4月 172005
 

アマテラスは、太陽の女神にして、天皇家の祖先であり、現在は伊勢神宮で祭られている。筑紫申真は、アマテラスの誕生で、アマテラスは、『記紀』が編集された頃、持統天皇をモデルにして作られた新しい神にすぎないと主張している。しかし、私は、アマテラス=卑弥呼説に基づいて、この説を批判したい。

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天照大神は伊勢神社で祭られている。

1 : アマテラスは蛇だった

著者は、鎌倉時代に書かれた『通海参詣記』の記述から、アマテラスが男の蛇だったと言う。

八世紀よりももっとむかしのこと、わが国ではカミさまは一年に一度、海から、または海に通じている川をとおって、遠いところから訪問してくるものと考えられていました。[1]

私は、蛇崇拝が母神崇拝に起源を持つという点で日本は世界の例外ではないと考えている。川の流れに従えば、母なる海へと導かれる。だから、川の流れそっくりである蛇は、母神の使者あるいは化身である。縄文時代から存在する蛇巫と呼ばれるシャーマンは、それゆえ女性であり、トーテムである蛇と一体になっていた。こうした蛇憑きは、最近まで中国地方や四国地方に残っていた。『古事記』は、ヒナガヒメの正体を蛇としているが、これは蛇を地母神とする古い観念の残存ではないだろうか。

『記紀』が成立するころには、海崇拝よりも太陽崇拝の方が強くなった。西洋では、地母神崇拝の没落と天父神崇拝の高まりとともに、蛇が邪悪視され、鳥が神聖視されるが、東洋では、男性原理が女性原理を弾圧するという現象が見られず、陰と陽は調和する。では、日本では、どのように海崇拝から太陽崇拝へとスムーズに移行することができたのだろうか。答えとなる鍵は、太陽船という観念にある。

船がその上に太陽をのせて陸地をめざして訪れるという太陽船の信仰は、東南アジアにひろくみられる信仰であり、そしてまたそれは日本でも古墳時代にはあきらかに信じられていました。そのことは、古墳の壁画にそのような太陽をのせた船、つまり太陽船が描かれていることでわかります。[2]

太陽船という観念は、古代エジプトにも存在した。青い空をよぎる太陽は、青い海をよぎって航行する船に乗っているかのようである。

縄文時代に母なる海に仕えていた蛇巫は、弥生時代になると、そのまま太陽に仕える日巫女(卑弥呼)になり、それがアマテラスの原型になったのではないだろうか。そう考えれば、アマテラスが蛇でも不思議はない。ただし、太陽は男性であるから、神の化身である蛇は、女性から男性に変質したと考えられる。

2 : アマテラスとイエスの類似性

筑紫によると、アマテラスは、その神格を三転させている。日本版三位一体の教説である。

はじめ“太陽そのもの”であり、つぎに“太陽神をまつる女”となり、それから“天皇家の祖先神”にと転々して完成しているのです。[3]

『日本書紀』では、複数の名称が見られるが、筑紫は、日神→オオヒルメノムチ→アマテラスという順序で変遷したと考える。日神は、もともとアマテルという名の男性神で、オオヒルメノムチという巫女によって祀られていた。では、いつどのようにして、オオヒルメノムチは、皇祖神であるアマテラスとなったのだろうか。

私は、卑弥呼は、殺害されることで、日巫女から日御子あるいは日神子へと祭り上げられたと考えている。この点で、アマテラスという神は、もともとは神ではなかったが、十字架で処刑されることで神へと祭り上げられたイエスとよく似ている。「三位一体とは何か」では、媒辞であるイエスの抹殺と、その結果である聖霊降臨を以下のような三段論法で説明した。

図1 イエス抹殺の三段論法

これになぞらえて、卑弥呼を抹殺することでヤマトに太陽が復活することは、以下の三段論法で示すことができる。

図2 卑弥呼抹殺の三段論法

太陽がヤマトの国土を隅々まで照らすように、天皇の威光は、ヤマトの民の隅々にまで行き渡る。

3 : アマテラスはいつ誕生したのか

筑紫は、アマテラス信仰が、天武・持統時代にできたと考えている。

大化の改新以前には、天皇家はいっこうにアマテラスをまつっていません。神武天皇が皇祖天神をまつり、崇神天皇がアマテラスをまつったことが、それぞれ一回ずつだけあり、それがアマテラスをまつったすべてです。[4]

筑紫によると、『日本書紀』の古い時代の記述は信用できないから、アマテラスを祀ったことは、大化の改新以前には一度もなかった。確かに、もともと地方神にすぎなかった伊勢の神を皇祖神であるアマテラスに格上げしたのは、天武・持統時代のことであろう。「アマテラス」という言葉が出来たのも、この頃かもしれない。しかし、だからといって、天皇家に、太陽神の子孫というトーテム意識がなかったとは言えない。『記紀』よりも信用度の高い史料である『隋書』によると、日本の国書には「日出づる処の天子」という表現が記されている。これは、大化の改新以前にも、天皇が太陽にアイデンティティを持っていたことの証拠である。

大化の改新以前に、天皇家がアマテラスを祀らなかったのは、天皇家とアマテラスが一体となっていたからである。天皇は天皇自身を祀ることができない。『日本書紀』が語るように、もともと大和の地にいたアマテラスが、大和から見て太陽が昇る方向である伊勢の地に赴任し、天皇とアマテラスの間に距離ができて初めて、アマテラスは天皇にとって祀られる対象になった。私はそう解釈している。

筑紫によれば、アマテラスとは、持統天皇をモデルに作られたフィクションにすぎない。

天皇家の始祖の太陽神としては、男性とみなしておくのが普遍的で、いかにも自然なのです。それなのに、あえてアマテラスを女と決めてしまったのは、アマテラスが持統女帝の治世に持統女帝をモデルにしてつくられたからなのだ、と理解するとき、もっともすなおに納得できるのです。[5]

たしかに、アマテラスは、持統天皇をモデルにしている。しかし、同時に、神功皇后も持統天皇をモデルにしていることにも注意しなければならない。以下の表に示されているように、『日本書紀』執筆当時の政界における権力者間の関係を、神功神話とアマテラス神話に見出すことができる。

持統天皇=神功皇后=アマテラス
モデル3世紀への投射日本神話
持統天皇神功皇后アマテラス
天武天皇仲哀天皇スサノヲ
聖武天皇応神天皇ニニギ
藤原不比等建内宿禰タカミムスヒ

神功神話では、香坂皇子と忍熊皇子という応神天皇とは腹違いの皇子が反乱を起こし、神功皇后に殺される話が出てくるが、香坂皇子と忍熊皇子は、持統天皇によって消されたと考えられる大津皇子と弓削皇子という草壁皇子とは腹違いの皇子に相当すると見てよい。

『日本書紀』は、『魏志』を引用し、神功皇后と卑弥呼を同一視している。ということは、アマテラス=持統天皇=神功皇后=卑弥呼という等式が成立し、結局のところ、アマテラス=卑弥呼ということになる。

なお、表に記されている対応関係には、若干のずれがあることを指摘しなければならない。持統天皇とアマテラスの重ね合わせに関して言えば、アマテラスの息子であるオシホミミとタカミムスヒの娘であるヨロヅハタトヨアキツシヒメがニニギを産むことになっているが、不比等の娘である宮子との間に聖武天皇をもうけるのは、持統天皇の息子である草壁皇子ではなくて、元明天皇と草壁皇子が生んだ文武天皇である。

また、持統天皇と神功皇后との重ね合わせに関して言えば、応神天皇は神功皇后の息子であって、孫ではない。しかし、『日本書紀』は、卑弥呼の次の世代である台与までを神功皇后と同一視しているので、その点では、応神天皇は孫に当たるのかもしれない。

ところで、アマテラス=卑弥呼ならば、なぜ『日本書紀』はそのように書かなかったのだろうか。それは、もしもアマテラス=卑弥呼ということにしてしまうと、天皇家の歴史は3世紀頃にまでしか遡れないことになり、日本の伝統の権威が、中国の伝統の権威と比べて著しく低くなってしまうからである。そこで、卑弥呼の時代に神功皇后という架空の女帝を置くことで『魏志』との整合性を保ちつつ、アマテラスを、中国の神話時代にまで遠く投射したわけである。

この時間的遠方投射は、アマテラスの伊勢神社への移転という空間的遠方投射とアマテラス信仰の明文化に対応している。そして、この遠方投射を、ハイデガーの術語を用いて、“Ent-fernung”と呼ぶことができる。日本語で言うと、「距離」とは「距-離」、つまり離れることをふせぐから、近づけることになる。遠ざける=遠さを避ける=近づけることにより、身近すぎて意識されなかった太陽神が、信仰の対象として意識されるようになったのである。

4 : フィクション説批判

筑紫に限らず、多くの研究者は、アマテラス=卑弥呼説を否定し、アマテラスを、持統天皇の権威付けのために作られた純粋なフィクションだとする。しかし、もともと男の自然神だったアマテルを、持統天皇の権威付けのために女の人格神にしたという説には説得力がない。私は、以前「天照大神とは誰か」のコメント欄で、この通説を次のように批判した。

もしもアマテラス神話が、記紀編集当時に作られた純粋なフィクションなら、アマテラス神話には権威がないから、正当化には役に立ちません。神話は、由来が古いから権威があるのです。

そこで、アマテラス神話のもととなった古い神話はどのようなものだったかが問題になるわけですが、それを考える前に、アマテラス神話が、持統天皇のいかなる行為を正当化しようとしていたかを考えてみましょう。候補は二つあります。

  1. 女性が天皇であること
  2. 子ではなく、孫が皇位を受け継いだこと

2は違うと思います。草壁が生きているならともかく、草壁が死んだ以上、天智天皇の正当な血を受け継ぐ文武天皇が15歳で即位することには、問題がありません。問題は、それまでの間、女性が天皇の位についでいてよいのかということです。記紀が作られていた頃、文武天皇の後を、文武天皇の子である聖武天皇が継ぐまでの間、元明・元正という二人の女性が天皇の位にありましたが、ここでも問題となるのは、2ではなくて1です。

持統天皇は、同じ年に即位した中国の則天武后の真似をしていました。ここからもわかるように、持統天皇は、自分が女性であることを意識していました。「中国の皇帝ですら女がなれるのだから、日本の天皇が女で何が悪いのか」と言いたかったのでしょう。

持統天皇は、同時代の外国の権威だけでは不十分と考え、過去の権威を活用することも忘れませんでした。そこで引き合いに出されたのがアマテラスです。もしも、アマテラスがこの当時男として表象されていたならば、持統天皇の正当化には役に立たないはずです。アマテラスは、この時代、既に女神として意識されていなければなりません。

持統天皇が、則天武后と自己同一をしようとしたのは、日本の天皇より中国の皇帝の方が、権威があるからです。権威が低ければ、正当化には役立ちません。持統天皇がアマテラスとの自己同一を試みたということは、アマテラスの方が、持統天皇よりも権威があったということです。日本では、生前の身分が同じならば、持統天皇のように、自然死を迎えた人よりも、非業の死を遂げたスケープゴートの方が、神格が高くなるので、アマテラスは、非業の死を遂げた女帝ということになります。その条件に一番合うのは、卑弥呼というわけです。[6]

現在も女性天皇を認めるかどうかで、論争があるが、「愛子様」を天皇にするために、初代天皇の神武天皇は実は女性だったとか、神武天皇の父であるフキアヘズが妻のタマヨリビメの身を案じて「八百万の神々の間に、タマヨリビメのキャリアや人格を否定する動きがあったことも事実です」と「御発言」されたとか、現在の皇室状況を反映したフィクションの歴史を捏造することで、女性天皇に抵抗している反対派を納得させることができるだろうか。

『日本書紀』が編集された当時、人々が過去の記憶を何も持っていなかったということは考えられない。様々な伝承が残っていたからこそ、『日本書紀』は、「一書に曰く?」という形で、様々な異伝を併記したのであり、神話時代の話でさえも、当時の編集者による純粋な創作ではない。卑弥呼の伝説は、当時の人たちの記憶にまだ残っていた。だからこそ、卑弥呼を神話化することは、持統天皇にとって権威付けになった。

キリスト教の三位一体説が確立したのは、325年のニケーア公会議においてである。しかし神の子イエスに対する信仰は、宗教会議で作られたわけではない。信仰は、政治的に恣意的に作り出されるものではない。同様に、アマテラス信仰が確立されたのが天武・持統時代だとしも、アマテラスのモデルとなった日巫女=日神子というイエス的存在は、それ以前に実在したと考えるべきである。

5 : 参照情報

  1. 筑紫 申真.『アマテラスの誕生』. 講談社学術文庫. 講談社 (2002/5/10). p.12.
  2. 筑紫 申真.『アマテラスの誕生』. 講談社学術文庫. 講談社 (2002/5/10). p.205.
  3. 筑紫 申真.『アマテラスの誕生』. 講談社学術文庫. 講談社 (2002/5/10). p.14.
  4. 筑紫 申真.『アマテラスの誕生』. 講談社学術文庫. 講談社 (2002/5/10). p.71.
  5. 筑紫 申真.『アマテラスの誕生』. 講談社学術文庫. 講談社 (2002/5/10). p.266.
  6. 永井 俊哉. “天照大神とは誰か.” 永井俊哉ドットコム. 2005年2月28日コメント.
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  2 コメント

  1. 日本古代史に興味がありまして、ネットにて検索しておりましたらここへ辿り着きました。
    素人なので難しい事は分かりませんが、記載されている中で間違っているのではと思うのがあったので書き込みさせて頂きます。
    →草壁が死んだ以上、天智天皇の正当な血を受け継ぐ文武天皇とありますが、「天智」では無く、「天武」なのではないでしょうか?
    持統天皇は、天武天皇の血を事の他、大事に思っていたと。
    最も、持統天皇は天智天皇の娘になるのでその辺りから天智天皇と記載されているのであれば正しいのでしょうが、少々混乱を招くのではないかと思えました。
    感想として、色々と参考になりました。
    このように持論を沢山の方々が公開されておりますが、特に「天皇とアマテラスの間に距離ができて初めて、アマテラスは天皇にとって祀られる対象になった。」と言うのはなるほどと思えました。
    但し、自分にとって「卑弥呼」や「神功皇后」は一個人ではないと思っておりますのでそう言う意味では実在の人物とは言い難いのではと感じております。

  2. 文武天皇の父は、天武天皇の息子である草壁皇子ですが、母は、天智天皇の娘の阿陪皇女(元明天皇)です。よって、文武天皇は、天武天皇の孫であると同時に、天智天皇の孫でもあります。

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