9月 052010
 

原名高正さんという方が、私のコラムに対して詳しい批評をしてくれていたようです。かなり昔(5年前)に書かれたもののようですが、せっかく書いてくれたのだから、反論を書いておきたいと思います。まずは、「末は博士かホームレスか」に対して書かれた「法律家養成を再検討する」から取り上げましょう。

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1. 日米の大学の違い

■「21世紀の大学像と今後の改革方策について」「という文部省の大学審議会の答申」がだされたというのは、いってみれば、司法改革という法務省の土俵に、文部省(当時)が ずかずか あがりこんで、独り相撲をはじめてしまったことを意味する。

■ま、厚生労働省管轄の医師・歯科医師・薬剤師など 医療系専門職の資格はともかく、養成については、文科省に基本的にしきられてしまっているのと、おなじカラクリだ(もちろん、カリキュラムなどで、実質内容について、厚生労働省は、くちだしする。笑)。

■また、司法試験受験を、完全に予備校にしきられていることを、にがにがしく おもっていた 文科省/法学部関係者が、法律専門職の先進国 アメリカの システムを 導入するという、大義名分を利用したという、「内幕」も、ただしい。

■しかし、実質的に定着するかどうかは ともかく、アメリカ式の法律家養成が、デタラメという わけでは、もちろんない。
■プロセス重視は、本来的には、正論なのである。プロセス重視を 問題だというなら、本家本元のアメリカの法律家養成の機能不全、病理を指摘したうえで、「マネなど やめろ」と、いうべきなのだ。

米国の大学では、教師の待遇は学生の評価によって決まります。学生の評価が高ければ、教師の給料が上がったり、よりランクの高い大学への移籍が可能となります。逆に低ければ、給料が下がったり、解雇されたりします。日本の大学は、こうした米国の大学の優れた部分は取り入れずに、プロセス重視といった好ましくない部分を模倣しています。学生には評価の権限を与えずに、教師には基準が不透明な評価の裁量権を与える非対称性には問題があろうかと思います。

2. 医学部は法科大学院にとっての模範となるのか

■国公立大学の医学部学生の、医師国家試験合格率が8?9わりを維持しているように、法科大学院修了者も、基本的には法律家としての専門資格をあたえられるのが、本旨だ。
■それができないなら、趣旨に反するし、約束違反でもある。また、それが、市場の需要をはるかにこえた合格者数になるなら、それも約束違反である。
■もちろん、全国の私立大学に法科大学院が設置されたという事実ひとつをとっても、文科省が まったく責任をおう気がなかったことは、あきらかだ。

これは、むしろ医学部の方にこそ問題があると思います。ご指摘のように、医師国家試験の合格率は毎年80%以上で、2010年現在も89.2%と高水準を維持しています。このため、医師になるための最大のボトルネックは、医師国家試験ではなくて、医学部医学科への入学試験となっていますが、この選抜システムには大きな問題があります。大学入試で出題される数学や物理の難問を解く能力は、たいていの医者には不要であり、医師を育てるコストを不必要に高くしています。また、大学医学部医学科は、医師を認定するための特権を事実上与えられているようなものだから、教育機関として不良であっても、市場原理により淘汰されないという問題もあります。

だから、私は、医師国家試験を専門別に分化させたり、実技試験を取り入れたりするなど、医師選別試験としての実質を持たせると同時に、医学部医学科卒業を前提条件からはずすことを提案します。こうすれば、現行システムよりもより低いコストで、つまりより多くの医師を育てることができるし、教育産業の効率化が進むことも期待できます。

3. 司法研修所はプロセス重視か

■永井さん、意図的に、プロセス重視の法律家養成を否定したいのか、あるいは、事実誤認の自覚がまったくないのか、ものすごい暴論を展開している。
■「弁護士には反骨精神のある反権力主義者が少なくないのは、プロセス不問で、学力だけで選抜されるからだ」というのは、まったく司法研修所の機能を誤解している。弁護士だって、「司法試験合格後、合格者は、1年半司法研修所で研修を受ける」んだから(笑)。
■裁判官や検察官が、より「いい子ちゃん」で、権力追従的な性格の可能性がたかいことは、経験則でしられている。そして、「選別の基準は不明瞭で、国家権力に従順な人物が選ばれ、反権力的な人が排除されている」という構造も、何十年も指摘・批判されつづけてきた。
■しかし、弁護士が「プロセス不問で、学力だけで選抜されるからだ」というのは、まったく事実誤認だ。この程度の しらべで、法律家養成制度をうんぬんする、神経は、すごすぎる。

旧司法試験においては、弁護士がプロセス不問で、学力だけで選抜されたというのは事実誤認ではありません。もちろん、旧司法試験においても、被験者は、資格試験合格後に司法修習を受け、司法修習生考試に不合格となれば、弁護士になれませんでしたが、考試が不合格で弁護士になれなかった人はほとんどいませんでした(最近では増えているようですが)。だから、旧制度においては、司法修習生となるための資格試験、所謂司法試験に合格さえすれば、ほぼ間違いなく弁護士になれたのです。また、司法修習生考試も、筆記による客観的なテストですから、プロセス重視の選抜とはいえません。プロセス重視で、不透明な選抜が行われるのは、本文で指摘したように、そして原名さんも認めるように、任官(裁判官や検察官に任じられること)においてであり、弁護士の登録においてではありません。

4. なぜ教授には権力があるのか

■それと、永井さんの議論が、根本的に乱暴なのは、司法研修所と法科大学院と理科系大学院を、同質の権力ピラミッドとみなしている点だ。
■「ちょうど病院が大学ごとに系列化し、医局が若い勤務医の人事を支配するように、法律事務所が法科大学院ごとに系列化し、ボス教授が弁護士の人事を支配するようになるだろう」という、危険性は、アメリカとちがって、「日本的土壌」という次元で、警戒すべきだ。しかし、医局支配によって、開業医、とりわけ辺地医療などにたずさわる医師たちが、母校から完全コントロールをうけているとか、いった実態が、一般的だろうか?
■はっきりいおう、権威主義的で、ともすれば、国家権力への追従を ほのめかすような司法研修所の1年半を経験しても、反骨弁護士は、それこそ何百人もうまれていく。
■永井さんが、大学院の支配体制を象徴するために 引用した 組織は、医学などをふくめた 理科系の大学院だ。大学院という空間は、旧帝大系ほかブランド大学かどうか、研究科が理系や、伝統のある法学・文学系のように権威主義的組織かどうか、など、具体的空間を特定しないと、一般論はなりたたない。

原名さんは、理系と文系の間に大きな違いがあると主張していますが、むしろ大きな違いは、人材供給が過少の医学部と過剰の他学部との間にあると言うべきでしょう。日本医師会は、その政治的権力を使って医師の供給過剰を防ぐことに成功しました。現在、多くの病院が、医師の確保に苦労しています。病院が、医局に属さない医師を自由に採用しようとしても、その病院を支配している大学医局が、医局員(医局が派遣している医師)を引き上げるなどの対抗措置を取れば、欠員が補充できず、病院経営が成り立たなくなるので、できません。これが、医師の人材市場において医局が強い権力を持っている所以です。

医学部以外での人材市場では、博士は供給過剰で、こうした問題はありません。それにもかかわらず、教授の推薦が就職に際して重要な役割を果たすのは、日本の大学では、終身雇用制が厳密に守られており、採用後、好ましくない人材であると気がついても、解雇できず、そのため、採用に際しては、権威ある第三者による身元保証が必要であるからです。これはブランド大学にのみ限定される話ではありません。むしろ、出身大学にブランドがないほど、ブランド力のある教授による推薦が必要になってきます。

5. 大学院重点化問題の本質は何か

■日本中に、やくたたずの インフレ「法務博士」号は、あざわらわれ、取得者の うらみぶしが、うなりをあげることだろう。
■しかし、挫折者の数・専門学校に「すてられた」学費、試験の難関ぶりに反して 実社会で異常なぐらい過小評価される、典型的資格といえば、税理士さまが、あるではないか? いまや 税理士は、開業した税理事務所を顧客ごと ひきつがねば、まったく わりがあわない資格といわれている。
■歯科医師なども、それに準ずるのではないか? 法律家だけ、こわだかに その養成を 問題視するのは、それこそ、特別視=特権視、あるいは 大学院制度全般の否定など、別の「真意」を、うたぐってしまう。在野の「哲学者」には、一種 異様なほどの 粘着質な権威主義をかんじるしなぁ(笑)。

原名さんは、冒頭ですでに「ハラナも、大学院の定員拡大は、大問題だとおもっている」と書いていますが、ここから既に私と問題意識がずれています。私が考えている余剰博士問題の本質は、大学院の定員拡大、およびその結果として生じる博士の数の増大ではなくて、教育と称する官営ビジネスが、資格を武器に、民間の教育ビジネスから仕事を奪いつつ、税金を無駄に使いながら、民間需要を無視した経営を行っている点にあります。ですから、もしも教育産業が、市場原理の機能する民間企業によって担われるのであれば、ドロップアウトが出るぐらいに競争が激化しても問題はないし、むしろ人材市場における消費者の利益という観点からすれば、競争の激化は望ましいとすら言うことができます。

なお、税理士の上位資格である公認会計士に関しては、2004年以降、会計大学院が設立され、ここでの教育課程を修了すれば、短答式試験での財務会計論、管理会計論、監査論の3科目を免除されるようになりました。しかし、会計大学院を修了しなくても、公認会計士になる道が残されており、この点で、法科大学院よりも社会的弊害は少ないと言うことができます。

■ちなみに、「教育機関はすべて市場原理の機能する民間企業に委ねるべきである」という、産業界がよろこびそうな、発言が、小学校には、通用しないことは、岡崎先生の論文を参照した「託児所としての小学校」の一連の分析で、わかるよね?
■ケア労働が ほぼ民間だけでなんとかまわっているのは、家庭の事情に いっさい介入しない(する必要を 感じられていない)幼稚園だけ、という現実を、ちゃんと ふまえておこうね。
■小中学校を すべて私立学校に きりかえたら、ものすごい 奨学金を大量に用意しないかぎり、学校にいかせない(いかせることができない)「保護者」が 大量発生することも、ほぼ確実だろう ていう、予測もね。

「託児所としての小学校」がアクセス不可能になっているので、どういう議論がなされているのかわかりませんが、幼稚園は民営化できても、小中学校は民営化できないというのはおかしなことです。小中学校に国や自治体が支出している金を教育バウチャーに回せば、指摘されているようなことは起きないでしょう。

■それと、「大学は規制と補助金で守られているから、腐ってもなかなかつぶれない」っていうけど、私立大学の実態は どう? 毎年のように つぶれる 地方の弱小私大は おくとして、首都圏や近畿圏の私大、一向に つぶれそうにないんですけど。まさか、つぶれない 私大が みんな 「競争原理ゆえに、国公立の平均水準より 総じて まとも」とか、「私大も ものすごい 規制と補助金で守られているから、国公立と同類」とか、いわないよね(笑)?
■国公立の先生方も、私大の理事会も、どっちも、おこるとおもうよ。「私大と一緒だと? バカにするな!」とか、「旧国立みたいに 補助金で守られているなら、ヒトあつめ、カネあつめに、こんなに ちまなこに なってない!」ってね(笑)。

大学の淘汰はすでに起きていますが、問題は、大学が、教育の良さではなくて、立地条件の良さや創立の古さや設置者の違いで選別されているところにあります。これは、大学が、教育機関としてではなくて、評価機関として機能していることが原因であり、だからこそ、私は、教育機能と評価機能の分離を主張しているのです。

6. 政府による評価と市場原理による評価

■ともかく、なんらかの「資格試験」を課しさえすれば、「到達度」が客観的に測定できて、市場原理にも、のる。そうすれば、教育機関=過程の 客観的評価も 可能で、万事正常化し、まるくおさまる、なんて、幻想だよ。
■まさか、就職戦線や大学入試/高校入試という、「一発試験」制度が、大学/高校/中学の 客観的な 教育効果を 測定しえている、なんて、いわないよね?
■現行の英検や司法試験や教員免許や医師国家試験が、それぞれの分野の適性について充分客観的な能力を測定しえているとか、適当な人材をえらべているといった想定が、あやしいのも、おなじことだ。
■教育機関=課程の「出口」「上位」に、市場原理にねざした民間ベースの資格/選抜試験をおこうが、国家管理の資格/選抜試験をおこうが、「内部」を競争原理にそって正常化できるっていうのは、あやしい。
■「測定」には、「誤差」がつきものだから、「市場」が実際に「つかいがって」を たしかめるまでは、わからないんだよ。

資格試験による客観的評価が高いからといって、顧客による主観的評価も高いとは限りませんが、だからといって、客観的評価を行う資格試験が不要であるということにはなりません。顧客がその都度採用試験をするのは、コストがかかりすぎるので、評価者によって評価が大きく変わらない客観的評価は、第三者機関が行い、他方で、プロセス重視の主観的評価は、評価者によって大きく変わる可能性が高いので、資格付与の段階では行わず、顧客に委ね、不適格者は市場原理で選別する方が合理的です。

7. プロセス重視で思考力が向上するのか

■ちなみに、数年まえだが、司法研修所の教官(たぶん、検察官で出向しているひとだったと、記憶しているが)が、「いまどきの修習生(研修中の合格者)は、予備校のテキストが例示する論点しか、しらない。あげる論点で、どこの予備校か わかるぐらいだ。自分で徹底的に かんがえぬくタイプが、激減した。問題だ」と、なげいていた。
■これが、「いまどきの わかもの」論だったら、いいんだが、ハラナは、そうじゃないと、にらんでいる。
■「塾を学校に」論を 先日批判したが、本質は おなじだと、おもう。「民間にまかせ、市場にゆだねる自由競争」ってのは、えてして、こうなる宿命をかかえると……。

それは、予備校が予想するような典型問題しか作ることができない教官の側に問題があるのではないのですか。もしもその教官に「自分で徹底的に考え抜く」能力があるのなら、予備校が予想もしないような独創的な問題を出題して、修習生に「自分で徹底的に考え抜く」能力があるかどうかを見定めることができるはずでしょう。今時の修習生には自分で徹底的に考え抜く能力が不足しているなどと偉そうなことを言う前に、自分にそういう能力があるのかどうか自問してみるべきでしょう。

「民間にまかせ、市場にゆだねる自由競争」が自分で徹底的に考え抜く能力を奪うというのもおかしな話です。自分で徹底的に考え抜く能力は、自由に選ぶ権利が与えられて初めて育つものであって、上意下達の官僚システムにおいて育まれるものではありません。公教育のもとで、プロセス重視の教育をやっても、思考力は向上せず、逆に、PISA(思考力を試す国際的な学習到達度調査)での日本の順位が低下したことからもわかるように、政府が教育ビジネスに参画し、プロセス重視の評価を行って、法曹を選抜すれば、自分で徹底的に考え抜く法曹が育つなどという法科大学院設立の大義名分は、あやしいものです。

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  3 コメント

  1.  法律馬鹿という言葉があります。
    昔から、それほど他のことには目を向けず勉強しないと合格できなかった国家試験の一つであり、首尾よく合格出来れば将来が保証されていた特権への関門だった思われます。しかし、時代の趨勢とともに法律に関わる事象も大変多岐に亘り、法律の専門知識だけでは通用しないものとなり、あらゆる角度からの試験参入へのある種規制緩和的な措置がされたのが法科大学院ではないでしょうか。
     勿論、ここには米国からの圧力に近い導入強勢もあったようです。この同一線上に導入されたのが、裁判員制度のようですが、市場原理によるこの緩和措置による裁判上の均衡を図る制度とも言えます。

  2. 法科大学院には、法学部出身者を対象とした2年間の法学既修者コースとそれ以外を対象とした3年間の法学未修者コースがあります。後者のコースを設けた理由は、より多くの入学者を集め、より多くの授業料を払わせるためでしょう。
    “しかし、時代の趨勢とともに法律に関わる事象も大変多岐に亘り、法律の専門知識だけでは通用しないものとなり、あらゆる角度からの試験参入へのある種規制緩和的な措置がされたのが法科大学院ではないでしょうか。”
    もしも、本当に、そう考えているのであれば、司法試験改革で、従来から行われていた、法律の専門的知識を問うだけの必須試験以外に、それ以外の分野の知識を問う選択科目が課せられるといった改革がなされてもよいのですが、そうはなりませんでした。だから、ご指摘のような崇高な理念は、あくまでも建前上のものにすぎません。
    なお、未修者コースの修了者は、既修者コースの修了者よりも合格率が低いです。2008年の数字ですが、未修者コースの修了者の合格率は22.5%で、既修者コースの修了者の合格率よりも21.8%も低かったそうです。

  3.  批評を拝見して思うことは、あまりにもドクサで終始している、つまり、ドクサの集積のような内容と感じました。多くのドクサの中から真理を見つけ出すための思想の開きが感じられません。単なるドクサには思想の萌芽を見ることは到底不可能でしょう。それはアリストテレスが批判したプラトンのイデア論によれば第三のヒトが、第四のヒトが必要になってきます。と同時にこれは果てしなく続くものです。懐疑のための懐疑と同じものです。 
     懐疑とは真理へと連なる思想の開きでなければならないのです。この思想が開き、公的空間に現れ出ることによって、懐疑は真理を求めて他者の力を借りながら言論によってその正当性をつかむものなのです。ヘーゲルが「思想によって正当と認められないものはこれを認めることができない」といったことにこの批評は当てはまるように思われます。
     カントの判断力批判、諸学部の争い、そして実践理性批判がこのドクサに対して真理への道程を小さな灯りで照らし出してくれるのではないでしょうか。また、アーレントの政治思想がこのドクサに思考の嵐を吹きかけ、ドクサから思考へ、思想へと止揚してくれるのではないでしょうか。 
     次の言葉を持ってこのコメントを終わります。
     人生とは祝祭のようなものである。競技するために祝祭に来るものもいれば、商売を営むために祝祭に来るものもいる。だが最良の人々は観客としてやって来る。それと同様に、人生においても、奴隷的な人間は名声や利益を追求するが、哲学者は真理を追究する。

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