本はもとより海外でも寡聞にして知らないのですが、証拠があって言っていることなのですか。
日本の政治は民主主義政治なので、権力者は選挙で決まります。そして選挙とは、立候補者が売り手で、有権者が買い手であるところの権力市場です。この市場に参入し、当選する上で、「長い下積み」は必須条件ではありません(地方選挙は特にそうです)。もちろん、選挙には金が必要ですが、買春でも、女を買うことができるほど金持ちになるには、「長い下積み」が必要なこともあります。銃も、日本で手に入れようとするなら、違法薬物の入手の時と同じで、一定の障害を乗り越えなければなりません。ですから、本質的な違いがあるとは思えませんが、違いがあるとして、そこに何か意味があるのですか。
この文章の「銃」を「政治権力」で置き換えてみましょう。
政治権力は持っているだけで相手を屈服させる力を持ち、さらに防衛本能を刺激します。持っているとなんとなく安心するのはそのため。
全然違和感がありませんね。では次に、ガスコインさんが「インスタントに生理的な支配力を直接やり取りできるのが銃とセックスに共通する決定的な要素」と言うので、銃とセックスが同じかどうかを、入れ替えテストでチェックしてみましょう。
セックスは持っているだけで相手を屈服させる力を持ち、さらに防衛本能を刺激します。持っているとなんとなく安心するのはそのため。
意味不明な文章になりました。銃や政治権力が支配するための手段であるのに対して、セックスは支配の結果という違いがあるから、こういうことになるのです。
暴力を伴わない優しいセックスもありうるのだから、セックスと暴力との間には必然的な結び付きはありません。セックスは、処女膜裂傷を伴いますが、合意のもとセックスを行う限り、傷害罪に問えないというのが日本の法律なので、セックスが常に強い暴力性を持つとは言えません。
食欲も性欲も原始的欲求で、制御が難しいから、ジャンクフードの販売も売春と同様に禁止しろということですか。本ページの主題は「なぜ売買春してはいけないのか」なのですが、ガスコインさんそれに対する説得力のある答えを出せていないようです。
>>買春業を現在のような非合法なアングラ・ビジネスのまま放置するよりも、合法化した方が女性のリスクを少なくする上で有効なのではないかという問いに有効な反論をしていません。合法化に際して、接客室に監視カメラを設置することを義務付けし、問題行動がないかどうかを人工知能に監視させるようにすれば、リスクは大幅に下がることが予想されます。
合法化してどうにかなる問題なのですか?
合法化して対処可能なのは売春であって、買春は関係ないでしょう。
それに自発的売春はどう管理するのです?
合法化の際に国がして挙げられるサポートは医療方面だけですよ。
監視カメラに人工知能って、そこまでやれば違法化しているのと変わらないでしょう。
>>酒の販売を合法化しても、マフィアが酒の販売を続けると言うのですか。そういう話は、日本はもとより海外でも寡聞にして知らないのですが、証拠があって言っていることなのですか。
あなたの提示した類推の話の話はしていませんよ。あくまで売春の話。上で言いましたよね「マフィアが力を持ちすぎて・・・・」
>>殺人鬼と遭遇するリスクは、他の接客業にもあります。だからといって、こうした接客業をも禁止するべきなのでしょうか。
上手いというかなんというか…、売春婦はあからさまな恰好で道をうろつき客引きしているんです。他の接客業と比べたら危険度が全然違います。また買春客が車で訪れた場合モーテルにしろ、ホテルにしろそこにつくまで車内で孤立状態になります。まあ車内でやる場合もありますが。文字通り命がけの商売です。
>>選挙には金が必要ですが、買春でも、女を買うことができるほど金持ちになるには、「長い下積み」が必要なこともあります。
まず、あなたは娼婦がVIPとセックスして高級娼婦としてのし上がっていくみたいな一昔前のハリウッドの脚本を信じ込んでいるようですね。芸能界と同じですよ。高級外車を3台購入できるほど売れる人もいれば、その日暮らしの人もいる。当然価格も違う。管理売春にしたって市場ができれば価格競争に陥るでしょうし、自発的にやっていたとしてもピンきりです。セックス=VIPの遊びというのは昔の話です。
>>銃も、日本で手に入れようとするなら、違法薬物の入手の時と同じで、一定の障害を乗り越えなければなりません。
日本ではね。それだけこの国は安全だということです。セックスもフィクションで描かれるような荒廃さはありませんから合法化するほど深刻なものじゃないでしょう。
また上であなたが言っていたアダルトコンテンツの普及もありますから合法化する理由にはなりません。それでも破る人はいますが、それは合法化云々は関係ありません。オランダにしたって犯罪は減少しつつあるといっても凶悪犯罪率は日本のおよそ10倍です。ポルノコンテンツの影響も考えるとどこまで因果関係があるのか分りません。
>>銃や政治権力が支配するための手段であるのに対して、セックスは支配の結果という違いがあるから、こういうことになるのです。
言葉遊びに付き合うつもりはありません。普通に考えて銃やセックスの方が権力より簡単に手に入ります。
結果か手段かは関係ありません。
というかこの一連のくだりで需要と供給バランスを保てるという根拠にどう結び付くのです?
結局のところあなたはセックスも銃も原始的な欲求ではないとは一言も主張していませんし。
>>暴力を伴わない優しいセックスもありうるのだから、
そういう話ではありません。あなたは上で売春と愛のあるセックスは区別が出来ないという趣旨のコメントをしていますよね。もっと言うのなら男性が女性に性的興奮を覚えるのは女性を支配できるモノとして認識した時です。風呂上がり妻のうなじに興奮する夫も、暑い夜をキャミソールで出歩く女性をみて興奮するレイプ魔もメカニズムは同じです。また女性側も和姦と強姦を区別できるように体は出来ていません。被害者調査によれば90%の被害女性はレイプ時に快感を感じていたというデータがあります。上でマッサージを引き合いに出していましたが心理的な意味では売春はモノのやり取りです。
>>本ページの主題は「なぜ売買春してはいけないのか」なのですが、ガスコインさんそれに対する説得力のある答えを出せていないようです
売買春はコントロールできないと主張しているつもりでしたが伝わりませんでしたか。
それに私は売春は認めています。買春を認めていないだけで…。そういうあなたは類推とレトリックを織り交ぜて煙に巻いているだけでしょう。
ソフトドラッグやアルコールを例にしたところで説得力なんてありませんよ。問題の深刻度が全然違います。
ヘロインの成功例があるというのなら納得できますが。
売春というのはお金でとっかえひっかえ相手を変えられる点が通常のセックスとは決定的に違います。
男性は相手が変われば際限なくセックスが出来るという性質(クーリッジ効果)があり、女性も男性ほどではないにせよ同じ性質を持っている上に
セックスの快感強度が男性より高くまた自分が主人公という優越感に陶酔しやすい。そのため両者とも性依存症に陥りやすい。
性依存症の厄介な点は上でも言いましたが依存度の高さと何より薬物と違い治療法が確立していないところにあります。
日本だと保険すらおりません。精々「意志の弱い底辺人間」程度の認識です。
あなたこそ何故これこれこういう理由だから売買春はコントロール可能だと反論しないんです?
ジャンクフードやタバコみたいに売春婦を大量生産できるとでもいうのですか?
私は「売買春はコントロール可能だ」とは言っていないし、そうするべきだとも思っていません。政府は基本的に民間のビジネスに介入するべきではなく、市場原理に任せるべきだというのが私の考えです。
但し生命や安全を守る目的のためなら、政府は、情報の非対称性(これがあると、市場原理は機能しない)を是正する措置を取らなければなりません。監視カメラの話をしたのは、そういうことです。
ガスコインさんのこれまでの話を聞いていると、「なぜ売買春してはいけないのか」という本ページの主題とは無関係に、性欲あるいは売買春をコントロールできないという主張をしているように見えるのですが、そういうオフ・トピックな議論をしたいのなら、他の場所に行ってやるべきでしょう。
本題に戻って議論を続けるのか、場違いであることを自覚して議論を止めるのか、どちらを選びますか。
犯罪が増えるかどうか、まで考えが及ばない過去の指導者的男性が、この規制を持ち出したでしょう。規制の目的としては、争いが起こらないよう、支配対象についてルールを決めておくということなのではないかと思います。結果として犯罪が増えたかどうかはさておき。
規制目的は上記の通りとすると、売買春の、特に女がなぜ悪とされるかという問いには、男性社会において”自分たち指導者である男のルールに従わない者””支配されるべき者として、正当な振る舞いをしない者”であるからといえないでしょうか。
男性への非難の度合いは、文化による差がありますが、以下のように男性社会でどう認識されるか?によるものではないかと。
ついでに、支配者側ではない女性もが”売買春は悪”と考える理由ですが、男性的思考に飼いならされているからです。
男性に支配されるにあたって、男性的思考をなんの疑問も抱かず受け入れ、定められたリードの長さの中で生きるほうがかわいがられるのは明白です。リードを越えて行動しようとするペットより、少し後ろを邪魔にならないようついて行く従順なペットのほうがよいでしょう。
上記のような、生存のための戦略によって、女性は男性的思考で女性を判断します。
つまり、支配者の定めたルールから逸脱するものは悪、となるのです。
あとは、自分はリードの範囲にきちんと収まっているのに、そうしていない奴が求められている気がして腹立たしいので貶めるということもあるでしょう。
男性は争いを避けるために支配対象に対するルールを定めた、と言いましたが、以下による暗黙のルールも相まっているでしょう。
→男性の満足度を出来る限り上げるため、支配対象は、他の誰からも支配されてはいけない。
このルールだと、基本的にはどの男性も女性を所有しますので、男性全体の満足度を上げることができます。
男性が支配欲をより満たすには、相手が誰からも支配されていないことが重要です。女は支配・所有される者として、支配者を満足させる振る舞いをするべきです。そのため、誰からも支配される女は、満足度を上げることに貢献しないので、悪とされます。
嫉妬がおんなへんであることからもわかる通り、女にも配偶者に対する支配欲や所有欲はあります。しかし未婚の男女間では、他人の恋人を奪うことは違法ではないし、不倫とすらいえません。未婚の男女間でも売買春が法律で禁止されている理由を考えてみてください。
なぜ格差と市場原理が強まるとブラック企業が減るのですか
むしろそこにしがみつく人が増えたりしないのですか
売春防止法は自由の侵害なので一部改正するべきだと思います(ルールーや範囲を設けた上で合法にできるものはする)
売春は他の職種より危険を伴うというのは事実だと思います、しかし「それが規制に相当する理由」になるとは思えません
例えば格闘技やスタントマン、高所での仕事、警察官など危険性の高い仕事はいくらでもあります、またロッククライミングなどの趣味も危険が伴いますがそれを規制するのは過度なパターナリズムです
フェミニストは自分達の思想を女性に押し付け管理したがります、これも支配形態の一つです
さぁさんの言っている事は極端すぎて私には受け止められません
>このルールだと、基本的にはどの男性も女性を所有しますので、男性全体の満足度を上げることができます。
なぜ男性全てが女性を「所有する」という見方をされるのか?男女がツガイになった場合、お互いに相手に束縛されますがそれを所有と言うなら男性も女性に所有されていることになります
フェミニストは男女の力関係をいかなる場合でも 男>女 と定義していますがこれは事実に反します
大変分かりやすく、説得力のある内容でした。
少子化対策などと言って、無駄に税金を使うよりも、売春とエロコンテンツと自慰行為を禁止して徹底的に取り締まった方が確実に成果が出そうですね。経済的な影響は分かりませんが、人口も増えるのですから長期的にはプラスになりそうです。そもそも、男たちが夜な夜なエロコンテンツを漁る時間を自分磨きやパートナー探しに当てるのであれば、生産性も上がり経済も回るでしょう。
売春とエロコンテンツの禁止を掲げる政治家がいれば、後援したいですが、自分の息子や娘たちにもこのことを刷り込んでいく方法を考えます。
国にとっては知りませんが、家にとっては子宝に恵まれることが、繁栄の必要条件だと思いますので。
少子化対策が必要かどうかに関しては、「少子高齢化は悪なのか」で議論しているので、もしよろしければ、それも参照してください。
私は氷河期世代ですが、就職難が叫ばれる世の中で、当時のネット上では
「介護をやればいい、仕事を選ぶな」
という声が多かったです。
もし日本が売春合法なら
「女は体を売ればいい、仕事を選ぶな」
になるわけですね。
私はそんな世の中は地獄だと思います。
男性にはわかりにくいかもしれませんが、多くの女性にとって、「売春婦になれ」と言われるのは、「男娼になってゲイに掘られろ」と言われるのと同じくらいの絶望感を与えます。
だから国家が売春を違法状態にしておいてくれるのは、その職業を選択肢の中から排除してくれているのは、多くの女性にとって、ありがたいことであります。
役所の職員が生活保護申請の女性に「ソープで働け!」という対応したという話が、真偽不明ではありますが、話題になったことがあります。
どうかこんな対応だけはしないでほしい。
多くの女性にとって、売春は自傷行為に他なりません。売春しても平気、というメンタルの女性もいるでしょうが、それはあくまで特殊ケースなんです。
自傷行為を進めることは、大変な人権侵害だと思います。
日本国憲法第22条に「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する」とあり、職業選択の自由が憲法で規定されています。だから、たとえ売売春が合法化されても、本人の意思に反して売春を強制されるということはありません。
強制されなくても、それが「普通の職業」となることで「仕事がないなら売春やればいいじゃない」という空気が生まれますよね。
この空気が女性を追いつめることになります。
売春は多くの女性にとって、人権侵害であり自傷行為である、という事実を社会が共有し続けなければならないと思います。
「誰と性行為しても平気」というメンタルの女性はレアケースなんです。
それだけは忘れないで欲しいです。
周囲の雰囲気に流されるという自主性のなさは日本人の悪いところで、まずはそこからなおしていかなければいけませんね。
買春はやめておけ。大陸からの観光客(チャイニーズ)が黴毒スピロヘータを風俗店でまき散らしたため、大変なことになっている。自慰で我慢しておけ。
単純にレイプとの境界線が曖昧になるからでは…。
アメリカでは売春婦がレイプ被害の告訴をしたけど、レイプと認められなかった事例がありますからね。
タダでさえ境は曖昧ですし何よりレイプ被害を受けて親告する女性が非常に少ない。
イギリスの研究によると被害者が名乗り出る割合は30%程ですから、
薬物と同じ感覚で扱ってしまっては本当に
危機的状況に置かれている女性を闇に葬ることになりかねません。
よくレイプ物のAVで最初は嫌がっているけど、次第に感じるようになって、最後は性奴隷
堕ちみたいな内容のものがありますよね。あれ実はあながち嘘でもないです。
心理学用語でいうなら「ストックホルム症候群」や「学習性無力感」
なんて言われていますが、レイプ被害を受けた女性がセックス依存症に陥り売春に走ったり、
人身売買に巻き込まれるなんてことが本当に起こりえるのです。
ここまで悪化すると被害者からの言質を取るのはほぼ不可能ですから、
認知はまず無理でしょう。
元々性犯罪の立証はハードルが高いですからね。下手に合法化すると
より認知が難しくなる恐れがあります。
凶悪犯罪が起きるリスクを抑えるために、小さい犯罪が増えるリスクを取るか。
小さい犯罪が起きるリスクを抑えるために、凶悪犯罪が増えるリスクを取るか。
そういう選択だと思います。
「私は絶対に許さない」という性犯罪被害者の手記を書籍化したもの
があるのですが、読んでみると本当に目を覆いたくなるくらい被害者の
闇が深いことが分かると思います。
強姦と和姦との境界線が同じように曖昧だからといって、和姦も法律で禁止しろということになりますか。
「和姦」と一括りにするほど単純な問題ではないはずですが…。
どちらにせよ合法化自体が犯罪を減らすのではなく
それを取り巻く環境、人員やインフラが犯罪を防ぎます。
合法化してもバックグラウンドが中途半端だと、返って性的搾取や人身売買の
温床になります。オランダはホワイトカラー化してしまった性犯罪に
対して新たなる制度の構築を試みていますが課題は山済みです。
真似するからには細部までとことん模倣する覚悟が必要です。
当然、性カウンセラーの人員を増強しなければなりませんし、
性教育も改革しなければなりません。
結局はやる気の問題です。
軽はずみで中途半端なことやるぐらいなら、
やらない方がマシということです。
強姦と和姦との境界線が曖昧であるという理由で、和姦を法律で禁止することができないのと同じように、強姦と売春との境界線が曖昧であるという理由だけで、売春を法律で禁止することはできないということです。
えっとですね。これは手法の話ではないでしょうか?
確かに理想はその通りなのですが、現状それを実行するだけの基盤が無いのが現状なのですよ。ニュージーランドみたいにセックスワーカーたちが結束して広告活動を行い社会的地位を向上させた結果として非犯罪化を勝ち取った背景があるのなら。互いが互いをケアし合って問題が起こったらみんながその情報を共有して対処するという形が可能ですが、日本はそこまでの段階に至っているかどうかというところです。事実、そういった事情を無視して見切り発車で合法化したらかえってセックスワーカーを追いつめる結果になってしまったという報告は多数あります。※なので現在は合法化ではなく非犯罪化を求める声が大きくなりました。
例えば、自衛戦争と侵略戦争の境は非常に曖昧で事実歴史上の侵略は自衛の名のもとに行われてはいますが。それはそれとして予防攻撃は合法になっているかというとそうではないでしょう。実効性がない場合、一定の区画を定めて切り離すという手法は確かにあります。無論あくまで対処法にすぎないので解決には結び付きませんが、ほかに対案がない以上そうするしかない。
積み上げられた石全てをチェックして黒い石を探し出すのは時間が掛かりますから、疑わしい区画を定めて根こそぎ取り出して後でじっくり探す。巻き込まれた石にしてみれば堪ったもんじゃありませんが管理する側にしてみれば限られた人員と予算で行うにはこれが一番最適です。なので「それを言ったらこれだって同じじゃん」みたいな論法はいささか話がずれているのではないでしょうか。
なお私は売春をダメだとは思っていませんが、今すぐ合法化しろという話なら大反対です。
強姦だったのか和姦だったのか、後でもめないようにするために、セックスの合意確認にブロックチェーンを使うというサービスがあるそうです。アプリを使って、セックスする契約をブロックチェーンに記録したり、ブロックチェーンに記録された契約を確認することができるのだそうです。
メタファーに医師、看護師、マッサージ師を挙げていますが売春は高高度専門職なのですか?
どちらも資格が必要なので、明日からなろうといってなれるような職業ではありません。
マッサージ師ですら資格取得に3年の期間を要します。一部医療行為が許されているためです。
分かっていて挙げているのなら、売春は高高度専門職(高度な資格や訓練が必要な職業)ということになるのですが…。
マッサージ師には資格という参入障壁があるので、サービス料金には相応のプレミアムが付きます。他方で売買春にはそうした障壁はありませんが、3K労働なので、オランダやドイツがやっているように合法化して、公的社会保障制度に組み込んで労働者を保護しても、3K労働ゆえのプレミアムが付きます。だから、合法化して他の職業なみにすれば、サービス料金がマッサージ料金並みに低下するという予測は間違っていないと思います。
なんで売春婦が馬鹿にされるって、そりゃ金の為なら何でもする奴なんか馬鹿にされて当然だろ。
貴方は金の為に細木数子にクンニ出来ますか?
出来る男を俺なら軽蔑する。
もう一つ貴方に聞きたい。
貴方の母親は売春婦でしたか?
俺の母は断じて違う。
同じ水を飲むという行為でも便所の水を飲むのと蛇口から水を飲むのは違う
ここで問題にしていることは、「なぜ売春婦が馬鹿にされるか」ではなくて、「なぜ売買春が法律で禁止されているのか」です。世の中には、世間から軽蔑されているけれども、法的には禁止されていない職業があるのだから、この二つの問いは別物です。
この題名は「なぜ売春をしてはいけないのか?」
>>現在日本では、売買春は法律で禁止されている。そして、多くの男たちは、「買春は悪だ」と、少なくとも頭では理解している。体が言うことを聞くかどうかは別として。では、この長く信じられてきた価値観に根拠はあるのか。はたして、「誰にも迷惑をかけずに、お互い自由意志で合意してやっているのだから、なーんにも悪くないじゃん」と開き直る売買春肯定論者の主張を、説得力ある理由を挙げて論破することは可能だろうか。いくつか候補を挙げて、その妥当性を検討してみよう。
売春婦は悪=馬鹿で何も間違いではないと思いますが?
何故法律で禁止されてるかってそりゃ国にとって有害だからです。
国とはつまるところ同じ言語や常識を共有する家族の集合体です。
売春婦がこの国の儒教の流れを汲む常識や価値観を共有しているとは誰も思っていない。
売春婦の母親が良い国民を育てれますか?
又なれますか?
少なくとも日本人では母親が売春婦の偉人を知らないし、自分の周りにもいない。
子供は唯産めば良いというものではない。
良い教育を受け、道徳心のある家族の中で育つほうが良い国民になるからです。
>>13
ここで問題にしていることは、「なぜ売春婦が馬鹿にされるか」ではなくて、「なぜ売買春が法律で禁止されているのか」です。世の中には、世間から軽蔑されているけれども、法的には禁止されていない職業があるのだから、この二つの問いは別物です。
この二つの問いは全く別物ではありません。
日本人にとって売春は、あまりにも常識外れで軽蔑するしかないから合法化されないのです。
法律も人間が作る以上感情とは無縁ではありません。
「自分の母親がソープで働いていてその金で、自分を大学に入れてくれた!自分はそれを誇りに思う!売春婦を合法化しよう!」
という政治家が現れて国民の支持を取り付けれれば合法になるでしょう。
そんな事が起こりえるか、自分がその政治家だったとして同じ考えになるのか?
その答えが全てでしょ
犯罪者の中には知能犯もいるし、逮捕されないまま時効になったケースもあるから、悪人がすべて馬鹿とは言えません。また馬鹿だけれども法に違反しない人もいるから、《悪=馬鹿》という等式は成り立ちません。
たしかに、別物ではあっても無関係ではありません。しかし、「売買春は軽蔑するべき行為だから法律で禁止されるようになった」のか、それとも「売買春は法律で禁止されるようになったから違法行為を行う者が軽蔑されるようになった」のかはよく考えてみる必要があります。売買春が合法であるオランダやドイツでは、日本でのような軽蔑の対象にはならないので、後者の側面が大きいかと思います。
儒教的な価値観ゆえに、日本では売買春が禁止されているということですか。それなら、儒教が幕府の奨励により最も熱心に学ばれていた江戸時代に公娼制度が存在したという事実をどう説明するのですか。日本で売買春が法律で禁止されたのは第二次世界大戦後のことで、実は歴史が浅いのです。だから、現在のあなたの主観的な感情を日本の伝統のように普遍化するのはおかしいと思います。
国民が主権を持っていない時代は、為政者にとって下々のガス抜きがあった方が都合が良かっただけで、娼婦が忌避される仕事であった事に変わりありません。
名藩主上杉鷹山は藩内から売春を撤廃しました。職に貴賎無しと言った石田梅岩は士農工商の事を言ったのであり、娼は入っていません。
勝海舟は地獄屋に入った事で三条実美から忠告を受けています。
この時勝海舟は知り合いに会いに行っただけと言い訳をしています。
又江戸時代売春婦には厳密なランクがあり、今でいうソープ嬢やチョンの間の様に時間で区切って一日に何人も相手をする娼婦は夜鷹と呼ばれ娼婦の中でも最下層の扱いでした。
この時代の高級娼婦は今でいうキャバクラ嬢に近い。一言に娼婦と言っても今とはシステムが違うのです。
又昔は生活保護や、親の借金をチャラに出来る法律も不十分でした。身売りされて泣く泣く娼婦になった人が大半でした。
昔の売春婦は現代の軽い気分で自ら進んで売春婦になった女を見て仰天するかもしれません。
現代とは風俗のシステムが違い、娼婦の成り立ちも違い、政治も違い、多少娼婦に対して同情の向きはあっても、職業としての売春の立場は今とそう変わらないことは明らかです。
>>犯罪者の中には知能犯もいるし、逮捕されないまま時効になったケースもあるから、悪人がすべて馬鹿とは言えません。また馬鹿だけれども法に違反しない人もいるから、《悪=馬鹿》という等式は成り立ちません。
これは僕の書き方に問題がありました。
馬鹿=愚かと置き換えて頂ければ、僕の主張が理解頂けると思います。
いかに知能や学歴が高かろうと犯罪を犯す者や、人の道から外れた者に対する評価は、率直に言って馬鹿だなぁというのが正直な感想だと思います。売春婦に対する人々の反応も同じです。
>>売買春が合法であるオランダやドイツでは、日本でのような軽蔑の対象にはならないので、後者の側面が大きいかと思います。
自分は売春合法国はマフィアに金を流さず、きちんと税金を納めさせる苦肉の策を取っているだけだと思っていたので、軽蔑の対象にならないとは初耳でした。具体的に例を挙げて頂きたく思います。
《馬鹿=愚か》であることは、法律で処罰する根拠にはならないことを理解してもらえたでしょうか。例えば、すべての高校受験に失敗した中学生がいるとしましょう。同級生からは軽蔑され、馬鹿扱いされるでしょうが、だからといって、国や自治体がそれを処罰する必要はありません。
愚かな行為で失敗するなら、その失敗がペナルティとして機能するので、被害が他者に及ぶような場合を除けば、第三者がそれに加えてペナルティを課す必要は原則としてないのです。
私は、売春が必ずしも愚かな行為だとは思っていませんが、仮にすべての売春が愚かな行為だとしても、それは売春を法律で禁止する理由にはなりません。
ドイツやオランダでは、売春婦(セックス・ワーカーなど、侮蔑的ではない名称で呼ばれている)は国の管理下にあるので、公務員に準ずる扱いになっています。
これは言いすぎで、現状、セックス・ワーカーの社会的地位はそれほど高くはありませんが、少なくとも、日本のように日陰者扱いされていないことは確かです。
私は、儒教的な価値観ゆえに日本で売買春が禁止されているということはないと問題提起したのに、それには答えていませんね。
儒教は夷狄蔑視、商業蔑視の思想ですが、上杉鷹山は、西洋医術を積極的に取り入れ、産業振興に力を入れた開明的な君主で、当時の武士としては、儒教の影響をあまり受けた人ではありませんでした。
中国や朝鮮といった儒教社会でも、売春は禁止されませんでした。1950年代に中国で売春を禁止したのは、儒教を解体した毛沢東でした。儒教的な価値観ゆえに売買春が禁止されるというのはおかしいでしょう。
>>儒教的な価値観ゆえに売買春が禁止される
などとは一言も僕は言っていません。
むしろ儒教は身売りを促進してきた側面があります。
しかし、儒教が売春を奨励しているわけでなく、親の為に子は尽くすべきという考えがあるから、貧しい時代は親が子を売る事も止む無しとされていたに過ぎません。
現代の売春婦が親に売春行為をしているなどと告げれば、親不孝に他なりません。
だから常識外れだと言う事です。
売春に対してはキリスト教の方が厳しいと思います。
これはやはりキリスト教が先生の言う様に去勢宗教だからでしょう。
とすれば
>>
ドイツやオランダでは、売春婦(セックス・ワーカーなど、侮蔑的ではない名称で呼ばれている)は国の管理下にあるので、公務員に準ずる扱いになっています。
当然国が認めている以上、表面上尊重する態度をとるのは当然です。
しかし、それと世間一般の売春に対する考えは別でしょう。
ドイツ人やオランダ人は娘や母親が売春する事にも心の抵抗が無いのでしょうか?
売春を認めているのは、ただ売春する人間は自分とは関わりがないから良いと言う冷たい個人主義から来てるのでは無いですか?
僕は売春を禁止すべきだとは思いませんが、合法化すべきとも思いません。
日本は長らく売春は合法でしたが違法になったのは他でもなく外国の批判が切っ掛けでした。
なのに今度は外国を真似て売春を合法化するのは時代に逆行する愚行でしょう。
しかし売春行為を求める人間が一定数いる以上妥協点があった方が国民の自由という観点からは必要なので法律で完全に禁止するのも良くない。
今の日本の売春事情はベストでは無くてもベターだと思います。
法律は国を形作る為の枠であり、人々の無意識の価値観に影響を及ぼす様な力はありません。
大勢の人々の根底意識に働きかける強大な力のある物は、もっと原始的でシンプルな物だと思います。
それは宗教ではないでしょうか?
何故売春が悪であるか?
世界宗教が売春を悪としたからです。
人間は元々乱交生殖する生き物で去勢宗教が広まる迄は性に対して寛容でした。
ギルガメッシュ叙事詩にも売春婦が肯定的に書かれているし、神殿売春なるものもあったとされています。
しかし去勢宗教が広まり、性に対して不寛容になり売春も否定される様になった。
これがこの問いに対する答えではないでしょうか?
>>儒教は夷狄蔑視、商業蔑視の思想ですが、上杉鷹山は、西洋医術を積極的に取り入れ、産業振興に力を入れた開明的な君主で、当時の武士としては、儒教の影響をあまり受けた人ではありませんでした。
本題からずれますが、先生程の人が中国や韓国の様に儒教を曲解しているのは非常に残念です。
渋沢栄一は儒教を信奉していましたが決して夷狄蔑視、商業蔑視してはいませんでした。
上杉鷹山も学のある人で決して儒教の影響を強く受けている事は間違いありません。
先生の宗教論は非常に斬新で目から鱗だったので、儒教も今一度見つめ直して新しい側面に光を当てて頂きたい。
脱線失礼しました。
そうですか。では、もう一度、9月29日の発言を引用しましょう。
これを素直に読むなら、日本という国は、儒教の流れを汲む常識や価値観を共有する家族の集合体で、売春婦はその常識と価値観を共有しないから有害で、だから法律で禁止していると解釈できるのですが、違うのですか。違うなら、なぜ有害と言えるのですか。
中国や韓国が儒教を曲解しているということは、現実に存在した儒教とは別の理想化された儒教を念頭に置いているのですか。日本の伝統的な常識や価値観という文脈で儒教を論じるのであるなら、自分で理想化した儒教ではなくて、現実に存在した儒教で考えなければならないと思います。日本人に影響を与えた儒教と言えば、徳川幕府が正学として推奨した朱子学です。そして朱子学が夷狄蔑視、商業蔑視の思想であることはよく知られているとおりです。
拙著『ファリック・マザー幻想』でも書いた(p.70-71)ことですが、日本の遊女はかつては巫女のような存在、つまり、オリエントの神聖娼婦と同じような宗教的存在でした。賤業視されるのは南北朝以降のことです。だから、売春婦は昔から軽蔑されていたということはないのです。
>>これを素直に読むなら、日本という国は、儒教の流れを汲む常識や価値観を共有する家族の集合体で、売春婦はその常識と価値観を共有しないから有害で、だから法律で禁止していると解釈できるのですが、違うのですか。違うなら、なぜ有害と言えるのですか。
素直に読んだ通りです。売春婦は常識外れだから悪とされ法律で禁じられる。
※売春防止法
売春防止法が定める法律の目的の中にも、次のとおり明確に示されている。
「この法律は、売春が人としての尊厳を害し、性道徳に反し、社会の善良の風俗をみだすものであることにかんがみ、売春を助長する行為等を処罰するとともに、性行又は環境に照して売春を行うおそれのある女子に対する補導処分及び保護更生の措置を講ずることによって、売春の防止を図ることを目的とする」(1条)
性道徳とは正に日本的常識の事だと僕は考えます。
日本の常識とは、環境、仏教、儒教、大きな屋台骨はこの3つから出来ています。
ただ単に儒教の教えから外れるから禁止になったという訳ではありません。
>>中国や韓国が儒教を曲解しているということは、現実に存在した儒教とは別の理想化された儒教を念頭に置いているのですか。日本の伝統的な常識や価値観という文脈で儒教を論じるのであるなら、自分で理想化した儒教ではなくて、現実に存在した儒教で考えなければならないと思います。日本人に影響を与えた儒教と言えば、徳川幕府が正学として推奨した朱子学です。そして朱子学が夷狄蔑視、商業蔑視の思想であることはよく知られているとおりです。
朱子学に夷狄蔑視、商業蔑視の一面があるからと言って儒教がそうだと言うのは、浄土真宗が他力本願だから仏教がそうだと言うぐらい暴論です。
僕や渋沢栄一が儒教を勝手に理想化していたと決めつけるのは勝手ですが、どんな優れた教えも現実に活かせなければ机上の空論です。教えを活かせるか活かせないかは受け手次第です。活かせる受け止め方の方が正しい解釈なのではないですか?
>>拙著『ファリック・マザー幻想』でも書いた(p.70-71)ことですが、日本の遊女はかつては巫女のような存在、つまり、オリエントの神聖娼婦と同じような宗教的存在でした。賤業視されるのは南北朝以降のことです。だから、売春婦は昔から軽蔑されていたということはないのです。
南北朝時代以前からないと昔ではないのですか?
僕は常識とは伝統的な考えだと思います。
上杉鷹山は船来の思想で売春を禁じたのでは無く、現在の常識と変わらない道徳感で売春を禁じたのではないか?と思います。
>>日本で売買春が法律で禁止されたのは第二次世界大戦後のことで、実は歴史が浅いのです。だから、現在のあなたの主観的な感情を日本の伝統のように普遍化するのはおかしいと思います。
だから何が言いたいかと言うと、常識的価値観がわからない先生がおかしいのではないでしょうか?
日本で売春が悪とされるのは常識外れだからであり、世界で売春が悪とされるのは去勢宗教が売春を悪としているからです。
先生は売春合法化賛成の様ですが、先生の説をとるなら売春禁止派じゃないとおかしい。
日本は少子高齢化社会であり、売春が人口を抑制するなら売春を取り締まるべきではないですか?
もっとも
>>売買春の合法化は人口増加を抑制し、種の存続を危うくする(あるいは少なくともそう信じられている)から非難されるというものだ。
この説自体が完全に間違っています。
少なくとも僕は売春を非難するとき人口の事を考えている訳でも、女性の地位を心配している訳ではなく、常識から非難している。
もし、売春が種の存続に関わるなら種の個体数調整機能が人間に備わっているという事になりますが本能的に備わった物なら個体が異常に過密状態になった時売春を行うという事になる筈です。
レミングの自殺は捏造でしたし、増え過ぎた動物が資源を食い尽くしたりして結果として減る事があっても、そうなる前に自ら個体数を調整出来る動物を僕は知りません。
ボノボは遊びでSEXしますが個体数は少なく、しかしそれが原因で数が少ないのだとはどう考えてもおもえません。
後天的な学習の結果とも思えません。
僕がそうじゃないからです。
あと、水の例で批判しましたが専業主婦がSEXで飯を食っていると言うのは完全に間違いや非常識どころか邪悪其の物の暴論です。
上杉鷹山は、ヒューマニストで、仮に当時の国家公認の宗教が儒教(朱子学)ではなくて、キリスト教であったとしても、彼は同じことをしたでしょう。その意味で、儒教(朱子学)は関係がないだろうと思います。
同じ話の繰り返しで、水掛け論になっていますが、私は儒教が本来どうあるべきかといった理想論はしていません。あなたが曲解されているという儒教、すなわち朱子学が官学化した明清王朝時代の中国、李氏朝鮮時代の朝鮮半島、江戸時代の日本で売春が禁止されなかったという歴史的事実を認めてくれればそれで十分です。
人類史30万年、縄文時代以降の日本人の歴史1万6千年と比べるなら、南北朝時代から現代までの700年にも満たない期間は短いと言えます。売春は、他の類人猿でも確認されることから、よく言われるように「人類最古の職業」と考えられますが、賤業視の歴史が700年にも満たないのなら、それは人類(あるいは日本人)不変の価値観とは言えないし、今後変わる可能性もあるということです。だからこそ、なおさら、売春を悪とみなす常識の根拠を考えてみる必要があるのです。
売春防止法の第一条は、「売春は悪だから、売春は悪である」と言っているだけです。「尊厳」とか「善良の風俗」とかといった価値語を持ち出すと、「価値があるものは価値がある」という主張になってしまうし、性道徳に反することを根拠に法律で禁止するなら、それは「規範に反する行為は規範に反する」という主張になってしまいます。性道徳の代わりに常識を持ってきても同じで、「悪は悪だ」というトートロジー的な空虚さを抜け出していません。なぜ売春は道徳に反するのかをさらに突っ込んで考えなければならないのです。
もしも、常識は疑うべきではないと考えているのなら、このサイトには来ないで、常識の世界で惰眠を貪ればよい。このサイトは哲学系サイトで、哲学というのは、「世界は実在する」とか「他者は存在する」とか、普通の人が疑わない常識を疑う学問だからです。なお、常識を疑うということは、必ずしも常識を否定するということではありません。根拠なく信じられている信念に根拠があるかどうかを吟味するということです。
私は少子高齢化は良い傾向だと思っています(詳細はリンク先を参照してください)。もうじき不老不死の時代がやってきそうだということを考えるなら、出生率を高めることは、資源枯渇や環境負荷という点で好ましくない。もっとも、売買春合法化は、別の理由で賛同しかねます。日本のような国でそれをするとなると、国家が強力に介入する官製ビジネスとなり、公営ギャンブルがそうなったように、役所の利権の肥大化をもたらしかねないからです。
セックスの価値を下げるには、売春防止法よりも刑法の猥褻物頒布等の罪の規制を緩和する方がスマートです。見たくない自由を守りつつ、見たい自由を今よりも認めるのです。インターネットがグローバルに普及した現在、日本限定で猥褻物頒布の取り締まりをしても意味がありません。
70年代後半以降、世界的に出生率が低下している理由はいろいろありますが、ポルノ技術の向上をその一つに挙げることができます。日本では80年代にアダルト・ビデオが普及し、現代ではオンライン上に無料で視聴できるポルノビデオが氾濫しています。今後は、バーチャル・リアリティ技術の普及、セクサロイドの開発などが進み、バーチャル・セックスはますますリアル・セックスに近づくことでしょう。そうなるとセックスの価値が暴落し(もうすでに大幅に下落していますが)、生涯未婚率はさらに上昇し、出生率はさらに低下することでしょう。世の中うまくできているものです。
個人の表層レベルの意識の話と社会全体に及ぼす影響の話とを混同しています。実は、私は、ヘーゲルが謂う所の「理性の狡智」的な発想で、この問題を考えています。理性の狡智とは、近視眼的に欲望を追い求める個人を手段として利用しながら理性が自己実現するという考えで、生物学に応用するなら、種は、近視眼的に欲望を追い求める個体を手段として利用しながら種の存続を実現するという種の狡智を想定することができます。
男は結婚にロマンを求める傾向があるけれども、女は打算的ということが多い。もとより女は結婚する時にはその本性を隠しているので、男はそれに気が付かずに結婚するというのがよくあるケースです。
>>よく言われるように「人類最古の職業」と考えられますが、賤業視の歴史が700年にも満たないのなら、それは人類(あるいは日本人)不変の価値観とは言えないし、今後変わる可能性もあるということです。
当然不変の物はありませんし、先の事はわかりません。しかし人類は地球レベルで見れば売春婦が肯定的に見られた古代より爆発的に増えており、先生の説と矛盾します。
>>人類史30万年、縄文時代以降の日本人の歴史1万6千年と比べるなら、南北朝時代から現代までの700年にも満たない期間は短いと言えます。
そりゃそうだが、700年の歴史があれば伝統と言えると僕は思ったんで。
>>なぜ売春は道徳に反するのかをさらに突っ込んで考えなければならないのです。
人口やSEXの価値は道徳と関係ないというのがさらに突っ込んだ僕の考えです。
>>もしも、常識は疑うべきではないと考えているのなら、このサイトには来ないで、常識の世界で惰眠を貪ればよい。
常識を疑うべきではないとは一切僕は言っていません。常識を疑うなら常識がなんなのか理解していないと疑う事すら不可能です。残念ながら先生は常識を持っていなくて、理解も出来ないようですが。
>>個人の表層レベルの意識の話と社会全体に及ぼす影響の話とを混同しています
社会も個人が集合体です。なのに社会を語る時自分の主観を述べるのは間違いなのですか?先生の意見には一切ご自身の主観は入っていないのですか?入っていないならどういう視点から物事を観察しているんですか?
>>種は、近視眼的に欲望を追い求める個体を手段として利用しながら種の存続を実現するという種の狡智を想定することができます。
何を仰っているか分からないのですが?それがどう売春は個体数を調整するという理論を補強するのですか?
>>男は結婚にロマンを求める傾向があるけれども、女は打算的ということが多い。もとより女は結婚する時にはその本性を隠しているので、男はそれに気が付かずに結婚するというのがよくあるケースです。
これこそ主観では無いですか?しかも何に基づいた意見なのですか?そういう統計データがあるのですか?
>>男は結婚にロマンを求める傾向があるけれども、女は打算的ということが多い。もとより女は結婚する時にはその本性を隠しているので、男はそれに気が付かずに結婚するというのがよくあるケースです。
更に疑問があるんですがこれが売春婦と専業主婦を同列に語る根拠なんですか?
何の関係があるんですか?
儒教の時のように、常識をあなたが勝手に理想化して考えているのなら話は別ですが、常識的な意味での常識なら、私はその内容を認識しています。
常識を疑うというのなら、道徳の内容がなぜそうなっているのかまでさらに突っ込んで考えてください。私たちは、思考能力に限界があるので、日常生活においては、個別行為をするたびにその行為がもたらす影響を考えて決断するということは通常していません。ルールを決め、そのルールに従って行動しています。でも、そのルール、あるいはルールのルール…は、究極的には、種の生存戦略とは無関係には決まらないというのが私の考えです。
矛盾していません。人類史は、大まかに言って、売春が肯定的に受け止められた時代、否定的に受け止められた時代、法律で禁止されている時代という変遷をたどってきました。売春が否定され、セックスの希少価値が高められるにつれて人口増加率は高まってきました。ただし情報社会の時代になって、バーチャル・セックスがリアル・セックスに近づき、そのコストが下がるにつれ、人口増加率は減少しました。これらは私の説通りです。
対象レベルの即自的意識とそれを対自化したメタレベルでの反省的意識は異なります。つまり、ルールに従っている時と、そのルールの妥当性を批判的に吟味する時では、意識のレベルが違うということです。
規範にしたがっている個々人の即自的意識だけを観察しても、その規範の遵守が持つ社会に対する影響を観て取ることができないということです。
結婚相手に求める条件には男女差があります。女性は男性よりも、圧倒的にパートナーの経済力と経済的安定を重視します(参考:楽天リサーチの結果)。専業主婦が絶滅しそうになっている現代ですらこうですから、専業主婦が当たり前であった過去においては、この差は歴然としていました。
パートタイマーと終身雇用の正社員を同列に語れないという意味でなら、同列には語れないでしょう。
>>常識的な意味での常識なら、私はその内容を認識しています。
常識がない人間が常識を認識できているとは滑稽です。常識を認識しているなら常識がなんなのか?何で出来ているのか?先生の説を説明し、結論と関連づける説明をするべきです。正にブーメラン↓
>>「尊厳」とか「善良の風俗」とかといった価値語を持ち出すと、「価値があるものは価値がある」という主張になってしまうし、性道徳に反することを根拠に法律で禁止するなら、それは「規範に反する行為は規範に反する」という主張になってしまいます。性道徳の代わりに常識を持ってきても同じで、「悪は悪だ」というトートロジー的な空虚さを抜け出していません。
>>究極的には、種の生存戦略とは無関係には決まらないというのが私の考えです
自ら個体数を減少させる生存戦略が今より過酷な環境の古代でどう有利に働くんですかね?
ボノボは過酷な生存競争が繰り広げられている自然界の中で自ら個体数を減らしているんでしょうか?
生存戦略というからには本能的なものの様ですが、本能ならどうやって人口が増え過ぎた減り過ぎたいう事を認識できるんですか?全人類が無意識を共有してるんですか?
>>つまり、ルールに従っている時と、そのルールの妥当性を批判的に吟味する時では、意識のレベルが違うということです。
意識のレベルが違うと主観を一切排する事が出来るんですか?そもそも意識のレベルって何ですか?レベルが上がると神の目線になれるんですか?
>>規範にしたがっている個々人の即自的意識だけを観察しても、その規範の遵守が持つ社会に対する影響を観て取ることができないということです。
そう思う根拠は何ですか?主観ですか?レベルが違う目線ですか?
>>パートタイマーと終身雇用の正社員を同列に語れないという意味でなら、同列には語れないでしょう。
先生の説に従えば、売春婦は人口を減らすのが目的で専業主婦は増やすのが目的で存在しているんですよね?
対極の位置に存在するものを同列に語るのはパートと正社員どころか、深海魚とツバメ位違うんじゃ無いですか?
同じ動物だから同列に語るんですか?飛行機と鳥は何方も空を飛んでますが同じ存在何ですか?
SEXする目的が違うなら需要も違うんじゃ無いですか?
鳥が増えたら飛行機の乗客は減るんですか?
>>結婚相手に求める条件には男女差があります。女性は男性よりも、圧倒的にパートナーの経済力と経済的安定を重視します(参考:楽天リサーチの結果)
これで女性が全て売春婦等と言うのは噴飯物です。
このデータから解るのは女はより頼りになる男を選ぶと言う事実です。
子供を育てるのはコストがかかり、同条件の男が2人いて一方が貧乏、一方が金持ちなら頼りになる金持ちを選ぶと言うのは当然の選択です。
金次第でパートナーを選ぶと言う事を示すデータではありません。
そして金は2次的要素であり、盗む事の出来ない男性そのものの1次的要素でしかありません。
女は頼りになると思う男、リーダーシップのあると思う男を選びます。
この説ならリーダーシップを履き違えた女が金持ちでも無い不良やDV男をパートナーに選ぶ理由も説明出来ます。
>>そして金は2次的要素であり、盗む事の出来ない男性そのものの1次的要素でしかありません。
間違えました。
そして金は2次的要素であり、盗む事の出来ない男性そのものの1次的要素ではありません。
常識的な意味での常識(common sense)とは、共通感覚(common sense)です。個人が個別に所有する知ではありません。共通感覚はコミュニケーションのベースで、二人がこれを共有しないと両者の間で会話が成り立ちません。あなたが私と議論しようとしているということは、あなたが私に常識があると考えている証拠です(ブーメラン)。常識があるから、話せばわかると思って議論を続けているのですよね。もし本当に私には常識がないと思っているのなら、時間の無駄だから、この議論をきっぱり中止にするべきです。
あなたは個体数の増加が無条件に種の存続に有利に働くと思っているのですか。生産能力が貧弱だった時代に人口を賄いきれないぐらいに増やすことは、かえって種の存続に不利になってしまいます。
一例をあげましょう。これは人間以外の生物にも見られる現象ですが、一般に、人間は、生存の危機に瀕すると性欲の高まりを感じます。真珠湾攻撃があった後、米国では出生率が上昇しました。個々人はただ性欲が高まってセックスしただけで、特段目的意識があったわけではありませんでした。しかし、社会全体としては、戦争に対する適切な対応になっています。こうしたことは、個人の目的意識には現れず、統計を取って、学問的に考察して初めてわかることです。なぜこのようなメカニズムが作動するようになったかと言えば、それは自然淘汰説で説明する他なさそうです。
人は神のような全知全能ではありませんが、即自的な意識を対自化する能力はあります。カント的に言えば、経験的意識に対する超越論的意識に相当し、神のような超越的意識とは異なります。カントは形而上学しか念頭に置いていませんが、人間原理や自然淘汰説は超越論的な認識と言えるから、科学的認識にも応用できると思います。
既に「思考能力に限界があるので」という理由を挙げています。
私は、「目的」という言葉を使わず、「社会全体に及ぼす影響」という言い方をしました。それは、目的は個々人の日常レベルの意識に現れるからです。
違法か合法かという点では、断絶的な対極にありますが、オランダやドイツのように合法化している社会もありますから、それは本質的な違いではありません。パートタイマーと終身雇用の正社員との間に中間的な雇用形態があるように、買春と通常の専業主婦との結婚の間にも中間的な形態があります。例えば、遺産目当ての高齢の金持ちと結婚、短期の売春とは異なる長期の愛人契約などです。こうした中間形態が存在するがゆえに、私は両者を連続的なスペクトラムの中に位置づけることができると思っています。
「頼りになる」の中身が違います。引用した楽天リサーチの結果では、男にとって頼りになる女というのは、家事をまかせられる女です。この点で男女間で大きな違いが出ています。専業主婦がほとんどいなくなった現在ですら、男女間にはこのような非対称性があるのです。
>>あなたは個体数の増加が無条件に種の存続に有利に働くと思っているのですか。生産能力が貧弱だった時代に人口を賄いきれないぐらいに増やすことは、かえって種の存続に不利になってしまいます。
食料を食い尽くす前に自ら個体数を制御出来るなら餓死者等いない筈ですよね?
又本能的行動なら人間以外の生き物でも個体数自己調整機能がある筈ではないですか?
人間は神に造られた特別な存在だから人間固有の能力であり、生存戦略だと言うんでしょうか?
違うならボノボは個体数を自ら調整しているんですか?
人間の先祖を含む多くの種は個体数を増やそうと思っても過酷な環境や外敵に阻まれて現在ほど増殖できなかっただけです。
>>違法か合法かという点では、断絶的な対極にありますが、オランダやドイツのように合法化している社会もありますから、それは本質的な違いではありません
法律がある目的は国を上手く纏める為で、それは日本だろうがオランダだろうが変わりません。
飛行機と潜水艦は同じ乗り物ではないのでしょうか?
>>買春と通常の専業主婦との結婚の間にも中間的な形態があります。例えば、遺産目当ての高齢の金持ちと結婚、短期の売春とは異なる長期の愛人契約などです。こうした中間形態が存在するがゆえに、私は両者を連続的なスペクトラムの中に位置づけることができると思っています。
ここのテーマは「売春は何故悪とされるのか?」でしたよね?
そして其れが常識でありそれは何故か?と言うテーマであると認識しています。
つまり合法、違法の議論ではない。
>>遺産目当ての高齢の金持ちと結婚、短期の売春とは異なる長期の愛人契約など
これは世間の常識的な男女関係ですか?
福沢諭吉も学問のすすめで女を囲う男を厳しく批判しています。
紀州のドンファンの若妻を見る世間や警察の目はむしろ売春婦より厳しい。
常識外れで世間から悪と見なされている時点で売春婦と変わりません。
>>
私は、「目的」という言葉を使わず、「社会全体に及ぼす影響」という言い方をしました。それは、目的は個々人の日常レベルの意識に現れるからです。
戦略なら目的があって当然ではないですか?何か行動して影響があると言うのは唯の結果や予想です。
>>あなたが私と議論しようとしているということは、あなたが私に常識があると考えている証拠です(ブーメラン)。常識があるから、話せばわかると思って議論を続けているのですよね。もし本当に私には常識がないと思っているのなら、時間の無駄だから、この議論をきっぱり中止にするべきです。
貴方に常識があるか無いかは正直分かりかねます。
何故なら「専業主婦はSEXで飯を食っている」とか「売春は人口を制御する正しい行為で女が全て格安で体を売り、其れを法律で認める社会が理想の社会」と主張し、其れを名前や立場を明らかにした上で発表すると言うのは狂気の沙汰であり、この点だけを見れば常識がある人間とは思えないからです。
しかし本当に常識のない人間で売春が正しいと思っているなら大学でも
「売春は世間一般では悪とされているが、実は人口を抑制する正しい行為だ!女学生は格安で身体を売りなさい!先生も後で率先して買いに行く!」と自説を展開する筈で、そんな人が塀の外にいるとは考えにくい。
それに僕がした1番肝心な質問に真っ先に答える筈です。
貴方の母親は売春婦でしたか?
貴方は金の為に細木数子にクンニ出来ますか?
「自分の母親がソープで働いていてその金で、自分を大学に入れてくれた!自分はそれを誇りに思う!売春婦を合法化しよう!」
という政治家が現れて国民の支持を取り付けれれば合法になるでしょう。
そんな事が起こりえるか、自分がその政治家だったとして同じ考えになるのか?
これらの質問は言換えれば
「貴方に常識は有りますか?」と言う事に他ならない。
些か常識の無い無礼な質問だとは思いますが、常識があるか確認するには常識のない質問にどう反応するか観察するのが1番てっとり早い。
この質問を避けたと言う事は少しは常識があると考えられる。
では「何故この様な暴論に辿り着いたのか?」これが僕の疑問でしたが理解出来ました。
>>人間原理や自然淘汰説は超越論的な認識と言えるから、科学的認識にも応用できると思います。
つまり自己を離れた大きな事象から物事を考えるのが「超越論的な認識」だと思っており、小さな視点から物事を考えて自分の常識、主観から照らした物の見方は低レベルな取るに足らない視点だと切り捨てているからです。
僕は何方も同じ位大事で、主観を排すには主観を自覚しなければならないと思います。
残念ながら「売春は人口を制御する正しい行為で女が全て格安で体を売り、其れを法律で認める社会が理想の社会」と言うのは主観を省いた「超越論的な認識」に基づいた説どころか「モテない男の願望」に他なりません。
僕もそうだから気持ちは良く分かります…
女は打算的な売春婦で他の男に靡いているのも、金次第で自分に原因がある訳では無いと主観からくる願望、つまり正直に言えば僕もそう思いたい!
SEXだってモテねー俺には希少なんだよ‼️
高い金払わずにSEXしてえよ❗️
「売春は人口を制御する正しい行為で女が全て格安で体を売り、其れを法律で認める社会が理想の社会」
最高の社会じゃねーか‼️
しかし……非常に、非常に残念ながらこの説は明らかに間違っている。
議論を重ねて行くうちにそれは疑い様の無い事実だと、ますます僕はそう思わざるえません。
どうかそうではないと納得する理論を展開して欲しい。
其れが僕が議論を続ける理由です…
たとえ、人口を賄える範囲内に抑えることができたとしても、配分の不平等があるなら、餓死する個体が出ることはあります。
私が「これは人間以外の生物にも見られる現象です」と書いたことを見落としています。
ボノボは交尾を日常化することでその希少価値を下げており、ボノボの個体数が増加しないことは、私の説に合致しています。
紀州のドン・ファンの妻の場合、一時期殺人を疑われたから、厳しい目で見られたのであって、これを一般化することはできません。高齢の金持ちと結婚し、若妻が合法的に莫大な遺産を手にすることができたと聞けば、多くの女性は、タテマエはともかくとして、ホンネでは、その若妻を軽蔑するどころかむしろ逆にうらやましいと思うことでしょう。
生物学では、目的意識が全くない植物に関しても、生存戦略があると考えます。
「売買春をしてはいけない」という常識を否定しても、「売買春をしなければならない」ということにはなりません。たぶん、中学校か高校かで勉強したと思うのですが、“You must do it.”の否定形は (1) だけれども、否定文は (2) です。
(1) You must not do it.
(2) You don’t have to do it.
「売買春をしてはいけない」の否定文は「売買春をしてもよい」であって、「売買春をしなければならない」の否定文は「売買春をしなくてもよい」です。様相論理学的には、「売買春をしてもよい」と「売買春をしなくてもよい」は等価です。禁止と命令という両極端の間には自由という中間領域があり、禁止と命令の否定は、自由という中間領域を帰結します。だから、「売買春をしてはいけない」という常識を否定しても「女学生は格安で身体を売りなさい!」という命令文は帰結しません。
こうした様相論理学的な誤解以前に、「常識を疑え」という私の主張を「常識を否定せよ」と曲解する誤解があります。多くの人が根拠も考えずに信じている「売買春をしてはいけない」という常識をあえて疑い、どのような根拠があるかを考えるというのがこのページの趣旨であって、常識を否定せよと主張しているわけではありません。私が10月3日のこの回答で売買春合法化に賛同しかねると書いたのをもう忘れてしまったようですね。
答えがイエスかノーかということは、私の議論には全く影響を与えません。だからこうした非本質的な質問は無視したのです。
私は、個人的境遇や個人的感情といった特殊要因に基づいて社会改革を提案していませんし、またそうするべきでもありません。社会改革において必要なのは、有権者の大半を納得させることができる普遍性のある合理的根拠です。
私がもてるかどうかといった個人の特殊事情も、ネットという公共空間で社会変革について議論しているときには、度外視しなければなりません。ロールズ流に言えば、無知のベールが必要ということです。
「僕もそうだから気持ちは良く分かります」などの一連の発言を見ると、おそらくあなたは、社会変革は感情的共感に基づいてなされると考えているようですね。人間には、対話を通して感情的共感を求めるタイプと理性的納得を求めるタイプという二つのタイプがあって、異なる二つのタイプの人が対話ををしても、話がうまくかみ合いません。なぜならお互い相手に求めるものが違うからです。
このサイトは学術系サイトを目指しており、感情的共感ではなくて、理性的な納得を読者に与えようとしています。それにもかかわらず、感情的共感を求めるタイプの人がしばしばコメント・フォームに闖入し、そのたびに不毛な議論が行われます。不毛な議論を続けても時間の無駄だから、やめた方が双方のためになると思います。
『70年代後半以降、世界的に出生率が低下している理由はいろいろありますが、ポルノ技術の向上をその一つに挙げることができます。・・・そうなるとセックスの価値が暴落し(もうすでに大幅に下落していますが)、生涯未婚率はさらに上昇し、出生率はさらに低下することでしょう。世の中うまくできているものです。』
私も以前から、同じように考えています。資源枯渇と環境負荷の問題を解決するためには、その根本である人口増加の問題にアプローチする必要があります。なので、バーチャル・セックス等に関する技術開発やメディアを普及させ、リアル・セックスの価値を暴落させれば、結果として出生率はより低下し、「地球環境にやさしい」政策の一つになると思います。
一方で、そうした政策の推進には、いくつかのハードルやリスクがあると思っています。まず、そうした技術やメディアの普及で人口抑制が可能となるのは(すでにそうなっているように)所得が高く、技術やインフラが充実した先進国の国民等であり、本当に人口増加を抑制すべき開発途上国や新興国においてそのような政策を実現することが難しいということです。これは途上国における「売買春の合法化」と同様、大きなジレンマだと思います。
次に問題なのは、永井さんがこの論説で指摘されているように、これまで人間社会は、セックスの価値を暴落させるような行為については基本タブーとしてきましたので、そのような「バーチャル・セックス推進政策」も、社会から強い抵抗を受けるだろうということです。実際バーチャル対象で性欲が充足できる人間を(人権派も一丸となって)キモオタ・犯罪予備軍として叩く理由は、そのような一次的理由があるからだと推察しています。つまり学術的に合理性があっても、(少なくとも明示的な)政策としては実施しにくいという問題があると思います。(個人的には、芸術・創作活動に包摂させるのが妥当かと思っています)
さらに問題は、そうした「バーチャル・セックス推進政策」が地球・人類レベルでのリスクを低減させるために必要な施策だとしても、特定の地域(国)や特定の時期に急激に人口減少を起こすことは、その地域の住民・国民等にとって必ずしもメリットにはならないし、下手をすれば亡国のピンチになるだろうということです。もちろん、うまく人口減のスピードを調節して、すなわち調節できるようなアイデアと手法を編み出して、新たな持続可能な社会モデルを構築するというビジョンや戦略も(国民等が同意すれば)設定できるとは思いますが、相応のリスクはあると思います。そもそもそのような“賢い戦略”を取りうる国・地域がどれだけあるかという疑問がわきます。まあ、日本のようにすでにそのルートに入ってしまった集団は、もう腹をくくってピンチをチャンスにかえるしかないのかもしれませんが。
最後に、そうした人口抑制策が世界全体で行き過ぎた場合、つまり逆にもうそろそろ人口増加に向かってもいいんじゃないの的な状況になったとき、もう戻れませんね、ってことになると、それはそれで滅亡リスクだと思います(ボノボ・ルート)。あるいは、そのようなリスクが高まったときには、自然と人類はまた、人口増加に向かう個体を超える感性を得て、行動する(産めよ・増やせよする)ようになるでしょうか。今、人類は「父権宗教的な価値観」にはまりすぎて危険水域に向かっていますが、バーチャルにどっぷりつかったままの人口減少社会も行き過ぎると戻ってこれない気はします。
人口減少を誘導し、集団や人類の持続可能性を高める手法というのは、なにも「バーチャル・セックス推進政策」だけではないと思います。「父権宗教的な価値観」による人口増⇒資源枯渇・環境負荷増大のリスクを避けるには、どのような生存戦略が望ましいと永井さんはお考えでしょうか。ご意見をお聞かせください。
これは、不老不死が実現するかどうかにかかっています。不老不死の前段階として私が注目しているのは、再生医療が若返りの技術として普及する時期です。高齢者が若返るようになったなら、少子高齢化が問題視されなくなるでしょうし、子供の数を増やす必要もなくなります。
子供の数を増やす必要がある時が来るとするなら、大規模自然災害や戦争が起きた時です。既に述べたとおり、死の恐怖と性欲は隣り合わせで、人口が大幅に減れば、出生率も上昇します。東日本大震災が起きた時も、被災地で出生率が高まるという現象が見られました(参考:福島、出生率の伸び全国最大 14年)。
今や難民ですらスマートフォンを持っている時代ですから、その認識は少し古いのではないかと思います。以下は2019年現在で最新の地域別ネット普及率のデータです(出典:World Internet Users Statistics)。
一番貧しいアフリカですら、四割がネットにアクセスできることに注目してください。また、この数字には表れていませんが、生殖を行う若い人ほど、高齢者と比べてネットユーザーの割合が多いはずです。だから、途上国に対しても確実に影響は及んでいると思います。
もとより、欧米先進地域では普及率が九割近いのに対して、途上国が多い他の地域ではそれよりも低いのは事実です。しかし、こうした普及率のギャップにも合理性があります。再生医療のような先端技術も、先進国から先に普及するでしょうから、出生率を抑える必要も先進国の方が先に訪れます。だから、途上国の出生率の抑制も遅れてかまわないのです。
バーチャル・セックスを弾圧すればするほど、そうしたコンテンツへのアクセスに危険が伴えば伴うほど、かえって性欲が高まるので、結果として、バーチャル・セックスを推進していることになります。
永井様 ご返答ありがとうございます。
『バーチャル・セックスを弾圧すればするほど、そうしたコンテンツへのアクセスに危険が伴えば伴うほど、かえって性欲が高まるので、結果として、バーチャル・セックスを推進していることになります。』
なるほど。では、これからますますバーチャル・セックスは普及しそうですね(笑)また、投資先としても有望な市場だと思いました。暴対法で困っている人達のシノギ先としても有望と思いました(すでにやっている人はやっているのでしょうね)。
『一番貧しいアフリカですら、四割がネットにアクセスできることに注目してください。・・・だから、途上国に対しても確実に影響は及んでいると思います。』
ご紹介の統計を見て、改めて最近のスマートフォンの普及率ってすごいと思いました。確かに途上国におけるバーチャル・セックス・コンテンツの普及とその影響は、これまで私が考えているよりも早くに顕れるように思いました。
先進国は、バーチャル・セックスにアクセスできるグローバルなインフラやコンテンツを整備して、途上国の人口抑制を図るといいかもしれませんね。「売買春の合法化」よりは、悪影響が少ないかと思いました。
『不老不死の前段階として私が注目しているのは、再生医療が若返りの技術として普及する時期です。』
つまり「寿命は何によって決まるのか」で書かれている『老化した脳や心臓を含めた全身体の修復を多能性幹細胞で漸次行うことができるようになるなら、意識の自己同一性を維持したまま、人を若返らせることが可能になる』という時期ですね。
確かに、それがいつになるかでだいぶ人類の未来は変わってくることと思います。
ただ個人的には、再生医療の技術は、特定の臓器・組織の修復に使われることはあっても、『全身体の修復を多能性幹細胞で漸次行う』レベル、すなわち本当の「若返り技術」にまで至れるかというと、だいぶ懐疑的です。
なぜなら、それを実現するためには、再生医療の技術だけでなく、生体内の情報伝達や生体防御に係る神経系・免疫系等のメカニズムが解き明かされないとならないからです。細胞間の情報伝達は、量子的単位を持っているという仮説があるので、若返りのために、漸次新たな多能性幹細胞を入れ替えていく段階で、人間の意識の自己同一性を揺るがしかねない“何か”が生じるのではないかと思っています。従来型の臓器移植でも、移植者がドナーからの影響を受け、嗜好や人格が変化するという現象が確認されています。
Can An Organ Transplant Change A Recipient's Personality? Cell Memory Theory Affirms 'Yes'
これらは科学的には未解明であるものの、未知の事実が含まれると思います。多能性幹細胞を用いた「若返り実験」で、もしかするとそうした未知のメカニズムの一端が明らかになるかもしれませんが、医療技術として捉えた場合、深刻なリスクや倫理的問題が立ち上がってくると予想しています。安全な技術として一般化するまでには非常に厚い壁があると感じています。
また、仮に「完全な若返り技術」が可能になった場合、リアルなセックスの役割やそれを司る感性(要するに性欲)というのは、不要物としてどんどん退化していくと思います。そして、子供の数を増やすべき大災害や戦争などが起きたときに、「それ」が役立たずになっていることで、「生物種としての人間」はやはり死に絶える確率が高まるのではないでしょうか。
そのときまでに、マインド・アップローディングが実用化されていれば、「意識体」としては生き延びることができるのかもしれません。しかし、それはもはや我々がイメージするところの「人間」ではないだろう、と思っています。
さらに自然淘汰説における超越論的意識が人間という種の生存戦略全体をコントロールしているならば、どこかで「人類の超越論的意識」が、そうした脱「人間」化の方向性にブレーキをかけてくるのではないかと思います。
以上についての永井さんのご意見をお聞かせください。
今気が付いたのですが、宮崎駿の書いた(映画ではなく原作漫画の)「風の谷のナウシカ」の最終巻で、量子コンピューターにマインド・アップローディングされた人間たちの「意識体」が出てくるシーンがあります。つまり宮崎駿も、人類の未来について、永井さんと似たような予測イメージを持ったのだと思います。ただ彼の場合は、そうした人類の方向性に対して、否定的な立場をとっていることが、漫画のエンディングから推察できます。量子コンピューターに意識化された「アップローダー」たちと生身の体を持つ人間が、共存共栄する社会となるには、技術面以外に精神面での高いハードルを越える必要があると思います。そうじゃないと、「アップローダー」たちは、やはりナウシカに殺される気がします(笑)
iPS/Muse細胞を用いた方法では、自分自身の細胞(ヒト皮膚線維芽細胞や骨髄間質細胞など)から多能性幹細胞を作ることができるのだから、他人の臓器を移植する時のような問題は起きません。
既に述べたように、新技術がすべての人に同時に適用されることはありません。まずは先進国の富裕層から小規模に始まり、少しづつ利用者を増やしていくことになるでしょう。そして、途上国の貧困層にまで普及する頃には、先進国では生殖とは異なる方法で増殖を行うことができる第二段階のステージ(マインド・アップローディング)が始まるでしょう。
第二段階が普及期に入っても、人類全体がポスト・ヒューマンに移行することはないでしょう。アマゾンの奥地には、今でも文明を拒否して、石器時代の生活を送っている人がいるそうです。そうした人たちは、今後もリスク分散機能を担い続けるでしょう。
そういう懸念を持つ人は、アマゾン奥地の未開民族と同様、新しい技術を拒否し、従来通りの生き方を選べばよいと思います。文明の進化を拒絶する人たちがいてくれた方が、人類全体としては絶滅リスクを低減することになりますから。
永井様 ご返答ありがとうございます。
『それでも、人類全体がポスト・ヒューマンに移行することはないでしょう・・・そうした人たちは、究極のリスク分散機能を担い続けるでしょう』
『文明の進化を拒絶する人たちがいてくれた方が、人類全体としては絶滅リスクを低減することになりますから』
なるほど。要は人類の生存戦略として、多様性があればいい、ということですね。変化適応性を重視する人間と、環境適応性を重視する人間のどちらが優れているかではなくて、どちらも必要、というふうに理解しました。
『iPS/Muse細胞を用いた方法では、自分自身の細胞・・・から多能性幹細胞を作ることができるのだから、他人の臓器を移植する時のような問題は起きません』
確かに自分の細胞を使う場合、他人の臓器・組織・細胞を移植する場合より、相対的なリスクは低いと思います。
それでも私は、受精卵から時間をかけて分化した体細胞と、(たとえ自分自身の細胞でも)幹細胞から分化誘導させた体細胞では、エピジェネティックな遺伝子発現や細胞表現形が異なることが問題になる可能性はあると考えています。
エピジェネティクス
エピジェネティックな遺伝子発現等の違いは、言い換えれば、細胞の経験してきた時間・環境の違いであり、エントロピー状態の違いだといえます。自分自身の幹細胞に由来する細胞でも、それらが違えば、同じ基質・特性を持った細胞であると保障はできないと思います。
これは実際に試験してみないとわからないと思いますが、そうしたエピジェネティックな差異が、修復の対象となる臓器・組織によって、(深刻な)問題となる場合とならない場合があると予測しています。
深刻な問題とならないケースについては、比較的素早く普及していくと思います。(それでも後のちに何らかのリスクが出てくるかもしれませんが、リスク・ベネフィットが十分に大きいと考えられれば許容されるでしょう)。
一方、「意識の自己同一性」に関していえば、神経系や免疫系、内分泌系(and/orその他の体内情報伝達システム)等に係る細胞や生体分子の(量子的単位含む)ふるまいがかなり重要になってくると思われます。若返りに相当するような、大規模な細胞置換(実際には動的平衡からなるシステムの再構築)を実施すれば、被験者は良くも悪くも大きな変化を経験することになると思います。
それを許容できるものとするかどうかは、技術レベルおよび被験者の価値観によると思いますが、一般的な医療技術として普及させるには、かなり大きなハードルをいくつも超えていかねばならないでしょう。少なくとも、中枢神経系に関与する細胞のエピジェネティクスが解明され、幹細胞からの分化誘導においても、その遺伝子発現や表現型をある程度望ましい形にまでコントロールすることができなければ、危なくて使えないと思います。
よって、(比較的適用が容易な)特定の臓器・組織に対する再生技術と、「若返りのための技術」の確立の間には、非常に大きな溝があるだろうというのが私の考えです。
iPS/Muse細胞を使わなくても、私たちの体の大部分では今でも幹細胞から分化した細胞による古い細胞の置き換えが行われ続けているのですから、それがエピジェネティックな問題を惹き起こすというのなら、とっくの昔に問題になっているはずです。
「意識の自己同一性」は幻想にすぎません。
話が本題の売買春からだいぶ脱線しました。不老不死の問題に興味があるなら、「寿命は何によって決まるのか」や「シンギュラリティは近いか」など、それを主題とするページに書き込んでください。
永井様 ご返答ありがとうございます。
だいぶ了解できてきましたので現時点での質問、コメントはありませんが、今後もし気になることがあれば、それぞれの主題に関連するページで質問させていただきます。
>> たぶん、中学校か高校かで勉強したと思うのですが、“You must do it.”の否定形は (1) だけれども、否定文は (2) です。
(1) You must not do it.
(2) You don’t have to do it.
僕が返事をしなかったのは、この問い自体が常識では無く、教養であり、なんら議論に関係なく呆れたからです。
>>多くの女性は、タテマエはともかくとして、ホンネでは、その若妻を軽蔑するどころかむしろ逆にうらやましいと思うことでしょう。
欲望は常識ではありません
>>生物学では、目的意識が全くない植物に関しても、生存戦略があると考えます。
貴方も言う様に生物には生存するという目的があります。意識のある無しは関係ありません
>>答えがイエスかノーかということは、私の議論には全く影響を与えません。だからこうした非本質的な質問は無視したのです
常識を否定するにしろ、疑うにしても、常識と言う物をはっきり認識する必要があると僕は考えていて、これらの質問は常識の確認です。
貴方は常識を理解していない様で常識についての議論は確かに無駄でしょう。
しかし、それを抜きにして科学的、生物学的に考えてみても、貴方の説は明らかにおかしく、多くの疑問が湧いてくる。
以下列挙致します。是非返答して頂きたい。
①生物は生存戦略、つまり生き延びて自分の遺伝子を残す為に行動する。
自ら個体数を減らす事が種全体的に利する事があるとしても、生存戦略に反してしまう。それに対してどう考えるか?
②本能的行動は乳児が乳を吸ったり、雛が口を開けて餌をねだったり、卵から出たり、種を越えて近いグループで普遍的に見られ比較的単純で生存戦略に基づく物が多い。にも関わらず売春が後天的学習や環境による物では無く本能的行動と考えるのは何故か?
③貴方の説によれば売春を禁止するのも奨励するのも生存戦略に基づく本能的行動としている様だが、何故人によって売春に対する見解が異なるのか?
④売春をするかしないかで人口を自らコントロールしているなら、どの様にそれを感知し切り替えているのか?
⑤本能は何百年程度の環境の変化によって簡単に変わるのか?種の進化速度を遥かに超えている。
⑥> >ボノボは交尾を日常化することでその希少価値を下げており、ボノボの個体数が増加しないことは、私の説に合致しています。
ボノボの個体数が増えない理由から環境の悪化等もろもろの要因がある事を無視する理由は何ですか?
ボノボの様に遊びの交尾しない他の類人猿は何故同じ様に個体数が増加しないのでしょうか?
議論に関係があるとわかっているなら、予断を持って答えるだろうと思って、あえて関係がないかのように設問したのです。答えないから、自分の見解をまとめて書きました。
欲望が常識であるとは言っていません。
目的があるかどうかではなくて、目的を意識して行動しているかどうかが問題になっていたから、そう書いたのです。
あなたはリチャード・ドーキンスの利己的遺伝子仮説を信じているのですか。この仮説が間違いであることに関しては、拙著『ファリック・マザー幻想―学校では決して教えない永井俊哉の“性の哲学”』の「私たちは利己的遺伝子の乗り物にすぎないのか」(p. 109-122)を参照してください。
このページを「本能」で検索すればわかるとおり、私自身は「本能」という用語を使いませんでした。動物行動学によれば、動物の行為は、走性、反射、本能、学習、知能に分類されることになっていますが、こうした細かな区別が、ここでの議論に必要とは思わないからです。
おそらくあなたは、「本能」という言葉を、生得的行為全般を包摂する広義の用法で使っているのでしょう。そこで、人間の行動を生得的行為と後天的行動に大別して答えるなら、人間が性欲を満たそうとすること自体は、生得的行為ですが、どのような手段でそうするかは必ずしも生得的ではなく、後天的な要素によって判断が左右されます。売買春においても、売る方、買う方、双方とも判断プロセスに後天的要素が多く入っていると考えられます。
前述の通り、後天的要素が入ってくる以上、そして、学習や知能が人それぞれである以上、見解が分かれることになります。
人間は、衝動的な生殖行為で子を作る場合もあれば、養育コストや将来の労働需給を予測した上で子作りを決める場合もあります。前者の場合、性欲の強弱が重要なファクターになりますが、後者の場合、社会環境的なファクターが大きな役割を果たします。
生得的プログラムの代表である遺伝子すら、その発現は環境によってエピジェネティックに切り替えられます。後天的行動に関しては言うまでもないでしょう。
一般的に言って、ある原因である結果が起きるという因果的説明は、他の原因でも同じ結果が起きることまで排除しません。それゆえ、人口調節が様々な要因で決まることを否定するものではありません。
①> >あなたはリチャード・ドーキンスの利己的遺伝子仮説を信じているのですか。この仮説が間違いであることに関しては、拙著『ファリック・マザー幻想―学校では決して教えない永井俊哉の“性の哲学”』の「私たちは利己的遺伝子の乗り物にすぎないのか」(p. 109-122)を参照してください。
質問に対する答えになっていません。
他の説を否定するなら、この場で根拠を示し反論すべきです。それが議論です。
貴方の本は僕の質問に対する回答として書かれたものではありません。
>> ②売買春においても、売る方、買う方、双方とも判断プロセスに後天的要素が多く入っていると考えられます。
>> ③前述の通り、後天的要素が入ってくる以上、そして、学習や知能が人それぞれである以上、見解が分かれることになります。
性行為と売春行為を分けて考える必要があります。
売春は完全に本能に基づく行動ではありません。
根拠を述べます
1.売春行為は人や猿等知能の高い生物にしか見られない。
2.同じ種類、環境においても行う個体と行わない個体がいる。
後天的学習による行為と考えて間違いないでしょう。
しかし種族全体の行末を考えて個体数を抑制する行為とするなら、高い教養や知能もつ個体が主体として行う行為という事になり、そうは思えない。
>>④人間は、衝動的な生殖行為で子を作る場合もあれば、養育コストや将来の労働需給を予測した上で子作りを決める場合もあります。前者の場合、性欲の強弱が重要なファクターになりますが、後者の場合、社会環境的なファクターが大きな役割を果たします。
それは同意しますが貴方の説をなんら補強していないですよね?
その事実からどう売春行為が人口を抑制するという結論になったのでしょうか?
>>⑤一般的に言って、ある原因である結果が起きるという因果的説明は、他の原因でも同じ結果が起きることまで排除しません。それゆえ、人口調節が様々な要因で決まることを否定するものではありません。
では何故ボノボの個体数が増加しない原因を遊びの交尾と断定し、自説の根拠としたのですか?
>> ボノボは交尾を日常化することでその希少価値
を下げており、ボノボの個体数が増加しないことは、私の説に合致しています。
『ファリック・マザー幻想』の著作権はリーダーズノート株式会社にあるので、全部紹介するわけにはいきませんが、簡単に説明するなら、ドーキンスが謂う所の利己的遺伝子がコドンなのかコドンよりも長い遺伝子なのかがはっきりせず、どちらか一方つで解釈しようとすると彼の議論が成り立たなくなるということです。詳しくは本を読んでください。
これは私が言っていることと大きくは異なりません。
「種族全体の行末を考えて」生殖活動をする人はあまりいないと思います。「養育コストや将来の労働需給を予測した上で子作りを決める」というのは、あくまでも個人レベルの投資判断です。
補強するとは言っていません。矛盾しないと言っているのです。
論理学では「常識」に属する話ですが、一般に
¬(p⇒q) ⇔ p∧¬q
が成り立ちます。すなわち、「pならばq」という命題を否定するための必要十分条件は、「pかつqではない」ことを示すことです。すなわち、「他の条件が同じであるにもかかわらず、性を非日常化したにもかかわらず、個体の増加率が減少した」ことを示せば私の説に対する反論になるということです。
現在、人間の経済活動の規模が増大したことで個体数を減らしている野生動物が多くあります。しかし、他の原因で個体数が増えているという事例(r⇒q)を挙げても、それは私の主張(p⇒q)に対する反論にはならないということです。
私は、ボノボが個体数を減少させた唯一の原因が交尾の日常化であるとは言っていません。
①>> ドーキンスが謂う所の利己的遺伝子がコドンなのかコドンよりも長い遺伝子なのかがはっきりせず どちらか一方つで解釈しようとすると彼の議論が成り立たなくなるということです
何故一方で限定するのですか?
はっきりしないなら両方である可能性もあるし、否定する根拠に欠きます。
②> >補強するとは言っていません。矛盾しないと言っているのです。
質問に対する返答になっていません。
> >その事実からどう売春行為が人口を抑制するという結論になったのでしょうか?
③貴方の説によれば
> 私の結論は、売買春の合法化は人口増加を抑制し、種の存続を危うくする(あるいは少なくともそう信じられている)から非難されるというものだ。
と言う物である筈です。
貴方はこの時点では合法化=売春に対する肯定と捉えていたので、売春の合法化を単に売春と捉えても良いでしょう。
この結論に至るなら
>>「種族全体の行末を考えて」生殖活動をする人はあまりいないと思います。
この発言はおかしい。
そもそも僕は生殖活動では無く売春行為の話をしている。
少なくとも貴方の説を支持するなら売買春は人口増加を抑制し、種の存続を危うくする(あるいは少なくともそう信じられている)から非難するという考えの貴方以外の一定の人数の人々が必要だ。
無意識であると言うなら本能である筈だが、それも貴方自身が否定している。
③> >
私は、ボノボが個体数を減少させた唯一の原因が交尾の日常化であるとは言っていません。
ではこの発言には何の根拠も裏付けもないのですね?
>> ボノボは交尾を日常化することでその希少価値
を下げており、ボノボの個体数が増加しないことは、私の説に合致しています。
そもそも記事のタイトルからして間違いです。
結論で売春を肯定するなら「売春は本当にしてはいけないのか」が正しい。
「何故売春をしてはいけないのか」だと貴方は売春を否定する側に立つのが文法的に正しい。
また自ら言い出したこの質問にも答えていない
>>「誰にも迷惑をかけずに、お互い自由意志で合意してやっているのだから、なーんにも悪くないじゃん」と開き直る売買春肯定論者の主張を、説得力ある理由を挙げて論破することは可能だろうか
さらに売春が取り締まれない事と、貴方のいう性病等の合理的リスクは関係ない。
何もかも間違っています。
「利己的遺伝子はコドンであり、かつコドンではない」という命題は矛盾です。矛盾律を破ってもよいというのですか。
性行為と売春行為ではなくて、性欲と買春行為に分けて考えてみてください。前者と後者は目的と手段の関係にあります。性欲と性欲を満たすための手段(買春はそのうちの一つ)は同じではありませんが、前者が後者を規定するという意味で主従関係にあります。人間の場合、後者の選択プロセスには後天的要素が入りえますが、前者は生得的に与えられ、かつ後天的能力によって完全にコントロールすることはできません。人は欲望を満たすための手段を選ぶ自由を持つけれども、欲望そのものからは自由ではありません。「売春は完全に本能に基づく行動ではありません」というのはそのとおりですが、買春は本能によって規定されない行動ではありません。
「一つの原因」と「唯一の原因」の違いが判らないのですか。
そもそもボノボの話は、あなたが持ち出してきたものです。ボノボが性を日常化することで個体数が増えたというのなら、私の仮説に対する反証例になるけれども、そうではない。それでもなお私の仮説が間違っていると主張したいのであるなら、他の反証例を挙げるなりして、その主張の根拠を示さなければならないのは、あなたの方です。
私が本文で扱っているのは《事実としての規範》であるのに対して、bonoboさんへの回答で私が言ったことは《規範としての規範》です。《事実としての規範》と《規範としての規範》を混同しないでください。
①恥ずかしながら浅学ゆえコドンが解らない。ご説明いただきたく思います。
しかし、利己的遺伝子論が広く受け入れられているのはそれによって多く動物の行動が説明出来るからで、貴方の説が何であれこの説より正しいと言うならば貴方の説で動物の行動が説明出来なければならない。
例えばこれはほんの一例ですが「動物の子殺し」
ライオンや猫、熊等はしばしば雄が子連れのメスの子を殺し、交尾しますがこれを利己的遺伝子論に依らず貴方の説で説明出来ますか?
②>>そもそもボノボの話は、あなたが持ち出してきたものです。ボノボが性を日常化することで個体数が増えたというのなら、私の仮説に対する反証例になるけれども、そうではない。それでもなお私の仮説が間違っていると主張したいのであるなら、他の反証例を挙げるなりして、その主張の根拠を示さなければならないのは、あなたの方です。
売春や遊びの交尾は、個体数と何の関係もないのだからボノボの個体数が増えないのは当たり前です。
そしてボノボだけでなく、他の大型類人猿も軒並み絶滅の危機にある。
絶滅の危機にある原因としては病気、生息地の開発、密猟が考えられており、これは共通の原因です。貴方の仮説通りならボノボだけ他の類人猿に比べ減少しているか、出産数が少なくなければならない。
しかしその様な事実は確認されていません。
これは僕の売春や遊びの交尾は個体数とは関係ないいう反論の正しさを裏付けています。
これらの事実を差し置いて何故
> ボノボは交尾を日常化することでその希少価値
を下げており、ボノボの個体数が増加しないことは、私の説に合致しています
この様な結論に至ったのか、根拠を聞いているのです。
③だから売春は他の手段と同列視出来ないので全く本能的な行動ではない。
確かに性欲とsexは本能なので、売春が本能に関係ない訳ではありません。
つまり動機と結果は本能です。
しかし売春と言う手段そのものは全く本能的な行動ではありません。
だから他の発散方法と同列視出来ず分けて議論する必要があります。
>>私が本文で扱っているのは《事実としての規範》であるのに対して、bonoboさんへの回答で私が言ったことは《規範としての規範》です。《事実としての規範》と《規範としての規範》を混同しないでください。
いや、貴方は法律、規範、合理的リスクの全てを同列に語っていますよね?
もう一度書きますが、売春が取り締まれない事と、貴方のいう性病等の合理的リスクは関係ない。
規範としての規範にしても、事実としての規範にしても、どんな見解にしろ、質問に対して貴方自身の見解を述べるべきです。
>>「誰にも迷惑をかけずに、お互い自由意志で合意してやっているのだから、なーんにも悪くないじゃん」と開き直る売買春肯定論者の主張を、説得力ある理由を挙げて論破することは可能だろうか。
> >規制緩和による価格破壊で打撃を受けるのは、売春婦だけではない。同じく「セックスでメシを食っている」専業主婦もデフレの危機に晒される
先に述べた通り常識外れな考えですが、生物学的に考えてもこの主張は誤りです。
何故なら一夫一妻にしろ一夫多妻にしても群れを作り子孫を育てるという事は人間以外の動物にも広く確認出来る本能的行動であり、後天的学習による行動で、なおかつ子孫を残す事を目的としない売春とは根本的に違うからです。
子供を作らない愛人などは売春婦と同じであり、混同するのは間違いです。
そして夫婦間のsexは夫婦の営みであり、売春婦のsexは仕事です。
同じ土俵に並べる事は明らかに誤りです。
この部分には特に違和感を覚えた。
例えるなら、
極左が「自衛官は殺人の練習をして税金でメシを食っている」とか言う主張に似ている。
そしてこういう書き方をする以上対象に対して悪意があると思われても仕方ないのではないか。
コドンの初歩的説明なら、ネット上にいくらでもあるので、それを読んで理解してください。
子殺しも『ファリック・マザー幻想』の「私たちは利己的遺伝子の乗り物にすぎないのか」で説明しています(p.120)。アルファオスが自分の娘と交尾して作った子を新しいアルファオスが殺すことは、遺伝的多様性を高めるので、種の変化適応力を高める、つまり種の利益になるということです。
大型類人猿四種の現在の生息数は、チンパンジーが約20万頭、ゴリラが10万~20万頭、オランウータンが約7万頭であるのに対して、ボノボは2万頭以下です。人間による保護で絶滅を免れていますが、個体数から判断して、ボノボが一番繁殖力がないと言えます。
性欲がなくなれば、買春も不要になります。他方で、買春が禁止されても、性欲を満たす手段は他にもあります。ここからもわかるとおり、目的と手段には主従関係があります。性欲が強いか弱いかが本質的な重要性を持つのに対して、どの形態の手段を選ぶかには二次的な重要性しかありません。
どうやら私が言っていることが伝わっていないようです。本文は、「なぜ売買春してはいけないという規範が私たちの社会に存在しているのか」という《事実としての規範》を問題にしており、「本当に売買春してはいけないのか」という《規範としての規範》を問題にしていません。しかし、それは私が後者に対して答えを持ち合わせていないということではありません。実際、このコメント欄でやっているように、問われるなら私は私の答えを出します。
本稿や「人はなぜ性器を隠すのか」で私が主張していることは、性の希少価値を高めることは、性欲を強めることになるという事実です。性欲が強くなることは、人口を増やす一つの要因になります。売買春の禁止は性の希少価値を高める一つの方法ですが、他にも方法があります。メディア規制や公共での裸の露出の規制です。複数の手段がある以上、「人口を増やすために売買春を禁止するべきだ」とか「人口を減らすために売買春を容認するべきだ」とかいった結論には必ずしもならない。
ここで、三つの方法の歴史を振り返ってみましょう。江戸時代は性に関しておおらかな時代でした。売買春は禁止されていなかったし、現代なら違法になるような春画が描かれていたし、入浴も全裸混浴が当たり前でした。それが唯一の原因ということはないのですが、江戸時代の人口増加率は低迷しました。
明治時代になって、政府は売買春を禁止しようとしましたが、うまくいかず、公娼制度を認めることになります。他方で、メディア規制は強化され、映画ではキスシーンですら御法度となりました。また混浴の風習は次第に廃れ、男湯と女湯が隔離されるようになりました。近代的な性の抑圧が始まり、明治時代から終戦の時期にかけて、日本の人口は倍増しました。
戦後、メディアにおける性の抑圧は弱まりましたが、他方で売春が禁止され、混浴の習慣もほとんどなくなりました。それで、人口は明治時代初期の三倍以上になったのですが、情報技術の進展とともに、メディアを通じたバーチャル・セックスがリアルに近づき、性の希少価値が下落し始めました。私は、これが近年における少子化の原因の一つだと思っています。
このように、過去においても、必ずしも三つの方法がすべて同じ効果を生むように取られてきたということはありません。同じ効果を生む複数の手段がある以上、どの手段が一番好ましいかを決める場合、人口政策以外の理由が必要になります。この点からすると、売買春の禁止を人道的観点や衛生的観点から説明することは必ずしも間違いではないと思います。しかし、だからといって「売買春の禁止は、性の希少価値を高め、人口を増加させる効果がある」という私の基本命題が間違いになるわけではないことを念のため断っておきます。
私は、世界および日本の人口を現状よりも減らした方がよいと思っていますが、売買春の容認は不要であると考えています。バーチャル・セックスのリアル化により、性の希少価値が下落し、人口増加率が減少している現在、いろいろと副作用がありそうな手段をあえて追加する必要はないと判断しているからです。
売春は、チンパンジーやボノボでもやっている(他にもあるかもしれない)から、人間と他の動物という区別を持ち込むことは、生物学的に正しくありません。
前者は合法で、後者は違法という違いがあります。
引用した箇所で言及しているのは、専業主婦(専業主夫を含めてもよい)であって、配偶者一般ではありません。専業主婦の収入源は、夫から手渡される金に限定されます。それが、家事労働だけに対する報酬とは考えられません。なぜなら、家事労働だけなら、家政婦を雇うだけでよいからです。
子供を作ることを目的としているかどうかというのも決定的な違いではありません。閉経後、つまり明らかに子供ができないことがわかっていても、愛を確かめ合うために性行為を行う夫婦もいます。子作りという基準で言えば、これも売春婦と同じということにならないのでしょうか。
結局のところ、あなたが問題にしているのは、理論ではなくて感情ということですね。違いますか。
ボノボはチンパンジーと同一の祖先から比較的最近分化した種類であり、コンゴ盆地の狭い範囲にしか生息しておらず、
①ボノボはそもそも生息地がゴリラやチンパンジーより狭いから個体数が少ないのは当たり前です。
ボノボはチンパンジーと比べ頻繁に性的接触をするが出生率、面積当たりの個体数に大きな差は無い。
この事はsexの希少性は個体数に差は無いという事を裏付けている。
売春行為が確認されているのはチンパンジーだが同じ生息地にいるゴリラに比べ個体数に大した差は無い。
この事実は売春行為が個体数を抑制する事は無いという事実を裏付けている。
②>>江戸時代の人口増加率は低迷しました。
江戸時代末期には出生率は低下したが、それは農地拡大、農業生産率が頭打ちになり、養えない子供が間引かれた結果であり、売春宿に行って性欲を晴らした結果では無い。
江戸は男余りの都市であったから結婚出来ない男もが多かった。
そして風俗に行く男は結婚出来ない独身者が中心であった。
そういう個体が性欲を発散しようがしまいが、そもそも子供を育てる甲斐性が無かったのだから人口に影響を及ぼした事実はない。
法律は上っ面だけのもので、合法非合法に関わらず、事実上性風俗がなくなった事も日本の歴史上ない。
そして僕は今も風俗の客の大半は既婚者でも子供を作る気がそもそも無いか、独身者が中心であると考える。
だから風俗が性犯罪を減らしている可能性はあるが人口を減らした事実は歴史上ない。
そもそもsexの希少性を減らすならパートナーをつくって同居し、子供を作らなければ良いだけで人口に影響をもたらすのはそういう層の人々である。
>>専業主婦の収入源は、夫から手渡される金に限定されます。それが、家事労働だけに対する報酬とは考えられません。なぜなら、家事労働だけなら、家政婦を雇うだけでよいからです。
専業主婦一般を売春婦や家政婦と同様に見るなら、専業主婦がそれらの職種と同様の金銭的見返りを得ていなければならない。
場末のソープの1時間当たりの相場は2万円程度であり、家事代行が1時間当たり3千円。
専業主婦を個人専属の家事代行兼娼婦とするなら1日あたりざっと55200円はかかる。
しかもこの見積もりは子育て代は除いている。
専業主婦一般が最低でもそれだけの現金相当の見返りを得ているという事実があるなら貴方の主張に間違いはない。
間違えました
※訂正します。
> >専業主婦を個人専属の家事代行兼娼婦とするなら1日あたりざっと552000円はかかる
計算ミスで桁が一つ違ったようです。
>>結局のところ、あなたが問題にしているのは、理論ではなくて感情ということですね。違いますか。
誤った事実認識に基づく理論を展開すれば非難されるという事実を述べたに過ぎません。
> >アルファオスが自分の娘と交尾して作った子を新しいアルファオスが殺すことは、遺伝的多様性を高めるので、種の変化適応力を高める、つまり種の利益になるということです。
殺された子供の遺伝子は失われ、多様性は寧ろ下がる。
更に母体にも連続で負担を強いるし、生まれて直ぐの幼体はある程度育った幼体に比べ死に易く、その後の環境の変化によっては全滅するリスクも伴う。
確かにライオンの場合はより強い個体の遺伝子が残り種の利益には結果としてなるが、熊や猫の場合アルファオスなどおらず種の利益にならない。
近親相姦を放置したら、遺伝的多様性が高まるのですか。
「それが唯一の原因ということはないのですが」とわざわざ断ったのに、無視ですか。
ボノボの生息地域が狭いというのは全然説明になっていません。アフリカの熱帯雨林は広いのだから、もしもボノボに繁殖力があるなら、個体数を増やして生息地域を広げることができるはずです。それなのに、そうではないということは、繁殖力がないということでしょう。
ボノボと対照的なのは、オランウータンです。ボルネオ島とスマトラ島という狭い島に生息可能地域が限定され、人間によって大量に殺されるなど、条件が悪いのにも関わらず、ボノボよりも個体数は多い。
2019年12月4日 4:33 PMに、
と言っていましたね。ボノボは出生数、個体数が大型類人猿四種の中で一番小さいのだから、これは事実誤認です。「誤った事実認識に基づく理論を展開すれば非難される」のですよね。これに頬被りで、「出生数」を「出生率」へとご都合主義的に基準を変え、なおも、ボノボは最も性を日常化しているのにも関わらず、繁殖力があると主張するのですか。
合法性、住み込み、中間搾取の有無などの違いを無視して計算しても意味がありません。主婦の本質は何であるかを見定めるには、何が偶有性(なくてもかまわない属性という意味の哲学用語)でないかを考えなくてはいけません。
家事を家政婦に任せ、子育てを乳母(今なら保育士)に任せていても、妻は妻です。つまりこれらは偶有性ということです。他方で、夫との性交は妻にしかできません。一夫一婦制では、夫は妻以外とは性交できません。だから、これこそが妻の仕事の本質であると言うことができます。
家事も子育てもしないというのは極端なケースと思うかもしれませんが、本質は極端な場合に明らかになるものです。そしてそういう極端なケースでも、夫は妻に生活費を与えます。妻が家事や育児までやるかどうかは、夫の収入の多寡によるのであって、夫が妻に与える金の本質が家事や育児ではないことは、極端なケースで明らかです(しかも、たいがい、家事や育児をしなくてもよいような妻の方が、しなければならない妻よりも多くの金をもらう)。
ボノボの生息地が限られているのは川に挟まれているからで、ボノボが控えめな訳ではありません。
多分wikiか何かで生息地を調べてくれたんだと思いますが、コンゴ民主共和国全土に生息しているわけではありません。
そんな事も知らないとは驚きです。よくボノボについて語れたな。
一々類人猿の生態を貴方に教えて間違いを正すのも怠いんで後は京大の西田さんとかが本出してんで読んで下さい。
それでも「ボノボ自ら個体数を抑制している」という事実があると主張するなら、こんな所に書かず論文を書いた方がよろしい。
2019年12月7日 7:43 PM
> >アルファオスが自分の娘と交尾して作った子を新しいアルファオスが殺すことは、遺伝的多様性を高めるので、種の変化適応力を高める、つまり種の利益になるということです。
自分の娘…書き間違えたのかと思って読み飛ばしてました。
この説明では近親相姦で出来た子供以外も殺す行動が説明出来ていません。
熊と猫の説明も出来てません。
まぁ貴方の説が利己的遺伝子論にとって変われると言うなら、これも論文を書いて発表した方がよろしい。
>>他方で、夫との性交は妻にしかできません。一夫一婦制では、夫は妻以外とは性交できません。だから、これこそが妻の仕事の本質であると言うことができます
いや、別に不倫も違法では無いし、妻が嫌なら夫に迫られても拒否出来る。
そもそも妻や夫は職業ではなく立場です。
だから仕事の本質云々で語る事がそもそも筋違いです。
> >本質は極端な場合に明らかになるものです
世の中には子宮を切除しsex出来ない夫婦もいるし、行為をしない夫婦もいる。
しかし僕はこれらを反論の根拠にする気はありません。
何故なら稀なケースは根拠にならないからです。
此れを根拠にしてしまうと世の中の実験の結果や選挙結果等全てを否定しなければならない。
これは科学的な考えでも何でもなく、寧ろ自分は自分の妄想で世の中を断じていると自ら白状する事に他ならない。
ところでそろそろ貴方の命題とやらの根拠を聞きたいんですが、いつ聞かせてくれるのでしょうか?
後
>>「誰にも迷惑をかけずに、お互い自由意志で合意してやっているのだから、なーんにも悪くないじゃん」と開き直る売買春肯定論者の主張を、説得力ある理由を挙げて論破することは可能だろうか。
此方は根拠とかはともかく、質問に対する貴方の見解、回答を聞かせて頂きたい。
これまでの一連の書き込みから判断して、あなたの読解力と理解力には問題がありそうですね。次の書き込みもそうです。
私は「ボノボはコンゴ民主共和国全土に生息している」とは言っていません。よく読んでください。
そう言うだろうと思って、オランウータンを引き合いに出したのです。オランウータンが住んでいる島を囲む海とは異なり、川は土地を完全に包囲しません。しかも、ボノボは、チンパンジーとは異なり、水を恐れず、浅瀬の川を二足歩行で渡ることができます。実際、ボノボの祖先は、上流の浅瀬の川を渡って今の生息地に移住したと考えられています。
それはそうと、あなたは当初出生数や個体数を問題にしていたのだから、まずは自分の間違いを認めるべきではないのですか。
そういう事例があることは承知していますが、それを含めて、利己的行為は多様化戦略に貢献しています。すべての個体が種保存のために単一的な適応行為を取るよりも、「自分さえ生き残ればそれで良い」とばかりに各個体がバラバラに適応行為をとったほうが、適応行為が多様になり、種が全滅するリスクが低減されるということです。種は、個体を利己的に振る舞わせることで、自分の存続を実現しています。『ファリック・マザー幻想』の「私たちは利己的遺伝子の乗り物にすぎないのか」(p.120)では、このメカニズムを「生命の狡知」と名付けました。
不倫や継続的な性交渉の拒否は、離婚の正当な理由として認められています。
「職業」と呼ぶか何と呼ぶかはネーミングの問題で、本質的な問題ではありません。
つまり本質の本質が何であるかわからないということですね。
すでに述べています。あとはあなたの読解力と理解力次第です。
>>ボノボは、チンパンジーとは異なり、水を恐れず、浅瀬の川を二足歩行で渡ることができます。実際、ボノボの祖先は、上流の浅瀬の川を渡って今の生息地に移住したと考えられています。
ボノボの祖先が川を渡ったのは100万〜180万年前に気候変動で川が非常に浅くなった時渡れただけで今は渡れません。
因みにコンゴ川の最上流はタンガニーカ湖で浅くありません。
川と言ってもアマゾン河に次ぐデカさのコンゴ川ですよ?
今は広いところの川幅は15キロあるし、その中にはナイルワニやカバがウヨウヨいます。
そして川が無くなるころにはもうサバンナ等乾燥地帯が広がっているのです。
仮にオランウータンがボノボの生息地にいたとしてもコンゴ川を超える事等出来る訳がありません
>>それはそうと、あなたは当初出生数や個体数を問題にしていたのだから、まずは自分の間違いを認めるべきではないのですか。
> > ボノボは交尾を日常化することでその希少価値を下げており、ボノボの個体数が増加しないことは、私の説に合致しています
貴方のこの説が正しいなら面積当たりの個体数、出生数をボノボとチンパンジーで比較し、ボノボの繁殖率が低い事を示し、その上で性的接触と関連付けた考察を貴方が述べるべきで、その様な根拠を示せれば僕どころか学会も認めてくれますよ。
もっとも僕は貴方の細かい間違いを指摘するつもりは無い。
ほぼ全て間違っているんで。
>>利己的行為は多様化戦略に貢献しています。すべての個体が種保存のために単一的な適応行為を取るよりも、「自分さえ生き残ればそれで良い」とばかりに各個体がバラバラに適応行為をとったほうが、適応行為が多様になり、種が全滅するリスクが低減されるということです。種は、個体を利己的に振る舞わせることで、自分の存続を実現しています
これは利己的遺伝子論の理屈と変わらない。
しかも利己的遺伝子論で説明出来る事が説明出来ていない。
利己的遺伝子論の劣化説に過ぎない。
生物は種を守る為に利己的行動をとるのではない。
種は利己的行動の副産物に過ぎないのです。
地球の全ての生き物は只一種の単細胞生物でした。
それが今日の様に多様な種に分かれ、生存競争を繰り広げ、同種間でも何故其れを行うのか考えるとき貴方の説では説明出来ない。
>>不倫や継続的な性交渉の拒否は、離婚の正当な理由として認められています。
法律で禁止はされていない。何故なら当事者同士の問題だから。
しかし、法律は愛人と妻とを明確に区別しています。
何故なら愛人は原則として法定相続人にはなれない。
法律は常識や規範、道徳では無い。
愛人も違法では無い。
しかし何故この様に区別されているのか考えれば、愛人と妻を同一視するのが誤りである事は明確でしょう。
>>すでに述べています。あとはあなたの読解力と理解力次第です。
いや、全く述べていない。
あくまでも自分の説が正しいと言うならば反論に耐えうる根拠を示さねばならない。
今の所貴方は否定的事実を無視して自分の説に都合の良い結果に自説を当て嵌めているに過ぎない。
もっとも貴方の言う無知のベールとやらは科学や学問と関係ないと言うなら別ですが。
>>一夫一婦制では、夫は妻以外とは性交できません。だから、これこそが妻の仕事の本質であると言うことができます
本質が何であれ貴方の仮説は妻は夫に雇われた売春婦兼家政婦と言うものです。
>>しかも、たいがい、家事や育児をしなくてもよいような妻の方が、しなければならない妻よりも多くの金をもらう)。
貴方の説にこの事例を当て嵌めると何故仕事量が少ない雇用人が多い雇用人より給料が多いのか説明出来ない。
更に専業主婦に財産を管理させて逆に夫が小遣いを貰っている家庭が多数ある事も説明出来ない。
そういう夫は売春婦に財産管理を任せているのだろうか?
売春が人口を抑制する…
この説の貴方の根拠はつまり
「彼女や妻を作るより風俗行った方が色んな女と遊べて楽しいし、子供育てる金があるなら風俗行くわ」
と言う男が産ませる子供の分だけ人口が減ると言うものだ。
そんな事を言う人間が身近にいたら、僕にはこの上なく惨めな負け犬にしか見えない。
そういう層が人口に影響を与えると貴方が立証出来るなら僕は貴方の説を認めますよ。
アフリカの降雨量は日々変化しているのだから、本当に人口圧が高まっているなら、水量が減った時にカサイ川の上流を渡る冒険をする個体だってあったはずです。実際、ヒトの先祖は、体も小さく、頭脳も他の類人猿並みでしたが、「ワニやカバがウヨウヨいる」川や乾燥地といった障害を乗り越え、アフリカ大陸の各地へと生息地を拡大しました。
ヒトは、性器を隠蔽し、交尾をタブーにしている唯一の動物です。性に対してこれほどネガティブであるのにもかかわらず、繁殖力が高く、他の霊長類とは異なって世界各地に進出し、今なお人口を増やし続けています。これは、私の仮説に合致した現象ですが、あなたはどう説明しますか。
「面積当たりの個体数、出生数」なんてナンセンスです。日本人はロシア人よりも「面積当たりの個体数、出生数」がはるかに大きいけれども、だからといって日本人はロシア人よりも繁殖力がはるかに大きいとは言えないでしょう。
私の理論は矛盾を含まないのに、なぜ矛盾を含んだ利己的遺伝子論の劣化説と言えるのですか。どうやらまだ「利己的遺伝子はコドンであり、かつコドンではない」の意味がまだ分かっていないようです。
「生命の狡知」の意味が分かっていないようです。
都合の良い時だけ法律を尊重するのですね。2019年10月6日の書き込みでは、遺産目当ての高齢の金持ちと結婚(売春婦とは違って、法定相続人になれる)を「常識外れで世間から悪と見なされている時点で売春婦と変わりません」と言っていたではないですか。
何回同じ間違いを指摘しないといけないのでしょうか。
私が言っていることとは少し違います。結婚して子供を儲けている人だって、風俗店に行く人はいます。また、本当の負け犬は、風俗店に行く金すらありません。
>>私の理論は矛盾を含まないのに、なぜ矛盾を含んだ利己的遺伝子論の劣化説と言えるのですか。どうやらまだ「利己的遺伝子はコドンであり、かつコドンではない」の意味がまだ分かっていないようです。
種を種たらしめる物は遺伝子でそれは疑い様の無い事実。だから種を守る行動とは自己の遺伝子を守る利己的行動の副産物に過ぎないのです。
仮に貴方の説の方が正しいとするなら、利己的遺伝子論で説明出来た事が説明出来なくなるのはおかしい。
少なくとも利己的遺伝子論より多くの事象を貴方の説で説明出来なければならない筈です。
例えば進化論で説明出来ない事も創造論で説明出来ますが、だから創造論の方が正しいとはされない。
種の起源が説明出来ず、新たな矛盾が生じると言う点で貴方の説も創造論と同じです。
故に貴方の説は劣化版であり、従来の説にとって変わる事は出来ません。
>>都合の良い時だけ法律を尊重するのですね。2019年10月6日の書き込みでは、遺産目当ての高齢の金持ちと結婚(売春婦とは違って、法定相続人になれる)を「常識外れで世間から悪と見なされている時点で売春婦と変わりません」と言っていたではないですか。
貴方に常識を説明しても理解出来ない様なので今は客観的事実を持ち出し説明しているのです。
法律は万能ではありません。
法律の網を擦り抜けた者を肯定し、法律を否定する事は誤りです。
遺産目当てで結婚する者の本質は売春婦と同じです。
つまり犯罪者と同じです。
貴方が客観的根拠を示さず、専業主婦と売春婦は本質が変わらないと言うのなら、それは唯の専業主婦に対する侮辱発言に過ぎない。
貴方が専業主婦と売春婦が同じと言うのなら次の事を客観的根拠に基づき説明しなければならない。
1、愛人は原則として法定相続人にはなれない。
この法律の区別があるのは何故か?
2、何故仕事量と報酬が一致しないのか?
>> 妻が家事や育児までやるかどうかは、夫の収入の多寡によるのであって、夫が妻に与える金の本質が家事や育児ではないことは、極端なケースで明らかです(しかも、たいがい、家事や育児をしなくてもよいような妻の方が、しなければならない妻よりも多くの金をもらう)。
3.専業主婦が専属娼婦である事に見合う報酬を貰っている事の証明。
4.専業主婦に財産させて自分が小遣いを貰う夫は何故存在するのか?
「面積当たりの個体数、出生数」なんてナンセンスです。日本人はロシア人よりも「面積当たりの個体数、出生数」がはるかに大きいけれども、だからといって日本人はロシア人よりも繁殖力がはるかに大きいとは言えないでしょう。
「日本人はロシア人よりも繁殖力がはるかに大きい」
この説は、たしかに貴方の「専業主婦は娼婦と同じくsexで飯を食っている」とか「売春が人口を減少させる」、「ボノボは自ら個体数を少なく制御している」と言う論と同じくナンセンスな説に思えます。
しかし気象や地理、経済的要因を除いた客観的根拠があるなら、僕は認めます。
それが科学的姿勢だからです。
貴方がボノボ個体数制御説を主張し、オランウータンを引き合いに出すならば当然同じ様になるべく平等な条件下での比較が必要になる。
>>実際、ヒトの先祖は、体も小さく、頭脳も他の類人猿並みでしたが、「ワニやカバがウヨウヨいる」川や乾燥地といった障害を乗り越え、アフリカ大陸の各地へと生息地を拡大しました。
違います。
>> ヒトは、性器を隠蔽し、交尾をタブーにしている唯一の動物です。性に対してこれほどネガティブであるのにもかかわらず、繁殖力が高く、他の霊長類とは異なって世界各地に進出し、今なお人口を増やし続けています。これは、私の仮説に合致した現象ですが、あなたはどう説明しますか。
性器の隠蔽と売春は又別の話です。
何故なら性器は裸族でも隠しているが売春は人によって見解が異なる。
更に性器を見せた所でsexの希少価値が変動するわけではない。
人口が増えている国が必ずしも売春を肯定し、性をタブー扱いしている訳では無い。
ボノボの個体数のところでもう説明したが、売春と個体数は関係ない。人間が増えているのは他の要因に過ぎず、僕の説明の範疇の出来事です。
>>アフリカの降雨量は日々変化しているのだから、本当に人口圧が高まっているなら、水量が減った時にカサイ川の上流を渡る冒険をする個体だってあったはずです
カサイ川の上流はとっくに熱帯雨林が途切れた先にある。
浅いのは川の上流ではなく貴方の知識です。
>>私が言っていることとは少し違います。結婚して子供を儲けている人だって、風俗店に行く人はいます。また、本当の負け犬は、風俗店に行く金すらありません。
男にとって、風俗に行くメリット等無い。
金は趣味や家族サービスに使った方が遥かに有意義で風俗に行く金が無い人は正常だと思います。
それはさておき、貴方が売春が人口を減少させると言うなら、風俗客が風俗に行かなければ子供を作る甲斐性がある事を説明しなければならない。
私の理論は、生物学だけでなく、社会科学を含めたすべて分野を説明する理論です。
種の起源も説明できます。
性器の隠蔽も売買春の禁止も性の希少価値を高めるという点では同じ効果を持ちます。
愛人や愛人との間にもうけた子に正妻や正妻との間にもうけた子と同等の権利を与えることは一夫一婦制の否定になるから、国としては認めるわけにはいきません。
どの職業に関しても言えることですが、仕事の物理量で報酬が決まるということはありません。
報酬は、原則的に当事者間の合意があるなら、いくらにでも設定できるので、第三者がとやかく言う話ではありません。
専業主婦が夫の財産の一部または全部をもらうなら、その段階で報酬を得たことになります。
あなたは9月に書き込んでから3か月もの間このフォーラムに執着しています。これほど長い間執着する以上、相当な動機があると推測されます。私が察するに、それはあなたが謂う所の「侮辱発言」に対する怒りだと思います。実際あなたの書き込みのいたるところに怒りがにじみ出ています。
常識的な価値観を前提とするなら、「専業主婦を売春婦の同類として見るのはけしからん」という怒りはもっともなことだと思います。しかし、そもそもこのサイトは、常識を疑うことを趣旨としているサイトであることを理解してください。
専業主婦も売春婦も性で金を得ているという点で共通点がありますが、その指摘を「侮辱」と感じる人は、「性を売ることは卑しいことだ」という価値を前提にしています。しかし、私はそうした価値観の普遍妥当性を疑問視しているのですから、それを当然の前提として「侮辱」と決めつけるのはおかしいと思います。
あなたは「常識を疑うなら常識がなんなのか理解していないと疑う事すら不可能」と言ったけれども、あなたが謂う所の「常識を理解する」というのは、常識を理解することではなくて、受け入れるということのようです。常識を受け入れるなら、「侮辱」ということになるのでしょうが、私はその常識を前提にしてはいません。
私は、売春業ならぬ売文業に従事していますが、文筆の能力を売る職業が性的魅力を売る職業よりも高尚な職業だとは思いません。どちらでも違法行為はだめですが、例えば、グラビアアイドルなどは合法的に性を売る職業であり、それを合法的な文筆業よりも卑しい軽蔑すべき職業とみなさなければならない理由はありません。人の能力はまちまちなのだから、それぞれが得意とする能力を売ればよい。性的魅力に自信があるなら、それを売るのもありだと思います。
もとより、性を売ることを蔑視する伝統的価値観があることは事実ですが、既に述べたとおり、それは人類に普遍的な価値観ではないし、無条件に信じるべき価値観でもありません。私の考えでは、それは社会的機能を持った価値観であり、普遍的に否定されるべき価値観ではないけれども、社会情勢の変化によっては変更しうる価値観です。
もとよりどういう価値観を持つかは人の自由であり、常識的価値観を無条件に信じたいというのなら、そうすればよいと思います。ただ、そういう人が、常識的価値観を疑うことを趣旨としているこのサイトに来るのはお門違いだし、3か月にもわたってここに執着して、水掛け論を繰り返すことは時間の浪費だろうと思います。
>>私の理論は、生物学だけでなく、社会科学を含めたすべて分野を説明する理論です
詭弁に過ぎない。
全ての分野を説明出来るなら生物学的観点からも説明出来る筈です。
>>種の起源も説明できます。
じゃあして下さい。
>> 性器の隠蔽も売買春の禁止も性の希少価値を高めるという点では同じ効果を持ちます。
だから根拠を示して下さい。
>> 専業主婦も売春婦も性で金を得ているという点で共通点があります
共通点はsexをする事だけです。その理屈は男も女もパンを食うから変わらないと言うぐらいナンセンスで稚拙なものだ。
>>愛人や愛人との間にもうけた子に正妻や正妻との間にもうけた子と同等の権利を与えることは一夫一婦制の否定になるから、国としては認めるわけにはいきません。
愛人と妻は変わらないと言う貴方の主張を貴方自身が覆すのですか?一夫一婦制が国の根幹をなす制度だと言うなら、愛人と妻を同一に見るのはおかしい。
>>どの職業に関しても言えることですが、仕事の物理量で報酬が決まるということはありません。
専門外の仕事を追加でお願いすれば、どの仕事でも別途料金が必要になるのが世の中の常識です。
>>報酬は、原則的に当事者間の合意があるなら、いくらにでも設定できるので、第三者がとやかく言う話ではありません。
詭弁に過ぎない。娼婦と専業主婦が同じ様にsexで飯を食っていると主張するなら、専業主婦も娼婦に等しい賃金を貰っている根拠を示すべきだ。
専業主婦が娼婦の貰う賃金とかけ離れた報酬しか貰っていないのなら「同じ様に」と言う貴方の主張は誤りです。
>>専業主婦が夫の財産の一部または全部をもらうなら、その段階で報酬を得たことになります。
娼婦は客から金を貰う。立ちんぼ等は客がそのまま雇用主で娼婦が労務者だ。
労務者が雇用主に給料を払う…そんな事はあり得ない。
だが専業主婦が夫の給料を管理し、夫に小遣いを与える家庭は存在する。
この違いを無視して「同じ様に」と言う事は無理がある。
さらに貴方の理論でこの家庭を説明すると夫は全財産を妻に与えている馬鹿だと言う事になる。
>>あなたが謂う所の「常識を理解する」というのは、常識を理解することではなくて、受け入れるということのようです。常識を受け入れるなら、「侮辱」ということになるのでしょうが、私はその常識を前提にしてはいません。
非常識な発言をするのと常識を疑うのは別の事だ。
常識を覆し、真実を明らかにするならば根拠を示さなければならない。
根拠を示せず非常識な発言をするならば、その者自身が非常識な人間であり非難されるのは当たり前だ。
そしてそれは科学的態度でも、識者の態度でも無い。
あなたは9月に書き込んでから3か月もの間このフォーラムに執着しています。これほど長い間執着する以上、相当な動機があると推測されます。私が察するに、それはあなたが謂う所の「侮辱発言」に対する怒りだと思います。実際あなたの書き込みのいたるところに怒りがにじみ出ています。
当然怒りはある
1つは非常識な発言に対する怒り、2つは間違いを認められない貴方の姿勢に対する怒り。
しかし貴方が本物の馬鹿だとは僕は思ってはいない。
匿名と言うのは卑怯なものだ。何を言おうと僕には何の責任もリスクも生じない。
貴方の様に個人情報を開示し、自分の持論を述べることはリスクもあるし勇気のいる事だ。
たが責任も生じる。
貴方が間違がった見解を述べ、惑わされる者が出て来る可能性もあるのだ。
貴方の説は一理ある良い説が多い。
惑わされる者も多くなる。
又個人的にも素晴らしい説の中にこの様な説が混じっている事を残念に思う。
自分が間違っている可能性に対して謙虚で無ければならない。常識を疑うなら先に自分の考えを疑ってからにすべきだ。
間違いを認めるのは恥ずべき事ではない。
驚くのは永井さんの辛抱強さと匿名さんの理解力のなさです。永井さんは徹頭徹尾論理的に丁寧に議論してるのに対して、匿名さんは感情論に終始してる。
こうした感情的な読者を相手にするのはそれこそ時間の浪費では?
専業主婦(夫)の本質が売春婦(夫)のそれと同じだというのは正にその通り。家計の管理や家事、子育てといった仕事はアウトソーシングできる。ただしSEXはそうはいかない。もちろんSEXをアウトソーシングしようとする例もあるかもしれないが、最初からそう考えて結婚する夫婦はいないし、仮にいたとしてもそれは金目当ての偽りの結婚だから例外的なケースだと考えてよい。
匿名さんがこの事実に激しい怒りを覚えるのは売春婦に対する著しい職業差別があるからではないですか?私はこうした無自覚な職業差別に対して逆に怒りを覚えますけどね。
僕が驚くのは貴方の理解力のなさと読解力の無さです。
その証拠に貴方は永井さんを擁護しているつもりでその実批判している。
「専業主婦は売春婦と同じくsexで飯を食っている」
この永井説に対して、金目当ての結婚を偽りの結婚とするなら、金目当てでsexする売春婦は本質的に専業主婦と違うと言っている事に等しい。
僕は感情よりも真実を尊重したいと思っています。
その証拠に納得する事実つまり根拠の提示を何度も求めている。
そして永井さんは納得出来る事実を今のところ提示出来ていません。
根拠無く自説を詭弁や論点のすり替えで装飾する者が結論ありきの感情論を振りかざしているのです。
何故なら現実に起こっている事象、事実に感情を挟む余地は無いからです。
よく読みましょう。
SEXをアウトソーシング、つまりSEXを排除して対価を得ようとするような結婚を「金目当ての偽りの結婚」といったのであって、通常のよくありがちな打算的な結婚を金目当ての偽りの結婚とは言っていません。なぜなら後者は結婚の本質である子供を作るという行為、SEXを排除していないからです。
常識的には打算的な結婚を偽りの結婚というでしょうが、そんなナイーブな議論はしていません。多かれ少なれどんな結婚にも妥協や打算はあるでしょう。
貴方が挙げた根拠はいずれも売春婦と主婦の相違いを逆に強調しているという点で同じ事です。
売春婦は1人の固定客としか寝ないならともかくそうではない。
又客と子供を作る事もない。
社会システムをも含めた全ての生命システムは、存続し続けるためには、環境適応と変化適応という二つの課題にこたえなければなりません。
もしも種が分化しないなら、すなわち誕生したままの一種類の種しか存在しないなら、変化適応力がないから、すぐに生命は消滅したでしょう。実際には種が分化したことで、多様性が生まれ、今日に至るまで生命は生き続けています。なぜそうなったかは、人間原理で説明できます。
有性生殖が誕生し、普及したのも、遺伝的多様性を増やすことで変化適応力を高めた(特に、ウイルスによる攻撃によって全滅するリスクが減った)ためというのが生物学界では有力な説になっておりになっており、私もこれを支持しています。
有性生殖の誕生を利己的遺伝子の自殺行為とみなさないためには、利己的遺伝子の単位をコドンにまで縮小しなければなりません。ところがコドンは、利己性を主張するほどのユニークネスがないので、この段階で、利己的遺伝子仮説は破綻します。
有性生殖がリスク分散のために生まれたことは、性の本質を理解するうえで重要です。一般的に言って、死のリスクが増えると性欲が強まり、妊娠率も高くなりますが、これは有性生殖の起源を考えるなら納得のいく現象です。
人間が性をタブーにしたことも、繁殖戦略上合理的な行為です。性をタブーにすれば、生殖行為がリスキーになり、それによって性欲が高まり、妊娠率も高まるからです。性欲を満たすためのハードルを上げ、性の希少価値を高める方法は、性器の隠蔽や売春の禁止など、複数あります。
以上は、『ファリック・マザー幻想』で書いたことですが、あなたはこれを読もうとしない。本に書いた話を何度も繰り返さないといけないのにはうんざりします。
私は、専業主婦と売春婦がすべての点で完全に同じであるとは言っていません。そんなことわざわざ言わなくてもわかるだろうと思っていたのですが、そうではないようですね。私が言っていることは、専業主婦も売春婦も性で報酬を得ているという点では同じだということです。すべての生物は、食料を食べることで生きているという点では同じであるというのと同様の表現で、ナンセンスでも何でもありません。
もしも賃金水準が異なることを理由に同じ概念の適用を拒否するなら、「専業主婦」や「売春婦」という概念自体が成り立ちません。なぜなら、同じ専業主婦どうし、同じ売春婦どうしでも、同じ仕事に対する報酬水準が異なるからです。
投資会社に、一定の報酬を払って資産運用を委託している場合を考えてください。客は、投資会社から、毎月分配金をお小遣いとしてもらっているけれども、だからといって、売り手と顧客の関係が崩れるということはありません。
私が根拠を示していないのではなくて、私の根拠にあなたが納得していないというだけのことでしょう。納得しないなら、それで結構です。そもそも私は、私の説を認めてくださいとあなたにお願いした覚えはないし、私の説が気に入らないなら、たんにそれを受け入れなければよいだけです。私は自分の価値観や理論を他人に押し付けることはしません。多様性を認めることが社会の変化適応力を高めるという信念があるからです。
こういう言い方をすると無責任に聞こえるかもしれませんが、科学の理論とは本来そういうものなのです。科学の実態を知らない素人ほど、科学の理論は、証拠によって正しさが証明されると思い込むものですが、経験科学では、証拠によって理論の正しさが証明されるということはありえません。科学者たちは、仮説を立てて、反証例が出てくれば、仮説を組み立てなおすという作業をエンドレスに繰り返しているだけです。絶対的に正しい理論は存在せず、その意味では、すべての理論は仮説にすぎないということができます。
私の理論も仮説であり、反証例があるなら、その内容を修正します。しかし、今のところ、反証例はないし、私の仮説を放棄する理由もない。しかし、仮説なのだから、他人に認めることを強要するような性質のものでもない。価値観に至ってはなおさらです。
>>もしも種が分化しないなら、すなわち誕生したままの一種類の種しか存在しないなら、変化適応力がないから、すぐに生命は消滅したでしょう。
間違いです。原始の単細胞生物は10億年以上存在し、今の殆どの種が耐えられない全球凍結といった環境の激変を乗り越えました。
> >有性生殖の誕生を利己的遺伝子の自殺行為とみなさないためには、利己的遺伝子の単位をコドンにまで縮小しなければなりません。ところがコドンは、利己性を主張するほどのユニークネスがないので、この段階で、利己的遺伝子仮説は破綻します。
有性生殖と利己的遺伝子論は両立します。ウイルスや環境の変化に耐えられる様、確実に自己の遺伝子を残す為に多細胞生物の多くは有性生殖するのです。
生物の遺伝子は親から子へ全てでなくとも受け継がれるのは事実で、利己的遺伝子が何処にあるか、どの遺伝子か?と言う事は解明されていない事であり、利己的遺伝子論を否定する根拠になりません。
又全ての個体が己の遺伝子を残そうと競う為多様性も保たれます。
脱落する個体は、自然淘汰の範疇なのです。
性器の隠蔽も自己の性的魅力を高め確実に子孫を残そうとする利己的遺伝子論で説明が出来ます。
そして自己を犠牲にして、他を生かすのは利己的遺伝子論では説明出来ない事であり、本能に反する行為だと僕は考える。
その根拠としては生物の行動殆どが利己的遺伝子論で説明出来るからで、貴方の説では説明出来なかったからだ。
>>なぜなら、同じ専業主婦どうし、同じ売春婦どうしでも、同じ仕事に対する報酬水準が異なるからです。
同じ職種には相場の賃金があります。僕が先に示したのは最低レベルの相場の賃金であり、一般の専業主婦が貰うであろう生活費が大きく下回っているのなら、違う職業と考えるべきです。
>>客は、投資会社から、毎月分配金をお小遣いとしてもらっている
そういう関係の風俗嬢と客はいるんですか?
>>専業主婦も売春婦も性で報酬を得ているという点では同じだということです。すべての生物は、食料を食べることで生きているという点では同じであるというのと同様の表現で、ナンセンスでも何でもありません。
いや、この議題に必要のない大雑把すぎる括りで明らかにナンセンスだ。それに貴方はそう言う意味で売春婦と主婦を同列に見做しのでは無い。
>>規制緩和による価格破壊で打撃を受けるのは、売春婦だけではない。同じく「セックスでメシを食っている」専業主婦もデフレの危機に晒される。いつでも、安く、簡単に女を買うことができるようになれば、男たちは、もはや性的快楽のためだけに結婚する必要はなくなる。そうなれば、専業主婦志願の女性たちは大量に売れ残ることになる
つまり貴方の主張は売春婦と主婦の需要は競合関係に有ると言う物で、それは明らかな間違いだ。
違うと言うなら貴方の売春が人口を減少させると言う説の根拠が1つ失われた事になる。
>>私の理論も仮説であり、反証例があるなら、その内容を修正します
直ぐ修正した方が良い。
確かに全ての事象を説明出来る説など無いが、仮説の根拠となる事象すら説明出来ない説はコレ以外に見た事がない。
だから反証を提示する迄も無いのだ。
あたかも風俗客が、人間関係構築の順序をすっ飛ばして金でsexに辿り着く様に、貴方の説は根拠とする事象の検討すべき点をすっ飛ばして結論にこじ付けている。
この説は前に貴方が述べた様な社会改革論ではない。何故なら行動を伴わないし、責任も貴方は負う気が無いからだ。
又生物学的理論でもない。
それは貴方自身が否定した。
貴方の言う様な全ての分野を兼ねる理論でも無い。
何故なら貴方の提示した根拠は根拠になっていないからだ。
つまり、唯の妄想だ。
>>多様性を認めることが社会の変化適応力を高めるという信念があるからです。
価値観の多様性を認める事にも限度がありますよ?
例えば「売春が人口を減少させる」この売春と言う部分を殺人に置き換え、娼婦を殺人者に置き換えても違和感なく成り立つ。
いや、こっちの方が未だ筋が通っていると言う点では説として成り立つかもしれない。
殺人が悪と言う価値観も不変の物ではない。戦場や事件の方をつける時には寧ろ正当な物とされる。
しかし僕は殺人が良いと言う価値観には賛成出来ない。
価値観の多様性を認める事は善悪の別がつかなくなる事とは違う。
>>「誰にも迷惑をかけずに、お互い自由意志で合意してやっているのだから、なーんにも悪くないじゃん」
談合や賄賂にも同じ理屈は使えるだろう。
しかしこの理屈からはお互い嫌な思いをしても守らなければならない規範が社会にはあると言う事実認識がすっぽり抜け落ちている。
匿名さん
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同じ時間に投稿するコメントは、できれば一つにまとめてほしいです。
あなたが問題にしたのは、「種の起源」であって、「多細胞生物の起源」ではありません。一口に単細胞生物といっても様々な種があります。様々な種に分化しなくても、最初の生命体が、これまでの多くの環境変動を、種を分化させることなくそのままの形で乗り越えることができたという結論を出すことはできません。ちなみに、最初の生命は、真正細菌と古細菌に分化したと考えられていますが、それらのどちらかと同じということはありません。
有性生殖が利己的遺伝子の自殺行為でないとするなら、利己的遺伝子は、有性生殖によって決して消滅することがない最小単位でなければなりません。ところが、その最小単位には、利己性を主張できるユニークネスがないし、そもそも単独では生命体ですらありません。生命体とはみなせない物質を擬人化(あるいは、擬生物化)して、それによって進化を説明することは不合理です。
あなたは大雑把と思うかもしれないが、性で報酬を得るという共通点は、専業主婦という概念にとっても売春婦という概念にとっても本質的なことです。性交渉を行う合意がなかったり、経済的な見返りが全くなかったなら、その人を専業主婦あるいは売春婦とは言わない。
その意味で、既に使用した表現を用いるのなら、両者は本質において共通点を持っていると言うことができます。本質において共通点を持っているということは、偶有性では異なることがありえるということです(本質と偶有性の違いに関して、リンク先を参照されたし)。「男も女もパンを食うから変わらない」というのはたしかにナンセンスだけれども、それは、パンを食べるということは、男あるいは女であるうえで本質的ではなく、偶有性に属することだからで、偶有性における一致と本質における一致とを同一視してはいけません。
あなたのこれまでの指摘は、偶有性における違いであって、本質における違いではありません。報酬水準も偶有性における違いにすぎません。時給1万円なら売春婦だけれども、時給5千円なら売春婦ではないとは言えません。金持ちと結婚しているなら専業主婦といえるけれども、平均的な年収の夫と結婚しているなら専業主婦ではないとは言えません。だから、これらは本質ではなくて、偶有性に属することだということになります。
夫の財産を管理しているかどうかも、そうしていないなら専業主婦とは言えないなどということはないのですから、本質的な話ではありません。偶有性に属する話だから、本質において共通点を持っているという主張に対する反論になっていません。
あなたが「労務者が雇用主に給料を払う…そんな事はあり得ない」と言うから、反証例を挙げたのです。金持ちが専属ファンドマネージャーを雇う場合を考えてください。夫が妻から小遣いをもらうように、金持ちが専属ファンドマネージャーから運用益をもらっても、労務者と雇用主の関係は変わらないでしょう。
これまでの書き込みを見ていると、あなたは、自分の主張が否定されると、論点をずらして別の攻撃を仕掛けるということを繰り返しているようです。おそらく、私と議論をすることが目的ではなくて、私に対して嫌がらせをするのが動機のようです。そう解釈すれば納得のいく行動です。
もしも売春婦が利用可能でないなら、結婚に対する需要も、それが利用可能である場合と比べて増えるでしょう。
「殺人は人口を減少させる」という主張は、短期的にはともかくとして、長期的には成り立たないことが多い。内乱や戦争などで大量に人が死ぬと、既に述べた有性生殖のメカニズムにより、出産が促されるからです。途上国の女の出生率が高いのも、高い死亡率の裏返しの現象です。今の日本のように、平和で、殺人事件の発生率も長期的に低下している安全な国では、出生率は自然と低下します。
あなたも認めるように、死刑の執行、正当防衛での殺人、戦場での敵の殺害などを含めてすべての殺人が悪なのかどうかに関しては議論の余地があるし、それに関しては多様な意見があってよいと思います。しかし、だからといって法律による合法と違法の区別がないわけではない。同様に、現在の科学には定説があって、多くの事柄に関して、何が真か偽かのコンセンサスがあります。しかし、このことは、現行法や現在の定説が永遠に正しいというを保証するものではないし、だからこそその変革のためにも多様な意見が必要ということです。
談合は、市場経済を機能不全にし、消費者に不利益を及ぼします。収賄は、国民の利益よりも収賄政治家や贈賄業者の利益を優先する政治を帰結するので、納税者に不利益をもたらします。談合や賄賂と比べると、売買春にはどのような実害があるのかはっきりしません。そういう違いがあるのです。
「全ての事象を説明出来る説」というよりかは「全ての人を納得させられる説」がないというべきでしょう。私の説も、仮説なのだから、すべての人を納得させようとは思わないし、あなたを納得させるつもりもない。
もしも「いやしくも説を主張するのなら、万人を納得させる根拠を説明するべきだ」と主張するのなら、あなた自身がまずはそれを実行してみるべきではないでしょうか。「売買春を認めるべきではない」という説に強い自信を持ち、他人に受け入れることを強要するのなら、なおさらです。
あなたは、これまでいくつか根拠らしきことを主張してきました。あなたは、売春が軽蔑するべき行為だというご自身の感情を吐露しました。しかし、たとえ社会の多くの人がそうした感情を共有したとしても、それは法律で禁止するべき根拠にはなりません。違法行為を軽蔑するという感情はわかるけれども、軽蔑するという感情を処罰の根拠にすることはできません。こうした議論は既に行いました。
あなたはまた「常識」という言葉を引き合いに出しました。しかし、学問の世界では「…は常識だ」は「…は真理だ」とは同じではありません。私が見るところ、あなたは、万人を納得させる根拠を説明していません。自分ができないことを他人に要求してはいけません。
要望に応えて、表示数を増やしました。もっとも、できるだけ投稿を一つにまとめてほしいのは、私とて同じです。
>>最初の生命体が、これまでの多くの環境変動を、種を分化させることなくそのままの形で乗り越えることができたという結論を出すことはできません。
いや、実際単一の種は全球凍結を乗り越えてます。
種の分化は生存競争と其れに伴う遺伝子変異の結果起こるのです。
例えば恐竜が絶滅したあと哺乳類が恐竜がいた生態的地位に進出した。
何故恐竜がいた頃それが出来なかったのか?と言うと生存競争に勝てなかったからだ。
ボノボとチンパンジーは元々は同種だったが水を恐れない集団が川を渡りボノボへと進化した。
元になった集団は水を恐れないと言う同一の遺伝的特徴を持っていた。
生命の狡智と言うが貴方の理屈ではそこで思考停止している。
これは神が何故生命を創ったのか?と言う問いに答えられない創造論と変わらないし、進化論の理屈にも沿わない。
>>あなたは大雑把と思うかもしれないが、性で報酬を得るという共通点は、専業主婦という概念にとっても売春婦という概念にとっても本質的なことです。性交渉を行う合意がなかったり、経済的な見返りが全くなかったなら、その人を専業主婦あるいは売春婦とは言わない。
sexで報酬を得ると言う一点のみに注目し、他の違いを全て無視して同一視するならば、風俗客や夫もsexで報酬を得ていると言えるでしょう。
生物は利己的で大体の行動には報酬を目的としている。
金銭的報酬の差異を無視して報酬を得る得ないで語ればそう言う的外れな理屈になってしまう。
又本質、本質と言うが昼の仕事を持っていようが売春婦は売春婦であり、主婦は主婦だ。
何故専業主婦だけが売春婦と同列なのかわからない。
自分の説に自信があるなら主婦も売春婦も同じだとはっきり言わなければならない。
>>現行法や現在の定説が永遠に正しいというを保証するものではないし、だからこそその変革のためにも多様な意見が必要ということです。
貴方はこの理屈からどういう風に社会を変革したいのだ。責任を負う気もなく行動する訳でも無いのに。妄想は社会改革論になり得ない。
>>売買春にはどのような実害があるのかはっきりしません
貴方がわかっていないだけでしょ。
はっきりしない事をはっきりさせ様とする試みが科学や哲学と言った学問だ。
>>あなたが「労務者が雇用主に給料を払う…そんな事はあり得ない」と言うから、反証例を挙げたのです。金持ちが専属ファンドマネージャーを雇う場合を考えてください。夫が妻から小遣いをもらうように、金持ちが専属ファンドマネージャーから運用益をもらっても、労務者と雇用主の関係は変わらないでしょう。
で?そう言う関係の風俗客と風俗嬢はいるんですか?
>>「全ての事象を説明出来る説」というよりかは「全ての人を納得させられる説」がないというべきでしょう。私の説も、仮説なのだから、すべての人を納得させようとは思わないし、あなたを納得させるつもりもない。
納得も何も、宗教ではないのだから信じる信じないと言う議論をしている訳ではない。
自分は唯貴方の説の矛盾を指摘しているに過ぎない。
「何故売春をしてはいけないのか?」という謎に対しての貴方の結論「売春は人口を減少させるから」と言う説の根拠「専業主婦と売春婦は同じ様にsexで飯を食っていて需要が競合関係にある」、「風俗客が結婚して子供を作らなくなる」と言う部分の裏付けを求めているに過ぎない。
それを嫌がらせと感じたり、別の説の押し付けと感じる様ではこのサイトは未来永劫学術サイトになる事はないでしょう。
私は実際どうなったかという話をしていません。「もしも種分化が起きないなら、つまりもしも最初に誕生した種だけが存在したなら…」という反実仮想ですから、それを実証することは原理的にできません。しかし、少なくとも、種分化が起きた方が、そうではない場合よりも環境変動によって生命が途絶えるリスクは低減するということはたしかだし、私の理論にとってはそれで十分です。
マルチバース仮説と人間原理によって説明できます。そこが宗教的な創造論やインテリジェント・デザイン説との違いです。
専業主婦と売春婦は本質において共通点を持っていると書きましたが、誤解がないように付け加えるなら、共有する本質的要件は、それぞれの概念にとっての唯一の本質ではありません。違う名称で呼ばれている以上、何らかの違いが本質レベルであるはずです。それは、前者が婚姻届出を提出しているのに対して、後者はそうではないという違いです。これは本質における違いです。しかし、この違いは、性で対価を得ているという本質的要件を両者が共通に持っているということを否定するものではありません。
婚姻届出は形式的な手続きなので、それを利用して売春婦と専業主婦とを形式的に同じにするサービスがあります。イスラム教徒向けの売春宿です。イスラム教では、妻を最大四人まで持つことができます。そこで、イスラムの富裕層の中には、四人目を売春婦用に空けておいて、買春をするときは、売春宿で売春婦と結婚の契約にサインをし、終わったら離婚同意書にサインすることで法律違反を免れている人がいるそうです。
もちろん、これは極端なケースで、ほとんどの場合、専業主婦と売春婦は、偶有性レベルで多くの違いがあるので、常識では全くの別物と思われています。しかし、偶有性に属する違いがいくらあろうが、それは私が言っていることを否定することにはなりません。
何回同じことを繰り返させるのですか。
と前回書いたでしょう。
私は「だけ」とは言っていません。12月22日の書き込みでは、グラビアアイドルの例を挙げましたでしょう。性で対価を得ることが本質的要件を構成する職業は、他にもまだあります。
本文を読めばわかるはずのことですが、「売買春にはどのような実害があるのかはっきりしません」というのは、一般の人にとってであって、本文で実害を指摘した私にとってのことではありません。
人工知能とロボットの進化、抗老化医学の発達による健康寿命の延長、資源問題や環境問題といった観点から、脱工業化社会の時代では、人類の出生率を低下させるべきだというのが私の主張です。この主張はこのサイトのいろいろなところでしていますが、実際に世界の出生率は低下傾向にあるから、特段の行動を起こすまでもありません。
しいてやるべきことといえば、日本を含めた先進国で行われている少子化対策が不要であることを主張することです。私はこのサイトでそうした主張をしており、ネットという公共の空間でそうした言動を行うことは、社会改革の行動の一つとみなすことができます。また、実名でやっているのですから、少なくとも匿名で書きこんでいるあなたよりかは責任を取っているということができます。
私は何の根拠もなくでたらめをしゃべっているわけではありません。少なくとも、あなたが「売春は悪だ」という主張を裏づけていると思っている「根拠」と比べるなら、より理論的な根拠を示しています。その根拠にあなたが納得するかどうかは別の話です。それなのに、私が何の根拠も示していないかのように言い続けるのなら、それはあなたの読解力と理解力に問題があるからか、あるいは嫌がらせ目的でやっているからかのどちらかと解釈せざるを得なくなります。
>>私は実際どうなったかという話をしていません。「もしも種分化が起きないなら、つまりもしも最初に誕生した種だけが存在したなら…」という反実仮想ですから、それを実証することは原理的にできません
なるほど納得出来ました。
つまり妄想と言う事ですね。
なるほど妄想なら事実を指摘して違っていると言うのも野暮な事だ。
大変失礼致しました。
ボノボが絶滅の危機にありながら遊びのsexをする矛盾も、単一種が10億年以上存在し全球凍結を乗り越えた事実を無視する理由も貴方の説が進化論と相容れない理由も、現実に存在しない貴方の妄想世界でのみ通用する理屈だから説明出来ないと言う説明でふに落ちました。
>> 前者が婚姻届出を提出しているのに対して、後者はそうではないという違いです。これは本質における違いです
形式的な違いは本質的な違いになり得ない。
貴方自身法律や規範は一次的な理由でないと言ったではないか。
>>夫の財産を管理しているかどうかも、そうしていないなら専業主婦とは言えないなどということはないのですから、本質的な話ではありません。偶有性に属する話だから、本質において共通点を持っているという主張に対する反論になっていません。
しかし同じ事をしている風俗嬢と客はいない訳だ。
本質にせよ偶有性とやらにせよ違いは違いだ。
>>私は「だけ」とは言っていません。12月22日の書き込みでは、グラビアアイドルの例を挙げましたでしょう。性で対価を得ることが本質的要件を構成する職業は、他にもまだあります。
何故ここでグラビアアイドルが出て来るのですか?グラビアアイドルはsexで飯を食べているわけじゃない。
専業主婦になるかどうかは家庭の事情によるもので、専業主婦になったり兼業主婦になったり状況によって変わる物なのだから、貴方の理屈では主婦全般が売春婦と同じ様にsexで飯を食べていると定義しなければならない。
何故なら昼職を持っていようが売春婦は売春婦だからである。
しかし風俗嬢が昼職を持っていようが風俗客が其れを理由にsexの代金を払わない事など通じない。
ならば働いている主婦が夫から生活費を貰っていないケースは夫がsex代を滞納しているのだろうか?
>>本文で実害を指摘した私にとってのことではありません。
?貴方は売春は人口を減少させると言う説を唱え人口減少を良い事と言っている。
これは実害が無いと言っているのと同義だと思うが?
>>ネットという公共の空間でそうした言動を行うことは、社会改革の行動の一つとみなすことができます
口でなら何とでも言える。
もし国が貴方の説を採用したとして、しかし実際には少子化対策が必要であり国が衰退した場合を考えていないでしょう。
それは責任を負う姿勢ではないし、社会改革的行動でもない。
>>私は何の根拠もなくでたらめをしゃべっているわけではありません。
「売春が人口を減少させる」
この根拠は
「専業主婦は売春婦と同じくsexで飯を食べている」
と言うもので、もし売春が社会通念上堂々と認められる世の中になったら、「風俗客が結婚しなくなる」その結果専業主婦志願の女性が大量に売れ残り少子化が進むと言うのが貴方の説です。
これが成り立つには先ず専業主婦と売春婦の需要が競合関係に無ければならない。
しかし専業主婦と売春婦には多くの違いがありました。
グラビアアイドルにはヌードグラビアと水着グラビアがありますよね?
両者の違いは水着の面積しかないが両者とも存在し、需要がある。
果たして本当にもっと多くの違いがある主婦と風俗嬢の需要が競合するのか検討しなければならない。
もし貴方の説を採用して専業主婦がsexで飯を食っているとして、24時間売春婦を雇うより専業主婦を雇った方が安くすみます。
なら専業主婦を雇わない理由が無いので売春婦が逆に廃れる筈です。
更に何時も金で一方的に女の子を選んでいる人には解り難いかもしれませんが、結婚願望のある女も男を選びます。
貴方の説に従うなら風俗客は女に選ばれなければならない。
この辺も事実と照らし合わせて検証しなければならない筈だ。
これらの順序をすっ飛ばし、検証を促す僕の問いを嫌がらせと受けとる態度が妄想や願望で無くてなんなのか。
検証も無しに根拠と言い張るのは無根拠な主張では無いか。
反実仮想は、自然科学ではシミュレーションと言います。シミュレーションは自然科学の分野では様々な分野で行われています。もしも少しでもシミュレーションをするならすべてが妄想ということなら、自然科学はすべて妄想の産物ということになります。
形式的/実質的という区別は本質的/偶有的という区別とは関係がありません。
それはあなたが主張していたことでしょう。
何度も同じことを繰り返すことになりますが、私は違いがありうることを最初から否定していません。本文でも“専業主婦は終身雇用の専属社員で、売春婦はパートタイムの派遣社員という就業形態の違いはあっても、ともに「セックスでメシを食う」という点では変わりがない”という書き方をしました。
英和辞典で“sex”の意味を調べればわかることですが、この言葉は、性交だけでなく、性、性別、性的なものをも意味する外延の広い名詞です。「…でメシを食う」という表現も、たんに食費を稼ぐという意味だけでなくて、もっと幅広く、生計を立てるという意味で使われます。
「セックスでメシを食う」というのは、ずいぶんふざけた表現なのですが、そうした書き方をしたのには事情があります。これを書いていたのは、『縦横無尽の知的冒険』に収録する原稿を書いていた時期で、私から見てふざけていると思えるぐらいがちょうどよいと出版社から発破をかけられ、そうした羽目を外した言い方をしたのです。このあたりは売文業(商業出版)の卑しいところです。もちろん、最終的な文責は私にあるので、出版社に責任転嫁するつもりはありません。ふざけた表現を不快に感じた方にはお詫びを申し上げます。
もっとも、「セックスでメシを食う」と言っても、「性で対価を得る」と言っても、表現が挑発的か否かという違いはあっても、言っていることは同じで、かつ概念的に間違ったことを言っているわけではありません。
グラビアアイドル以外にもう一つ例を挙げると、ミスコン入賞者も、性で対価を得ています。性交をするわけではないのにもかかわらず、ミスコンを「性の商品化」と非難する人がたくさんいます。一般の労働市場で肉体労働や頭脳労働を商品化しても非難する人はいないのに、なぜ性を商品化することは非難されるのか、なぜ性はタブー視されなければならないのかが本稿や「人はなぜ性器を隠すのか」で提起している問題なのです。
また論理の飛躍が始まりましたね。貴方のその理屈では、女が売春婦になるかどうかは家庭の事情によるもので、状況によって変わる物なのだから、女全般が売春婦と同じと定義しなければならないことになります。
性交は本来互恵的だから、性的魅力が拮抗するなら、報酬は相殺されます。相思相愛の未婚の男女が性交しても、金が支払われることはありません。金が支払われるのは、性的魅力に大きな非対称性がある場合です。同じようなことは夫婦についても言えます。一般的に言って、共働きの妻になるよりも専業主婦になる場合の方が、より大きな性的魅力が女に要求されます。男からすれば、養ってあげる以上、それに見合う性的魅力を要求するのは自然なことです。大部分の妻は完全な共働きと完全な専業主婦の中間ですが、経済力の非対称性が大きければ大きいほど、それを補う性的魅力での非対称性が女に要求されるということです。
誕生からつい最近まで、人類史の99.9%以上の期間において、人口を減らすことは悪です。「人工知能とロボットの進化、抗老化医学の発達による健康寿命の延長、資源問題や環境問題」といった条件がそろっているのは今の時期ぐらいです。そして人類の価値観は、99.9%以上の期間の歴史において形成されてきたのです。もっとも今でも、あなたを含めた多くの日本人が「少子化は悪」と信じている。そこは、《事実としての価値》と《価値としての価値》を区別して考えなければいけないところです。
これは表面的な理解です。もっと広く深く理解してください。私が言っていることは、性(性交に限定されない広い意味での性)の希少価値が低下すれば、出生率も低下するということです。
一般的に言って、一生面倒を見なければならない専業主婦と比べるなら、短期の契約で終わる売春婦の方がトータルのコストは小さくて済みます。もっとも売春婦を愛人として長期間囲うとなると話は別です。だから一概にどっちが安いとは言えない。
売春婦には働く店を選ぶ自由があるし、店や売春婦には客を拒否する権利があります。韓国が「性奴隷」と呼んでいる慰安婦にすら接客拒否の権利が認められていたようです。逆に、今のこの御時世、「金持ちならだれでもよい」と言っている専業主婦願望の女性はいくらでもいます。
あなたが私の理論的説明に納得しないのは当然のことだと思っています。なぜなら、あなたは最初からそのようなものを求めていないからです。
あなたは、怒りが動機となっていることを認めましたね。学問的な議論は知的好奇心を動機としており、怒りを動機とはしません。知的好奇心を動機としている人は、合理的説明を求めているので、合理的説明をすれば満足します。ところが怒りを動機としている人が求めているのは、謝罪であって、理屈ではありません。相手を攻撃することが目的で、議論はそのための手段にすぎません。そういう人に論理的な説明をしても火に油を注ぐだけの結果にしかなりません。
あなたは、学問的な議論をしていると主張するかもしれません。しかし、もともとそのようなものを求めていたのではなかったことは、当初の書き込みを見れば明らかです。あなたは最初感情に訴え、常識を持ち出しました。全然学問的ではありません。それでも私が態度を変えないから、途中で方針を変え、私に合わせる形で学問的なスタイルに攻撃方法を変更したというのが実態でしょう。しかし、今度は私があなたに合わせて言いますが、学問的な説明はもともとあなたが求めていたものではないはずです。だから、あなたが満足しないのは当然なのです。
>>もしも少しでもシミュレーションをするならすべてが妄想ということなら、自然科学はすべて妄想の産物ということになります。
シミュレーションは現実に起きた事に基づく予想であって、現実を無視した妄想ではない。
つまり、自然科学は予想であって、貴方の説は妄想である。
>>それはあなたが主張していたことでしょう
いや
>>常識を疑うというのなら、道徳の内容がなぜそうなっているのかまでさらに突っ込んで考えてください。
>> 世の中には、世間から軽蔑されているけれども、法的には禁止されていない職業があるのだから、この二つの問いは別物です。
どちらも一理ある主張だ。つまり何故婚姻届出を出す出さないと言う違いがあるのか、貴方は考え無ければならない。その理由こそが本質でしょう。
>>“専業主婦は終身雇用の専属社員で、売春婦はパートタイムの派遣社員という就業形態の違いはあっても、ともに「セックスでメシを食う」という点では変わりがない”という書き方をしました。
仮にそうだとして、2つの需要は競合しうるのか?
もっとも同じ職種なのか?から検討が必要だが。
>>経済力の非対称性が大きければ大きいほど、それを補う性的魅力での非対称性が女に要求されるということです。
?いやコレはおかしい。
何故なら
>> 性的魅力が拮抗するなら、報酬は相殺されます
一般的には貴方の言う様に報酬が相殺された関係にある、つまりお互い釣り合う者同士が結婚する。
結婚した後で経済格差が開いても、報酬が相殺された関係なのだからsexは男に対する報酬にならない。
又専業主婦になるかどうかは一般的に家庭の状況によるもので最初から専業主婦志望だと公表して結婚する人は普通ではない。
男としての魅力の無さを金で埋め、専業主婦志望の女と結婚すると言うのは普通ではない。
金や学歴や性的魅力は異性を選ぶ重要な要素ではあるが売春婦は金しか見ない訳で、より単純であり、ここも結婚願望のある女とは異なる。
>>性(性交に限定されない広い意味での性)の希少価値が低下すれば、出生率も低下するということです
おかずが増えてオナニーする分人口が減ると言う事なら墳飯物です。
>>一般的に言って、一生面倒を見なければならない専業主婦と比べるなら、短期の契約で終わる売春婦の方がトータルのコストは小さくて済みます
貴方の主張の通りなら、性的魅力を自分の専業主婦から感じなくなった時点で離婚し、関係を切ればよい。一生面倒見る必要など無い。明らかに同じ時間売春婦を雇うより安く済む。
>>逆に、今のこの御時世、「金持ちならだれでもよい」と言っている専業主婦願望の女性はいくらでもいます。
風俗客はそういう女に選ばれる程金持ちなのか検討が必要である。
>> あなたが私の理論的説明に納得しないのは当然のことだと思っています。なぜなら、あなたは最初からそのようなものを求めていないからです
論理の飛躍である。僕の上げた根拠の検証を行なった上でそういう話になるなら判らなくも無いがそうではない。
>>あなたは、怒りが動機となっていることを認めましたね。学問的な議論は知的好奇心を動機としており、怒りを動機とはしません。
世の中には様々な価値観がある。どの様な動機や価値観を持つのも僕の自由である。
>>知的好奇心を動機としている人は、合理的説明を求めているので、合理的説明をすれば満足します
根拠ある説明が合理的な説明である。妄想はその対極にある。
「種は多様性を失うと絶滅リスクが上昇する」というのは事実であり、生物学におけるコンセンサスです。もしも私が言っていることが妄想で、自然科学者が言っていることはそうでないと信じているなら、生物学の専門家に「種は多様性を失うと絶滅リスクが上昇する」が正しいかどうかを聞いてみるといいでしょう。たぶんみんな肯定すると思います。
あなたは「世の中には、世間から軽蔑されているけれども、法的には禁止されていない職業があるのだから、この二つの問いは別物です」を証拠として挙げているけれども、この文は、軽蔑という感情が法律や規範の一次的な理由にはならないということを言っているのであって、法律や規範は一次的な理由でないと言っているのではありません。つまり、法律が重要でないと言っているのではなくて、軽蔑という感情が重要でないと言っているのです。
最初から同じ職種とは見なしていないと何回言えばわかるのですか。競合に関しても以前答えたでしょう。同じ話の蒸し返しはやめてください。
相変わらず表面的な理解にとどまっていますね。
例えばあなたが何か物を買ったとしましょう。買った瞬間では、払った金銭だけの価値があると思っているはずです。ところがその後で、「これにはそれほどの値打ちはなかった」と気付いたとしましょう。買い手にそう言っても、差額を支払ってもらえることはないでしょう。契約というのはそういうものです。後で事情が変わったからとかいって、簡単に変えられるものではありません。また、いったん結んだ契約を解除しようとすると、違約金が発生するのが普通です。
一般的に言って、契約は、当事者同士が承認し合わなければいけませんが、第三者に公表する必要はありません。
それは離婚の理由としては認められません。莫大な金を積むなら、そういう理由でも離婚できるかもしれませんが、どのみち金がかかってしまいます。
女性の容姿が衰えるのは必然ですから、それが嫌なら最初から結婚をしなければよい。芥川賞作家の西村賢太さんは、「嫁が老けていく一方だから結婚するのは損」という理由で結婚せずに風俗通いをしているそうです。たしかに、こちらの方がコスト・パーフォーマンスは良いでしょう。
少なくとも料金を払うことができる程度の金を持っていなければいけません。ぼったくり料金であっても、支払わないと、奥から怖いお兄さんが出てきます。
相手の動機を理解することは重要です。相手が望みもしないものを与えても満足しないからです。あなたには私を理解しようという意欲が最初からないから、ここでのやり取りはすべて無駄になるだろうと思っています。
>>また論理の飛躍が始まりましたね。貴方のその理屈では、女が売春婦になるかどうかは家庭の事情によるもので、状況によって変わる物なのだから、女全般が売春婦と同じと定義しなければならないことになります。
貴方の主張が飛躍している為それに基づく推論も飛躍してしまうのです。
貴方の言う事を鵜呑みにして、専業主婦が売春婦と同じだと考えてもやはり次の疑問が当然浮かぶ。
何度も言う様に売春婦が昼職を持っていてもsex代を払わない事等通用しない。
主婦から専業主婦になった人はこれまでのsex代も請求しているのだろうか?
何回同じ説明を繰り返させるつもりなのですか。
>>「種は多様性を失うと絶滅リスクが上昇する」というのは事実であり、生物学におけるコンセンサスです。
そんな事は当たり前だ。動物は存在その物が他の種を捕食する事を前提に存在している。此処で述べているのは全ての生物は単一の種から発生し、その種は10億年以上存在したと言う事実だ。
>>法律や規範は一次的な理由でないと言っているのではありません。つまり、法律が重要でないと言っているのではなくて、軽蔑という感情が重要でないと言っているのです。
何にせよ、何故その様に法律が定められたかが重要で本質に近い。
>>最初から同じ職種とは見なしていないと何回言えばわかるのですか。競合に関しても以前答えたでしょう。同じ話の蒸し返しはやめてください。
同じ職種でないならば競合しない。
貴方の説は瓦解する。
>> 例えばあなたが何か物を買ったとしましょう。買った瞬間では、払った金銭だけの価値があると思っているはずです。ところがその後で、「これにはそれほどの値打ちはなかった」と気付いたとしましょう。買い手にそう言っても、差額を支払ってもらえることはないでしょう。契約というのはそういうものです。後で事情が変わったからとかいって、簡単に変えられるものではありません。
質問を理解出来ていない様だ。
質問に対する答えになっていない。
>>一般的に言って、契約は、当事者同士が承認し合わなければいけませんが、第三者に公表する必要はありません。
専業主婦志望者が一般的でない事実をはぐらかすための詭弁に過ぎない。
契約についてこうあるべきと言う話等していない。
>>それは離婚の理由としては認められません。莫大な金を積むなら、そういう理由でも離婚できるかもしれませんが、どのみち金がかかってしまいます。
貴方の説に従うならそれはおかしい。
専業主婦の仕事はsexであり、仕事が出来なくなったなら解雇されるのは当然で裁判所も全面的に離婚を認めてくれる筈ではないか。
>>少なくとも料金を払うことができる程度の金を持っていなければいけません。ぼったくり料金であっても、支払わないと、奥から怖いお兄さんが出てきます。
無知のベールとは馬鹿のふりをする事なのか?
風俗客が金目当ての女に伴侶として選ばれうるか?と言う質問をしているのだ。
>>相手の動機を理解することは重要です。相手が望みもしないものを与えても満足しないからです。あなたには私を理解しようという意欲が最初からないから、ここでのやり取りはすべて無駄になるだろうと思っています。
ここはレストランではなく貴方はコックではない。議論する場の筈。であるなら必要なのは事実の検証を重ねた根拠ある説であり、相手の望む返答ではない。
無根拠な妄想を詭弁の重ね塗りによって説だと信じ、事実を無視するのなら、この様な場を設けず妄想の世界に閉じこもっていればよい。
>>誕生からつい最近まで、人類史の99.9%以上の期間において、人口を減らすことは悪です。
それでは古代売春が肯定されて、現在では否定されている事の説明がつかない。貴方の生命狡智とやらの働きと逆ではないか。
>>性(性交に限定されない広い意味での性)の希少価値が低下すれば、出生率も低下するということです
人間以外の生物は裸だし、一部の鳥以外は性交も隠さない。動物達は遠慮して自ら出生率を低下させているのか?
ボノボについては何の根拠も無かったが。
表面的ではない深淵なるお考えを是非拝聴したい。
>>女全般が売春婦と同じと定義しなければならないことになります。
突き詰めれば貴方はそう言う考えを持っている。
女は打算的と言う発言から伺える。
それは構わないが質問に対し、答えていないのが問題だ。
性の希少価値を高める方法が他にもあるといった話は既にしています。同じ話の蒸し返しはやめてください。
我々とは異なって、ほとんどの動物は頻繁に命の危機にさらされているので、わざわざ死の恐怖を高めるまでもありません。もちろん必要がある場合もありますが、その場合は、交尾において雄が雌の首をかむなどの方法でやっています。人類はそうした野蛮な方法に代わって、文化的な方法で性の希少価値を高め、人為的に性交を死の体験に近づけているのです。
あなたは「ボノボが絶滅の危機にありながら遊びのsexをする」と言っているけれども、これは「ボノボは遊びのsexをするから絶滅の危機にある」ということだから、私の説通りの現象です。また、こういう種が絶滅することで、有性生殖のメカニズムは維持されると言うこともできます。
もしも私が言っていることを深く理解したいのであるなら、バタイユの『エロティシズム』などの著作を読むとよいでしょう。私のアイデアはバタイユに由来しています。もしもバタイユの本を読むことが面倒なら、このサイトの「蕩尽と至高性」の該当箇所を読むとよいでしょう。
バタイユが示したことは、性交は小さな死であり、エロティシズムの快楽は死の恐怖とともに高まるということです。バタイユはエロティシズムが何の役にも立たないと考えていましたが、性的興奮は妊娠率を高めるのだから、役に立たないとは言えない。むしろ、バタイユが言っていることは、有性生殖のメカニズムから説明されるべきだというのが私の考えです。
あなたは自分で論理が飛躍していることを認めたではないですか。そのようなものは相手にする必要はないでしょう。
「種は多様性を失うと絶滅リスクが上昇する」という事実を認めるなら、私の理論にとっては十分です。
職種が異なっていても、同じような需要に対して供給を行うなら、競合関係にあります。
相変わらず、私が言っていることを理解しようとはしていないようです。結婚とは契約であり、契約一般に当てはまることは結婚についても当てはまるということです。
相変わらず、私が言っていることを理解しようとはしていないようです。専業主婦志望者が一般的かどうかという話はしていないし、それとは無関係に成り立つ話です。
大企業が雇用する終身雇用の正社員を考えてください。企業は能力が衰えても正社員を雇用し続けるし、定年退職後も年金を通じて面倒を見ます。相手に瑕疵がないのに、これを止めると、正社員に訴えられ、ほとんどの場合負けます。本文で専業主婦を終身雇用の正社員に喩えましたが、この点でも同じようなことが言えます。
ロールズがどういう意味で「無知のヴェール」を使っているのか知っているのですか。
「風俗客はそういう女に選ばれる程金持ちなのか検討が必要である」に対する答えをしました。この文章は、金持ちかどうかを問題にしているとしか読めないのですが、あなたの特殊な読解力では違う意味になるのですか。
「伴侶」というのは「連れ」という意味ですね。金目当ての女が金持ちを商売の連れとして選ぶのは当たり前のことでしょう。
むしろそう主張することの方が目的で、そのための口実を見つけようといろいろ粗探しをしているという感じですね。
>>あなたは「ボノボが絶滅の危機にありながら遊びのsexをする」と言っているけれども、これは「ボノボは遊びのsexをするから絶滅の危機にある」ということだから、私の説通りの現象です。また、こういう種が絶滅することで、有性生殖のメカニズムは維持されると言うこともできます。
墳飯ものとか論理の飛躍と言った表現では足らない程の馬鹿丸出しの理屈です。
1980年にコンゴ国内の密林には10万匹のボノボが生息していたが、長年続いた内戦や密猟などの結果、その個体数は現在、2万匹まで激減している。
貴方に言わせれば売春行為は本能的な物ではなく短期間で変化する行動である。性の希少価値を下げる事も同じであると考えるならばチンパンジーは売春行為をせず、ボノボは直ちに遊びのsexをやめ、性をタブー化して厳かに生活していなければならない筈である。
>>あなたは自分で論理が飛躍していることを認めたではないですか。そのようなものは相手にする必要はないでしょう。
読解力に問題がある様ですね。貴方の論理が飛躍していると言ったのだ。
>>性の希少価値を高める方法が他にもあるといった話は既にしています
それはこの矛盾を説明していない。
>>「種は多様性を失うと絶滅リスクが上昇する」という事実を認めるなら、私の理論にとっては十分です。
いや全然十分ではない。
何度も言う様にそれは利己的遺伝子論でより自然に説明出来る事象である。
利己的遺伝子論で説明出来ない事象は自殺等、自らの遺伝子を残さない行動であり、貴方の主張の通り売春や性の希少価値を下げる行動が繁殖の機会を奪い種全体の個体数を減少させるなら、それも含まれる。
貴方の主張が利己的遺伝子論を超えた説であると言うならば従来の説で説明出来ない部分を説明しつつ従来の説で説明出来た事も説明出来ないといけない。
しかし貴方の説は「生命の狡智」の一言で済ませどちらも出来ていない。
そしてその「生命の狡智」とは何か?と聞かれれば仮想の世界でしか説明が出来ない。
進化論も利己的遺伝子論も仮想世界を持ち出す事なく説明出来る説だからコンセンサスたる説なのであって、貴方の説はコンセンサスたる説になり得ない。
私が言っていることが妄想で、自分が正しいと信じているなら、生物学の専門家に貴方の説が正しいかどうかを聞いてみるといいでしょう。たぶんみんな否定すると思います。
>>性の希少価値を高める方法が他にもあるといった話は既にしています
貴方の妄想を一方的に聞かされただけで一つも根拠を聞いていません。
>>職種が異なっていても、同じような需要に対して供給を行うなら、競合関係にあります
なる程。雇用形態、本質、目的、職種が違っても需要は同じで競合関係にありますか。
売春婦と専業主婦以外の関係で、実例を挙げてください。
更に万が一あったとしても人口に影響はない。
>>結婚とは契約であり、契約一般に当てはまることは結婚についても当てはまるということです。
僕が提示した疑問は性的魅力が拮抗し、sexの代金がお互い生じない自然な関係のカップルが結婚し、専業主婦になった場合に払われる生活費はsex代と見なせないではないか、と言う事です。
結婚と言う契約についての教えを貴方に乞うたつもりはない。
>>相手に瑕疵がないのに、これを止めると、正社員に訴えられ、ほとんどの場合負けます。本文で専業主婦を終身雇用の正社員に喩えましたが、この点でも同じようなことが言えます。
売春婦を専属に雇ったとして…
貴方の言う様に場所代、生活費を抜き、家事育児は外注したとし、更に売春婦における最低賃金から計算するとざっと1時間あたり6千円。1日あたり14万4千円。年間5千256万円也。
一般的な専業主婦に支払う額と比べると明らかに多い。
離婚の慰謝料など50〜500万の範囲に過ぎない。
退職金だと考えれば妥当な範囲だし、慰謝料込みで考えても専業主婦の方が安く済む。
>>我々とは異なって、ほとんどの動物は頻繁に命の危機にさらされているので、わざわざ死の恐怖を高めるまでもありません。もちろん必要がある場合もありますが、その場合は、交尾において雄が雌の首をかむなどの方法でやっています。人類はそうした野蛮な方法に代わって、文化的な方法で性の希少価値を高め、人為的に性交を死の体験に近づけているのです。
性の希少価値の話をしているのであって死の恐怖について語っていたつもりはない。
故意にやっているなら論点ずらしだし、そうでないなら読解力に問題がある。
あと死の恐怖が性欲を高める事実も利己的遺伝子論で説明出来る。
>>相変わらず、私が言っていることを理解しようとはしていないようです。専業主婦志望者が一般的かどうかという話はしていないし、それとは無関係に成り立つ話です。
結婚する事自体が売春と競合すると言うのなら、やはり貴方は女全体を売春婦と同一視している。
>>ロールズがどういう意味で「無知のヴェール」を使っているのか知っているのですか。
全く知りません。ただ知ったかぶりしたり、詭弁で事実を護摩化そうとしたり、馬鹿のふりをする事ではないだろうと予想しました。
>>「風俗客はそういう女に選ばれる程金持ちなのか検討が必要である」に対する答えをしました。
貴方の特殊な思考力では風俗代が払える事が金目当ての専業主婦志望の女に選ばれる程の資産家である事の根拠になるのですか?
商売仇を頻繁に利用する連れがそうでない連れより選ばれる根拠になりますか?
>>むしろそう主張することの方が目的で、そのための口実を見つけようといろいろ粗探しをしているという感じですね。
レッテルを貼るのは詭弁家の常套手段だ。
一つ言わせて頂くなら、粗しかないので探す必要がない。
>>私がもてるかどうかといった個人の特殊事情も、ネットという公共空間で社会変革について議論しているときには、度外視しなければなりません
これが社会変革についての議論かはともかく、個人の事情や感情、主張は学術的議論の内容そのものに関係ない。
大体いくら相手にこういう考えでしょう等と言った所で相手に否定されたらそれで終わりであり、一歩間違えば人格否定や、レッテル貼りに終わってしまう。
しかしそれは僕が貴方がいう様に、貴方を理解しようとしていない訳ではない。
これから書く事はあくまでも人格否定や、侮辱発言、レッテル貼りではなく、更に議論には関係ない現時点での僕の貴方に関する予想である。返信はしない、又不快に思われたらお詫び申し上げる…
貴方は独身で風俗好きの素人童貞であり、若い頃からモテた事が無く、女性と交際した事がない。
そしてその事に強い劣等感をもっている。
あるいは虐められていたとか、嫌いな男に好きな娘が靡いてしまったとか軽いトラウマがあるのかもしれない。
何にせよ自分はもう結婚出来ない、金目当て以外の女しか手に入れる事は出来ないと無意識に思ってしまっている。
その為女は全て打算的で売春婦に等しい存在だと思いたいのだ。
酸っぱい葡萄理論で既婚者を妬ましく思う事実から目を背けている。
この説も葡萄理論で既婚者を貶めす一方で風俗通いの惨めさから目を背けたいあまり、最初から売春を肯定し、否定的な事実を無理矢理退けている。
売春が公に認められ、売春婦に払う賃金が暴落した世界。それは正に貴方にとっての理想郷である。正当化出来なかったがそう言う世の中に変えたいのが本音である。
フェミニストが論理的でなく無根拠な主張をする事も自分の考えが願望ではないと言う考えを強固にしてしまった。
そして学問、社会変革と言った大層な名目の砂をかけ、その心理を無意識に護摩化そうとしている。
しかし、心の何処かでその事実に気付いてる。
愛を確かめ合う為のsexとか、自説が常識に反している事を認識している書き込みから其れが伺える。
>>ホンネが、育児責任体制の確立にあるので、愛のない金目当ての結婚よりも、たとえ愛があっても、育児責任を果たさないフリーセックスの方が社会的には悪とみなされるわけです。
結論とは異なる合理的な売春がよくない事とされる理由も知っている。
では何故間違いを指摘し、事実を突きつける僕の主張をある時は詭弁を弄し、又ある時は論点をずらし、その結果自らの言動が矛盾しても何故頑なに認めないのかと言えば
一つは惨めな自分を再認識する事になるからで、それを他人に突きつけられるのはプライドが許さない。
そしてもう一つの理由は貴方の職業だ。
仮にも学術的な文章を書く事が売りの物書き、売文業で生活する者が自分の書いた事が願望でした等と認める事は出来ない。
たとえ事実だと思っても否定せざるを得ない。
だから貴方はこの議論は無駄だと主張し、終わらせ様とする。
記事を削除する事は間違いを認める事になるし、都合の悪い指摘を最後尾に置いたままでは人目につきやすい。
その為詭弁を重ねてでも文字の海に事実を埋没させてしまおうとする。
執拗に事実を突きつけ訂正を迫る僕の行動は貴方にとって営業妨害でしかない。
だから貴方は議論を進める僕の態度を嫌がらせと受けとっているのだ。
専業主婦についての失言を認めるだけで貴方にとっては最大限の譲歩なのだ。
にも関わらず尚議論を続け様とする僕に貴方は怒りを禁じ得ず、自分の状況を察して欲しい…
僕にとって貴方の失言に関する怒りは最早失われた。
間違いは誰にでもある。
貴方の事情も分かる。
しかし学術的議論にそういった私情を挟む事は間違いであり、否定的事実を覆す事実が仮想の世界にしかなかったり、検証したデータが無いのに否定的な事実を根拠にする事も学術的観点から見れば間違いである。
議論に対する不誠実な態度には強い怒りを禁じ得ない。
そして自分はそうならない様にしたい。
面倒だが乗り掛かった船。お互い納得するまで永遠に語り合うつもりだ。
これからも暇を見つけてはこうして書き込むつもりです。
一連のやり取りを見てると匿名さんは専業主婦と売春婦がAタクシー会社とBタクシー会社の様な関係だと認識してるように感じます。永井さんの主張はタクシー会社とバス会社みたいな関係だと感じます
専業主婦と売春婦は雇用形態、本質、目的、職種が異なっています。
バスとタクシーは雇用形態、職種が異なっていますが目的はどちらも乗客を運ぶ事であり、同じで、それゆえ状況によっては客層が重なり需要も競合します。
男が風俗へ行く目的はsexをする事です。
女が売春する理由は金を得る為です。
結婚する目的は夫婦共家庭と言う育児体制の確立です。
主婦、専業主婦の目的は家庭内を円滑に運営する事であり、専業であるかそうでないかという違いは家計状況に基づく表面上の呼称、形態の変異に過ぎない。
目的が違う専業主婦と売春婦はバスとタクシーどころか旅客機と戦闘機位違う。
そして旅客機と戦闘機の需要が競合するのか?同列に語るのは大雑把過ぎないか?という僕の質問に対して永井さんは「何方も空を飛ぶ」と答えるのみなのです。
そんな解りきった返答は僕には詭弁にしか聞こえませんでした。
又本質も異なります。
出逢ってその日にsexする男女はいても結婚する男女は殆どいません。
まずは付き合ってお互いがこの相手となら家庭を切り盛りしていく事が出来ると言う意見の一致を得て初めて人は結婚に至ります。
男女とも容姿や稼ぎと言った単純なスペックも勿論結婚相手に求める要素になりますが1番重要な決めてはお互い気が合うかどうかでしょう。
男が女の容姿だけで連れを選ばない様に女も稼ぎだけで男を選ぶわけではありません。
もし女が金だけで男を選ぶならヒモ男やホスト等この世に存在しません。
お互い一緒にいて楽しく思える関係でないと殆どの人はその相手と結婚したいと思えないでしょう。
そしてそれは何か?と言えば身体の相性を含めた性格、趣味嗜好等の様々な一致であり、付き合う期間とはそういう相性の確認期間であり、それ故に婚前交渉は単純な欲を満たす事が目的の売春程には非難されないのです。
以上の自論は常識に従って動く人々の行動に関する俯瞰的な考察であり、子なし夫婦や独身者に対する否定ではない。
又常識を肯定し売春婦やその客を否定しているわけでもない。
他人の生き方にケチはつけられない。
常識や論理、法律に反してもリスクを承知の上で行うならそれは信念であるし、人は好きに生きる権利がある。
大黒柱と言う言葉がある様に、主も専業主婦と同じく家庭を支える部品の一つである。
家庭は主人専属宿屋兼ソープランドでは無いし、金だけでは円満な家庭は築けない。
売春婦と専業主婦を混同する様な事実と異なる解釈は否定させて頂く。
しかしそれは売春婦を差別するわけではなく事実の提示に過ぎない。
最後にお節介を言わせて頂けば、両者を混同した説を風俗客が風俗嬢にリップサービスのつもりで話しても陰で馬鹿にされキモがられるだけだから辞めた方がよい。
金だけの関係だと割り切って遊ぶのが綺麗に遊ぶと言う事であり、夜の世界でモテる条件である。
それなら、そうではなくて、あなたが学問的真理を求めていると仮定しましょう。他方で、あなたは、私が無根拠な妄想をしているとこれまでずっと繰り返し主張しています。もしそれが本当なら、根拠もなく「論理を飛躍」させ、妄想を口走るだけの「馬鹿丸出しの」私と話をしていても、学問的真理が得られるはずがありません。即座に私の相手をすることを止めるはずです。ところが、あなたは、一方で私には学問的判断力がないと主張しておきながら、他方で私と自称「議論」を続けようとしています。これは矛盾です。ゆえに、背理法により、あなたが本当は学問的真理を求めていないことが示されました。
公共空間で社会変革についての議論や普遍的真理を求める学問的議論においては、自分のプライベートな事情は無視して行わなければいけません。しかし、あなたはそもそも学問的真理を求めていないので、あなたの本当の関心事に合わせてプライベートな話をしましょう。
私は風俗店に行ったことは一度もありません。風俗的な接待飲食の店にも一切行きません。女が嫌いとか、金がないとかということではないのですが、私にとっては、女よりも研究の方が優先度がはるかに高いので、無駄なことには金を使わないのです。研究の自由を最優先にしているので、結婚の話もこちらから断っています。
私は、所謂バブル世代だから、大学卒業後、一流企業に就職して、家庭を築くといったことは、やろうと思えば、簡単にできたでしょう。しかし、私はそんな人生には全く興味がありませんでした。今でもそうだし、私は自分が選んだ生き方に満足しています。結婚したいと思ったことは一度もないので、他人の結婚がうらやましいとか妬ましいとかと思ったことも一度もありません。
私は、あなたが想像しているような動機からではなくて、純粋に学問的見地から本文を書いていることを理解してください。
いつものように逐一反論を書こうかと思ったけれども、これを読んで止めました。こんなことを言われたなら、まじめに学問的な反論(あなたが詭弁と貶めている論理的な議論)を書こうという気になりません。「都合の悪い指摘」とやらを最後尾に置けば勝利宣言できると思っているのなら、それをやって「見ろ!永井はついに説明責任を放棄した」とか言って勝ち誇ればよろしい。
1/22の書き込みは貴方の書き込み、主張から憶測した僕の予想であり、貴方が外れていると言うならそうなのだろう。
僕は実際の貴方の事は何も知らない。
又本文中でも述べている様に議論とは関係ないし、憶測の成否については一言の反論もない。
>>公共空間で社会変革についての議論や普遍的真理を求める学問的議論においては、自分のプライベートな事情は無視して行わなければいけません。
全くその通りだと思います。
しかしそれは貴方の僕についての憶測についてもそのまま当てはまる。
貴方は僕の動機を決め付け自分を貶め様としていると断じ、議論するに足らぬと主張するが動機は議論の内容には関係ない。
あと貴方が馬鹿丸出しなのは事実なのでそれについては謝罪しません。
誹謗中傷や罵詈雑言ではありません。
先ずその理由として貴方は研究と言う物が何か理解していない。
科学的研究とは事実の観察による裏付けが必須である。
貴方が売春婦と専業主婦の違いは派遣と正社員位の違いしか無く、需要が競合しうると言う仮説を立てるなら、結婚し、風俗に行き妻と風俗嬢の両者を観察し比較しなければならない。
更に売春婦や専業主婦やその夫を取材し両者を観察するのが研究である。
仔犬がじゃれあいから、犬としての社会行動を学ぶ様にどの様な事も学習に繋がり、行動を観察し理由を知ろうとする事は学問である。
つまり馬鹿丸出しの貴方とやり取りをし、反応を観察するのも学術的研究足りうる。
「人は何故詭弁を言うのか?」とかいうテーマで論文を書く事も出来るだろう。
議論についても理解出来ていない様だ。
学術的議論とは現実的根拠に基づく根拠を裏付けとした仮説を提示し、反論があれば此れを検証し、説明出来ない事実があれば間違いを認めなけならない。
貴方の説は根拠として挙げた現象を他の解釈でより合理的に説明出来る時点で無根拠な誤った説であって話にならない。
幾ら自分で学問的見地から本文を書いているとか論理的だとか自画自賛しても意味がないのだ。
間違いを認め、事実を受け入れない貴方の態度が原因で議論にならない。
又三ヶ月程度質問を続けた程度で異常と断じているが、学問の世界では百年続く論争もザラにある。
この事も貴方の議論に対する無知を露呈している。
僕は議論の勝敗は気にかけていない。
プロレスでは無いのだ。
負けたらより自分の学術的認識が深まり進歩出来ると思っている。
貴方も自身と異なる主張は歓迎し、間違いは素直に認め無ければこのサイトが学術的サイトになる事はない。
そういう「やり取り」のことを学問的議論とは言いません。自分が学問的議論をしていないことをついに認めましたね。
議論が誹謗中傷合戦になることはよくあります。誹謗中傷合戦は生産的な結果をもたらさないので、誹謗中傷合戦になりそうになったなら、議論は止めることにしています。あなたは2020年1月7日 8:44 PMのコメントが「人格否定や、侮辱発言、レッテル貼り」ではないというけれども、議論とは関係ないと認めながらそういった書き込みをしたのだから、私としては議論を打ち切るべき段階になったと判断せざるをえませんでした。これはこちらのポリシーなので、あしからず。
>>自分が学問的議論をしていないことをついに認めましたね
僕は議論しようとし続けている。
貴方がこの様に論理を飛躍させ、詭弁を弄し、事実から目を逸らす為、つまり貴方が馬鹿丸出しの為学問的議論にならないのだ。
貴方は研究について知らず、議論について知らず、ボノボについて知らず、常識を知らず、女を知らず、利己的遺伝子論を知らなかった。
コンゴ川でさえ近所の用水路程度に考えていた。
つまり前提知識すら無いのに、それをさも全て知っているかの様に振る舞い、揚げ足をとり自分の無知蒙昧を他人に擦りつけ議論から逃げようとしている。
違うなら僕の動機が何であれ、質問に対して事実を挙げ論理的に回答すれば良いだけである。僕以外にもこれらの疑問を持つ人もいるだろう。貴方の説に従えば当然湧いてくる疑問だからだ。貴方が純粋に学問的見地から本文を書いているなら当然矛盾無く回答するか、間違いを認めるかどちらかの道をとる筈だ。
利己的遺伝子が何処にあるかどの遺伝子か解明されていないのに、利己的遺伝子論が間違いだと貴方が考えるのは何故か?
生命の狡智とは何なのか?どの様な由来で発生したのか?
ボノボは(ボノボのみならず絶滅の危機にある動物達)は絶滅の危機に瀕しながら何故性をタブー化しないのか?
本質、職種、目的が異なる売春婦と専業主婦の需要は競合するのか?
何故人類史において、今よりも死が身近で人口が少ない時代の方が売春に寛容な世の中だったのか?
性的魅力が拮抗し、sexの代金がお互い生じない自然な関係のカップルが結婚し、専業主婦になった場合に払われる生活費はsex代と見なせないではないか?
主婦から専業主婦になった場合何故それまでのsex代が多くの場合支払われないのか?
同棲したり専業主婦と暮らす方が売春婦を同じ時間雇うより遥かに安くすみ、性的希少価値が減らせる事実はどう捉えるのか?
何故妻と愛人が法律上区別されるのか?
風俗客が結婚志望の女の希望する結婚相手になるのか?
性的希少価値が下がると何故人口が減ると考えるのか?
風俗代が下がると何故結婚しなくなる男が現れると考えるのか?子供が欲しいけど色々な女と遊びたい男は風俗代が安くなれば結婚して風俗に行きやすくなるからより結婚し易くなる筈である。
以下本題とは少し逸れた疑問
このままのペースで人口がこの国から減れば、人口ピラミッドの逆三角形化は加速し、国家が崩壊しかねない。実現していない機械化や不老不死の研究がその危機を解決できると考える根拠は何か?
何故個人の動機と言う議論に関係ないプライベートな部分を理由に議論を打ち切ろうとするのか?
全くおっしゃってる通りですが、
①”なぜ売買春してはいけないのか”と考える主体(主語)が明確でないので、無理解な揚げ足取る人が多いのではないでしょうか?
最大公約数的な人類全体、国家にとって、男性にとって、女性にとって、では”いけない”と考える理由がある意味相反するから荒れる人が多いのでは?特に一部の女性のコメは、嫌悪感があるからいけない、いけないからいけない、に過ぎずどんな論理も通用しないのかと思います。
②また、結論として、「人口増加を抑制し、種の存続を危うくする」のは結論の結論で飛びすぎているのかと思いました。
この結論は暗に主体が国家とか全体最適化を考える立場、であるかと考えましたが、
だったら、「売買春の合法化は、セックスの希少価値を損ない、生産単位である結婚(法律婚)制度の保護に反する」、にとどめても良いのかと思いました。法律婚の保護により人口と経済を拡大再生産することが目的かとは思いますが、あえて少子化して高学歴化するというのも人口適正化戦略なので、単に「人口増加を抑制してしまう」、だと、発展途上国はむしろ人口抑制が必要とか、だったらもっと厳しく売春違法化すればもっと人口増えるのか?みたいな揚げ足取る人がでてくるので。
③さらに、セックスの希少価値(セックスを提供する女性の価値)があがりすぎると、今度は結婚できなくなったり、セックスできない層による社会不安も発生するので、希少価値を損なうのではなく、一定の価値を維持する、という考え方でも良いのかと思いました。これならソープやデリヘル、イスラムの四人目の妻の説明もつきます。
(1) 売買春は多くの国で法律で禁止されています。法律で禁止されているということは、売買春は、特定の人々(例えば女性)にとってのみ好ましくないということではなくて、社会全体にとって有害であるというコンセンサスが社会にあるということです。それなら、有害であると人々に理解してもらうための合理的根拠が必要になります。
(2) 本ページのタイトルは「なぜ売買春してはいけないのか」ですが、私は、売買春だけを問題にしているのではありません。もっと幅広く、なぜ人間という種は、他の動物とは異なり、性器を隠蔽し、性をタブーとしているのかという問題を考えており、本稿はそうした全体の研究の一部にすぎません。
(3) セックスの希少価値の高低と結婚の難易度とは必ずしも連動しません。日本においてみられる最近の傾向は、セックスの希少価値が低下し、男性の結婚意欲が減退した結果、専業主婦志向の女性にとっての結婚のハードルが上がっているというもので、セックスの希少価値が上がった結果、結婚できなくなっているというのは違うのではないでしょうか。
わざわざお忙しいなか、回答ありがとうございます。
(!)、(2)に関しては良くわかりましたが、やはり目的が「人口増加を抑制してしまう」だと、表面的には「頭数」だけと読めてしまいます。拡大再生産や生存競争のためには、子の「質」を向上させるためにあえて少子高学歴化策をとるほうが、発展途上国の無秩序な人口増加よりは、それこそ種や国家の競争存続上、合理的という考えもあるかと思いますので、人口増加には頭数だけでなく質も含まれるという要素があったほうが自分にはわかりやすかったのかと思いました。
(3)に関しては、言葉足らずで申し訳ありません。セックスの希少価値は上がれば上がるほど好ましいのではなく、上がりすぎても下がりすぎても良くないのではという私見でした。
どうもありがとうございました。
たしかに、人口は増えすぎてもよくないのですが、出生数がゼロでは困ります。ヒトという種は、性フェロモンの機能を失ったので、性的興奮を高める代替機能を必要としています。したがって、生殖につながる性行為を完全になくさないためには、性の非日常性を維持し続けなければいけないということです。
筆者は論理的に利益や倫理を考える思考によって売春が悪となっている理由を考えていらっしゃいますが、私はむしろ慣習や感覚といったものの影響が大きいのではないかと思います。人は常に理性にのっとり深く思考して行動してはいません。周囲の人間や本、テレビ、インターネットにおいて売春は悪だという慣習があります。この影響から抜け出すためにはかなり積極的になぜ売春が悪なのかということを考えなければなりません。なので売春は悪だと現代の論理できちんと説明できなくても悪と考えられるのです。感覚の面においてはヒトの生態が絡んでいるとおもいます。ヒトは夫が子育てに大きく貢献する生き物です。そうした中で子育てへの協力が少なくなる一夫多妻的性質への嫌悪が生まれていても不思議ではないと考えられるのではないのでしょうか。
研究対象の理性と研究者の理性とを混同しているように思えます。動物学者が理性の無い動物の行動を研究している場合を考えれば、両者の区別の必要性を理解できるはずです。そもそも、そもそも、人々が、対象レベルで感情的、感性的に判断しているからこそ、研究レベルでは、それとは異なる理論的考察が必要なのであって、対象レベルで、理論的な理由付けをしているのなら、私もわざわざ本稿を書く必要はありません。
ヒトは、誕生以来子育てをずっとやっていますが、一夫一婦制がキリスト教文化圏を超えて世界に普及したのは、20世紀になってからのことです。
私は筆者が研究者として論理的に説明しているところではなく、「売買春の合法化は、セックスの希少価値を損なうので問題がある。」「売春は、愛がない金目当てのセックスだから卑劣だ」などの思考、もしくはそこから派生する思考をあまり行っていないのではないかと考えました。
一夫一妻制に関することですが特にキリスト教独自のものではないと考えられないでしょうか。20世紀以前の日本、中国などの道徳や一般的な結婚のかたちから考えて20世紀以前から一夫一妻が支配的であったと考えられます。また愛人のシステムはヨーロッパ、アジア問わずありました。たしかに完璧な一夫一妻を目指そうという嗜好は19世紀ヨーロッパ、20世紀の世界のものかもしれませんが、一夫一妻的性質はそれ以前から人類で支配的であったと思われます。
またヒトの男の子育てへの参加の大きさからから考えると子育てへのリソースが減り生存数が減ってしまう一夫多妻への嫌悪は進化により発生していたと考えられます。(女性はもちろんですが男性の子孫の生存数も減る。)この進化の影響によって売春への生理的な嫌悪が生じていると考えています。
相変わらず、対象レベルとメタレベルが混同されているようです。「売買春の合法化は、セックスの希少価値を損なうので問題がある」はメタレベル、「売春は、愛がない金目当てのセックスだから卑劣だ」は対象レベルの判断であって、両者を同一レベルで考えてはいけません。
どこの社会でも、男女の数はほぼ同じですから、一夫多妻の社会(現代だと、例えば、イスラム社会)でも、ほとんどの男性は、一人しか妻を持てません。しかし、それは、多くの男性が一夫多妻を嫌悪しているからではなくて、男性に複数の妻を持つだけの経済力がないからです。日本でも、妾は男の甲斐性と言われた時代がありました。
乳幼児死亡率が高かった時代、王侯貴族や富裕層にとって、側室を持つことは、確実に子孫を残す上で有効な方法でした。しかし、乳幼児死亡率が低下し、多産多死から少産少死の時代になるにつれて、一夫多妻制のメリットがなくなってきました。20世紀になって、一夫一婦制が普及した背景には、そうした事情もあると思います。
そうであるならば、「50歳以上の女は法律婚をすることができない」と民法で規定すべきだ。そうすれば、後妻業の女に殺害される男も減少するだろう。遺産を手に入れたい内縁の妻は、遺言を書いてもらえばよい。なお、自筆証書遺言については、法務局の自筆証書遺言書保管制度以外は無効とするよう、民法を改正すべきである。
申し訳ないですが、匿名さんは理性的な議論になっていないです。論理的な体裁をとった、感情による感情のための主張にしかなっていません。
しかし匿名さんの強い感情は伝わってきます。
匿名さんは本来、相手を理解する能力全般をお持ちの方だと思います。しかし感情的に反発すると、相手の考えを理解することができなくなる。否定し拒絶することで頭がいっぱいで、相手の主張を真剣に理解してから思考し返答しようとしていないと思います。
一方そのおかげで、永井さんの粘り強い反論を読むことができて私には学びになります。その意味でお二人に感謝です。
匿名さんのここでの議論は正直見苦しいですが、これほどまで匿名さんを強く駆り立てる怒りに、匿名さんご自身も苦しんでおられるのではないでしょうか。
大きなお世話ですが、願わくば、専業主婦と売春婦に関する、匿名さんの怒りの根源が少しでも癒えますように。
その人は、あきかぜとは違う動機で書き込んでいるから、その人との議論は生産的ではないのです。