なぜ売買春してはいけないのか
現在日本では、売買春は法律で禁止されている。そして、多くの男たちは、「買春は悪だ」と、少なくとも頭では理解している。体が言うことを聞くかどうかは別として。では、この長く信じられてきた価値観に根拠はあるのか。はたして、「誰にも迷惑をかけずに、お互い自由意志で合意してやっているのだから、なーんにも悪くないじゃん」と開き直る売買春肯定論者の主張を、説得力ある理由を挙げて論破することは可能だろうか。いくつか候補を挙げて、その妥当性を検討してみよう。

1. 性病防止説
売買春は、性病を蔓延させ、非嫡出子を産み出すので悪い。
この説によると、売買春というよりも、売買春を含めたフリーセックス一般が好ましくないということになる。もしも、セックスが夫婦間でしか行われないのであれば、性病は配偶者にしか感染せず、それ以上広がらない。これに対して、売買春がオープンに行われる場合、不特定多数の客を相手にする売春婦がスーパー・スプレッダーとなって、性病を蔓延させることがしばしばある。また、未婚女性が売春をする場合、避妊に失敗して非嫡出子(婚外子)を産むリスクがある。最初に思いつく「合理的な」理由はこんなところだ。
だが、こうした理由で売買春を法的に禁止することはできない。法律で売買春を禁止しても、アングラマーケットで売買春がはびこるだけである。それならば、公的機関が売春宿を経営した方が、性病予防や避妊用具の着用などが徹底されるので望ましいということになる。少なくとも、性病や避妊についての知識のない女子高生が、ふらふらと路上で援交オヤジを探す場合よりも安全である。また、暴力団などに流れていた金を、公共の利益のために使うことができるというメリットもある。

戦前の日本では、こうした理由から、公娼制度が作られた。にもかかわらず、戦後、公娼制度が廃止され、売春防止法が施行され、今日に至るまで「公営吉原」を作ろうという動きが政府に出てこないほどに売買春が忌み嫌われているのはなぜなのか。将来、着用を感じさせないほど薄くて、しかも絶対に破れることがない究極のコンドームが発明されて普及し、性病問題と妊娠問題が解決されたとしても、たぶん売買春が悪だという価値観が変わることはないだろう。それはなぜか。
ここで、「買春」という言葉を聞いただけで、目をつり上げるフェミニストに登場してもらって、御説を拝聴しよう。まずは、いかにもフェミニスト的な理由から見ていこう。
2. 経済的暴力規制説
買春は、男の女に対する経済的優位の象徴だから許せない。
たしかに、男が女より平均的に収入が高いからこそ、男は高値で女を買うことができる。ただ、売買春で男女間の経済格差が広がるわけではなくて、むしろ逆に小さくなるのだから、この命題からは、男女の経済格差を是正すべしという当為が帰結しても、買春を禁止すべしという当為は帰結しない。
3. 性的奴隷解放説
買春は、女を男へと隷従させる性的奴隷制度だからけしからん。
「性的奴隷」というのも、フェミニストたちがよく使うレトリックであるが、売春婦を奴隷扱いすることは奴隷制度に対する根本的な誤解である。奴隷は、24時間365日自由を持たないが、売春婦が自由を持たないのは、勤務時間中だけである。発展途上国には、性的奴隷に近い女たちがいるが、これは売買春というよりも人身売買であるから、別の問題である。ともあれ、日本の売春婦のように、生活のためにやむをえずではなくて、ブランド物を買うためとかプチ家出のためとかの理由で、時間の一部を売春に当てて金を稼ぐことは、いかなる意味でも奴隷的ではない。もしも日本の売春婦が奴隷なら、すべての労働者は、勤務時間中自由を失っているのだから、顧客の奴隷ということになってしまう。
結局のところ、フェミニストたちの攻撃の矛先は、買春の原因となっている男女の経済格差に向けられていて、女の売春行為そのものに対しては、フェミニストは意外と寛容であったりもする。実際、あるフェミニストは、女は売春してもよいが、男の買春は悪だなどと言っている。これは、「片手で拍手しろ」と言っているのも同然ではないのか。買い手を否定して、どうやって売れと言うのか。
ここで、フェミニストよりも、もっとピュアに売春を憎むロマンチストに登場してもらって、御説を拝聴しよう。
4. 愛情欠如説
売春は、愛がない金目当てのセックスだから卑劣だ
なるほどロマンチックだ。では、若い美人が、遺産目当てに、本当は愛していない年寄りの金持ちと結婚することは、卑劣な売買春として法的に禁止すべきなのか。これは極端な例だが、それにしても、経済的なことを考えずに、愛だけで結婚するカップルがどれだけいるだろうか。専業主婦志望の女性は、相手がハンサムかどうかよりも、収入が多いかどうか、あるいは学歴が高くて将来出世しそうかどうかということを重視するのではないのか。売春婦の中にも、趣味と実益を兼ねている人がいて、相手が好みのタイプだと、「ラッキー!」とか言って、愛のこもったセックスをすることもあるのではないのか。こうしたことを考えると、専業主婦は終身雇用の専属社員で、売春婦はパートタイムの派遣社員という就業形態の違いはあっても、ともに「セックスでメシを食う」という点では変わりがないということになる。いずれにせよ、愛があるかないかでは、合法的な専業主婦と非合法の売春婦を区別することはできない。
5. 人身売買防止説
売春は、体を物のように売るので、非人間的な職業だ
これもロマンチストがよく口にするせりふだ。性的奴隷解放説と似ているように見えるが、人身売買防止説が性と人格の分離を批判しているのに対して、性的奴隷解放説は人格までが性とともに売られることを批判しているのだから、立場が違う。では人身売買防止説は正しいか。答えは否だ。人身売買防止説を主張する人は、「商品=財」という誤解をしている。サービス業を考えればわかるように、物の移譲がなくても交換は成り立つ。しばしば売春のことを「体を売る」と表現するが、臓器売買のように、文字通り肉体の切り売りをしているわけではない。たんに肉体を用いたサービスを売っているだけである。そして、言うまでもなく、肉体労働自体は悪くない。では、売春は、客の肉体に触るから、汚らわしい肉体労働なのか。そうではない。マッサージ師は、売春婦と同様に、客の体に手で触れて、客に肉体的な快楽を与え、それで金を稼いでいるが、売春業のように「醜業」扱いされていない。マッサージ業との違いを強調するならば、人身売買防止説は次の段階に移行する。
6. 触穢防止説
売春は、客の性器と接触する肉体労働なので、猥褻で穢れた職業だ
なにやら中世の頃を髣髴とさせる差別的言説だが、もしもこうした触穢思想を応用するならば、医師や看護士も「猥褻で穢れた職業」ということになってしまう。例えば、女性看護士が、盲腸切除手術を受ける男性患者の秘部の剃毛をしたり、乳がんの検査と称して男性の医師が女性患者の乳房をもんだり、産婦人科の医師がヴァギナに手で触れたりなど、医療現場では、風俗店もどきの接触行為が行われている。私は行ったことがないのでよく知らないが、イメクラのメニューに「剃毛プレー」とか「乳がん診断プレー」とかあっても不思議ではない。にもかかわらず、誰も医師や看護士を「猥褻で穢れた職業」とは言わない。だから、売春と医療行為を区別するためには、触穢防止説は、「売春は、性的快楽を与えるために客の性器と接触する肉体労働なので、猥褻で穢れた職業だ」と書き換えられなければならないが、これは、「売春は、売春なので、猥褻で穢れた職業だ」というのも同然で、なんら理由を示したことにならない。
以上、売買春を悪とみなす様々な根拠を検討したが、いずれも説得力に欠けている。売春婦をすると経歴に汚点を残すとか、周囲から白い目で見られて精神的な傷を負うなど、世間が売春を悪とみなすことによる二次的な弊害を指摘する人もいるが、もちろん、それらは、売春が悪であることの一次的な理由にはならない。たまねぎの皮をむくように、一枚一枚見せかけの理由を剥いでいった結果、最後に残るコア、売買春に対する抵抗の最後の砦は何なのか。私がたどり着いた結論は、こうである。
7. 希少価値維持説
売買春の合法化は、セックスの希少価値を損なうので問題がある。
売買春の報酬は、他の職業で素人の女性が受け取る賃金よりも破格に高い。これは、セックスの希少価値が高いからであって、有用性価値が高いからではない。その証拠に、援助交際がブームになった時、素人の女子高生の方がベテラン売春婦よりも高値で売れた。なぜ、ベテラン売春婦とは違って、セックス・テクニックが皆無で、ただマグロやっているだけの、しかも体が未熟でおいしくない素人の女子高生が高く売れるかといえば、それは多くのオヤジが、「素人の女子高生は処女だ」と信じているからである。現在、オヤジたちは、これが幻想に過ぎないことに気がつき、「本当の処女」を求めて女子中学生を漁り始めている。オヤジが、これだけ処女にこだわるのは、言うまでもなく、経験者よりも処女の方が、希少価値が高いからだ。
もしも売買春が合法化され、売春婦になることが経歴上のスティグマでなくなると、現在よりも多くの女性が売買春市場に参入して供給過剰となり、売春料金は、通常のマッサージ料金と同じ水準にまで暴落するだろう。これは、麻薬を合法化すると、麻薬の価格が通常の薬の水準にまで暴落するのと同じことである。将来、性病防止説から触穢防止説で指摘した問題が解決されたとしても、すなわち、コンドームの技術革新のおかげで、性病が蔓延したり、非嫡出子が続出したりしなくなったとしても、男女の経済格差が縮まって、フェミニストたちがおとなしくなったとしても、売春婦に対する社会的偏見がなくなったとしても、否、むしろこうした売買春へのあらゆる障害がなくなればなくなるほど、そして素人が気軽に売春できるようになればなるほど、セックスの希少価値がなくなるので、希少価値維持説の問題は深刻になる。
規制緩和による価格破壊で打撃を受けるのは、売春婦だけではない。同じく「セックスでメシを食っている」専業主婦もデフレの危機に晒される。いつでも、安く、簡単に女を買うことができるようになれば、男たちは、もはや性的快楽のためだけに結婚する必要はなくなる。そうなれば、専業主婦志願の女性たちは大量に売れ残ることになる。では、女性たちが買春合法化反対を叫ぶのは、日本の稲作農家が、米の輸入自由化に反対する場合と同じで、規制緩和によって業界の既得権益が侵されることを恐れているからなのだろうか。
規制緩和で専業主婦が減るだけなら、何も問題はないし、むしろ女性の自立という観点からは望ましいと考える人もいるだろう。だが、セックスの希少価値が下がることによる弊害はこれだけにとどまらない。売買春を合法化しても、婚外交渉を肯定しない限り、既婚の男女は売買春ができない。結婚してしまうと、未婚の時のように、いつでも、安く、簡単に女を買う「セックス・オン・デマンド」が享受できなくなるということになれば、「子供も欲しいが、それ以上にいろいろな女と一生遊び続けたい」という選好を持つ男たちは、結婚しなくなる。そうすれば、そうした男が作るであろう子供の分だけ人口が減少する。戦前の日本では、妻が夫の買春を容認したために、公娼制度を作っても、あまり独身者を増やすことにはならなかったが、現在のように、妻が夫の不倫に寛容でなくなると、そういうわけにはいかない。
キリスト教徒が、売春だけでなく、オナニーや避妊や同性愛を禁止するのは、生殖を目的としない、性的快楽だけを求めた非本来的な性行為は、「産めよ、殖えよ、地に満てよ」という神の人間に対する祝福に違反するからだと考えることができる。キリスト教に限らず、性道徳の背景には、人口増加を善とする思想がある。婚前交渉を肯定して、結婚しなくても愛があればセックスができるようになれば、あるいは、売買春を肯定して、結婚しなくても金さえあればセックスができるようになれば、結婚するカップルが減り、それは結果として少子化を促進してしまう。
では、売買春がお金を媒介としない婚前交渉よりも嫌われるのはなぜか。それは、相思相愛の婚前交渉は、物々交換一般と同様に、「私が欲望する商品の所有者が、私が所有する商品を欲望している」という欲望の偶然的な二重の一致を必要とするために、成立が困難であるが、貨幣というコミュニケーション・メディアが媒介すれば、片想いでも簡単に交換が成立する、つまり、売買春は、婚前交渉よりも成立が簡単で、それだけセックスの希少価値をより大きく下げるからだ。
私の結論は、売買春の合法化は人口増加を抑制し、種の存続を危うくする(あるいは少なくともそう信じられている)から非難されるというものだ。もちろん、私たちは、本当に人口の減少が望ましくないのかどうかを疑わなければならない。日本をはじめとする先進国では、少子化が社会問題となっているが、発展途上国では、人口増加は悩みの種である。そうした国々に対しては、人口抑制政策の一環として、売買春を未婚の男女に限り合法化してみてはどうだろうかと提案したくなるが、発展途上国ほど、性病予防や避妊が不徹底なので、売買春の合法化は、性病の蔓延や意図せざる出産の増加をもたらしてしまう。ここに売買春合法化が直面するディレンマがある。
8. 読書案内
- 『買売春解体新書―近代の性規範からいかに抜け出すか』の前半は、援助交際をめぐる上野千鶴子と宮台真司との対談。コミュニケーション・スキルがなくて、買春によってしかセックスできない男を「性的弱者」と位置づける宮台に対して、上野は、性欲を満たしたければ、マスターベーションしろと言う。後半では、藤井誠二のレポートが面白い。
- 『性の商品化―フェミニズムの主張〈2〉』は、性の商品化に対するフェミニストたちの批判。疎外論や搾取論など、古臭いマルクス主義のイデオロギーをそのままフェミニズムに適用したような議論が目立つ。
- 『売る売らないはワタシが決める―売春肯定宣言』では、売買春肯定論者たちが、「売春は良いけれどもし、買春はダメ」と主張する上野千鶴子や「タイの女性は強制的に売春させられている」と主張する松井やよりや「売買春で他者が他者でなくなる」と主張する立岩真也など、著名人たちの浅薄な売買春否定論を批判する。
ディスカッション
コメント一覧
そういう「やり取り」のことを学問的議論とは言いません。自分が学問的議論をしていないことをついに認めましたね。
議論が誹謗中傷合戦になることはよくあります。誹謗中傷合戦は生産的な結果をもたらさないので、誹謗中傷合戦になりそうになったなら、議論は止めることにしています。あなたは2020年1月7日 8:44 PMのコメントが「人格否定や、侮辱発言、レッテル貼り」ではないというけれども、議論とは関係ないと認めながらそういった書き込みをしたのだから、私としては議論を打ち切るべき段階になったと判断せざるをえませんでした。これはこちらのポリシーなので、あしからず。
>>自分が学問的議論をしていないことをついに認めましたね
僕は議論しようとし続けている。
貴方がこの様に論理を飛躍させ、詭弁を弄し、事実から目を逸らす為、つまり貴方が馬鹿丸出しの為学問的議論にならないのだ。
貴方は研究について知らず、議論について知らず、ボノボについて知らず、常識を知らず、女を知らず、利己的遺伝子論を知らなかった。
コンゴ川でさえ近所の用水路程度に考えていた。
つまり前提知識すら無いのに、それをさも全て知っているかの様に振る舞い、揚げ足をとり自分の無知蒙昧を他人に擦りつけ議論から逃げようとしている。
違うなら僕の動機が何であれ、質問に対して事実を挙げ論理的に回答すれば良いだけである。僕以外にもこれらの疑問を持つ人もいるだろう。貴方の説に従えば当然湧いてくる疑問だからだ。貴方が純粋に学問的見地から本文を書いているなら当然矛盾無く回答するか、間違いを認めるかどちらかの道をとる筈だ。
利己的遺伝子が何処にあるかどの遺伝子か解明されていないのに、利己的遺伝子論が間違いだと貴方が考えるのは何故か?
生命の狡智とは何なのか?どの様な由来で発生したのか?
ボノボは(ボノボのみならず絶滅の危機にある動物達)は絶滅の危機に瀕しながら何故性をタブー化しないのか?
本質、職種、目的が異なる売春婦と専業主婦の需要は競合するのか?
何故人類史において、今よりも死が身近で人口が少ない時代の方が売春に寛容な世の中だったのか?
性的魅力が拮抗し、sexの代金がお互い生じない自然な関係のカップルが結婚し、専業主婦になった場合に払われる生活費はsex代と見なせないではないか?
主婦から専業主婦になった場合何故それまでのsex代が多くの場合支払われないのか?
同棲したり専業主婦と暮らす方が売春婦を同じ時間雇うより遥かに安くすみ、性的希少価値が減らせる事実はどう捉えるのか?
何故妻と愛人が法律上区別されるのか?
風俗客が結婚志望の女の希望する結婚相手になるのか?
性的希少価値が下がると何故人口が減ると考えるのか?
風俗代が下がると何故結婚しなくなる男が現れると考えるのか?子供が欲しいけど色々な女と遊びたい男は風俗代が安くなれば結婚して風俗に行きやすくなるからより結婚し易くなる筈である。
以下本題とは少し逸れた疑問
このままのペースで人口がこの国から減れば、人口ピラミッドの逆三角形化は加速し、国家が崩壊しかねない。実現していない機械化や不老不死の研究がその危機を解決できると考える根拠は何か?
何故個人の動機と言う議論に関係ないプライベートな部分を理由に議論を打ち切ろうとするのか?
全くおっしゃってる通りですが、
①”なぜ売買春してはいけないのか”と考える主体(主語)が明確でないので、無理解な揚げ足取る人が多いのではないでしょうか?
最大公約数的な人類全体、国家にとって、男性にとって、女性にとって、では”いけない”と考える理由がある意味相反するから荒れる人が多いのでは?特に一部の女性のコメは、嫌悪感があるからいけない、いけないからいけない、に過ぎずどんな論理も通用しないのかと思います。
②また、結論として、「人口増加を抑制し、種の存続を危うくする」のは結論の結論で飛びすぎているのかと思いました。
この結論は暗に主体が国家とか全体最適化を考える立場、であるかと考えましたが、
だったら、「売買春の合法化は、セックスの希少価値を損ない、生産単位である結婚(法律婚)制度の保護に反する」、にとどめても良いのかと思いました。法律婚の保護により人口と経済を拡大再生産することが目的かとは思いますが、あえて少子化して高学歴化するというのも人口適正化戦略なので、単に「人口増加を抑制してしまう」、だと、発展途上国はむしろ人口抑制が必要とか、だったらもっと厳しく売春違法化すればもっと人口増えるのか?みたいな揚げ足取る人がでてくるので。
③さらに、セックスの希少価値(セックスを提供する女性の価値)があがりすぎると、今度は結婚できなくなったり、セックスできない層による社会不安も発生するので、希少価値を損なうのではなく、一定の価値を維持する、という考え方でも良いのかと思いました。これならソープやデリヘル、イスラムの四人目の妻の説明もつきます。
(1) 売買春は多くの国で法律で禁止されています。法律で禁止されているということは、売買春は、特定の人々(例えば女性)にとってのみ好ましくないということではなくて、社会全体にとって有害であるというコンセンサスが社会にあるということです。それなら、有害であると人々に理解してもらうための合理的根拠が必要になります。
(2) 本ページのタイトルは「なぜ売買春してはいけないのか」ですが、私は、売買春だけを問題にしているのではありません。もっと幅広く、なぜ人間という種は、他の動物とは異なり、性器を隠蔽し、性をタブーとしているのかという問題を考えており、本稿はそうした全体の研究の一部にすぎません。
(3) セックスの希少価値の高低と結婚の難易度とは必ずしも連動しません。日本においてみられる最近の傾向は、セックスの希少価値が低下し、男性の結婚意欲が減退した結果、専業主婦志向の女性にとっての結婚のハードルが上がっているというもので、セックスの希少価値が上がった結果、結婚できなくなっているというのは違うのではないでしょうか。
わざわざお忙しいなか、回答ありがとうございます。
(!)、(2)に関しては良くわかりましたが、やはり目的が「人口増加を抑制してしまう」だと、表面的には「頭数」だけと読めてしまいます。拡大再生産や生存競争のためには、子の「質」を向上させるためにあえて少子高学歴化策をとるほうが、発展途上国の無秩序な人口増加よりは、それこそ種や国家の競争存続上、合理的という考えもあるかと思いますので、人口増加には頭数だけでなく質も含まれるという要素があったほうが自分にはわかりやすかったのかと思いました。
(3)に関しては、言葉足らずで申し訳ありません。セックスの希少価値は上がれば上がるほど好ましいのではなく、上がりすぎても下がりすぎても良くないのではという私見でした。
どうもありがとうございました。
たしかに、人口は増えすぎてもよくないのですが、出生数がゼロでは困ります。ヒトという種は、性フェロモンの機能を失ったので、性的興奮を高める代替機能を必要としています。したがって、生殖につながる性行為を完全になくさないためには、性の非日常性を維持し続けなければいけないということです。
筆者は論理的に利益や倫理を考える思考によって売春が悪となっている理由を考えていらっしゃいますが、私はむしろ慣習や感覚といったものの影響が大きいのではないかと思います。人は常に理性にのっとり深く思考して行動してはいません。周囲の人間や本、テレビ、インターネットにおいて売春は悪だという慣習があります。この影響から抜け出すためにはかなり積極的になぜ売春が悪なのかということを考えなければなりません。なので売春は悪だと現代の論理できちんと説明できなくても悪と考えられるのです。感覚の面においてはヒトの生態が絡んでいるとおもいます。ヒトは夫が子育てに大きく貢献する生き物です。そうした中で子育てへの協力が少なくなる一夫多妻的性質への嫌悪が生まれていても不思議ではないと考えられるのではないのでしょうか。
研究対象の理性と研究者の理性とを混同しているように思えます。動物学者が理性の無い動物の行動を研究している場合を考えれば、両者の区別の必要性を理解できるはずです。そもそも、そもそも、人々が、対象レベルで感情的、感性的に判断しているからこそ、研究レベルでは、それとは異なる理論的考察が必要なのであって、対象レベルで、理論的な理由付けをしているのなら、私もわざわざ本稿を書く必要はありません。
ヒトは、誕生以来子育てをずっとやっていますが、一夫一婦制がキリスト教文化圏を超えて世界に普及したのは、20世紀になってからのことです。
私は筆者が研究者として論理的に説明しているところではなく、「売買春の合法化は、セックスの希少価値を損なうので問題がある。」「売春は、愛がない金目当てのセックスだから卑劣だ」などの思考、もしくはそこから派生する思考をあまり行っていないのではないかと考えました。
一夫一妻制に関することですが特にキリスト教独自のものではないと考えられないでしょうか。20世紀以前の日本、中国などの道徳や一般的な結婚のかたちから考えて20世紀以前から一夫一妻が支配的であったと考えられます。また愛人のシステムはヨーロッパ、アジア問わずありました。たしかに完璧な一夫一妻を目指そうという嗜好は19世紀ヨーロッパ、20世紀の世界のものかもしれませんが、一夫一妻的性質はそれ以前から人類で支配的であったと思われます。
またヒトの男の子育てへの参加の大きさからから考えると子育てへのリソースが減り生存数が減ってしまう一夫多妻への嫌悪は進化により発生していたと考えられます。(女性はもちろんですが男性の子孫の生存数も減る。)この進化の影響によって売春への生理的な嫌悪が生じていると考えています。