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有性生殖はなぜ必要なのか

2004年10月16日

地球で最初に誕生した生物は、無性生殖により増殖していたが、進化史上のどこかで、有性生殖が始まり、それが今日生殖の方法の主流となっている。それなら、有性生殖には、デメリット以上のメリットがあるはずなのだが、そのメリットとは何だろうか。

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有性生殖は無性生殖よりもコストがかかる

1971年に、英国の遺伝学者、メイナード・スミスは、有性生殖には、“性の二倍のコスト the two-fold cost of sex”があることを指摘して、この問題を提起した[1]。有性生殖では、一つの個体を作るのに二つの個体が必要であり、一つの個体が一つの個体を作る無性生殖よりも、倍非効率である。したがって、他の条件を同じにしてシミュレーションしてみると、世代を重ねるうちに、有性生殖をする種は遺伝子プールから淘汰される。

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減数分裂の模式図。この図に示されているとおり、減数第一分裂前期では相同染色体の間で乗換えが起こり、その結果、親の世代子とは異なる染色体が作られる。

単為生殖ができる性はメスに限られていることからもわかるように、生物の基本はメスである。哺乳類の胚は、性染色体構成がXXであれXYであれ、メスになるようにできており、Y染色体上のSRY遺伝子が働いて初めてメスになるはずのものがオスに作りかえられる。それゆえ、問題は、なぜメスは、メスだけを作らずに、ほとんどの種において子育てに協力しない、つまり、精子を提供することを除けば種の存続に貢献しないオスという余計で無駄なものを作るのかということである。オスという性を作ったばかりに、オスを生み育てるコストに加え、オスを探すコストまでがメスに重くのしかかる。いったいオスの存在理由は何か。

有性生殖は自然環境への適応力を高めるのか

有性生殖においては、染色体の交叉、すなわち遺伝子組み換えのおかげで多様な個体が作られ、自然選択や性選択(雌の選り好み)により、環境に適応した個体が生き残り、進化が促されるというのが古典的で標準的な説明である。この説は、「ブレイ村の牧師」仮説と呼ばれる[2]。ある小説に登場する牧師が、君主の交代があるたびに、それに合わせて、プロテスタントになったり、カトリックになったりしたことにちなんでそう名付けられた。

しかし、実際には、環境への適応という点でも、多倍体の有性生殖よりも一倍体の無性生殖のほうが効率的である。無性生殖は、同じ遺伝子を複製し続けるだけなので、変異は生じないと考えられがちであるが、実際には、突然変異その他の理由で、個体間に差異が生じる。無性生殖は、たいがい一倍体(半数体)であるから、遺伝情報が潜性遺伝として埋もれることはない。したがって、有性生殖と比べると、環境に適応的でない遺伝子は急速に排除され、他方で、環境に適応的な遺伝子は、急速にその数を増やせる。

有性生殖では、ある個体に環境適応的な表現型がたまたま現れたとしても、その個体と他の個体との間にできた次の世代では、その表現型が消えてしまうこともありえる一方で、環境に適応的でない遺伝子が、潜性ゆえに淘汰されることなく残存することもありえる。環境適応という点でも、有性生殖は非効率的である。無性生殖の生物は、多くの有性生殖の生物が住む居心地のよい場所よりも緯度や標高が高い苛酷な場所に住む。したがって、有性生殖は、厳しい自然環境を生き抜くための工夫ではない[3]

有性生殖は遺伝子修復のための機構か

性の誕生を、進化を促進させるための進化としてではなく、逆に進化を否定するための進化として解釈する立場もある。多倍体のゲノムで有性生殖する生物は、DNAのバックアップを持って、一本のDNAにエラーが生じると、DNAポリメラーゼという複製酵素が、変化していない方を原本にして、塩基対合の誤りを修復する。したがって、もともと無性生殖の生物よりも遺伝情報の変更に対して否定的である。そして、配偶子の接合は、バックアップごと損傷を受けたDNAを修復するために行われるというのだ。

この説にもいろいろなバージョンがあるのだが、有名なものに「ミュラーのラチェット」仮説がある[4]。無性生殖だと、コピーミスが不可逆的に蓄積していくので有害だという説である。なお、ラチェットとは、以下に図示したような逆転止めの爪によって一方向だけに回転する歯車の装置のことである。

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(1)歯車(2)爪(3)台座からなるラチェットの模式図。Source: Dr. Schorsch. “Drawing of a ratchet." Licensed under CC-BY-SA.

この事例では、歯車は、反時計回りに回転できるが、時計回りには回転できない。同様に情報の不確定性が不可逆的に増大するという点で、エントロピーの法則の一つの例と言える。

しかし、この仮説も、無性生殖に対する有性生殖の優位を説明できているとは思えない。一倍体のゲノムで無性生殖を行う生物では、有害なコピーミスは、直ちに排除され、子孫を残さない。それゆえ、有害な遺伝子がどんどん蓄積するということはない。むしろ有利な「複製ミス」までが「修正」されないだけ、有性生殖よりも優れていると言えるかもしれない。

そもそも有性生殖のようなコストのかかる方法が、遺伝子修復だけのために必要なのだろうか。たんに、修復を確実にするというためだけならば、二倍体を三倍体、四倍体 … にする、つまり、バックアップの数を増やすなど、もっとコストのかからない修復方法が普及してもよさそうなものである。また、もしも性の目的が遺伝子修復だとするならば、なぜ多くの種は、異系交配を好むのかが説明できない。近親であればあるほど、そのDNAは自分のDNAと近い、つまりバックアップとして理想的であるはずなのに、なぜ、近親相姦は回避されるのか [5]ということになる。

そもそも、DNAのエラーの修復といっても、解読不可能な損傷を解読可能な情報で置き換えることしかできず、解読可能な遺伝子間の不一致を是正することはしない。どちらが正しいのか判別できないからだ。異質な染色体をどちらか一方に同化させることなく、むしろ交叉させて新しい組み合わせの子を作り出す有性生殖が、遺伝情報の保守だけのためにあるのではないことは明白である。問題は、性が作り出す多様性が何のためにあるのかということである。

有性生殖は寄生者対策か

最近注目を浴びている説として、性は、ウィルスなどの寄生者対策として機能しているとする「赤の女王」仮説がある[6]。なぜこの仮説がそう呼ばれるかは、後で説明しよう。この仮説は、性を、自然環境ではなくて、社会環境への適応の産物と位置付けるところに特色がある。苛酷な自然環境で有性生殖が行われないのは、ライバルが少なくて、社会環境への適応に力を入れなくてよいからだ。

良好な自然環境の下では、ライバルがたくさんいるので、社会環境への適応が重要となる。生物は多様な寄生者から身を守るために、自らを多様にしなければならない。そうすることで、種全体が滅びることを防げる。例えば、アフリカには、多くのエイズ感染者と交わっても、全くエイズに感染しない売春婦がいたりするが、そうした、エイズに感染しない遺伝子をたまたま持った人は、有性生殖のおかげで生まれてくる。

無性生殖でも多様性を作れるが、致死率が高いので、多産多死になってしまう。大きな生物ほど少産少死の戦略をとらざるを得ないので、機能的に等価な部分だけを組み替える、より安全な方法、すなわち有性生殖が好まれる。コンピュータ・ソフトに喩えると、突然変異が、プログラムの任意のコードを書き換える危険な多様化策であるのに対して、有性生殖は、パスワードのような安全なところだけを書き換える安全な多様化策と言える。パスワードを多様にするだけでも、外部の侵入者を阻止する上でかなりの効果がある。

宿主は寄生者のスピードに勝てるのか

この説に対しては、寿命の長い宿主よりも寿命の短い寄生者のほうの世代間変化が速いから、寄生者対策にならないという批判がある。しかし、どの宿主の免疫システムをも突破できるほどに寄生者の変身が速いとしても、宿主には、寄生者をかわす方法があるのではないかと私は考えている。

またコンピュータの比喩を使おう。世界で最もウィルスの被害を受けているパソコンは、マイクロソフトのWindows搭載PCである。だが、それは、Windowsが世界で最もウィルスに対して脆弱なOSであるからではない。もっとセキュリティが甘いOSがあっても、ユーザ数が少なければ、ウィルスにとっては魅力がない。Windowsのように、ユーザ数が多ければ、コンピュータを破壊しながらも、ネットワーク上で次々と他のコンピュータに感染することで子孫を増やせるが、ユーザ数が少なければ、他へと子孫を増やすことなく、壊したコンピュータと一緒に心中してしまうだけということが多いからだ。

ということは、レアなソフトを使うことには、ウィルスに狙われにくいという利点があるということであって、そのためなのか、少し前までは九割以上のシェアを誇ったマイクロソフトのインターネット・エクスプローラも、最近ではシェアを下げている。蓋し、マイクロソフトによるブラウザ独占を阻止した最大の功労者は、インターネット・エクスプローラのバンドルを反トラスト法違反で提訴した連邦政府司法省ではなくて、コンピュータ・ウィルスである。

話を生物に戻そう。たとえ寄生者に対して脆弱な免疫しかない個体があっても、それが少数派であるならば、寄生者は、あえて侵入のために変身しない。寄生者が多数派全部に感染するにはかなり時間がかかるので、その間、抵抗力を持つ少数派は、少数派ゆえのモラトリアムを利用して、数を増やせる。そしてかつての少数派が多数派になり始めると、寄生者はその多数派に感染するために、変貌を遂げる。その間、宿主は、有性生殖を通じて、新たな組み合わせを模索できる。

これではいたちごっこではないかと思うかもしれない。その通り。それがこの仮説に「赤の女王」仮説という名前が付いている所以なのである。「赤の女王」は、『鏡の国のアリス』で、「同じ場所に留まるには、全速力で走らなければならない[7]」と言っている。

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アリスに教えを垂れる赤の女王。ジョン・テニエル(John Tenniel; 1820–1914)による1871年のイラスト。

生き残るには、寄生者とのレースに勝たなければならないが、それによって、寄生者がいない時と比べて、何か改善されているわけではない。それでも、変わらない(生存し続ける)ためには変わらなければならないのである。

オスはなぜ存在し続けるのか

ウィルスは、ともすれば、たんなる破壊者としてしかみなされないが、ウィルスの本命は、宿主と一緒に死ぬことではなく、宿主を殺さずに、自分の遺伝子を組み込むことである。もともと地球上の生命は、RNAウィルスで、逆転写酵素によって、自らの情報をDNAに安定的に保存することに成功して以来、そのDNAに割り込もうとする寄生的なレトロウィルスの攻撃を受けることになる。

生物を支配する遺伝子をメスと餌場を支配するアルファオス(ボス)に喩えるならば、ウィルスは放浪オスで、放浪オスがメスと餌場を乗っ取ろうとアルファオスに戦いを仕掛けるように、ウィルスは、細胞の支配権を奪い取ろうと、既にボスのいる細胞に侵入する。放浪オスが、アルファオスの放逐に失敗したり、あるいは成功しても、メスまでを殺してしまったり、メスから交尾の同意を得られなければ、子孫を残せず、再び新たなハーレムを求めてさまようしかないように、ウィルスも、新たな感染先を探すしかない。

多くの生物学者(特に利己的遺伝子の仮説を信じている生物学者)は、自分の遺伝子を後世に伝えることが生物の究極の目的だと考えている。そうだとするならば、寄生者対策としての有性生殖は、きわめてパラドキシカルである。ウィルスによって遺伝情報を変えられることを防ぐために、有性生殖によって遺伝情報を変えるということは、暴力団から店を守るために暴力団を用心棒として雇うようなものであるからだ。暴力団に金を渡さないためには、暴力団に金を渡さなければならない。お望みとあらば、雇った暴力団に「警察」あるいは「軍隊」、上納金に「税金」といったもっともらしく聞こえる名前を付けてもよい。

冒頭で問うたオスの存在理由がわかってきた。子育てをせずに戦争ばかりしているオスは、メスにとって余計な負担以外の何物でもないように見える。しかし、見知らぬオスに支配されるよりも馴染みのオスに支配されている方が低リスクであるから、メスたちは既存のオスを用心棒として使っているのである。

軍隊のない平和な世の中のほうが理想的であるように、無性生殖のほうが有性生殖よりも理想的である。だが、実際には、軍隊を廃止したり、有性生殖を廃止したりすることはできない。ある国が軍隊を廃止しても、他の国の軍隊が侵入してくるだけだし、自主的に遺伝子を改変することを止めても、寄生者によって不本意な改変をされるだけだ。但し、資源のない砂漠だらけの国なら、侵略するだけの魅力がないので、軍隊を置く必要はない。同じ理由で、苛酷な自然環境の下では、生物は性を放棄できる。

赤の女王の疾走は無意味か

宿主と寄生者との競争は、しばしば軍拡競争に喩えられる。隣国がミサイルの開発に成功し、自国が迎撃ミサイルの開発に成功したとしても、それによって国民の生活が以前より向上するわけではない。赤の女王の疾走は、生物全体に何の利益をももたらさないように見える。

しかし、軍拡競争が、科学技術の新分野の開発という思わぬ副産物を生み出すように、宿主と寄生者との競争も、何か思わぬ利益を生命全体にもたらすことはないのだろうか。性の誕生により、生物が多様になり、それによって、生物全体の変化適応力が向上したと言えないだろうか。

軍拡競争の本来の目標が技術革新ではないように、性の本来の機能も、自然環境の変動に対する適応力の向上ではないが、結果としてはそれをもたらすことになる。以前、「環境適応と変化適応」で書いたように、環境適応と変化適応は似て非なる適応であって、しばしば対立関係にある。有性生殖する多倍体の生物では、環境適応に有利な表現型が次の世代で失われたり、不利な表現型が潜性遺伝子として温存されたりするが、これらは、環境適応的ではないにしても変化適応的である。今有利な形質も将来は不利になるかも知れず、逆もまた然りであるからだ。

資産運用に喩えるならば、一倍体の無性生殖は、最も有望な金融商品にすべての資産をつぎ込む方法で、多倍体の有性生殖は、より魅力のない運用先にも分散投資する方法ということになる。意外な事態に対して強いのは後者の方法である。その意味で、赤の女王の疾走は、必ずしも無意味ではない。

参照情報

関連著作
注釈一覧
  1. Smith, J. Maynard. “What use is sex?" Journal of theoretical biology 30.2 (1971): 319-335.
  2. Graham Bell. The Masterpiece of Nature: The Evolution and Genetics of Sexuality. Routledge; 第1版 (2019/11/28).
  3. Ridley, Matt. The Red Queen: Sex and the Evolution of Human Nature. Penguin; New Ed版 (1994/10/6). Chapter 2.
  4. Muller, Hermann Joseph. “Some Genetic Aspects of Sex." Symposium: The Biology of Sex. The American Naturalist 66.703 (1932), University of Chicago: 118-138.
  5. Ridley, Matt. The Red Queen: Sex and the Evolution of Human Nature. Penguin; New Ed版 (1994/10/6). Chapter 2.
  6. Leigh Van Valen. “A new evolutionary law" in Evolutionary Theory, No 1. Centre for Ecological and Evolutionary Synthesis. p.1-30.
  7. Lewis Carroll. Through the Looking-Glass: And What Alice Found There. Oxford University Press; 第3版 (2012/2/10). Chapter 2.