日本は世界標準にどう対応するべきか

2018年8月25日

関岡英之著『拒否できない日本』に対する私の書評に対する原名高正さんの批判に対する反論。年次改革要望書は、日本が米国の属国であることの証拠か、自由化は米国の帝国主義的世界支配を帰結するのかを考えます。

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アボカド・サーモンを「裏巻」したカリフォルニアロールのバリエーション。寿司は代表的な和食だが、世界に広まるにつれて、各地の人の創意工夫により様々なバリエーションを出来させている。この一例からもわかる通り、世界は、グローバリゼーションによって画一化するよりもむしろ多様化する。”Maki and soy sauce” by Lotus Head is licensed under CC-BY-SA

1. 誤解されている年次改革要望書

■「日本のアメリカ追従に初めて気がついたのが1999年というのは、遅すぎはしないだろうか」というが、ことは「追従」の深刻度によるだろう。
■また、「冒頭が面白ければ、売れる。なぜならば、みんな冒頭しか立ち読みしないからだ」などと、冒頭部分の「著者の個人的体験」以外には、新味がまったくないかのようにかたるが、ネット上をはじめとして、読者のおおくが、虚をつかれ おどろいたというのは、やはり社会現象にほかならない。
■慧眼な永井氏が、どんなに先見の明で はやくから「日本のアメリカ追従」を意識していたからといって、日本列島のごく一般的な住民が大量に虚をつかれる事態にあったということは、それだけ、「年次改革要望書」の存在を意義が、「しるひとぞ しる」状況/構造だったことを、うらがきする。
■有名な政治評論家の森田実さんが絶賛したのも、「80年代から大量に出回るようになった嫌米本の域を出るものではなく、従来からある議論をたんに蒸し返しただけ」でなどない、深刻な支配構造が うきぼりになったからだ。
■まして、小泉改革が、こういったアメリカの パワーエリートたちの「シナリオ」にそった 「あやつり人形」的存在だとしたらという、現実感覚が ひとびとの 動揺をさそったのである。

80年代末から90年代初頭にかけてのジャパン・バッシングの最盛期においては、米国は日本に自国製品の輸入を強要し、受け入れない場合には、スーパー301条により報復措置を取ると脅迫し、日本から譲歩を引き出しましたが、年次改革要望は、このような一方的かつ強圧的に対米従属を強いるものではありません。そもそも、年次改革要望書は、米国が日本に対して一方的に規制改革を要求する文書ではなく、日本から米国に対しても同様の要望書が出されます。また、日本は、多くの米国の要望を拒否していますが、それに対して米国が明示的に制裁を行ったことはありません。

だから、80年代末から90年代初頭にかけてのジャパン・バッシングの時期と比べて、日本の対米従属が深刻になったという認識は間違っています。1989年から始まった日米構造協議が、強すぎる日本経済を叩きのめすことが目的だったのに対して、2001年から始まった年次改革要望は、むしろ弱すぎる日本経済を再建することが目的であり、両者の性格は大きく異なります。

ところで、日米間で最初に年次改革要望書が取り交わされるより7年前の1994年から、日本はEUと規制改革対話を始め、毎年東京とブラッセルにおいてハイレベル会合(局長級)を開催し、双方で相手方に対する規制改革提案書を提出し合っています[外務省: 日・EU規制改革対話]。これは日本がEUの属国であることを意味しているのでしょうか。マスコミは、EUが日本に対して出す規制改革提案書を取り上げませんが、これは、日本の対EU従属を国民に知らせないように、マスコミに政治的圧力が加えられているからでしょうか。

もちろん、そのようなことはありませんよね。日本のテレビは、芸能人が麻薬を吸引して逮捕されたといった大衆受けするテーマのニュースならトップで伝えるのに、日本とEUとの規制改革対話のような地味な話題を取り上げませんが、それは政治的陰謀のためではなくして、たんに視聴率が取れないからでしょう。同じことがなぜ日米間の年次改革要望書に関して言えないのでしょうか。

郵政事業民営化も、年次改革要望書に記載されていることを根拠に、米国の利益のために行われたといった陰謀論がネット上で散見されますが、これは正しくありません。小泉純一郎は、1979年に大蔵政務次官に就任した頃から郵政事業民営化を唱えており、米国が、そういうまだ影響力のない頃から、小泉に働きかけていたなどということは考えられません。小泉は、たんに自分の信念に従って郵政事業を民営化したのであって、米国はそれに協賛しただけでしょう。

2. 自由化は画一的なアメリカ帝国主義を帰結するのか

■永井氏がいうとおり、関岡さんの対米認識には、ナショナりスティックな 感情がまとわりつていることが、いなめない。
■しかし、「日本の伝統的建築方法が本当に優れたものであるのなら、仕様規定を性能規定に変えたところで、アメリカの建築会社に日本の市場を奪われることはないはずだ。逆に、地震の多いアメリカ西海岸あたりに、耐震性に優れた日本の建築法を売り込むことができるのではないか」とか、「企業に技術革新を促し、選択肢を増やすことで消費者の満足度を高めるためにも、一定以上の性能を持つならば、どんな建築方法でも認めるように規制のあり方を変えたほうがよい」といった、一見もっともらしい「正論」には、警戒が必要だろう。
■これは「日本の伝統的料理法が本当に優れたものであるのなら、仕様規定を性能規定に変えたところで、アメリカの外食産業に日本の市場を奪われることはないはずだ。逆に、民族差の多いアメリカ西海岸あたりに、柔軟性に優れた日本の料理法を売り込むことができるのではないか」といったぐあいに、別の業界の「自由化」問題にズラすと、問題の所在がよくわかる。
■アメリカの西海岸の「カリフォルニア・ロール」を提供するスタッフが、どういった層がしらない。しかし、マクドナルドをはじめとする 北米型「ファスト・フード」が、単に「選択肢を増やすことで消費者の満足度を高めるためにも、一定以上の性能を持つならば、どんな料理方法でも認めるように規制のあり方を変えたほうがよい」といった論理で合理化できるものでないことは、あきらかだろう。
■アメリカ人社会学者、ジョージ・リッツァが 「マクドナルド化(McDonaldization)」という理念型で 提示してみせた食文化の均質化傾向は、「貿易自由化」「規制撤廃」という、形式合理主義の おとしあなを、痛烈にうがっている。
■そして、北米産外材とその企画化を前提とした「2×4」建築などが、伝統的な大工養成システムを解体し、半熟練の建設作業員の つかいすてによって、建築コストの価格破壊をおしすすめている事態を、「企業に技術革新を促し、選択肢を増やすことで消費者の満足度を高める」といった論理で合理化するのは、まさに新自由主義的な「自由貿易」体制で 世界支配をつづける 米国の国益主義の正当化に加担しているだけだろう。

■そして、永井氏の強引な批判は、関岡氏の問題提起を恣意的に取捨選択することで、「建築基準法」へのアメリカがわの圧力の不自然さ/不当さから、意図的にか めをそらす やくわりをはたしている。
■関岡さんは、1998年という、阪神淡路大震災(1995年)を意識してしか改正しようがない時期の 条文に、なぜか「最低限」といった 不自然な文言がまじっていることや、アメリカがわの圧力が ずっとくりかえされていたことの経緯と あわせて、アメリカからの輸入促進に はずみをくわえるための国内法整備であり、建築工事施主などの利益/安全をまもるための改正ではなかったという、カラクリを暴露したのだ。

この文章が典型的にそうですが、左翼は、貿易自由化というと、国内産業が外国に潰されるとか、伝統文化が破壊されるといったネガティブな側面ばかりを強調します。原名さんが言うように、新自由主義的な自由貿易体制が、世界支配を続ける米国の国益になるというのなら、なぜ米国の政府や議会には、自由貿易に反対する保護主義者が多数いるのでしょうか。

食の自由化における性能規定は、定めし最低限の安全規制というところでしょう。その範囲内で自由化すると、日本の伝統料理は、競争力がないから、マクドナルドに負けて、衰退するとでも言うのですか。原名さん自身、カリフォルニア・ロールの例を挙げて、そうではないことを認めていますね。今や、日本食は、米国においてのみならず、世界的にブームであり、健康志向の人々の間でヘルシーな料理として珍重されています。

■関岡さんの日本文化論が、うちむき/うしろむきであることは、たしかだ。
■しかし、「現在世界を席巻している日本のアニメや漫画など」を、「普遍的なルールに基づいて作られるからこそ、その独自性が評価される」というのは、あきらかな「いさみあし」だろう。
■日本製の ふきかえアニメはともかく、日本マンガは、左斜め下方向によみすすめる。漢字カナまじり表記の ふきだしや擬音語/擬態語。 コマわりなどの「文法」など、さまざまな「ローカル・ルール」の集積だ。
■ふきかえ/翻訳ぬきで うけいれられているのは、チャップリン映画や「Mr.ビーン」のような、無声映画的部分だよね。
■ちなみに、ハリウッド映画やディズニー・アニメは、「マクドナルド」や「コカ・コーラ」同様、「普遍」をうそぶく、「ローカル文化」=無自覚な文化帝国主義。

たしかに、これまで日本の漫画は、紙媒体を通じて出版され、右から左、上から下へと読む慣わしでした。しかし、それは漫画にとって本質的なことでしょうか。国内の紙媒体市場が頭打ちである以上、日本の漫画家も、今後は、製作時点から、電子書籍としてグローバルにネット配信する事を考えざるをえなくなるでしょう。具体的に言えば、漫画一齣が一画面となるように均質的に描いたり、吹き出し内や絵の一部となっている擬声語・擬態語など言語依存部分を、別レイヤーに分離し、翻訳時にはそこだけを変換できるように作るなど、普遍的なプラットフォームに乗るように工夫せざるをえないということです。

コンテンツビジネスの世界展開を文化帝国主義と言って非難している人たちは、各地域にその地域の文化だけが局在するブロック文化分立状態が望ましいと考えているのでしょうか。ブロック文化分立状態は、一見すると、文化の多様性を守っているように思えますが、その地域の人々は、単一の文化しか享受することができないのだから、その意味では文化の画一主義だと言うことができます。ハードであれ、ソフトであれ何であれ、世界の消費者が、自分たちの好みに応じて、世界中の多様な商品から自由に選んで消費できる自由化された経済こそが、消費者の満足度を最高に高め、かつ文化の多様性を維持するのです。

3. 政治的二流国家が生き延びにはどうすればよいか

■ようやく、永井氏のホンネがわかった。要は、アメリカ人になりたかった(笑)と。
■永井氏にとっては、「アメリカ仕様=世界標準」という図式は、普遍的な真理のようだ。
■アメリカは、一貫して 日ロの友好関係樹立をはばもうと(もちろん、日中関係もだが)してきた、という指摘もあるくらいだし、「アメリカの ポチ= ニッポン」が、どうやったら アメリカ/EU/ロシアを 「手玉にとって交渉できる」、「キャスティングボート(casting vote)」とやらをにぎれるのか、「あお写真」かいてみてよ。
■「日米安保を破棄して」だって? ご冗談を(笑)。米軍基地集中に反対してきた 沖縄県の自民党議員たちだって、「安保破棄」なんて いいだすひとは、いないんじゃないか?
■反米右派はともかく、保守派/中道層にとって、唯一の同盟国は米国なんだよ。
■実際、日米安保は、やすあがりな基地維持という便法にすぎず、世界戦略の全面的改編がおきたら、日本は「シッポきり」される程度の存在でしかないのに、「1州として合併してくれないんだったら、スネて ロシア/EU(=『1984年』のユーラシア)と、くっついてやる」なんて、ゴネる勝算も根性もないって(笑)。

■ちなみに、「グローバル化が進む中、北朝鮮のように孤立政策を採るわけにはいかない」などとのたまうが、かの国家指導者ほど 国際社会を てだまにとって、「キャスティングボート(casting vote)」をにぎっている、いい「お手本」は、ないとおもうけど(笑)。

北朝鮮は、これまでソ連や中国の側についていて、米国や日本や韓国の側についたことは一度もないし、今後ともありえないのだから、キャスティングボートを握っているというのは、言葉の使い方としておかしいでしょう。また、日本は、常にアメリカ仕様を世界標準として受け入れてきたわけではありません。特に、スイスに本部を置くISO(国際標準化機構)は、ヨーロッパ主導で、自分たちに都合のよい国際標準を決め、それを日本に押し付けてくる傾向があります。京都議定書でも、日本にとって不利で、ヨーロッパにとって有利な基準で温室効果ガス削減目標が設定されてしまいました。

5年前のこの書評でも書いたとおり、私は、かつて、真に対等な日米関係を樹立するには、そして日本の国際政治における発言力を高めるには、日米併合が最も簡単な方法だと言っていましたが、その実現可能性は、時間と共にどんどん小さくなっていきました。今思い返すと、日本が自分たちに代わって覇権国になるのではないかと米国が本気で心配していた1990年前後が、好条件で日米併合を実現するチャンスでした。バブル崩壊後、日本の一人当たりGDPや政府の債務残高GDP比が米国の水準より悪化し、米国にとって、日本を併合するメリットはなくなりました。

第二次世界大戦の敗戦国である以上、日本は、国際社会において軍事・外交・政治の主導権を取ることはできず、経済や文化などで主導権を取ることしか目指せません。世界標準が欧米を中心に形成されるにしても、その標準のもとで良い商品を作れば、世界の市場で受け入れられるでしょう。日本の独自標準に固執して国内経済をガラパゴス化したり、「東アジア共同体の構築をめざし」[民主党2009年マニフェスト]て、ブロック経済に閉じこもろうとしたりせずに、グローバリゼーションに適応していくことこそ、日本が先進国として生き残る唯一の道です。

私も、これまで日本語というローカル・ルールに準拠してコンテンツを作ってきましたが、学術系コンテンツにおいては、英語がデファクト・スタンダードであり、英語による情報配信にもっと力を入れなければいけないと思うようになりました。現在、和英バイリンガルのブログを立ち上げることを検討していますが、これに関しては、また改めて告知します。