なぜ売買春してはいけないのか
現在日本では、売買春は法律で禁止されている。そして、多くの男たちは、「買春は悪だ」と、少なくとも頭では理解している。体が言うことを聞くかどうかは別として。では、この長く信じられてきた価値観に根拠はあるのか。はたして、「誰にも迷惑をかけずに、お互い自由意志で合意してやっているのだから、なーんにも悪くないじゃん」と開き直る売買春肯定論者の主張を、説得力ある理由を挙げて論破することは可能だろうか。いくつか候補を挙げて、その妥当性を検討してみよう。

1. 性病防止説
売買春は、性病を蔓延させ、非嫡出子を産み出すので悪い。
この説によると、売買春というよりも、売買春を含めたフリーセックス一般が好ましくないということになる。もしも、セックスが夫婦間でしか行われないのであれば、性病は配偶者にしか感染せず、それ以上広がらない。これに対して、売買春がオープンに行われる場合、不特定多数の客を相手にする売春婦がスーパー・スプレッダーとなって、性病を蔓延させることがしばしばある。また、未婚女性が売春をする場合、避妊に失敗して非嫡出子(婚外子)を産むリスクがある。最初に思いつく「合理的な」理由はこんなところだ。
だが、こうした理由で売買春を法的に禁止することはできない。法律で売買春を禁止しても、アングラマーケットで売買春がはびこるだけである。それならば、公的機関が売春宿を経営した方が、性病予防や避妊用具の着用などが徹底されるので望ましいということになる。少なくとも、性病や避妊についての知識のない女子高生が、ふらふらと路上で援交オヤジを探す場合よりも安全である。また、暴力団などに流れていた金を、公共の利益のために使うことができるというメリットもある。

戦前の日本では、こうした理由から、公娼制度が作られた。にもかかわらず、戦後、公娼制度が廃止され、売春防止法が施行され、今日に至るまで「公営吉原」を作ろうという動きが政府に出てこないほどに売買春が忌み嫌われているのはなぜなのか。将来、着用を感じさせないほど薄くて、しかも絶対に破れることがない究極のコンドームが発明されて普及し、性病問題と妊娠問題が解決されたとしても、たぶん売買春が悪だという価値観が変わることはないだろう。それはなぜか。
ここで、「買春」という言葉を聞いただけで、目をつり上げるフェミニストに登場してもらって、御説を拝聴しよう。まずは、いかにもフェミニスト的な理由から見ていこう。
2. 経済的暴力規制説
買春は、男の女に対する経済的優位の象徴だから許せない。
たしかに、男が女より平均的に収入が高いからこそ、男は高値で女を買うことができる。ただ、売買春で男女間の経済格差が広がるわけではなくて、むしろ逆に小さくなるのだから、この命題からは、男女の経済格差を是正すべしという当為が帰結しても、買春を禁止すべしという当為は帰結しない。
3. 性的奴隷解放説
買春は、女を男へと隷従させる性的奴隷制度だからけしからん。
「性的奴隷」というのも、フェミニストたちがよく使うレトリックであるが、売春婦を奴隷扱いすることは奴隷制度に対する根本的な誤解である。奴隷は、24時間365日自由を持たないが、売春婦が自由を持たないのは、勤務時間中だけである。発展途上国には、性的奴隷に近い女たちがいるが、これは売買春というよりも人身売買であるから、別の問題である。ともあれ、日本の売春婦のように、生活のためにやむをえずではなくて、ブランド物を買うためとかプチ家出のためとかの理由で、時間の一部を売春に当てて金を稼ぐことは、いかなる意味でも奴隷的ではない。もしも日本の売春婦が奴隷なら、すべての労働者は、勤務時間中自由を失っているのだから、顧客の奴隷ということになってしまう。
結局のところ、フェミニストたちの攻撃の矛先は、買春の原因となっている男女の経済格差に向けられていて、女の売春行為そのものに対しては、フェミニストは意外と寛容であったりもする。実際、あるフェミニストは、女は売春してもよいが、男の買春は悪だなどと言っている。これは、「片手で拍手しろ」と言っているのも同然ではないのか。買い手を否定して、どうやって売れと言うのか。
ここで、フェミニストよりも、もっとピュアに売春を憎むロマンチストに登場してもらって、御説を拝聴しよう。
4. 愛情欠如説
売春は、愛がない金目当てのセックスだから卑劣だ
なるほどロマンチックだ。では、若い美人が、遺産目当てに、本当は愛していない年寄りの金持ちと結婚することは、卑劣な売買春として法的に禁止すべきなのか。これは極端な例だが、それにしても、経済的なことを考えずに、愛だけで結婚するカップルがどれだけいるだろうか。専業主婦志望の女性は、相手がハンサムかどうかよりも、収入が多いかどうか、あるいは学歴が高くて将来出世しそうかどうかということを重視するのではないのか。売春婦の中にも、趣味と実益を兼ねている人がいて、相手が好みのタイプだと、「ラッキー!」とか言って、愛のこもったセックスをすることもあるのではないのか。こうしたことを考えると、専業主婦は終身雇用の専属社員で、売春婦はパートタイムの派遣社員という就業形態の違いはあっても、ともに「セックスでメシを食う」という点では変わりがないということになる。いずれにせよ、愛があるかないかでは、合法的な専業主婦と非合法の売春婦を区別することはできない。
5. 人身売買防止説
売春は、体を物のように売るので、非人間的な職業だ
これもロマンチストがよく口にするせりふだ。性的奴隷解放説と似ているように見えるが、人身売買防止説が性と人格の分離を批判しているのに対して、性的奴隷解放説は人格までが性とともに売られることを批判しているのだから、立場が違う。では人身売買防止説は正しいか。答えは否だ。人身売買防止説を主張する人は、「商品=財」という誤解をしている。サービス業を考えればわかるように、物の移譲がなくても交換は成り立つ。しばしば売春のことを「体を売る」と表現するが、臓器売買のように、文字通り肉体の切り売りをしているわけではない。たんに肉体を用いたサービスを売っているだけである。そして、言うまでもなく、肉体労働自体は悪くない。では、売春は、客の肉体に触るから、汚らわしい肉体労働なのか。そうではない。マッサージ師は、売春婦と同様に、客の体に手で触れて、客に肉体的な快楽を与え、それで金を稼いでいるが、売春業のように「醜業」扱いされていない。マッサージ業との違いを強調するならば、人身売買防止説は次の段階に移行する。
6. 触穢防止説
売春は、客の性器と接触する肉体労働なので、猥褻で穢れた職業だ
なにやら中世の頃を髣髴とさせる差別的言説だが、もしもこうした触穢思想を応用するならば、医師や看護士も「猥褻で穢れた職業」ということになってしまう。例えば、女性看護士が、盲腸切除手術を受ける男性患者の秘部の剃毛をしたり、乳がんの検査と称して男性の医師が女性患者の乳房をもんだり、産婦人科の医師がヴァギナに手で触れたりなど、医療現場では、風俗店もどきの接触行為が行われている。私は行ったことがないのでよく知らないが、イメクラのメニューに「剃毛プレー」とか「乳がん診断プレー」とかあっても不思議ではない。にもかかわらず、誰も医師や看護士を「猥褻で穢れた職業」とは言わない。だから、売春と医療行為を区別するためには、触穢防止説は、「売春は、性的快楽を与えるために客の性器と接触する肉体労働なので、猥褻で穢れた職業だ」と書き換えられなければならないが、これは、「売春は、売春なので、猥褻で穢れた職業だ」というのも同然で、なんら理由を示したことにならない。
以上、売買春を悪とみなす様々な根拠を検討したが、いずれも説得力に欠けている。売春婦をすると経歴に汚点を残すとか、周囲から白い目で見られて精神的な傷を負うなど、世間が売春を悪とみなすことによる二次的な弊害を指摘する人もいるが、もちろん、それらは、売春が悪であることの一次的な理由にはならない。たまねぎの皮をむくように、一枚一枚見せかけの理由を剥いでいった結果、最後に残るコア、売買春に対する抵抗の最後の砦は何なのか。私がたどり着いた結論は、こうである。
7. 希少価値維持説
売買春の合法化は、セックスの希少価値を損なうので問題がある。
売買春の報酬は、他の職業で素人の女性が受け取る賃金よりも破格に高い。これは、セックスの希少価値が高いからであって、有用性価値が高いからではない。その証拠に、援助交際がブームになった時、素人の女子高生の方がベテラン売春婦よりも高値で売れた。なぜ、ベテラン売春婦とは違って、セックス・テクニックが皆無で、ただマグロやっているだけの、しかも体が未熟でおいしくない素人の女子高生が高く売れるかといえば、それは多くのオヤジが、「素人の女子高生は処女だ」と信じているからである。現在、オヤジたちは、これが幻想に過ぎないことに気がつき、「本当の処女」を求めて女子中学生を漁り始めている。オヤジが、これだけ処女にこだわるのは、言うまでもなく、経験者よりも処女の方が、希少価値が高いからだ。
もしも売買春が合法化され、売春婦になることが経歴上のスティグマでなくなると、現在よりも多くの女性が売買春市場に参入して供給過剰となり、売春料金は、通常のマッサージ料金と同じ水準にまで暴落するだろう。これは、麻薬を合法化すると、麻薬の価格が通常の薬の水準にまで暴落するのと同じことである。将来、性病防止説から触穢防止説で指摘した問題が解決されたとしても、すなわち、コンドームの技術革新のおかげで、性病が蔓延したり、非嫡出子が続出したりしなくなったとしても、男女の経済格差が縮まって、フェミニストたちがおとなしくなったとしても、売春婦に対する社会的偏見がなくなったとしても、否、むしろこうした売買春へのあらゆる障害がなくなればなくなるほど、そして素人が気軽に売春できるようになればなるほど、セックスの希少価値がなくなるので、希少価値維持説の問題は深刻になる。
規制緩和による価格破壊で打撃を受けるのは、売春婦だけではない。同じく「セックスでメシを食っている」専業主婦もデフレの危機に晒される。いつでも、安く、簡単に女を買うことができるようになれば、男たちは、もはや性的快楽のためだけに結婚する必要はなくなる。そうなれば、専業主婦志願の女性たちは大量に売れ残ることになる。では、女性たちが買春合法化反対を叫ぶのは、日本の稲作農家が、米の輸入自由化に反対する場合と同じで、規制緩和によって業界の既得権益が侵されることを恐れているからなのだろうか。
規制緩和で専業主婦が減るだけなら、何も問題はないし、むしろ女性の自立という観点からは望ましいと考える人もいるだろう。だが、セックスの希少価値が下がることによる弊害はこれだけにとどまらない。売買春を合法化しても、婚外交渉を肯定しない限り、既婚の男女は売買春ができない。結婚してしまうと、未婚の時のように、いつでも、安く、簡単に女を買う「セックス・オン・デマンド」が享受できなくなるということになれば、「子供も欲しいが、それ以上にいろいろな女と一生遊び続けたい」という選好を持つ男たちは、結婚しなくなる。そうすれば、そうした男が作るであろう子供の分だけ人口が減少する。戦前の日本では、妻が夫の買春を容認したために、公娼制度を作っても、あまり独身者を増やすことにはならなかったが、現在のように、妻が夫の不倫に寛容でなくなると、そういうわけにはいかない。
キリスト教徒が、売春だけでなく、オナニーや避妊や同性愛を禁止するのは、生殖を目的としない、性的快楽だけを求めた非本来的な性行為は、「産めよ、殖えよ、地に満てよ」という神の人間に対する祝福に違反するからだと考えることができる。キリスト教に限らず、性道徳の背景には、人口増加を善とする思想がある。婚前交渉を肯定して、結婚しなくても愛があればセックスができるようになれば、あるいは、売買春を肯定して、結婚しなくても金さえあればセックスができるようになれば、結婚するカップルが減り、それは結果として少子化を促進してしまう。
では、売買春がお金を媒介としない婚前交渉よりも嫌われるのはなぜか。それは、相思相愛の婚前交渉は、物々交換一般と同様に、「私が欲望する商品の所有者が、私が所有する商品を欲望している」という欲望の偶然的な二重の一致を必要とするために、成立が困難であるが、貨幣というコミュニケーション・メディアが媒介すれば、片想いでも簡単に交換が成立する、つまり、売買春は、婚前交渉よりも成立が簡単で、それだけセックスの希少価値をより大きく下げるからだ。
私の結論は、売買春の合法化は人口増加を抑制し、種の存続を危うくする(あるいは少なくともそう信じられている)から非難されるというものだ。もちろん、私たちは、本当に人口の減少が望ましくないのかどうかを疑わなければならない。日本をはじめとする先進国では、少子化が社会問題となっているが、発展途上国では、人口増加は悩みの種である。そうした国々に対しては、人口抑制政策の一環として、売買春を未婚の男女に限り合法化してみてはどうだろうかと提案したくなるが、発展途上国ほど、性病予防や避妊が不徹底なので、売買春の合法化は、性病の蔓延や意図せざる出産の増加をもたらしてしまう。ここに売買春合法化が直面するディレンマがある。
8. 読書案内
- 『買売春解体新書―近代の性規範からいかに抜け出すか』の前半は、援助交際をめぐる上野千鶴子と宮台真司との対談。コミュニケーション・スキルがなくて、買春によってしかセックスできない男を「性的弱者」と位置づける宮台に対して、上野は、性欲を満たしたければ、マスターベーションしろと言う。後半では、藤井誠二のレポートが面白い。
- 『性の商品化―フェミニズムの主張〈2〉』は、性の商品化に対するフェミニストたちの批判。疎外論や搾取論など、古臭いマルクス主義のイデオロギーをそのままフェミニズムに適用したような議論が目立つ。
- 『売る売らないはワタシが決める―売春肯定宣言』では、売買春肯定論者たちが、「売春は良いけれどもし、買春はダメ」と主張する上野千鶴子や「タイの女性は強制的に売春させられている」と主張する松井やよりや「売買春で他者が他者でなくなる」と主張する立岩真也など、著名人たちの浅薄な売買春否定論を批判する。
ディスカッション
コメント一覧
あなたは9月に書き込んでから3か月もの間このフォーラムに執着しています。これほど長い間執着する以上、相当な動機があると推測されます。私が察するに、それはあなたが謂う所の「侮辱発言」に対する怒りだと思います。実際あなたの書き込みのいたるところに怒りがにじみ出ています。
当然怒りはある
1つは非常識な発言に対する怒り、2つは間違いを認められない貴方の姿勢に対する怒り。
しかし貴方が本物の馬鹿だとは僕は思ってはいない。
匿名と言うのは卑怯なものだ。何を言おうと僕には何の責任もリスクも生じない。
貴方の様に個人情報を開示し、自分の持論を述べることはリスクもあるし勇気のいる事だ。
たが責任も生じる。
貴方が間違がった見解を述べ、惑わされる者が出て来る可能性もあるのだ。
貴方の説は一理ある良い説が多い。
惑わされる者も多くなる。
又個人的にも素晴らしい説の中にこの様な説が混じっている事を残念に思う。
自分が間違っている可能性に対して謙虚で無ければならない。常識を疑うなら先に自分の考えを疑ってからにすべきだ。
間違いを認めるのは恥ずべき事ではない。
驚くのは永井さんの辛抱強さと匿名さんの理解力のなさです。永井さんは徹頭徹尾論理的に丁寧に議論してるのに対して、匿名さんは感情論に終始してる。
こうした感情的な読者を相手にするのはそれこそ時間の浪費では?
専業主婦(夫)の本質が売春婦(夫)のそれと同じだというのは正にその通り。家計の管理や家事、子育てといった仕事はアウトソーシングできる。ただしSEXはそうはいかない。もちろんSEXをアウトソーシングしようとする例もあるかもしれないが、最初からそう考えて結婚する夫婦はいないし、仮にいたとしてもそれは金目当ての偽りの結婚だから例外的なケースだと考えてよい。
匿名さんがこの事実に激しい怒りを覚えるのは売春婦に対する著しい職業差別があるからではないですか?私はこうした無自覚な職業差別に対して逆に怒りを覚えますけどね。
僕が驚くのは貴方の理解力のなさと読解力の無さです。
その証拠に貴方は永井さんを擁護しているつもりでその実批判している。
「専業主婦は売春婦と同じくsexで飯を食っている」
この永井説に対して、金目当ての結婚を偽りの結婚とするなら、金目当てでsexする売春婦は本質的に専業主婦と違うと言っている事に等しい。
僕は感情よりも真実を尊重したいと思っています。
その証拠に納得する事実つまり根拠の提示を何度も求めている。
そして永井さんは納得出来る事実を今のところ提示出来ていません。
根拠無く自説を詭弁や論点のすり替えで装飾する者が結論ありきの感情論を振りかざしているのです。
何故なら現実に起こっている事象、事実に感情を挟む余地は無いからです。
よく読みましょう。
SEXをアウトソーシング、つまりSEXを排除して対価を得ようとするような結婚を「金目当ての偽りの結婚」といったのであって、通常のよくありがちな打算的な結婚を金目当ての偽りの結婚とは言っていません。なぜなら後者は結婚の本質である子供を作るという行為、SEXを排除していないからです。
常識的には打算的な結婚を偽りの結婚というでしょうが、そんなナイーブな議論はしていません。多かれ少なれどんな結婚にも妥協や打算はあるでしょう。
貴方が挙げた根拠はいずれも売春婦と主婦の相違いを逆に強調しているという点で同じ事です。
売春婦は1人の固定客としか寝ないならともかくそうではない。
又客と子供を作る事もない。
社会システムをも含めた全ての生命システムは、存続し続けるためには、環境適応と変化適応という二つの課題にこたえなければなりません。
もしも種が分化しないなら、すなわち誕生したままの一種類の種しか存在しないなら、変化適応力がないから、すぐに生命は消滅したでしょう。実際には種が分化したことで、多様性が生まれ、今日に至るまで生命は生き続けています。なぜそうなったかは、人間原理で説明できます。
有性生殖が誕生し、普及したのも、遺伝的多様性を増やすことで変化適応力を高めた(特に、ウイルスによる攻撃によって全滅するリスクが減った)ためというのが生物学界では有力な説になっておりになっており、私もこれを支持しています。
有性生殖の誕生を利己的遺伝子の自殺行為とみなさないためには、利己的遺伝子の単位をコドンにまで縮小しなければなりません。ところがコドンは、利己性を主張するほどのユニークネスがないので、この段階で、利己的遺伝子仮説は破綻します。
有性生殖がリスク分散のために生まれたことは、性の本質を理解するうえで重要です。一般的に言って、死のリスクが増えると性欲が強まり、妊娠率も高くなりますが、これは有性生殖の起源を考えるなら納得のいく現象です。
人間が性をタブーにしたことも、繁殖戦略上合理的な行為です。性をタブーにすれば、生殖行為がリスキーになり、それによって性欲が高まり、妊娠率も高まるからです。性欲を満たすためのハードルを上げ、性の希少価値を高める方法は、性器の隠蔽や売春の禁止など、複数あります。
以上は、『ファリック・マザー幻想』で書いたことですが、あなたはこれを読もうとしない。本に書いた話を何度も繰り返さないといけないのにはうんざりします。
私は、専業主婦と売春婦がすべての点で完全に同じであるとは言っていません。そんなことわざわざ言わなくてもわかるだろうと思っていたのですが、そうではないようですね。私が言っていることは、専業主婦も売春婦も性で報酬を得ているという点では同じだということです。すべての生物は、食料を食べることで生きているという点では同じであるというのと同様の表現で、ナンセンスでも何でもありません。
もしも賃金水準が異なることを理由に同じ概念の適用を拒否するなら、「専業主婦」や「売春婦」という概念自体が成り立ちません。なぜなら、同じ専業主婦どうし、同じ売春婦どうしでも、同じ仕事に対する報酬水準が異なるからです。
投資会社に、一定の報酬を払って資産運用を委託している場合を考えてください。客は、投資会社から、毎月分配金をお小遣いとしてもらっているけれども、だからといって、売り手と顧客の関係が崩れるということはありません。
私が根拠を示していないのではなくて、私の根拠にあなたが納得していないというだけのことでしょう。納得しないなら、それで結構です。そもそも私は、私の説を認めてくださいとあなたにお願いした覚えはないし、私の説が気に入らないなら、たんにそれを受け入れなければよいだけです。私は自分の価値観や理論を他人に押し付けることはしません。多様性を認めることが社会の変化適応力を高めるという信念があるからです。
こういう言い方をすると無責任に聞こえるかもしれませんが、科学の理論とは本来そういうものなのです。科学の実態を知らない素人ほど、科学の理論は、証拠によって正しさが証明されると思い込むものですが、経験科学では、証拠によって理論の正しさが証明されるということはありえません。科学者たちは、仮説を立てて、反証例が出てくれば、仮説を組み立てなおすという作業をエンドレスに繰り返しているだけです。絶対的に正しい理論は存在せず、その意味では、すべての理論は仮説にすぎないということができます。
私の理論も仮説であり、反証例があるなら、その内容を修正します。しかし、今のところ、反証例はないし、私の仮説を放棄する理由もない。しかし、仮説なのだから、他人に認めることを強要するような性質のものでもない。価値観に至ってはなおさらです。
>>もしも種が分化しないなら、すなわち誕生したままの一種類の種しか存在しないなら、変化適応力がないから、すぐに生命は消滅したでしょう。
間違いです。原始の単細胞生物は10億年以上存在し、今の殆どの種が耐えられない全球凍結といった環境の激変を乗り越えました。
> >有性生殖の誕生を利己的遺伝子の自殺行為とみなさないためには、利己的遺伝子の単位をコドンにまで縮小しなければなりません。ところがコドンは、利己性を主張するほどのユニークネスがないので、この段階で、利己的遺伝子仮説は破綻します。
有性生殖と利己的遺伝子論は両立します。ウイルスや環境の変化に耐えられる様、確実に自己の遺伝子を残す為に多細胞生物の多くは有性生殖するのです。
生物の遺伝子は親から子へ全てでなくとも受け継がれるのは事実で、利己的遺伝子が何処にあるか、どの遺伝子か?と言う事は解明されていない事であり、利己的遺伝子論を否定する根拠になりません。
又全ての個体が己の遺伝子を残そうと競う為多様性も保たれます。
脱落する個体は、自然淘汰の範疇なのです。
性器の隠蔽も自己の性的魅力を高め確実に子孫を残そうとする利己的遺伝子論で説明が出来ます。
そして自己を犠牲にして、他を生かすのは利己的遺伝子論では説明出来ない事であり、本能に反する行為だと僕は考える。
その根拠としては生物の行動殆どが利己的遺伝子論で説明出来るからで、貴方の説では説明出来なかったからだ。
>>なぜなら、同じ専業主婦どうし、同じ売春婦どうしでも、同じ仕事に対する報酬水準が異なるからです。
同じ職種には相場の賃金があります。僕が先に示したのは最低レベルの相場の賃金であり、一般の専業主婦が貰うであろう生活費が大きく下回っているのなら、違う職業と考えるべきです。
>>客は、投資会社から、毎月分配金をお小遣いとしてもらっている
そういう関係の風俗嬢と客はいるんですか?
>>専業主婦も売春婦も性で報酬を得ているという点では同じだということです。すべての生物は、食料を食べることで生きているという点では同じであるというのと同様の表現で、ナンセンスでも何でもありません。
いや、この議題に必要のない大雑把すぎる括りで明らかにナンセンスだ。それに貴方はそう言う意味で売春婦と主婦を同列に見做しのでは無い。
>>規制緩和による価格破壊で打撃を受けるのは、売春婦だけではない。同じく「セックスでメシを食っている」専業主婦もデフレの危機に晒される。いつでも、安く、簡単に女を買うことができるようになれば、男たちは、もはや性的快楽のためだけに結婚する必要はなくなる。そうなれば、専業主婦志願の女性たちは大量に売れ残ることになる
つまり貴方の主張は売春婦と主婦の需要は競合関係に有ると言う物で、それは明らかな間違いだ。
違うと言うなら貴方の売春が人口を減少させると言う説の根拠が1つ失われた事になる。
>>私の理論も仮説であり、反証例があるなら、その内容を修正します
直ぐ修正した方が良い。
確かに全ての事象を説明出来る説など無いが、仮説の根拠となる事象すら説明出来ない説はコレ以外に見た事がない。
だから反証を提示する迄も無いのだ。
あたかも風俗客が、人間関係構築の順序をすっ飛ばして金でsexに辿り着く様に、貴方の説は根拠とする事象の検討すべき点をすっ飛ばして結論にこじ付けている。
この説は前に貴方が述べた様な社会改革論ではない。何故なら行動を伴わないし、責任も貴方は負う気が無いからだ。
又生物学的理論でもない。
それは貴方自身が否定した。
貴方の言う様な全ての分野を兼ねる理論でも無い。
何故なら貴方の提示した根拠は根拠になっていないからだ。
つまり、唯の妄想だ。
>>多様性を認めることが社会の変化適応力を高めるという信念があるからです。
価値観の多様性を認める事にも限度がありますよ?
例えば「売春が人口を減少させる」この売春と言う部分を殺人に置き換え、娼婦を殺人者に置き換えても違和感なく成り立つ。
いや、こっちの方が未だ筋が通っていると言う点では説として成り立つかもしれない。
殺人が悪と言う価値観も不変の物ではない。戦場や事件の方をつける時には寧ろ正当な物とされる。
しかし僕は殺人が良いと言う価値観には賛成出来ない。
価値観の多様性を認める事は善悪の別がつかなくなる事とは違う。
>>「誰にも迷惑をかけずに、お互い自由意志で合意してやっているのだから、なーんにも悪くないじゃん」
談合や賄賂にも同じ理屈は使えるだろう。
しかしこの理屈からはお互い嫌な思いをしても守らなければならない規範が社会にはあると言う事実認識がすっぽり抜け落ちている。