Web2.0の定義

2018年8月25日

経営計画を考えろ!:WEB2.0?(難しい話になってしまいました)」に対するコメント。「植物型情報システムの時代」で論じた編集権の脱中心化とプロのクリエイターの没落について再び論じます。

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“A tag cloud (a typical Web 2.0 phenomenon in itself) presenting Web 2.0 themes” by Markus Angermeier + Luca Cremonini is licensed under CC-BY-SA

Web2.0 の名付け親である Tim O’Reilly は“Web
2.0:次世代ソフトウェアのデザインパターンとビジネスモデル
”で、Web2.0 とは何かを論じています。

この概念の説明ですが、積極的な定義付けがなされず、あーでもない、こーでもないみたいな否定形での定義づけになっています。

なんか、釈迦がといた仏の定義に近いものがありますね(そこでも30数個あーでもない、こーでもないとして仏を定義づけしています)。

Tim O’Reilly は、否定形で定義をしているというよりも、明確な定義を与えることなく、新しいウェブのトレンドを個別事例を挙げて、読者にわからせようとしているという感じです。名付け親による、このはっきりしない特徴付けにいらだつ人も多いようですが、実は、あの定義の仕方それ自体が、Web2.0 的なのではないでしょうか。

著名人が「Web2.0 とはかくかくしかじかである」と定義して、大衆たちがそれをそのまま受け売りするという定義の普及が中央集権的な文化のあり方だとするならば、Web2.0 的なものを、個別要素へと分解し、読者にそれを自由に組み立てさせ、その是非をネットワークを通じて相互に論評させるる Tim O’Reilly の方法は、私にとって、編集権の脱中心化という意味で、Web2.0 の一つの例です。

確かに、最近の文章は引用があることが前提のような気がします。それが信頼性の高い情報で、論理的なものだという評価されているのではないでしょうか。

インターネットで素人が創作活動に参加して以来、オリジナルを作る著名人とそれを模倣する無名人という差異の関係が相対化されたような気がします。例えば、アスキーアート(日本の場合、Shift JIS art なのだが)とか、いつ誰がオリジナルを作り、いつ誰がどこを改作したのかよくわからないシミュラークルが掲示板とかに氾濫しています。そうしたオリジナルの不在が未来の著作物のあり方なのかなと思ったりします。