11月 242012
 

メルマガ原文の再掲載シリーズ第3回目は、「経済構造の発展と心の発達のアナロジー」です。メルマガで1999年10月5日から22日まで毎日『市場原理は至上原理か』を連載した後から、発行は週一回となり、またこの時から「今週の用語解説」、「今週のコラム」、「今週の読書案内」という三部構成になりました。

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ポトラッチの様子を描いた 1859年 の水彩画。the Klallam people of chief Chetzemoka.

1999年10月23日発行のメルマガの内容

STEP1 今週の用語解説:互酬(reciprocity)/再配分(redistribution)

ハンガリー生まれの経済人類学者、カール・ポランニーが有名にした、前近代的社会の行動原理。互酬とは相互に報酬を与えることで、互酬性の原理に基づいて、対等な二者の間において贈与と返答の交換が行われる。国家成立以前の未開社会に見られるクラやポトラッチなどがその典型。再配分は、中心/周縁という構造を持つ、権力的に差異化された社会において、富がいったん中心の権力者に集められ、それが権力者の裁量で、権力者に忠誠を誓う階層(半周縁)には厚く、それ以外には薄く分配されること。従来、近代資本主義社会の特徴は貨幣経済であると思われていたが、貨幣は未開社会にも存在する。ポランニーによれば、資本主義社会に特徴的な原理は、市場原理である。ポランニーは、多くのマルクス主義者と同様に、市場経済が歴史的に特殊であるから、やがて(第二次世界大戦以後)崩壊すると考えていたが、その予言は今のところはずれていると言わなければならない。

STEP2 今週のコラム:経済構造の発展と心の発達のアナロジー

ポランニー自身は、自給経済→互酬経済→再配分経済→市場経済というような歴史的発展段階論を唱えているわけではない。実際市場経済が主流になっている今日の日本でも、自宅の庭で野菜を植えて食べる自給経済もあれば、盆と暮れに贈与と返礼を行う互酬経済もあるし、ピラミッド型組織では再配分経済がある。しかしどの経済原理が一番支配的であるかという観点から、農業革命(食料生産革命)と工業革命(産業革命)を区切りにして、人類史を次のように三つの時期に分けることができる。

1.互酬経済的段階:農業革命以前の採取社会では、女と女の交換(交叉いとこ婚)が典型的にそうであるように、普遍的媒介者(貨幣・権力者)なき互酬的物々交換が行われている。

2.再配分経済的段階:農業革命によって成立した農業社会では、権力者が交換の媒介的第三項として、国家の富を税金として徴収し、それを再配分することによって巨大組織(王朝国家)を作った。

3.市場経済的段階:工業革命と市民革命によって成立した工業社会では、媒介的第三者が脱人称化され、権力が分散され、市場が成立する。市場とは、すべてのメンバーに情報が開示されている状況下で、複数の供給が不特定多数の需要に対して競争する、特定の個人によって完全には制御できない不確定的な売買決定メカニズムのことで、政治的には民主主義と呼ばれている。

第3号で、ラカンの鏡像段階論を紹介したが、個体発生が系統発生を繰り返すとするならば、経済の3段階は、次のような心の発達の3段階に対応するといえる。

1.鏡像段階:この段階では、乳幼児は母親とナルシシスティックな相思相愛関係にある。乳幼児にとって、母親は、鏡に映し出されたイマージュであり、そのシンメトリーに基づいて想像的な贈与交換が行われる。乳幼児は、母親から母乳をもらう代りに糞尿をお返しとしてあげると考える。フロイトによれば、尿は金色で、糞は鋳潰した銀のようであり、金銀が貨幣として用いられるのは、この幼児体験に基づく。この母子の関係は互酬的である。

2.エディプス的段階:この段階では、父親が子供から母親を奪い、子供に欲望の満足を禁止し、子供は父親を媒介にしなければ、母親と関係を持つことができなくなる。父親を権力者(大文字の他者)、母親を富(対象m)と考えれば、エディプス三角形は再配分経済の構造に似ている。

3.脱エディプス的段階:子供は母親の獲得を断念し、父親を自我理想としつつ、自ら大文字の他者となろうとする。やがて子供は自立し、家庭の中から出て、開かれた結婚市場においてパートナーを求めるようになる。この段階は市場経済の段階によく似ている。

もちろん脱エディプス的段階といっても、結婚すると世代を変えて再びエディプス的関係が始まることになる。エディプスの三角形から逃れるにはどうすればよいのか、次回はこの問題を取り上げたい。

STEP3 今日の読書案内

◎ カール・ポランニーについての短評

http://www2.justnet.ne.jp/~asia/inform/kpolanyi.htm

引用:「彼の研究活動は多岐にわたるが、最も注目すべき主張は、市場経済は人類史上の特殊例であるという強烈な市場経済批判論ではなかろうか」。

永井の評論:男女平等の理念を持つことが、「人類史上の特殊例」であるとしても、男尊女卑を復活するべきだという結論が出てこないのと同様に、市場経済が人類史上の特殊例だからといって、市場経済を放棄するべきだという結論は出てこない。

◎ ハイエクとポランニーの比較

http://www.big.or.jp/~wed/kuru/PHILOFIGHT/card59570.html

引用:「ポラニーが直接念頭に置いていたのは、イギリスの同業者組合に見られた相互扶助の仕組みでした。彼らはそれぞれ小規模な生産者でしたが、資金を融通し合ったり、生活財を融通し合ったりする時には、それぞれ生産者であったり消費者であったりしました」。

永井の評論:互酬経済での贈与と返礼は、社会的連帯を維持することが目的で、物の交換は手段に過ぎない。だから市場経済なき互酬経済は、自給自足経済ではじめて可能になる。自給自足で現在の60億の人口を養うことは不可能で、特に日本などは、餓死者続出になるはずである。「かつて互酬性にのみ基づく経済が可能であったのだから、現在でもそれが可能なはずだ」という議論は歴史の不可逆性を無視している。

◎ 実証的なポランニー批判(英語)

http://www.ihr.sas.ac.uk/ihr/esh/archpolanyi.html

具体的な例を挙げながら、前近代社会にも市場が存在することを指摘する。現在のポランニーブームは、社会主義者たちが、はやらなくなったマルクスの代替物を求める運動の一環だと酷評する。

読者からのメール

伸樹さん:私は先生の以前のコラムで、少子化に対する高齢化の需給バランスは一時的なものであって、これがバランスを保つ頃には一つの安定化した社会関係が成立すると言った意見を読んで、なるほどそう言った大局的な視点に立っての思想が今こそ必要なんだと感銘を受けました。私は今32歳でそう言う意味では最も不利益をこうむる立場にありますが、先生の意見で目が開けた気がしました。ところが、今回のコラムでの先生の意見は以前の意見に対立するように思われます。私自身は長期的な視点での人口減少はむしろ歓迎すべきものだと考えています。もちろんそれに伴うリスクや犠牲は生じるでしょうが、それらを最小限に押さえる手段は充分に講じられると思います。

永井:私の説明が不十分であったようですが、「歴史の不可逆性」とは、「人口増加は不可逆的である」という意味ではなく、「前近代的な互酬・再配分経済中心から市場経済中心への移行が不可逆的である」というつもりで書いたのです。環境問題や資源問題という点で「人口減少はむしろ歓迎すべきものだ」というご意見にはまったく賛成です。世界人口を減らす一番前向きな方法は、義務教育制度を作り、児童労働を禁止し、教育負担を重くすることです。そうすれば、両親にとって子供は収入源から負担に変わるので、自然と人口が減少し、しかも労働者の質が高くなるので、生産性が向上し、食糧問題が解決します。現在情報革命のもと産業の知識集約化が進んでいますが、環境問題と資源問題を解決するには、その流れを進めるべきです。かつて毛沢東の文化大革命やポルポト版文化大革命では、近代から前近代へと歴史の流れに逆らおうとした結果、大量の餓死者が出ました。「自給自足で現在の60億の人口を養うことは不可能」と書いたのは、そうした過去の失敗を念頭に置いてのことです。

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