11月 252012
 

メルマガ原文の再掲載シリーズ第6回目は、「戦争か平和かの対立地平を超える」です。これは、時事的な内容を含んでいたので、2005年2月26日にブログで配信する際に、内容をアップデートしました。試論編の「制裁か援助かという不毛な選択肢」がそれですが、基本的な主張は変わっていません。

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1999年12月18日発行のメルマガの内容

STEP1 今週の用語解説:帰属原理と業績原理(ascription vs. achievement)

タルコット・パーソンズの用語。リントンが年齢、性、人種・民族、家柄等の個人の能力や努力によって変えられない出自・属性に基づく生得的地位(ascribed status)と、個人の能力と努力、その結果である業績に基づいて配分される獲得的地位(achieved status)とを区別した[Ralf Linton:The Study of Man, Appleton-Century Crofts 1936]のを受けて、パーソンズは、行為の準拠枠として、出自や属性を基準とするアスクリプションと業績と能力を基準として評価し処遇するアチーブメントを区別した[T.Parsons & E.A.Shils(eds.):Toward a General Theory of Action,Harvard University Press 1951]。近代化は前者から後者への移行を促す。

STEP2 今週のコラム:戦争か平和かの対立地平を超える

冷戦崩壊後、民族紛争が世界各地で起きるようになった。しばしば、戦争が起きるのは、民族が違うからだというような説明がなされる。しかし人種や民族といった帰属原理は戦争で利用されるだけであって、戦争の原因ではない。戦争の原因は希少財である。

もし周りに食料も住居も豊富にあるなら、人々は戦う必要はない。しかし環境が恵まれていると人口が増え、環境が悪化すれば、希少な資源をめぐって戦争が起きやすくなる。

戦争は、経済的物質的な原因からだけでなく、宗教やイデオロギーなどの政治的精神的な原因からも行われるのではないかと反論する人もいるであろう。宗教戦争やイデオロギー戦争も、表面的な大義名分はともあれ、実際には経済的な利害を動機としている。しかし一歩譲って、当事者たちが、経済的利害とは無関係に正義を主張しあって戦争をすることがあると認めても、戦争の原因が希少財であるという仮説は揺らぐことはない。正義はこの世に一つしかない典型的な希少財である。当事者の一方が善なら、それに対立する当事者は悪である。宗教戦争やイデオロギー戦争は、一つしかない真理をめぐる争いなのである。

戦争をする際、たんに味方の数が多いだけではなく、味方の結束が固いことが重要である。裏切り者を出さないためには、味方の基準を、本人の意思では変えられない帰属原理に求めた方がよい。裏切っても征服者の社会では少数派になって不利であることが分かっているので、帰属原理に基づく運命共同体からは脱落者が出にくい。

宗教やイデオロギーは生得的属性ではないから、本人の意思で変えられる。しかし議論で納得するのなら戦争にならないはずだ。実際には非普遍的な帰属原理や物質的利害が絡んでいるから、戦争を公開討論会で代替することができない。しかも一度戦争が起きてしまうと、表向きの大義名分があり、純粋な経済的戦争と違って、和平で安易な妥協ができないからたちが悪い。

戦争は、帰属原理に基づく運命共同体が、希少財の獲得を目指すことによって起きる。戦争の悲惨さを訴えて、平和を希求する人は(特に日本人には)多いが、「戦争をやめて平和を!」と叫んだところで非現実的である。むしろ重要なことは、帰属原理に基づく戦争を業績原理に基づく競争へと変換して行く努力の方が現実的で、かつ生産的だ。

戦後、戦争をめぐる日本での議論はだいたい次のようなものだった。

左派:日本は過去の過ちを繰り返してはいけない。平和憲法を守り、戦争を放棄しなければならない。

右派:でももしソ連が日本を侵略しようとしたらどうするのだ?国民の生命と安全を守ることが国家の任務ではないのかね。

左派:はじめに戦争ありきではいけない。日本は、話し合いによる平和的解決に努めなければならない。

90年代に入っても、「ソ連」が「北朝鮮」になっただけで、本質的には同じパターンの退屈な「神学論争」が延々と繰り返されている。北朝鮮に関しては、経済制裁(北風)か経済援助(太陽)かといった議論がなされているが、そうした選択肢は、戦争か平和かという選択肢と同様に不毛な二者択一だといわなければならない。

共産主義的独裁体制を崩壊させるために経済封鎖をすることは愚かなことである。経済封鎖は、外部情報を遮断することによって共産主義的独裁体制を強め、外貨を稼ぐための兵器輸出を促進するだけだ。日米は、中近東から原油を購入しているが、そこで支払った金は、中近東諸国が北朝鮮から兵器を購入することに使われる。結果として、日米が北朝鮮の軍需産業を育てていることになる。

経済援助も同様に愚かである。日本人が拉致され、テポドンを発射され、不審船が近海をうろうろしているというのに、軽水炉建設のためKEDOに資金供与をしたり、食糧支援凍結を解除したりするなど、相変わらず日本政府は「みつぐ君」役を演じているが、そうした太陽政策が「北東アジアの平和と安定」につながるとはとても思えない。援助が一般市民の手に届く保証はどこにもない。かつて北朝鮮が、最初に日本に米の食糧援助を求めてきた時、対価を支払う用意があると声明していた。西側諸国が、人道的立場から無償援助をはじめたことで、北朝鮮は、脅して金を巻き上げるやくざ稼業の味をしめるようになった。

金正日体制を崩壊させるには、ソ連や東欧を崩壊させたのと同じ手段を使えばよい。冷戦時代に、自由主義諸国は共産主義諸国にCOCOMなど経済統制を行ったが、共産主義社会はもともと自給自足を理念とした社会であるから、それによって東側陣営が弱体化することはなかった。ところがベトナム戦争後の緊張緩和により東西貿易が活発になると、ヨーロッパの社会主義諸国は資本主義の論理に巻き込まれ、その生産性の低さから膨大な対外債務を抱えて「倒産」することになった。

貿易は別の手段をもってする戦争の継続である。食糧難に悩む北朝鮮は、経済交流を歓迎するであろう。北朝鮮には豊富な地下資源があるのだから、食料の無償援助などするべきではない。貿易が活発になれば、いくら政府が統制しても自ずと外部の情報が入ってくる。そうすれば、おそらく東欧で起きたのと同じ革命が北朝鮮で起きるはずだ。

戦争と平和の対立地平を超える原動力、それは市場経済である。かつてマルクス主義者たちは、戦争の原因は資本主義だと言っていた。しかし今日、世界で最も市場経済の発達した地域は、最も戦争の起きない地域になっている。左翼系の人々には、国家間の戦争と企業間の競争を区別せず、市場経済での競争社会が戦争の温床だと考える人が多い。しかし、以前『激論!市場原理は至上原理か?』で書いたように、

「例えば、戦国大名が領土を奪い合う競争は、企業が市場のシェアを奪い合う競争とよく似ているが、前者は後者と違って、相互選択による決定メカニズムがないので市場競争ではない。もしも、ちょうど消費者が商品を選択する自由があるように、係争地の住民が投票で領土の帰属を決めることできるのなら、市場原理が機能していると言えるが、戦国大名にとって百姓は家畜同然の存在であって、勝負はたんなる力と力のぶつかり合いによって決まる。」

帰属原理に基づく戦争を業績原理に基づく市場での競争に昇華することができるならば、たんに戦争がもたらすマイナスを回避できるだけでなく、生産性向上というプラスを期待することができる。競争社会は、植物状態的な平和よりも望ましいとすら言える。

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