1月 282006
 

子供が成長するにつれ、関心が母から父へと移っていくように、人類もまた、文明時代になると、地母神に代わって天父神を崇拝するようになる。かつて地下や海にあった理想郷としての地母神の子宮は、地獄へと貶められ、理想郷は、天国に求められるようになる。母なるものへのノスタルジックな思いは、抑圧され、忘れ去られていく。このため、今では、竜宮伝説の解釈は難しくなっているわけだ。この章では、その抑圧と忘却のプロセスを歴史的に確認する。

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1 : 父権宗教とは何か

父権宗教は、人類が文明時代に突入し、母なる自然から乳離れをする過程で現れた。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、ゾロアスター教、マニ教、仏教などが父権宗教の有名な例である。

母権宗教が、多神教的で、偶像崇拝、動物神崇拝を特徴とする自然宗教であるのに対して、父権宗教は、一神教で、偶像崇拝を禁止し、人格神を崇拝する理性宗教である。もっとも、キリスト教は純粋に一神教ではないし、仏教には神がいない。キリスト教も仏教も、もともとは偶像崇拝を認めないが、後世は妥協している。だから、これらは、重要な特徴ではない。

父権宗教で最も重要な特徴は、去勢の宗教である、つまり、信者に禁欲と試練を強いるという点にある。母権宗教においては、信者は、まるで母におねだりする幼児のように、神に対して現世利益を要求する。しかし、父権宗教では、人間が神に要求するのではなくて、逆に神が人間に要求する。母なる神が豊穣を与えてくれるのに対して、父なる神は苦難を与える。そして、この苦難のおかげで、人類は、自然に甘える存在から、自然を克服する存在へと成長する。

父権宗教は、来世での幸福を約束してくれるが、現世での幸福は約束しない。もちろん、信者にとってありがたい奇跡を起こしてくれることはある。しかし、それは疑い深い信者に神の威光を見せつけるためであって、決してそれが信仰の目的となることはない。この点で現世利益を目的とする母権的宗教の呪術と父権宗教的な奇跡は異なる。

キリスト教やイスラム教はもちろんのこと、仏教や儒教でも呪術は本来厳禁である。神様、仏様に何かをお願いするなんて認めていない。そうした呪術から決別したからこそ、これら諸宗はみな世界宗教になれた。[1]

小室は、呪術と奇跡の違いを次のように説明する。

呪術医の場合、もし病気が治ったら「これは自分の功績だ」と主張する。

しかし経典宗教の預言者は、そうは言わない。「奇跡は神の力によるものである」と説明する。[2]

この違いは、それほど重要とは思えない。呪術医は、新興宗教の教祖が時々やるように、自らを神と称する場合は別として、通常は、神の力を借りて病気を治す。だから、クライアントから謝礼をもらうものの、近代医のように、自分だけの功績だとは考えない。重要な違いは、むしろ現世利益が信仰の目的になるのか、たんなる験(しるし)にすぎないのかというところにある。

2 : 父権宗教はいつ現れたのか

父権宗教誕生のピークは、紀元前六世紀から五世紀にかけての枢軸時代と呼ばれる時代である。この時期、ザラスシュトラ(紀元前628-551)によるゾロアスター教の創唱、バビロン捕囚を契機としたユダヤ教の誕生(紀元前586)、孔子(紀元前551-479)による儒教の成立、ガウタマ(紀元前463-383年)による仏教の創設、プラトン(紀元前427-347)によるイデア論の提唱など、世界同時多発的に精神革命が起きた[3]

ユダヤ教には先駆者がいる。エジプト第18王朝のアメンホテプ(紀元前1375-1358年)は、日輪の神アトンを唯一神とする新宗教を創設した。ゾロアスター教でも、根本経典『アヴェスター』の最古層に当たるガーサーが成立したのは、その頃である。紀元前1400年頃、エーゲ海のテラ島(サントリニ島)の火山が大爆発を起こし、その噴煙で太陽光が遮られ、気候が寒冷化して、大飢饉になったにちがいない。そして、これが、父権宗教成立のきっかけになったと考えることができる。

枢軸時代もまた、気候が寒冷化した時期に相当する。母なる自然が冷たくなることで、子供である人類は、母から離れることになった。父親のいない母子家庭でも、乳離れは成される。去勢を迫る母は、神話では歯の生えたヴァギナ(Vagina Dentata)として表象される。しかし、普通、去勢は父の役割であり、だから、人々に試練を課す、父なる神の想定が必要になる。

3 : 聖書における竜退治は何を意味するのか

去勢は竜退治として神話に登場する。『旧約聖書』には、神が「レビヤタン」あるいは「ラハブ」と呼ばれている海の怪獣を退治する場面か数回出てくる。

[…]主は、厳しく、大きく、強い剣をもって逃げる蛇レビヤタン、曲がりくねる蛇レビヤタンを罰し、また海にいる竜を殺される。[4]

レビヤタンやラハブは、バビロニア神話に登場する、上半身は女性、下半身が蛇の姿をした原初の地母神、ティアマトに相当する。海は、もちろん、羊水を表している。父なる神が、蛇あるいは竜を切るということは、ファリック・マザーのペニスを切断すること、すなわち去勢を意味している。

『新約聖書』の「ヨハネの黙示録」では、天使ミカエルが、悪魔である竜と戦い、勝利するという場面が登場する。

天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちも応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった。この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投げ落とされたのである。その使いたちも、もろともに投げ落とされた 。[5]

今度は海の中の竜ではなくて、天使のように空を飛ぶ竜である。しかし、ミカエルとの戦いに敗れることで、竜は堕天使として地に落ちる。

父権宗教は、去勢を強いる宗教である。このことを、キリスト教、イスラム教、仏教という世界三大宗教と呼ばれる代表的な父権宗教の分析を通じて、明らかにしていきたい。

4 : 参照情報

  1. 小室 直樹.『日本人のためのイスラム原論』. 集英社インターナショナル (2002/3/1). p.207.
  2. 小室 直樹.『日本人のためのイスラム原論』. 集英社インターナショナル (2002/3/1). p.220.
  3. Karl Jaspers. Vom Ursprung und Ziel der Geschichte. Piper Verlag GmbH; Neuausgabe.版 (1994/02). p.20.
  4. 「イザヤ書」27:01.『聖書』. 新共同訳. 日本聖書協会 (1998/1/1).
  5. 「ヨハネの黙示録」12:07-09.『聖書』. 新共同訳. 日本聖書協会 (1998/1/1).
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