6月 252006
 

聖徳太子とは誰のことか」には読みにくい漢字があるので、振り仮名付き版を分割して作成しました。このページは、「聖徳太子とは誰のことか(仮名付き1)」の続きです。

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2. 聖徳太子の業績は誰の業績か

2.1. 冠位十二階

まずは、冠位十二階(かんいじゅうにかい)であるが、(じつ)は、『日本書紀(にほんしょき)』にも、聖徳太子(しょうとくたいし)がこれを(はじ)めたとは()かれていない。「(はじ)めて(かん)()(おこな)ふ」と主語(しゅご)なしの(ぶん)()かれている。冠位十二階(かんいじゅうにかい)という制度(せいど)は、日本(にほん)(おとず)れた(ずい)使者(ししゃ)言及(げんきゅう)していることから、当時(とうじ)存在(そんざい)したことは間違(まちが)いない。では、(だれ)制定(せいてい)したのだろうか。

(わたし)は、聖徳太子(しょうとくたいし)制定(せいてい)(しゃ)だとは(おも)わない。もし聖徳太子(しょうとくたいし)が、冠位十二階(かんいじゅうにかい)制定(せいてい)したとするならば、なぜ、当時(とうじ)最高(さいこう)権力(けんりょく)(しゃ)蘇我馬子(そがのうまこ)官位(かんい)授与(じゅよ)されなかったのかが説明(せつめい)できない。しかし、もしも蘇我馬子(そがのうまこ)制定(せいてい)したとするならば、自分(じぶん)自分(じぶん)官位(かんい)(あた)えることはナンセンスだから、馬子(うまこ)対象(たいしょう)(がい)になったことが説明(せつめい)できる。

馬子(うまこ)冠位十二階(かんいじゅうにかい)制定(せいてい)(しゃ)であったことは、その動機(どうき)からも説明(せつめい)することができる。厩戸皇子(うまやどのみこ)は、(ちち)(よう)(めい)天皇(てんのう)で、(はは)(きん)(めい)天皇(てんのう)(むすめ)だったのに(たい)して、馬子(うまこ)は、(ちち)先祖(せんぞ)不明(ふめい)蘇我稲目(そがのいなめ)で、(はは)当時(とうじ)すでに没落(ぼつらく)していた葛城(かつらぎ)()(むすめ)だった。厩戸皇子(うまやどのみこ)血統(けっとう)高貴(こうき)だったのに(たい)して、馬子(うまこ)(ほう)は、かなり(かく)(ひく)かった。だから、馬子(うまこ)相当(そうとう)血統(けっとう)コンプレックスの()(ぬし)だったと(わたし)想定(そうてい)している。

コンプレックスとは、日本語(にほんご)()えば、複合(ふくごう)(たい)である。精神(せいしん)分析(ぶんせき)(がく)では、(あこが)れと反感(はんかん)複合(ふくごう)(たい)をコンプレックスと()ぶ。馬子(うまこ)は、一方(いっぽう)高貴(こうき)()(あこが)れていたからこそ、(むすめ)皇族(こうぞく)(とつ)がせ、天皇(てんのう)外戚(がいせき)になろうとしたのであり、他方(たほう)で、血統(けっとう)のランクがものを()社会(しゃかい)反感(はんかん)()っていたからこそ、冠位十二階(かんいじゅうにかい)制度(せいど)により、有能(ゆうのう)人材(じんざい)出自(しゅつじ)とは無関係(むかんけい)抜擢(ばってき)しようとした。これに(たい)して、高貴(こうき)出自(しゅつじ)厩戸皇子(うまやどのみこ)は、冠位十二階(かんいじゅうにかい)制定(せいてい)する動機(どうき)()けている。

冠位十二階(かんいじゅうにかい)は、高句麗(こうくり)百済(くだら)にあった類似(るいじ)制度(せいど)模倣(もほう)したもので、日本(にほん)独自(どくじ)制度(せいど)ではない。伝統(でんとう)(てき)権威(けんい)()たない蘇我(そが)()が、権力(けんりょく)頂点(ちょうてん)(きわ)めることができたのは、(かれ)らが渡来(とらい)(じん)とのかかわりが(ふか)く、日本(にほん)大陸(たいりく)先進(せんしん)文化(ぶんか)()(はし)として(おお)きな役割(やくわり)()たしたからである。冠位十二階(かんいじゅうにかい)制度(せいど)日本(にほん)への導入(どうにゅう)も、仏教(ぶっきょう)導入(どうにゅう)とともに蘇我(そが)()らしい功績(こうせき)である。

2.2. 十七条憲法

(つぎ)十七条(じゅうしちじょう)憲法(けんぽう)であるが、これに(かん)しては、『日本書紀(にほんしょき)』は「皇太子(こうたいし)(みずか)(はじめ)めて憲法(けんぽう)十七条(じゅうしちじょう)(つく)りたまふ」と、聖徳太子(しょうとくたいし)(さく)であることを明言(めいげん)している。だが、十七条(じゅうしちじょう)憲法(けんぽう)には、(ふる)くから偽作(ぎさく)(せつ)がある。(のち)律令(りつりょう)制度(せいど)先取(さきど)りしたような規範(きはん)(ふく)まれていて、氏族(しぞく)(せい)であった推古(すいこ)(ちょう)時代(じだい)にはふさわしくないからだ。(とく)に、(だい)(じゅう)()(じょう)登場(とうじょう)する、大化(たいか)改新(かいしん)以降(いこう)官制(かんせい)である「国司(こくし)」が、問題(もんだい)()されている。

しかし、(わたし)がそれ以上(いじょう)問題(もんだい)にしたいのは、聖徳太子(しょうとくたいし)(すなわ)厩戸皇子(うまやどのみこ)は、あのような命令(めいれい)有力(ゆうりょく)豪族(ごうぞく)(たい)して(はっ)することができるだけの権力(けんりょく)()っていたのかどうかという(てん)である。(たと)えば、(だい)(じゅう)()(じょう)にある「(くに)(ふたり)(きみ)なし。(たみ)(ふたり)(しゅ)なし」は、推古天皇(すいこてんのう)(まさ)るとも(おと)らない権力(けんりょく)(しゃ)であった蘇我馬子(そがのうまこ)(たい)する()てこすりと()()られかねない。(じつ)中大兄(なかのおおえの)(おう)もこれと()たようなセリフを()いている。中大兄王(なかのおおえのおう)大化(たいか)改新(かいしん)でやったように、蘇我(そが)()有力(ゆうりょく)(しゃ)武力(ぶりょく)排除(はいじょ)でもしなければ、このような天皇(てんのう)親政(しんせい)理念(りねん)(くち)にできなかったのではないだろうか。

十七条(じゅうしちじょう)憲法(けんぽう)は、(だい)(さん)(じょう)において、天皇(てんのう)()とそれ以外(いがい)豪族(ごうぞく)との(あいだ)には、絶対(ぜったい)(てき)君臣(くんしん)関係(かんけい)があると主張(しゅちょう)している。(いわ)く、「(みことのり)(うけたまわ)りては(かなら)(つつし)め。(つつ)しまざれば(みずか)らに(やぶ)れなむ。」
厩戸皇子(うまやどのみこ)は、これから有力(ゆうりょく)豪族(ごうぞく)支持(しじ)()て、天皇(てんのう)になろうとしているところである。それなのに、天皇(てんのう)になる(まえ)から、「自分(じぶん)大王(おおきみ)天皇(てんのう))になったら、お(まえ)たちに絶対(ぜったい)(てき)服従(ふくじゅう)(もと)める。命令(めいれい)(したが)わなければ、()(ほろ)ぼすことになるぞ」と有力(ゆうりょく)豪族(ごうぞく)たちに(おど)しをかけることができただろうか。そのようなことを()えば、天皇(てんのう)になれないどころか、(いのち)すら(ねら)われかねない。

こう()うと、読者(どくしゃ)(なか)には、聖徳太子(しょうとくたいし)皇太子(こうたいし)だから、天皇(てんのう)になることは確定(かくてい)していたし、摂政(せっしょう)地位(ちい)についていたのだから、馬子(うまこ)以上(いじょう)権力(けんりょく)()っていたのではないかと反論(はんろん)する()きもあるかもしれない。しかし、厩戸皇子(うまやどのみこ)は、摂政(せっしょう)でもなければ皇太子(こうたいし)でもなかった。『日本書紀(にほんしょき)』では、「よりて録摂政(まつりごとふさねつかさど)らしむ」というように、「摂政(せっしょう)」という言葉(ことば)動詞(どうし)として使(つか)われており、地位(ちい)(あらわ)名詞(めいし)としては使(つか)われていない。最初(さいしょ)摂政(せっしょう)(しょく)()いたのは、藤原(ふじわら)(よし)(ふさ)で、858(ねん)のことであり、それ以前(いぜん)には、摂政(せっしょう)などという官職(かんしょく)はなかった。また、立太子(りったいし)制度(せいど)は、689(ねん)飛鳥(あすか)(きよ)()(はら)(れい)において(はじ)めて採用(さいよう)された制度(せいど)で、「厩戸豊聡耳皇子(うまやどのとよとみみのみこ)()てて皇太子(こうたいし)とす」という『日本書紀(にほんしょき)』の記述(きじゅつ)間違(まちが)っている。なぜ、『日本書紀(にほんしょき)』の編者(へんしゃ)が、立太子(りったいし)制度(せいど)神武(じんむ)以来(いらい)存在(そんざい)したと(いつわ)ったかに(かん)しては、(あと)説明(せつめい)しよう。

厩戸皇子(うまやどのみこ)は、当時(とうじ)多数(たすう)いた次期(じき)天皇(てんのう)候補(こうほ)一人(ひとり)()ぎなかった。そのような(よわ)立場(たちば)にある厩戸皇子(うまやどのみこ)十七条(じゅうしちじょう)憲法(けんぽう)公表(こうひょう)できたとは(かんが)えられない。十七条(じゅうしちじょう)憲法(けんぽう)は、『日本書紀(にほんしょき)』が編集(へんしゅう)されていた当時(とうじ)支配(しはい)(てき)だった律令(りつりょう)国家(こっか)倫理(りんり)を、飛鳥(あすか)時代(じだい)投射(とうしゃ)することにより捏造(ねつぞう)した偽作(ぎさく)とみなすことができる。

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  3 コメント

  1. 有力豪族が自分の操り人形として、次期天皇の候補の一人である厩戸皇子に権力を取らせて意のままに操ろうとすれば、天皇親政を掲げさせるのはあると思う。
    蘇我氏が厩戸皇子に
    「お前の身は我が一族が守り、天皇としての立場を強化するため(蘇我氏の権力をそれによって維持のため)には、他の豪族たち従わせる事が必要だ」
    とせまり、蘇我一族の権力強化を図った手段の一つとすれば、あり得ない話ではないと思いますが。

  2. 天皇が有力豪族の操り人形になっているのなら、それは天皇親政とは言えないでしょう。

  3. 聖徳太子がしたことを教えてください

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