韓国人の反日を鏡像段階論で解釈する
「竹島の日」制定をきっかけに、韓国人の反日感情が燃え上がった。なぜ韓国の反日活動家は、これほどまでに日本人を嫌い、被害妄想を膨らませるのだろうか。福原泰平の『ラカン―鏡像段階』を手掛かりに考えてみよう。

1. パラノイア的被害妄想
ラカンが、学位論文『人格への関係から見たパラノイア性精神病』で最も多くのスペースを割いて報告しているのが、ラカン自身が自ら診察し、治療した、エメ(仮名)という患者である[1]。エメは、幼少時代、母と親密な関係にあったが、就職と立身出世のため、故郷を離れる。エメは、母の代替物、すなわち鏡像的他者を、寄宿先にいる姉、さらには、職場の同僚で貴族趣味のあるC嬢、C嬢が口にしていた有名女優のZ夫人に求める。
エメは、最初の妊娠をしたとき、C嬢が新聞に悪口を書いたことでおなかの赤ちゃんが殺されるという被害妄想を抱き、実際に死産だったために、C嬢を強く憎しむようになる。小説を出版しようとして断られると、出版社を訴える。さらには、Z夫人が有名な小説家と共謀して、エメのことを小説の中で暴露しているとか、息子を殺害しようとしているといった妄想を抱き、Z夫人をナイフで襲って、逮捕された。
エメの病歴を見てくると、彼女の妄想の対象となる人は、上流階級の贅沢な暮らしをし、魅力的で世間から注目されている人々であり、実は彼女自身が憧れ、そうなりたいと思いながらなれなかった、彼女にないものを与える理想的な位置にある女性たちだったことがわかる。[2]
では、エメは、なぜ憧れの対象である鏡像的他者を憎しみ、殺そうとしたのか。
当然、エメは自らの権利を不当に侵されたと訴えはじめ、自己の主人性を奪った他者に攻撃の矛先を向けていく。[3]
エメの妄想は、逮捕から三週間後に消滅する。
2. 韓国人の日本コンプレックス
2005年03月16日、「竹島の日」をつくる条例案が、島根県議会本会議で採決され、賛成多数で可決、成立した。これに対して、韓国では異様な反日運動が起き、韓国政府は、「独島挑発など日本の行動に対しては、過去の植民地侵奪のと同じ枠内で認識し、対処する」「国際社会において、韓国の立場の大義と正当性を鮮明にし、日本の態度変化を促す」などの、「対日新ドクトリン」を発表した。
もっとも、韓国政府自身は、国際的な「韓国の立場の大義と正当性」にあまり自信がないようだ。
4月10日朝のフジ「報道2001」に出演した聖公会大学日本語学科のヤン教授は盧武鉉大統領の元ブレーンとのことだったが、竹島問題を巡り、元外務大臣の高村正彦から「国際司法裁判所で決着をはかってはどうか」と提案されると、国際的には韓国が不利だから国際司法裁判所に判断をゆだねるつもりはないと明言。[4]
国際司法裁判所で争って勝つ自信がないならば、黙って実効支配を続けた方が賢明なように思えるのだが、なぜだか韓国人の方が日本人以上に騒いでいる。韓国人は、過去に日本に領土を侵害されたという被害妄想を持っており、日本に報復するために、竹島を侵害し、そして、侵害することで侵害されたと訴えているかのようだ。
韓国にとって、日本は、鏡像的他者である。このことは、2005年3月1日に行われた盧武鉉韓国大統領の3.1節記念演説によく表れている。
私は拉致問題による日本国民の憤怒を十分に理解します。同様に日本も立場を替えて考えてみなければなりません。日帝36年間、強制徴用から従軍慰安婦問題に至るまで、数千、数万倍の苦痛を受けた我々国民の憤怒を理解しなければならないのです。[5]
日本が北朝鮮に対して拉致問題を指摘すると、日本も戦前に朝鮮民族を拉致したではないかと応酬する。しかし、鏡像関係はこれだけではない。
日本が戦前行った強制徴用は、北朝鮮が行った拉致とは異なり、当時は自分の国に相当する大日本帝国への奉仕だった。それは、韓国が徴兵制という形で、現在も自国民に対して実施している制度である。また、慰安婦制度は、韓国が主張するほど強制的な制度ではなかったし、朝鮮戦争の頃には、韓国軍も、日帝時代の制度を真似て、慰安婦制度を設けていた [6]。
日本の鳥取県議会が「竹島の日」を制定すると、韓国の馬山市議会は「対馬の日」を制定する。石原東京都知事が「三流のやり方」と盧大統領の政治手法を批判すると、李明博ソウル市長は「四流、五流」と言い返す。韓国人は、まるで鏡像のように日本を模倣する。
2004年9月の中央日報による世論調査によると、韓国人が一番嫌いな国として挙げたのは日本で、2位の米国の倍近くあり、最も見習うべき国も日本がトップで、2位の米国の倍以上の割合だった。韓国人は、日本に憧れているのだが、だからこそ、日本人が憎い。韓国は、日本のようなアジア最高の先進国になりたがっているのだが、だからこそ、日本が目障りなのである。
先ほど引用した、エメの症例分析での「エメ」を韓国、「他者」を日本で置き換えてみよう。
韓国から喪失や解体の恐怖を取り除き、その肯定的感情と統一性を与えてくれた日本への同一化が、今度は逆に韓国が自らの主人たろうとするその権利を不当に奪い、これが韓国の目には日本による韓国自身の主人性の略奪と映るのである。
当然、韓国は自らの権利を不当に侵されたと訴えはじめ、韓国の主人性を奪った日本に攻撃の矛先を向けていく。
日本は、朝鮮半島を、清の桎梏から解放し、ロシアの脅威から守り、近代社会へと育て、そして、朝鮮人たちは自らを大日本帝国臣民に同一化しようとした。それが、第二次世界大戦後、日本に同一化できなくなると、日本を攻撃するようになるのである。
韓国人の反日言動は、憧れと憎悪という、相反する感情の複合体(コンプレックス)に基づいているのだが、韓国には、このコンプレックスを表す固有の言葉がある。恨(ハン)がそれである。
理想的な状態、あるべき姿、いるべき場所への「あこがれ」と、それへの接近が挫折させられている「無念」「悲しみ」がセットになった感情が、「ハン」なのである。[7]
面白いことに、盧武鉉大統領の経歴は、エメの経歴とよく似ている。貧しい家庭に生まれ、商業高校を卒業した後、独学で司法試験の勉強をし、判事、さらには弁護士になった。
彼は、突然、金持ちになろうとしたのです。それまでは考えられなかった贅沢な趣味を、彼は始めました。ヨットです。大統領になる前に、たった一度、彼は外国を訪れていますが、それはヨットレースで日本に行ったのです。[8]
盧武鉉大統領の人生は、韓国の歴史そのものを表していないだろうか。
3. コンプレックスから抜け出すために
加害と被害の区別がつかない鏡像的な関係の中で、韓国人は、被害妄想をパラノイア的に膨張させ、自国の歴史を被害の歴史へと捏造し、そして日本が逆に歴史を捏造していると批判する。日本を攻撃する韓国に対して、日本はどう振舞えばよいのか。
日本人の中には、韓国人の挑発に乗って、感情的な反発をする人もいる。しかし、それでは、韓国人が仕掛ける鏡像的関係に引きずり込まれてしまうだけである。精神分析学では、分析家が、患者の鏡像的他者になってしまうことを転移というが、これは避けなければならない。
分析家がこうしないとき、二人はお互いの鏡像的自我で相手を映しあって対峙することになる。そうなると患者の要求はポトラッチ的にどんどん膨れ上がりエスカレートしていく。そして、両者は鏡像的な誘惑と憎悪の渦巻く情念の中にすっぽりと呑み込まれてしまい、結果、激しくぶつかりあうことになっていくとラカンは注意を喚起する。[9]
韓国人に限らず、コンプレックスは誰にでもある。精神分析学で一番有名なコンプレックスは、エディプス・コンプレックスである。息子は父との同一化を試み、それができないとわかると、父に殺意を抱く。息子をコンプレックスから救うには、自発的去勢が必要である。日本コンプレックスを持っている人に対しても同じ助言をしなければならない。
私は、韓国人の自我に向かって「未来志向の日韓関係」を呼びかける代わりに、韓国人のエスに向かって次のように語りたい。日本コンプレックスに固執する限り、いつまでたっても日本の劣化コピー以上のものになれない。日本など眼中にない独自の発展を遂げる国になって、初めて、韓国は自立した国になれる、と。
4. 追記:批判に応える
本稿に対する原名高正さんの批判に対する反論。5年前に私が提案した反日的韓国人パラノイア説の是非をめぐる議論。

■「朝鮮人たちは自らを大日本帝国臣民に同一化しようとした」っていう見解も、ご当人はご満悦のようだが、全然説得力がないとおもう。「親日派」とよばれる、日本につよい同化志向をもった一群がうみだされ、「日本臣民」になりきろうとした層が相当数にいたったことは事実だが、それが当時の朝鮮半島住民の大半などでないことははっきりしている。それだったら、当時の日本語おしつけ政策はもっと成功していたはずだし、「戦後、日本に同一化できなくなる」といった事態さえ、うまれなかったのではないか?
■当時の朝鮮半島住民を概観するなら、圧倒的な軍事・警察力でもって制圧している帝国日本にあからさまに抵抗しても、かちめがないので(実際、1919年の「3・1運動」など、反日デモや抵抗運動は、ことごとく鎮圧・抑圧された)、面従腹背していたに過ぎないというのが、妥当なところだろう。
■当時の朝鮮人が「自らを大日本帝国臣民に同一化しようとした」といった断定は、帝国日本による植民地支配を美化したい右派日本人、あるいは当時の「親日派」の動向を正当化したい層の願望による、ねじまがった総括であり、それこそ、ねぶかい妄言として「精神分析」にあたいする。[11]
もちろん、当時の朝鮮人は、自分たちだけで独立国を作ることがベストだと考えていたことでしょう。しかし、当時、それは現実的な選択肢ではなく、彼らは、日本の属国になるか、日本の一部になるか、どちらかを選ばなければならないという状況でした。その場合、(少なくとも将来的には)日本の内地と対等な立場になれそうな後者の選択肢を選ぶことは当然でしょう。私も、日本は、米国の属国という地位に甘んじるぐらいなら、米国の一部になった方がましだと思っています。属国化と併合は、似て非なるもので、後者の場合、朝鮮の経済的水準を内地レベルにまで引き上げなければならず、そのためには、膨大な財政支出が必要でした。このため、伊藤博文は、日韓併合に反対していたのですが、彼が暗殺されたことで、日韓併合が強行されてしまいました。日韓併合は、朝鮮の利益にはなったが、日本内地の利益にならなかったことに関しては、『歴史を偽造する韓国―韓国併合と搾取された日本』などに詳しく書かれています。
■ちなみに、韓国の戦後の諸制度のうち、おおくが日本のコピーであること、そのことを韓国民の相当部分がみとめたがらないことも事実だ。しかし、漢字文化からの自立をめざしたハングルなどをみればわかるとおり、韓国民のやることなすことが日本のコピーにすぎないなどという見解は、まさに妄言だろう。[12]
李氏朝鮮時代においては、訓民正音(後のハングル)は、朝鮮の公式な言語ではなかったし、体系的な言語でもなければ、大衆に広く普及した言語でもありませんでした。福沢諭吉とその門下生、井上角五郎は、朝鮮人を中国の文化的従属から独立させるために、日本語の仮名に相当するハングルに注目しました。そして、井上は、「漢城周報」という官報に、初めてハングルによる漢文訓読体の文章を用いました。要するに、福沢と井上は、日本が、平安時代に日本がやった中国からの文化的独立と同じことを朝鮮にやらせようとしたのでして、ハングルによる中国からの文化的独立も日本のコピーと言えなくはありません。
■ついでにいうと、韓国の軍隊文化とか、1980年代までは確実に残存していたらしい警察のとりしらべにともなう拷問などは、ほぼすべて、帝国日本の「おきみやげ」である。それは、帝国日本の陸軍士官学校などで育成された「親日派」の相当部分が戦後韓国の実権をにぎったエリート層にほかならないからだが、そういった野蛮な「負の遺産」が脈々と戦後もひきつがれたことこそ、めをそむけたくなるような、しかし直視すべき日韓関係・日朝関係の証拠ではないのか?[13]
目を背けたくなるような残虐な拷問をやっていたのは、むしろ李氏朝鮮時代の朝鮮人でしょう。日本は、朝鮮を近代化するために、1908年の法令改正で、拷問を禁止し、拷問した取調官に3年以下の懲役を科すことを決めました。ちなみに韓国の独立記念館が、蝋人形を使って展示している、日帝支配時代に行われていたとされる拷問の様子は、李朝朝鮮時代に行われていた拷問を再現したものです。自分たちの加害行為を被害行為へと鏡像的に反転させる彼らのパラノイア的思考が本稿の主題なのです。
■韓国人にかぎらず朝鮮人も(ま、民族はおなじだけど)、自覚できない次元でも日本のコピーをしてきたんでしょう。なにしろ、マルクス主義と理念的に矛盾するはずの個人崇拝とか世襲とかを天皇制からパクったんですから(笑)。
■でも、近代天皇制自体がキリスト教のパクりだし、日本民族にそんなオリジナリティがあるわけじゃない。
■いや、戦前戦後をとおして、アメリカのマネばっかりしてきましたね(笑)。
■アメリカ人は、日本人にむかって、「オレたち、うらやましいだろ。正直にいえよ。マネばっかりしてさ」などと、イヤミはいいません。日本語のなかにも、カタカナ語として、英米語が大量に流入しているしね。大和魂は風前のともしび(笑)。[14]
知的財産権の侵害にならないのなら、真似しても問題ないと思います。ただ韓国人が、剣道のような、実際には起源は日本で、韓国はそれを模倣したものの起源が韓国にあると主張し、日本はそれを模倣し、盗用したといった宣伝を世界に向けてするのは問題だと思います。こういう韓国起源説も、パラノイア患者に特有の鏡像的な反転から説明できます。
■この評論家氏、「韓国人は、日本に憧れているのだが、だからこそ、日本人が憎い。韓国は、日本のようなアジア最高の先進国になりたがっているのだが、だからこそ、日本が目障りなのである」と、きめつけているが、その根拠は「2004年9月の中央日報による世論調査によると、韓国人が一番嫌いな国として挙げたのは日本で、2位の米国の倍近くあり、最も見習うべき国も日本がトップで、2位の米国の倍以上の割合だった」という報道らしい。
■この統計データのあつかいについては、慎重にならねばならないが、同一の回答者が、日本を「一番嫌いな国として挙げ」、同時に「最も見習うべき国も日本」とこたえたという保障はない。こういったデータを、「愛憎なかばする意識」といったくくりかたをするのは、「精神分析」派のわるいクセで、完全に「メタファーとしての個体」の欠陥が露呈している。
■ハラナがおもうに、「最も見習うべき国も日本」というのは、日本がすきで同一化したいとねがっているというより、モデルとして欧米をえらぶのは非現実主義的であり、東アジアのモデルケースとして試行錯誤をつづけてきた日本を無視するのは得策でないという、知恵のあらわれにすぎない。評論家氏、やはり、韓国にすかれているとおもいたいらしい(笑)。[15]
たしかに、一番嫌いな国として日本を挙げた人と最も見習うべき国として日本を挙げた人は、必ずしも同じではありません。ただ、反日的な報道を繰り返す韓国のテレビ局が、日本のテレビ番組のアイデアを盗用した番組を大量に流しているとか、韓国政府が制作した竹島のCMに、「独島の守護神」として登場したテッコンVが、日本のマジンガーZそっくりであるとか、普段自国内では日本の悪口を言っている韓国人が、海外に行くと日本人のふりをするとか、反日的な人が日本の模倣をするという個別事例はたくさんあり、したがって、「日本は嫌いだけれども、見習うべきだ」と考えている韓国人は、確実にいるといってよいでしょう。
憧れの対象が憎悪の対象でもあるというのは、一見すると矛盾しているようで、実は、そうではありません。例えば、今、あなたが男性だとして、ある女性に一目ぼれした後、彼女に彼氏がいることを知ったとします。その時、あなたはその彼氏に対してどのような感情を抱くでしょうか。一方で「あの男のように、彼女の愛を独占したい」という憧れの感情を持つと同時に、他方で「あんな野郎死んでしまえ」という感情も持つことでしょう。彼氏が死ねば、あなたが、彼女の愛を独占できるかもしれないから、この二つの感情は、同じものです。韓国人が、一方で「日本のような、アジア最大の先進国になりたい」という願望を持ちながら、他方で、「日本列島なんて沈没して無くなればよいのに」という願望をも持つのも同じ理由によります。
もちろん、韓国人が、日本の長所だけを取り入れるというのなら、問題はないでしょう。しかし、日本そのものになろうとすることはナンセンスです。本物の日本になることは、現在の日本が存在する限り不可能ですから、勢い、「日本人はみんな死んでしまえ」といった過激な反日思想につながってしまいます。だから、日本以外の様々な国の長所を参考にしながら、独自の国づくりをするというのが一番健全な方法でしょう。
原名さんが、「メタファーとしての個体」という言葉で何を言おうとしているのか、リンク先が切れているので、わかりませんが、たぶん、韓国と個々の韓国人は別で、韓国という国をあたかも一人の人間であるかのように精神分析するのはおかしいということだろうと思います。しかしながら、私がしようとしていることは、韓国という国と自己同一をしているナショナリストの精神分析ですから、この批判は当たりません。なお、断るまでもないことですが、韓国人が全員反日的というわけではないし、ナショナリスティックであるというわけでもありません。あくまでも反日的な韓国のナショナリストに対象を限定した分析です。
最後に、原名さんは、私の精神分析までしてくれているけれども、なんだか、ストーカー被害を訴えに来た女性に向かって、「お前は、本当は、自分がもてる女だということを自慢したいだけなんだろう」と言う警官みたいで、かなり的外れです。もちろん女性なら、男性にもてたいと思うでしょうが、だからといって、ストーカーに追い回されるといったことは、表層でも深層でも欲望していないでしょう。私も、日本が韓国が憧れるような国になること自体は、好ましいことだとは思いますが、だからといって、韓国が日本にストーカー行為をするといったことは、表層でも深層でも欲望していません。なお、「ストーカーは何を求めて付きまとうのか」でも書いたことですが、ストーカー行為は、パラノイア的な被害妄想に基づいており、反日的韓国人の日本批判も、ストーカー的性格が随所に見られます。
■さて、この「書評」の結論部は、こうむすばれる。
「……私は、韓国人の自我に向かって「未来志向の日韓関係」を呼びかける代わりに、韓国人のエスに向かって次のように語りたい。日本コンプレックスに固執する限り、いつまでたっても日本の劣化コピー以上のものになれない。日本など眼中にない独自の発展を遂げる国になって、初めて、韓国は自立した国になれる、と。」
■最後の「日本など眼中にない独自の発展を遂げる国になって、初めて、韓国は自立した国になれる」という箇所は、一片の真理はかたっているとおもう。
■しかし、「自分たち日本人が韓国人にいつも優位にたち、韓国人が劣等感にねざした愛憎なかばする意識にとらわれている」といった独断こそ、「精神分析」にあたいするとと、ハラナはおもう(笑)。[16]
本稿を書いてから、すでに5年以上が経ちました。当時と比べると、日本と韓国の差は、かなり縮まりました。分野によっては、韓国が日本を上回っています。そのため、今年は、日韓併合条約の締結100周年ですが、反日感情は高まっていません。
日韓併合条約の締結から100年となった22日、韓国の聯合ニュースは、サムスンやLGなど韓国を代表する企業が世界市場で日本企業を追い抜いたと指摘、「過去の対日コンプレックスを乗り越え、世界市場で日本企業を負かしたという朗報が、国民に希望を与えている」と伝えた。
韓国では、100年を機にした反日感情の高まりは、特段見られず、関心の対象が日韓間の過去の問題より、未来に向き始めているように見える。
背景には、経済やスポーツが好調なほか、今年11月の主要20か国・地域(G20)首脳会議や、2012年の「核安全サミット」開催国となるなど国際政治における地位も向上、国民の自尊心が満たされていることがある。[17]
韓国が日本を凌駕した事例として、世界最大の電機メーカーとなったサムスン電子や東アジアのハブ空港となりつつある仁川国際空港などを挙げることができます。これらは、たんなる日本の模倣ではないからこそ成功したのであり、韓国人は、将来、こうした成功により、パラノイア的な反日病から脱却できるようになるでしょう。
5. 参照情報
- 福原泰平『ラカン―鏡像段階』講談社 (1998/2/1).
- 山野車輪『マンガ嫌韓流』晋遊舎 (2005/7/26).
- 李栄薫『反日種族主義 ― 日韓危機の根源』文藝春秋 (2019/11/14).
- ↑Jacques Lacan.
De la psychose paranoïaque dans ses rapports avec la personnalité. Points (1980/4/1). - ↑福原 泰平.『ラカン―鏡像段階』. 現代思想の冒険者たち. 講談社 (1998/02). p.42.
- ↑福原 泰平.『ラカン―鏡像段階』. 現代思想の冒険者たち. 講談社 (1998/02). p.44.
- ↑「韓国大統領の元ブレーンが仰天発言」. チェ・ゲリラのメッタギリ時事評論. Accessed Date: 4/12/2005.
- ↑「政府報道資料」. Korean Missions Abroad A, Ministry of Foreign Affairs. Accessed Date: 4/12/2005.
- ↑「朝鮮戦争時の韓国軍にも慰安婦制度 韓国の研究者発表」.『朝日新聞』. 2002/02/23.
- ↑「あこがれと無念の情動 ハン」. 小倉紀蔵の私家版・韓国思想辞典.『統一日報』. Accessed Date: 4/12/2005.
- ↑櫻井よしこ. “「個人的怨念」で反日左翼路線を突き進む「盧政権」.”『櫻井よしこ オフィシャルサイト』. Accessed Date: 4/12/2005.
- ↑福原 泰平.『ラカン―鏡像段階』. 現代思想の冒険者たち. 講談社 (1998/02). p.81-82.
- ↑Sakaori. “Japanese Embassy in Seoul and watched from behind a bronze statue of comfort women" Licensed under CC-BY-SA.
- ↑原名高正「現代思想の悪用(韓国論・論)」『タカマサのきまぐれ時評』2005年04月14日.
- ↑原名高正「現代思想の悪用(韓国論・論)」『タカマサのきまぐれ時評』2005年04月14日.
- ↑原名高正「現代思想の悪用(韓国論・論)」『タカマサのきまぐれ時評』2005年04月14日.
- ↑原名高正「現代思想の悪用(韓国論・論)」『タカマサのきまぐれ時評』2005年04月14日.
- ↑原名高正「現代思想の悪用(韓国論・論)」『タカマサのきまぐれ時評』2005年04月14日.
- ↑原名高正「現代思想の悪用(韓国論・論)」『タカマサのきまぐれ時評』2005年04月14日.
- ↑読売新聞(2010年8月23日)日本企業負かしたから…韓国で反日感情高まらず
ディスカッション
コメント一覧
日本人がグローバル化を拒み続けるのは、グローバル競争で勝つ自信がないからでしょう。
20年も続くデフレの中で、日本人は自分に対する自信を失いました。明るい時代を知らないゆとり世代はなおさらです。
また、大人の社会であるグローバル社会は、幼児的な日本人にとって生きづらい社会です。
歴史的に考えて、韓国人は、日本人よりも精神的な面で遥かに成熟しています。
日本人は中国人や韓国人に去勢されて幼児的万能感を捨てるべきでしょう。
“長引くデフレが日本の経済面のみならず社会面にも悪影響を及ぼしているという事実が客観的に書かれています。非常に長い記事なのですが、正鵠を射ていると思うので、以下に記事の要点だけあげます。
●1980年代の日本はアジアを代表する国だったのに、今や低成長とデフレに喘いでいる。20年で経済状況がここまで悪化してしまった国は、近年では日本しかない。
●過剰債務の解消に苦しむ米国も日本と同じ途を辿るのだろうか。多くのエコノミストは否定的だが、デフレの罠にはまって“日本化”(Japanification)してしまう危険性を指摘する声もある。
●デフレは日本人に悲観論、運命論、将来期待の低下といった文化を刷り込んでしまった。最大のインパクトは自信の喪失である。20年前のような野心はなくなり、疲労、将来不安、重苦しいあきらめの雰囲気が充満している。
●昨年の政権交代など、日本もようやく危機に目覚めつつあるが、手遅れかもしれない。良い時代を知らず、仕事の安定や生活水準の向上といった、かつては当たり前だった価値観をあきらめた若者世代を作り出してしまったからである。生活水準が徐々に低下する中で、若者の間では倹約が当たり前となり、若い男子は草食動物と言われたりもする。
●世界が日本から学ぶべき教訓は、デフレが長引くと、かつて繁栄しダイナミックであった国も、深刻な社会的・文化的な退潮に陥るということである。今や日本人は将来に悲観し、リスクを取ることを恐れ、消費や投資にも後ろ向きになってしまった。
●デフレは資本主義経済に必要なリスクテイクの精神を破壊し、“創造的破壊”の代わりに“破壊的破壊”を台頭させてしまった。”
[「大人、もっと頑張れ!」中学1年生作家とNYタイムズに見抜かれた
“デフレ日本”に巣食う大人たちの甘え|ダイヤモンド・オンライン ]
心理的なデフレは、経済的デフレの結果であって、根本的な原因ではありません。逆に言うならば、経済的にインフレになれば、心理的にもインフレになるということです。
最近、フジテレビの韓流偏向報道に抗議するデモが起こりましたが、私はこのデモを見て、もうすでに韓国と日本の立場が完全に逆転してしまっていると思います。
フジテレビの韓流偏向報道に対して反感をもつ理由の一つとして、労働問題が挙げられます。日本の労働者の中には、韓国をはじめとした新興国の経済的躍進のせいで、自分たちの待遇が悪くなったという被害者意識を持つ人がいます。こういう人たちにとって、韓流ブームは自分たちの傷をえぐるものなのでしょう。中には、「俺たちは捨てられたんだ」と思い込んでいる人がいるかもしれません。
また、フジテレビの韓流偏向報道に反感を持つ日本人の中には、韓国人に対するコンプレックスを抱える人が少なからずいるかもしれません。韓国が日本を凌駕している例はいくつかありますが、その理由の一つは、ガラパゴス化していく日本人と違って、韓国人はグローバル化に柔軟に対応していていることです。韓国の躍進を見て韓国人を見習わなければならないと言い出す日本人も出てきました。最近の例ですと、トヨタ自動車の伊地知隆彦取締役専務役員の発言です。
“トヨタ自動車の伊地知隆彦取締役専務役員は2日、2011年度第1四半期決算会見で日本の六重苦について触れ、「今の労働行政では、若い人たちに充分に働いてもらうことができなくなっている」と述べた。
伊地知専務によると、ヒュンダイとトヨタの技術者を比べた場合、個人差はあるものの年間の労働時間がヒュンダイのほうが1000時間も多いそうだ。ということは、10年で1万時間も違ってしまう勘定になる。
「私は若い人たちに時間を気にしないで働いてもらう制度を入れてもらえないと、日本のモノづくりは10年後とんでもないことになるのではないかと思う」と伊地知専務は危惧する。
もちろん心身の健康が第一であるが、日本の技術力を守っていくためには若いうちから働く時間を十分に与え、さまざまな経験を積ませる必要があるというわけだ。”[レスポンス: トヨタ伊地知専務「日本の技術力を守るために労働規制の緩和を」]
しかしながら、日本人は特殊性が強く、英語が苦手だということから分かる通り、日本人にとってグローバル化に対応するのは至難の業です。だから、日本人の韓国人への憧れが憎しみへと変わってきているのでしょう。
“最近、フジテレビの韓流偏向報道に抗議するデモが起こりましたが、私はこのデモを見て、もうすでに韓国と日本の立場が完全に逆転してしまっていると思います。 ”
この問題の本質は別のところにあるのではないですか。もしも「韓流偏向報道」をやっているのがフジテレビという排他的な放送免許を持った地上波テレビではなくて、誰もが自由に参入できるインターネットテレビならば、誰も文句を言わないでしょう。日本の地上波テレビによる放送市場は、新規参入が事実上不可能で、5つの主要テレビ局(日本テレビ・テレビ朝日・TBS・テレビ東京・フジテレビ)によって寡占されています。そして、これら在京キー局は、排他的特権を与えられる条件として、公平な報道が義務付けられています。フジテレビは、その義務に反していると疑われているから、抗議運動が起きているのでしょう。
小寺信良氏は、フジテレビの手法を以下のように分析しています。
こういう公平無私とは程遠い手法に批判が集まっているわけですが、しかし、そもそもテレビ局に公平無私な放送を求めること自体が非現実的であり、そのような建前論に固執している限り、抜本的な問題の解決にはなりません。メディアというのは、いかに公平無私な放送を心がけても、多かれ少なかれ偏向しているものであり、視聴者全員が満足する偏向のない番組などというものはありえません。したがって、政府が、公平であることを前提に特定の放送事業者に排他的特権を与える現行システムよりも、政府が特定業者を優遇することなく、どの偏向が好みの偏向であるかを視聴者の選択に委ねる、市場原理が機能する放送市場ほうが、視聴者の満足感を高めることになると思います。