5月 262005
 

Amazon.co.jp に投稿された『縦横無尽の知的冒険』のレビューに対するレビュー(1)。愛とはナルシシズムなのか、それともナルシシズムを超える崇高な自己犠牲なのかについて。

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ちょっとこの本はまずいんでは?うーん、好みの問題とは別に、筆者の永井さんは、色んなことを誤解している気が。

問題の個所は多数あるんだけど。たとえば人助けをした時にお礼を言ってもらえないと悲しいことについての筆者の見解。人助けをしたらお礼を言ってもらえないと悲しいのは、お礼を言ってもらいたいから、という。これが、すでに証明できてなくて、筆者の私見。そのうえで、永井氏は、人はお礼を言ってもらうことで自己確認するという。

つまり、お礼を言ってもらいたいから人は良いことをする。と結論付ける。これは筆者のポリシーかもしれないが、他の人はそうではない。これは直観的な例だけど、例えばナイチンゲールとかがお礼を言ってもらいたくて行動していたとしたら、さすがに後に名前が残ったりしないんじゃない?

それで、筆者はこうまとめる。一見利他的な行為は、自分がお礼を言ってもらうための自己目的的行為であり、無償の愛(アガペー)はエロス(ナルシスティックな自己愛)と同じことになる(嫌だなあ、この考え方)。

まあポリシーは自由だけど、スタイルは論文風なのに、勝手な仮定を持ち込んでるのが気になる。エッセイならいいという問題じゃないよ。論証が間違ってるんじゃなくて、反証もできなければ証明もできないことを論証のように書いているところが随所にあって、どうも・・・と思う。一応パブリックな影響力をもつメディアには、その言論の質について、自覚をもってもらいたいです。その意味では結構、許容量オーバーだと思うよ、この本。

このhigashine090さんは、私の本を読んではいないようです。と言いますのも、このレビューに出てくる「アガペー」や「エロス」といった言葉は、メルマガ/ウェッブ版の「愛とは何か」に登場するけれども、本の中には出てこないからです。このレビュアーは、本を読まずに、ウェッブ・コンテンツだけを読んでレビューを書いたのでしょう。この本を出版するにあたって、元の原稿にかなりの加筆と修正を施したので、そういうことをやってもすぐにばれてしまいます。

もっとも、このレビューは、メルマガ/ウェッブ版の「愛とは何か」に対するレビューとしても不適切です。例えば、私は、本でもウェッブでも、「お礼を言ってもらいたいから人は良いことをする」などという「結論」を下したことはありません。人が良いことをする動機としては、道徳的義務意識やペナルティに対する恐れなど様々あるでしょう。愛を動機としない道徳的行為がある一方で、愛が不倫の原因となることもあるので、愛と道徳は、別の現象として考えなければなりません。

このレビュアーは、さらに「人助けをしたらお礼を言ってもらえないと悲しいのは、お礼を言ってもらいたいから、という。これが、すでに証明できてなくて、筆者の私見」と言ってますが、この命題は、証明不可能な私見ではなくて、その対偶「お礼を言ってもらいたくない人は、お礼を言ってもらえなくても悲しくない」を考えれば明らかなように、論理的に真な命題です。

私が推測するに、このレビュアーが言いたかったことは、世の中には、誰からも感謝されなくても、愛を動機として利他的行為をする人がいるということで、その例としてナイチンゲールを挙げたのでしょう。しかし、それは私が否定していることではなく、だから本では、「例外的な聖人を除けば」と断っておきました。ただ、ウェッブには書かなかったので、本を読んでいないこのレビュアーは、ナイチンゲールの話をしたのでしょう。

では、誰に対しても無償の利他的行為をすることができる聖人の愛は、ナルシシズムではないのでしょうか。そうではありません。むしろ、これは、他者の中に自己を見出す典型的な場合です。利他的な愛は、他者における自己愛であって、自己愛の否定ではありません。その証拠に、自分の家族や恋人→友人や知人→人間一般→動物→植物→物一般というように、自己同一が難しい対象ほど、哀れみとしての愛の対象になりにくくなります。

このレビュアーは、私が「一見利他的な行為は、自分がお礼を言ってもらうための自己目的的行為であり、無償の愛(アガペー)はエロス(ナルシスティックな自己愛)と同じことになる」とまとめたと言っています。永井は、崇高な利他的愛を卑俗な利己主義に還元するけしからんやつだとでも言いたいのでしょうか。

「愛とは何か」は、たんに利他主義を利己主義に還元しようとしたわけではありません。自己を愛することが他者を愛することであり、他者を愛することは自己を愛することであるという鏡像的反転構造を示そうとしたのです。それは、利己主義の肯定であると同時に否定でもあるのです。そのことを示すために、「愛とは何か」の最後を私が実際にはどのようにまとめたのかを正確に引用することにします。

愛とは何かという問いに対して、愛とはナルシシズムであると答えることができる。ナルシシズムを性的倒錯と考える人は、ナルシシズムをたんなるエゴイズムだと考えている。しかしナルシストは、たんに他者の中に自己を見出すだけでなく、自己の中に他者を見出す。そこには、他者を愛することが自己を愛することになるという鏡の反転現象がある。この間主観的な反照関係において、利己主義か利他主義かという対立地平は止揚される。

このレビューには、もともと引用符らしき「」記号が12対あったのですが、本文に該当する引用文が一つもないので、Amazon.co.jp に頼んで、「」記号をすべて削除してもらいました。「」記号を使って引用する時には、正確に引用するべきであって、自分で勝手に作文してはいけません。また、それ以前の問題として、本を読まずに書評を書くべきではありません。

追記

引用したレビューは削除され、代わりに、同じレビュアーの名で、次のようなレビューが掲載されました。

難しいですが、良く読めば著者のいわんとすることがわかります。以前、私や、私の周囲の友人たちはこの本にとても批判的でした。どうも一方的な議論の展開にみえたからです。しかし、色々考えてみたり、この本の著者の永井サンがご自身のHP上で展開されている議論をみるかぎり、一方的な決め付けを行っているのは私だと気付きました。永井サンには、批判してしまって申し訳ない。良い本ですが、多分皆さんが知的好奇心の塊のような人なら、私のようにこの本に食ってかかる人もあるかもしれない。でもそれも著者の提供する「知的冒険」の一つなのでしょう。自分の愚かさが良く見えました。

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私が書いた本

  2 コメント

  1. 愛のことは聖書を見た方がよいのでは、
    第Ⅰコリント書13章を見ていただければ愛の本質が理解できます。

  2. こんばんは、ここは私のお気に入りにずーと前から入れさせてもらっていますが
    今回で二度目の書き込みをさせていただきます。
    永井さんの書いておられることを私はきっと十分の一も理解していないと思います、私にとっては難しいテーマがほとんどですが、自分の知的好奇心を高めるために時々読ませていただいています。
    ただ、この「愛」というテーマには、つい反応してしまいます。
    なんだかんだ言っても、人間は一生かけて「愛」を学ぶ為に生きているように感じている今日この頃だからです。
    私もこの歳になると、真の愛と偽の愛というのが直観としてわかるようになった気がします。
    アガペーに関して、永井さんがおっしゃるように(すみません、おっしゃってないかもしれませんが、私の解釈ですが)キリストは「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」と言っていることから、まず自分を愛することが他人を愛する必要条件だと私も思います。自分を愛することがナルシシズムとは少し違うという感じもします、適切な言葉は自尊心ではないかと思います。
    つまりなんらかの理由で自尊心の欠如してしまった人は他人を敬い愛することは難しいということでもあります。
    いずれ愛について論じることは、特にアガペーについてはかなりの人生経験が必要かと思います。こればかりは理屈や理論を超越しているものと思います。

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