5月 162006
 

経営計画を考えろ!:WEB2.0?(難しい話になってしまいました)」に対するコメント。「植物型情報システムの時代」で論じた編集権の脱中心化とプロのクリエイターの没落について再び論じます。

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“A tag cloud (a typical Web 2.0 phenomenon in itself) presenting Web 2.0 themes” by Markus Angermeier + Luca Cremonini is licensed under CC-BY-SA

Web2.0 の名付け親である Tim O’Reilly は“Web
2.0:次世代ソフトウェアのデザインパターンとビジネスモデル
”で、Web2.0 とは何かを論じています。

この概念の説明ですが、積極的な定義付けがなされず、あーでもない、こーでもないみたいな否定形での定義づけになっています。

なんか、釈迦がといた仏の定義に近いものがありますね(そこでも30数個あーでもない、こーでもないとして仏を定義づけしています)。

Tim O’Reilly は、否定形で定義をしているというよりも、明確な定義を与えることなく、新しいウェブのトレンドを個別事例を挙げて、読者にわからせようとしているという感じです。名付け親による、このはっきりしない特徴付けにいらだつ人も多いようですが、実は、あの定義の仕方それ自体が、Web2.0 的なのではないでしょうか。

著名人が「Web2.0 とはかくかくしかじかである」と定義して、大衆たちがそれをそのまま受け売りするという定義の普及が中央集権的な文化のあり方だとするならば、Web2.0 的なものを、個別要素へと分解し、読者にそれを自由に組み立てさせ、その是非をネットワークを通じて相互に論評させるる Tim O’Reilly の方法は、私にとって、編集権の脱中心化という意味で、Web2.0 の一つの例です。

確かに、最近の文章は引用があることが前提のような気がします。それが信頼性の高い情報で、論理的なものだという評価されているのではないでしょうか。

インターネットで素人が創作活動に参加して以来、オリジナルを作る著名人とそれを模倣する無名人という差異の関係が相対化されたような気がします。例えば、アスキーアート(日本の場合、Shift JIS art なのだが)とか、いつ誰がオリジナルを作り、いつ誰がどこを改作したのかよくわからないシミュラークルが掲示板とかに氾濫しています。そうしたオリジナルの不在が未来の著作物のあり方なのかなと思ったりします。

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  One Response

  1. このたびは私ごときの意見に対して、批評をくださり大変にありがとうございました。本当に感激いたしました。
    いつも質の高い情報を提供していただき、その刺激にふれて素人的に考えをめぐらせることが多くありました。
    特に今回のWEB2.0のお話はなるほどという感覚と同時に今後の時代の流れを感じたものですから、ブログのほうで紹介をさせていただきました。
    まだまだ、ブロガーとして初心者ではありますが、“脱中心化の一端”が私なんだなあと感じています。
    確かに、脱中心化が進むとオリジナルが不在になりつつあるのは同感です。
    もしかすると、WEB2.0の進んだ形では、定義づけそのものもオリジナルそのものもさらにはひとつの価値観のようなものも、情報の集まりの中で形成されることもあるのでしょうか?
    もしかすると、WEB2.0の進んだ形では、情報そのものに価値の共鳴を抱いたり、または反発したりして、情報そのものの離合集散が繰り返され、ひとつの情報コミュニティのようなもの(統治)が形成されることもあるのでしょうか?
    今後も永井さんの質の高い哲学を楽しみにしております。

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