5月 142006
 

自遊日記: WEB.2と植物の認知システム」に対するコメント。なぜ近代知は生物を機械とみなそうとしたのに対して、現代知は植物にまで意識を見出そうとするのかについて。

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集権化(左)と分権化(右)。”Graphical comparison of centralized (A) and decentralized (B) system” by Kes47 is licensed under CC-BY-SA

近代西欧社会において理性に比べて低いものと見なされていた感情、人間(動物)よりの低級とされていた植物が、まさに理性の発現の一つである自然科学の発展によって、その構造が明らかにされてきたというのは、実に面白いパラドックスである。

近代においては、植物はもとより、人間をも含めた動物までもが、たんなる機械に成り下がりました。いわゆる人間機械論です。世界から精神的なものが剥ぎ取られ、デカルトにおいては、精神は、物体とわずかに松果腺(脳の一部)でつながっているにすぎません。

このモデルは、当時の王権神授説に基づく絶対王政の構図と同じです。中世では、分権的だったのが、近代になってから中央集権化が進みました。王国内の封建領主や僧侶から権利が剥ぎ取られ、神聖な権力は、臣民とわずかに国王でつながっているにすぎません。

その後、近代的な中央集権化は否定され、民主化が進みましたが、それと平行して、心身二元論が批判され、人間機械論も否定されるようになりました。現代の哲学では、心身は切り離せないという考えが主流です。その政治学版が主権在民の思想です。

最近の研究によると、人間の情報処理は脳だけがやっているわけではなく、心臓にも脳のような機能があるということがわかっています。そして、植物の情報処理のメカニズムも徐々に解明されています。このように、政治システムにおいて意思決定が分権化する一方で、情報システムの分権的な情報処理のあり方が発見されるという現象は、知識社会学的に興味深いものです。

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  7 コメント

  1. >最近の研究によると、人間の情報処理は脳だけがやっているわけではなく、心臓にも脳のような機能があるということがわかっています。
    出典を教えていただけないでしょうか?非常に興味があります。
    どのような情報が処理されているのでしょうか?

  2. >最近の研究によると、人間の情報処理は脳だけがやっているわけではなく、心臓にも脳のような機能があるということがわかっています。
    私もこの出展を知りたいです。なぜなら、もし本当に「心臓にも脳のような機能がある」なら(注1)、脳が死んでいても心臓が停止していない限り人間としての情報処理能力(の一部(注2))はまだ生きているわけで、“脳死は人の死”とは言えなくなるでしょう。
    (注1)「心臓にも・・・」なら、他の臓器にも同様な機能があっても不思議ではないように思いますが、その辺の研究は進んでいないのでしょうか?
    (注2)この「情報処理能力」が“意識”と呼べるかどうかは疑問ではありますが、それでも“脳死=人の死”をめぐる議論では見過ごせない事実となります。
    これは現在の脳死論争をめぐる大きなターニングポイントになる研究成果だと思います。ぜひ、講を改めてでも取り上げてください。

  3. “出典を教えていただけないでしょうか?非常に興味があります。”
    この話は、いろいろな人が言っています。例えば、ポールピアソールの『心臓の暗号』とか。
    ネット上では、次のページが詳しく論じています。
    ◎ Some heart recipients report strange changes
    http://www.azstarnet.com/dailystar/dailystar/63240.php
    ◎ 心臓移植で転移する人格 – 記憶は細胞に宿るか(和訳)
    http://x51.org/x/05/03/0202.php
    “これは現在の脳死論争をめぐる大きなターニングポイントになる研究成果だと思います。”
    脳死問題については、
    ◎ 臓器移植は望ましくないのか
    https://www.nagaitoshiya.com/ja/2001/brain-stem-death-diagnosis/
    をご覧ください。

  4. 永井さん、ありがとうございました。
    現代の科学では、やはり説明がつかないようですね。
    敢えて懐疑的に言えば
    「まれにこうした事例がある」ということでしょうか。
    心臓移植した人全員に、同じような特徴が現れているわけではない、ということも気に留めて置かなければならないのかな、と思いました。
    永井さんは、心臓に脳と全くではないにせよ、似たような機能があると信じますか?
    同じような議論が「輪廻転生はありうるのか」というテーマでもなされている様に思います。確かJim TuckerのLife Before Lifeという本に詳しく載っています。前世の体験を語る子供がスリランカには大勢いるようです。仏教の影響ということもありそうですが、ちょっと気になったので付け加えてみました。
    永井さんは輪廻転生を信じますか?
    色々質問ばかりですみません。永井さんがどのように考えていらっしゃるか、とても興味があります。

  5. 臓器移植は、輪廻転生とは異なって、人格移転の根拠となる物質的媒体の移転があるわけですから、同列に論じることはできません。前者は現世内での現象であり、後者は現世を超えた現象です。つまり、前者は科学の対象になりえますが、後者は難しいでしょう。
    心臓に脳のような機能があるとしても、情報処理を専門的に行っている脳のほうが、心臓よりも圧倒的に強力である以上、心臓を移植したからといって、レシピエントの人格や記憶が完全にドナーの人格や記憶と入れ替わるということはありえません。
    「臓器移植は望ましくないのか」で使った会社の喩えをもう一度使うならば、心臓移植は、倒産したA社の従業員がB社に入社することに、脳の移植は(もしそれが可能として)、A社のCEOがB社のCEOと交代することに相当します。
    CEOの交代が会社の性格をがらりと変えるのに対して、A社からの従業員の移籍により、B社の社風がA社の社風のようになることは、まれにしか起きない現象であり、臓器移植についても同じことが言えるでしょう。しかし、だからといって、従業員一人一人に情報処理能力がないということにはなりません。

  6. 永井さん
    明快な回答をありがとうございました。会社の例も分かりやすくて、この問題を考える上で非常に助かります。
    会社の例で、心臓が従業員Aとして扱われていますが、生きている人体から心臓を摘出したらおおもとの身体は死にますが、仮にその従業員Aが退社(転職?)したとしてもおおもとの会社は倒産しないような気がするのですが、いかがでしょうか?
    そうなると、心臓もかなりの重役(役割は違えども)で、小さな細胞の一つ一つが従業員ということになりますね。確かに擦り傷等で皮膚の細胞を多少失っても身体に大きな影響はないですし、ましてや人格が変わることはありえませんし。
    ただし永井さんがおっしゃるように、脳はやはり別格(CEO)なのでしょう。

  7. “会社の例で、心臓が従業員Aとして扱われていますが、生きている人体から心臓を摘出したらおおもとの身体は死にますが、仮にその従業員Aが退社(転職?)したとしてもおおもとの会社は倒産しないような気がするのですが、いかがでしょうか?”
    あまりたとえ話を真に受けてもらっても困るのですが、「不可欠な従業員」と考えてください。

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