ヒューマノイドはたんなる人型機械以上である
「港区赤坂四畳半社長(国益第一編):自動機械は人間の形を伴うべきか?」に対するコメント。「ヒューマノイドはスイスナイフになる」での論争の続き。自ら判断するヒューマノイドロボットは本当に必要なのかについて。

PCの例でわかることは、ものが売れる、売れないということに万能であるかそうでないかということに直接の関連性は薄いということです。
私は、単機能機械が多機能機械よりも常に優れている、あるいはよく売れるとは主張していません。スイスナイフの例で誤解なさったのだと思いますが、私がヒューマノイドで問題にしているのは、全能性であって、多機能性ではありません。
ヒューマノイドロボットにとって期待されるのはなにかと言うと、
「専用機械を作るほどではないが手間のかかる汎用的作業」
の全てです。
たとえば資料のコピー。
機械でもできますが、本のページを自動的にめくりながら資料をコピーするのは専用の機械をつくるには手間がかかりすぎます。それと、部屋の戸締り、会議の後片付け、お茶だし、黒板消し、ちらかっているCDの掃除、名刺整理…こんな機械的な単純作業は、できれば誰だってやりたくないはずです。
本のコピーとか黒板消しとかCDや名刺の整理とか、メディアをデジタル化すれば、全然面倒ではありません。部屋の自動戸締りは、家全体のIT化で、イギリスなどで実用化されつつあると聞きます。お茶飲んで、湯飲みを片付けるなんて、二三歩動けばできることのためにロボットがいるでしょうか。会議室のような特殊な場所でなら、回転寿司みたいな方法で、それすら自動化できるでしょうけれども。ヒューマノイドが完成する遠い未来においては、ヒューマノイドにふさわしい雑用のほとんどがなくなっているのではないかと予想できます。
テレイグジステンスとは、自分がその場にいなくても、いるのと同様のことができるという、バーチャルリアリティ技術の一種です。
これはヒューマノイドでなければ達成できない用途です。
テレイグジステンスに必要なのは、「人間の形をしたロボット」であって、ヒューマノイドロボットではありません。人間が遠隔操作で動かす、人間の形をしたロボットならば、自ら考えて行動するヒューマノイドとは異なって、簡単に作れるし、ある程度需要があると思います。
例えば、放射能漏れを起こした原子力発電所で、普段人間がやっているような作業をする時には、人間が、人間の形をしたロボットを遠隔操作で動かす必要があります。危険な災害現場で、人間向けのブルドーザーを作動させる時とかもそうです。これらは、ヒューマノイドでなくてもできることです。
自動車が登場したばかりのころは「あんなものを使えば運動不足になる」といった人が必ずいたのだと思います。
しかし、実際には速く移動できるようになったかわりに、長距離を移動するようになって結局別のかたちで疲労がでてきました。決して疲労自体はなくならないのです。
また、長距離を速く移動できることによってモータリゼーションが起き、通勤圏が広がり、物流網も効率化しました。
そのむかし、計算機や電卓が流行し始めたころ、ソロバンを愛用している人たちに「あんなものに頼っていては計算ができなくてバカになる」と言われましたが、いまや会計を計算機に頼らない企業はなくなりました。
私は「人間が苦手な作業は非ヒューマノイドロボットに任せ、人間が得意な作業は人間が自らの肉体を動かしてやる」べきだと書きました。自動車は人間よりも走るのが得意です。計算機は人間よりも計算が得意です。だから、自動車や計算機という非ヒューマノイドロボットを作ることに、異論はありません。
私は、《機械は得意で人間は苦手な仕事》のみならず、《機械は苦手で人間は得意な仕事》までを機械に任せることに反対しているのです。前者は、非ヒューマノイドロボットの仕事で、後者は人間の仕事です。効率という経済的観点から言って、ヒューマノイドの開発は好ましくないのですが、人間の仕事がなくなるという点でも好ましくありません。
私は、日本の老人に寝たきりが多いのは、定年制のせいだと思っています。彼らは、寝たきりだから仕事ができないのではなくて、仕事をしないから寝たきりになるのです。人間が、すべての労働を全能のロボットにさせると、ヘーゲルが謂う所の「主人と奴隷の論理」により、ロボットと人間の地位が逆転することでしょう。人間がロボットに滅ぼされるかもしれません。
港区赤坂四畳半社長は、そこまで完成度の高い、つまり全能のヒューマノイドを念頭に置いておられないのでしょう。それはわかっています。ただ、ヒューマノイドは、人間に近づけば近づくほど、有害になってくるということが言いたかっただけです。ヒューマノイドの開発は、高級人形あるいは人間の形をした遠隔操作ロボットの段階で止めるべきです。
ディスカッション
コメント一覧
清水です。
いつもためになるご意見をありがとうございます。
>ヒューマノイドの開発は、高級人形あるいは人間の形をした遠隔操作ロボットの段階で止めるべきです
僕は少なくともあと30年は、自分で思考するという意味での、まともなヒューマノイドロボットは登場しないと思っています。
それを実現するための基礎理論がまるで存在しないからです。
どうも僕が思う「ヒューマノイドロボット」と永井さんの思う「ヒューマノイドロボット」に根本的に相違があったようですね。
また落ち着いたらなにか書かせていただこうと思います。ありがとうございました。
科学者たちが作ろうとしているのは永井さんの定義でいえば「人型機械」なのでしょう。
アトムとかドラえもんのようなヒューマノイドを引き合いに出すのは、それが一般の人に分かりやすく、面白いからであってアトムを実際に作れるとは思っていない。漫才ロボットも同様。
問題はそういった一般の人=有権者がそれを信じてしまうことで、そうなると「実現もしない物にそんな巨額の予算をかけるのか」となるわけですね。
未来がどうなるかなんて、私には分かりませんが…
漫才ロボットが、遠隔操作で動かされている人型機械だったら、興ざめですね。それなら、着ぐるみのほうがお客さんに喜ばれるのではないかと思います。
なお、経済産業省が考えている次世代ロボットは、遠隔操作の人型機械ではありません。