1月 282006
 

本書は、個体発生は系統発生を繰り返すという生物学の仮説を前提に書かれている。この仮説を反復説というのだが、この反復説に基づいて、本書の結論をまとめる前に、この仮説の妥当性について、あらかじめ論じなければならない。

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1 : 人間は種の進化の過程を繰り返す

反復説によれば、人間の胎児の発生の諸段階と生物の進化の諸段階を「生きた化石」の解剖学的知見に基づいて対応させることができる [1]

  1. 軟骨魚類的段階:受胎32日目の胎児では、心臓が魚類と同様に一心房一心室で、顔の側面には、魚類の鰓裂に相当する数対の裂け目が現れる。古生代の軟骨魚類の特徴を残すラブカとよく似ている。
  2. 両生類的/爬虫類的段階:受胎35日目の胎児では、鰓の血管が肺の血管へと変貌を遂げ、胎児の鰭のような突起が五本指の手を備えた腕になる。中生代初期の爬虫類の特徴を残すムカシトカゲとよく似ている。
  3. 原始哺乳類的段階:受胎38日目の胎児では、眼が前方に集まるが、尾骨がまだ突き出ていて、体毛が生えている。新生代初期の原始哺乳類の生き残りであるミツユビナマケモノとよく似ている。

このように、人間の胎児が、魚類、両生類、爬虫類、原始哺乳類という進化の諸段階を繰り返すような発生プロセスをたどることはたんなる偶然なのだろうか。

2 : 反復説の登場と没落

反復説の原型となる考えは古くから存在する。例えば、アリストテレスは、実在する動物の成体と人間の個体発生との類比的な関係に既に気付いていた。19世紀になると、当時「並行法則」と呼ばれていたこのアナロジーは、フォン・ベーアによって否定される[2]。フォン・ベーアは、高等動物の胚と下等動物の成体が異なることを指摘するのだが、そうした批判は、現代の下等動物の多くが、我々の祖先と分岐して以来、独自の進化を遂げていることを考えると、有効ではない。

1859年に、ダーウィンが『種の起源』を出版すると、進化論と結びついた反復説が流行する。ダーウィン自身は、反復説を明白に打ち出さなかったが、反復説をほのめかすような発言ならしている。

個体のある器官は、成熟するとてんでんばらばらになり、異なった目的に奉仕するが、胚の段階では非常によく似ているということは、これまで既に、偶然発見されてきた。同じクラスのはっきり違った動物の胚もまた、しばしばはっとするほどよく似ている。ある脊椎動物の胚に札を貼り忘れたために、それが哺乳類のものか、鳥類のものか、爬虫類のものかが区別できなくなったというアガシの逸話以上にこのことをよく示しているものはない。[3]

反復説で最も有名なのは、ダーウィンから強い影響を受け、ドイツでの進化論の普及に大きな役割を果たした動物学者、エルンスト・ヘッケルである。ヘッケルは、『人類発生史』(1874年)で、次のような命題を主張している。

胚の歴史は種族の歴史の要約である。

個体発生は系統発生の短い反復である。

系統発生は個体発生の機械的原因である。[4]

「機械的原因」という言葉に、ダーウィンの影響を観て取ることができる。すなわち、彼は、従来の生気論的目的論的説明を斥け、アナロジーに基づく詩的空想とは一線を画する科学として、反復説を確立しようとしたのだ。

反復説にとって不幸なことに、ヘッケルの進化論は、20世紀になって、ナチスによる人種差別の正当化に利用されることになる。そして、ヘッケルが創設した一元論者協会も、積極的にヒトラーを支持した。比較発生学を、進化論や比較解剖学と重ね合わせると、未熟な胚と成体との発生学的関係を、原始時代の生物あるいは現存の下等動物と人類との進化論的・解剖学的関係に対応させることになる。そしてこうした階層的区分は、ちょうど大人が子供を支配することができるように、あるいは人類が下等動物を支配することができるように、優秀な民族は、他の劣等民族を支配することができるという考えに結びつく。

このようなナチズムとの関係ゆえに、またヘッケルによる証拠偽造スキャンダルのゆえに、反復説は、その後、研究者たちの間でタブーになってしまった。スティーヴン・ジェイ・グールドは、反復説を批判するために1977年に出版した大著『個体発生と系統発生』の中で、次のように回想している。

私は次のような奇妙な体験を20回以上もした。私は、個体発生と系統発生との間の並行関係について一冊の本を書いているとある研究仲間に話したところ、彼は私を脇に呼んで、誰も見ていないことを確かめ、盗聴器の有無をもチェックしかねないようすで、ことさらに声を低めて、「ここだけの話だが、私は、実際、それには最終的に何かがあると思う」と告白した。[5]

このエピソードからも伺えるように、1970年代の末まで、生物学者たちは、たとえ反復説が間違っていないのではないかと感じていても、科学者としての名声に傷が付くことを恐れて、反復説支持を公然と表明することを憚っていた。

3 : 反復説は差別を助長するのか

反復説が科学的に正しいかどうかの議論に移る前に、反復説が、差別や偏見の温床になるイデオロギーなのかどうかを考えてみよう。反復説は、高等動物もかつての下等動物の段階を経ると主張しているわけだから、「高等」と「下等」との固定的な差別を打破する理論だとみなすこともできるが、この議論は、「高等」が「下等」よりも価値的に上であるという価値のヒエラルヒーを前提にしている。はたして、人間のような、より進化した種は、より優れた種なのだろうか。

この問いに対する答えは、「地面に座っている人は静止しているのか」という問いに対する答えと同様に、観測点をどこに置くかによって、イエスともノーともなる。観測点を地球表面から地球外部へと移すならば、地面に静かに座っている人も、太陽の周りを時速10万キロメートル以上の猛スピードで回転しているわけだから、静止しているとは言えない。同様に、人間が最も優れた生物であるのは、そう考えている私たちが人間だからであり、観測点を人間から人間の外部へと移すならば、人間が最も優れた生物だとは言えなくなる。

そもそも価値とは目的に対する適合性であり、人間が生きていくうえで人間の身体が最も適合的であるのだから、人間にとって人間の身体が最も価値のある形態であることは当然である。もしも胎児の四肢の発達が魚類の段階で停止すれば、通常の人間的環境で生きていくのに不便であるが、他方で、魚に人間のような手足が生えることは、魚にとってはよい迷惑である。生物にとって重要なことは、環境に適応して子孫を増やすことであって、どの環境に適応するかに関して優劣があるわけではない。

進化した高等動物は、そうでない下等動物よりも優れているという考えは、転職回数の多い人の方が、そうでない人よりも優れているという考えと同様に、ナンセンスである。もしも仕事が自分に向いていないのなら、職を変える必要があるし、もしも生物が環境に適合的でないならば、適合的であるように進化する必要がある。しかしそうでないならば、そのままでいるのが一番安全である。職業を転々と変えることや様々な進化の段階を経ることは、価値を実現するための手段であって、それ自体に価値があるわけではない。

高等動物と下等動物の区別を、価値的な優劣としてではなくて、たんなる変遷の回数の多寡ととらえるならば、反復説に基づく進化論が、いかなる差別や偏見をも助長するものではないことは、明らかである。反復説そのものの是非は、提唱者の一人であるヘッケルが、反復説を実証するために解剖学的証拠を偽造したとか、人種差別主義者だったとかいったこととは分けて考えなければならない。

4 : 再評価される反復説

科学の歴史では、一度葬り去られた学説が、新たな解釈のもとに復活するということがある。例えば、反復説と密接な関係を持っていた前成説がそうである。

前成説とは、生物は、生まれる前から精子あるいは卵子の中にミニチュアとして存在し、発生とはそれが成長して大きくなるだけだと考える説である。17世紀の前成説によれば、人間の中には、子供として生まれてくる小人があらかじめ存在し、その小人の中にも、子供として生まれてくる小人があらかじめ存在するというような、マトリョーシカ人形のような入れ子式の構造が、世界の終末まで続くように、神によって計算されて存在しているということになる。

この古典的な前成説は、その後、フォン・ベーアやシュペーマンなどにより否定されたが、20世紀になって遺伝子が発見されると、DNAが生物の雛形であると解釈され、前成説もその意味では正しいということになった。もちろん、DNAの中に、無限に続くマトリョーシカ人形があるわけではない。「再生産の情報」と「情報の再生産」が、オートポイエティックに相互産出されるプログラミングがあるだけである。

一時はタブーにすらなった反復説も、皮肉なことに、グールドが、反復説に最後のとどめを刺すべく『個体発生と系統発生』を上梓した後の80年代になって、復活する。そのきっかけとなったのが、1983年のホメオボックスの発見である。

発生初期の胚の体制や構造を決定する遺伝子をホメオティック遺伝子というが、線虫から人間にいたるまで、真核生物には、共通したホメオティック遺伝子の配列、ホメオボックスがある。人間には尻尾や鰓はないが、それは尻尾や鰓を作る遺伝子がないのではなくて、その遺伝子がオフになっているだけで、オンにすれば、人間にも尻尾や鰓が発生するという考え方である。何をオンにして何をオフにするかは、進化のプロセスを通じて決定される。比較発生学と遺伝学が統合された結果、反復説は再び脚光を浴びることとなった。

5 : 個体発生と系統発生のフラクタルな関係

私は、反復説をフラクタルという現代的観点から再評価したいと思っている。フラクタルとは、マンデルブロー(Mandelbrot)が提唱した、部分が全体と何らかの点で似ている図形のことである。

例えば、ある直線を三等分して、二番目の線分の長さを2倍にして正三角形の二辺を作るという作業を反復的に行うと、以下のようなコッホ曲線ができる。コッホ曲線は全体の1/4のミニチュアである自己相似的な部分から構成されている。

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図7 コッホ曲線[6]。Helge von Koch によって発見されたコッホ曲線の最初の4次元を描いたもの。

この自己相似性のレベルを数量化してみよう。2次元平面上の正方形の一辺を2倍にすると、元の大きさの正方形が4(2の2乗)個できる。

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図8 フラクタル次元。正方形の一辺を2倍にすると、面積が2の2乗倍となるから、フラクタル次元は2である。

3次元空間内の直方体の一辺を2倍にすると、元の大きさの立方体が8(2の3乗)個できる。ここから、n倍するとnのd乗個のミニチュアができる図形では、フラクタル次元がdであると定義する。

すると、コッホ曲線では、長さを3倍に拡大すると4個のミニチュアができるから、コッホ曲線の次元は、3d=4より、d=log34=1.2619 … 次元ということになる。フラクタルの語源は、ラテン語の“fractus(こなごなに壊れた)”である。次元が整数以外の半端な数にまで拡張されていることから、フラクタルと名付けられたわけである。

個体発生が系統発生を自己相似的に繰り返すことは、空間的フラクタルではないが、時間的フラクタルであるとみなすことができる。フラクタルは、例えば、ロジスティック写像がそうであるように、関数の自己言及的な反復適用から生じる。自然界がフラクタルに満ちているのは、自然界に存在するシステムの多くがオートポイエーシスであるからだ。遺伝子の自己増殖も、再生産の関数が再生産の関数自体へと再帰的に適応されるので、オートポイエーシスとなる。

進化の中の生物は、ノイラートの船である。生物は、一度死んでしまうと再生できない。つまり、生物という船は、陸地に引き上げて一から作り直すわけにはいかない。航海を続けながら、部分的な修正を積み重ねていくしかない。その結果、生物の遺伝情報は、経路依存的な設計図となる。系統発生が個体発生においてを繰り返されるということは、遺伝子の再生産の歴史が遺伝子の歴史の再生産をもたらしているということである。

6 : グールドの批判を再検討する

私は、決して、流行に追随して反復説を評価しようとしているわけではないので、最後に、反復説に対する従来の批判への反批判を試みることにしたい。グールドが、『個体発生と系統発生』で反復説を否定する主な理由は、

  1. 反復は、すべての器官に同等に働くわけではない
  2. 個体の新しい形質は、必ずしも反復の終端に現れるわけではない
  3. 祖先の胚段階や幼生段階が、子孫の成体段階になることがある

というものである。以下、反論しよう。

  1. 多細胞生物は、歴史的に見て複数の生物の集合であるから、器官ごとに反復プロセスが斉一的でないことは、フラクタルな進化論を否定せず、逆に肯定する。
  2. 個体発生は原則として種が進化した歴史を繰り返すが、その繰り返し方自体が進化の対象となる。より安全で効率的な出産を可能にするために、この原則とは別に、最初に機能する器官は最初に発達するとか、最終的な大きさが大きいものから順に発達するといった別の原則があってもおかしくはない。そしてこの原則のおかげで、反復プロセスは斉一的ではなくなる。終端付加はヘッケルの説なのだが、進化を関数的変換と考えるならば、この考えは間違いであることがわかる。歴史の進展とともに、学校教育で教えられる歴史に新しい歴史が「終端付加」されるわけではなく、それ以前の歴史全体が、皇国史観、唯物史観、社会史史観など、そのつど新しい関数によって変換されていくのである。
  3. ネオテニーやプロジェネシスは、環境適応のための新たな進化の結果であって、系統発生の中断や後退ではない。ヒトは類人猿のネオテニーだと言われるが、アクア説によれば、ヒトは、水中生活に適応するための進化の結果、たまたま類人猿の幼児と似た形態になったのであり、チンパンジーの幼形であることに意味があるわけではない。ヒトは水中生活に適応するために、体が流線型となり、頭は丸くなった。類人猿の胎児の頭が丸いのは、出産の際にスムーズに体外に出るためと考えることができる。妊娠6ヵ月頃から胎児の全身を覆う毳毛が、出産前に抜け落ちるという現象は、ヒトが、チンパンジーのなりそこないではなくて、チンパンジー的段階を経た上でそれを否定した歴史を持つことを物語っている。

グールドは、反復説を文化の領域にまで適用したフロイトを批判しているが、たとえ獲得形質が遺伝しないとしても、「個体発生は系統発生を繰り返す」というテーゼを「個人史は人類史を繰り返す」というテーゼへと拡張することは可能だと思う。例えば、数学の知識は遺伝することはないが、個人が習得する数学的知識の順番は、人類の数学の歴史をほぼ反映している。もちろん進化の反復自体が進化するから、全く同じではないが、知のシステムがノイラートの船である以上、歴史の刻印を免れることができない。

7 : 参照情報

  1. 三木 成夫. 『生命形態学序説―根原形象とメタモルフォーゼ』. うぶすな書院 (1992/11). p.30-33.
  2. Karl Ernst von Baer. Ueber Entwicklungsgeschichte der Thiere – Beobachtung und Reflexion. Königsberg, 1828. Olms Georg Ag; Reprint.版 (1999/01).
  3. “It has already been casually remarked that certain organs in the individual, which when mature become widely different and serve for different purposes, are in the embryo exactly alike. The embryos, also, of distinct animals within the same class are often strikingly similar: a better proof of this cannot be given, than a circumstance mentioned by Agassiz, namely, that having forgotten to ticket the embryo of some vertebrate animal, he cannot now tell whether it be that of a mammal, bird, or reptile.” Charles Darwin. The Origin of Species. Wordsworth Collection. Wordsworth Editions Ltd; Revised版 (1998/4/1). Chapter 13 Mutual Affinities of Organic Beings. 引用文中に出てくる「アガシ」は、「フォン・ベーア」の間違いである。
  4. “Die Keimesgeschichte ist ein Auszug der Stammesgeschichte. Die Ontogenie ist eine kurze Recapitulation der Phylogenie. Die Phylogenese ist die mechanische Ursache der Ontogenese.” Ernst Heinrich Philipp August Haeckel. Anthropogenie Oder Entwicklungsgeschichte Des Menschen. Hansebooks (2016/3/31). Kapitel 1.
  5. “I have had the same, most curious experience more than twenty times: I tell a colleague that I am writing a book about parallels between ontogeny and phylogeny. He takes me aside, makes sure that no one is looking, checks for bugging devices, and admits in markedly lowered voice: “You know, just between you, me, and that wall, I think that there really is something to it after all.” Stephen Jay Gould. ”Ontogeny and Phylogeny. Belknap Press: An Imprint of Harvard University Press (1985/1/17). p.1-2. 日本語訳.『個体発生と系統発生―進化の観念史と発生学の最前線』. 工作舎. 1987/12. p.25
  6. Jim Loy. “The Koch Curve
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